48 園島西高校サバイバルキャンプ・11
※熊と出会ってしまったときは然るべき対応をとりましょう。この小説はフィクションですので。
夕焼けで赤黒くなった森を六人の影が進む。局所的にきつくなった日差しとどこまでも深い影のコントラストが足元の──いや、空間としての認識をずいぶんとあいまいなものにしてしまっていた。
そもそも、キャンプ地とはいえこんな場所で探し物をするのはある意味無謀なことなのだ。ちょっと外れれば草根が深く、歩くことは非常に困難であり、それでなくても足元に茂るそれらが邪魔で見通しが悪い。
森と言えばだいたいこんなものなのかもしれないが、それでも華苗はそう思わずにはいられなかった。
「どこにいるんだろう……?」
「なぁ、華苗。あの鶏ってそんなにふらふらするやつらだったのか?」
ゆきちゃんの問いにいいえ、と華苗は答えた。
柊を除いたここにいる全員──よっちゃん、田所、清水、ゆきちゃんは麦の収穫の時に地面を突いてまわっているあやめさんとひぎりさんを見ている。あの時だって、うろちょろしてこそいたものの、彼女らは誰かの迷惑になるようなことなどしていなかった。
今回だってそうだ。バスで運ばれているときだってずっとおとなしく、誰にもその存在を感づかせなかったし、柵も何もなかったというのに拠点からは絶対離れず、可愛らしくお尻をふりふりしながらみんなを見守られていたのだ。
だいたい、あのお二人はものすごく賢いのだ。糞は極力外でなさってくれるし、飼育小屋でされるときも扉に近い邪魔にならないところにまとめてやってくださる。無駄に鳴かないしワガママも言われない。華苗は彼女らが人間よりも賢いのではと思うことだってある。
そんなお二人が、ふらっと森に出て行かれるはずがない。
「まさか、誘拐……?」
「鶏相手にそれはなくね?」
「いや、もしかしたら獣に襲われたのかも」
「そ、そんな……!?」
あり得ない話ではない。いくらお二人がすばらしいめんどりとはいえ、所詮はめんどりなのだ。熊や猪に襲われたら、抵抗こそできても勝てる見込みはない。
プリティーでエクセレントなワガママボディ故に起こりうる問題だった。
「華苗、落ち着け。他の奴らも探してくれているんだ。きっとすぐ見つかるに決まっているさ」
「そう、ですね」
ゆきちゃんに励まされて、華苗はいくらか冷静になれた。
あの時──楠と二手に分かれて探そうとしたとき、何人かが手伝ってくれると言ってくれたのである。完全に日が落ちる前に問題を片付けたかったので正直とてもありがたく、不覚にもうるっと来てしまったのを華苗は覚えている。
思えば、あやめさんとひぎりさんはいつだって華苗を助けてくれた。まだ部活の仕事を覚えきれていない時も優しく長靴を突いてくださったし、ご飯の野菜が上手く千切れていないときだって文句ひとつ言わず、自らで手本を見せてくださった。
そんな賢く優しい彼女たちならきっと無事に決まっている。いなくなったのにも、きっとやんごとなき理由があられたのに違いないのだ。
華苗はぐっと歯をくいしばり、胸を張って前を見る。こんな不安な顔をしていたら見つかるものも見つからない。あやめさんとひぎりさんなら、きっと無事であるに決まっているのだ。
「無事でいてくださいね……!」
赤黒い夕焼けに照らされた影が、木々をかき分け進んでいった。
一方そのころ、拠点では。
「だ、大丈夫なんでしょうか……」
「あの二匹ならへーきじゃないのー?」
「それより、今できることをすべきだろう」
残った人たち──主に文化部の人間たちがほんのちょっぴり不安そうに雑談している。彼らは直接あやめさんとひぎりさんに関係ないうえ、こんな時間に何人も拠点をあけたら問題なのでお留守番をしているのだ。ゆきちゃん以外の教師三人も片付けやその他雑事に追われており、そこまで緊迫した様子はない。
「俺らも探索行きたかったなぁ」
「しょうがないだろ、万が一があるし」
「サバイバルで拠点防衛が出来てないって悲惨だよ?」
対策三部もここには残っている。森の探索にはこれ以上にないほどうってつけの三人だが、おじいちゃんが万が一を考えてここに残しておいたのだ。
