59 夏色黄色 ☆
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。
本当にありがとうございます!
みーん、みーんとセミが鳴く大空の下を、華苗はとてとてと歩いていた。夏の日差しは相変わらずギラギラと輝いており、午前中なのにすでに気温は三十度を超えてしまっている。
通気性の良いオーバーオールと言えど中はもうだいぶ蒸れており、華苗の肌からじんわりと汗が吹き出し続けている。麦わら帽子を被っているため日差しで目を傷めることこそなかったが、おでこからしみだした汗が目に伝い、華苗のぱっちりした目を容赦なく痛めつける。視界の端に映る陽炎がよりいっそうとその暑さを演出していた。
八月の空はとにかく青く、高い。
白く力強い入道雲が空に浮かんでいる。アイスクリームみたいだな、と思った華苗は頭を振ってその考えを止めた。考えたら、それだけ現実とのギャップに苦しむことになる。
八月といえば、夏休みの宿題について真剣に考える人たちが出てくるころだろう。まだまだ半分以上も時間は残っているが、七月という甘美な響きはすでに消え失せ、なんとなく終わりの予兆を感じ始めてしまうものなのである。
もちろん、華苗はきちんと宿題をこなしているからそんな心配もない。自分でも意外だと華苗は思っているが、ほぼ毎日学校に来ているおかげで結構なペースで問題集が片付けられているのだ。
部活も勉強も充実した夏休みなど、ここに入学するまでの華苗には想像すらできなかったことだ。
「あっちぃ……」
さて、そんな華苗が向かっているのは例によって例のごとく、園芸部自慢の畑である。割と早い時間にノルマを片付けられた華苗は調理室でよっちゃんたちと別れ、自らの責務を果たす為──じょうろと鍬をふるうためにこの炎天下を歩いているのだ。
畑仕事にはもうずいぶんと慣れてきた華苗だったが、この地獄のような灼熱の暑さだけはいつまでたっても慣れなかった。
「華苗ちゃん! こっちこっち!」
「今日も豊作だよ!」
華苗と同じオーバーオールに麦わら帽子姿の人影が三つ。畑の守護者のような大柄な大男に、茶髪のふわふわの女子が二人。
調理室で姿を見ないなと思っていたら、どうやら今日はこの二人と一緒に部活をするらしかった。
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夏野菜と言われてぱっと出てくるものは何だろうか。
おそらく、トマト、キュウリ、ピーマンあたりを思い浮かべる人が多いだろう。区分的にはスイカも野菜に入らないわけではないが、夏野菜としてスイカを上げる人は一人もいないはずだ。
さて、このスイカとキュウリだが、どちらも同じウリ科の植物である。園芸部で少し前に育てたメロンもウリ科であり、他にもゴーヤなんかがウリ科の作物としてあげられる。そう、夏野菜にはウリ科が割と多いのだ。
「…今日はこいつの収穫だ」
楠が日焼けした顎で指した先にあるのもまた、ウリ科の作物だった。
「いやぁ、朝から頑張ったかいがあったってもんだよ!」
「日持ちするから調理部でも扱いやすいんだよねー。 応用の幅もすっごく広いし、今から楽しみなんだ!」
双葉と青梅がきゃっきゃと笑いながらそれを指さしていた。華苗はがさがさと足元のつるをかき分けながら、その大地の恵みを眼に収めようと身をかがめる。
スイカやメロンとよく似た葉っぱ。ウリ科植物特有の長い蔓。硬い皮に目に鮮やかに映える緑。
どっしりと構えた、悠久の時すら感じさせるその緑の恵みの塊の正体は……
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
「──カボチャ、ですね」
「…そのとおり」
それはもう見事なカボチャが畑のあちこちに転がっている。どれもこれもが華苗の頭よりも大きく、とても濃い鮮やかな緑色となっていた。
ひびの様な、皺のようなものが頭からお尻のほうへと走っていて、それで締め付けられているかのように実そのものが膨らんでいる。ステレオタイプと言っていいほどカボチャらしい見た目をしており、よくよく見ると表面にうっすらと粉のようなものが噴き出ていた。
どこからどう見ても、シーズン真っ盛りのカボチャだ。まごころをふんだんに込められて育ったのであろうことは疑いようがない。
