43 園島西高校サバイバルキャンプ・6
「柊くん、私さ」
「うん?」
「この学校の人ってちょっとアレだと思うんだ」
「……あはは」
森の中を適当に散策しながらおしゃべりする。さっきからちょくちょく食べられそうなものを見かけるのだが、どれも獣の齧り跡がついていて収穫とまではならない。
華苗は適当に進めそうなところをフラフラと歩いているが、柊はそんな華苗に不満ひとつ言うことなく黙って着いてきてくれている。まるで自分がお嬢様になったかのような優越感に少しだけ浸れたが、同時に子供のお守をしてくれているのではないかという疑念も湧き上がった。
「柊くんも何かできるの?」
「そりゃ、部活しているからそこそこはできるけど……。部長たちほどはできないよ」
今思えば、この面子でなければこのキャンプそのものが成り立たなかったのではないだろうか。一般的な高校生がこの環境に放り出されていたら、テントを張ったりするところまでは出来ても、火熾しが出来ずに碌な食べ物を食べることが出来ない気がする。お水だってそのまま飲んでお腹を壊す人が続出したことだろう。ついでに、食材だって貧相だ。野菜や果物の恵みは大きい。
「あ、あそこに茸」
「……あ、ほんとだ。よくわかったね」
「合気道部ですから」
柊が指差したところに大きな茸がある。いくつかまとまって生えていて、獣にかじられて形跡もない。
「でも、食べられるの?」
「さぁ……?」
毒々しい赤を持つ大きな笠。もう少し大きかったら華苗の顔全体を覆うことだってできてしまえるのではないかと、そう思えてしまうほどの大きさだ。見た目はどこかぶにぶにしていて、おまけに笠の裏に白い球が四つほどついている。
獣にかじられた形跡がないということは、つまりは食べられないということだ。
「見るからに毒キノコ」
「いや、案外こういうのがおいしい……はず」
柊は軍手をつけてそれを一つ掴み取った。やっぱりぶよぶよしていて、まるで身もだえするようにそれは震える。
顔を背けたくなるが、好奇心もある。こういうものに限ってついつい華苗は見てしまうのだ。
「どう?」
「……表面がぬめっている」
食べられるかどうかわからないので、とりあえず一つだけ獲っていくことにした。柊は備品置き場から持ってきていた背負い籠にその茸を入れて軍手を取る。
ちらっと見えたが、黄色っぽい粘液みたいなものが染みついていた。これは絶対食べちゃいけないやつだと華苗は心の中でつぶやいた。
さて、その茸が食べられるかどうかは別として、出来ることならもっといろんなものを採集していくべきだろう。野菜や果物は畑で賄えるとはいえ、せっかくこういう場に来ているのだから、ちょっとくらいワイルドな食生活を送ってみるのも悪くない。
華苗たちに目利きは出来ないが、おじいちゃんならそれはできる。それに、荷物持ちは柊がやってくれるのだ。さすがは男子である。
「あの木の実とかどうかな? ヤシの実っぽいやつ」
「うーん、ちょっと高すぎるかな。僕じゃあそこまでは届かないよ」
おいしそうな木の実は割と高所に生っているのも発見の一つだ。低所の実は地上の獣に食われてしまうのだろう。高所でも目立つところだと鳥に食われるらしく、葉の陰などでないとあまり見つからない。
言い換えれば、目立たなそうなところをよく探すと普通にあったりするのだ。
「登る?」
「……僕、昔木登りして落ちたことがあるんだよね」
どうやら柊は高いところが苦手らしい。
「じゃ、私がやってみる」
「いけるの?」
「身軽ですから」
何を隠そう、華苗は木登りが得意だったりする。小さいころから運動は苦手だったが、木登りだけは得意だったのだ。
体が軽いから登るのも楽だし小回りも効く。ついでに、ほかの子では絶対乗れないような細い枝でも問題がない。登るのは幾分久しぶりとはいえ、できないわけではないはずだ。
「よっと」
「うぉ、本当に早いね」
碌な足がかりもなかったが、昔のカンをたよりにするすると登っていく。こういう時だけは自分の体が小さいことに感謝できた。
樹は下から見たよりも高かったらしく、柊の声がだいぶ下のほうから聞こえた。てっぺん近くまで登ると、葉の陰から遠くの景色が見える。体感的に校舎の二階よりちょっと高いくらいの高さだろうか。思っていた以上に高い樹だったらしい。
「八島さーん、大丈夫?」
「大丈夫!」
慎重に枝を伝って木の実をもぎ取る。ダチョウの卵くらいの大きさの薄オレンジ色の実だ。
表面は堅くてちょっと冷たい。帰りのことも考えて、二個だけとっておくことにした。
「あれ?」
「どうしたのー?」
「なんか向こうに人がいるっぽい!」
景色のその向こうでなにかががさがさと動いていた。たぶん、生徒の誰かだろう。川とは反対方向だから、同じように食糧を探しに来た人か探索しに来た人かのどちらかだ。
とりあえず、足を踏み外さないように慎重に降りていく。大きな木の実を二つも持っているから行きよりも大変だ。高いところはもちろん、低いところでも注意しなくてはならない。人が失敗するのはいつだって油断した時だ。
「あっち、行ってみる? たぶん四、五人くらいいたと思う」
「行ってみようか」
高い樹の上に木の実が生っていたとしよう。あなたはどうしてもそれが欲しい。だから、取ることにした。
ところがその樹は碌な足がかりもなく登ることが出来ない。樹をゆすっても実は落ちてこないし、石をぶつけても意味はない。
ならば、どうするか?
