39 園島西高校サバイバルキャンプ・2 ☆
※今回以降のお話に出てくるキャンプやサバイバルの知識は文献等できちんと調べた事実を載せていますが、まるまる全部を信用しないようにしてください。
もし本気で実践されるのであればきちんとちゃんとした本などで調べるようにしてください。
また、獣の対処法は同じ生物でも種によって異なる場合があります。
ここに出てくる対処法は現実に則しているとはいえあくまでフィクション(ファンタジー)の中での対処法です。
「……んぁ? 予定よりちょっと早くねえか?」
「ちょいと野暮用でねェ」
キャンプ開始一日目。
持てる荷物を持ってバスから降りた華苗たちは予定を変更し、先にトイレへと向かうことになった。男子ならばそこらで何とかなるかもしれないが、女子はそういうわけにもいかない。寝起きにトイレに行く習慣を持つ者は割と多かったようで、少なくない人数が先にトイレに行こうと提案したのだ。
大自然の真ん中だからか、あたりに満ちる空気は少し湿っていて、夏だというのにかなりひんやりした感じがする。楠が言っていた通り、空気は非常においしい。
森の木々はバスの中から見た時よりも高く、そして太い。華苗と清水、よっちゃんの三人がかりでないろ抱きしめることができないような木が何本もある。
ともすれば鬱蒼としているともいえる森だが、木々はそこまで密集して生えているわけではない。適度に木漏れ日があり、適度に暗く、まるであつらえたかのようにサバイバルキャンプに理想的な、大自然を全身で感じることができる森。そして人工物の気配は欠片も感じることは出来なかった。
獣道よりかはマシ、といった森の路──断じて道路ではない──を一行は進んでいく。案内人のおじいちゃんが先頭に立ち、そのすぐ後ろには敦美さん。教頭と荒根、そして竹井、樫野は自然に後方に下がり殿を預かった。どこぞのキャラバンのようにして隊列を組み、動物の鳴き声をBGMにしながら森を歩いていく。
少々進んだところで木々がまばらになる。その先に佇んでいたのは絵本の世界から飛び出してきたかのようなメルヘンチックな建物だった。
「おお……?」
「なんか急にファンシーなのが出てきたな……」
色とりどりのステンドガラスみたいな窓に、どこかほんわりとした外観。場所が場所なだけに、本当に絵本の中に入ってしまったかのような錯覚に陥ったのは一人二人ではない。
そして、その建物の前で大柄で厳ついスキンヘッドの男が伸びをしていたのだった。
「おし、そろったか。しっかし、ものの見事に真っ黒だな」
このスキンヘッドの男はおじいちゃんが雇った組合の人らしい。はちきれんばかりの筋肉を持ち、皮製品のいかにも、といった装備をしている。ずいぶん時代錯誤な格好をしているなと華苗は思ったが、きっとプロは見た目より実利をとるという考えなのだろう。お話に出てくる狩人と呼ばれる人間はたしかにこんなような恰好をしている。露出が少し多めだが、カチカチの筋肉はもはや装備と一体化していた。
華苗の三倍はありそうな大きな手は古傷がたくさんありゴツゴツしている。華苗はトイレ休憩をしなかったのでこっそり観察していたのだが、足や腕の太いところなんて華苗の胴回りくらいはあった。
どうやら外国人のようで、顔立ちは日本人のそれとは全く違う。まるでゲームや映画のパッケージに出てくるかのような外国人の顔立ちだ。隣にいた佐藤がシャリィと同じ国の人だとこっそり教えてくれた。
「こちらは組合の連中の一人だ。これから四日間、お世話になることもあるさね。まずは元気に挨拶なさい!」
「「よろしくおねがいしまーっす!」」
おじいちゃんが音頭を取り、その場の全員が大きな声であいさつした。やっぱりこういうのはどこの学校に行ってもあるものらしい。
これほど大きな返事が来るとは思わなかったのか、その男は一瞬体をびくりと振るわせると、驚いたようにおじいちゃんを見た。
「……えーとじいさん、オレ何すりゃいいんだ? なんかすっげぇやりづらいってか、これ……」
