12 佐藤先輩の感謝のクッキング ☆
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。
本当にありがとうございます!
ノイズのような雨音が、お喋り声で騒がしい教室にわずかに聞こえていた。
昼休み、といえばお弁当の時間であり、自然豊かな園島西高校では屋外でお弁当を食べる生徒も多い。日差しが当って気持ちがいいし、さわやかな風が吹き抜けるので退屈な授業でうんざりとした気分を健やかにしてくれる。
ただ、さすがに雨が降っているときに外で食べる生徒はほとんどいない。ほとんど、というのがミソで、屋外であっても雨が当らない場所で食べている生徒が確かに存在するのだ。彼らの場合、雨が降っていようといなかろうと、“いつものばしょ”でお弁当を食べるということが重要なのだろう。
さて、雨が降っているとどういうわけか校舎内の廊下も濡れてくる。濡れた廊下は酷く滑りやすくなり、うっかり走ったりするとすぐに転ぶ。実は雨の日だとねんざ等で保健室に運ばれる人が少しだけ多くなるのだ。
この濡れた廊下はなかなかに曲者だ。滑りやすいというだけで、普段から混沌としている購買部の前はいつも以上に酷いこととなっていた。
園島西高校の購買部は昇降口の入ってすぐのところにある。すなわち、一番濡れているところである。
校舎の反対から走ってきた生徒も、上階から階段を駆け下りてきた生徒も、そこでいきなり変わる摩擦係数のせいで、すてんすてんと面白い様に転ぶか、曲がり切れずに壁にぶつかるかしていた。勢いが止まらずそのまま列に突っ込んでいる者もいる。
そんな地獄の購買戦争を制してウィンナーパンをゲットしたよっちゃんと、いつも通り可愛らしいピンクのお弁当箱を持ってきていた清水と一緒に、華苗はいつも通り教室でお昼を過ごしていた。
今日のおかずにはゆで卵が入っている。あやめさんとひぎりさんのものだ。佐藤に渡しても十分に量があった卵は華苗のお弁当に入ることとなったのである。
「佐藤先輩がバラをねぇ……。わかるよーなわからないよーな……」
「どっちかっていえば、ハーブとかそっち系だと思うんだ、私」
「あは、なんかわかる」
華苗は二人に昨日の出来事を話していた。昨日の出来事とはもちろんバラのことだ。
佐藤は文化研究部であり、かつ調理とお菓子を兼部しているのでこの二人とも面識がある。女ばかりの部活の中で唯一の男なので、部内でもそれなりに目立っているらしい。にこにことした表情から、密かに人気があるのだとか。
「それで、佐藤先輩はどうしてバラを?」
「なんか親戚の女の子にお願いされたらしいよ?」
なにそれぇ、と清水が首をひねる。
「植えるより買ったほうが早くない? 増えるのにどれくらいかかるのか……」
「ふっふ~ん、史香は知らないでしょ?」
得意げな顔をしたよっちゃんに、清水は更に首をひねる。そう、よっちゃんは知っているが、清水はまだ知らない。ざわざわとした教室の喧騒の中で、華苗は少し震えた声で清水に答えた。
「……それが、今朝見たときにはもう満開だった。一面バラでいっぱいだったの」
「……はい?」
「やっぱりかぁ」
実は昨日のことが気になった華苗はちょっと早くに学校に来て畑を確認していた。雨が降りそうだったので、降らないうちに確認しようと思ったからだ。
そこには予想通りというべきか、色とりどりのきれいなバラが咲いていた。それこそ、赤、白、黄色、ピンク……と、まさにカラフルなそれらが広がっていたのである。そして、見た目の華やかさもさることながら、畑の端のほうからでもバラのいい香りがしていたのを華苗はよく覚えている。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
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【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
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よっちゃんはすでに知っているので、特別驚いた様子はない。対する清水は華苗が言ったことを理解できないようだった。まぁ、無理もないことだ。
