31 教頭先生とほうき草 ☆
「あっちぃ」
強くギラギラと輝く太陽の日差しを受けながら華苗は呟く。
目が痛くなるくらい青い空。雲はどこにもない。
視線の先が熱で揺らめき、それがまた暑さを掻きたてる。放課後のこの時間は一日でもっとも暑い時間らしい。
麦わら帽子を目深にかぶりなおした華苗は汗ふきタオルで頬を拭い、畑へと向かう。グラウンドではサッカー部や野球部が遠目でもわかるほどにそのユニフォームを汗でぐっしょりと濡らし、辟易した顔で準備運動をしていた。
運動部でなくてよかったな、と一瞬考えた華苗だったが、園芸部も運動量そのものは普通の文化部の比にはならない。どっちが楽だとかは一概には言えないものだ。
とはいえ、日差しを直接受けるものの風を感じられるだけマシだろう。体育館や武道場で活動するバスケ部や柔道部なんかは日光の影響こそ少ないものの、風通しが極端に悪く蒸れると聞く。バドミントン部にいたっては風の影響を出さないために窓を閉め切るため、特にひどいらしい。
大きな声でクラスメイトが愚痴っていたので、華苗のみならずクラス全員がそれを知っている。
もう一度頬を拭い、華苗は足を速めた。
おそらく、今日もなにかしら新しいのを栽培するだろう。テストも終わり、あとは夏休みを待つだけなのだ。慣れた今は多少の無茶は効くし、夏は野菜がよく取れるシーズンでもある。
昨日食べた真っ赤に熟れたトマトなんて、春に食べたトマトよりも何倍もおいしかった。多めに持って帰ろうとすでに華苗は決めてある。
でもまぁ、とりあえずはあやめさんとひぎりさんの飲み水を替えなくては。
そう思って華苗はさらに足を速めた。
あやめさんとひぎりさんはよく飲むしよく食べる。夏場は暑いからさらによく水を飲む。鶏だって喉は乾くのだ。毎朝楠が飲み水をたっぷりと用意するとはいえ、飲むのなら温いのよりも冷たいやつのほうが良いに決まっている。
「わーぉ」
畑へと続く最後の曲がり角。華苗の目に飛び込んできたのは、青い空なんかよりもさらに緑の、それはもう立派なもふもふした雲だった。
「…来たな」
「おお、来たのかね!」
見るからにふかふかの緑の植物。とても大きい。具体的には華苗の胸くらいだろうか、高さも横幅もあってどこか頼りがいのある印象を受けた。その丸みを帯びた形状は、よく見ると葉っぱのような物の集合体だということが分かる。
なんとなくだが、ぽんぽんに膨らんだ狸のお腹のように華苗には思えた。これほどの大きさなら、華苗が思いっきり飛びついても何の問題もないだろう。
さて、その緑のもふもふの前には男が二人。
麦わら帽子、オーバーオール、長靴の日焼けしたガタイのいい男。白髪交じりだがふさふさの、背は高めだがちょっとお腹の出ているおじさん。
楠と、教頭先生だ。
「こんにちは、教頭先生」
「やぁ、こんにちは。八島さんもずいぶんと麦わら帽が似合うようになったね!」
朗らかに教頭は笑った。似合うも何も、教頭に麦わら帽をかぶったところを見せたことは部長会くらいでしかないだろうと華苗は思う。
しかし、教頭は生徒をよく観察するものだと勝手に納得してその場は曖昧に笑ってやり過ごす。華苗の対人スキルもそれなりには成長しているのである。
偉い人とはどう接していいかわからないし、小学校の時も中学校の時も教頭と話す機会なんてほとんどなかった華苗にとっては、それが最善の行動だったのだ。
「…今日は教頭先生の依頼でな。学校の花壇があるだろう?」
「あれにこれを植えたくてね! 業者から買うのも考えたんだが、ここはひとつ我が校自慢の園芸部に頼むことにしたんだ!」
「ああ、なるほど」
教頭は麦の時と同じ、汚れてもいい恰好をしている。ちょっと予想外だったが、今日は教頭とやるというわけだ。
華苗は楠達の後ろにあるその緑色をもう一度眺めまわす。街路樹や市役所の花壇なんかにもよく見かけるまるくてふわふわなやつ。
名前はたしか、ええと──
「…コキア。通称ほうき草だ」
(写真は育成中であり、植えたばかりでかなり小さめ)
(ある程度成長したもの)
(大きく育ったもの。これの3~4倍は大きいものもしばしば見受けられる)
「いやぁ、頼んで正解だったね! こんなにもまぁ大きくて立派なやつ、早々お目にかかれないよ!」
うきうきとした様子で教頭はほうき草を撫でた。ふわっとそれは揺れ、軽く振動した後とまる。