「青梅先輩たちは朝からこれを?」
「うん。頼んだ本人たちがお手伝いしないわけにはいかないからね」
「それに、早朝に作業をしなくちゃいけないって言ってたから、三人で朝早くに学校来てやったんだ!」
他のウリ科の例にもれず、カボチャもやっぱり雄花と雌花を咲かせる。これを人工授粉してやらないといけないのだが、開花すると花粉の受粉能力がどんどん低下してしまうため、早朝の開花に合わせて人工授粉してやらないといけないのだ。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
(カボチャの花)
これをきちんと行わないとうまく実がつかなかったり、ついたとしてもあまりいいものにならなかったりする。眠いかもしれないが、夜明けとともに動けるように開花の時期が迫ってきたら体調管理をしっかりとしておくのが望ましい。
とはいえ、受粉作業そのものは他と同じく、引っこ抜いたおしべをめしべにこすりつけるだけなので楽といえば楽だ。
華苗はぐるりと畑を見まわしてカボチャの数を数えた。葉っぱや蔓に隠れているものを除き、ぱっと見た限りでは五十近くある。早朝と言えど、三人がかりならさほど面倒でもなかったことだろう。三人きりで仲良くおしゃべりでもしながら作業していたに違いない。
「…先輩方がほとんどやってくれたからな。あとは収穫だけだ。…だが、育て方を知らない園芸部など話にならん」
楠が麦わら帽子の位置を直しながら華苗に語り掛ける。相変わらず変なところで真面目であり、終えた作業だというのにわざわざ華苗にそれを教え込もうとしているから恐れ入る。
どうせ、まごころを込めればどうにでもなるというのに、いったい何が楠をこうさせるのかと華苗は毎回不思議に思っている。
「…まずは植え付け──」
「葉が何枚か出てきた元気のよさそうな苗を肩幅感覚くらいですか? 土つくりは二週間前からで、植え付け時期は土の温度がある程度高くなってきたころですね」
「…そうだ」
「ついでに麦わらも敷く。土中の温度を高めにすると同時に乾燥を防ぎ、それに加えて生った実に傷や泥を付けないようにするんでしょ?」
「…ああ」
「水やりは適宜。とはいえ乾燥してたらたっぷりあげなきゃいけないから、夏は割と頻繁に。ああ、その前に間引きをしないとダメでしたっけ」
「……」
「摘心はスイカやメロンと一緒で大丈夫でしょう。基本いらないものを斬って、本命だけ伸ばすって感じですか。花はたぶん黄色で、人工授粉もして、ついでに日付の記録もする」
「…………」
「最後に実ができて、果梗が枯れてきたら収穫。──ちょうど、いい感じですね」
「……そのとおりだ」
「えっへん!」
ない胸をはって華苗は得意げになる。
伊達に園芸部員をやっているわけではないのだ。キュウリ、スイカ、メロンとすでにウリ科は何度も体験しているし、カボチャだって同じウリ科で、しかも夏の作物なのだ。
葉っぱもつるも似ていて、かつ人工授粉もやったと来れば、育て方だって自ずとわかるというものである。
入部当初はわからなかったが、野菜の栽培は共通項だって多い。専門用語だってしっかり説明できるし、もう今更の話である。この手の作物なら、華苗はすでにマスターしてるも同義なのだ。
「華苗ちゃん、知ってたの!?」
「あ、朝いなかったよね!?」
「そりゃあ、園芸部ですもん。見ただけで全部わかりますとも!」
三年の先輩に羨望のまなざしを向けられるという快感に、華苗の鼻は灼熱の太陽に届きそうなほど高くなっていた。浮かれすぎていて、知識はあれど実践するのにはまだまだ力不足だということをすっかり忘れている。
楠は華苗とは違い最初から最後まで一人で全部こなせる。ついでに言えば、その知識量も今の華苗とは比べ物にならない。
「…収穫した後は?」
「はい?」
「…だから、収穫した後はどうする?」
「……」
だから、ちょっとだけ意地悪したくなってしまったのもしょうがないことなのだ。
ほぼ毎日顔を合わせる華苗と、楠のことが大好きな二人だからこそわかることなのだが、この時の楠の言葉の端からは悔しげで拗ねたような雰囲気を感じ取ることができた。
「……かわいい♪」
「あたし、楠のこういう子供っぽいところも大好きだよ」
ぷいっとそっぽを向いた楠は、華苗には大きな子供にしか見えなかった。