「あそこのものはみんなおいしいし成長は早いし、バラも相当きれいだったろうね」
「え、いや、うそでしょ?」
「ほんとなんだなこれが。お菓子部だって、いっぱい果物とかもらってるでしょ? あれ、全部園芸部のものだよ?」
「……あの量を? 全部?」
「うん、全部」
たしか、と華苗は思い出す。お菓子部にはいちごとびわ、それと文化研究部を通して梅が卸されて……いや、梅はまだだったはずだ。
「ありえなくない?」
「いや、本当のことだからね、ふみちゃん。調理にしてもお菓子にしても、野菜とか果物はだいたい園芸部のものなんだ。楠には感謝しないと」
「…まぁ、俺もその分いろいろ得しているから、お互い様だと思うがな」
「っ!?」
「わぁ、いつも通り、というか流石ですね」
もはや慣れてしまった華苗はいつも通り誰にも気づかれず混ざってきた楠に対して普通に挨拶をする。なぜか佐藤まで一緒だ。うわさをすればなんとやら、という
やつだろうか。よく見れば、二人とも髪と制服がわずかに濡れている。
ふと周りに注意を向けてみると、いつのまにやら教室はしんと静まり返り、雨音が響いていた。隣のクラスのがやがやとした音がわずかに聞こえる。いきなり出てきた楠達に驚いたらしい。
「それで、どうしたんですか? 何かあったんですか?」
「…連絡だ。雨が降ったから今日は調理室に集合だ。あやめさんとひぎりさんは俺たちが既に入れといた」
「僕は楠についてきただけだよ」
あいかわらずにこにことして佐藤が続ける。どうやらここに来る前に鶏小屋によってきたらしい。わざわざ仕事を手伝ってくれたようだった。
「…バラのほうは明日になりそうだな。とりあえずは問題なさそうだったが、さすがにこの雨の中で摘むのはちょっとな」
「そんなわけで、今日は調理室で何か適当に作ってみようかと」
少しだけ教室の喧騒が戻ってきた。まぁ、これが二回目だ。最初の時よりかはみんな慣れたのだろう。ちらちらとこちらをうかがいながら、普通にお弁当を食べている。
「佐藤先輩、部活のほうは?」
「そうですよ、今日はどっちに出るんですか?」
「青梅部長も双葉部長も、なんか用事があるから遅れるって。その間は好きにしてていいそうだよ。だから──」
そういって佐藤はぐるりとみんなの顔を見回した。みんなとは楠、華苗、清水、よっちゃんだ。
「せっかくだし、バラの感謝の気持ちをこめて僕が腕を振るおうと思っているんだ」
「なんか三人でここにいるのって不思議だね」
「そういえば、初めてだね~」
「部活で使うこと、私はあまりないもんね」
調理部とお菓子部が混ざって部活動をしている中で、華苗たち三人は調理室の端っこで待機していた。本来なら調理部であるよっちゃんとお菓子部である清水は部活動着であるエプロンと三角巾を着用しなくてはならないのだが、今は普通の制服だ。
たたん、たたん、と調理部がトマトを切っている。かちゃかちゃ、とお菓子部が卵を泡だて器でといている。
涙を流しながら玉ねぎを切っている人がいる。小さなナイフでいちごのヘタを取っている人がいる。
「使われているのが見たことあるやつばっかり」
「…まぁ、そのために持ってきているのだからな」
いつもは調理部同様、ここにいるときはエプロンと三角巾をつけている楠も今日はそのまま学ランだ。こうしてみるとこの場には酷く不釣り合いである。
「たまにはこういうのもいいねェ」
おじいちゃんも今日は部活を休んでこちらに合流していた。本当なら梅を届けたかったらしいのだが、あいにくの雨で部室からここまで持ってくるのが大変だと踏んだらしい。
なので、ちょうどよいとばかりに佐藤がそのままこっちに誘ったのだった。なお、おじいちゃんもいつも通り甚平を着ている。
「…そういえば、ここのところ夢一が腕を振るうところを見ていなかったな」
「夢一は外で腕を振るうことが多いからねェ。こっちじゃレシピの研究くらいじゃないかね?」
あの娘のこともあるし、とおじいちゃんが小さくつぶやいたのが華苗には聞こえたが、そのことを聞こうとしたちょうどその時に佐藤がやってきた。手にはやはりどこかで見たような材料をもっている。トマト、玉ねぎ、卵、その他だ。
佐藤はデニム生地のような、オーバーオールにも見える深い青のエプロンに、どこかオリエンタルな柄の緑色のバンダナを頭に巻いている。
