5 みんなだいすきすてきなアサガオ ☆
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。
本当にありがとうございます!
「先輩、油揚げって好きです?」
「…嫌いではないが、特別好きというわけでもないな」
放課後。いつもの通りジャージに麦わら帽子をかぶって華苗は園芸部の畑にいた。
よっちゃんはどんなに探しても見つからなかったという畑だが、確かに華苗はいまこの畑にいる。よっちゃんが見落としていたとは考えにくいので、おそらく、この園芸部には常識を超えた何かが確かにあるのだろう。
華苗が真っ先に考えたのは「楠先輩は実はキツネ説」だった。キツネだったらいろいろ不思議なことが出来ると聞いたことがあるし、野菜や果物を育てるのだって自給自足のためだとすれば納得だ。
そして、キツネは油揚げが好きなはずである。だが、先ほどの問いに「はい」と答えなかったところをみると、「楠先輩は実はキツネ説」は正しくないようだった。
「先輩って、その、トモダチいます?」
「…人並みにはいるぞ」
「人間の?」
「…おまえにはそれ以外の友達がいるのか?」
二つ目の候補だった「楠先輩は実は人間じゃなかった説」もこれで否定されてしまった。
人知を超えた超常の存在、たとえば幽霊とかならば全てのことに説明がつくが、楠は普通に友達がいて、普通に学校生活を送っているらしい。楠自身の話を聞く限りでは、いたって普通の高校生のようだった。
「…バカなことを言ってないで、約束通り働いてもらうぞ。今日はアサガオの採種だ」
「さいしゅ?」
「…採種。種を採るとかいて採種な」
楠がくいっと顎で畑のある場所を指す。そこは今朝、華苗がアサガオを見た場所だった。
だが、色鮮やかなアサガオはもうそこにはなく、あるのは枯れかけた、茶色くなったものしかない。
「…わたし、この畑で枯れたものを見たのは初めてです」
「…まぁ、たまにはそういうこともあるだろう。自然はいつも残酷で厳しい」
「わたし、まだ見ていたかったのに! なんで枯らしちゃったんですか!」
「…俺にそんなことをいってもな。寿命だ」
「先輩ならなんとかなったでしょ!」
「…誰にだってできないことはある。というか、なんとかできるやつなんているのか?」
すっとぼけたように楠は言う。華苗は楠なら例の“まごころ”とやらでどうにでもなると思っていたのだ。なのに、せっかくまたアサガオを見るのを楽しみにしていたのに、あんまりである。
そもそもなぜ楠はこんなになるまで放っておいたのだろうか。
トマトやイチゴは異常な成長をして枯れずに何度でも実をつけていたし、このアサガオも異常な成長をしていたではないか。
「…とにかく、さっさと始めるぞ。枯れてしまうものはしょうがないんだ。また咲かせればいいさ」
「はぁい……」
しぶしぶ華苗は納得して楠の後をついていく。自分がこの部活内で権力を持ったあかつきには、必ず畑をアサガオで埋め尽くすと心に誓った。
「…茶色くなった子房があるだろう? そいつを鋏でとってくれ」
「とったやつはどうするんですか?」
「…渡した箱の中にいれてくれ」
アサガオの採種には鋏を用いる。別に手で千切りとってもいいのだが、はさみのほうが早くて確実だし、不器用な奴が手でやると必要以上にアサガオを痛めつけしまう可能性があるのだ。
楠は大きな体を丸め、しゃがみこむ様にして茶色くなった子房を切り取る。ぱちん、ぱちんと手際良く切り取っていた。
対する華苗はもともとちんまいのでしゃがみこむ必要がない。フットワークの軽さという点で楠より素早く、そして確実に採取していった。
「…花茎をすこし残して切るんだぞ」
「小学校の時にやりましたから。わかってます」
華苗が楠より早く動けているのはフットワークの軽さだけが理由ではない。実は華苗はアサガオの栽培経験はあったのだ。
小学校の時にはちゃんとまじめにアサガオを育てていたりする。毎日ちゃんと水をやり、ちゃんと観察日記だってつけたのだ。
ちょっとずつ大きくなるのにわくわくして、葉っぱが増えるたびに喜んで。何色の花が咲くのかドキドキして、寝る前に明日こそ花が開きますようにと星に願ってさえいたりする。
自分の望んでいた薄ピンクの花が初めて咲いたときは飛び上がるほど喜んだものだ。最後に採った種は今でも机の引き出しの奥に入っている。
「この丸っこい子房の中に黒っぽい種がいくつか入っているんですよね?」
「…まぁ、な」
アサガオの種は子房の中に入っている。茶色くなってガクがそっているものが採りごろだ。幸いにもこの畑にあるアサガオの子房はすべて採りごろとなっており、華苗は見つけ次第切り取るだけでよい。