もちろん、そのおじいちゃんもここに残っている。傍らにはシャリィが少し不安そうな表情をしておじいちゃんの手を握っていた。
──そして、子供の不安というのはだいたい現実になったりするものである。
「じいさんっ! 大変だっ!」
森の奥から人が三人と獣が一匹。佐藤と組合の男女だ。
一人は秋山とサッカーをしたレイク。もう一人のもこもこな何かを着こんだグラマラスな女──ミスティと名乗った──は、相棒であろう草色の毛皮を持つ猟犬を引き連れている。その猟犬は反射的に広場を一瞥し、アオンと一声吠えた。
その一声が、その場の全員の視線を彼らに向けさせた。
「どうしたのかね?」
「熊が出たかもしれないって!」
「「熊ぁ!?」」
どよっと全体がどよめき、女子の何人かがあからさまに不安そうな表情をする。荒根と教頭、そして深空先生が落ち着きなさいと声をかけるといくらかマシになったが、不穏な空気はなおも漂っていた。
「いや、あくまで出たかもしれねえってだけで確定じゃない」
「ラズが臭いを感じたんだ。そしたら、糞と新しい足跡がいくつか見つかってね」
それはもういるのと同義なのではないか──と、誰かが心の中でつぶやく。生徒たちの反応とは対称的に、組合の二人はまるでいつも通りだといわんばかりに続けた。頼もしいのか、他人事なのか、判断に困る態度だった。
「それがちょっとおかしくてな。ここらのは大体始末したし、殺気飛ばしまくったからまともな奴はもういねえはずなんだよ。エリオ達ならともかく、俺らにビビらねえってのはなんか腑に落ちねえ」
「念のため朝まで出歩くなってのを伝えておこうと思ってね。今晩はこっちに何人か回そうと思っているし、夜のうちにケリをつけるよ。もう他の奴が動いているし、あとは全部おねえさんたちに任せてほしい」
「ま、どうせおまえらもう出歩いている奴らなんていないだろ? 熊の一匹や二匹、俺達がすぐに始末するから、安心して……」
「おにーさん、安心できないです……!」
「え?」
「……ちょいと探し物をしに、何組かが森にはいっとる」
おじいちゃんの言葉を聞いた瞬間、組合の二人は目の色を変えた。慣用表現ではなく、本当に目つきが変わり、覇気があふれ出したのだ。
「ちィッ!」
「急ぐよ、ラズ!」
そして、誰かが瞬きをするかしないかのうちに踵を返し、風と砂をまき散らして全力で森へと消え去っていく。後に残ったのは目を回した桜井と草津、そして揺れる白樺の長い黒髪だけだった。
「頼もしい限りだねェ」
「か、神家くん。そんな悠長なことを言っていていいのか? 猟友会とかに連絡しないと……!」
慌てふためく教頭。今駆けていったのがその組合だということを忘れてしまっている。
「でもじいさん、本当にまずいですよコレは! だってここのは……!」
「やめなさい。おまえまで慌てたら周りはもっと不安に思う」
「あ……」
不安になりすぎるのも問題だ、とおじいちゃんは続ける。こういう時は頼りになるやつがどんと構え、周りを落ち着かせなくてはならない。事実、教頭も荒根も深空先生も、そこまで大きな声を出して騒いだりはしていない。思いのほか周りが冷静だったことに気分をよくしたのか、おじいちゃんはにっこりと笑って言った。
「ちょっくら私も行ってくる。夢一、晴喜、義雄、敦美ちゃん。おまえたちの実力を持ってここのみんなを守ってくれ。もしなにかあったらどんな手段を用いて構わない。全力を持ってそれを始末なさい」
「roger!」
「了解」
「まかせて」
上から樫野、竹井、敦美さんだ。
「夢一、おまえは特に重要だ。おまえの知識でこの子たちを助けなさい」
「……わかりました。そっちこそヘマしないでくださいよ」
私を誰だと思っているんだ、と笑い、おじいちゃんは先生の方へと向き直る。
「教頭先生、荒根先生、深空先生。私が口出すことじゃあないかもしれんが、この子たちをよろしくお願いします。なにがあっても、三時間以内には必ず帰ってきますので。組合の奴もすぐに連れてきますので、それまでよろしくお願いします」
