11 佐藤先輩とバラ ☆
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。
本当にありがとうございます!
「おじゃまします、と」
鶏小屋の木製の扉を音を立てて華苗はあけた。鶏小屋特有の臭気はなく、散らかっている様子もあまりない。
こっこっこ──
華苗が入ってくると同時にひぎりさんとあやめさんがせかすようにして華苗の長靴をコツコツと嘴でつつかれた。今日も元気で快活であられるらしい。
「ちょっとまっててくださいね、すぐに用意しますから」
いつも通りの放課後であるのだが、今現在楠はいない。なんでもクラスのほうで用事があるらしく、一時間ほど遅れるという連絡を華苗は昼休みの間に貰っていた。
午前中に雨がぱらついていたため閉めていた鶏小屋だが、いい感じに晴れてきたので開けておいてくれ、と言われていたのを思いだし真っ先に鶏小屋に来たのである。
思った通り、朝楠が置いておいたのであろう野菜類はなくなっている。あやめさんとひぎりさんの食欲は旺盛であられるのだ。
よく食べられるよね、と思いながら華苗は物置小屋にあったキャベツを適当に千切ってお皿の上に盛り付けた。彼女らのお口は小さいので、ちゃんと千切っておかないと食べられないのである。
「さ、どうぞ」
こっこっこ──と華苗が盛り付け終わるまで待っていたあやめさんとひぎりさんは
、御苦労さまといわんばかりにお尻を振られると、頭をお皿の中へと突っ込まれた。なぜだかはわからないが、その姿にはある種の上品さがあった。
「いくつあるかな?」
ごはんも水も取り換えた華苗はあやめさんとひぎりさんの場所である藁のほうへと顔を向ける。初めてここに来た時に卵があった場所だ。
割とちょくちょく卵が置いてあると楠がいっていたので、もしあったのなら籠かなんかに移しておこうと思ったのである。
もらいますよ、と一声かけ、あやめさんとひぎりさんがお尻を振ったのを確認してから藁の山を覗き込む。なんだか宝物を探しているかのような心持であった。
「いち、にぃ、さん……」
思った通り、やや赤みがかったきれいな卵がいくつか藁の山の中に埋まっている。いちおう朝に楠が着た際にも回収されているはずだが、放課後までにまた産んだらしい。
「じゅうに、じゅうさん、じゅうし……?」
いくらなんでもそんなにないだろうと思っていた華苗だったが数えているうちに声が震えてくる。こないだの時よりも明らかに多い。それも、ヘタしたら倍近くあるのではないだろうか。
「うっそぉ」
数えた結果は──二十一個だった。うしろのほうであやめさんとひぎりさんがこっこっこ──と鳴いていた。
二十一個の卵を籠に移した華苗はうーん、と伸びをして鶏小屋を出た。楠がくるまでまだしばらくはかかる。その間にできることをやろうと思ったのだが、さて、なにから手をつけるべきだろうかと考えているところだ。
やれることといえばイチゴの収穫、トマトの収穫、玉ねぎの収穫、びわの収穫、梅の収穫……は背が届かないからムリだが、そんなものだろう。キャベツはこないだ楠がすべて収穫して小屋に納めてしまっているし、収穫してある野菜を卸しに行くのも華苗一人ではなかなか難しい。アサガオの芽きりはもう完全に終わって種を引き渡してある。
「ここは無難にイチゴの収穫かな?」
華苗はイチゴの収穫が一番好きだ。ぷつんぷつんと気持ちよく採れると気分が良くなる。トマトも悪くはないのだが、やはり手づかみで採ったほうが爽快感がある。
「よし、そうしよう!」
まだ完全に乾いていない畑の土が放つ特有の匂いの中、華苗は意気揚々と籠を持って歩き出す。ふんふんと鼻歌交じりにイチゴの場所へと向かおうとしたとき──
「あ、キミが華苗ちゃんかな?」
「はぃ!」
突然のことに少し変な声が出てしまう。慌てて振り向くと、そこには一人の男子生徒がいた。
身長は秋山とおなじくらいだろうが、細身の体と相まって実際よりもやや高めに見える。もやし、というわけではないが、ひょろ長いというイメージは間違いではないだろう。
にこにことした柔和な笑みを浮かべ目を細めているところをみると、とりあえず悪い人ではなさそうなのだが……。
「ああ、あ、あの、どちらさまで?」