「いや、ちょっと代表として挨拶と注意をしてくれればいいさ。……セインあたりに頼もうと思っていたんだが、あいつはどこにいったのかね?」
「最後にちょっと見回りしてくるってよ。何人か連れて行っちまった」
どうやらこの大男はこういうことに慣れていないらしい。華苗たちが集まってしゃがむ、すなわち偉い人のお話を聞く体勢になってもしゃべることが見つからずにおじいちゃんにヘルプを求めていた。
「まぁ、なんだ。オレはじいさんから依頼を受けた一人でバルダスってもんだ。見ての通り荒くれ者みたいなもんだが、よろしく頼む。偉い挨拶とかはオレにゃ出来ないんでこれくらいで勘弁してくれ」
観念したらしい大男──バルダスが話し出す。慣れていないことがまるわかりのややぶっきらぼうな挨拶だが、高校生にとってはこれくらいが調度いい。つらつらとつまらない話をされるよりはるかに好感のもてる挨拶だった。
「依頼を受けたのはオレを含めて十人。一応みんな腕利きでこの森なら鼻歌を歌いながら歩けるな。基本的に適当に散開して見回りをすることになっている」
どうやら彼らはあくまで見回りをして危険を排除するというだけで、ずっと華苗たちの傍にいるわけではないらしい。
「たぶん大丈夫だとは思うが、熊や猪に会ったらでかい声を出せ。近くにいるやつが駆けつけるからそれまで死ぬ気で生き延びろ。どんな手段を使っても構わねえ。なんとかしてどうにかしろ。いいか、決して背中見せて逃げんじゃねえぞ。全力で睨みつけてこちらが上だと思い知らせてやれ。あいつらは格下相手にゃとことん強気に出る」
「死んだふりは有効ですかー?」
「……なんでそんなことを? そんなことしたらこれ幸いと喰われるだけだ。死んだふりするくらいなら死ぬ気で抵抗しろ。そのほうが助かる確率は上がる。どうせ死ぬならそっちのほうが心情的にいいだろ。いいか、女子供はできるならそこの──でっかいのとかと一緒に行動しとけ。とくにちみっこ、お前は絶対誰か大人と一緒に行動しろ」
「あたしもですか? この森あたしのお庭みたいなものですよ?」
「それでも、だ。油断してぼろぼろになったやつがいたろうが」
「そういえばそーでした!」
女子供、でバルダスは華苗とシャリィをちらっと見た。疑うまでもなく華苗を子供としてみているのだろう。バルダスは外国人だから、日本人の年齢がわかりずらかったのだと華苗は勝手に思うことにした。
ちなみにでっかいの、と言われたのは中林と空手部長の榊田だ。二人ともかなりの大柄で、体格はバルダスとだってやりあえそうなほどのものである。榊田に至っては体毛が濃い家系なのか、そのたくましい腕に濃く太い毛が生え、さながら熊のような見た目でもあった。
「質問あるけど、いい?」
「……お? どうした?」
と、ここで敦美さんが手を挙げた。ここで質問がくると思わなかったのか、バルダスは一瞬面食らったようだった。
「なんとかできるなら、どうにでもしていいの?」
「……じいさん?」
「無茶をしなければねェ」
おじいちゃんの言葉に敦美さんはにぃっと獣のように笑う。それを見てしまったものは見なかったことにした。ちなみに、笑ったのは一人だけではない。
「ああ、あとこの《スウィートドリームファクトリー》にアルが──ええと、気難しくて本を持ったやつが残ることになっている。なんかあったらそいつに報告してくれ」
オレからはもう言うことはない、とバルダスはそこで話を区切る。意外と早く終わってしまったが、それで困ることなどなにもない。教頭が少しだけバルダスになにか挨拶をし、おじいちゃんがここの場所を覚えておけ、と声をかけると、再び華苗たちは森の中へと進むことになった。
目的地はもちろん、キャンプ場である。
「さっきのおっさん、ありゃ……強ぇぞ」
「だなぁ。肉の付き方がまるで違う。実戦で鍛えなきゃああはならないだろうよ。しかも、ありゃあ柔道もかじっていると見た」
「体のバランス的には空手に近い我流って感じだったけどね」
後ろのほうで武道部の三人が話している。
