27 おいしい勉強会
「あ、華苗じゃん!」
「ホントだ! こっちこっち!」
一般的な学校と比べるとなかなかに大きい調理室。園島西高校でここを拠点としている部活は調理部とお菓子部だ。部員総数は二つ合わせてだいたい五十人くらい。佐藤を除き全員女子生徒。いちおうそれぞれ違う部活ではあるものの、作るメインとなるものが違うだけで実質的には同じような部活である。
そんな調理室の入口に華苗が立った途端、勘のいいよっちゃんが華苗を見つけ、清水もそれに気付く。
二人は部活動着であるエプロンと三角巾を着用している。なにかを作っていたところらしい。最後の一枚であろう皿を洗い、水を切って棚に戻している。
「華苗ちゃん来たの?」
「ん、来たっぽいけど、楠達はまだみたい?」
そこからちょっと離れたところで青梅と双葉が勉強道具を開いている。
甘い香りと、おいしそうな香り。この二人はすでに片付けも終わらせていたらしい。三角巾だけとって、準備はばっちりのようだった。
「よっちゃん、史香ちゃん! ……なんか、いつもより多くない?」
「ここ最近ずっとそうなの。勉強会するから」
「まさか、部活で勉強会するなんて思ってもいなかったけどね~」
華苗がここに来たのはブルーベリーのお菓子を食べるため……じゃなく、試験勉強をするためだ。
後に華苗は知ることになるが、園島西高校では部活動中に部活仲間で試験勉強をすることが割と一般的であり、中でも料理やお菓子をつまみながら勉強できるお菓子部と調理部は、必然的にその規模も大きくなりやすいらしい。
思い思いに気の知れた友人を招待して、みんなでなかよく勉強をするのだ。同級生同士でわからないところを教え合い、先輩が後輩にあの先生はこういうのをよく出すぞ、と情報を提供するのである。
さて、そんなわけで勉強会とお茶会を兼ねたようなこのイベント、誰もが勉強のためだけに訪れるわけではない。ちょっと息抜きに、とやってくるものもいれば、ただ単純においしい食べ物のおこばれを狙ってくる輩もいる。
……具体的には、試験の準備でぐったりしているゆきちゃんだ。髪が乱れているのに気付いているのかいないのか、ぐてっと机に突っ伏している。うらわかき乙女にあるまじき醜態だ。
「お久しぶりです、華苗おねーちゃんに史香おねーちゃんによっちゃんおねーちゃん!」
「シャリィちゃん!?」
「やぁ、華苗ちゃん。……ごめんね、大人しくさせとくから」
そんな中、華苗に声をかけてきたのはシャリィちゃんだった。その隣でにこにこと笑顔を崩さずに佐藤が教科書を開いている。
なんでも、帰りが遅くなるかもしれないからそれならばいっそのこと、とこっちに連れてきたらしい。ルールさえ破らなければなにをしてもいいこの園島西高校だからこそできることである。
よく見れば、妹を連れてきているのは他にも何人かいた。彼女らは適当にお菓子を食べさせた後に中庭で遊ばせておくらしい。
「お勉強会と聞きまして。僭越ながらあたしが給仕の真似事でもと」
「そっか、麦の時もそんなかんじだったもんね」
「シャリィちゃんえらいね~」
実際、シャリィちゃんにはメイド服が似合うのではないかと密かに華苗は睨んでいる。佐藤がいつものエプロンでピシッと決めれば二人で喫茶店でも開けるんじゃないだろうか。佐藤はお菓子も料理も上手だし、案外いけそうな気がする。
「…おまたせしました」
「ブルーベリーと資料をもってきた。……なんか多いな、今日は」
「ありゃま、こいつは捌き切れるかねェ?」
がらり、と扉が開いて三人の男子生徒が入ってくる。女の子の喧騒の中に突然響いた男の声に、一瞬場が静まった。それに気づいているのかいないのか、楠は堂々と調理室の中を突っ切ってくる。
「全員そろったみたいだね、それじゃ、はじめよっか?」
「みんな、赤点は許さないかんね!」
青梅と双葉が声をかける。それを合図に、勉強会は始まった。
「一年、二年、三年。それぞれの教科ごとに基本および応用解説、それと担当教師ごとにまとめた予想問題とその解説がある。そんなに刷っていないからノートに写してまわしてくれ」
「はいな、私は基本を教えるからどうしてもわからないのはこっちにくるさね」