よっちゃんはあきらめた。
よっちゃんは運動に自信があった。今でこそ調理部だが、体育のときだって運動部に引けを取らないくらい活躍している。いわゆる運動部じゃなくても運動ができるやつなのだ。
さすがにそのスポーツでエース級の実力を持つ奴には負けるが、一般的に部活をしているだけの平部員となら互角以上にやり合えるという自負もある。どんなスポーツでもそれは言えるから、総合的には一番能力が高いのではと思ったことすらある。
だから、そんなよっちゃんが登れない樹ならだれも登れないはずなのだ。そして事実、誰もその樹は登れなかった。
だというのに、そんなよっちゃんのわずかな誇りは粉々に打ち砕かれる。彼女の定規は中学時代から変わっていなかったのだ。
「先輩、さすがにこれは登れませんよ~」
「まぁ、高いもんなぁ……」
探索中にたまたま見つけたおいしそうな木の実。鳥が啄んだ跡もなく、おまけに鈴なりになっていたのだが、いかんせん手が届かないほど高い場所に生っている。
どうにか木登りしようとチャレンジしても、すぐにするすると落ちてしまう。彼女は華苗よりかは体重があるため、どうしても登れなかったのだ。
さっさと諦めよう、と彼女は樹に背を向け秋山達のほうへと向かいなおる。その瞬間に自らの目と耳を疑った。
「しょうがないか。それじゃあ──」
その言葉が誰のものだったのかはわからない。
「蹴るか」
「切るか」
「射るか」
一つは翻る大きな風だった。
一つは躍り出る影だった。
一つは一条の光だった。
「オーバーヘッド!」
「せぇいっ!」
「……っ!」
その風はその木の実を足で蹴り落とした。
その影はその木の実を剣で切り落とした。
その光はその木の実を弓で射ぬき落とした。
「はい?」
そして一瞬の沈黙の後ぼと、ぼと、ぼとと音。薄オレンジの食べられそうな木の実がよっちゃんの足元に落ちてきた。
「もうね、住む世界が違ったね」
「皆川さん、疑うわけじゃないけど、その木の実ってこれだよね? 相当高いところになっていたと思うんだけど」
「実際かなり高かったよ? でも、秋山先輩はそれをオーバーヘッドで蹴り落とした。柳瀬先輩はそれの果梗を木刀で切り落とした。二人とも、数メートルは飛んでいたと思う。橘先輩は一瞬で果梗を射ぬいたの」
「うん、やっぱりここの人達いろいろアレだよ」
「サッカー部なら普通じゃね? 漫画とかでも必殺技使ってるじゃん」
「剣道部もそうだな」
「いや、二人はともかく僕はただ射っただけだよね? おかしくないよ」
華苗が見たところにいたのはよっちゃん、秋山、柳瀬、橘だった。
よっちゃんたちもあれから分かれて森を探索していたらしい。柳瀬たちとはその途中で出会ったそうだ。
「これくらいしか収穫なかったけどな」
「また魚でも射るかなぁ……。そろそろ矢が尽きそうなんだよね」
秋山が戦利品をばっと広げる。薄オレンジの木の実と筍っぽいなにか、そして落ち着いた色合いのシイタケに似た茸。
どれも食べられそうではあるが、量が少なめだ。柳瀬たちはそれすら見つけられず、収穫はゼロだった。
「なぁ、そのいかにも食べちゃいけないキノコはなんだ? そんなのどこで拾ったんだよ」
「あっちのほうに固まって生えていたんですよ」
「食えんの? というか、食えたとしておまえは食うのか?」
「……そういわれると、食べられない気がしてきました」