カボチャの果梗のコルク化は完熟の合図である。こうなったものからどんどんと収穫していくわけだが、収穫直後よりも収穫からしばらく置いたものがおいしいといわれている。
というのも、カボチャは収穫後にでんぷんが徐々に糖へと変わり、甘味が増していくのだ。果物の追熟と同じようなものだと思って間違いないだろう。おおよそ三十日前後でこれはピークを迎えるため、余裕があるのであればすぐに食べないほうがオトクではある。
保存は風通しの良い場所で行えばいい。貯蔵性も向上し、冬まで優に持つようになる。冬至に甘ぁいカボチャを食べた記憶がある人は結構多いはずだ。
ちなみに、完全にコルク化してしまうと収穫にはちょっと遅いとされている。
「…育て方はほとんどあっているが、細かいところがまだまだだ」
「いーじゃないですか。へるもんじゃないし」
人工授粉にしても、カボチャの花の寿命はとても短いため、うまい具合に雄花と雌花が同時に開花しないと授粉できなかったりする。ハウス栽培でもなければ自然に虫に任せてもよいのだが、きちんと人工授粉すれば結実の可能性が劇的に高まるためやっておいたほうがいい。
また、結実したカボチャの実もほったらかしでいいというわけでもない。藁をしいて泥や傷を防ぐのは華苗も言ったとおりだが、カボチャはお日様の光が大好きであるためか、光のあたりが悪いところは色づきが悪くなるため、適度に頃合いを見計らって実の向きを変えてやらないといけないのだ。
なんらかの拍子で、例えば葉っぱの影になったりしてカボチャの実の裏側に日が当たらないと、その部分だけ薄白くなってしまいとても珍妙な見た目になる。お尻の部分なんかは常に地面に接しているため、特に注意が必要だろう。
「…俺に勝とうなど十年早い」
「青梅先輩、年下の女の子にムキになる人ってどう思います?」
「楠くんならそれすらステキ!」
「双葉先輩は?」
「もっとあたしにもムキになってほしい!」
恋は人を盲目にする。華苗にも好きな人はいるけれど、自分がこんな風になるなんてとても思えなかった。
ましてや今回の場合、相手は仏頂面、不愛想、無口の三拍子そろった楠なのだ。いい人ではあるのだが、でもまぁ、それだけ。せめてもっとこう、さわやかに笑うことができたのなら──
「……」
「あれ、華苗ちゃんどうしたの?」
「なんか赤くない? 熱中症?」
「な、なんでもないですっ!」
思わず思い浮かべてしまったその顔。なんだかわからないけれど、とても気恥ずかしくなって華苗は麦わら帽子を被りなおした。華苗の恋心は青梅たちとは違う積極的なシャイなのだ。
「…ともかく、収穫だ」
楠の一言でその場の全員が戦闘態勢に入る。果梗を斬るための鋏を持ち、各々が散らばり緑のターゲットを探した。
華苗も無造作に転がるそれの元へと跪く。少しごつごつした、亀の甲羅ともとれる立派な表面。光沢はないが、どっしりとした安心感がある。ポンポンと叩くと、スイカとよく似た実の詰まっている音がした。
「おぉ」
パチンと鋏を入れると、華苗の腕の中で緑の星が産声を上げた。華苗の腕にかかるそれは見た目以上にずっしりと重い。さすがにスイカほどはないだろうが、ちょっとしたダンベルほどはあるのではないかと思えた。
もちろん、華苗はダンベルを持ったことはない。全て想像の話である。
「華苗ちゃーん、収穫したのはリヤカーに乗せればいいのー?」
「ですですー!」
遠くから声をかけてきた青梅に返事をし、華苗は再び収穫作業に入る。目につくカボチャはすべて完熟したものであるため、適当に鋏を入れていくだけでいいので非常に楽だ。
三つか四つくらい切ったら、それぞれを小脇に抱えてリヤカーに乗せる。もちろん、慎重に傷つけないように、だ。ここでヘタに傷をつけようものなら今までの努力が全部無駄になってしまう。
「…こんなもんか」
四人もいれば作業の進みも早く、あっという間にリヤカーはカボチャでいっぱいになってしまう。これだけあれば調理部とお菓子部の全員が好きなだけ使うことができるだろう。
「さすがに今日は運動部に差し入れできませんね」
「…ああ。だが、双葉先輩がわざわざあるものを作ってくださった。卸に行くついでにそれを調理室へ取りに行くぞ」
「はぁい」
楠がリヤカーの引手を取ると同時に、華苗はごくごく自然な動作でリヤカーへと乗り込んだ。青梅と双葉もにこにこしながらそれに続く。
「……」
がたごと、がたごと。