改めてみると本当に大きい。これほどまでの大きさのものは華苗も初めて見る。幼稚園生くらいだったら抱きついてなおお釣りがくる大きさだ。たくさん束ねて並べたら、天然のベッドになりそうである。
「じゃ、今日は植え替えってことですか?」
「…そうだな。掘って、リヤカーに乗せて花壇に。…いくつ必要ですか?」
「とりあえず二つほどかね?」
「…遠慮せずとも、もっと大丈夫ですが」
「そうしたいのは山々なんだがね、思いのほか大きかったんだ」
少し残念そうに眉を曲げた教頭はさて、と大きく腕まくりをする。年齢の割には逞しい腕がにゅっと飛び出し、その筋肉が使われるのをいまかいまかと待たんばかりに震えていた。
「では、楽しい部活を始めよう!」
その言葉を皮きりに楠は動きだす。愛用の大きなスコップを振り上げ、回りから丁寧に掘り進めた。
選ばれたのは一際大きいほうき草。悔しいことに華苗の目線ほどの高さがある。当然、横幅もそれに見合ったものがあるので掘るべき穴もそれに準じたものとなる。
華苗と教頭はリヤカーの準備だ。ついでにバケツに水を汲んでじょうろの準備もする。
「…他のに水をやっといてくれ。多めにな」
「はぁい」
ほうき草には十分な日光と十分な水分が必要だ。日光がちゃんと当たらないと貧弱でなよなよとしたものになってしまうし、水が足りていないと萎びてすぐにダメになってしまう。
それでいて比較的乾燥した土を好み、矛盾するようだが過剰の水分は嫌う。大体の植物と同じように地面に直に植えた場合は水やりは少なめでもいいのだが、暑い日が続いた場合は朝夕二回きちんと水をやることが望ましい。
簡単にいえば、こまめにたくさんの水をやれということだ。
もっとも、最近はそんな心配をしなくてもいいくらいには暑いし雨も降らないので、よほどのゲリラ豪雨が来た場合でもない限り、普通に水やりをしていても
問題ない場合がほとんどだ。むしろ水不足でダメになってしまう心配をしたほうがいい。
「水やりはこんなものかね?」
「ですね。ところで、花壇に植えたら誰が水やりするんですか?」
「もちろん私がやるよ。ちょっと土いじりに興味があってね」
水やりを終えても楠は穴を掘り終えていなかった。
ほうき草は根を傷つけるとたちまちダメになり、枯れてしまう。そのためここまで大きくなってからの植え替えと言うのは本来ならば行われない。植え替えをするのであればまだ幼いうちにというの一般的であり、今回楠は教頭のお願いを聞くためにそれなりの無茶をしている。まごころさえあれば、大抵の事はどうにかなるからだ。
「…ふう」
「随分と広く掘りましたね」
「…根を傷つけられん。この大きさだと広さも深さもそれなりにある」
楠の努力の甲斐もあり、見事根を傷つけずほうき草を掘りだすことに成功する。華苗と教頭は二人掛かりでその穴を埋めた。思っていた以上に大きな穴でそこそこの時間がかかってしまったが、やはり男手が増えると作業そのものは楽になる。今でこそスコップを振りまわせるようになった華苗だが、数というものはそれだけで即戦力になるのだ。
「しかし、思ったよりも手間になるのだね。植え替えはもっと簡単なものだと思っていたよ」
「…こいつは本来植え替えできませんからね」
どうやら楠は植え替えが出来ないことを教頭に話していなかったらしい。無茶を言って済まなかった、と教頭は慌てて謝るが、この程度の事、この園芸部では無茶のうちには入らない。だいたい、本当にダメなら頼まれたときに断っているはずなのだ。
「…さて、行きましょう」
一度に二つも乗せられないほどにほうき草は大きかったので、とりあえず今掘り出した一つをリヤカーに乗せて畑を出る。楠が前から普通にリヤカーを引っ張り、教頭が後ろから押していた。
やってみるとわかるが、こうして動かす場合、後ろの人はかなり楽をできる。自分の体重を前にかければいいだけだし、よっかかりながら歩くことができる。前の人もその恩恵を受けられるので、やらない手はない。
もちろん、華苗は手ぶらでその隣を歩くだけだ。これは後輩の、女の子の特権だ。
花壇に着き、楠は先ほどと同じように大きな穴を掘る。今はこの花壇に何も植えられていなかったので、こちらは早く終わった。掘るだけだったら意外と楽なものなのだ。
「植えます?」
「…だな」
「肥料とか混ぜたりはしないのかね?」
「…大丈夫です、まごころをこめれば」