さて、どこの高校でもそうだとは思うのだが、同じ試験をパスしているはずなのに、学力の差というものは必ず生まれ、試験に苦しむものとそうでないものが出る。
そうでないものの中には他人の勉強の面倒を見る余裕を持つ猛者も存在し、苦しむ者にとってはまさに神様のような存在だ。
「八島、皆川、清水……一年か。ならこいつだ」
「あ、ありがとうございます」
パソコン部長の穂積はそんな中でもさらに余裕を持った存在だった。彼は友人たちから各教科の先生のノートを分けてもらい、ここしばらくの過去問から全ての学年、教科の対策プリントを作っているのだ。
だいたいそれは五月の終わりから始め、一週間ほどで完成させる。おそろしいまでの処理能力と作業スピードだが、これは彼がパソコン部長であるということも少しは関係しているのだろう。
「穂積くんのプリント、すっごくわかりやすいよね」
「だよね。もう何度救ってもらったことか」
その目的は自分の計画のために他ならない。この程度の事なら簡単にこなせる自信もあったし、協力者になるであろう人達のために動くのは当然のことと考えたからだ。もちろん、自分の勉強のついでという部分もいくらかは含まれるのだが。
華苗もよっちゃんたちといっしょに貰ったプリントを覗き込んで見る。手作りだというが、どうしてなかなか大きく書かれていて読みやすい。
とりあえず苦手な化学のプリントを見てみる。もちろん担当はゆきちゃんだ。
《化学Ⅰ》
【担当:藤枝 友紀】 【時期:一年前期中間】 【範囲:原子の基礎、イオン】
☆試験のポイント
基本問題が六割程。応用問題はきちんと理解しているならば難しくはない。傾向から、大問が五つ程度。最初の三つは選択や穴埋め形式で暗記で解ける。四つ目からは思考・判断をみるもの。高い確率で実験に関することを聞いてくる。また、計算問題は出ないと思われるが、イオン化合物では電荷の足し引きがあるので致命的に計算が苦手なものは注意されたし。
基本的には暗記が勝負を決める。完全に暗記できる自信があるのであれば満点も比較的容易い。ただ、後の内容の理解に支障が出るのできちんとイオンの価数や電子の概念を理解されることが望ましい。
なお、実験に関する注意事項を聞いてくる問題(及びそれに類する記述問題)は中間点を貰えるのでなにもわからずともそれっぽいことを必ず書くこと。よほどトンチンカンな解答でもない限り、割と点をもらえる。
※過去、分離に関する実験で注意することを述べよという問題で《バーナーを肘で倒さないようにする》と答えて中間点を貰えた事例あり。《沸騰石を口に入れない》で一点だけ貰えた例もあるが、この受験者はその一点で赤点を逃れたため、おそらくは情けによる特例だろう。非常に葛藤したらしく、ペケの上に重ねられた○の上に重ねられらたペケの上に強い筆圧で濃い○が書かれていた。
また、過去に一度計算問題をいれて平均点を低くしてしまった経歴あり。受験者の八割が解けなかったらしく、それ以降は出題されていないが、予想問題に入れてあるので念のため解き方を覚えるべし。
テンプレを作ってあるらしく出題形式が大きく変わることはないと思われる。担当の性格を鑑みてもそれは疑いようがない。
予想問題は難しめに作ってあるので解けなくても悲観する必要はない。余裕でとけるのであれば別の教科をやることをおすすめする。
「……え、けっこうガチ?」
よっちゃんがぱらぱらとプリントをめくる。
まずは基礎解説、その次に応用解説。ご丁寧にごろ合わせなんかも載っている。出題確率なんて数字も出ている。
「うわぁ……!」
華苗はすこし穂積の認識を改めた。きっとあれは物事に妥協を許さないタイプだ。テストで九十九点をとった時、高得点なのを喜ぶのではなく、最後の一点が取れなかったことを悔しがるやつだ。
「炎色反応、電子殻、分離の方法…答え言ってるようなもんじゃない?」
「こういうのを、他の学年含めて全教科?」
穂積のプリントは華苗のノートなんかより丁寧だし、なにより解説がわかりやすい。このプリントだったらお金を出してでも欲しい。
ちらっと華苗の肩口からゆきちゃんがそのプリントをのぞき見したが、ものすごくげんなりした顔をした。
