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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
21/129

20 はざがけて


「あまずっぱぁ~い……っ!」


 シャリィから手渡された梅ジュースはとてもすばらしいものだった。甘くて、ちょっと酸っぱくて、華苗の口はその絶妙な酸味と甘みのバランスで知らず知らずのうちにきゅっとすぼめられた。


 酸っぱくてすぼめるのとは違う。なんだかよくはわからないが、とにかく自然にそうなってしまったのだ。


 上等の梅酒からアルコールを抜いたみたいだ……と、教頭が呟いたところから、梅ジュースの中でもそうとう良い上質なものであるというのは疑いようがない。


 シャリィからの梅ジュースをなぜか湯呑で飲んでいるおじいちゃんが言うには、梅にはもともと疲労回復の効果があるらしい。梅雨の時期や夏に飲むといいそうだ。さらにはこの梅ジュースにははちみつも加えられているそうで、栄養価も高いとのこと。


「おじーちゃん、梅干し以外もやってたんだね」


「そりゃあ、せっかく渚ちゃんがよくできた梅を持ってきてくれたんだからねェ。それに、これも手間はそこまでかかっていないのさ」


 かいがいしく皆に梅ジュースを配るシャリィは妙に手慣れていて、喫茶店でウェイトレスでもやっていけそうだなと華苗には思った。きっと、家では佐藤と一緒に家事をやっているのだろう。


「ふう。なんだか落ち着く味だな」


「えへへ、まぁ、作ったのはじいじなんですけどね」


 剣道部の女部長とシャリィが仲良く話している。誰とでも打ち解けられる、子供らしい明るい部分がシャリィにはあった。


 華苗があのくらいの頃は、ちょっと引っ込み思案で年上相手、いや同年代でもびくびくしていた。ちょっぴりうらやましくも感じてしまうのはなぜだろうか。


「…一息ついたら、作業を再開しましょう」


 最後にぐっと梅ジュースをあおった楠がシャリィにコップを渡して呼びかける。一息ついたら、なんていったが、すでに臨戦態勢だ。


 まぁ、ジュース一杯飲むのにそんなに時間がかかるわけでもないし、畑ではまだ働いている人がいる。華苗たちだけ休んでいられないのも事実だった。


「…これから、持ってきた麦を干します」


「おお、“はざがけ”だな!」


 ジュースを飲んで一息ついた教頭は先ほどよりも顔色が良い。元気いっぱいに次の行程を言い当てる。やることそのものは華苗にも分かっていたが、たかが麦を干すだけのことに名前があるとは思わなかった。


 楠はちらりとはざがけのために組まれた木──稲架はざを見る。少し細いが丈夫そうな木が鉄棒のような、物干し竿のようなかんじで組まれていた。


 作りそのものは至って簡素だ。それの目の前に立った楠は、前回りをするときと同じように、すなわち鉄棒の授業と同じように両手ではざをつかみ、地から足を離して体を棒に乗り上げさせると、腕立てのようにして何度か体重をかけて耐久性を見る。


 それは少ししなったものの、大柄な楠の体重でも特別揺れたりガタついたりすることもなかった。


「…まぁ、普通に干してください。見ての通り、耐久性は問題ありません」


「おっけーおっけー、この程度楽勝じゃん!」


 さっそく秋山が麦の束を持つ。穂先から手を入れ麦束を半分ほどに分けて、それをはざに掛けた。流石というべきか、なかなかバランスよく掛けられている。


「…すいません、言い忘れていました」


「耕輔、麦束は半分じゃなくて一対二くらいで分けるのさね。で、多い側の隣には少ない側ってかんじで互い違いに掛けていくのさ」


 楠とおじいちゃんが麦束を右手に多めに、左手に少なめに分けてもってはざに掛ける。楠が華苗たち側が少なめのほうになるように掛けると、おじいちゃんはその隣に華苗たち側が多めになるように掛けた。


