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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
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18 まずは麦踏み

園芸っていったら園芸だ。

誰が何と言おうと園芸だ。


 麦の種まきは多くの場合、農業用機械を使って行われる。というのも、そちらのほうが圧倒的に効率が良いからだ。


 機械を使えば畑を耕し、土を麦にとっては理想的な大きさに砕き、肥料をまきながら種を播くという一連の作業が一度にできる。。麦はだいたいの場合において量が必要になるため、この方法をとるのは当然と言える。


 とはいえ、手作業で植えられないというわけではない。農業用機械がないころから、麦はいろいろな場所で育てられていたのだから。


 種まきの際、気をつけなければいけないのはやはり土づくりだろう。種をまくかなり前、おおよそ二週間前くらいには麦にあった性質の土にし、慣らしておかなくてはならない。


 具体的には、鍬などで畑をよく耕すことだろうか。畑中の水分が多いと麦は発芽しないため、耕すことで土の粒の大きさそのものを小さくして水はけを良くするのである。もっとも、それにも限界はあるのだから、機械を使ったほうが確実ではある。


 土づくりがうまくいったとしても、忘れてはならないのが麦の種そのものの消毒だろう。麦には種子の状態でかかる病気があるため、これをきちんと行わないとせっかく植えてもちゃんと収穫できなかったりする。


 もちろん、これだけがすべてではない。本来ならもっときちんと肥料をまいたりなんやかんやとしなくてはならないのだが、このケースにおいてはあまり関係のないことだからここでは省略する。


 さて、実際に植える時の話だ。畝たて、すなわち畝を作って麦を植えるのだが、この畝はだいたい歩幅と同じかちょっと広いくらいの感覚で、拳一個分ほどの高さが理想的だ。


 畝が出来たのならそこに種を植える。畝に溝を作って適当にぱらぱらと蒔いて土を被せたり、やはり拳一個分ほどの感覚で穴を開け、そこに二、三粒ほど蒔く……などいろいろな方法があるが、共通していえることは、あまり深くに植えすぎないことと、密集させすぎないことだろうか。


 密集させすぎると一つ一つの麦にいきわたる栄養が少なくなってしまうため、麦の成長不良を招く恐れがあるのだ。


 この蒔き方にはすじ蒔き、ドリル蒔き、はばひろ蒔き、ばら蒔きなどの種類があり、気候条件や排水条件、農耕条件などで使い分けられる。


 なお、ばら蒔きは大規模栽培が前提とされているため、日本ではほとんど行われないとのことである。また、ドリル蒔きも機械運用が前提とされている。そのため今回行ったのはすじ蒔きだ。


 忘れてはならないのだが、麦を蒔く日も重要だ。雨の翌日などは絶対に避けなくてはならない。


 前にも触れたが水分が多いと麦は呼吸できずに発芽しないので、できることなら晴れが続いて畑が乾燥しているときがいい。もちろん、乾燥しすぎているのは問題なわけだが。


 そして、種を植えたのならしばらくは様子見だ。物にもよるがおおよそ二週間。それが麦が芽吹くまでの時間なのだ。






「って、とこまでっ、きのうっ、やったんだっ!」


「なんだかっ、けっこ、本格的だ、ねっ!」


「ちょ、よっちゃん、も、華苗ちゃん、も、はやいっ!」


 華苗たちは今、全速力で廊下を走っている。もちろん、ただかけっこをして遊んでいるわけでは決してない。十分という少ない休み時間を効率的に使うには走るしかなかったからだ。


「清水、意外と遅いなぁ。つーか、八島が思った以上に速いな」


「た、どころ、アンタな、んでそ、んな……!」


「うん? これくらい普通じゃね?」


 華苗たち、とはよっちゃんと清水と田所だ。清水がぜえぜえと息を切らして走っているというのに、田所は息も切らさず普通に走っている。やはり男子というところか。


 いや、よくよくみれば田所は足音も立てていなければ姿勢が上下してもいない。頭の位置がさっきからずっと一定で、ぶれていない。もし足元をみずに上だけを見ていたのなら、幽霊のように見えなくもない。……超技術部だから、だろうか?