さすがに女子生徒が三人も乗って気づかないはずもないだろうが、楠は無言でリヤカーを引き続けた。その顔は汗ばみ、そして日焼けした腕は塩でテカテカ輝いている。オーバーオールの下のTシャツはもう汗でぐっしょりだった。
「先輩たち、普通に乗ってるのにあの人なんも言わないんですね」
うーん、と伸びをしながら華苗はつぶやいた。カボチャも一応球形ではあるものの、特段転がりやすいというほどでもない。つまりは、転がらないようにするために乗り込むという大義名分が通用しないわけで。
「そりゃあ、最初に乗ったのがあたしだからね!」
双葉が自慢げに言った。
なんでも、このリヤカーに最初に乗せてもらったのは双葉らしい。去年の今頃、やっぱりメロンだかスイカだかを運搬中、転がって傷がついたら敵わないと乗り込んで押さえていたそうだ。女子生徒一人くらいなら増えてもどうってことないし、当時一人で切り盛りをしていた楠にとって渡りに船だったのだろう。
「で、悔しくなった私も乗せてもらったの」
その話を聞いた青梅もそれに乗っかった。なんとなくお姫様チックだし、合法的に汗ばんだうなじを見るチャンスでもある。恋する乙女として、逃す手はない。
「秋山くんも乗ったらしいけど、バレて怒られたって言ってた」
「男はお断りなのかもね。ユニコーンみたいでカッコよくない?」
「ははは……」
あんな日焼けして不愛想なユニコーン、いてたまるものか。
「そういえば、このカボチャはどうするんです?」
がたごと、がたごと。
楠の引くリヤカーはまるでエンジンでも内蔵されているかのように力強く進んでいく。時折踏みつけた小石かなんかでガタンと大きく跳ねるが、それもなんとも味なものだ。
「まずは普通に煮物かなー。そのあとパンに練りこんで、コロッケにも使いたいなぁ。あと、冬に向けてポタージュスープやグラタンの練習もしておきたいの。マイナーどころのトルテッリにもいい機会だから挑戦したいんだよね」
「お、おお……!?」
「それと、こないだ佐藤くんがおじーちゃんと一緒にメロンの器のフルーツポンチの練習していたんだけどさ、あれと同じようにカボチャの器のカボチャグラタンができたらいいかなって」
その言葉を聞いただけで、華苗の舌は甘くてホクホクのカボチャの味の幻に包まれる。味の染みた煮物は華苗も大好きだし、香り豊かなパンにカボチャの風味まで加わったらどうなってしまうのか、もはや想像すらできない。カボチャの器のグラタンなんて、知る人ぞ知るフランスのお店みたいですっごくオシャレではないか。
「あたしんとこはハロウィン対策だよね! パンプキンパイやパンプキンケーキは外せないし、夢一に負けないようになめらかカボチャプリンも練習しとかないと! カボチャってお菓子と相性が良すぎるから正直時間が足りないくらいだよ! 同じプリンだけど、サンカヤー・ファクトンっていう外国のもやりたいし!」
意外に思われるかもしれないが、カボチャはお菓子との相性が非常によく、何に使ってもおいしく調理することができる。有名どころで言えばパイやケーキだが、マドレーヌ、モンブラン風、ドーナツ、クッキー、タルトにチーズケーキ、スコーンにババロアまでできる。甘くてホクホクだから、想像力さえあればもっといろんなことに使えるだろう。
さらに、それに加えて……
「カボチャの種も使えるんだよね。パンプキンシードって言うんだけど、ケーキなんかの飾りつけに使ったりするんだ。渚のとこでもパンのトッピングに使えるんじゃない?」
「うん。ケーキとパンって似たようなものだし、その辺はお菓子部も調理部も境があやふやだもんね」
「なんか、カボチャってイマイチ有名な料理とかって思いつかなかったんですけど、意外と幅広く使われているんですね」
「…じいさんとこもカボチャを欲している。和食として煮つけを作るのはもちろん、餡にして饅頭やようかん、おはぎや大福にもするらしい。きんつばにもできるといっていた」
「うっそぉ!?」
餡にもできるから、和菓子との相性も抜群だったりする。
こうやって考えてみると、カボチャは料理として扱うよりも、お菓子として扱うことのほうが多いような気もしてくるから不思議なものだ。いっそ野菜ではなく果物というくくりでもいいんじゃないかとさえ思えてくる。
がたごと、がたごと。
「…乾燥させた種は生薬にもなる。じいさんはそっちのほうに興味があるらしい」