その男子生徒の耳を隠すくらいの長さの頭髪は、ぶっちゃけると茶色だった。いや、青梅のように染めているにしても明るすぎる。青梅のは茶に近い黒というべき色だが、目の前にあるのはちょっと黒を混ぜた茶色だ。
髪色だけ見ればそう、ヤンキーとか不良とか呼ばれる類の人間だった。
「ん、僕は佐藤 夢一。楠の友人だよ。……ちょっと驚かせちゃったかな?」
「ああ、先輩の」
そう言われて華苗はほっと胸をなでおろす。たしかに顔だけ見れば悪い人ではないし、この畑に入ることが出来たのだから、ただものではないにしても信用はできる人間だろうと思ったのだ。
「そういえば、佐藤さんって確か……文化研究とか調理とかお菓子とか兼部してる人でしたっけ?」
「あ、知ってるの? 今日はちょっと用事があってね。それと、楠から華苗ちゃんに伝言だ」
「伝言?」
「うん、いまあいつグループワークの課題やってるんだけど、もうちょっと時間がかかりそうだって」
「げ、そうですか」
「で、僕のほうなんだけど、卵をいくつか分けてほしいのと……ちょっと育ててほしい物がある。もちろん作業は手伝うよ」
それを聞いた瞬間に華苗の顔が一瞬曇る。
卵のほうはいいのだ、いっぱい採れたのだから。問題は育ててほしい物とやらである。
楠の友人ということは、異常成長する作物のことも知っているのだろう。それを見越して依頼してきたのはまず間違いないはずだ。だが、華苗にそれはできない。そもそもそんなことが出来るほうがおかしいのだ。
しかし、佐藤はそんな華苗をみて慌てたように言いなおした。
「ああ、ちがうちがう。ちょっと畑の隅かプランターを貸してほしいだけなんだ。……さすがに楠以外があの異常成長をさせることができるなんて思ってないよ」
「よかったぁ……もし今すぐ成長させてくれなんて言われたらどうしようかと思いましたよ」
だよねぇ、と相槌を打つ佐藤はどこまでも朗らかで、あの無愛想で無口な楠の親友だというのが華苗にはとても信じられなかった。
さて、話もそこそこにして佐藤が取り出したのは花屋なんかによくある黒いぺらぺらの鉢に入った赤みの強い花だ。
気品差と優雅さを兼ね備えたそれは華苗もよく知っているものである。おそらく知らない人間はいないのではないだろうかと思われるそれは──
「バラ、ですか」
「うん、こいつを増やしたいんだ」
見事なバラだった。なんでも佐藤はこれを花屋で一つだけ買ってきたのだという。
「ウチで外国の親戚の娘を預かってるんだけど、その娘が欲しがってね」
いろいろ使いたいの、といってその子は欲しがっていたらしい。しかしそうなるとある程度の量が必要になってくる。花瓶に挿すにしてもそれなりには必要だからだ。
部屋の飾りにするのかもしれないし、ひょっとしたらブーケにでもするのかもしれない。外国の娘だけに何に使うかがわからなかったそうだ。
そして、一人暮らし、今では二人暮らしの佐藤には大量のバラを買うだけの金など持っているはずがなかった。
「まだ十歳のはずなんだけどね、やたらオシャレに気を使っているんだ。殺風景なのどうにかしろって言われて、模様替えを何度したことか……。外国の女の子はみんなこうなのかなぁ?」
「そりゃ、女の子なら外国じゃなくてもそうですよ。あ、先輩の髪が茶色なのってもしかして染めたんじゃなくて地毛ですか?」
「ああ、うん。よく間違われるけど、僕のひい爺さんだかひいひい爺さんだかが外国の人をお嫁にもらったらしい。僕だけ隔世遺伝でこうなったんだ。嫌いじゃないけど、よく不良と間違われるんだよね」
「はは……」
最初に見たとき不良と思ったとは華苗は口が裂けても言えない。
さて、いくら大量のバラを買う金がないといえど、一本程度だったら問題はない。そして佐藤には楠という植物関連にはめっぽう強い園芸部の友人がいた。
そう、足りないのなら増やせばいいのである。
「詳しくは知らないけど、これをちゃんとした鉢に植え替えるなり畑に植えるなりしなくちゃいけないらしいんだ」
早速華苗と佐藤は植え替えの作業に入る。楠がいないので詳しい手順を華苗は知らなかったが、幸いにも佐藤が花屋から育て方をメモしていたため、スムーズに執り行うことが出来た。
「まず40~50センチくらい穴を掘ります。掘った土は腐葉土やたい肥と混ぜておきましょうってありますけど、うちの土はいいものらしいから使わなくても大丈夫です」