キャンプ場に向かって歩くこと十分。おじいちゃんが言うにはもうすぐ先にあるらしいのだが、木々がどこまでも続いていて、とてもこの先にテントを張れる場所があるとは思えない。
先ほどから何度か華苗は視界の端に小動物を見つけているのだが、ぺちゃくちゃと喋る五十人近くの団体であるためか、彼らはすぐにどこかへと走り去ってしまっていた。
「本当に見たんだって! 木の根っこがウサギになって逃げたの!」
「いや、それ見間違いじゃね?」
「ん~、あたしもみたから間違いないよ。普通にぴょんぴょん跳ねてたし。そういう種類のウサギがいるんじゃない?」
「木の根に擬態するウサギなんて聞いたことないけどなぁ……」
清水とよっちゃんは奇妙なウサギを見つけたらしい。華苗も木の根っこみたいなウサギなんて聞いたことがないが、バスガイドの神野さんも運が良ければレアモノに出会えるといっていたので、自分が知らなかっただけだと思うことにした。世の中には知らないことのほうがはるかに多いのだから。
「楠先輩は見ました?」
「…いや、さっきからいろんなのがいるのはわかるんだが、視線を動かすと途端に逃げていく」
「ああ……」
たぶん、楠の発する重々しい雰囲気にあてられてしまったのだろう。もともと目つきが悪いものだから普通にしているだけでガンを飛ばしているようなものだし、そのなにも写していないかのような濁ったともとれる瞳は妙な迫力がある。華苗がウサギなら、楠には絶対に近づかない。
「ほいほい、着いたよ」
「……」
そんなこんなで歩くうちに目的地へとつく。先ほどまで森の中にいたのが嘘だったかのようにそこだけぽっかりと開けており、体育館ほどではないが、なかなかの広さがあった。日当たりもよくて、ここでお昼寝をしたらさぞや気持ちの良いことだろう。
すでに誰かが──おそらくカミヤの二人が──が荷物を持ってきてくれたのか、その広場の真ん中にどん、とバスから降ろしていなかった荷物が置かれている。
敦美さんが持ち込んだ大きなコンテナ、おそらく向こうが用意してくれたのであろうクーラーボックス、楠が持ち込んだシャベルや鍬。大きなテントセットや毛布、寝袋なんかも無造作に置かれている。
そして、それらを守るようにしてあやめさんとひぎりさんが地面を突きながら歩いていた。番犬ならぬ、番鶏とでも言うべきだろうか。
「……」
こちらに気づいたあやめさんとひぎりさんはこっこっこ、と鳴きながら近づき、華苗の靴を嘴で軽く小突いた。今の華苗ならわかるが、これは水をくれ、の合図だ。きっと彼女らも長時間の移動で疲れているのだろう。
「……あの」
だが、問題なのはそこではない。いや、あやめさんとひぎりさんがいるのは確かに問題なのだが、それ以上に問題なことがある。おそらく、この場にいるほとんどの人間がそう思っていることだろう。
「どうしたかね?」
たしかにこの広場はキャンプ地として十分なスペースを持っている。だが、それだけだった。
「ただの、荒地?」
「キャンプ場って、こんなんだったっけ……?」
「草がぼーぼー……」
「あの奥のでっけェの、倒木だよなァ」
それはキャンプ場というにはあまりにもワイルドすぎた。
歩くのには問題ないが、芝生というには長すぎる丈の草原。荷物を持ってきたときについたのであろう草の倒れた跡がずっと続いている。存在感を大きく示すように倒木が数本どん、と倒れており、ここが普通のキャンプ場でないことを黙したまま語っていた。
木の切り株がちょっと雰囲気が出ているが、でもまぁ、それだけ。むしろこの広場になぜ切り株があるのだろうか、普通はこういうものは取り除いておくものではないのかとほとんどの人は思うことだろう。
「……キャンプ、できるんですか。ここで」
どこかで獣が吠えている。それが一層、ここが文字通り大自然のど真ん中だということを感じさせた。
「十分だろう? これでも少しは手を入れたんだ。サバイバルキャンプなんだから、拠点づくりからやるのは当然さね」
おじいちゃんがにっこりと笑って言う。今更ながら、華苗はこれが普通のキャンプでないことを思い出した。