「お、おお……」
「それじゃ、行くよ」
「はいです!」
あ、と佐藤が声を上げるのと同時に。
おじいちゃんはシャリィを背負って森の中へと駆け出して行った。
子供一人背負っているというのに風のように速かったと、それを見ていた人間は後に口をそろえて言ったのだ。
「な、なんか不気味だね」
「雰囲気あるっていうか……こんな怖かったっけ?」
「…あまり、離れないでくださいよ」
楠、青梅、双葉は三人であやめさんとひぎりさんの捜索にあたっていた。最初に楠が二手に分かれるといったとき、それならばと二人が一緒についてきたのだ。三人いれば物を見落とすことなどないだろうし、なにより彼女たちは楠の傍にいたかった。この時点では、ちょっとしたデートの延長のようなもののつもりだったのだ。
一方楠はそんな浮かれた二人とは対称的に険しい表情をしている。この中の誰よりもあやめさんとひぎりさんとの付き合が長い彼は、この異常事態をなによりも重く受け止めていたのだ。
「……」
麦わら帽の位置を直し、軍手をきゅっと引っ張り、準備運動をするかのようにスコップをぐるりと振り回して肩に担ぎなおす。彼の相棒は、いつもどおりそのたくましい肩へとぴったりと収まった。
楠の心は、その心地よい重みを受けていくらか落ち着いた。
「でも、本当にいないね……」
「あの子たち、ワガママ言う子じゃないのにな……」
青梅と双葉が目を凝らせどそられしき姿は一向に見つからない。たまに動くものが見えたと思えば、まったく関係ないウサギやリスだ。
ざっくざっくと長靴が枝を踏みしめる音を背景に、三人は闇にのまれつつある森を進む。
楠にはわずかな嫌な予感があった。
「……」
聡明な彼女たちがいきなりいなくなるなどありえない。もしいなくなるのだとしたら──なにかから逃げようとしたのではないだろうか?
楠はぴたりと立ち止まり、前方にある気配にガンを飛ばす。思った通り、気の弱そうなウサギが一匹、文字通り脱兎の勢いで逃げて行った。畑に害獣がでることもあるし、一年間一人で畑を耕していたこともあって、楠は獣の気配にはわりと敏感になっているのだ。
今やったこれはちょうど今朝、組合の人から教えてもらったことだ。弱い動物にガンを飛ばすと──否、弱い動物であれば、少しの殺気をあてただけで逃げていくと。
弱い動物には──あやめさんとひぎりさんも入るのではなかろうか。
自分がわざわざスコップを持ち出した理由を、ここにきてようやく楠は自身で理解する。
要は不安だったのだ。丸腰でいるのが。
今朝持ち出した時は違う。あのときはただ単に、使い慣れたスコップを鉈代わりにもっただけだ。護身用とは言ったものの、本気で使おうなどとは思っていなかった。あれば便利、いろいろ役に立つだろう……その程度だったのだ。
だけど今回は違う。無意識的に、スコップが持つ武器としての側面を期待していたのだろう。両手に得物を感じることで、お守り代わりにしていたところもあったのだろう。
なにより不安に思っていたのは──自分だったのだ。
「楠くん? どうしたの?」
「なんか顔色悪くない?」
青梅と双葉が楠の顔を覗きこもうとした──まさにその時。楠の嫌な予感は見事に的中してしまった。
ォォォ!
「っ!」
いくら現物を見たことのない人間でも、それくらいは簡単にわかる。
ぬぅっと木の陰から出てきたのは、大きな大きな筋肉質の体躯。真っ黒い毛皮にギラリと輝く鋭い爪。目は爛々と輝いており、牙はどこまでも獰猛で、口からはよだれが垂れている。
圧倒的な威圧感。強面──そんな言葉では済まされない存在感。猛獣というよりかは化け物という言葉のほうがしっくりくる大熊が、ぎろりとこちらをにらんでいた。
「うそ……でしょ?」
「は、はは……ほんとに、でた?」
それを見てからの楠の判断は実に冷静で素早いものだった。凍りつく二人の腕を引っ張り、背中へと隠す。自分の中で精一杯怖い顔をして、親の仇を見るかのようにしてガンを飛ばす。
──失せろ。
ずん、と周りの空気が重くなった。
ォ、ォォ……!
