26 パソコン部長とブルーベリー ☆
20130810
※ここに出てくるブルーベリーの栽培には一部現実のものと食い違う
描写があるようです。不思議な園芸部だから、ということでお願いします。
もし本気でブルーベリー栽培をされるのであればきちんとちゃんとした本などで調べるようにしてください。
なお、今までおよび今後の栽培描写も現実と違うところがあるかもしれませんのでまるまる全部を信用しないようにしてください。
「なるほど、こいつが」
暑い。今日もうだるように暑い。
まだ七月にはなっていないはずなのに、ここ最近ずっと暑い。華苗の着ているオーバーオールも、いくら普通のものより通気性がいいとはいえ、やっぱり蒸れて気持ちが悪い。容赦なく日が照りつける畑の真ん中にいると、もはや溶けてなくなってしまうのではないかという錯覚すら覚え始める。
しかしとて、そんな状況なのに相変わらず楠は顔色を変えない。いわく、もう暑さには慣れてしまったらしい。じわりじわりと汗をかいてこそいるものの、特別つらそうな様子は見せなかった。水分補給をしっかりしとけ、と余裕すら見せている。
「やはり、実物を見るのは違うな」
そして、今日の畑にはもう一人、汗をかきながらも静かな好奇心を持ち、涼しげな顔をしている人間がいた。
眼鏡をかけた、理知的な顔立ちの男子生徒。
華苗の偏見かもしれないが、眼鏡が似合う人はみんな頭がよさそうに見える。逆にいえば、どんなバカでも眼鏡さえ似合えば賢そうに見えるというわけで。
「すまない。協力を感謝する」
「…いえ、ついでですし」
そう言って楠は首にかかっている汗ふきタオルで頬を拭った。その言葉遣いで、その男子生徒が三年生であるということがわかる。
ああ、今日もか、と華苗は思う。ここのところずっとそうだ。思えば、園芸部だけで部活をしたのは意外と少ない。
「…おお、来たか」
「ん? ああ、一年の。俺はパソコン部の穂積だ。今日は作業を見学しに来た。あとでいろいろと頼むと思う。そのときはよろしく」
さて、と楠は持ってきていたリヤカーをちらと見て呟く。華苗もつられてそこを見ると、そこにあったのは何本かの苗木と珍しく園芸店で買ったのであろう、お米の袋のようなパッケージの肥料のようなもの。今日も、新しいものを植えるらしい。
「…喜べ、今日はブルーベリーだ。おまえ、こういうの好きだろう?」
意外とまともでオシャレなものだったことに、華苗は思わず息をついた。
パソコン部部長の穂積 智紀には一つの夢があった。
昔からゲームが大好きで、外で体を動かすよりも、ずっと家でゲームをすることが何倍もいい、と幼いころから思っていた。
ゲームのためだったら、なんだってできた。
ゲームで遊ばせてもらうために、テストはいつも満点を取った。ゲームが悪いと言われないように、塾に通うやつらよりもいい成績を取った。
しかし、やる気はすさまじいものがあったのだが、いかんせんそれはポジティブではなくネガティブな理由。やることをやった彼は、それ以上は決してやろうとはしなかった。
──やることをきちんとやっていたから、両親もそれ以上言えなかったのだ。
当然のように彼はありとあらゆるゲームを好きになった。そしてありとあらゆるゲームを遊びつくしてふと思った。
──もっと面白いゲームはないのか?