「ゆきちゃん?」
「私の努力は……もうあいつが教師でいいよ」
その反応をみると、このプリントの有用性がわかる。これさえあれば、華苗にだって満点がとれるかもしれない。高校生活最初の試験なのだ。一発目から満点をとれたら嬉しいに決まっている。
近くにあったジャムサンドをやけ食いし始めたゆきちゃんをそのままに、華苗たち三人は必死でノートにそれを写す。必要そうなところだけだが、こうして手で書けば意外と頭に入るものだ。
本当ならこのプリントごと貰いたいが、全員分は用意できないため、欲しい人は個人的にコピーしろとのことだった。
「すいへいりーべ?」
「ぼくのふね!」
「なまえあるしっぷすは?」
「くらーくだ!」
「おっけぃ!」
これで二十番までは完璧だ。そして、ヘリウムとネオンとアルゴンが希ガスだから、そこからどれだけ離れているかがイオンの価数になるのだ。
「おまたせしました! 《レモネード》をどうぞ!」
「あ、シャリィちゃん、ありがとう!」
「楠のおにーちゃんから聞きましたよ。レモンのお菓子、食べたかったんですよね? お菓子じゃなくてジュースですけどいかがでしょう?」
ちょっと手を止めてレモネードを飲む。ひんやりと冷えていて、絶妙に甘酸っぱくて、最高だ。おいしくないわけがない。
「おいっしい!」
「気に入ってもらえて何よりです!」
シャリィは本物のウェイトレスになれるかもしれない。立ち居振る舞いがそっくりだと周期表をにらみながら華苗は思う。
「あ、よっちゃんおねーちゃん、Caの最外殻はМ殻じゃなくてN殻です。だから価電子数は10じゃなくて2ですよ」
「うぇ? あ、ホントだ!」
「しゃ、シャリィちゃん、なんでわかるの?」
「いやぁ、あたしもよくまちがえたんですよ、これ。18個入るんだから入れちゃえばいいのに、ワガママですよね、М殻って」
「一応、ワガママなんかじゃなくてちゃんとした理由はあるんだがな……。ちゃんと授業で気をつけろと言ったはずだぞ、頼子」
「そ、そうだっけ? でもま、今度から間違えないし! シャリィちゃんがすごいってことでいいじゃん!」
「……子供が出来ておまえたちが出来ないのは先生ちょっと悲しいぞ。あ、このふかしいもおいしい。すごいほくほく」
清水の質問にこともなげにシャリィは答える。じいじに教えてもらいました! と笑って言うが、普通の小学生が理解できるものなのだろうか。
話を聞くと、なんでもシャリィは日中は暇な時間が多いらしく、佐藤の教科書を見て時間を潰しているらしい。日本語を喋れるだけでなく、読むこともできるようだ。
「……ときどき僕より賢いんじゃないかって思うんだよね」
「…一年の時のおまえよりもできるんじゃないか?」
楠と佐藤は英語の勉強をしているらしい。さっきからぶつぶつと単語とイディオムを繰り返しつぶやいている。ある意味イメージ通り、佐藤は英語が得意らしく、まるで漫画を読むかのように英文を読んでいた。リスニングも強いらしい。
「…なんかコツがあるのか? 最初は俺と変わらなかった気がするんだが。英語だけ急に伸びたよな」
「……はは、努力の賜物ってことにしといてくれよ」
さて、プリントで自習できる組はどこもこんな感じだ。穂積もあらかたプリントを配り終わり、一息ついている。そして、休憩に入ったものにはすかさずシャリィが飲み物を持っていった。よく気配りができるいい子だと誰もが思うことだろう。
「おじいちゃんおじいちゃん! ここどうやるの!?」
「ちょっと抜かさないでよぉー!」
「おじぃちゃん、ここがわかりません」
「はいはい、順番にやろうかねェ」
おじいちゃんも教える側だ。やっぱりというか、もはや生徒には見えない。
白髪頭だし、今日も紺の甚平を着ているし、近所のおじいちゃんに近所の子供たちが群がっているようにしか見えない。
もしくは、あれだ。華苗もいつだったか歴史でやった──
「寺子屋……っと」
「五人組、参勤交代、武家諸法度……基本はこんなものかな? あとは記述問題の対策だね」
青梅たちは歴史をやっているらしい。おいしそうにクッキーを食べながら優雅に紅茶を飲んでいる。いろんな意味で、歴史ならおじいちゃんが詳しそうだ。
