40 園島西高校サバイバルキャンプ・3
人間に生きるために必要なのは衣・食・住の三つだ。だというのに、そのうちの一つである食が今ここにはないのだという。それはサバイバルキャンプにおいてあまりにも致命的過ぎた。
「えっ、ちょっ、それ、どういう……?」
「それが、本当に文字通り米と小麦粉と調味料しかないの。このままだと、醤油ごはんか塩スープのすいとんもどきくらいしか作れないかな」
「頑張れてドーナツもどきだね。量だけはあるから飢えることはないだろうけど、すごく貧相で悲しい食事になることは間違いないよ」
調理部、お菓子部部長の二人が言うからにはそういうことなのだろう。いつの間にか広場にいた全員が集まってきて、クーラーボックスを囲む形となっていた。
後ろのほうではつけたばかりの焚火がパチパチと元気よく爆ぜている。華苗の足元ではあやめさんとひぎりさんがお尻をふりふりしながらこっこっこ、と地面を突いて回っていた。光景だけなら実にのどかで順調なものだった。
「おじーちゃん……」
「言ったろう? 最低限の準備はしてあるって」
「最低限ってレベルじゃねーぞこれ……」
たぶん、みんなバーベキューとかそういうのを期待していたのだろう。広がってしまった絶望はあまりにも大きい。
ついつい忘れがちになってしまっているが、これはあくまで敦美さんのために企画されたサバイバルキャンプなのだ。むしろ、それだけの食材が用意されているのは十分に良心的だと言えた。
「なんて顔しているかね。この森には食材がたんとある。ないのなら採ってくればいいさ。木の実でもいい、魚を釣ってもいい。あ、手に入れたものは一応私に見せておくれよ」
おじいちゃんは簡単に言うが、物事そううまくはいかないだろう。パッと見る限りでは釣竿なんて持ってきている人はいないし、仮に持っている人がいたとしても全員分を釣り上げるなんて到底無理な話だ。
木の実──この場合果物だろうが、それでお腹が膨れるかと聞かれるといくらかの疑問が残る。そりゃあ、こんなきれいな森なんだからいっぱい生っていても不思議ではないが、お昼ご飯のチョイスには成りえない。
ところがそんな中で一人だけ、その言葉にうなずき行動に移った男がいた。我が園芸部の部長、楠その人だ。
「…ようやく俺にもできる仕事が回ってきたか」
「いや、できるって……この森の中、探索するんですか?」
「…何を言っている? もっと現実的な方法があるだろう?」
そう言うと楠はいつも通りにつかつかと歩き、備品置き場の前で立ち止まる。そして当たり前のように、いつも通りに、いつもの愛用の鍬を手に取った。
「…持っててよかった、俺の鍬」
「おいおいおい……」
幸か不幸か、この段階で華苗は楠が何をしようとしているのかをかなり正確に予想することができてしまった。
たしかにこのキャンプは特殊なものだが、それ以上に参加している人間たちも特殊なのだ。そして、楠はその特殊な人間の筆頭でもある。
「一応聞きますが、その鍬、何に使うんですか?」
「…耕すために」
「何を?」
「…畑を」
「何のために?」
「…野菜を育てるためだ」
「おおう……」
ないのならば収穫すればいい、と楠は表情を一切変えずに言い切った。
「…ここは水も空気も土もいい。なんとかなるだろう」
「いや、種とか苗とかないでしょうよ」
「…あるぞ? 念のために積み込んどいた」
「えぇぇ……」
備品置き場の片隅に置いてある箱を楠は無造作に開き、その中身を華苗に見せつけた。
なるほど、確かにどこかで見たような種だの苗だの種芋だのがみっしり入っている。ちょっとした園芸店のコーナーが作れそうなラインナップだった。
「しょ、食糧問題はあらかた解決したみたいだね」
「じゃ、じゃあオレらはなんとかして魚でも釣ってくるか。椿原ちゃん、糸と針ある? 被服部なんだし持ってるっしょ?」
「アタシにそれ聞く? いやま、あるけどさぁ……。手芸用だから釣りに使えるかどうかはわかんないよ?」
「問題なっしんぐ。なんとか頑張ってみるさ」