「手が空いてるの、草刈りやって。テントのスペースと焚火のスペースは最低限確保。あたし、水場の確認と薪を集めるから何人かついてきて」
「あ、僕もいくよ。川の場所は知っている」
「よろしく」
あっけにとられるみんなをよそに敦美さんはてきぱきと指示を出していく。カミヤさんが用意したのであろう大きな道具箱の中には、このことを予期していたかのように何本もの草刈り鎌が入っていて、腕に自信のあるものが各々それをとり、釈然としない顔をしながらも草を刈っていく。
十人がかりでやればそう遠くないうちに最低限のスペースは確保できるだろう。……嬉々とした表情で柳瀬が木刀を持ち出していたから、予想以上に早く終わるかもしれない。
「先輩、私たちはどうします?」
「…テントを張る準備でもするか?」
残った人たちはテントを張る準備をしようと集まった。普通のテントよりはるかに大きいから荷を解くだけでも結構大変だ。
正直なところ、華苗はこれより大きなテントを見たことがない。ホームセンターで売っているのよりも倍以上は大きく、見たことはないがサーカスの準備のときのテントのように思えた。おじいちゃんいわく、一張りに十八人は入れるらしい。
「男子二張り、女子二張りだ。すまないが先生方も私らといっしょだね」
「なに、かまわねえ……ってか、むしろおまえらはそれでいいのか? 先生の前ではできないぶっちゃけトークとかするんじゃねえの? 秋山、おまえ特にそういうのやりそうだよな」
「まぁ、するつもりですけどぉ……。先生が寝てからゆっくりやるから早めに寝てくださいっす!」
「よし、狸寝入りしてやる」
荒根はどうやら学生時代によくキャンプをしていたらしく、まとまっていたテントセットをあっという間にバラし、細かい準備を行ってくれた。規格品ではないテントのようだったが、どれも基本は同じらしい。棒を立てて幕を張ればだいたいどうにかなるそうだ。
「これ、自衛隊とかが災害時に使ってるテントと似ているな」
誰かが呟く。たしかに幕は数人がかりでないと広げられないし、支柱だって太く強そうなものが何本もある。華苗も小さいころに一度だけキャンプをしたことがあるが、明らかに普通のテントのそれとは異なっていた。
「あ? これどうなってる?」
「そのパーツはこっちじゃないっすか?」
「いくらなんでもでかすぎるだろう……」
「…俺たちが手伝えそうなことはないな」
数人で作業しているから華苗たちが割り込むスペースはない。下手に手伝ったら作業の邪魔になるだろう。そして今更ながら気づいたのだが、華苗の体格ではこの巨大なテントを張る手助けには到底なりえない。
「おーい、草刈り終わったぞー!」
ぼうっと作業を見ている間に草刈りが終わったようだ。いくらか手入れされていたのか、本当にちょっと均すだけで十分に実用に耐えるレベルになったとのこと。何人かは麦刈りで鍛えられていたため、単純に作業に慣れていたという理由もある。
「じゃ、僕たちは焚火の準備でもする? お昼ご飯の準備をするにしても、火がないとダメだし」
「…早かったな」
佐藤がシャリィと一緒にやってきた。その両手にはたくさんの薪。薪というかそこらにおちている枝だったが、燃料にはなりえるものだ。
まだ何人かは薪を拾っているらしいが、少なくともこのキャンプ中に燃料不足になることはまず考えられないほどたくさん落ちているらしい。
「ええと、敦美さんに言われたんだけど、組み方をきちんとしないとすぐ消えちゃうんだって。だからちょっと工夫しないといけないんだ」
広場の真ん中のほうに華苗、楠、佐藤が集まる。あまりテントに近い位置に火を起こすと危ないのでいくらか距離をとる必要があった。この薪を中心としてテントを張る予定だ。
「ええと、この薪をこういう風に……」
佐藤はそれぞれが支えあうように薪を組んでいく。こうやって組むと空気が全体にいきわたるのだそうだ。
佐藤からちょっと離れたところに華苗も見よう見まねで組んでいく。なんだか本格的に野営の準備をしているようでちょっと楽しい。
「これでよし、と。楠、マッチかライターもってる?」