今となっては楠があえてこのタイミングを選んだのだとわかる。ここまで熟していれば、種を無駄にすることはない。採ったはいいけど、まだ未成熟でした……なんてこともないのだ。
「よし、しゅーりょー!」
思っていたよりも早く採取は終わる。華苗の持っていた箱にも、楠の持っていた箱にもたくさんの子房が入っていた。
「…採った子房は乾燥させなくてはならん。一度小屋に持ってくぞ」
アサガオは子房を乾燥させてからでないと種は取り出せない。通気性のよいもの──具体的には不織布等に包み、直射日光の当たらない、涼しい場所で自然乾燥させるのだ。園芸部の小屋はそれにはうってつけである。
楠がどこからかもちだした紙を折って小さな紙袋を作ると、それに子房をいくつか入れ、板に置いていく。華苗も小さい手でささっと紙袋を折ると、同じようにして子房を入れていった。
「なんかすぐに終わっちゃたんですけど……」
「…そうだろうな」
いくらたくさん取れたとはいえ、三十分もかければ全ての子房を包むことができた。そう大した手間をかけたわけじゃない。
「…このアサガオはなぁ」
「このアサガオは?」
唐突に楠は語りだす。なんでもこのアサガオは近所の小学校に引き渡されるらしい。
きっかけは去年の今頃のとのことだった。
楠が咲かせたアサガオがたまたまこの高校に来ていたお客さんの目にとまり、その色合いの鮮やかさに惚れたお客さんはぜひとも種を譲ってくれないかと学校に打診したんだそうだ。
応接室に呼び出された楠はこれを了承した。そしてちょうどその時に咲かせたアサガオの種を渡すと、そのお客さん──後に判ったことだが近所の小学校の校長先生はさっそくもらった種を自分の小学校の一年生の授業で植えたらしい。
持っていてもあまるものだったので、せっかくだからと楠は失敗してもいいようにかなりの量の種を渡したのだそうだ。
「…すると、秋ごろになって連絡が来てな」
「ほぅほぅ」
最初に届いたのは学校宛て、正確には園島西高校園芸部宛ての荷物だった。中に入っていたのはその校長先生たちからの手紙と、アサガオの写真。そして子供たちの拙い字で書かれた寄せ書きだった。
「…なんでも生徒たちがアサガオをひどく気に入ってくれたらしい」
楠からもらった種は子供たちの手によりすくすくと成長していったらしい。病気になることもなく、枯れることもなく、それはもう順調に成長したそうだ。
やがて開花の時期になると校長先生をはじめ、子供たちは驚くことになる。なんと、自分が咲いてほしいと願っていた通りの色のアサガオが咲いたのだ。
アサガオはいろんな色の花が咲く。子供たちは青色がいいな、とか、紫色のがいいな、とわくわくして開花を待っていただけに、この感動は計り知れなかったらしい。
おまけにどれもそんじょそこらのアサガオとは比べ物にならない見事な色合いだ。これで喜ぶなというほうが無理だろう。
「…どれ一つとして同じ色はなく、それはもうすばらしいものだったそうだ」
昇降口の近くに並べられたアサガオたちは、毎朝必ず誰でも目にすることになる。見事に咲き誇ったアサガオたちは校門から昇降口までをきれいに彩り、登校する生徒たちを清々しい気分にさせたそうだ。
それからしばらくは学校全体が明るい雰囲気に包まれていて、非常に和やかに過ごすことが出来たらしい。
「…夏休みの自由研究も、ほとんどがアサガオの観察日記だったという話だ」
その小学校では三年生以降は自由研究が夏休みの宿題に出るらしく、一年生のアサガオに興味を抱いた上級生はこぞって種を分けてもらい、いちからアサガオを育ててそれを観察日記として提出したらしい。なお、一年生は宿題ではなく授業の一環で観察日記をつけていたとのこと。
「…それからちょっといろいろあったようでな」
空前のアサガオフィーバーとなったその小学校では、どうせだからとアサガオの品評会のようなものを開いたらしい。授業でアサガオを育てた一年生の参加がメインで、自由研究で育てた上級生は自由参加だったのだが、全ての上級生が参加したそうだ。
また、一緒にアサガオを育てていた校長先生やその他一部の先生方も参加し、花の形の美しさやそれぞれのアサガオの色合いの美しさを語り合い、自慢しあい、認め合ったという。楠に送られてきたアサガオの写真はそのときのものだった。
さて、思っていたよりもはるかに参加率が高く、ほぼ全生徒が参加した行事となった品評会を、勢いに乗った校長は毎年恒例の行事にしようではないかと思い立った。アサガオを育ててから学校の雰囲気は良くなるばっかりだったし、なにより自分のアサガオをもっと見てもらいたかったからである。