「華苗ちゃんもどうぞ!」
「こないだ佐藤がもらったデザイン使って焼いてみたんだよ! どうよ、これなんて。あたし特製、その名も《クスノキクッキー》! 愛の詰まった逸品だよ!」
「あ、ありがとうございます」
ちらっと見ただけなのに、すぐに気付かれて華苗はクッキーを勧められた。なぜだかわからないけれど、女子力の決定的な差を見せつけられたような気分に華苗はなる。
「あ、おいし」
いろんな形、いろんな種類のクッキー。さっくりしていてとてもおいしい。植物の方の楠型のクッキーなんて、他のとは比べ物にならないほどだ。
「んまい、んまい。先生こういうの結構好み。あ、そっちのもちょうだい」
「クッキーも食べなよ? こっちの《クスノキクッキー》は僕が焼いたんだ。Would you like to eat it? It's so delicious!」
にこにこと笑いながら佐藤が楠をからかう。楠は、なぜかクッキーと呼ぶと怒るのだ。
そう呼んだのは今までに秋山しか見たことがない華苗だったが、こうしてみると親友同士で軽口をたたき合うことは意外と多いのかもしれない。
「…I cultivate a green pepper and present for you. It is the quantity which cannot be eaten up. Say your prayers.」
「……え? も、もう一回言ってくれる? 不意打ちでよく聞こえなかったんだけど……」
「…ふん」
「華苗、なんて言ったかわかった?」
「私にそれ聞く? 史香ちゃんは?」
「わかるわけないよね、うん」
「私はわかったかな。楠くんの意思を尊重して訳はしないけど。怒った顔もすてき!」
「あたしも。惚れ直しそうになるよね! あ、佐藤そろそろアレの準備するよ!」
「お、このマッシュポテトなかなかいけるな。タッパーで持って帰ろうっと」
意外とこういう空気の中で勉強するのも悪くない。程よくリラックスして、程よく頑張る。なにごともやり過ぎはよくないもなのだから。
「穂積くぅん……」
「またか。またなのか。今度はどこだ」
「えへへ、ここ。教えて?」
「……笑い事じゃない。気合い入れていくぞ」
「うんっ!」
穂積の方は一人の女子生徒をマンツーマンで教えている。あの子供っぽい人は確か、吹奏楽部の部長だったはずだ。どうやら彼女は数学が苦手らしい。
華苗も数学は苦手だ。計算なんて四則ができればそれでいいと思う。電卓やコンピュータがあるのだから、難しいのは全部それに任せればいいのだ。
穂積は吹奏楽部長の後ろに立って覗き込むようにして教えていた。
「何度も言っている。まずは公式を覚えるんだ。tan(α-β)は?」
「い……いちぷらたんたんたんたすたん?」
「ちがう。(tanα-tanβ)/(1+tanαtanβ)で“いちぷらたんたんたんひくたん”だ。これは二年のときに教えた公式だぞ。それもわざわざ桜井用に考えたごろ合わせだ」
「うぇぇ……」
「それと=を書くのを面倒くさがるな。式の意味が変わる。式の変形なのか恒等式なのかの区別をはっきりしろ」
「ケチぃ……」
「だれがケチだ。だれが。……八割取れたらケーキ食べ放題に行くんだろう? がんばれ」
「うんっ! 次は隣町のにいこうねっ!」
ぱぁっと顔を輝かせる吹奏楽部部長。 見事なまでに餌に釣られてしまっている。
試験後のデートの約束をしているようだったが、穂積にその気はなさそうだ。あくまで教える立場で、餌で釣っただけらしい。次の瞬間にはまた情け容赦なく的確に教え込んでいる。他の人よりも若干スパルタのように見えるのは気のせいだろうか。
「私達の場合、食べたければ作ったほうが安上がりだよね。足りない材料だけ買ってくればそこらのよりもいいのができるし」
「あたしは料理だけど、まぁそんな感じかな~」
「なんという……」
「おーい、ここのレモンゼリー誰も食べないなら先生が貰うぞー?」
「あなたってひとは……」
ここの生徒はやたらとスキルレベルが高い。それに引き換えゆきちゃんはこのざまだ。高校には青春の甘酸っぱい空気がいっぱいだというのに、このざまなのだ。このままじゃいつまでたっても彼氏なんてできるはずがない。