「あ、あと包丁とかはあるんだけど調理台や机がないの。どうにかして作らないと食糧があっても調理できない……かな?」
「難易度ヘルレベルじゃねーか……。樫野、竹井、おまえら作れるか?」
「知識としては持ってます」
「が、技術面では粗さが目立つし万全とは言い難い。ここは素直に敦美さんを探し出して指示を仰ぐことを提案する」
「それっきゃねーか。よし、敦美さんを探す班、使えそうな木材を探す班、魚を釣る班に分かれて行動しよう。昼までに敦美さんが見つからなければいったん戻って手持ちだけでなんとかするしかない」
「…できればいくらかの水を持ってきていただけると嬉しいのですが」
「あー……。魚釣り班に頼むか」
秋山がてきぱきと指示をだし、数人ずつに分かれて森に入っていく。もちろん、その中にはゆきちゃんや深空先生もいる。
こういう所を見ると、この学校の生徒は集団行動がよくとれているなと華苗は思う。なんというか、想定外の事態に陥った時に冷静に対処できているような気がするのだ。
「ああ、森にいる組合の連中に協力を仰いでも構わんからね。……うまくいけばちょっとしたお願いくらい、叶えてもらえるかもねェ」
おじいちゃんが不敵に笑う。その言葉を背に受けて秋山はひらひらと手を振った。
さて、この場に残ったのは楠、佐藤と華苗たち一年生の五人組、そして青梅や双葉といったいくらかの女子生徒におじいちゃんだ。とりあえず、このメンツで火の番と野菜の収穫を行わなくてはならない。
「…まず、畑を作るか」
「そこからですよねぇ……」
無造作に置いてある鍬を華苗はひっつかんで肩に担いだ。初めて持ったころは重くてとても振り上げられそうになかったが、今では鼻歌を歌いながら振り回すことができる。
私服とはいえキャンプに適した汚れてもいい服装をしているため、園芸をする条件だけは整っていた。
「八島さんって意外と力あるんだね」
「部活でいっつも使ってるからね。柊くん、やってみる?」
「……あはは、プロに任せるよ」
笑ってごまかす柊に華苗も愛想笑いを返しつつ、適当に畑に適していそうなめぼしい場所を見つける。
大きく大きく鍬を振りかぶって勢いよくおろすと、草と根がめくれて深い茶色のふかふかした土が現れた。
どこからどうみても、肥沃な大地だ。畑にこれ以上適している土はない。隣のほうからも楠が鍬を振り下ろす力強い音が聞こえた。
「千里の道も一歩からっと」
「……は? 一歩? 今のが?」
「八島さん、冗談でしょ?」
「そういや、かっちゃんは見るのは初めてだっけ」
「どうしよう、私、いまだに慣れていないみたい」
「?」
穂積も田所も清水も、そろって不思議そうな声を上げた。
今の行為のどこにそんな要素があったのだろうか。いぶかしんだ華苗はもう一度四人の顔をまじまじと見つめ、視線を自らが下した鍬の先に戻した。
「……うそぉ」
「…どうした? よくできているじゃないか」
目の前に広がっていたのは小学校にあったくらいのやや小型の畑。ご丁寧に畝までたっており、ふかふかの土が布団のようになっている。生えていたであろう草やあったであろう根や石は一切見受けられず、そこにはただただ茶色だけが存在していた。
「なんという……」
「…園芸部なんだからこれくらい当然だろう? もっと自分に自信を持て」
たった二振りで畑なんてできるはずがない。そもそもこんなことをして自信なんて持てるはずがない。
「…ほれ、さっさと種を植えるぞ。とりあえずはトマトとジャガイモだな。果物は余裕があったらだ」
ジャガイモは大量にできるうえ収穫までのスパンが非常に短い。加えていわゆる黄色い食物──炭水化物に属するため、エネルギー源として優秀だ。
調理法も幅が広いし、お腹にもたまる。そしてなにより、栽培が楽だ。楠のチョイスはどこまでも正しくて、それが華苗の心を掻き乱した。
「いやいやいや! なんで、なんで……!」
「楠先輩、ジャガイモって植えるだけでいいんすか?」
「…そうだ」