確かに面白いゲームはある。でも、これが本当に自分が求めているものなのか。もっと、もっと面白いゲームがあるのではないか。
彼がそんな考えを持ったのは十歳のころだった。そして幼い彼は、ふと思いついた。
──ないのなら作ればいい。
元々頭の出来は良かった彼は、その後、めきめきと実力をつけていく。体育を除いたほぼすべての科目において優秀な成績を収めた彼は、晴れて念願だった園島西高校へと入学する。
施設が整い、やることさえやってルールを破らなければ何をしてもいい学校。理想のゲームを作るのには、まさにうってつけの舞台だったのだ。
「そんなわけで俺はゲームを作りたい。その日からずっと勉強はしてきたから技術面には問題ない。いま必要なのは、実際の感覚──経験だ」
なぜ手伝ってくれるのかと華苗がうっかり聞いたところ、穂積は長々と、しかし簡潔にまとめて話してくれた。言われてみればこの前の部長会でもそんなようなことを言っていた気がする……と、華苗は暑さにぼんやりしながら思い出す。
「ゲームのアイデアの一つで農業・生産系のシステムがある。それの参考にしたい。八島はゲームは好きか?」
「はぁ、《動物の集落》とか《スフィアモンスター》とか、有名どころはやったことありますが……」
「そうか。あれはいいよな。《ソーマコレクター》や《ミラクルバケーション》、《ゴッドインバイバー》や《フロンティアドアー》はやったことあるか? 《ラストファンタジア・クリスタルメモリーズ》シリーズもいいよな。
GIはアクション性がいい上にシナリオが作りこまれているし、FDは気づかぬうちにやりこんでしまう、まるでスルメのようなやり込み要素が魅力的だ。MVとSCは世界観がものすごく丁寧に作られていて引き込まれるし、おまけにSCはLFCMと合わせて音楽も最高だ。一日中だって聞いていられる」
「い、いえその……どれも聞いたこともありません」
「そうか。まぁいい。ともかく俺はリアリティのあるゲームを作りたい。これはリアリティを学ぶ一環だ。もちろん、協力してくれた報酬として、ゲームが完成したら贈らせてもらう」
「はぁ、ありがとうございます?」
まぁ、実践に勝る経験はないというし、調べただけではわからないことも多いだろう。そう言った意味では確かに正しいのだが、それで実際に行動に移すあたり、この人もこの学校の部長なんだと華苗は思う。とりあえず、ゲームに関する熱意だけは十二分に伝わった。
「…さて、そんなわけでブルーベリーだ。こいつは目にもいいらしく、穂積先輩はぜひともと言ってくれた」
「最近、ちょっと目の調子が悪くてな」
全然そんな風には見えないが、話を聞いた限りじゃゲーム大好き人間──それもなかなかマニアックな、だ。目が悪いというのも頷ける。
華苗は昔から視力は両目とも1.2ほどあるので、イマイチ目が悪いという感覚が理解できなかったのだが。
さて、それはともかくとしてブルーベリーだ。見たところまだ若い苗木には数枚の葉しかなく、少しさびしい感じがしなくもない。思ったよりも幹そのものはしっかりとしていて、意外とつやがある。たぶんだけれど、けっこういい感じのものだった。
「…ブルーベリーは、割と育てやすい」
「初心者向け、ということか?」
「…果樹の中では、ですが。土もあまり必要ないのでプランターでもいけます」
となると、今までにレモン、びわ、さくらんぼに梅を育ててきた華苗の敵ではない。おそらく、いつも通り剪定や芽摘みをすればいいのだろう。華苗だって学習はするのだ。これくらいの予想は簡単につく。
「じゃ、穴掘って植えますか?」
「…普通のならそうなんだが、ブルーベリーはちょっと面倒くさくてな。こいつを使わねばならん」
「こいつ?」
くい、と楠が顎でさした先にあるのは肥料っぽい袋。いつもは肥料なんて使わないから、先ほどから少し気になっていたものだ。
「…こいつはピートモスという」
ピートモスとはコケやシダの類が堆積してできたもので、厳密には違うが腐葉土のようなものだと思っていい。ブルーベリー栽培には欠かせないものであり、これがないとあまりうまくは育たない。
ブルーベリーの栽培に適した酸性であり、通気性もよく、保水性が高いながらも排水性も高いという、まさに理想的なものなのである。
「…さらに、ブルーベリーは根っこが弱くてな。浅く、広く広がるものだから普通の土だとうまく根着かない」
柔らかなピートモスならその問題は解決される。ブルーベリーの根でもピートモスなら問題なく根着くのだ。