「ん、どうした華苗? 先生を見てないで手を動かせ」
「……恋人作る気あります? 普段から彼氏ほしいって言ってるじゃないですか」
「もちろんほしいさ。料理が出来て、優しくて、自分の信念のためなら上司をもぶん殴れるようなそんなかっこいい騎士様がいい! でもってさ、愚痴をいいながら始末書書いているところを慰めるんだ」
そんな都合のいい人、この世界のどこを探してもいるはずがないだろう。だいたい、クール系美人とはいえ三十路に近いのに、騎士様もなにもあったものじゃないと華苗は思う。
「おまたせ! あたし特製、《ベリータルト》だよ!」
「こっちのは僕が作ったやつだよ」
「わぁ!」
なんてことを考えていたら、双葉と佐藤がベリータルトを持ってやってきた。その上に乗っているのは真っ赤なイチゴとさっき採ったばかりのブルーベリー。カットされることなく大きくごろっとふんだんに、贅沢に使われていて、店売りのベリータルトよりはるかに豪華だ。
ごくり、と無意識に華苗は喉を慣らしてしまった。
「すっごいごーじゃす!」
「手作りならではだよね。私も家で作るときはそうでもないけど、ここだと材料がたっぷりあるから作るときは贅沢にやっちゃうよ」
清水が教えてくれた。なんでもベリータルトは比較的簡単に作れるらしく、
大本のタルトさえ作っておけばあとはベリーを乗せたりクリームをかけたりしてデコレーションするだけでできるとのこと。
佐藤と双葉は華苗たちが来るまでにタルトの準備をしていたらしい。ブルーベリーを使い、かつ素早くできるお菓子と考えたらまっさきにこれが浮かんだそうだ。
「じゃ、入刀~!」
「あ、楠はそっちの部長のを食べてね。僕のはふみちゃんたちとで食べるから」
大きなベリータルトだ。華苗、清水、よっちゃん、シャリィで四等分したとしてもなかなかの大きさがある。みっしりと隙間なくイチゴとブルーベリーが敷き詰められているから、その圧倒的な存在感にくらっとしそうになる。
「なぁ佐藤、先生のは? 先生のはあるんだよな!?」
「もちろん、もういくつか作ってありますよ。お持ち帰り用のも冷蔵庫に入れときました」
「さすが! おまえいい嫁さんになれるぞ」
にこにこと笑いながら佐藤はベリータルトを切り分ける。いつの間にかこっちに戻ってきていたシャリィちゃんが小皿を人数分用意していて、華苗たちが気づかぬ間に準備がなされていた。
「はい、どうぞ」
さしだされたそれを受け取り、思いっきりかぶりつく。とたんに口の中に広がるベリーの甘酸っぱさとクリームの甘さ。タルトの独特の食感と相まって、文句なしにおいしい。コンビニのものと比べものにならないのはもちろん、専門店のものよりもはるかにおいしいのではないだろうかと、華苗は思わずにいられない。
「おいしいです!」
「それはよかった」
にまにまと笑いながらよっちゃんがベリータルトを頬張る。にこにこと子供特有の笑みを浮かべながらシャリィも頬張る。清水だけは笑いながらも、ちょっと悔しそうにしていた。どうすればここまで……と小さく呟いていたことから、ある種のライバル心の様なものを感じているのだろう。
「あふれ出る果汁、タルトの香ばしさ。クリームの甘さ! もう、おいしすぎて言葉も出ません!」
「イチゴもブルーベリーも園芸部のだろう? 後は牛でも飼えば完全自給自足ができるんじゃないか?」
「そうなったらゆきちゃんが面倒見てくださいね?」
クリームを鼻にちょっぴりつけたゆきちゃんが冗談めかして言う。今の段階でもけっこう大変なのに、これ以上突拍子もないことをされたらたまったものじゃないと華苗は思う。それに、すでに園芸部にはあやめさんとひぎりさんがいらっしゃるのだ。
さて、軽口をたたく華苗たちの近くでは双葉が楠にベリータルトを差し出していた。やっぱり最初の一口は楠に食べてもらいたいらしい。青梅の方も協定を結んであるのか、それを認めている。
「…いただきます」
ずずい、と出されたベリータルトを、楠はわずかに顔に戸惑いの表情を浮かべながらも受け取り、大きく口を開けてぱくりといく。
「ど、どう? おいしい?」
「……」