「えと、どんなふうに植えればいいんですか?」
「…ここなら適当でいいだろう。…君も八島のとこのクラスだったか?」
「あ、はい。合気道部の柊です」
呆然とする華苗をよそにみんなはジャガイモやトマトの苗を植え始めた。掘って、植えて、また掘って、また植える。
小さめの畑だからあっという間に作業は終わり、可愛らしい緑の芽がぴょこんと土から顔を出していた。
「…ほれ、おまえもさっさと水をやれ。まごころを忘れるなよ」
「……はい」
釈然としないながらも華苗もいつものぞうさんじょうろで水をやる。これも備品置き場にちゃっかり置いてあったのだ。
そして──
「わぁ、トマトがいっぱいだ。生で見るとやっぱり迫力が違うね」
「柊くん、適応はやいね。ていうか先輩、なんかいつもより調子よくないですか?」
「…水も土も空気もいいからなぁ」
ものの五秒もしないうちに立派なトマトが目の前で揺れていた。いつもの畑で採れるものよりもちょっと大きい気がするし茎も丈夫そうだ。
おまけに脇芽取りや土寄せなんかも一切していない。正真正銘、植えて水をやっただけだ。
「…まぁいい。収穫するぞ。…夢一、どれくらいあればいいんだ?」
「みんながお腹いっぱい食べられるくらい?」
「…よし、採れるだけとれ。俺は新しい畑を耕すから八島は新しいのを植えろ。他のは片っ端から収穫していけ。…全部取り終わる頃には最初のほうに採ったのがまた収穫できるようになるはずだ」
楠に言われるままに華苗はどんどん新しい苗を植えてき、ぞうさんじょうろで
水をやっていった。
玉ねぎ、ジャガイモ、キャベツに枝豆。ピーマンにトウガラシにデザートのレモンとラズベリー。正直何をどれだけ植えたのかなんて細かく覚えていない。
確かなのは、わずか三十分ほどで五十人が食べるには十分な量を確保できたということだけだ。つくづく、まごころとは偉大である。
「…こんなもんだろう」
さて、ある程度まとまった量が確保できたので華苗たちは少し休憩することにした。料理の手伝いをしようにもまだ調理台ができていないし、それに、さっきからずっと働きっぱなしだったのだ。
そろそろトイレにも行きたかったので、ちょうどいいとみんなの満場一致になったのである。
トイレひとつ行くにも集団で行くのはなかなか難儀だが、途中で迷子になったり獣に襲われるよりかははるかにマシだ。
「なぁ、柊んとこの中学は熊狩りだった? 雉撃ちだった?」
「僕のとこは熊を狩りに行ったね」
「マジか。雉を撃ちに行くのは少数派なのか」
「それ、何の話?」
「ん? ああ、女子はわからないか。いわゆる“お花摘み”だよ」
「え、男子ってそういう風に呼んでるの?」
「…地域によるんじゃないか? 夢一、おまえたしか高校入るまで引っ越しを繰り返していたよな?」
「うーん、僕もその二つくらいしか聞いたことがないな。というか、大半は普通にトイレに行くって言ってたよ。それよりも、僕はここにトイレがあったことのほうが驚きだよ」
「そういえば、水道はないのにトイレはあるんだよね」
「それもすっげぇきれいだったぞ。おれ、ボットンを覚悟してたけど、普通の水洗トイレだった。それも、でっかいデパートの広くてきれいなトイレみたいだった」
「たぶん、あそこは避難所みたいなものなんだと思うよ~。普通に電気も通っていたし」
例のメルヘンチックな建物までみんなで歩いていく。広場から離れるとすぐに木々にのまれてしまい、この先に建物があるなんて到底思えないほどだ。さっき通った道とはいえ、逆から歩くとまるで違う道のように見える。一人だとやっぱりちょっと怖かったかもしれない。
いくらか歩くと、童話の中から飛び出してきたかのようなお家が見えてきた。
「…意外と立派な建物だよな」
先頭に立った楠がそのメルヘンチックなドアを開ける。カランカラン、と涼やかで心地の良い音がした。
「ん? ああ、君らもセイトか。トイレはその奥の部屋の先だ。張り紙があるからすぐわかる。右が男で左が女だ。それ以外の扉には絶対に入るなと言われて……おや、マスターじゃないか。またずいぶん珍しい格好だな」