「こうすると風の通りがよくなってよく乾燥するようになるんさね」


「…ちょっとバランスが悪くなるのでしっかり押し込んでください」


「なるほどなぁ。しっかしよくできてんなぁ!」


 早速華苗たちもはざがけの作業に移る。シャリィも一緒だ。区間を薄力粉用小麦、中力粉用小麦、強力粉用小麦、大麦とわけ、手分けして干していく。


 華苗は先ほど楠がやったように右手に多め、左手に少なめに麦束を分け、落ちないようしっかりと差し込んで干していく。そしてすぐ横によっちゃんが互い違いになるように干し、その次は清水、その次は田所……と、バケツリレーじゃないが、流れ作業で干していった。


 ときおりうまく結べていなかった麦束が差した時にバラけ、それを清水がやれやれ、などといいながら集めて束ねていく。一人での作業も面白いが、こうして協力して一つの作業にあたるのも言葉にできない達成感があった。


 そんな華苗たちの様子を、いつの間にやらカメラをもった芹口が撮っていた。『一年生が楽しそうに活動しています……男子も女子も仲がいいですね!』と言い、なぜだか自分でOKサインを出してた。傍から見ればちょっとアブナイ人だ。


「いや、なかなかいいのが撮れたよ。これ、身内じゃなくて学校説明会用に使うけどいいか?」


「ん、おれは問題ないです」


「私も大丈夫ですよ。よっちゃんは?」


「もちろん! なんか照れるね~。華苗は?」


「私も特に問題ないかな?」


「さんきゅ。ついでに華苗、ちゃん? 園芸部らしく、このはざがけの説明もしてくれないか?」


 芹口の言葉に華苗は楠の話を必死に思いだそうとする。事前に作業内容は聞かされていたとはいえ、人に説明するのは想定外だ。


「あ、できれば友達に教えるみたいに自然な感じで」


 そういうと芹口は腰を落として清水くらいの高さにカメラを構える。あくまで人から見た視点で撮りたいらしい。


 その姿に少しのプレッシャーを感じつつも、華苗はなんとか頭の中で言葉をまとめていく。


「えっと、麦っていうのはとにかく水分や湿気が天敵なの。この麦もある程度穂の中の水分がなくなってきてから刈り取っているんだけど、それでもまだ水分が多いんだって。粉にする時、水分が多いと質が悪くなるからこうして干すんだけど、雨に当たると台無しだから気をつけないといけないんだ」


 気をつけるべきことはそれだけじゃない。質が悪くなるどころか、水分により穂が発芽してしまうと、それはもう小麦粉としては使えなくなってしまう。


 さらに、当然であるがはざがけは外で行うものだ。小鳥なんかが啄みに来るため、必ず防鳥ネット等の対策をしないと、全滅してしまうことすらある。


「……とまぁ、こんなところかな? まとめると、質を良くするために水分を取るっていうのと、雨、鳥、湿気に注意して晴れが続く日にやるってことだね」


『なるほど。それで、どれくらい干せばいいのですか?』


 ナレーターになりきった芹口が聞いてくる。声は後で吹き返たりもするそうだが、タイミングや自然な感じを出すためにこうして実際に聞くのだそうだ。


「えーっと、目安としては色が変わるくらいまでかな。今は黄色みが強いけどいかにも乾燥したってかんじに、枯れ草みたいな色になるって」


『具体的にはどれくらいですか?』


「気候や地域によるところが大きいから一概にはなんともいえないらしいけど……早いもので三、四日くらいだったり、二週間近くかける場合もあってまちまちだって。状態を見て決めるから、具体的っていうのはちょっと難しいらしいよ」


「……あいつ、明日も作業するっていってなかったか? てっきり粉を挽くものだと思ってたんだけど……」


「さぁ、さすがにそこまでは……意外と何とかなるんじゃないですか?」


「それもそうだな。っといっけね、地で話しちまった」


 つい普通に話しかけてしまった芹口だが、とりあえずはこれで問題ないらしい。お礼をいってカメラを古家の縁側に置いて作業に戻っていく。


 なんだか重要な問題もあった気もするが、もはや気にしてもしょうがないことだろう。少なくとも、数時間で若く青い麦が立派な黄金の麦になるより、数時間で穂を乾燥させることのほうがまだ現実的だ。