たくさん使えば使うほどよく育つ、などと言われることもあるが、もちろん楠はちょっとしか使わない。要は、まごころさえあればどうにでもなるのだから、手順をきちんと踏みたいだけだ。
「ふむ、こいつは他の果樹や野菜でも使うのか?」
「…いえ、ブルーベリーくらいですかね? 他はあまり聞きません」
ところでこのピートモス、ただ買ってきただけでは使えない。
「な、なんですかこれ?」
楠が無造作に持ち上げた袋を見て華苗は息をのむ。そこにあったのは黄色に近い褐色のでっかい塊。これをどう使えというのだろうか。
「…水を加えてなじませる」
ピートモスを使う際には事前に水を加えなくてはならない。売られているものは圧縮乾燥がなされているからだ。
このため非常に水を吸いにくく、砕いたうえで水を加えたほうがいいのだが、いかんせん硬すぎて砕けず、普通はバケツのような容器に水とそれを入れて一日ほど置いてから使う。
「どうするんだ?」
「…砕きます、もちろん」
袋の口は開けたまま、楠はリヤカーに積んであった木槌をその塊に振り下ろす。体育のマットを殴るような音が何度か響き、ピートモスはそこそこの大きさに砕け散る。おそらく、楠の腕力が強すぎたのだろう。
「…八島、そのバケツに水を入れてこっちに。その中にこれを入れる。そうしたら適当な棒かなんかでほぐしてくれ。…素手でこいつを触ると荒れるから気をつけるように」
「は、はい」
そんなアブナイものを女の子にやらせるのはどうなのか、と思った華苗だったが、楠のことだ、泥遊びが好きだろう程度にしか思っていないのだろう。
穂積が手伝ってくれたこともあって、意外とすんなり終わったのは僥倖だった。……突いてほぐすのは意外と楽しかったが、華苗のプライドがそれを認めなかった。
「で、こいつをそこに入れるというわけか」
華苗たちが作業をしている間、楠は苗木を植える用の穴を掘っていた。ここにピートモスを流し、苗木を植えてさらに上から土を被せるのだ。ピートモスは浮きやすいため、上から土を被せることで安定するのである。なお、植えたばかりの苗は不安定なため、支柱を挿すことも推奨される。
本来ならば植え付けは極寒期を除いた休眠期、地方にもよるが春や秋に日当たりのよく水はけのいい場所で行うものなのだが、この園芸部にそんな常識は通用しない。
「で、植えたわけですけど……なんか意外とあっけないですね。手間と言えばピートモスと支柱を添えたくらいじゃないですか」
「…そうか? まぁ、もうおまえもずいぶんと慣れてきたし、だいぶ説明をはしょったからな」
「それじゃ、今日は終わりなのか?」
「いえまさか、もう少ししたら成長しますよ」
「なら、ちょっと鍬を振るったりじょうろを使ったりしてみてくれないか? モーションの参考にしたい」
そう言って穂積はどこからかデジカメを取りだす。なんとも奇妙なお願いだが、別に断る理由もない。楠は無言で適当に鍬を振るい、華苗もじょうろを使う真似をする。
「…八島、なんだそのやり方は。いくら演技とはいえ、まごころがこもっていないぞ」
「またまた。ちゃんとこめてますって」
「ふむ、まごころか。組み入れたら面白くなりそうだ」
どことなく癪に障った華苗はやけくそのように心の中でありったけのまごころをこめてみる。自分がなにかをするよりか、楠がまごころをこめたほうがはるかに確実なのだ。それは華苗の役割ではないような気がする。
そう、思っていたのがいけなかったのだろうか。
「…やればできるじゃないか」
「ほう、これがまごころの力か。すごいな」
「……うっそぉ」
くるり、と振り向いたときにはもう立派なブルーベリーの樹がそこにあった。高さはだいたい2メートルほどだろうか。一本のしっかりとした樹というわけではなく、どちらかというとやぶのようなかんじだ。
白っぽい、そこはかとなくかぼちゃパンツを連想させる花がたくさん咲いていて、それだけもどうしてなかなか、きれいなものだ。よくよくみると、どの樹も微妙に葉の形や樹肌、花の色や形が違う。きっと品種が違うのだろう。
(ブルーベリーの花)
(実ができる直前。おそらく受粉済みのもの)
「…この次やることは?」
「え、えっと……剪定?」
「…正解だ。こいつの場合はサッカーとシュートの処理だな」
「サッカー? シュート? ボールを使うアレか?」
「…いえ、名前は同じですが別物です」
サッカーとシュートはどちらも新梢をさす言葉だ。