荷物もいっぱいになったことだし、一旦キャンプに戻ることにした華苗たちはお喋りしながら森を進んでいく。このいかにも怪しげな茸をさっさと処分してしまいたいと行く気持ちが強かったのは言うまでもない。
それに、木の実だって意外とかさばるし重いのだ。持つのは華苗ではないのだが。
「てなわけでじっちゃん! 鑑定よろしくぅ!」
「ほいほい、なにか面白いものはあったかい?」
さっきと同じように櫓の前で火の加減を見ていたおじいちゃんの前に、華苗たちは戦利品の入った籠を置いた。燻製作業はうまくいっているのか、煙と木のいい香りに交じって櫓からすこし香ばしい匂いがしてきている。近くではあやめさんとひぎりさんがこっこっこと地面を突いてまわっていた。
「ほう、こいつは……」
「あ、ジュースの実じゃないですか!」
「ジュース?」
おじいちゃんの隣に座っていたシャリィが、華苗たちがもちこんだ薄オレンジの木の実を見てそう叫んだ。硬いその表面をぺたぺたと触っている。
「ここらじゃそう呼ばれていたりもする奴だねェ。結構高いところに生っているんだが、よくとれたね」
「ふふん、じじ様。舐めてもらっては困るな。ところで、これは食べられるんだよな?」
「ああ……シャリィ、ちょっと道具箱から錐かなんか持ってきておくれ」
「がってんです!」
おじいちゃんはシャリィから錐を受け取り、その果実に突き立てた。華苗から見ても、きれいでカッコいい動作だったように思える。
ガッ!
「……小癪な」
が、無情にもその硬い表面が錐をはじく。わずかばかりの傷が虚しく残った。
おじいちゃんの笑顔が一瞬固まり、ぴくりと白い眉が跳ね上がる。無傷でこそないものの、先ほどどさして変わらない木の実がそこにある。
「え、なにこれめっちゃ硬いじゃん」
「まぁ、蹴り飛ばして砕けなかったくらいですしね」
どうやらこの森の植物はなかなかに根性があるらしい。普通なら、ここは簡単に穴が開いて感動する場面だろう。ましてややったのはおじいちゃんだ。華苗はおじいちゃんが失敗するところを初めて見る。
「そっちの道具じゃダメなんでしょうかね。あたしの時は上手くいったのに」
「どする? ノコギリでも持ち出すか」
「いや、それには及ばんよ。錐がダメでもやりようはある」
おじいちゃんはにっこりと笑い、錐をシャリィに返した。その硬い木の実を地面に下して片手で軽く押さえる。
そして、堅く握った拳を金槌を振るうかのようにして大きく振りかぶった。こころなしか、ちょっと怒って拗ねているように見えた。
「錐でダメなら──」
「え、ちょ、まさか」
「──こうするさね!」
ひゅっと拳が振り下ろされる音。バキッと何かが砕ける音。
あたりが一瞬、しんと静まり返る。
皆の視線がそこに集中する中、おじいちゃんが木の実からその拳を離した。
錐すら通らない硬い表面だったというのに、小指ほどの穴が空いている。そう、拳で叩いたはずなのに穴が空いているのだ。
「……え?」
「ほぅら空いた」
同じように拳を振りかぶり、三角形になるように近くにもう二つ穴をあけ、拳の出っ張っているところでその中間を叩く。
すると、めこっと音がしてその部分が陥没し、あたりに甘い空気が漂った。おじいちゃんがそれをゆすると、ちゃぷちゃぷと音が聞こえてくる。
……よくよく見れば、おじいちゃんの拳からなにか黒い棒がはみ出ていた。ほんのちょっとだけだから、華苗が見れたのも偶然に近い。見た華苗でさえ、光の加減か何かの見間違いだと思ったほどだ。
いったいいつの間にあんなものを手に仕込んだのだろう。というか、そもそもアレはなんなのだろうか。