楠と教頭の二人掛かりで慎重にほうき草をリヤカーから下ろし、掘った大きな穴にそっと置く。そして上から優しく土をかぶせればおしまいだ。
根っこはちょっとデリケートなため、最後の仕上げはスコップではなくシャベルでぺしんぺしんと華苗がやった。その後ぞうさんじょうろでたっぷりの水をやることも忘れない。
「根着きますかね?」
「根着くだろう?」
「…そうでないと困ります」
さて、それが終わったら二本目だ。先程と同様に楠が慎重に掘り出し、華苗はその間応援に回る。
手持無沙汰ではあったし、可愛い後輩に見守られて悪い気はしないだろうと思ったのだ。暑くて動くのが面倒くさかったというのが大半を占めるが。
順調に作業は進み、やがて二本目も花壇に運ばれる。楠は一本目と大きく距離を取ったところに穴を掘り始めた。
「楠君。もうちょっと詰めてもらえないか? こう、うまい具合にどん、と二つで構える感じで」
「…この大きさですし、これ以上近づけると生育が阻害されます」
「なんと。この距離でもか」
ほうき草は最初こそ小さいものの、育てていくうちにそれはもう大きくなる。そのため最初に植える際にはそれぞれに十分なスペースを開けておかなくてはならない。
あまり密集させすぎると栄養が十分にいきわたらなくなるのはもちろん、ほうき草のそのふわふわの部分で風通しが悪くなって蒸れてしまい、病気にかかりやすくなってしまうのだ。
また、ほうき草は一年草、つまりそのシーズンが終わった一年で枯れてしまう種類なのだが、枯れる前に大量の種を撒き散らしていく。
そのため枯れてなくなったと思っていたら次の春にほうき草の小さいのがにょきにょき生えていた……なんてことがざらにある。そう言った意味でも、多めにスペースを空けておくのは悪いことではない。
「…これでよし。一応支柱も付けておくぞ」
「りょーかいです」
また、その大きさの割には根が弱いので、十分に育ったのならば支柱を立てておくと風や雨で倒れてしまうことが少なくなる。
倒れてしまうとなかなか立ち上がらないし、何より見た目も悪くなる。風や雨に気をつけても、野良猫なんかにあらされることもあるので注意が必要だ。
どうも、日向ぼっこのクッションにするのにほうき草は最適らしい。倒れているのを見るとそのなかで猫が昼寝をしていた……なんてことを見かけるのも少なくはない。
華苗は楠から渡された支柱を根っこを傷つけないよう慎重に立て、少し緩めに紐で結んで固定する。がちがちにやってしまうのはよくないらしく、固定と言ってもゆとりをもたせるものらしい。この作業もずいぶん手慣れたものだ。
「そういえば、これって赤くなるんでしたっけ」
「うむ。赤くなるのは秋だが、それはもう見事なものだよ」
教頭は嬉しそうに笑った。
ほうき草は秋に真っ赤に染まる。赤のような、紫のような、ものによって微妙に色合いは違うが、まさに燃えているかのようなそれは見るものにある種の感動を覚えさせる。
大きなものが真っ赤になていると本当に火が、命が燃えているのではないかという錯覚すら覚えてしまう。教頭はそれを楽しみにしているのだ。
「そんなに赤くなるんですか?」
「…ああ。ゆっくりゆっくり赤くなり、まさに紅の炎のようになる。以前育てたときは……」
「…こんなかんじだったな」
「何か今痛烈なイメージが流れ込んできたんですけど……」
「…まごころのおかげだ」
まごころのおかげならば仕方がない。だってまごころなのだから。
教頭はうんうんとうなずきながら、穏やかに笑う。たしかに赤いほうき草は鮮やかで綺麗なものだが、今の青いほうき草だって生命力あふれる力強さを放っているのだ。
「もちろん、夏のこの力強い緑も好きだけどね。違う美しさを楽しめるって素晴らしいことだろう?」
「観賞用ってやつですね。食べられないのを育てたのは久しぶりです」
「…いや、食えるぞ?」
「うそぉ」
秋の紅葉の後に採れるほうき草の種は加熱処理を経てとんぶりと呼ばれる食品になる。畑のキャビアとも呼ばれ、生薬の一つにもあげられるものだ。
黒っぽいような緑っぽいような極々小さな粒粒であり、その食べた感じもプチプチしていてキャビアとそっくりらしい。ところによっては枝を茹でで食べることもあるそうだ。
「これも、食べるんですか?」
「…興味はあるが、今は食わん」