相手の気勢が削げたのを見て、彼は口を歪めた。自分の強面が、生まれて初めて役に立った瞬間だった。
いくらか隙が出来たようなので、彼は少し後ろを振り返り、失礼かなとは思いつつも二人の先輩の頭を撫でてにっと笑いかける。どうにか安心させようと思って行った行動ではあるが、熊と同等の恐ろしい笑みだったことは彼には気づけなかった。
もっとも、その二人に限っては効果が抜群だったのは言うまでもない。
「どう、するの?」
「逃げちゃだめ……なんだよね?」
楠は初日の話を思い出す。逃げるのはダメ、背中を見せるのはダメ、やるならでかい声をだして抗えと。
ふと、熊の様子を見てみる。最初の威勢はよかったのだが、今は少しおどおどしていて、虚仮おどしのように思えた。
にぃっと、今度こそ本当に笑えた。
アレに比べたら、ハスモンヨトウに枝豆をやられる方がよっぽど怖い。チョッキリに収穫前の桃をやられた時のほうがはるかに腹が立つ。チャドクガが直接首筋に落ちてきたときの恐怖など、筆舌に尽くしがたいほどだ
そうだ、害虫よりもはるかに可愛らしいものではないか。
楠の園芸部としての脳みそはそう判断し、熊を害虫以下の存在とみなした。
そして、初日に行われた熊への対処法の話を思い出せば、あとはやることは一つである。
すなわち、害虫はスコップで潰せばいいのだ。
「……オォォォォッ!」
楠は吠えた。今まで吠えたことがなかったのでは、と思えるくらい声が出た。
スコップはすばらしい。
根は切れるし、石程度なら砕けるし、穴も掘れる。ぶんまわせば邪魔な蔦はぶちぶち千切れていくし、柔らかな地面も叩けば一発で平らになって硬くなる。そして、なにより手に馴染む。
スコップを扱うにはいくらかコツがある。硬い地面に突き立てるにはただ腕で押し込むだけじゃだめだし、土をよかすときだってただがむしゃらにやると無駄に疲れるだけだ。
最初のうちは大きめの動作を意識するといい。振りかぶるときは敵を威嚇するかのように大きく。力を上手く流して対象に吸い込ませるように。
突き立てるときは全力でだ。スコップは丈夫なのだ。ちょっとやそっとじゃびくともしない。力、体重、慣性とそのすべてを余すところなく、かつ調和させれば立ちはだかるものなんて何もない。
土を掬うのにも技術がある。ただ腕力に物を言わせるのではなく、てこの原理と重心移動をうまく使うのだ。腰をいれ、体全体で土を吊り上げていくのである。
土を放るときだって腕はそこまで使わない。あれが脇をがっちりと固め、腰の回転を使うものなのだ。きちんとやれば、一掬いの土が面白いほど遠くへと飛ぶ。疲労も抑えられるし効率もいい。体を動かす喜びを再確認できるだろう。
楠はスコップを扱う技術においては超一流だった。移動しやすいスコップの持ち方、振り上げやすいスコップの握り方、そして、もっとも力を籠めやすいスコップの構え方。
彼の体に刻み込まれたスコップの扱い全てが、彼に大きな自信を与えた。彼はどうしようもないほどスコップに愛されたスコップを振るう者なのだ。そして、スコップの真理にも到達している。
そう、突き詰めればいつも通りのことなのだ。日常的に振るうスコップの一振り一振りが基礎であり真髄。完成とは呼吸をするがごとく自然なことであり、特別でないがゆえに尊い。そして、だからこその究極形だ。
「…せぇぇぇい!」
いつもどおり、まるでなにごともないように、彼はスコップを振るった。腰の回転と、脇をしめることと、気迫。これだけ出来れば一流のスコッパーだ。その先にあるものなど、スコップには関係ない。全部スコップがなんとかしてくれる。
ギャァァァ!