シュートはブルーベリーの本体、幹から出ている新梢であり、バラの時と同様に、これらをあえて切り落とすことで翌年以降の実の付きをよくしたりするのである。もちろん、ケースバイケースであるので、切り落とすかどうかの判断は個人にゆだねられる。
次にサッカーだが、こちらはブルーベリーの幹からではなく、横に広がった地下茎から伸びた新梢のことだ。先ほど楠が言ったように、ブルーベリーの根は浅く広く伸びる。おまけに上へ上へと伸びていき、そこからサッカーが地表に出るのである。
ちなみに、根そのものが陽に晒されると樹が弱ってしまうので注意が必要だ。
軟弱な根っこのくせして、自らいっていはいけない方向に伸びていこうとするなど、ブルーベリーの根っこはちょっと天邪鬼なところがある。
「剪定をしないとどうなる?」
「…実の付きが悪くなり、質も落ちます。枝の成長にエネルギーを使いすぎて、実をつけずに枯れたり、樹本体の成長が悪くなったりします」
「ふむ、成長率と品質にマイナス補正……っと。それで? 見つけ次第全部切るのか? それとも切るもの切らないものの判断基準とかがあるのか?」
「…場合によりけりです。基本はあくまで余分で必要のないものだけを。どう成長させたいかで変わってきます。細かいルールはあるのですが、まぁ慣れるしかありません」
「じゃ、そこらへんは適当に調整するか」
さて、さっそく剪定に入った楠だが、なんと驚くべきことに華苗にも鋏を持たせてくれた。なんでももうある程度の知識はついたし、あまり大きな木でもないのでこれで慣らしていこうとのことだ。
感動に打ちひしがれていた華苗だったが、ぱちんぱちんと鋏を入れてたときにふと、あることに気付く。
「先輩、これすっごい根元の方から出ているんですけど、サッカーですか、シュートですか?」
「…掘りださないとわからんな。まぁ、どちらにしろそいつはいらない。やれ」
「いいんかいそれで……」
実は、サッカーぽく見えても土の中で幹に繋がっているシュートだったりする。だからどうしたということではあるのだが、こういうところでもブルーベリーはちょっとひねくれている。
さて、剪定が終わったら水やりだ。ブルーベリーは乾燥を嫌うため、多めに水をあげなくてはならない。
華苗はいつものぞうさんじょうろに水を汲み、まごころをこめて水をまく。
「…物置小屋にあった麦藁、あれ敷くぞ。乾燥を防げる」
「あの麦藁、そういう風に使うのか」
ブルーベリーにとって夏の猛暑は大敵だ。藁を敷けば水分の蒸発をいくらか防げるため、枯らす心配が少なくなる。
一回でも水不足を起こしてしまうとなかなか元には戻らないので、ちょっと多めに水をまき、対策をしておいて損はない。成長期はまた別だが、このくらいの大きさになったのなら、土の表面が乾いていたらすぐにでも水をあげたほうがよい。
わりとふかっとした藁を華苗は丁寧に、まごころをこめて敷き詰める。なんだか小動物が自分の巣を作っているような気分だ。ブルーベリーを守るため、と考えれば、巣という表現もあながち間違いでもない。
「ふう、こんなもんですかね」
十数本はあったが、三人で手分けすれば簡単に終わる。あとはこのまま成長したところを収穫すればおしまいだ。華苗の勘だと、あと三十秒ほどだ。レモンの時もだいたいそれくらいだった気がする。
「…このままだと実はつかん」
「どうしてだ? なにか問題があるのか?」
「げ、まさかこれも……えーと、自家不和合性なんですか? なんか四種類くらいありますし」
「…そうだ、よくわかったな」
「ま、園芸部ですから」
「なんだ、一体どういうことだ?」
「えっと、自家結実性がない、とかいったりもするんですけど、要は自分自身、一種類じゃ実が出来ないんです。二種類以上を植えとかないとダメなんですよ。さくらんぼなんかもそうです」
「なるほど、初めて知ったがなかなか面白い。採用してもいいかもしれない。その種類にはなにか条件や制限はあるのか?」
「…そうですね──」
自家不和合性を持つ果樹はいくつがあり、それこそ物にもよるのだが、ブルーベリーに限って言えば同系統の異種を用いるというのがそれだろう。
今回楠が植えたのはラビットアイとハイブッシュと呼ばれる系統のものだ。それぞれ二種ずつ、合計で四種である。
この二つは収穫期が少しずれているため、一緒に植えとけば長く楽しめる。尤も、この不思議な園芸部では実なんですぐできるため、ほとんど意味はない。