まるで何事もなかったかのように、おじいちゃんはそれを手に取った。周りも一瞬遅れて正気に戻り、穴ではなくその木の実に意識を向ける。
素手で硬い木の実の表面を穿ったのは驚くべきことではあるが、ここではそこまで珍しいことでもないのだ。この時にはもう、手の中のそれはどこかへと消え失せていた。
後に華苗は知ることになったが、アレは寸鉄というものらしい。文化研究部の活動の成果だそうだ。忍者が使った武器の一つとのこと。
「果実はそのままじゃとても食べられないが、中に果汁がたっぷり入っているんだ。耕輔、ちょっと飲んでみなさい」
「ん……ちょっと癖のある野菜ジュースにリンゴ味を混ぜたって感じ? 柊、飲んでみ?」
「あー……なんかわかる気がします。でも、どっちかっていうと青臭いリンゴジュースって感じがするような」
秋山と柊はその木の実を回し飲みし始めた。ペットボトルの回し飲みは割とよく見る光景だが、木の実の回し飲みを見るのは華苗は初めてだ。傍から見るとすごくシュールである。
「ほれ、華苗ちゃんたちも」
おじいちゃんがもう一つの実に穴をあけてくれる。それを受け取った華苗は中をまじまじと見てみた。
顔を近づけた瞬間に、甘い匂いが強くなる。果汁は白っぽい半透明で、すこし中に粒粒が混じっていた。硬い薄オレンジ色の欠片がぷかぷかと浮いていて、まるで浮島のようにも見える。思い切って口をつけた。
「……野菜入りの健康ドリンクみたい」
たしかに若干の癖というか、鼻に抜ける青臭さのようなものがある。だが、果汁としての甘さも十分にあり、まずいわけではない。
むしろ、なれれば意外とイケるんじゃないだろうか。口に残る粒粒も悪くはない。
「華苗、あたしにも!」
「はい」
「間接ちゅう?」
「ちゅうだね」
「ぶっちゅう!」
ふざけたよっちゃんは飲み口に盛大にちゅうをした。女同士、今更でもある。
第一、そんなことを言ったら華苗の隣で当たり前のように回し飲みをしている幼馴染ペアの方がよっぽど問題だ。仲がいいとはいえ、男女でのそれは普通のことだと割り切っていいものなのだろうか。
「今更ではあるしな……。乳首はともかく哺乳瓶も同じの使ったことがあるらしいし」
「それに男女で回し飲みとかって高校入ってからは普通に見かけるよ?」
「そんなもんですか」
「ああ、そんなもんだとも。華苗ちゃんもいずれそういう機会が巡ってくるさ」
木の実に盛大に吸い付くよっちゃんは赤ん坊に見えなくもない。ごくごく喉を動かしているところを見ると、赤ん坊のころの彼女はよく食べよく寝る子だったのであろうことが簡単に推測できた。もちろん、それは今でも変わっていない。
「ん~、朝に気分を引き締めるときに飲みたいけど、三時のおやつには向かないって感じ?」
「あたし、昔はよくおやつにこれ飲んでましたよ!」
「そなの? あー、栄養はいっぱいありそうな感じするよね。でも、おやつってよりかは料理に使ったほうがよさそうな気がするかな?」
「なるほど……。参考までに、よっちゃんおねーちゃんならどう使います?」
「あたしなら……粒粒を取り除いてブイヨンにしていろいろ試すかなぁ。そうすればいろいろ応用の幅もありそうだし」
よっちゃんとシャリィは真面目な顔をしてこの木の実の利用法を議論しはじめる。よっちゃんの食に対する情熱は常日頃から華苗も感じていたが、まさか作るほうでここまで実力を見せるとはこれっぽっちも思っていなかった。なにやら専門的で難しそうな話をしている。