ばぁん、といい音が森に木霊する。
手ごたえだけがいつもと違い、ぎゃん、と大きな音が耳に届く。一流のスコッパーと一心同体で振るわれた彼のスコップは、園芸に理想的な威力とフォームを伴って熊の鼻面に直撃したのだった。
回転の勢いのまま振りぬかれたそのスコップは、やがて自然な動作でくるりとまわり、楠の足元へと突き刺さる。
その姿は至っていつもどおりだ。華苗がそこにいればたわわに実る作物を幻視したことだろう。実際、今の楠の心情は作物の収穫したときのそれとほぼ同じだった。
「…ふぅ」
「うん、すごいね……」
「惚れないほうがおかしいよね」
彼の鍛えられた肉体と技術はその熊をひるませるのに十分なものだったらしい。まだまだ諦めきれていないのか、その熊は強がってはいるようだが目にいくらかの怯えが混じっている。
ほっと青梅と双葉が息をつく。どうみても、楠がこの熊に負ける様子はなかった。このまま油断しなければ、撃退くらいはできそうだった。
が、それは敵わぬこととなる。
「そこまでです!」
しゅるしゅると熊の足元から蔦が生え、あっという間にそれを雁字搦めにした。大熊が叫び、暴れて振りほどこうとするも余計にこんがらがるだけでまったく解決に至らない。むしろ、ぎちぎちと食い込んでいく始末だった。
「なにあれ……ツタが絡まった?」
「ツタってこんなに丈夫だっけ?」
大熊は、まるでゲームのように草で縛られて動けなくなったのだ。
──撃退という、熊にとっての『逃げ』の選択すら失われたのだ。
「シオリちゃん、ナギサちゃん、大丈夫でしたか!?」
「あ、アミルさん」
息を切らしてやってきたのは長い杖をもった金髪の女──アミルだ。小柄ながらも、組合の一員であるという彼女が、ほっとした顔でそこにいた。隣には朝も見かけた──エリィという女もいる。
「危なかったな。妙な気配を感じたんで慌ててきたんだ。間に合ってよかったよ。……やっぱりクスノキは戦えたんじゃないか」
ちなみに彼女が感じた妙な気配とは、楠が熊に飛ばしたガンによるものである。彼が放つ妙な威圧感は、組合の人間にもしっかりとどいたらしい。まさかこれと似たような重圧を日常的に放っていると誰が信じられるだろう。
「…偶然ですよ。それよりも……」
楠は大熊を縛る蔦を指さした。彼の親指以上の太さをもつ青々とした丈夫なツタが熊をギチギチに固めている。かろうじて目鼻と口くらいはみえるが、その黒い毛皮も強面も緑に覆われてしまっていた。
緑の包帯を巻いた熊のミイラ。そう形容するのにふさわしい姿だ。必死に千切ろうともがくさまがホラー映画を髣髴とさせる。
「あ、あれはその──!」
「いえ、わ、私が──!」
アミルとエリィの顔がさっと青くなり、みるからに挙動不審になった。見ちゃいけないものを見たかのような、やってはいけないことをやったかのような、そんな顔だった。
「…俺のせいだな」
は? と二人が首をかしげた。熊はもがく気力がなくなったのか、荒い息だけ残して少しだけおとなしくなる。恨めしげな唸り声だけがこの場に響き渡った。
「…やっぱり、ラズベリーの蔦だ。昼に収穫したときに、服に種がついたんだろう。…ちょっとハイになって、まごころを無意識にこめてしまったか」
「あー、そういや桜井が蔓に飲まれたって言ってたっけ」
「輝実ちゃんも、大変な目にあったって言ってたね」
「……そ、そうだな。私もびっくりしたぞ」
「妙に伸びやすいなとは思っていたのですが、まごころのおかげですかぁ。なるほど、それなら……いやいやおかしいですって!?」
「…確かによく伸びていますが……まごころのおかげでしょう? …ああ、ここは土も水もいいから、そのせいもあるでしょうが」
「えええ……」
ともあれ、楠たちの冒険はここで終わることになる。あやめさんとひぎりさんは見つけられなかったが、そうも言ってられない。アミルが付き添って彼らは拠点へと帰ることになった。
彼らが去った後、残った女が熊に止めを刺したのはいうまでもない。
ォォ……ォ……!