なお、系統には他にもいくつかの種類がある。中には自家結実性をわずかながらももつ系統もあり、実はハイブッシュもその一つではあるのだが、やはりあまり期待はできない。虫を使って受粉させることもあるのだが、確実なのは人工授粉だ。
「だから、こうして綿棒とかを使って人口受粉させるんですよ。このくらいの量ならあっという間に終わりますし、さくらんぼよりマシですね」
「そういえばいつだったか秋山がげっそりしていたな。この受粉作業もシステムとしてはなかなか面白い。成功率とかもやっぱりあるのか?」
「さくらんぼは結構低めでしたね。楠先輩、ブルーベリーはどんなもんですか?」
「…悪くはないぞ」
人工授粉も、こうして話しながらやれるほどの余裕が今の華苗にはある。
綿棒の両端をちょっともみほぐして花粉をつけやすし、片側を一つの白い花に突っ込む。
こしょこしょとくすぐるようにして花粉をつけた後、ちょっと赤みがかかっている、別の種の花の中にそれを入れてぐいぐいと押しつけ受粉させる。
終わったら空いているもう片方にそっちの花の花粉をつけ、元の花の方に擦りつけるだけ。
単純な反復作業だ。今の華苗なら、この程度簡単に終わらせられる。
「ふう。それで、実がつくまでどれくらいかかるんだ?」
「…普通は苗を植えてから二、三年ほどで実が付き始めますね」
「そんなにかかるのか。ここではすぐなのに」
「…それも、最初の方の実はあまりよくはありません。ちゃんとしたのは四年目以降からですね」
「リアリティと難易度は調整したうえである程度選択できるようにしておくか。ここの場合はどうなんだ?」
「あ、もうできましたよ」
喋っている間に白い花がいつの間にかなくなり、代わりに濃い紫のきれいな丸い果実が華苗の眼の前に佇んでいた。
思った通り、なかなかの大きさだ。ビー玉ほど……はさすがにないが、ビー玉より一回り小さいくらいのがごろごろある。どこからどうみても、シーズン真っ盛りの立派なブルーベリーだった。
いくつかまとまって成っていて、遠目から見ると小さなぶどうに見えなくもない。実の付き方そのものは、小学校の通学路にあった名前も知らない、紫色の爪くらいの大きさしかない樹の実とそっくりだった。
「すごいな、相変わらず」
「ですね。じゃ、収穫します?」
「…もうしばらくまて」
「なぜ?」
「…普通、熟してから五日前後たった後に収穫する。その間にもっと大きくなり、甘く、うまくなる」
「五日? じゃ、もういいじゃないですか」
「…それもそうだな」
「それでいいのか」
ブルーベリーは通常、熟し、完全に色づいてもすぐには収穫しない。収穫後に甘くなる果樹はいくつかあるが、ブルーベリーは収穫してしまうとそれ以上甘くはならないのだ。当然、色づいたものは鳥などの格好の標的になるので、十分な対策が必要だ。
「わ、すっごく大きくなってる!」
「一番大きいのは三センチ近くあるんじゃないか?」
「…ウチのはまごころをこめてますから」
「楠先輩、これ、ナマでいけますよね?」
「…ああ、軽くねじってもぎ取れ」
さっそく華苗は一つの樹に近づき、恵みの詰まった濃紺の宝石をつまむ。意外とつやっとしたその果実は表面こそちょっと乾いているものの、触れてわかるくらいには中に瑞々しさが残っているのか柔らかい。
躊躇うことなくねじり切り、そのままの勢いで口に入れる。
「ふわぁぁ……」
途端に押し寄せてくれるなんとも言えない甘酸っぱさ。芳醇な、口いっぱいに広がる極上の風味。瑞々しさと甘さ、酸っぱさのバランスが最高で、市販のブルーベリージャムとはとてもじゃないが比べられない。
「…うん、上出来だ。さすがはシーズンもの」
「いいな。もぎたてで食べられるってこんなにいいものなのか」
楠はもちろん、穂積も夢中になってブルーベリーを食べている。二人とも顔は冷静だが、手の動きはそれとかけ離れていた。
ねじっては食べ、ねじっては食べ。
案外子供っぽいところがあるんだな、と華苗はブルーベリーに意識を向けつつも思うが、実のところ、華苗の摘み取るスピードは二人のそれとは比べ物にならないほどに速かった。
自分でも気付かないほどにその味に魅了されていたし、収穫作業にももう十分に慣れている。
なにより、ブルーベリーのような小さなものを摘むのに、女子の一般よりもかなり小さな華苗の手は十分に都合がよかった。
おまけに、食べ放題ときたものだ。
「すごいな、八島は。そのペースで食べ続けられるとは」