 華苗たちも作業を再開する。慣れてきたからちょっとスピードアップだ。ひとつ、ふたつ、みっつとやっていくうちに、華苗たちの目の前にはどこぞの田舎でよく見かけるような藁の壁が出来あがっていった。


 なんとなくだが、弥生時代みたいだな、と華苗は心の中で呟く。さもなければ、昔話の中だろうか。


 この藁の独特な香り、ちょっとちくちくする軍手、がやがやとにぎやかな上級生たちの声だけが、華苗が現実にいることを教えてくれた。


「…あらかた干したら、また畑で麦を回収しましょう。刈って、束ねて、干す。今日はこの作業のみです。適当にばらけて進めてください」


「んじゃ、アタシは向こうで束ねるのに専念するとするかねぇ」


「私は……はざがけにします。刈るのよりも、こっちのほうがうまくできましたし……」


「俺らはどうするよ? 刈る? 束す? 掛ける?」


(アンタら)は運びなさいな。女の子に重労働させんじゃないわよ」


「ひっでぇ……ま、それが賢明か」


「おにいちゃん、あたしも刈るとこ見てみたい!」


「危ないから見るだけだよ。敦美さんとかナイフ振りまわしているし」


「…ついでに、イチゴやさくらんぼの収穫もするといい。好きなだけ食って来い」


「ありがとう、楠のおにーちゃん!」


「はは、悪いね。……シャリィ、みんなの分も取ってくるんだよ。休憩していない人とかもいるし」


「がってんです!」


 集まっていた人がばらけてそれぞれの場所へと向かっていく。佐藤はシャリィと手をつないで畑に向かったようだ。楠も刈り取りと運搬に行ったらしい。青梅と双葉も楠についていったのだろう。


 男子はおじいちゃんと橘と葦沢、田所しか残っていない。女子のほうも被服部長の椿原つばきはらを筆頭に何人かが束ねに行き、物静かでたおやかで色白な、この場からちょっと浮いている茶華道部長の白樺しらかばがはざがけのために残った。他数人の女子も同様だ。


「華苗、あたし達はどうする?」


「ん、どこでもいいけど……刈り取りはもう結構人がいたし、運搬は私にはちょっと難しいし……束ねるか掛けるかだね」


「束ねるのと運搬は一緒にやるんじゃね? けっこういたし、そのうち刈り取り側も回るから問題ないっしょ」


「束ねたかったけど……ま、いっか。掛けるほうに回ろうよ」


 そうだね、といってはざに向き直る華苗。目の前に広がる麦の壁は、まだまだ空きがある。これを自分たちの手でいっぱいにするのも悪くない。


 この時華苗は、作業が終わった時に味わえるであろう達成感を想像して笑っていた。


 ──この後なにが起こるのかも知らずに。













「あとちょっと、あともうほんのちょっとだけでも詰められない?」


「うーん、さすがに限界だよ~」


 あれから十分もしないうちに新しい麦束が運ばれてきた。


 やはりはざがけしている間に相当刈り取っていたようで、息を切らしながら運びに来た佐藤が言うには、あまりの量に興奮して藁の山に飛び込んだ者さえ出たらしい。


 誰かは言わなかったが、前科もちの二人とはしゃぎすぎた子供だと言っていたからきっと青梅と双葉とシャリィだろう。全身にちくちくした大麦をひっつけて涙目になっているサッカー部長がいたが、誰も目を合わせなかった。


「田所、アンタのほうは?」


「おれんとこも、そろそろ限界。詰めまくってるけどスペースがねぇや。むしろこの横木が折れないのが不思議なくらいだよ」


「むぅ……予想以上に多いねェ」


 それからしばらく断続的に麦は送られ続けている。最初は背負子と手で直接持ってきたものだけだったが、ちょっと前からは野菜を卸したりするときに使ういつものリヤカーも使われるようになってきていた。