「で、も、華苗ちゃ、ん、運動苦手って、いってなかったっ?」


「さい、きんはから、だが動くのっ!」


 やはり園芸部の活動は華苗の体を確実に育てているようだった。体育のときだって、今はフルに動いても息切れ一つしない。これなら運動部に入ってもやっていけそうだと、密かに華苗は思っている。


 さて、華苗たちが急いでいるのにはわけがある。昨日の部活動会議の後、華苗は楠とおじいちゃんと一緒に麦を植えたのだ。もうすでに畑は耕してあったらしく、かなり量があったとはいえ植えるだけなら意外とすんなり終わった。


 楠とおじいちゃんはその後も学校に宿泊してなにやらいろいろやるようではあったが、華苗は宿泊許可をもらっていない。もともとお泊まりセットだって持ってきていないので、華苗のその日の仕事はそこで終わりだった。


 もちろん、翌日、つまり今日は仕事がある。楠から事前に聞かされたが、麦踏みという作業だ。


 これは何度かに分けてやらなくてはならないらしく、都合、十分休みしか機会がないらしい。楠が協力を仰いだ理由の一つはこの麦踏みのためである。


 さすがに華苗と楠の二人だけでは十分という休み時間で全ての麦踏みを終えることはできない。できるだけ多くの人が必要だったのだ。


 華苗の話に興味をもったよっちゃんと清水、そして部活会議に出席していた田所が華苗と一緒に畑へと向かうのもごくごく自然な流れだ。


「あ──っ! いたいた! みんな、園芸部が来た!」


「マジか! 降りるだけ無駄にならずに済んだな!」


 昇降口を出て中庭。そこには何人もの上級生がいる。よくよくみれば部活会議で見かけた人物がほとんどであり、華苗のように友達を連れているのも何人かいるようだ。


「あれ、みなさん、どうしたんですか!?」


「どうしたもこうしたも、相変わらず畑が見つからないんだよ。楠のやつ、集まったやつらで先に行っちまったらしい」


「そうだった……」


 何部だったろうか、男子生徒が愚痴るように語る。華苗はすっかり忘れていたが、あの畑は入れる人と入れない人がいるのだった。楠が中庭を集合場所としたのも、その辺が理由なのだろうか。


 いや、楠のことだ。迷うやつがいるからまとめていこう、などと思っていたのだろう。楠はどうしてか不思議な現象をかたくなに認めようとしないのだから。


「みなさん、こっちです!」


 一分でも時間が惜しい華苗は先頭に立って走りだす。それにつられて上級生もずらずらと動き出した。校舎の上から眺めれば、さぞかし面白い光景だろう。


「あたし、畑に入るのはじめてっ、なんだよねっ!」


「私、も!」


「おれもだな。畑があることも知らなかったし」


 華苗に続いているよっちゃんたちが口にする。そういえば、と華苗は思い出したが、よっちゃんは以前畑に入ろうとして見つけられなかったはずだ。今回はきちんと入れるのだろうか。


 自分自身が普通に入れるだけに、このままで本当に入れるのか不安に思う華苗。あと、もうすこしで畑だ。


 後ろのほうで上級生たちの足音も聞こえるし、おそらくは問題ないはずだが……。


「うぁっ!」


「うぷっ」


「よっちゃん!? 史香ちゃん!?」


 畑が見えるとこまで来た瞬間、よっちゃんと清水が奇妙な声をあげる。なにかあったのかと驚くが、一瞬のことだったようで、若干顔が青ざめてはいるものの、問題は特になさそうだ。不思議そうにしている田所をみると、畑に入ったことによる弊害ではないらしい。


「ん、だいじょぶ。なんか一瞬めまいがしただけ」


「わ、私も。なんか乗り物酔いみたいのがきたけど、大丈夫」


 走りすぎによるものだろうか。貧血でないといいんだけど、と華苗は思う。上級生のほうにはこの症状で出たものはいないらしい。一瞬足をとめた華苗たちを不思議そうに眺めていた。


「本当におっきいね~! こりゃいろいろやっているのも納得だわ」


「すごいね……。あっちにあるのバラじゃない? こんなにしっかりしたやつだったんだ。……ていうか、麦を植えたのって昨日っていってなかった?」


「噂にゃ聞いてたけどほんとなんだな……。しっかし、でっけぇなぁ!」


「……」


 早くも立ち直ったよっちゃんたちは畑の大きさに驚いている。初めて入ったらしい上級生もまた同様に驚いていた。


 まぁ、高校に畑が、それも25メートルプールほどの大きさのものがあるのは珍しい。驚くのも無理はないだろう。ただ──


「なぁ、義人、俺の気のせいかもしれないけど……」


「たぶん、気のせいじゃないな、俺もそう思う」


「やっぱり……そうなんだろうね。アタシもそう思う。もう気にしなさんな」


 華苗を含む、何人かの入ったことがあるのであろう上級生たちは皆息を呑んでいた。


 そう、だって、おかしいのだ。たしかにここの畑は広い。だけど、だけどだ。


 先に来ていたであろう十何人もの生徒がすでに畑に入っている。もちろん楠やおじいちゃん、秋山もいっしょだ。スペースをかなり開けて、懸命に青い草、まだまだ若い麦を踏んでいるのが分かる。