「ふむふむ、まぁ、楠はそういうの使わないだろうね」
華苗が読み上げると同時に佐藤がいつも楠が使っているシャベルを振り上げて
穴を掘る。
最近楠から教わったことだが、シャベルとスコップの違いというのは、穴を掘る部分のところに足をかける場所があるかどうからしい。足をかける場所があるほうがシャベルだ。
「次に苗を根っこを傷めないよう慎重に鉢から取り出します。そのまま接ぎ木部分が埋まらない高さにして土を入れましょう」
「接ぎ木部分まで埋める人って普通はいないと思うけど、けっこう律儀だよね」
小さいスコップに持ち替えた佐藤は剥きだしの塊となった根っこを埋めるべくせっせと土を被せている。華苗も手伝ったこともあってすぐにバラは埋まり、仕上げとばかりに佐藤が周りをスコップでパンパンとたたいた。
「水をたっぷりあげましょう。バ、バラが喜、ぶはず、です……!」
「華苗ちゃん、僕はお店のお姉さんの言葉を一言一句メモしただけだから。笑うのならお店のお姉さんにね」
女の子みたいな角がないまる文字で書かれた佐藤のメモに思わず笑ってしまった華苗だが、佐藤は相変わらずにこにこ笑っていて気を悪くした様子もない。お茶目な部分もあるようだ。
「じょうろとかってある?」
「あ、今持ってきます」
ようやく笑いの壺から抜け出した華苗はささっといつものぞうさんじょうろをとってくる。小屋の横の電動井戸で水を汲み、二分もしないうちに佐藤のところへと戻り水をやった。
先ほど雨が降った分土が湿っているからちょっと少なめだ。それでも元気に成長するよう気持ちを──まごころをこめて水をやる。
「最後に、接ぎ木部分はまだ弱いので支柱を立てましょう」
「……支柱、ある?」
「もちろん」
華苗はアサガオに使われていた、そこらへんにまとめて置いてある支柱を取り出し、バラの横に刺して紐で軽く留める。ちょっとてろんと垂れてしまっているが、これで完成のはずだ。
「日当たりもいいし風通しもいい、土もいいのでこれでおっけーのはずです」
「そうか、ありがとう。意外と簡単なんだね。どれくらいで増えるのかはわかる?」
うーん、と華苗は答えに詰まる。佐藤のメモに目を通しても開花期や植え替えの時期が載っているだけでどのように増えるかまでは載っていない。
増やし方についても載っているが、挿し木や接ぎ木など、バラの花ではなくバラそのものの殖やし方だ。
そしてなにより、この畑に置いてある今、ここの情報はほとんど当てにできなくなる。今回楠は手を加えていないとはいえ、この畑の中にあるというだけでその影響を受けると考えて間違いないだろう。
「…普通に育てたとしても、花の数だったら割と簡単に増えるな」
「へぇ、そうなんですか」
「あとはこのままほっとけばいいのかい?」
「…いや、剪定、花がらつみ、シュート処理、それにこいつはミニチュアローズの類だから畑に植えたといえど水やりもこまめにせねばならん」
「シュート処理ってなんですか……って楠先輩、いつからいたんですか!?」
いつの間にやら当然のように楠が紛れ込んでいた。麦わら帽、オーバーオール、軍手に長靴、と完全装備だ。相変わらず気配がないなと華苗は思う。
「…ちょっと前からだな。夢一は気づいていたぞ。…それより八島も完璧ではないと言え、ちゃんと一人でできたんだな。えらいぞ」
「そりゃ、メモ見ながらやりましたし」
「…メモ? ああ、そっちじゃない」
「そっちじゃない?」
「……も、もしかして、あ、あれのこと……かな?」
震える声で佐藤が華苗の後ろを指さした。ちょうど先ほどバラを植えたところである。
「うそぉ……?」
佐藤の指先を目で追った華苗はそこで衝撃的なものを目にしてしまった。いや、この畑ならばそこまで衝撃的ではないはずのものなのだが。
「…まごころの込め方がわかってきたようだが、ちょっとやりすぎだな。適当なところで止められなければ意味はない。とはいえ、この短期間で考えるなら上出来だ」
華苗が見たのは先ほど植え替えたばかりのバラが、立派にいくつもの花を咲かせ、育ちきった姿である。
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】
加えて、いくつかのバラはもう完全に咲ききったのか、少し萎びて力なく閉じかけている。一年くらいは育てたのではないかという様だった。