また、保護者からも好評だったことも大きい。毎年自由研究はテーマが決まることがなく、いつもずるずる手伝わされていた保護者たちはこの夏に限って自主的に自由研究をする子供たちにひどく驚いたそうだ。美しいアサガオをみて二度びっくりしたことはいうまでもない。
「それでそれで、どうなったんです?」
「…おちつけ、そろそろ本題にかかわってくるところだ」
もういっそすべての学年でアサガオの育成を自由研究として出せば、なにもかもがうまくいくのではないかとにらんだ校長だったが、一つ問題があった。種がないのだ。
なんでも普段はそういう専門業者から購入していたらしいが、このアサガオはそうではない。高校の園芸部からたまたま譲ってもらったものだ。
販売ものの種では意味がない。あのアサガオだからこそうまくいってたのだから。
「上級生は一年生の種をわけてもらったんでしょう? 同じように咲いたアサガオの種を使えばよかったんじゃ?」
「…ああ、あれは多めにあげた予備のものだ。咲かせてできた種じゃない。というか、普通はそうそう簡単には成長しないぞ」
華苗はすっかり忘れていたが、普通の小学校の話である。いや、思った通りの色が咲く時点で普通の種ではないのだが。
「でもでも、どっちにしろ、咲いたアサガオの種を使えばいいんじゃ……?」
「…それが問題だったんだ」
そう、種そのものはあったのだ。ただ、その処理方法までは知らなかった故に……。
「…今まで種を次に植えるという機会がなかったらしくてな。種も熟し切らないうちに子房から直接とったうえ、乾燥なんかもやってなく、全滅だそうだ」
「それってつまり……」
「…使える種が一粒だってなかったってことだ」
ネットでアサガオのことを調べていた校長先生はひどくあわてる。せっかくうまく計画が進んできていたのに、こんな根本的なところでダメになるとは思ってもいなかったのだ。
せめて少しくらいは使えるものがあるだろうと全校生徒に聞いて回ったが、誰一人として無事な種を持っているものはいなかった。
「…さらに悪いことにな」
「まだなんかあるんですか!?」
品評会の時、校長は別の小学校の校長友達を招待していたのだ。もちろん、自分のアサガオを見せびらかしたかったのもあるが、最近雰囲気の明るくなった小学校を見て、地域の小学校が興味を持ったのが一番の理由である。
お互いに学校をよりよくしていこうと普段から連絡を取り合っていた校長同士はこれを参考にしようと見学に来ていたのだ。
その校長たちもアサガオが気に入り、ぜひうちにも種を分けてくれと打診していたらしい。校長同士非常に仲も良く、いっぱい種もできることだろうから、今度はそっちの品評会に招待てくれよ、といいながら請け合ってしまったというのだ。
請け合ったのは近所の二校と隣町の一校。不幸中の幸いだったのが全学年ではなく試験的に一学年だけやる、ということだろう。それだけでも約400人分の種が必要になるのだが。
「……それで、どうなったんです?」
「…どうもこうも、その校長、ウチに泣きついてきたのさ」
他校の分はおろか、自分の学校の分の種も用意できていないのだ。校長仲間からのゆるやかな催促と、生徒の来年も楽しみだねー、なんていう声を聞いてとうとう限界を迎えてしまったその校長は、最後の手段としてダメもとで楠の元へ来た。
今ある種を譲れるだけ譲ってほしいと、まさに土下座をして頼み込む勢いだったと楠は語る。
さてさて、園芸部の小屋にもまだすこし種は残っていたが、流石に必要分は残っていなかった。それを聞いた校長は絶望の表情を浮かべ、涙を目にいっぱいに溜め込んだという。誰もが諦め、校長は全校生徒+αに土下座をする覚悟を決めたのだが──
「…ないのなら作ればいいだけだしな。きっちり人数分、そろえて渡すと約束したんだ。事情を知ってしまったし、さすがにあれを無視することは俺にはできない」
「ええ、でしょうね。先輩ならそういうでしょうよ」
校長もびっくりしていたが、そろうのならもうなんでもよいと飛び上がって喜んだ。生徒たちの悲しい顔を見ることになりかねなかったのだ。汚い言葉で非難されるよりも、あれはつらい。
「…で、今日採種したのが試験的に咲かせたやつだ」
「ああ、事情ってそういうことでしたか」
楠は今朝言っていた。事情があって早めに咲かせたのだと。
「…問題もなかったことだし、今月中にも種を渡さなくてはならん」
「もう、そろっているんですよね?」
楠のことだ。きっと暇を見てちょくちょくアサガオを咲かせて種を集めていたに違いない。楠だったら冬場であろうと夜中であろうとアサガオを咲かせられるだろう。