「生薬? なんのおくすりですか?」
「…虫下し」
「……ってなんでしょう?」
「…知らんのか」
「飲んだことありませんし。先輩は知ってます?」
「わたしは知らない」
「あたしも」
「…虫下しとは文字通り、人の体に寄生した回虫や条虫を体外に排出させるための薬だ。曲がりなりにも畑を持つものなら知っておくべきことだぞ」
「うぇ……」
今でこそ虫下しなんて言葉は死語になりつつあるのかもしれないが、昔は結構深刻で身近なものだったのである。主に農作物が原因で罹ってしまうため、楠はそのことを知っていたのだ。
「…とはいえ、俺もほとんどじいさんから聞いたんだがな。昔は虫下しが学校で配られていたらしい。これが言葉にできないほどに不味く、なんとか改良できないか試してみたいそうだ。詳しくは知らんが、調整されたチョコ味も口に合わなかったとか」
「……昔って何年前の昔ですかね」
「おじーちゃん、わたしと同い年のはずなんだけどね」
「絶対昭和とか大正の話だよね。あたし、じいちゃって年齢詐称してると思う」
がたごと、がたごと。
うら若き乙女を乗せたカボチャのリヤカーは不愛想な黒いナイトにひかれていく。ナイトが白馬で、カボチャを乗せるんじゃなくてカボチャに乗っていれば、華苗たちはきっと憧れのお姫様気分を味わえたことだろう。
「…ともかく、カボチャはすごいってことだ」
▲▽▲▽▲▽▲▽
さて、一度調理室でカボチャを下ろした華苗たちはあるものをもって武道場へとやってきた。
実は差し入れの順番には暗黙のルールがあり、一番最初に差し入れされる部は毎回変えるようになっているのだ。
もちろんどこから行くのかは完全に園芸部の気分であるのだが、最後に差し入れを受ける部はだいぶ遅い時間になってしまうため、不公平にならないようにこのルールができたのである。
運動場、サッカーグラウンド、武道場、体育館、中庭と大まかにそれは分けられ、今日は武道場に白羽の矢が立ったのである。ちなみに、中庭は運動部の一部と文化部の集合場所だったりする。
「よーし、切りのいいところで練習中断! 防具をきちんと片づけたものから休憩に入れっ!」
「弓道部も弓を片付けてから休憩に入るように!」
剣道場からは柳瀬の凛と響く大きな声が、弓道場からは橘のおだやかで安心する声が聞こえてくる。
「乱取り一本やったら休憩だぁ! 全力でやれぃ!」
「おうッ!」
「そこの麦束片付けたら終わりだ! 気合をいれろ!」
「押忍ッ!」
柔道場からは何かが床にたたきつけられる音が聞こえた。武道場前のちょっとした広場では空手道部が榊原を筆頭に必死になって石臼と格闘している。
「お前ら! 練習終わり! 礼をしてから休憩に入れ!」
合気道部のほうからは、葦沢の声とそれに応答する大きな声が聞こえた。疲れて呂律が回らないのか、それとも単純にそういうものなのか、華苗にはうまくその言葉が聞き取れない。
文字に表わすと『しゃぁぉらいっ!』だろうか。つくづく運動部の掛け声とは奇妙なものである。
「今日は武道場が一番乗りか! 運がいいなぁ!」
「ホントによぅ。もうまったく、暑くてやってらんねぇよなぁ」
「お前ら見ている俺の気持ちになってみろよ……!」
熊のように笑う榊原も、はだけた道着を直す中林も、額に玉のような汗が浮かんでいる。直に着ているとはいえ柔道着は分厚くてとても蒸れそうだし、毛深い榊原は見ているだけで暑くなってくる。葦沢はそんな二人に挟まれて汗を垂らしながら苦笑いをしていた。
男子高校生が、それも大柄で大人と見紛うほどの運動部が滝のように汗を流しているさまは正直ちょっと暑苦しい。噂によく聞く、武道部特有の汗臭さが華苗の鼻を突いた。
「今日はちょっと豪華に、コンポートやグラニテ、フルーツポンチを用意してみました!」
うぉぉぉ、と歓声が上がる。野獣の雄たけびのようなその声に、華苗は思わず耳をふさぎそうになった。
華苗たちが調理室に取りに行ったのはこの調理済みの果物である。一年生のナイフの使い方の練習やその他もろもろで大量に作ったお菓子が配っても食べてもなお余っており、いい加減冷蔵庫を圧迫していたのでこの機会に食べてもらおうと双葉たちは考えたそうである。
ちなみに、直接食べることのできないパイナップルなんかもきちんとカットされて提供されているほか、バナナや桃、その他ここしばらくで収穫された果物類なんかが全部リヤカーにそろっていたりする。