それについていけるシャリィも相当な腕前を持っているということだろう。佐藤にいろいろ教えられているのだろう、と華苗はぼんやりと思った。
「この筍もどきは芯を除けば食べられるね。水に少しさらしてあく抜きして使うか、面倒くさいならそのまま油で揚げてしまってもいい」
「そのへんは青梅ちゃんたちに任せるよ」
「こっちの茸は……こいつは全部食える。こっちは笠だけなら食えるが、念のためやめておいたほうがいい。そっちのは全部ダメだ。残りは全部食えるね」
「おじいさん、このキノコは?」
柊は籠の底から例のアブナイ茸を取り出した。軍手で掴まれたところから振動で波紋が広がり、ぶよぶよと波打っている。ついでに、粘液っぽい黄色いのがつっと糸を引いていた。
おじいちゃんの笑顔がぴしりと固まる。
「……どこでこれを見つけたね?」
「え、いや、あっちのほうで。……もしかして、アレなやつですか?」
「いや、どう見てもアブナイやつだろ?」
「ちゃんと処理すれば食べられないこともないねェ。おまけにまだ若いやつだ」
「……食えんの?」
「ものっすごくまずいさね」
「なるほど……。だがじじ様、その口ぶりではそれ以外に問題があるのだろう?」
「こいつの笠の裏、白い球があるだろう? この胞球の中には幻覚作用を持つ胞子がたっぷりと詰まっている。今は若いからうご……じゃない、ちょっと触った程度じゃ反応しないが、これが大きくなると、少しの刺激であたりに盛大に胞子をまき散らしたりするようになる。もし吸ってしまったら……」
「す、吸ってしまったら?」
「どうなってしまうかわからない。人によって幻覚の効果や時間がまちまちだ。よだれを垂らして幸せそうな表情をする奴もいれば表情が消えるやつもいる。数秒で効果が切れたやつもいれば三日もトんだままだったやつもいる。夢一もちょっと前に事故で吸っちまったんだがね、そんときは獣みたいに暴れまわったもんだよ。組合の連中が止めに入ったが、本気で戦えなくてバンバン投げられてたね」
「マジかよ……」
これはもしかしなくてもアブナイ茸ではないのだろうか。食べても死なないとはいえ、そんなに強力な幻覚作用があるのであればそれはもう立派な毒キノコだ。さすがは秘密の環境保全地域、茸ひとつをとっても非常識的でいろいろぶっ飛んでいる。こんな茸、創作話でしか聞いたことがない。
しかも、あのにこにこ笑顔を絶やさない佐藤が暴れまわるほどの効能を持つときた。つくづく自然の力は恐ろしい。
「で、その暴れまわる佐藤はどうやって止めたんだ?」
「私が投げた。いくら正気を失っていたからと言って、私があいつに後れを取るわけがないし、あいつとの仲だから変に手加減する必要もなかったんだよねェ」
おじいちゃんが何事もないかのように笑った。おじいちゃんの武道の腕を知っている武道部の三人は何とも言えない憐憫のような表情を浮かべている。その胸の中は佐藤に対する同情の気持ちでいっぱいなのだろう。
「組合の連中に処理させるから、これを見つけても絶対に触らないようにね」
警告と群生場所だけ聞かれて鑑定は終わりとなった。
ちなみにこの茸、名前を甘夢茸──別名スウィートドリームマッシュというらしい。ご飯の準備をしている佐藤にそのことを話すと、ひきつった顔をしながらおじいちゃんと全く同じ警告をしてくれた。
「大変長らくお待たせしました!」
「今日のメインディッシュだよー!」
──うぉおぉぉぉおぉぉ!