「な、ななな、な」
「…ふむ、ちょうどいい。花がらつみとシュート処理、剪定の説明をするか」
固まる華苗をよそに楠はたんたんと実演しながら説明を始める。
「…まずは花がらつみだ」
鋏をもった楠は萎びかけ花をぱちんと切り落とす。これが花がらつみだ。元気がなくなった花をいつまでも咲かせておくと栄養分がそちらにながれてしまうために、切り取ることによって栄養分を本来行くべきところに送るという方法である。
バラは観賞用の植物であるため、見た目的にも積極的に行ったほうがいい。
「…次はシュート処理だ」
そう言うと今度はバラの花が咲いている枝のような場所そのものを切り落とした。よくよくみれば、その枝についていた花のほとんどが元気がないことが分かる。
「楠、僕が言うのもなんだけど、そんなにバッサリ切ってよかったのか?」
「…いいんだ、あれは古い枝だ。よく見てみろ。ちょっとしたのところに新梢があるだろう?」
シュートとはすなわち新しい枝のことだ。バラは枝を切ることによって新芽を伸ばし花をつけるため、古い枝はさっさと切ってしまったほうがよい。
花がらつみと同様、古い枝はずっとそのままにしていても栄養が取られるだけでいい花は咲かない。場合によっては見た目を重視するために、シュートそのものを摘んで樹形を整えようとすることもある。
「…剪定は……まぁ、もう知ってるよな」
余分なところをパチンパチンと切り取る。やっぱりこれも無駄なところに栄養を行かせないためと、見た目を整えるために行う。
一つ注意するべきなのは、茎を水平に切ってはいけないというところだろう。水平に切るとそこに水がたまって病気になりやすくなるために、斜めに切らねばならないのだ。
ちゃんと剪定をしないと日当たりや風通しが悪くなり、病気にもかかりやすくなるので意外と重要だ。
「…あとは水やりだな。これは土が乾いてきてからだろう」
「へぇ、意外と手間がかかるんだね」
「…どれもだいたいこんなもんだ。…それより夢一、おまえ、バラが必要なのか?」
「うん、まぁそんなところ」
「…運が良いな」
「うん?」
楠は語りだす。
そもそも今日楠が遅れたのはグループワークの課題のためだ。正確に言うとグループワークの課題のテーマ決めのためである。
園島西高校の生徒は二年生になると、【職業訓練のための総合学習】とやらで、将来のことを考えてそれで食っていくことが出来るなにかしらの事柄をインタビューするなり実践するなりしてレポートにまとめ上げなくてはならないのである。
ほとんどの班は親やバイト先の仕事のことをテーマとしたが、楠の班は何をするべきかでさんざん迷っているうちに、他の班とテーマがかぶってしまった。そのため、再度選びなおしとなっていたのである。
そして結局──
「…お花屋さんをテーマにすることになったんだ」
花屋で一日店員をしたり、インタビューしたり。さらに花屋と同じように花を育て、その苦労や注意すべきことをレポートにまとめることになったのだ。
「…で、俺が花育成の担当となった」
「まぁ、適任だろうね」
一日店員やインタビューは他のメンバーだ。楠は無口で無愛想、加えてガタイがよく、初めて見る人はビビるだろう。店員などの接客業にむいているはずもなかった。
加えて花の育成が出来るのも楠しかいない。
「…それで、こっちに来る前にちかくの花屋によってきたんだが」
楠がちらと後ろをみる。いつものリヤカーにいろんな種類のバラが一輪ずつのっていた。大きいの、小さいの、赤いの黄色いの白いのむらさきのオレンジの……と、それこそたくさんである。
「…売り物にできないものを格安で譲ってくれてな。班員からのお金でこれだけもらえたんだ。何に使うかは知らないが、いろんな色があったほうがいいだろう?」
「……ありがとう。恩にきるよ」
「…まぁ、増えるのに三日もかからないはずだ。うまくいけば明日にはいけるかもしれん。八島が思ったよりもできそうだからな。…植え替えは手伝えよ?」
「もちろん!」
「…早速始めよう。八島といっしょにそっちのから頼む……八島?」
楠と佐藤は気づいていなかった。先ほどからずっと、華苗が自分が育ててしまったと思しきバラを見て固まっていることに。
20150501 文法、形式を含めた改稿。
20151122 挿絵挿入