 別れてやったほうが効率がいいのだから、正しい行動だとは思う。昨日植えたばかりの麦が芽を出しているのはもはや今更のことだろう。


 ただ、この畑には麦以外のものも植えてあるのだ。


 果樹は畑には植えられていないが、それでもイチゴ、トマト、玉ねぎ、枝豆、アサガオにバラが植えてある。そのスペースはかなりのものだ。麦のためのスペースは、それほど多くはなかったはずなのだ。


 なのに、彼らはスペースを開けている(●●●●●●●●●●)。そして、ゆったりのびのびと作業をしている。もちろん、植えてあった作物が引っこ抜かれているわけではない。




 単純に、畑が広くなっていた。それも倍以上に。




「楠先輩、これ……」


「…八島か。遅かったから先に始めたぞ。…いや、これでよかったのかもしれん。なぜだか、ここは迷うやつが多いからな」


 楠はまるでいつも通り、畑に立っている。いつもと違うのはオーバーオールを着ないで学ランでいることくらいだろうか。あのおじいちゃんでさえ、今は学ランを着ていた。


「畑、大きくなっていません?」


「…麦は量がとにかく必要だからな。畑が応えてくれたんだろう」


「麦、あんなに植えましたっけ?」


「…まごころを込めたからな。それよりさっさとするぞ。時間がない」


 もはやどこから突っ込めばいいのかわからない。


 畑の乾いた土の匂いも、頬をなでる風も、ちょっときつくなってきた日差しも、全て本物だ。ここは紛れもない現実なのだ。だというのに、畑だけが現実っぽくない。


 ちょっと歩いてみてわかったのだが、驚くべきことに麦を植えたスペースそのものはまったく変わっていないのである。信じがたいことではあるが、テレビのCGのようにその植えた場所だけが引き延ばされているらしい。上から見た土地そのものは何ら変わっていないようだった。


 SFに詳しくはないが、空間が引き延ばされた、というのが一番しっくりする。そのうえ、普通にしている分には違和感などまるでないうえに、ごく普通の畑と同じだというから驚きだ。本当に、いったいどうなっているんだろうか。


「…新しく来てくださった人、聞いてくれ。これから麦踏みを行ってもらう。普通に踏んで貰うだけで構わない。蟹歩きのようにやるのが一般的だ」


 そう聞いただけで何人かの気の早い人は畑に繰り出した。楠はちらりとそれを見るが、畑に既に方法を知っている人がいるから大丈夫だと踏んだのだろう。そのまま話を続ける。


「…麦全体を、かなりしっかり踏んでください。繰り返し、何度でも。ぺしゃんこになっても、まったく問題ありません。…ただ、できるだけ多くの麦を踏んでくれるとうれしい」


 これだけの量があるのだ。時間も限られていることだし、一つ一つをしっかりやるよりかは、量を優先したほうがいいだろう。


「…ただ、あきらかに踏みつけてぐりぐりと痛めつけるのはダメです。まごころをこめて、成長を願って踏んでください。これが一番重要です。…授業時間が近付いたらすぐに戻ってもらって構いません、では、お願いします」


 今度こそ全員が畑に繰り出した。すでに畑にいるのとあわせると、かなりの人数がいるのではなかろうか。部長たちだけで四十人近くはいたはずだから、きっと五十人以上はいるだろう。


 華苗もよっちゃんたちと一緒に畑に入る。ちょっと靴が汚れてしまうかもと思ったが、乾いた土だったし、そこまで気にする必要もなさそうだった。


 小さな青い麦がかわいらしくぴょこんと顔を出している。本当に踏んでしまっていいのかどうか一瞬悩むが、ちらりと盗み見た楠はその大きな足で躊躇いもなく踏んでいた。


「なんていうか……本当に本格的だね~」


「ねぇ、華苗ちゃんとこって、『園芸』部よね?」


「はは……」


 華苗も負けじと小さな足で目いっぱい麦を踏む。葉っぱが靴の上から華苗の足をかさかさと撫でる。足裏から伝わる感覚がなんだかちょっとかわいそうだったが、これも収穫のためだ。