拠点で皆の帰りを待っていた佐藤たちは、何かの雄たけびを聞いて身構えた。それが楠たちに対峙した熊の最後の断末魔であることはこの時点ではわからない。ゆえに、自然とみんなが火の回りに集まって身を寄せた。おそらく、動物としての本能だろう。
「な、なんだろうね」
「誰かがやったに一票」
「あたしも」
「オレも」
対策三部はなぜかこういうことに詳しい。それが部活内容ゆえだということがわかっているならいいのだが、わからない人間にとっては不安を払拭する理由にはならない。
「でも、熊かぁ……生で見てみたかったな」
「敦美ちゃん、めったなことを言うものじゃありませんよ?」
「はぁい」
ピリピリしている──とはちょっと違うが、先生も少し神経質になっているようだ。焼け石に水かもしれないが、みんな鍬やバット、トゲトゲのスパイク等を装備して万が一に備えている。思い思いの方向を眺めながら、来るかもしれない獣、到着するはずの仲間、そして頼りになるはずの組合の人を探していた。
「だいじょぶ、こんなこともあろうかと鳴子を仕掛けておいた」
「鳴子?」
「うん。木を括って作るんだ。何かが侵入すると音を出して警戒する装置で──」
カランカラン
敦美さんの言葉をさえぎって涼やかで心地の良い音が響く。
いつもの森、見慣れた風景。薪の爆ぜる音に煙の臭いが辺りに満ちている。だというのに、空気はどこまでも張りつめていた。
「拠点防衛の観点から、ゾンビ対策にも使えるな」
「テロリストにはあまり意味がない」
すっと二人が臨戦態勢に入り、あたりを見渡した。女子はみな中央に集まり、男子がそれを囲うように背中合わせになる。敦美さんたちが、いざというときはそうしろと事前に指示を出したのだ。
対策三部の三人がそこらを見回るも、特別動く物影は見当たらない。風か何かのせいかなと誰もが思ったところで──荒根がそれを見つけた。
「おい、ありゃなんだ?」
大きなピザほどもある毒々しい赤色の笠。ぶにょんと波打つそれの裏に弾けた袋のようなものがついている。柄は太く、おとぎ話の産物のような見た目。あまりに異様な姿形をしていて、気づくなという方が難しいそれ。
佐藤、樫野、竹井の表情が固まった。
「バカな……! 先ほどまではなかったはず……!?」
「なんでこんなとこに生えてるんだよ……!」
「……鳥かなんかが、落としたのかもね」
例のイケナイ毒キノコ──甘夢茸だ。
佐藤の言うとおり根付いているわけではなさそうで、不安定に木によりかかっているだけのようだった。よくよくみれば、柄のところにはいくらかのひっかき傷のようなものさえある。樫野と竹井は佐藤の言葉が事実だと受け取った。
──本当の真実は佐藤だけが知っている。
「なんなの、あれ?」
「ヤバいキノコ」
「胞子を吸ったら一瞬でぶっトぶと大ジジ様はのたまった」
「わかりやすい回答どうもありがとう」
とはいえ、近づかなければ問題ないと二人は言った。どうやら組合の人があれを処理するのを見たことがあるらしい。
だが、そんな二人の意見を真っ向から反対したものがいた。ほかならぬ佐藤だ。
「悪いけど、あれを放っておくことは出来ないよ。理由は言えないけれど、すぐに処分しないと」
「いいの?」
「専門家に任せるべきだと聞いたが」
「……その専門家がここにいないからね。あれくらいなら、僕たちでも処理できるはずだ。いや、しなくちゃならないんだ」
いつになく切羽詰った表情で佐藤が言った。それにただならぬ何かを感じた対策三部はすぐに考えを改め、先生を含めた全員に下がっているよう伝える。
毒キノコの処理だというと、意外なほどみんな素直になってくれた。
「セインって人から聞いたけど、おまえ一回やっちまったことがあるんだろ?」
「うん……想像だけどさ、熊が出たのってこいつの胞子のせいかもしれない」
「ここにあるキノコがどうして熊と結びつく? いろいろと論理が破綻していると思うが」
「……か、風に乗りやすいんだよ。それよりも、二人はセインさんから処理法を聞いた? 覚えている?」
「ばらけないように突き刺して縫い付ける」
「胞子をまき散らさないように一気に焼く」
なんともシンプルな答えだが、それは正しい。ただ、それがいかに難しいかをこの二人は正確には理解していないだけなのだ。
佐藤が薪の炎を拝借し、それを正面に構えた。敦美さんがサバイバルナイフをぬき、飛び掛かる態勢に入る。樫野は片手に鍬を、もう片手に火を。竹井はスコップと火をそれぞれの手に持った。