「ねぇ華苗ちゃん、いくらなんでも多すぎない?」


「でも、量的にもうそろそろ終わるはずだよ。たぶん、よくできてたからその分嵩が増しているだけだと思う」


 麦束は押し込めば意外と嵩が減ってスペースができる。あともうちょっとと自分に言い聞かせて干していくが、正直終わる気がいつまでたってもしない。


 作業を始めてからはもうだいぶたったように思っているが、太陽はまだそんなに傾いたようにも見えない。まだまだ終わりは望めそうにないだろう。


「……仕方ない。新しいはざを作るしかないかねェ。礼治、雄大、悪いけど手伝っておくれ」


「お、まぁ、組んで結ぶだけだろうからいいんだけど……」


「材木、どうするんですか? 予備とかあるんです?」


「ないさね。だから、切りに行くよ」


「……はい?」


「ここにあるのは、みんな園芸部のびわの樹で作ったやつさね。たしかに木材として店で売られるようなことはほとんどないけど、びわは綿密で粘りもあって、こういうのにはちょうどいいんだよ。立派な木だから強度は十分さね。楠が乗ってもびくともしなかっただろう?」


「マジっすか……」


 驚く二人を連れて、おじいちゃんは畑へと向かっていく。


 言われてみればこのはざ、びわの樹皮の特徴がよく出ている。丈夫な樹だなとは思っていたが、まさか園芸部の由来のものだったとは華苗は想像すらしていなかった。


「……びわってあのびわ? よっちゃんが倒れた時に保健室で食べた」


「そ、そうだろう……ね」


「材木とかも扱っているんだね……。さすがに予想外だよ」


 華苗の頭に林業だとか、第一次産業という単語が出てきた。さすがに、それはアウトだろう。食べられないし。


「ま、まぁでもこれで余裕ができるから……」


「うわっ!」


 華苗がそういった途端、よっちゃんは華苗の後ろを見てあからさまに顔をしかめる。華苗と清水は何があったのかといぶかしみ、田所は無表情でよっちゃんと同じものを見ていた。


「無理じゃね? 詰んだな、これ」


 どこか諦めたようなその言葉につられ、華苗も二人が見ているほうに目を向けようと、ゆっくり、ゆっくりと首を回す。


 そこにあったのは。


「…なかなかきついな」


「ねぇ楠くん、それ、本当にきついだけで済むの?」


「いや、惚れ直したよ、ホントに」


「……っ! ……っ!」


「たいへん! おにいちゃんが、おにいちゃんが!」


「いやもうマジでムリだから……! ホントムリだから……!」


 リヤカーにあり得ないほどの量の麦を乗せた楠と、やはり背負子にあり得ないほどの麦束を乗せた秋山たちだった。


 リヤカーにうずたかく積まれた麦は牽いている楠の身長を軽く超えてしまっている。背負子を使っている人達も、今までの二倍近くを背負った上で両脇に麦束を抱えていた。


「な、なんだねあれは……」


 華苗たちの言葉を代表するように教頭が驚嘆の声をあげる。明らかに、積載量オーバーだ。


 それに、まだこんなにも麦が残っていた事が驚きだ。どうせあともうちょっとで終わると思っていただけに、その光景はさらに酷く見えた。


「…すまないが、降ろすの手伝ってくれないか? まだまだ、畑には麦が残っているんだ」


「まだあるんですか!?」


「…なくては困る。一年分は収穫する予定なんだからな」


 当たり前のことのように楠は言う。華苗の背筋にいやな汗が流れた。


 どう頑張ったって、畑が二倍の大きさになっていたって、今日一日で一年分の麦を収穫することなんてムリだ。いつもの異常成長だって、再び採れるのはだいたい翌日だというのに。


「秋山先輩、畑で何が起こっているんです!?」


 楠に聞いても埒が明かないと判断した華苗は秋山に問いかける。秋山は、壊れたように、自虐するように笑いながら答えた。


「ははは……。また生えてきた……」


「……」


「うん、オレもさすがにビビった。いくらなんでも早すぎるって。でも、深く考えたら負けだと思って刈り取りに回ったんだ……」


 一度畑にいる全員で刈り取りを行ったらしい。さすがにずっと刈っていて慣れたことと、運動部特有の身体能力も手伝って、そこまで時間をかけずに刈りきったそうだ。


「で、ようやく終わったと思って、ふと振り向いたら……」


 そこで秋山は一息を入れる。そして、ため息をついて呟いた。


「……また生えていた」


「……は、ははは」


「マジでシャレになんねぇ。今度こそ自分の脳みそを疑った」


 それでも、必死になって秋山たちは刈ったらしい。


「麦は丈夫って聞いたから、こういうのもあり得るのかもと思ったんだ。でも、さすがに三度目だから、これさえ刈ればもうしばらくは大丈夫だと思って最後の力を振り絞って刈ったんだ」