 ちょっと踏んだくらいではすぐにぴっと立ち上がるところ見ると、本当にしっかり踏まないとダメらしい。


「むぅ、なかなか骨が折れるな」


「足腰鍛えられていいかもしれないね」


「杉下、どっちが多く踏むか勝負しようぜ!」


「またですかぁ? 秋山先輩、陸上部になにかうらみでもあるんですか?」


「いいの! 陸部とサッカー部は昔っから勝負する運命にあるって決まってんの!」


 みんな思い思いに踏んでいるらしい。ぱっと見ただけで、剣道、弓道、サッカー、陸上部がいるようだった。あちらでカメラを回しているのは映画研究か放送部だろう。ドキュメンタリーを撮るとかいっていたし、なかなかいい絵が撮れるのではなかろうか。


 華苗も園芸部として精一杯麦を踏み続ける。たくましく育ってくれますように、とお願いするのも忘れない。


「ねぇ華苗、この麦踏みってどうしてするの? みんなけっこう踏んでいるけど、大丈夫なの?」


「あ、私もそれ思った。なんかぐしゃってなってるのもあるし……」


「えっとね、楠先輩が言うには……」


 麦踏みは普通、何度かに分けて行われる。だいたい三、四回くらいだ。


 最初の麦踏み、すなわち冬季の麦踏みは凍害を防ぐためだ。普通寒くなると霜柱が立ち、土を持ち上げてしまって根が傷むのだが、しっかりと踏んでやることでそれを防ぐのである。


 足で踏むことにより葉が傷ついたり切れてしまったりするが、そこから再生する麦は以前より太く、丈夫になる。根っこだってしっかり張るようになる。育成初期は根の力も弱くなるため、きちんと麦を踏むのは非常に有効だ。


 物理的に丈夫になるだけでなく、耐寒性もあがり、乾燥にだって強くなる。太く短い茎は、風に倒れにくくもなる。


 実を言うと、冬の間にできる茎は無効茎といってちゃんとした収穫が望める茎ではない。踏むことで上の葉っぱ部分の成長を抑え、無効茎を作らせないというのも理由だ。


「つまり、丈夫にするだけってこと? だったら他にも方法がありそうだけど……」


「ううん、もちろんそれだけじゃないの。麦踏みには、収穫量をあげる効果もあるんだよ」


「どゆこと? 踏むだけなのに?」


 麦踏みには分蘖ぶんげつを促す効果がある。これは根元から新しい芽が伸びて株別れすることだ。当然、株が増えればその分収穫量も増える。


 また、最初にある程度スペースを開けて植えるのはこの分蘖で増える分を見越してのことでもある。


 だいたい踏んでから4~5日ほどで再び立ち上がるが、麦踏みの後に地面が雨などで濡れると葉が土に張り付いて起き上がりにくくなる。できるだけ避けたほうがいい。


 気温が上がってくると茎が立ってくるのでこの段階で麦踏みは終わりだ。


「まぁ、場合によっては踏まなくてもいいらしいし、そもそも踏まなくても麦は丈夫だから普通に育つらしいよ。ただ、ちゃんと踏む時期とかは見極めないとダメみたい。とにもかくも、麦の状態を見て決めるんだって」


「へぇ……ただ踏むだけなのに、そんないろいろあるんだ」


「すごい、華苗ちゃん農家の人っぽい!」


「お願い、園芸部っていって?」


 清水の言葉に、思わず華苗は力なく笑う。それは、実はけっこう気にしている一言だったからだ。


 ともあれ、まだこれは一回目の麦踏みだ。次の休み時間も踏みに来ないとダメだろう。きっと一時間もあれば、この麦だってそれくらいは成長しているはずだ。昨日の楠の口ぶりから察するに、午後からは刈り取りなのだから。


 ちらりと楠が腕時計を見る。もうそろそろ、時間なのだろう。


 見た限り、ほとんどの麦は踏まれたようだった。いくら大人数とはいえ、なかなかの量があったと思うのだが、きっと運動部の先輩が頑張ってくれたに違いないと華苗は思うことにした。


「よしっ、おしまい!」


「次は教室ダッシュだね!」


「ま、また走るの!?」


「走らなきゃ間に合わなくね?」


 一区切りつけた華苗たちは、きんこんかんこん、と鐘がなる前に教室へと走りだした。





20150503 文法、形式を含めた改稿。


ホントのホントに園芸なんだからね。

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