「どのみち枯れてからになってしまうからね。……そうそう、名前通り枯れたほうき草は箒にもなるんだよ。枯れたほうき草もなかなか貫録があって美しいから、ちょっともったいない気もするけどね」
「…たしか以前も……」
(枯れた直後のほうき草)
(さらに数日後の完全に枯れきったほうき草)
「あっ……なんか輝くほうき草のイメージが流れてきた……」
「…まごころのおかげだ」
もふもふで大きな茎はその名の通り箒になる。枯れて乾燥したのを束ねて長い棒に括り付けるだけだ。江戸時代のころにはすでにそうして利用されていたらしい。
見て、食べて、使える。ほうき草には意外といろんな使い道があるのだ。
「…ある程度定着して安定したらですが、適当に刈りこんで好きな形に仕上げられます。そうでなくとも、見た目を維持したいのであれば定期的に整えてあげてください」
「おお、わかったよ。どれくらいまでなら切っても大丈夫かね?」
「…結構元気はあるので、やりすぎなければ。常識の範囲内で」
全ての作業が終わり、畑へと戻る際に楠はぽつりと漏らした。ほうき草はかなり元気があるため、放っておくとどんどん大きくなって形もちょっと崩れがちになってしまう。故に、綺麗な丸に留めておきたいのであれば定期的に手入れをしてやる必要がある。
もっとも、必ずしもする必要はないし、しなくても十分にきれいなため、本当に気になる人だけがやればいい。ちょっとやそっと切ったくらいではビクともしないのでそこらへんも安心だ。
「いやしかし、助かったよ。またわからないところがあったら聞いてもいいかね?」
「…もちろん。いつでもどうぞ」
それだけ言って、華苗と楠は教頭と別れた。教頭はこの後も仕事が残っているらしい。いつもの流れ的に最後まで一緒にやると思っていたから少し拍子抜けだ。
というか、今回は野菜でも果物でもなく、作業も植え替えだけしかしていないから華苗にとってはどこか不完全燃焼的な感じがする。
もともとほうき草は水やりと植えるときのスペースさえ気をつければ、あとは何も考えなくてもいいような初心者向けの植物なので、特にそう感じるのだろう。
「先輩、このほうき草、まごころでもっと大きくなりませんかね?」
「…できなくはないが、でかくしてどうするつもりだ?」
畑に戻り、自分の身の丈ほどある大きな力強いほうき草に軽く体を預けながら華苗は楠に問う。
いくら華苗が小柄だからと言っても、このほうき草はあまりにも大きい。たぶん、花壇に植え替えをしている間に大きくなっている。
「いや、クッションにするのにいいかなって。天然極上ものですよ、これ」
「…おまえなら大丈夫かもしれんが、俺の体重は支えきれずにつぶれるな」
「まごころでいっぱい増やしていっぱい集めればなんとかなるんじゃ?」
「…そんなに増やしたら邪魔なだけだ」
それより今日の作業に入るぞ、と楠はぶっきらぼうに言う。華苗はその逞しい後ろ姿にべっと舌を出した。
これだから、ロマンのわからない男はダメだ。青梅も双葉も、これのどこに魅力を感じたのやら。
「…桃も、さくらんぼも、あと枝豆も足りなくなっている。トマトの需要も高いし被服部からはラベンダーの追加も頼まれている」
「ラベンダーもですか?」
「…かなり好評のようでな」
楠は麦わら帽のずれを直し、土に汚れた軍手のまま汗ふきタオルで頬を拭った。華苗もなんとなく帽子を取ってそれで顔を仰ぐ。
いくら麦わら帽といえど、蒸れるものは群れるのだ。帽子をとった時の解放感はなんともいえず気持ちのいいものだ。
「はふぅ」
汗でべたつく髪が少しはさっぱりした気がして、気分がよくなる。首とうなじ辺りを汗ふきタオルでしっかりとぬぐい、もう一度麦わら帽子をかぶりなおした。
「じゃ、ちゃっちゃと収穫しちゃいましょう」
「…そうだな。終わったらじいさんとこか調理室行ってなにかたかるか」
「いいですね、それ!」
大きい男と小さい女。二つの麦わら帽子が揺らめく畑に向かう。大きな大きなほうき草がその二人を見守るかのように佇んでいた。
20140317 誤字訂正
20150405 挿絵(写真)を追加挿入。それに伴い文章を一部変更。
20160409 文法、形式を含めた改稿。
あれって放っておくとものすごく大きくなるよね。
玄関前に植えたやつ、みるみる大きくなって出入りの邪魔になった。
女の人なら全力でぎゅっと抱きしめても問題なくらい大きくなっちゃったの。
 