そしてやってきた夕餉の時間。正確には昼餉と夕餉を合わせたものだ。なんだかんだで夕餉を遅くし過ぎると片づけが大変になるし、準備をするのも手間だ。昼餉の準備と片付けのことを考えると、むしろ一緒にしてしまったほうが労力的にははるかに楽なのである。
一日二食、それも朝食はまともなものを食べていないとはいえ、サバイバル生活の中ではこの準備の面倒さとそれにかかる時間による負担というのは侮れない。みんななんだかんだでいろいろなものを口にしていることもあって、青梅たちが出したこの結果に不満を言うものなど一人もいなかった。それほどまでに調理というのは大変な行為なのだ。
「今日のメニューは……」
ぐるり、と青梅が辺りを見渡す。焚火と竈の数が増設され、そのほとんどに金網や鉄板なんかがセットされている。
鉄串、木串、紙皿がすこし不恰好な手作りウッドテーブルにどんと置かれていた。その近くには切られた野菜だの肉だのがこれでもかと置かれている。
誰がどう見ても、これは──
「《ブロシェット》でーっす!」
「はい?」
バーベキューじゃないらしい。
「…バーベキューじゃないんですか?」
「まぁ、ほとんど一緒なんだけどね。串焼きのことを《ブロシェット》って言うんだ。えへへ、こういうと少しオシャレな感じがするでしょ?」
ともあれやることは変わらない。ブロシェットだろうとバーベキューだろうと焼いて喰らう。それだけだ。
見栄を張りたい数人の男子と小器用な女子が手早く材料を串に刺し、金網へと並べていく。荒根などは手慣れたもので、野菜を串に刺しつつも火の加減も忘れないように薪の準備をしていた。
「いいにおい……!」
しばらくするとあの特有の香ばしい香りが漂ってくる。煙の臭いに交じるそれはどうしようもないほどにキャンプの香りがした。
今、華苗の目の前で焼かれているブロシェットは肉と野菜が一:二くらいの比率の物だ。炎に照らされて肉がつやつやと輝いており、ときおりぽた、ぽたとその脂が零れ落ちる。玉ねぎやピーマンにいい感じに焦げ目がつき、それがまた華苗の食欲を掻き立てた。
「柊、もういいんじゃね?」
「まだだろう?」
「なんだ、ウェルダン派なのか」
「肉はしっかり焼けってのが我が家の家訓でね」
華苗の家も焼肉の時はしっかり焼く。おとうさんが口酸っぱくおかあさんと華苗にそう言うのだ。いいかげん耳にタコができるほど聞かされたが、それでも毎回必ず言ってくる。
しかし、この焼きあがるまでのじりじりした時間はなんとももどかしいものだ。華苗は焦らされるのはあまり好きじゃない。カップ麺も三分待たずに食べ始める。
「調理部的にはどうなの、よっちゃん?」
「いや、焼き加減はその人の好みによるよね。ただ、お肉をしっかり焼けってのは賛成かな」
「私はさっさとたべちゃうけどな……」
「奇遇だな清水、おれもだ」
──うっめええええ!
軽口をたたいている間にも周りで焼き終えたのが出てきたらしく、怒声、奇声、その他にぎやかな大声が聞こえてきた。
このがやがやした感じ、華苗は嫌いじゃない。
「そろそろいいだろ? 焦げちまうよ」
「そだね」
焼けた五本の串を一人一つずつ持ち、せーので食べることにした。滴る脂がわずかに華苗の指を濡らす。少し煙くて香ばしい香りが華苗の鼻腔をいっぱいにした。
かぷりとみんなで同時に喰らいついた。
「おいしい!」
「うまっ!」
「おいしっ!」
「イケるな」
「同感」
肉だ。肉が違う。
かみしめた瞬間に熱い肉汁がじゅわっとあふれ出て華苗の口を満たす。少しのこげっぽさがそれをより引き立て、幸せな気持ちでいっぱいにさせた。脂のうまみとでも言うべきものが五臓六腑にしみわたり、肉特有のあのうまみが脳を痺れさせる。
それは見た目からは想像できない形で引き締まっており、適度な噛み応えを残しつつも肉らしい柔らかさをもっていた。表面はちょっと硬めで中はふんわりと。まさに華苗好みのど真ん中だ。
こんなおいしいお肉には焼肉のたれなんて似合わない。それは邪道というものだ。肉を肉たらしめるのは、たれではなく肉そのものなのだから。
夢中になって続けざまにもう一齧りする。
焼き加減もさることながら肉そのものが初めて食べる食感がした。部位もそうだが、何の肉なのかがわからない。