「フルーツポンチなんて給食以来だなぁ!」
「このかき氷もどきもうっめえぞ!」
「桃コンポート、ほっぺが落ちそう~!」
甘いお菓子は特に女子に人気で、あっという間になくなっていく。柔道や空手道はともかく、合気道や剣道、弓道には女子も結構いるため、思った以上に減りが早い。
凛とした武道部の女子でも甘いものを頬張るときはほっぺがゆるゆるで、嬉しそうに目を細めて微笑んでいる。きゃっきゃきゃっきゃ言いながら食べさせあったりしているところは、その佇まいとのギャップで女の華苗でもノックアウトされそうなほどに可愛らしい。
みんながうれしそうに園芸部の果物を食べてくれていると思うと、華苗としてもなんだか心が温かくなってくる思いである。人と汗が生み出すむわっとした臭気も、あまぁい果物の香りでいつのまにかどっかに吹っ飛んでしまっていた。
「スイカ! 思う存分スイカが食える!」
「メロンだ! メロンをくれよ! オレこないだ食い損ねたんだよ!」
「あ、パイナップル、ちゃんと楊枝がついてる!」
女子のためを思ってか、男子はむしろ普通の果物のほうに群がっていた。お菓子がある分、誰にも気兼ねせずに果物を頬張れるということであり、味よりも量を好む男子高校生にとってはこれ以上にない天国となっている。なんてったって各種フルーツが食べ放題なのだから。
「華苗ちゃん、私はそいつがすごく気になるんだが……」
「僕も。それってこないだのやつだよね」
さて、忙しく果物やお菓子を提供していた華苗にそわそわと喋りかけてきたのは、柳瀬と橘だった。二人ともすでにスイカでも平らげたのであろうか、唇が若干湿っており、そして汗もいくらか引いている。
意外なことに、この二人からは汗臭さなどは感じなかった。柳瀬は髪も長く、防具で蒸れるというのに不思議なことである。
「これ、ですね?」
「あああ……!」
そんな柳瀬は、華苗がちらつかせたそのタッパの中身を見て目を輝かせた。
黄金色のまぁるい輪っか。大きさは華苗の手の平に乗るくらい。白い筋が車輪のようで、見ているとなんだかわくわくしてくる。
タッパを開けると、ふわりと甘くさわやかな香りが辺りに広がった。
「《レモンの砂糖漬け》……いや! 《レモンの蜂蜜砂糖漬け》!」
「そのとおり!」
自慢げに言ったが、もちろん華苗じゃなくて双葉が作ったものだ。
そんなことには気にも取られず、柳瀬はひょいとその輪切りにされたレモンを摘み取り、自らの口へと放り込む。甘酸っぱい柑橘の香りと蜂蜜の魅惑の香りが柳瀬の頭の先からつま先まで走り、その凛とした表情が恋するお姫様のようにとろりと溶けた。
「おいひぃ……!」
「……ウチで作るのよりもおいしいかも」
最近はあまり見かけなくなったが、部活動への差し入れといえば昔はレモンの砂糖漬けが鉄板だった。手軽に栄養補給はできるし、なによりその甘酸っぱさが暑さでウザったくなった気分を一瞬で健やかにしてくれる。
ただ、最近は輸入品のレモンが多く、皮ごと漬けるレモンの砂糖漬けでは農薬が混じって体に悪いとの考えから、作られることは少なくなってしまったのだ。
園芸部では無農薬で作っているため、そんな心配もなく、昔ながらのレモンの砂糖漬けが食べられるというわけである。
「…おまえも食べてみろ」
「うぃっす」
楠に荒れ狂う野獣の番を任せ、華苗もその黄金に輝く車輪を口に入れる。
「おぉ……!」
甘い。
レモンの甘さがぎゅっと詰まっており、それが蜂蜜の香りで下品にならずに上品な感じでまとまっている。本来あるはずの皮の苦味が砂糖の甘さと調和しており、柑橘のさわやかさと一緒になって気持ちよく舌へと溶け込んでいく。
元がレモンとは思えないほど皮がトロトロになっており、舌で軽く押さえるだけで簡単に口の中でほどけていく。果物を食べているというよりかは、むしろ水あめをなめているかのような口当たりとのどごしだ。
甘く優しい香りが全身を駆け巡り、うっとりとした気分とともに鼻へと抜けていく。とても甘いはずなのに全然くどくなく、喉も乾かない。ちょうどいい酸っぱさが後を引き、あと一枚、もう一枚と手が止まらない。
この言葉にできないほどに魅惑的な甘さに、華苗の胸はとろけてしまいそうだった。
「僕もそれ、もらえるかな?」
「はいはいただいま──ひゃっ!?」