よく見なくても、楠のエプロン姿とは色違いだ。親友というだけあって、こういうところもいっしょらしい。ただ、楠と決定的に違うところがある。
「なんか、エレガント、ですね」
「はは、ありがとう」
そう、楠のエプロン姿は妙な威圧感があったのだが、佐藤のエプロン姿はこれ以上ないほどに似合っていた。まるでどこかの喫茶店のマスターのような雰囲気を醸し出している。おそらく、にこにことした表情と、明るい色の髪のためだろう。体つきも厳つく、人相も良くはない楠ではこうはいくまい。
「さて、はじめよう」
準備もそこそこに、佐藤は調理に取り掛かる。慣れた手つきで玉ねぎの皮を剥き、みじん切りに取り掛かった。半分に切り、切れ目を入れ、連続で切り刻む。
「すごい……」
流れるように動く佐藤の手つきは、まるで手だけが別の生き物として存在しているかのようだった。完全に計算しつくされた機械のように、動きに一切の無駄がない。
たたたたた、と包丁がまな板を打つ音がリズミカルで、全く関係はないのだが、どこかメトロノームを彷彿とさせる。どうみても、みじん切りは楠よりもうまい。
「~♪」
「調子がいいねェ」
おじいちゃんが感心している間に、今度はトマトを切っていく。こちらは一口大、といってもちょっと大きめだ。
丸くて大きくて、かなり切りにくそうなトマトだったのだが、それもなんなく、鼻歌を歌いながら切っていった。調理部としての実力は確からしい。
さて、すべての野菜を切り終えた佐藤は冷蔵庫からウィンナーを取ってきた。これはさすがに園芸部由来のものではない。調理部のものだろう。
もしかしたら秋山が買ってきたという可能性もあるが、秋山だったら一度に使いきってしまっている。このウィンナーもまた、あっというまに輪切りにされてしまった。
すべての材料を切り終えた佐藤はフライパンを準備すると、油をひいてウィンナーと刻んだ玉ねぎを投入した。
佐藤の腕で、フライパンの中の役者がダンスを踊る。連続した拍手が絶え間なく響いていた。香ばしい香りは華苗の、清水の、そしてよっちゃんの食欲を容赦なく刺激する。
「さて、ここからが本番、と」
一度フライパンをおろした佐藤はボールに卵を割りいれた。ボールの角に軽く卵をぶつけ、五本の指を実に器用に使って割る様は、名前は知らないがボールを扱う手品をするマジシャンそっくりだと華苗には感じられた。
佐藤はそのまま菜箸で卵を溶きほぐす。
「…うん?」
「「あれ?」」
「どしたの?」
最初は楠、次は華苗とよっちゃん、最後に清水だ。
「いや、なんかどっかで見た光景だな~って」
「よっちゃんも? 実は私も……楠先輩は?」
「…俺はいい。どうせあとでわかる」
華苗たちをよそに佐藤はにこにこと笑いながら卵をトマトと一緒にフライパンに流し込む。
「わぉ」
「お腹がすく音だよね~!」
ぱちぱちぱち、と黄色と赤の新入りを迎え入れる拍手が大きく起こる。卵特有の甘い香りと、はぜるウィンナーの香ばしい香りがそこら一帯に漂い始めた。
どことなくエレガントに、それでいて力強くフライパンを振るう様はまさに芸術だ。フライパンという舞台の上で、赤の、黄色の、茶色の役者たちがダンスを踊っている。さしずめ佐藤は指揮者といったところだろうか。
華苗の貧弱な語彙力ではこの程度の表現が限界だ。このすごさを正確に知るためには実際にこの場にいないとだめだろう。ただ、確かにすごいことではあるのだが、これは──
「はい、《特製オムレツ》の完成だ」
「わぁ、すっごくおいしそう!」
「ふむ、なかなかおいしそうだ」
「……」
「……うん」
「……わざと、じゃないですよね」
清水、おじいちゃんとは対照的に、楠とよっちゃんは少し残念そうな顔をしている。華苗だってそうだ。いや、嬉しいことは嬉しいのだが。
「楠? どうしたんだい?」
「…いや、なんでもない。ただ、ちょっとメニューがかぶっただけだ」
ちょっと前に、秋山と一緒に作ったものはまさにオムレツだった。作り方も、材料も全部同じだった。
さて、それはともかくとして、ようやくお待ちかねの試食タイムだ。
華苗の前にはきれいに盛り付けられたオムレツがある。まるでお店のメニューの写真のように盛り付けられていた。このままお店に出ていても、華苗は別に何とも思わないだろう。