豚や牛のような感じではあるのだが、どこか違和感が残る。鳥っぽくもあるのだが、それにしては妙にジューシーで迫力が段違いだ。
とはいえキャンプにふさわしいワイルドな肉で、それがこの場を盛り上げている要因の一つになっているのは間違いない。
「玉ねぎ、甘ぁい!」
清水が食べているのは園芸部の玉ねぎだ。白い玉ねぎにわずかに黄色が入り、そしてちょっとの焦げがある。
華苗も口をつけると、なるほど焼かれたことで玉ねぎ特有の甘みが引き出され、アツアツの幸福をもたらしてくれた。華苗はちょっと玉ねぎの辛さが苦手なのだが、さすが我が園芸部と胸を張るべきか、キツイ辛さではなくて、甘みと絶妙に溶け合った優しい辛みが口の中に染み込んでいった。
「やっぱり素材が違うね~」
緑の嫌われ者。ピーマンの世間一般のイメージだ。
ところがこのブロシェットのピーマンは例外だ。程よい苦さと野菜特有の甘さ、そして加熱したことによって出た食感によりそんじょそこらのピーマンをはるかに凌駕してしまっている。肉と一緒に頬張ると、脂でいっぱいになった口をいくらかさっぱりさせてくれた。
「おいこらてめ、それ俺が目ぇつけてたやつだぞ!」
「俺はでっかいからいっぱい食わなきゃいけないんだよ!」
「こら! 肉ばっか食べてないで野菜食べろ野菜!」
「まぁ、おいしい……。シャリィちゃん、こちらもよく焼けてますよ」
「ありがとう、白樺のおねーちゃん!」
「おーいビデオ回してるからあんま醜態さらすなよー?」
「写真も行くぞ。ほら、笑って」
にぎやかだ。この雰囲気もおいしい料理の材料の一つだろう。濛々と立ち込める煙の向こうで、誰もが笑って串をほおばっている。それはなんだかとっても素敵なことのように華苗には思えた。
「そういえば、お肉ってどうしたの?」
「ん~? なんか組合の人が持ってきてくれたんだって。さすがにバーベキューに野菜だけじゃ泣けるでしょ?」
「たしかに。でも、何のお肉?」
「わかんない。あたしも部長も見たことないやつだった。じいちゃんが食べられるっていってたから、問題はないけどね。たぶん、猪か熊じゃない?」
「すげぇぞ柊。おれたち熊を食ってるってよ。ここらに出没する奴かな」
「いや、たぶんだから。それになんだかんだで熊なんか出るわけないだろう? あ、でも、もし出たらバラして熊鍋ができるね」
「いやいやいや……」
熊だろうと猪だろうと、バーベキューだろうとブロシェットだろうと、おいしいことには変わりない。ならばそれを精一杯楽しめばいいのだ。
焚火の熱気が華苗の頬を撫でる。パチパチと小気味の良い音がした。
「よーっし、誰かこのキノコスペシャルを食うやつはいるかー? 見たことねえキノコをワンダフルに使った逸品だぜ!」
「円、また口の端汚してる。めんどくさがらずに拭きなよ」
「いいじゃないか、どうせまたすぐ汚れるんだし」
「さァさァ、ここにあるのは一本のブロシェット。こいつに手を翳すと……ほォらこの通り!」
「すげぇ! 野菜が消えて肉だけになった!?」
「…夢一、焼いてやったぞ、食え」
「……その緑しか見えない串は何かな?」
「…俺の野菜が喰えないってか?」
「野菜は好きだよ、野菜は。僕はそれを野菜と認めていないだけなんだ」
「お兄ちゃん、本当にピーマン嫌いですねぇ」
「おまえはああいうふうにはなるんじゃないよ。好き嫌いしないで食べないと大きくなれないからねェ」
「……大きく、なれるんですか?」
「ああ。強くなれるし魅力的にもなれる。すごいやつってのは好き嫌いしないもんさ」
「野菜スープと枝豆茹でたのもあるよー! ゆで卵は先着順ねー!」
「枝豆くれ枝豆ぇぇぇぇ!」
「先生にもちょうだい。お肉は今はちょっといいかな……」
「八島後輩、柊後輩、これ、例のブツね」
とことこと歩いてきた敦美さんが魚を三匹、華苗たちの前に置く。
午前中に作った燻製である。もともとの色が深みを増していて、いかにも燻製らしい見た目をしていた。
「適当に炙れば食べられるから。あと塩焼き用のやつね」
さらに二匹ほど、捌かれた大きめの魚を置いていく。わざわざ大きめのを置いていったところを見ると、新しく捕まえたやつなのだろう。
敦美さんは広場の真ん中に立ち、作った燻製を食べる者を大声で呼びかけていた。ゆきちゃんと深空先生、そして教頭に荒根までもが群がっていく。大人は燻製に目がないらしい。