数十分前に思い浮かべたのとまったく同じ笑顔が華苗のすぐ真横にあった。レモンに負けないくらいのさわやかな笑顔の不意打ちに、油断していた華苗の心拍数は一気にレッドゾーンへと突入する。
混みあっているリヤカーの前だからか、思っていた以上に近い場所。振り返ってすぐ目の前にいたその人に、華苗は自分の心臓の音が聞こえているんじゃないかとすら思えた。
「ひ、柊くん!?」
「いや、なんかすっごくおいしそうだったから……」
道着の前が少しだけはだけた柊がそこにいた。やっぱり相当暑い場所で頑張っていたのだろうか、他の部員の例にもれず汗をぐっしょりとかいており、今もぽたぽたと顎から地面へと汗が伝っている。
寝癖のように髪が乱れているほか、よくよく見ると手が真っ赤になっていることから、体を張って練習していたことは疑いようがない。
それでいて白馬の王子様のようにさわやかに笑っていられるなんて、そんなの反則だと華苗は心の中で抗議する。とてもじゃないけどまっすぐ顔を見るなんて出来はしない。
「どどど、どうぞ!」
「あ、ありがと」
華苗が慌てて差し出したタッパに手を入れようとして、柊は手を止めた。いつまでたっても手ごたえがないことに不信を抱いた華苗はそろりと顔を上げると、真剣に悩む顔がそこにあった。
「……手、洗うの忘れてた」
「ああ、合気道は素手だから洗う習慣あまりないらしいな。剣道部なんて洗わないと臭くてやってられないからなぁ」
「弓道も小手をつけるからねぇ……」
柊をよそにひょいぱく、ひょいぱくと柳瀬がレモンの砂糖漬けをつまんでいく。蜂蜜の雫がぽたっと地面に落ち、運の良いアリがそれを舐めた。
「柔道や空手道しか食べないってのならあんまり気にする必要はないが、私はまだまだこれを食べたいぞ」
「洗ってきます……」
「待て。洗っていたらその間に私が食べきってしまう。おまえは私にそんなひどいことをさせるつもりなのか?」
「えええ……」
なんだか妙に柳瀬が柊に絡んでいた。長いポニーテールを気持ちよさそうに振り、鼻歌なんか歌っている。
柳瀬は模範的なお姉さんみたいな人柄なだけに、華苗はその行動に憤りを覚える前に疑問を抱く。
「ああ、あそこに爪楊枝があるよ。それを使えば──」
「あ──っ! あたしあのパイナップル急に食べたくなってきちゃったぁ!」
「私もぉ! なんかお腹がはち切れるくらい桃が食べたいなぁ!」
「……お、俺も妹の分まで食べて来いって言われてた!」
「今日の占いで『刺し違えても果物を喰らいつくせ』って言われていた気がするぜ!」
橘が指をさした瞬間に、爪楊枝のセットがどこかへと消えていった。柳瀬の意図を理解したその場の何人かが一瞬でアイコンタクトを取り、へたっぴな口笛を吹きながら果物を頬張る。
男子と女子の、心と心が通じ合った瞬間だった。
ひじ打ちを喰らった橘がごふっと息を漏らした音が、一瞬静まり返ったその場に響く。
「大変! 爪楊枝がなくなっちゃったね!」
「取りに行きたいけど持病のシャクが……」
太陽のような微笑みを青梅が浮かべ、双葉が大根役者も裸足で逃げ出すかのようにあからさまにお腹を押さえる。空気を読んだ女子が意味のよくわかってない男子を除けて壁となり、どこにも逃げられないように華苗と柊を包囲した。
規律に厳しい武道部らしい、非常に統率のとれた動きだった。
「……」
「……」
「さて……。そろそろ食べ終えてしまうわけだが、私としても後輩に一口も残さないなんて卑しい真似ができるはずもない」
「ど、どうしろと……」
「手が使えないなら、食べさせてもらえばいいじゃないか」
ぴっとつまんだそれを柳瀬は橘の口へと持って行った。何の抵抗もなく、ほとんど反射的に橘はそれを口にする。
幼馴染の二人であることは周知の事実であるため、今更この程度のことで騒ぎ立てる武道部なんて一人もいない。
「な?」
おねえさんのにっこり笑顔ほど、怖いものはない。柊はそのときしっかりと心に刻んだという。
「な? って言われても、いったい誰が……」
「そこにいるじゃないか。可愛い可愛いお姫様が」
「……」
華苗と柊の目が合ってしまう。
互いに気恥ずかしくなって一瞬でそらした。
「別に知らない仲じゃあるまいしいいじゃないか。キャンプ中もあれだけ仲良さそうにしていたし、これも夏の思い出だ。男子はこういうシチュエーションに憧れるって、こないだ漫画で見たぞ」