「…俺が持ってるはずがないだろう? 道具箱の中じゃないか?」
あとは着火するだけだ。なんだか楠に目で促された気がしたので、華苗はささっと走って道具箱を覗き込む。
「おお……」
鎌、はさみ、軍手、ペンチ……なんだかよくわからないものでごちゃっとしている。この中に手を突っ込むとケガをしそうだったので、華苗は自分の軍手をつけて中を漁ることにした。
「……あれ?」
「どうした、華苗?」
「あ、ゆきちゃん。それが、マッチやライターが見当たらないんですよ」
通りがかったゆきちゃんにも道具箱の中を見てもらう。わけのわからない道具はいっぱいあるのだが、肝心のものが見つからなかったのだ。
そんなはずはないだろ、と言いながらゆきちゃんも中を漁ったが、それらしいものは結局見つからない。
「……これってものすごくまずいんじゃないでしょうか?」
「ま、まて。まだないと決まったわけじゃないんだ。……荒根先生、教頭先生! ライターを持っていませんか!?」
ゆきちゃんは大声でライターを持っていそうな大人に声をかけた。
「いや、私はタバコは吸わないのでね」
「俺もタバコは体に悪いんで……」
「あれぇ?」
テントを四苦八苦しながら張っていた二人が申し訳なさそうに答える。ゆきちゃんの声で事態を察した何人かがさっと青ざめた。
この環境で火が使えないのは非常にまずい。なにがまずいっておいしいご飯が食べられない。
「だ、だれかライターを持っているのはいないのか!?」
「いや、高校生が持っていたらダメでしょうよ」
とはいえ、おじいちゃんは必要最低限のものはすべて用意してあると言っていたのだ。肝心なものを入れ忘れたとは考えにくい。となると、マッチやライター以外の火おこしの道具がどこかにあるはずなのである。
「あ、それ……」
いつのまにか華苗の後ろに立っていた佐藤がげんなりした顔で道具箱の中にあるそれをとった。手に収まるくらいのサイズの木の板に刃がついたものだ。傍に置かれていた石片も一緒にとり、手の中で弄ぶ。
「佐藤先輩、それは……?」
「火打石。こないだ部活で使ったやつだね。……人工物は使うなってことなのかな」
疲れたように佐藤は息をついた。華苗とゆきちゃんはあんぐりと口を開けている。
まさかキャンプで火打石を使うことになるなんて誰が思ったことだろう。
「手で擦るよりかはマシだよ。あれやると手の皮がむけそうになるんだよね」
「いやいやいや……」
そういえば、佐藤は文化研究部だ。きっとおじいちゃんにこの手の道具を扱い方を覚えさせられたのだろう。
薪のところへ戻った華苗と佐藤はしゃがみこんで火おこしに入る。周りに火が燃え移らないようもう一度注意深く確認してから、佐藤は右手で木の板のほうを持ち、左手の石にその石の刃を叩きつけた。
ヂッ!
「おぉ」
「…意外とすごいな」
乾いた音と同時に線香花火よりもはるかに大きな火花が飛び散り、薪の表面をわずかに焦がす。煙がちょっとだけ出てきて、どことなくキャンプの匂いがした。
「これでなんとかなりますね!」
「……ごめん、無理かも」
「…なぜ?」
「火打石ってね、直接火をつけることは出来ないんだ。火口ってのと焚き付けってのを使って順々に火を大きくしていくんだよ。 で、それらが……」
「…ないってか」
火打石は火口に火花を散らし、火種とすることで火をつける道具である。この火種を焚き付けと呼ばれる枝などに移し、火を大きくしてから肝心の燃料に火をつけるのだ。火打石単体ではただ火花を散らすだけで、いつまでたっても火はつかないのである。
「…なにかで代用できないのか?」
「前やった時はなんか黒い綿みたいのに着けて焚き付けは使わなかったんだ。その黒いのも、たぶん専用のものだったんだと思う」
「あー、火口ならおが屑や枯草なんかでも代用できるぜ。最悪ティッシュほぐしたのでもなんとかなるし」
「焚き付けは細い枯れ枝で十分だ。そこらに落ちているだろう」
なかなか火をつけられないのを見かねたのか樫野と竹井がやってきた。どうやらテント張りの作業はある程度形になってきたらしい。ふと、華苗はこの二人も文化研究部とよく活動をしているということを思い出した。