「やぁ、アルさん。おつかれさまです」
「なに、ほとんど座っているだけだ。今のところ特に何も報告は上がっていない。任務状況は良好と言えるだろう」
お菓子の甘い香りにお花のいい香りが満ちる室内。シンプルながらも品のあるオシャレな机や椅子があって、この場にいるだけでリラックスが出来そうだ。
ステンドガラスみたいなカラフルな窓から入る、色とりどりの光が室内をやさしく照らしている。インテリアだろうか、細々とした小物もそこらにおいてある。あの棚の上にあるのはきっとオルゴールだろう。
さらに見渡すとカウンターやキッチンらしきものまであるのがわかる。トイレや休憩所というよりかは──そう、喫茶店のようだった。
というか、このおしゃれな感じは間違いなく喫茶店だろう。なお、華苗は本物の喫茶店に入ったことはないので比較はできない。
さて、そんな喫茶店の中に、少し気難しそうな青年がいる。
やっぱり外国人で、きれいな銀髪、いや、灰の髪をしている。厚手の丈夫そうなクロークみたいなものを纏っていて、どことなく学者チックで賢そうな印象を受けた。
仕事なのだろうか、彼は分厚い本といかにも、といった羊皮紙を机に広げ、どこかの国の文字でなにごとかいろいろ書いていた。もちろん書いている文字はアルファベットではないし、おまけにペンは羽ペンだ。
「どうした、ジロジロみて」
「あ、いえ、ちょっといろいろ見慣れなかったもので」
「僕からすれば君たちのほうが“見慣れない”の塊なんだがな」
どうやら彼がここに常駐している組合の人間らしい。バルダスと同じように、彼もシャリィと同じ国の人間なのだろう。もしかしたら組合の人間はみんなそうなのかもしれない。そして、彼もやたらと日本語の発音が滑らかだった。
「…マスターってなんだ?」
「マスターはマスターだろう。ここの、でもうちの、でも通じるな。それより、おまえもセイトなのか? 爺さんから若いのしかいないと聞いたが、さっきからすごい老けた奴やあきらかに少年ではないのが来ているのはどういうことだ?
おまけに、ほとんどが顔だけは若くて年齢がひどくわかりづらい。そこのおまえも、シャリィよりちょっと大きいくらいだろう。事前情報がだいぶ間違っているぞ」
発音が滑らかでも文法はまだ達者じゃないらしい。どことなくぶっきらぼうな感じがするし、意味がちょっと分からないところもある。
「ええと、ほら、依頼主だからマスターってことで。アルさん、こいつも生徒ですよ。老けてるってのは引率の人で、それ以外はみんな十六から十八歳ですね」
「……本当か? 僕の目には二十五くらいの働き盛りの青年と、十に行くか行かないかの少女にしか見えないのだが」
そういうこともありますよ、と佐藤はつぶやくと、勝手知ったる我が家とばかりにずんずんと奥へと進んでいく。華苗たちも遅れないようについていくと、扉がたくさんある部屋へと行きついた。
「な、なんか変わった場所……」
「僕も初めて来たときはそう思ったけど、案外慣れるもんだよ」
普通の扉や引き戸……目に映る全ての扉のデザインや構造は異なっていた。パッと見る限りでは六つあり、そのうち二つに『男子トイレ』、『女子トイレ』と達筆な字の張り紙がなされている。それ以外の扉は『開けるべからず』と書かれていた。
「なんかこの引き戸の模様、古家の開かずの間のやつと似てない?」
「あ、ほんとだ」
扉の一つにどこかで見たことがあるマークを発見したよっちゃんが、しげしげとそれを見つめる。たしかに、似てるどころか全く同じレリーフだ。
「あー、この扉にそれ入れたのじいさんだから……」
「へぇ、なんのマークなんですか?」
「……さぁ? 気に入ってるんじゃないかな」
そう言うとそそくさと佐藤はトイレへと入ってしまった。何か怪しいが、確認する術があるはずもない。
「不思議な場所だよなぁ、こんなに扉があるなんて。なんか構造的におかしくね?」