「一、二の、三で一気にやるよ。切って、押さえて、火をつけるんだ。胞子を飛ばすかもしれないから、遠くから飛び掛かって、息を止めて、燃え尽きるまで耐えるんだ」
「突き刺して逃げればよくね?」
「……な、中の水分や構造的に激しく弾けて飛び跳ねる危険があるんだよ。押さえないとどこ行くかわからなくなっちゃうから」
「……ま、いいけどよ」
「毒ガスに備えて息を止める訓練は日ごろからしているしな」
妙な訓練をしている連中ではあるが、今この場において役立つことには変わりない。佐藤は、彼らなら自分よりもうまく捌けるのではないかと大きく期待した。
「じゃ、一、二の──」
カウントダウンが始まれば、そこにはもう彼らの意思は存在しなかった。ただ、目的のためにすべてをかけた人間がいるのみである。これほどの集中力を常日頃から発揮できれば様々な分野で偉大な功績を残せるだろう──そう思わせるほどだった。
「三!」
まっさきに届いたのは敦美さんのナイフだった。よどみなく、流れる清流のようにそれが突き刺さり、柄を貫通して地面に深々と突き刺さる。一瞬キノコがビクンと動いたかのような感覚が敦美さんの手に伝わった。
そこに竹井のスコップが一切の遠慮なく降りかかる。圧倒的な質量と回転力を持って叩きつけられたそれは、容赦なくその大容積の笠を押し潰し、ぶじゅると奇妙な汁をこびりつかせた。
タイミングをほぼ同じくして樫野の鍬が直撃した。常日頃からゾンビ対策として振るっていた鍬はその勢いを持って笠と柄を切断した。スコップとナイフの間の奇妙な隙間だというのにそれを成し得たのは、三人が日ごろからつるんでいたおかげだろう。お互いの考え方が読めていたのだ。
「ええい!」
佐藤の炎がその上から神判のように注がれた。追い打ちをかけるように樫野と竹井の火も降り注ぐ。
もともと燃えやすいキノコなのか、あっというまに火が付き彼らの腰ほどまで一気に燃え上がる。身もだえするかのようにキノコが反りあがり、敦美さんのナイフにはじたばたとした振動が伝わってきた。
「なにこのキノコ……」
「キノコを焼いた反応ってこんなだったか?」
「おい、それよりも──!」
めりめりとめくれ上がったキノコの傘の下に、白い胞球があった。熱の為かパンパンに膨れて、今にも破裂しそうである。
それを見た三人の行動は素早かった。
「チィッ!」
敦美さんが体重をかけてナイフを押し込み、体をばねにして離脱した。
「リトライするしかないな」
冷静な竹井はスコップを足で押しつぶし──スコップ越しにそいつを踏みつけ、その勢いで離脱した。
「妙に根性あるな」
樫野は邪魔になりそうだった鍬を持って素直に引き下がる。
この三人はほぼ同時。だが、佐藤だけは残っていた。
「おい、なにしてんだよ!?」
「弾ける前に焼き切らないと意味がないんだ!」
もう、間に合わなかった。一瞬カッと炎が燃え広がり、パン、とクラッカーを鳴らしたかのような音が響く。
ぶすぶすと何かが燃え尽きた音と焦げ臭いにおい。
佐藤は動かず、その表情も見えない。
吸っちまったか──と、そう思った時だ。
「あっぶなかったぁ……」
何でもないような様子で、佐藤が腰をついた。手にいくらか煤をつけているものの、正気であるらしい。黒焦げになった笠が佐藤の足元に落ちていた。
「だいじょぶなの?」
「なんとかね……。一瞬ヒヤッとしたよ」
なんでも、先ほどの音は胞球の燃え尽きた音らしい。炎が妙に大きく上がったのは、このキノコ特有の現象だそうだ。若干疑わしくもあったが、対策三部はその説明を受け入れる。
「ま、これで万事解決だろう……練習しといてよかった」
「何か言った?」
「いや、なんでも」
熊がいなくなったと想定され、キノコも消え、こちらの被害はゼロ。これでみんなが無事に帰ってくれば全てが丸く収まる。佐藤も、竹井も、樫野も、敦美さんさえそう思っていた。
だからこそ──その直後に聞こえてきたそれにしばらく反応できなかった。
グォォォォ!
プギィィィ!
「まさか──!」
先ほど聞いた断末魔と思しき雄たけびよりもはるかにドスの聞いた雄たけび。
「まだいるんだね」
「そこそこの大物だな」
「熊以外も想定されたな」
熊はまだこのへんをうろついているらしい。さらに、いるのは熊だけではないらしかった。
20161231 文法、形式を含めた改稿。
楠先輩の正しいスコップ教室(物理)
佐藤先輩の正しい茸の処理教室(非物理)