二人は自分のポケットから別の火打石を取り出し、どこからか集めてきたのであろうおが屑を、くしゃくしゃにしたティッシュで軽く包む。そして、それを左手の指で挟むようにして火打石と一緒に持った。
そのままそれらを巻き込むようにして火打ち金を打ち付けると、カチッといい音がして火口となったおが屑に火が移る。大事そうに手で包んだ火口にふう、ふう、と息を吹いて火を大きくし、細い枝を弱弱しく燃える火に当てた。
「な、簡単だろ?」
「覚えたことは復習して理解を深めておいたほうがいい。いざってときに困るぞ」
「確かにそうだけど……そのいざってときが普通はないと思うんだ」
「…というか、二人ともついてないぞ」
「え?」
「…だから、火がついていない。消えてしまってる」
「……バカな!?」
ところが、焚き付けである枝に火が燃え移る前に火口の火は消えてしまった。もともと即席で作った火口であるために、燃えやすくはあっても持続性はなかったのだ。それに加えて──
「ちっ。この枝、妙に燃えづらいな」
「きちんと乾いているように見えるが……そういう品種なのか?」
どうも二人が使っている枝は焚き付けとしてはあまりふさわしくない種類の物らしい。プスプスと表面を焦がすところまではいき、煙もわずかばかり上がるのだが、どうやってもそれ以上はいかない。
「……おまえたち、まだ火の一つも熾せていないのかい」
「いや、できるって! まだちょっと調子でてないだけ!」
「俺は悪くない。この枝が悪い」
と、ここでどこかに行っていたおじいちゃんがやってきた。火熾しに苦戦している三人、佐藤、竹井、樫野を見て呆れた声を上げる。
「なんのために私がおまえたちに肥後守をやったと思うのかね。バカ正直に火をつけるんじゃなくて、焚き付けも表面を毛羽立たせるんだ」
「「あ」」
おじいちゃんは懐から折り畳み式のナイフ──肥後守を取り出すと、そこらへんに落ちていた枝の表面をがりがりと削り、ささくれのようなものをたくさん作る。二、三回ナイフをふるっただけだというのに、ほろほろと繊維がほつれ、見るからに燃えやすそうな形状になっていた。
「せっかくだ、華苗ちゃんもやってみるといいさね」
「わ、私ですか!?」
おじいちゃんに押し付けられた火打石は思ったよりも少しだけ軽かった。軍手をつけて火打石を握り、おじいちゃんに教えてもらいながら火口を火打石と指の間に挟み込む。ここまではなんとかなった。
「いいかい、力はそんなにいらないんだ。角度をつけて素早くね。自分の指を打たないよう、気を付けるんだよ」
「は、はい」
意を決して火打ち金を打ち鳴らす。実験でマッチを擦る時のように手首にスナップを効かせ、表面を削るように。
佐藤が最初にやったように、派手に火花が飛び散り──そして火口に火がついた。
「わ、わわっ!」
「慌てない慌てない。そのままふぅっと息を吹きかけて……」
言われるままに息を吹きかける。目の前でプスプスやってるものだからちょっと煙い。木屑の燃える何とも言えない匂いがする。そして、その匂いはどんどんと強くなり、赤い光がより鮮明になった。
「よし、次はこいつで……」
おじいちゃんは華苗の手から火口を受け取り、代わりに毛羽立たせた焚き付けを渡してきた。華苗はそれを受けとり、ほつれた糸のようになっているところをおじいちゃんの掌の上にある火にかざす。瞬きを二回するうちには完全にそれは燃え移り、蝋燭大の灯が華苗の手の先に宿っていた。
「ここまでやれば後は簡単さね。こいつを薪に着けてやればおしまいだ。ああ、焚き付けを増やしておくと一つダメになっても大丈夫だし、薪への火の回りも早くなる。覚えておくといいねェ」
おじいちゃんは手の上の火口を火種ごとぐしゃっと握りつぶして薪へと放った。今更ながら、素手だったのに熱くなかったのだろうか。
「…火、俺にもくれ」
「はいです」
楠も佐藤から借りた肥後守で焚き付けを作ったらしく、細い枝を差し出してきた。華苗は自分のそれが消えないうちに楠のそれを灯し、自分の目の前に組まれている薪に火を当てる。