「…もしかしたら、あの古家に繋がっているのかもな」
「まさかぁ」
そんなこと、あるはずがない。楠も冗談だ、と言ってトイレへと入っていった。
「……お?」
さて、みんながトイレを済ませて喫茶店チックなお家を出ると、楠が何かを見つけたらしく、周囲をきょろきょろと見回し始めた。
「どした?」
「…いや、たぶん……」
何かに見当をつけたのか、ちらちらと視線を動かした楠はそのまま建物の裏手のほうへと回る。
「……わぁ!」
華苗たちもそれにつられるように歩いていくと、そこにはオシャレなテラスが広がっていた。素敵なウッドセットもあるし、目の前にはきれいな小川が流れている。
鳥のさえずりと川のせせらぎ、そして優しい木漏れ日が降り注ぎ、なんだかとっても気持ちのいい場所だった。
「喫茶店っぽい、じゃなくて喫茶店なんだね~」
「お菓子の匂いでいっぱいだったし、冷蔵庫とかもあったしね」
こんな場所でパフェでも食べられたらさぞや楽しいことだろう。人もいないし、来る手間さえ惜しまなければ最高の時間を過ごせるに違いなかった。
「……」
「あれ、どこ行くんですか?」
しかし、楠はそんなテラスには目もくれず、その隅にあったなにやら神秘的な雰囲気を醸し出す大樹に近づいていく。
どうやら果樹のようではあるが、華苗には何の樹かさっぱり見当がつかない。楠はその木肌をぺしぺしと叩くと、満足そうにうなずいた。
「…よく育っている」
「先輩、それは?」
「…以前、夢一とじいさんに頼まれて植えた木だ。名前は知らん」
「園芸部でもわからないのってあるんですね」
「…あくまで園芸専門だからな。それに、ここに植えたってことはどうせこれも特別な種類なんだろう?」
「ああ、確かに特別って言っていたような……。これ、この辺では『ブラウニーフルーツ』って呼ばれているんだって」
「ブラウニーってお菓子のですか?」
「違うよ、ふみちゃん。お菓子じゃなくて童話に出てくる家妖精。これを植えておくと厄払いとか魔除けになるって伝説があるらしいんだ。守護の象徴って伝えられているらしい」
たしかに、その神秘的な様子を見ると魔除けになりそうな感じがする。そんな名前の果樹なんて聞いたことがないが、その効果だけは信じてもよさそうな気がした。
「…実がついてるな。…とってもいいのか?」
「あー、まぁ、いんじゃない? 見つけたら採っておけってじいさんも言ってたし。普通にそのまま食べられるらしいよ」
葉っぱの下にオレンジのようなピンクのような微妙な色合いの果実があった。洋ナシのような形をしていて、どことなく小人の帽子のような印象を受ける。皮はぶどうのような感じだが、大きさはびわよりちょっと大きいくらいだ。
楠はそれを優しくもぎ取る。とたんに甘酸っぱくてかぐわしい香りが辺り一面に漂い、七人の鼻腔をくすぐってうっとりとした気分にさせた。
楠はそのままためらいなく口に放り込んだ。
「どうです?」
「…食ったことのない味だ。桃のようなみかんのようなぶどうのような、いや、マンゴーのような気もする。食感もみずみずしくてぷるっとしていて、それでいて弾力があり歯ごたえがある。フルーティでジューシー……ものすごくうまい」
いやに饒舌に楠は語った。楠がここまで詳細に語るということは相当おいしかったのだろう。おこぼれにあずかろうと華苗も実がないか探したが、残念ながら見つからない。どうやらあまり実をつけない品種らしい。
「ちぇっ」
「…種もなくて食べやすい」
「でも、それじゃ増やせないじゃないですか」
「…そうだな。…夢一、継ぎ木用に一枝折ってもいいか?」
「えと、特別な樹だから折るのはダメだって。今度、じいさんに見つけたら確保するよう頼んでおくよ。あっちに持ってくのはダメかもしれないから、あまり期待はしないでくれよ?」
「…頼む」
話もそこそこに、華苗たちはキャンプ地へと戻る。ときおり獣の声に交じって誰かの絶叫が聞こえたりするところを見ると、なんだかんだでみんな楽しんでいるらしい。