「そ、それで……」


「……そしたら、今度は刈ったそばから生えていった」


 げっそりとした顔で秋山が言う。他の人たちも、楠を除いてみんなが疲れきった顔をしていた。なんというか、目も当てられなかった。


「…麦は土作りにいい作物だからな。その根は土を耕し、麦わらや残った根は肥料となって土を豊かにする。麦の後作は、だいたいどんなものでもよく育つな」


 楠が麦の蘊蓄を語るが、もはやそんなもの、なんの意味もなさないのだろう。


「……先輩、これもまごころですか?」


「…そのとおりだ。おまえもわかってきたじゃないか」


「……明らかに今までと違いませんか?」


「…そうだろうな」


 何を言っているのだといわんばかりに楠は華苗を見る。その目をするのはこっちのほうだと、華苗は心の中で愚痴った。


「…今日、いろんな人が麦踏みでまごころをこめてくれただろう? 俺一人やおまえだけでもあれだけ畑は応えてくれるんだ。五十人近くがまごころを込めたのだから、当然の結果だと思うが?」


 おまけにまごころは足し算じゃなくて掛け算だしな、と楠はつぶやく。本当に、こいつは何をいっているんだと華苗は楠の襟をつかんで揺さぶりたい衝動に駆られた。もっとも、華苗の身長では絶対にできない。


 よっちゃんも、清水も田所も、古家にいた人みんながあんぐりと口を開けていた。嘘だと否定することは簡単だとみんな分かっている。


 ただ、疲れ切った秋山たちとその成果をみれば、そんなことなどとてもいえない。なにより、畑を見ればすぐにわかってしまうことなのだ。


「そ、それでこちらに見えないかたが何人かいると思うのですが、まだ畑に残っている人が?」


「敦美さんがサバイバルナイフを狂ったように振りまわして刈っている」


「……」


 効率だけは、いいのかもしれない。


「森下が鎌を口に、あと両手に数本……たぶん指の間に挟んで滑るように刈っている」


「……さすが部長。ブレてないな」


 超技術、すごい。どうやって刈っているのだろう。


「あと、柳瀬ちゃんがブチ切れた」


「えっ」


「うそ」


「……はい?」


 さっき橘に教えてもらったが、柳瀬とは剣道部の女部長だ。長い黒髪のポニーテールが強く印象に残っている。


 いつも橘と仲良く話していると思ったら、幼馴染らしい。優しそうで頼れるお姉さんだな、というのが華苗たちの共通認識だ。


 そんな柳瀬が、部活会議で華苗に助け船を出し、シャリィと仲良く話していた、あの柳瀬がブチ切れたとはどういうことだろうか。


「刈っても刈っても、オレたちを嘲笑うかのように生えてきた麦にぶち切れた柳瀬ちゃんは、どっかから竹刀を持ち出して、一瞬で前方をまるまる刈った。一振りしただけで、教室一個分くらいは刈られていた。

 なお生えてくる麦に苛立ちを覚えた柳瀬ちゃんは、畑の真ん中でくるりと回った。次の瞬間には麦が円状に刈られていた。半径五メートルはあったと思う。

 竹刀が空を切る音が聞こえるたびに、どこか離れたところで派手に麦が舞った。振ったように見えなくても、柳瀬ちゃんが歩くたびに、前にある麦はどんどん刈られていった。オレには何が起きているか判らなかったが、柳瀬ちゃんは無意識のうちに近くにあるものを刈っていたらしい。