「く、楠先輩……!」
柳瀬の言わんことを理解してしまった柊は味方を探す。こういう時、場に流されずに堂々と構えているのはだいたい楠だ。ついでに空気も読めないため、この場をぶち壊してくれるのも間違いない。
ただし、それは周りに人がいないときの話だ。
「はい、楠くん。あーん!」
「もう、口が汚れちゃってるよ!」
「…………」
青梅が砂糖漬けを口に運び、双葉が蜂蜜で汚れた口を拭ってやっていた。楠の目はいつも以上に死んでおり、ほとんどなされるがままになっている。今の彼なら、たとえ石を口元にもっていったとしても飲み込んでしまうだろう。
綺麗どころ二人に甲斐甲斐しく世話されているその様子に、ぎりっと歯を食いしばる音があちこちから聞こえてきた。悲しき男子高校生の習性だろう。
「…………柊」
「な、なんでしょう?」
「…諦めろ。もうどうすることもできん」
その一言が決定打となった。
もうすでに柊の周りには味方がいない。そして華苗にとっては頼もしい援軍が、いつでも援護射撃を撃てるように彼の周りを包囲している。
「や、八島さん……」
華苗はそっとタッパの中のレモンを摘み、手を振るわせながらそれを柊の口元へと近づけた。身長が足りないから、上へと突き出すような感じだ。お膳立てしておいてもらっているというのに、恥ずかしさが限界ギリギリでまともに前を向けていない。
「あ、あーん」
「……」
そこで止まるなぁ! と華苗は叫びそうになる。勇気を出したのだから、誠意をもって応えてほしいと、心の中で呟いた。
「……ん」
ふわっといい香りが華苗の傍に来た。
汗臭いはずなのに、不快な感じはしない。スポーツマンみたいな、どことなくさわやかな感じだ。
うつむいていても、なんとなくわかる。たぶん自分も彼も顔がイチゴのように真っ赤っかだ。
半ばやけくそになった華苗は、震えるチキンハートを奮い立たせて顔を上げた。
彼が腰を少しかがめて口を近づけている。偶然にも、あるいは運命の女神のいたずらか、ぱっちりと目があった。
ぱくっと彼がそれを口に含んだその瞬間、ちょっとかさついたそれが華苗の小さな指先に触れる。
華苗の心臓は破裂しそうになった。
一瞬確かに時が止まる。ぱちぱちとお互い数回瞬きをし、彼はもぐもぐとそれを咀嚼した。
甘い香りが口から洩れているとか、おしかったかどうかとか、いろいろ言いたいことや聞きたいことがあったがそれどころじゃない。
特徴的なその感覚が、未だに華苗の指先に残っている。
「あ、おいしい……」
「そ、そっか」
「もう一枚頂けます?」
「喜んで」
さっきよりも自然な動作で華苗はもう一枚、同じように柊に食べさせた。柊もまた、当たり前のようにそれを受け入れる。
脳みそが熱暴走でも起こしたのか、互いに妙にやり取りがぎこちない。なんかこう、思い描いていたそれとだいぶ違う。
その淡々としすぎた様子に、口笛を吹くもの、舌打ちするもの、ただひたすらにやにやするものなど、周りの反応ははっきりと分かれた。
なんだか妙にスッキリしない感があるが、現実なんてこんなものだろう。
「……想像とは違うが、まぁいいか?」
「キャンプの時もちょっと気になったけど、一歩前進かな」
「あたしが卒業するまでに、ちゃんとくっつくといいけどなぁ……」
女部長三人がなにやらぶつぶつ呟いていたが、華苗の耳には入ってこない。だが、柊の耳にはしっかり入ったらしく、彼ははっと正気を取り戻し、何かをごまかす様に大きな声を出した。
「く、楠先輩!」
「…どうした?」
華苗も意識を取り戻す。チッ、と心の中で舌打ちをした。
「例のブツ! そろそろでしょうか!」
「…ちょうど言おうと思っていたところだ。…明日の早朝、八島とともに畑にこい」
華苗もすっかり忘れていたが、華苗と柊は楠にあるものをお願いしていたのだった。
20141018 誤字修正
20190720 文法、形式を含めた改稿。
20220129 写真追加
レモンの砂糖漬けって最近見ないよね。
一度でいいから後輩の女の子に差し入れされたかった。
後輩どころか同期すらいない完全ソロプレイの部活だったけどな!
カボチャってお菓子メインの作物なんじゃないかって最近思う。
カボチャメインの料理ってあんまり思いつかないんだよね。
虫下しを知っている奴が周りに全然いなくてビビった。
あと運動部の掛け声の聞き取れなさは異常。