もうすぐお昼の時間だし、そろそろ出て行った人間も戻ってくるころだろう。青梅たちはあの材料でいったい何を作るのだろうか。
がさがさと落ち葉を踏みつつ、テントの陰から焚火のほうへと進んでいく。ちょっと見ない間に広場は様変わりしていた。
「ちがう! そこは角結び! それじゃ床結びになってる!」
「なぁ、石窯ってこんなもん? ちょっと不恰好だけどいいよな」
「一度この生地触ってみたかったんだよなァ」
「木材足りない! 手が空いてるの取り行って!」
「誰だ湿った薪持ってきたの! なんかすっげぇ煙出てるぞ!」
「湿った薪は焚火の近くにおいて乾かすといいさね」
焚火がいくらか増え、簡単な石釜が作られている。トム・ソーヤを髣髴とさせる丸太をロープで縛って作られた机がいくつか並んでいる。
倒れていた倒木は一部を削り取り、そのまま台や椅子として使えるようにされていた。
だれかが湿った薪を焚火に突っ込んだのか、煙がもうもうと立ち込めている。ちょっと離れたところでは森下がうすべっかい生地をぐるんぐるんと振り回していた。
「おっとォ、慣れるまでが大変だなァ」
指一本で回転を与えつつ跳ねあげては受け、落ちてくる勢いを利用して両手で挟みつつ、同時に自然に遠心力を流し、回るように背中を通して、後ろ右方から左へとその生地を投げる。
落ちてきたのをうまく掌でキャッチし、ぐるんぐるんと円盤のように縦回転させて、流れるように左から右へと受け渡す。手首を使ってくるくると弄ぶと、再び横方向に回転させ、器用に両の手の指で突き上げつつ回転させていた。
「なにあれ……」
「ピザパフォーマンス。通称ピザ回し。超技術の中ではジャグリングに相当するな。どがつくほどマイナー競技で通常は専用のラバー素材を使うことが多い。最後の技はダブルチップスって呼ばれてる。
にしても、普通の生地であれだけやれるなんてさすが部長だよなぁ。初めての割にルーチンもしっかりしているしスイッチも綺麗だ」
田所が森下のやっていることを冷静に解説してくれた。華苗としてはそんなわけのわからないことを普通に説明できることのほうが驚きだし、そもそもそんなパフォーマンス専用の道具があることに驚愕の念を隠せない。
「あれなら大きな調理台がなくても十分に生地をこねることができるな。うん、実に合理的」
「いやいや、食べ物で遊んじゃダメでしょ……」
「遊ぶ? いや、確かにそう見えるかもしれないけど、部長は絶対にヘマはしない。やれないことは絶対に人前ではやらない。もし仮にあれをドブに落としたとしても、部長なら一欠片も残さず腹に入れる。実際、以前イーティングアップル中に不慮の事故で水たまりにリンゴを落としたけど、洗ってきちんと全部食べた」
「だ、大丈夫だったの?」
「いや、しばらく腹がいくらかゆるくなったらしい」
森下は一通りこねた後は素直に近くにおいてあった大皿の上に生地を戻し、新しい生地を回し始めた。そして、その間は一度も落としたり無駄にこねたりはしていない。
「今日の昼はピザだな。よし、おれもやってこようっと」
「僕も手伝いに行こうかな。さすがに人手が足りないだろうし、調理部でもあるからね」
「あたしも手伝いにいこうっと」
「じゃ、私も行く。お菓子部だけど他の人よりかは力になれるでしょ。華苗ちゃんはどうする?」
「私は……木とか水とか集めてこようかな?」
「あ、僕もそうする。一人で動くのはダメだし、これでも力仕事は結構できるからね」
「…俺も行こう」
ここでよっちゃんたちと別れて華苗、柊、楠の三人は再び森に繰り出すことになった。
まだまだキャンプは始まったばかり。お昼ご飯すら食べていない。園島西高校のキャンプはもはやキャンプのレベルを超えて、拠点づくりになろうとしていた。
20150510 文法、形式を含めた改稿。時系列的な矛盾の修正の為、佐藤の会話の一部を削除。
20160505 誤字修正。
今更だけど、キャンプって行ってなにするんだっけ?
バーベキューしたくらいしか覚えてない。