 そしてみんなが畑から出払ったのを見計らい、一瞬目を閉じて集中したかと思うと、次の瞬間、畑の麦全てが刈られて倒れていた。竹刀を振るのは見えなかった。オレに見えたのは、竹刀を振り切った姿だけだった。

 ……それでも麦は次から次へと生えてきて、一瞬の後にまた元に戻った。刈られても刈られてもけなげに生え続ける麦にむしろ好感を感じた。愛おしくさえ思っていたのかもしれない。そして、新しい麦の穂に引っ掛かっている刈られた麦をみて、その好感すら虚しく感じるようになった」


 なんだか秋山の目が虚ろになっている。話している言葉にいつもの元気で軽い感じがない。


 ふとみれば、まわりにいる人達がいやいやをするように目をぎゅっとつぶって頭を振っていた。


「刈った麦は榊田や中林がその体躯を生かして率先して回収していった。その足音を、束ねる女子たちは震えながら聞いていた。……回収するやつも神経をすり減らしていたが、それを処理するやつもまた、限界だったんだ。刈る音が響き、足音が大きくなるにつれて、涙を目にためるやつさえ出てきた。椿原ちゃんが励ましていなかったら、戦線なんてとうの昔に崩壊していた」


 まずい。あの秋山が、そうとうキている。よっちゃんと清水が、不気味なものを見るような目で秋山を見つめていた。


「それでも麦は刈り切れなかった。置く場所さえ確保できなくなったオレたちは、ひとまずここをあいつらに任せて干しに行こうとした。誰かが言い出したわけじゃない。ただ、みんな自分に言い聞かせようとしたんだ。……そうするしか、なかったんだ。

 そして、オレたちは負け犬のように戦線から離脱した。いや、負け犬のように、じゃない。本物の負け犬だ。オレたちは麦の恐怖に負けて、大事な戦友を戦場に残して離脱した。……負け犬のほうが、マシだった」


 秋山の目はもう華苗を捉えていない。ぶつぶつと酷く聞き取りにくい声で、独り言のように呟いていた。


「文化部男子の消耗は特に激しかった。中でも佐藤は頑張っていた分それが顕著だ。おそらくもう動けないだろう。それでも、あいつは最後まで自分の足で動いてくれた。

 ……そして撤退中、じっちゃんとすれ違った。じっちゃんはオレたちの現状を見てすぐに作戦を変更した。班の中から使えそうなのを引き抜き、本格的なはざを作ろうとびわの樹を倒しに行った。

 ……楠いわく、まごころに満ち溢れる今の畑なら、切り倒しても丈夫で強いびわがすぐに生えてくるとのことだった」


 今の畑にはまごころ以外のものが満ち溢れていると、その場のみんなが思った。


「オレたちは泥まみれになりながらも、無事に戻った……。だけど、このままじゃダメなんだ! 戻らないと、早く(せんじょう)に、戦場(はたけ)に戻らないといけないんだ!」


「もういい、あなたたちは休みなさい!」


「がんばったね……! 本当に、がんばったね……!」


 ふらふらと畑に向かおうとする秋山を古家にいた女子が羽交い締めにする。眼鏡をかけたパソコン部長が、息を切らした演劇部長がぐったりと座りこむ。運動部でさえ、立っているのはわずかだった。


「…なんの茶番をしているのだか」


「茶番に見えるあなたがすごいですよ」


 青梅と双葉、シャリィは飲み物をもってこようと古家にすでに入っている。梅ジュースを飲めば、少しはマシになるだろう。他の女子も、畑組の世話をし始めた。もう、ひとりで背負子を降ろす気力もないらしかった。


「…まぁ、そろそろ休憩でもいいか」


 楠もその場にどかっと座る。なんだかんだで少し疲れていたらしい。配られ始めた梅ジュースをうまそうに飲むと、とびきりの、悪魔のようにも見える笑みを浮かべた。


「…新しいはざもできるし、休憩したらもっとやれるな。楽しみでたまらん」




──コイツ、鬼だ



 華苗、よっちゃん、清水、田所の心が一つになった瞬間だった。






20140315 誤字修正

20150503 文法、形式を含めた改稿。

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