いつのまにかおじいちゃんが薪表面も毛羽立たせていたようで、割とあっさりと火は燃え移り、ゆっくりと燃え広がっていった。
「おぉぉ……!」
「まさか後輩に先に点けられるとは……」
「俺たちもさっさと点けるとしよう」
「あ、僕もう点いたよ」
「なんだと!?」
「…いつの間に?」
華苗の薪の少し離れたところで佐藤が組んだ薪が轟々と燃えている。火の勢いは華苗のよりもはるかに強い。さっきまで佐藤は焚き付けすら作れていなかったが、いつの間に点けたのだろうか。
「佐藤、おまえマッチかなんか持ってたのか?」
「やだなぁ。ちゃんと実力で点けたよ?」
「……ま、たしかに実力ではあるさね。ズルではないねェ」
赤々と燃える四つの焚火。これだけあればひとまず困ることはないだろう。お昼までまだまだ時間はあるし、テントもあと一個張ればおしまいだ。
最初はこんなところでキャンプなんてできないと思っていたが、いざ行動してみれば驚くほどの短時間でここまで準備が整っている。水場を確認しに行ったらしいよっちゃんたちも帰ってきていて、水がいっぱい汲まれた木桶が荷物の横に置かれていた。
「きれいなお水……!」
「すごかったよ~! もうね、すっごいきれいで魚とか泳いでるのが簡単にわかるんだから! たぶん、直に飲んでも大丈夫なタイプだよ!」
「たしかにここらの水を飲んで腹を壊したって話は聞かないねェ。ただ、私らの腹に合わない可能性もないわけではないからね。……この水はどこで採ったのかね?」
「えと、敦美さんに言われてちょっと上流のほうから」
「よしよし、さすがだね。じゃ、あとはこいつを軽く処理すれば飲み水にすることができるよ」
「処理?」
華苗の目にはゴミなどまるでないように見えるが、このままでは飲み水としてはあまりふさわしくないらしい。おじいちゃんの話によると現地民なら問題ないそうだが、現代っ子である華苗たちの場合、万が一を考えると処理を施したほうがいいそうだ。
「でも、汚れなんてありませんよ?」
「見た目にはなくても微生物や寄生虫なんかがいる場合があるからね。それに下流のほうだと禽獣の糞尿が混じっていることもある。理想を言うならば、直接川の水をとるよりも、清水や湧水をとったほうがいい。……採ってきたのはこれだけかね? たぶん、あと一つ──」
「ひぃっ!?」
華苗の後ろに大きな影がぬぅっと立つ。どん、と大きな衝撃。
ぎぎぎ、と音が出そうなほどにゆっくり首を回してみると、視界の端に毛むくじゃらのたくましい何かが映る。そう、まるで熊のような──
「おう、なんかしらんがでっかい石、もってきたぞ!!」
「まさかここで籠を背負うことになるとは思わんかったなぁ」
でっかい籠をどすんと地面に下した中林と榊田だった。華苗から見れば、いや華苗じゃなくてもこの二人はでかすぎて熊のように見える。
二人はポケットに乱暴に突っ込まれていたペットボトルを取り出し、一息で一気にお茶をあおってふぅ、と一息ついた。
「なんか敦美さんからもってけって言われんだけどよぅ」
「石なんぞなんに使うんだ?」
籠の中には大小さまざまな大きさの石。河原で拾ったのだろうか、表面が割とつるつるしている。
一番小さなものでもかぼちゃと同じくらい。大きなものはスイカと同じくらい。
それをゴミバケツほどの大きさの籠にいっぱい。いったい何キロあったのだろうか。
「簡易式のかまどを作るのさ。火を熾しただけじゃ湯は沸かせないだろう?」
「…それもそうだ。…じいさん、いつの間に敦美さんと話をつけたんだ?」
「いや? あの子はこういうのには気が回るからねェ。たぶん、水を汲みに行った段階でそこまで考えていたんだろうよ。それはそうと、その敦美ちゃんはどこへいったのかね?」
「おぅ、なんかちょっと探検してくるって言って行っちまった」
「一人で?」
「ああ、一人で。……まずかったか? 大爺の許可は貰ってるって言ってたんだが」
「いや、確かに許可は与えたから問題はないさ。あの子なら一人でも大丈夫だしねェ。……話をつけといて正解だったね」