「いやでも、おいしいじゃないですか!」
「女ってのはみんなそうなのか?」
「そういうものじゃないんですか? ……なにかあるんです?」
「ま、ちょっとな」
ブルーベリーの香りがそこらじゅうに漂っている。きつくはないが強い甘い香りは、なんだか気分をうっとりとさせてくれた。
華苗はずっとこのままブルーベリーを食べて いたかったが、ある程度満足したのであろう楠が収穫用の底の浅くて広い籠を持ち出したことでその夢の時間は終わってしまった。
「…そろそろ収穫するぞ。穂積先輩もお願いします」
「もっと大きな籠の方がいいんじゃないか、こんなにあるわけだし」
「あ、穂積先輩。大きいというか深い籠だとダメなんですよ。下にあるのが悪くなっちゃいます」
「…おまえも成長したなぁ」
楠が感慨深そうにつぶやく。別にこれくらいは園芸部として普通の事じゃないんだろうか……と思ったが、優しい華苗は言葉には出さないでおいてあげた。
「…始めます」
「おう、まかせろ。シミュレーションは何度もした」
ともあれ、三人は収穫作業に移る。明らかに場違いな雰囲気のやつがいるが、ここでそれを突っ込む人間はいない。収穫を楽しめるのなら、そんなことを気にするのは野暮ってものだろう。
「楽しい……!」
さっきと同じようにねじってくいっと引っ張れば、簡単に収穫はできる。そのたびに枝が揺れるのがちょっと面白い。同じ箇所になっているのは取り残してはダメだそうなので、目についたものは片っぱしから取っていく。
採った先からまた実がつくのは気のせいではない。別の樹のも採って一巡したらまた戻って採ろうと華苗は決める。
少し見栄えも気にしつつ、持っている籠にブルーベリーを敷き詰めていくのは存外楽しい。きれいに、みっしりとうまく詰め込めると、まるで自然のジグソーパズルを完成させたかのようだ。
「ちょっと色が違うが、これは品種によるものなのか?」
「…それもありますが、軸の部分が紫──やや赤みがかっているのは酸味が強めです、逆に黒に近い紺だと甘味が強いですね」
「なるほど、じゃ、そこらへんは好みか。色ごとに選別はするのか?」
「…本来ならするのでしょうが、時間もないのでそのままでいいです。それに収穫した後はなるべく早く冷暗所に保管したほうがいいですし」
「それもそうだな。確かにそろそろ約束の時間だ」
「やくそく?」
もう十分にブルーベリーは収穫した。すでにいくらか新しい実がつき始めてはいるものもあるが、今日はもういいだろう。
これだけあれば華苗のお持ち帰り用はもちろんとして、保健室、お菓子部辺りにも持っていける。もしかしたら職員室にも持っていけるかもしれない。
「…八島、今日の作業は終わりだ」
「え、でもまだ時間はありますよ?」
なんだかんだいってまだ四時すぎではないだろうか。冬ならともかく、夏の今としては帰るには早すぎる。
「…俺と穂積先輩は収穫したのを持っていく。お前も着替えて先にいけ」
「行けってどこに?」
相変わらず楠は口数が少ない、というか肝心なところを話さない。
「楠、八島は初めてじゃないか?」
「…それもそうですね」
「だから、なんだっていうんです?」
ちょっと強めに、ストレートに聞く。それが華苗が今までに学んだこういうときの対処法だ。
しかし、その次に出てきた言葉は華苗にとってはあまり聞きたくないものだった。
「…勉強会だな、調理室で」
「こいつの調理もお菓子部に頼んである。中間近いし、部活ばっかりしてるわけにもいかないだろう?」
「えっ、ちょっ、待っ──」
華苗の声を残して楠達は行ってしまう。一瞬バックレてやろうかと思った華苗だったが、結局はブルーベリーのお菓子の誘惑に負け、いそいそと更衣室へと向かうのであった。
20150912 文法、形式を含めた改稿。挿絵追加。
20180418 誤字修正
久しぶりすぎて長くなりすぎた。
ブルーベリーの花はどっからどうみてもかぼちゃパンツ。いやもうほんとに。できれば写真を載せたかったけど、取り逃しちゃったんだって。(追記:写真載せたよ! ピンボケについてはカンベンな!)
あ、没写真を何枚かtwitterで公開しているから興味あったらどうぞ!
ゲームってとっても楽しいよね! もしかしたら穂積先輩はどこか別の場所で重要人物になるかもしれない。あったとしてもこれらが完結してからかな。リアルで何年かかることやら。
ちなみに、作中に出てきた架空のゲームにはモデルがあります。全部わかるかな?