「…察しがいいな」
「えっへん」
「…だが、最後のひと手間が残ってる」
採種したばかりの種はすぐには植えられない。子房の状態での乾燥と、もうひとつ、重要な仕込みが残っている。
「…アサガオの種は表面が硬くてな。そのまま植えてもうまく成長しない可能性がある」
触ったことがある人はわかるだろうが、アサガオの種は表面が硬い。この表面、つまり種皮が硬いため、吸水しにくいのだ。当然、そうなるとうまく成長できなかったりするので、この問題をどうにかしないといけない。また、硬い種皮は物理的に発芽の妨げになったりもする。
「あ、水に一晩つけるってやつですね!」
「…残念ながら違う。少なくとも俺はそれに効果があるとは思っていない」
一般的に一晩水につけて吸水させることで発芽を促す──なんていわれているが、もともと種皮が硬くて吸水できないのにどうやって吸水させるのか。種皮がふやけて軟らかくなるとも言われているが、どのみち信憑性にかける。
楠のやり方はそっちではなく「芽きり」とよばれるものだ。
「…こいつは物理的に種に穴を開ける方法だ」
芽きりとは種の表面に傷をつけて、そこから吸水、発芽を促すものだ。芽きりした種子だったら土の中でも十分に吸水できるのである。
「…こっちのほうが、まぁ確実だし、信憑性もある。経験的にもこっちのほうが信用できるしな」
他にも大量に種の仕込みをする場合、いちいち芽きりをするのではなく、硫酸につけることで種皮に穴をあけるという方法もあるそうだが、楠はその方法は好きではない。なんだか種にとってよくなさそうだし、なにより硫酸なんてもの、用意するのは面倒臭いし扱いにも困る。
「…その芽きりを、これからやってもらう」
芽きりは意外と簡単だ。カッターや鋏などを用いて、種にちょっとだけ傷をつければいい。具体的には白い部分──胚乳がちょこっと顔を出す程度だ。浅く確実に傷をつけるならばどこでもいいが、胚の部分に深く傷をつけると発芽しなくなるため、胚のない外側のほうに傷をつけるのが推奨される。
「…こうやって……」
「ふむふむ」
お手本だろう、楠はさっき華苗が包んだばかりの包みから種を数粒取り出し、その大きな手のわりには器用にカッターで種に傷をつける。ある意味当然だが、ぴっと小さな黒い種皮のかけらが床に落ち、白いそれがあらわになった。
お前もやってみろ、と目で促された華苗は、同じようにカッターを持ち、指を切らないように注意して種皮に小さく傷をつける。さすがにこの程度のことにつまずくはずもなく、とりたてて起用というほどでもない華苗であっても簡単にそれは実行することができた。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
「意外とかんたん」
「……」
一つ処理するのに何秒もかからない。専門的の作業の割にはあっさりとしていることに華苗は気分を良くした。胚を傷つけちゃいけないだとか、時には硫酸を使うだとか言っていた割には、大したことがないものである。
が、気分を良くしたのもつかの間。華苗は先ほど楠が明けた包みを見て、ふと、ある可能性に思い至ってしまった。
「先輩、その仕込みってまだ終わってないんですよね……?」
「…ああ、一粒たりとも終わってないな」
楠は立ち上がり、小屋の棚の奥のほうにあるそこそこの大きさの麻袋をどんと置く。イメージ的には米袋が近いだろうか、袋の中は芽きりをまつ黒い種でいっぱいだった。一粒五ミリくらいの大きさだ。
「どんだけあんですか、コレ……」
「…一人十粒だと仮定して、単純計算で12000粒くらい必要だからな。それくらいはあるだろう」
「このちいさいたねひとつひとつぜんぶにきずをつけろと」
「…あくまで最低がそれだ。念のためもうちょっとやっておきたい。お前の大好きなアサガオだ。それに、子供の笑顔のためでもあるんだぞ?」
「そのためだけに長々とさっきのストーリーを?」
「…理由も目的も背景も知らなければ、やってられないだろうしな。すこしはやる気が出てきただろう?」
芽きりしても種子は一年以上もつんだぞ、という楠のうんちくなんてもはや華苗には聞こえていない。真顔で小型万能カッターをつかい傷をつけている楠を、まるで妖怪か何かのように見ていた。
日が暮れるまで、黙々と作業した華苗だったが、帰るころにはゾンビのようになっていたのは言うまでもない。あれだけやっても、種はまだまだ残っているのだから。
20150413 文法、形式を含めた改稿。
20160730 誤字修正。写真挿入に伴う若干の変更。