「よっちゃん、これ炙ってくれる? みんなで食べようよ」
「おっけ。焼き加減は?」
「おまかせで」
こういうのは調理部に任せた方がうまくいく。燻製なんて華苗は生涯で数えるほどしか食べた記憶がない。おとうさんもおかあさんもあまりお酒を飲む人ではないから、そういったものにあまり縁がなかったのだ。
「こんなもんかな」
「華苗ちゃん、こんなの作ってたんだね」
「おれもついていけばよかったかな」
「そんな人手がかかる作業でもなかったからなぁ。明日頼んでみれば?」
こんがりと魚が焼けた香ばしい香りに交じって木の香しい芳香がある。どことなくリラックスするような、そんな香りだ。
よっちゃんが手で裂いたそれを、華苗も手づかみで口に運ぶ。これこそがサバイバルでワイルドな食事風景だ。
「ん……!」
おいしい。
魚のうまみもそうだが、香りがまず違う。煙のクセというか、何とも言えない独特な感じがとにかくすごいのだ。
煙の香ばしさに交じって甘いような芳しいような、そんな風味がする。魚の塩味も絶妙で、小学校の給食に出た干物よりもはるかにおいしい。
しょっぱすぎず、かつ薄すぎない。食べてる最中はついつい次を求めてしまい、食べ終わった後に一杯の水を飲み、それで満足できる……そんな感じだ。
これほどまでの出来ならば、ゆきちゃんはきっと──
「なんだこの燻製!? うますぎるぞ! 酒は、誰か酒を持っていないのか!?」
「本当においしい……! 今まで食べたどのスモークよりも味が深い……!」
「藤原先生、生徒の前でそれはちょっとあれだと思うがね……。だがまぁ、気持ちはわかる。日本酒と共に、月を見ながらちびちびやりたいものだ」
「俺はもっと豪快に飲みたいですね……。このキャンプ終わったら打ち上げでどこか呑みにいきません? こんな生殺しで終わるのは勘弁してほしいっすよ」
「まぁ、いいですね。ちょうど割引券をもっているんですよ。ほら、駅前の……」
大人たちは言うことが違う。酒を飲めない華苗たちにはその素晴らしさはわからない。
だが、こういう現場でそんな話をするとは、それでいいのか教育者。
バーベキューそっちのけで枝豆と燻製を交互に頬張る幸せそうなゆきちゃんをみると、自分でも簡単に教師になれるのではないかと華苗には思えてきた。
「ねぇ、みんな」
「どしたん?」
「大人になったらさ、このメンバーで居酒屋行かない?」
「華苗ちゃんってさ、けっこうムキになること多いよね。先生たちに触発されたって丸わかりだよ」
「でもいいんじゃね? あれだけ楽しそうに騒がれて興味を持つなって方が無理だろ。おれだって法に触れさえしなければ飲んでみたいと思ったし」
「……田所、アンタ実は不良だったりする?」
「おれほどの模範生を捕まえてなにを言っているんだ」
「ごめん、私の耳おかしくなったかもしれない」
「あはは、僕もいい案だと思うよ。この日の思い出もお酒の肴になりそうだ。なんかかっこいいじゃないか、そういうの」
「じゃ、決まりだね!」
煙と香りと笑い声。食べて、飲んで、また食べる。そんなちっぽけな、されどなによりもすばらしい幸せがそこにあった。
一年生の五人は非日常という刺激と、少年期特有の夢見がちな心をもって一つの約束をする。何気ない一言から生まれたその約束は、それから一生、彼らが結婚しても、老人になっても続くことになる。
最低でも一年に一度、必ず誰かが言い出して居酒屋に集ったのは、青春の日の一ページを呼び起こして懐かしむ以上のなにかがあったからだろう。
その素晴らしいなにかは当の本人たちでなければ理解は出来ない。
重要なのは、そうしてしまうほどそれが素晴らしく、大切でかけがえのないものだということだ。
20140315 誤字修正
20160505 文法、形式を含めた改稿。
ブロシェットって名前かっこいいよね。
とあるゲームの魔法名で初めて知ったけど、まさかこれも食べ物の名前だなんて思わなかったよ。
バーベキューやるとさ、肉ばっかどんどん焼けて野菜があとで大量に残るよね。くしで焼いても先に肉が灼けるっていう。
玉ねぎ、ピーマン、かぼちゃ、……あとなんかあったっけ?
肉はいっぱい出てくるけど、いまいちバーベキューの野菜が思い出せない。
木登りで初めて縄梯子を上りきれたときはうれしかったっけなぁ。
 