「?」
「なに、こっちの話さ」
話しながらも華苗たちは協力して簡易式のかまどを作り上げていく。コの字型になるように石で火を囲み、備品にあった鉄棒を上にかければおしまいだ。うまく石を積んで上面がなるべく平らになるようにするのがいいらしい。棒をかけるところに少しくぼみを作ることができればなおいいようだ。
「華苗ちゃん、意外と力持ちだよね」
「そりゃ、部活はほぼ力仕事だしね」
華苗とよっちゃん、清水で石を積んでいく。火が怖かったからちょっとスペースが大きめになってしまったけれど、それがいい感じに空気を送り込める構造になったらしい。心持ち、先ほどまでよりも火が明るく輝いているように見えた。
「おっ、なんだか本格的になってきたね! 神家君、もうお昼ご飯の準備をするのかい?」
「ああ、もう少ししたらしようかと思っています。まずは水の確保をしようと思いましてねェ」
額の汗をぬぐいながら教頭がやってきた。どうやらテント張りのほうは一段落ついたらしい。年のせいかかなり息の上がってしまった教頭は少し休憩をとることにしたようだ。
なお、荒根は川を見に何人かと森に入ったそうである。帰りに薪拾いもしてくるとのこと。
「ああ、あれかね。沸騰させて浄化するってやつかね」
「よくわかりましたねェ」
「いや、こないだもらった『限界状態における飲料水確保の方法とその重要性』に書かれていたんだよ。たしか、地球上で歩いていける範囲なら十分も沸騰させれば十分だったはずだ。十分だけに」
「はは……」
教頭の寒いギャグは確かにその場を凍らせた。
水は化学汚染がされていない限り、沸騰させることで中にいる微生物や寄生虫を殺して浄化することができる。沸騰させる時間は標高によっても変わるが、通常人がいける範囲ならば、念を入れても十分ほど沸騰させれば十分に飲用に耐え得るとされている。標高が低い場所だったらもっと少ない時間でも大丈夫なのだが、万が一があるため長めにやっておくに越したことはないだろう。
なお、これで浄化できるのはあくまで中の微生物等だけなので、濁りきった泥水やごみの混じった水はまた別の浄化法を施して綺麗にしなければならない。
ちなみに最近では浄化剤やフィルターポンプといった道具を用いることもあるらしい。
「で、別の容器に移し替えて火にかければおっけぃ、と」
「まさか水道もないとは思わなかったよね。支給されるお茶だけじゃ絶対足りないもん」
「ま、だからこそ早めにたくさん飲み水は作っておくさね。ペットボトルかなんかに入れて川で冷やせばおいしく飲める。いざ飲むときにぬるまっこいのは嫌だろう?」
「…たしかに。だが、川まで持ち運びをしなきゃならない。…リヤカーも持ってくるべきだったな」
「いや、この森じゃ流石に無理でしょう」
火、水、テント。
なにもなかったところでも、とりあえず最低限生きていけるだけの準備は整った。
あれだけ大きなテントなら、ゆったりと快適に眠ることができるだろう。
これだけの水があれば、のどが渇いて死にそうになることもないだろう。
そして華苗自身が熾したこの火があれば、獣に襲われることもなければ寒さで凍えることもないだろう。……夏だから凍えることはありえないのだが。
あとは、キャンプらしくバーベキューかなんかができれば──
「ええええええ──っ!?」
「みんな聞いて! 緊急事態! すっごくすっごく緊急事態!!」
用意されていた備品の整理をし、たくさんあるクーラーボックスを開けた青梅と双葉がそろって悲鳴を上げていた。何事かとその広場にいた全員が二人を見る。
青梅と双葉は、顔を真っ青にして、出せる限りの大声で言った。
「このクーラーボックス、まともな食糧がない!」
「あるの、お米と小麦粉と調味料だけ!」
20160505 文法、形式を含めた改稿。
キャンプのにおいは結構好き。あの独特の感じがたまらない。小学生のころに何度かいったっけなぁ……。
あと、老人の火に対する耐性は異常。触れてもへっちゃらだし、普通に素手でろうそくの火とか消してるんだもん。