不安そうに、けれども期待に満ちた表情で双葉は問う。華苗や他の人から見ても、答えなんて決まりきってはいるのだが、恋する乙女は常に不安なのだろう。
「…おいしいです」
「よかったぁ!」
顔を赤くしてにこっと笑う双葉。青春だ。
いつか自分にもこういう青春が訪れるのだろうかと華苗は一人思う。シャリィがきゃー、なんていいながらチラチラ見ているが、やっぱりこのくらいの年の子でもこういうのに興味はあるらしい。いや、この年だからこそだろうか。
「あ、また泣いている」
「…なんでだろうなぁ。いつもこうなんだ」
表情は一切変えていないのに、楠の顔には一筋の涙があった。青梅のおむすびを食べたときと同じだ。どうやら双葉も、気持ちを込めたらしい。他では見られない、園島西高校お菓子部部長のすごい技術だ。
感動的な場面ではあるのだが、料理に気持ちを込めるという現実的にはあり得ない現象がこの場で起こっている。誰も何も言わないのはこの調理室では珍しいことでもないからだ。
「うーん、まだちょっと改良の余地があるかな?」
「改良?」
そんな中で最後にベリータルトを食べた佐藤が首を捻っていた。華苗はその声につられてそのベリータルトを見る。
別に特に変わったところもなければ悪いところも見当たらない。どこに改良の余地があるというのだろう。
「先輩、イチゴをまるまる乗せるのもいいですけど、一部カットしたほうが見栄えとか食べやすさとかよくなりませんか?」
「うん、確かにそうだね。ぜいたく感はいいけれど、ちょっと食べにくいよね、これだと。それにイチゴの白が見えるのもきれいだと思う。あと、艶出しするのはどうかな? 見栄えがもっとよくなると思うんだ」
「ナパージュします?」
「じいさんがこないだの麦から水飴作ったから、ナパージュ・ヌートルかな。それにそのほうがベリーの味が際立つと思うんだ」
「あ、なるほど。レモンも貰いましたし、一から作れますね」
「あ、佐藤にふみちゃん、見栄えもいいけど食べやすさも改良の余地ありだよ。さっき切ってて思ったんだけど、ベリーいっぱい敷き詰めてあるからけっこう切りにくいんだ。だからタルトだけは最初に切れ目を入れておいた方がいいと思う」
「……あ、たしかに!」
「それにそのほうが簡単に食べられるし、ナイフをいれないからベリーを潰さなくなって、取り分けた後の見た目もよくなるはずだよ! 取った時にぽろっとベリーが零れるベリータルトってなんかけっこういい感じじゃない?」
「なるほど、さすが部長!」
「へへん、もっと褒めなさい!」
気付いた時にはお菓子部三人でベリータルトについての議論をはじめてしまっていた。本当に、喫茶店にでも出しそうな勢いである。なんか専門用語が飛び交っているし、何を話しているのか華苗にはさっぱりわからない。
ふと見れば、他のお菓子部が作ったのであろうベリータルトがあちこちに出回っている。穂積も念願のブルーベリーを食べられてどことなくうれしそうだ。吹奏楽部の彼女も、まるで小動物のような可愛らしさでベリータルトを頬張っている。
「あ、じいじにも持っていかないと!」
「こ、このコロッケを作ったのは誰だ!? 先生、コロッケ大好きなんだ。今日の夕飯に持って帰ってもいい?」
「あ、それ私です。こないだ楠くんからもらったじゃがいもで作ってみました!」
あちこちでいろんな料理やお菓子が食べられている。誰もが笑い、誰もが楽しんでいる。
あの料理がおいしいとか、あのお菓子が素敵、だとか。お菓子部の何人かは早くもブルーベリーの使い方を考えているらしい。ジャムにしよう、いやいやスムージーにしようなどといった会話がちらほら聞こえてくる。
そして、そんな喧騒のなか、調理室のあまり使われない黒板の前にいたおじいちゃんが、パンパンと手を叩いて宣言した。
「ほれほれ、楽しいのはわかるが勉強はちゃんとせんといかんねェ。……鉛筆をもっているのは楠だけじゃないか」
いつのまにやら、みんなが持っていた鉛筆はナイフやフォークになっていた。
20160406 文法、形式を含めた改稿。
必ずいるよね、試験前に鉛筆もたずにノートペラペラめくって高得点とるやつ。
あと英語苦手なんで途中の英文は文法的におかしいかもしれません。