「それでは、いただきます」
おじいちゃんの合図とともに、華苗はスプーンでオムレツを一口掬う。プルプルと震える卵とウィンナーはいつぞや見たときと同じものだった。
しかし、だ。華苗はこの時まだ知らなかった。例え見た目がそっくりでも、中身が全然違うものが存在することに。
「おいしい!」
「最高!」
「……っ!」
「うん、いいねェ」
「…さすがだな」
賞賛の言葉が自然と口からあふれ出た。清水だけは感動しすぎて出なかったが。
「それはよかった」
にこにことした顔で嬉しそうに佐藤が言うが、華苗はそんなことに気付きもしない。
まず、一口目から違う。卵が、柔らかい。
それは決して火が通っていないという意味ではない。絶妙に空気が入っていて、なんともいえないふわふわ感が出ているのだ。
例えるなら天使のほっぺだろうか、少なくとも以前のオムレツが霞んでしまうほどのふわふわ感だ。
「すごい、卵の深みが違う……」
よっちゃんの舌は華苗よりも精度がいいらしい。華苗が言いたかったことをうまく表現してくれた。
そう、なんというか、卵に深みがあるのだ。コクといってもいい。二次元から三次元の存在に気付いたような、水面からみた底が思ったより深かったような、その深さだ。とても同じ卵を使ったとは思えない。
「…さっきのは、こいつか」
「ありゃ、やっぱり隠し味入れたのばれてた?」
実は、佐藤は卵を溶きほぐしたときに隠し味を入れていた。楠は偶然にもそれを見ていたのである。この隠し味が卵にここまでの深みを持たせているのは言うまでもない。
「…なんだ、これは? まるでわからん」
「和風出汁かねェ?」
「じいさん、言ったら隠し味じゃなくなっちゃうじゃないですか」
原理としては出汁巻き卵と一緒だ。卵そのものに出汁を加えることでより深みとコクを与えるというものである。
ただ、たったそれだけでここまで味に変化を与えるというのは並大抵のことではないだろう。この和風出汁にも何かしらの工夫があることは間違いない。
「…やはり、もう料理では勝てそうにもないな」
「はは、僕だって園芸じゃ楠には勝てないよ」
片方が作り、片方が調理する。なるほど、たしかにいいコンビではある。
佐藤も自分が作ったオムレツを食べて、満足そうにうなずいていた。調理室の端っこで作っていたはずなのに、全体にいい香りが満ちている。
何人かが味見させてくださいと言ってきていたが、残念ながら全員にいきわたることはなかった。あまりにも食べたがる人が多すぎたためだ。華苗には申し訳なさそうにしている佐藤がひどく印象的だった。
「それにしても、どうしてこんなに料理が上手いんだろう?」
「わたし、お菓子部としての先輩しか知らなかいから……よっちゃんは?」
「ん~?」
まだむぐむぐとオムレツを頬張っていたよっちゃんは慌てたようにごくんと喉を上下に揺らすと、一息ついてから言いきった。
「調理部だからじゃない?」
「いやまぁ、それはそうだろうけど……」
確かに理由としては間違っていないだろうが、それだけではすべての説明はつかない。なにせ、華苗自身の感想であるが、佐藤の作る料理はお店で出ていてもおかしくないレベルなのだから。
楠の料理もお店で出ていてもおかしくないものだが、佐藤のはさらにワンランク上、行列のできるお店に出るくらいのおいしさだ。
「ん、でも青梅部長はもっとすごいよ? 一回だけ食べたことあるけど、あれはシェフだね。それもとびきり一流の」
泣きそうになるほどおいしかった、と幸せそうに言うよっちゃんだったが、急に表情を変えて続けた。
「佐藤先輩のはさ、まるで夢でも見ているかのようなおいしさなんだよね。なんだろう、うまくいえないけど、その瞬間はとってもおいしくて記憶に残るのに、明日になったら忘れちゃうような。たぶん、佐藤先輩も普通の調理部じゃないんじゃないかな」
よっちゃんのその予想はおそらく間違ってはいない。
にこにこと笑っている佐藤と、相変わらず見た目は無愛想な楠。
そして、おじいちゃんが目を細めて華苗たちを面白そうに眺めていた。
20150502 文法、形式を含めた改稿。
20151122 挿絵挿入。
20151123 タイトル修正。タイトルに☆入れるの忘れてた……。




