114 レッツ・スウィート・クッキング!:前編
古今東西、お菓子が嫌いな子供はほとんど存在しない。小さい子供であればあるほどそれが顕著で、「夕飯の前にお菓子を食べるのはやめなさい」……といった注意を受けなかった子供なんていないと言って良いくらいだろう。それはお菓子が嗜好品であるということにも起因するのだろうが、ともかくそんな文句が共通認識となる程度には、いつの時代、どんな場所でも子供はお菓子が好きだということだ。
それでもって、お菓子作りというのは往々にして女子に人気がある。将来の夢はパティシエだという女の子は決して少なくないし、将来の夢とは言わずとも、それに憧れたり興味を持つ子はたくさんいることだろう。もちろん、男の子にだってそういう夢を持つ子はいるが、純然たる事実として、その比率は女の子のそれと比べるべくもない。
「おお……! やってますね……!」
「いつもより三割増しで気合入ってる感じかな!」
この園島西高校のお菓子部もまた、そんな一般的な共通認識の例に漏れず、見学に来ているのは子供……とりわけ女の子が多く、そして部員としてお菓子を作っているのはほとんど女の子だ。この調理室だけ華やいでいる、というと少々オヤジくさい表現になってしまうかもしれないが、しかしそれはそれとして、普通の男子がふらっと入るにはなかなか勇気がいる空間なのでないか……と、華苗はそんな風に思わずにいられない。
「わぁ……小さい子もたくさんいて、ここが高校だなん、て……」
「一葉ちゃん?」
調理室。お菓子部員。見学に来た受験生に、純粋に遊びに来た近所の子供たち。お菓子部員は子供たちが怪我をしないよう、それでいて楽しめるように注意しながらお菓子作りを教えているし、子供たちもまた、心の底から笑ってお菓子作りを楽しんでいる。
そう、高校生が……女子高生のおねーさんがお菓子作りを教えている中で、それはひときわ目立ってしまっていた。
「……こ、こうですか?」
「ええ……とっても上手ですよ」
「あう……!」
お菓子部の部員が、来校者にお菓子作りを教えている。それ自体はまぁ問題ない。なんかちょっと妙にお互いの距離が近すぎるような気がしないことも無いが、たどたどしい手つきの彼女に手を添えながらそのベストな感覚を直接教えるというのは……まぁ、自然な光景だ。
問題なのは。
「……あの、清水先輩」
「なーに?」
ひくひくと、微妙に顔を引きつらせて。
一葉は、震える指でそれを示した。
「…………なんか、チャラそうなホストがウブな田舎娘を食い物にする光景が、現在進行形で」
「「ああ……」」
そのお菓子部員がこのお菓子部で唯一の男子であったことと──そして、来校者は受験生でも子供でも、ましてや保護者でもない若い女性であったことだ。
「だいじょぶ。あれ、問題ない奴だから」
「そーそー。佐藤先輩はね、お菓子部で唯一の男子で……あと、一葉ちゃんが気になってるもう一人の文化研究部だよ?」
「え……あの人が……?」
いわずもがな、その男子生徒とはほかでもない佐藤である。日本人離れした明るい茶髪をしているために、初対面だとイケメンホストと思われてしまうことがしばしばあるが、その実態はどこにでもいる心優しい高校生男子だ。
「あっ……そう言えば、ファッションショーで王子様やってた人だ……!」
言われてようやく一葉もそれに気づいたのだろう。最初に見せていた警戒心はすっかりと影を潜め──そして、今度はわけがわからないとばかりに呟いた。
「なんで、受験生でも子供でもない人が部活体験なんて……というかあの人、どう見ても」
それはおそらく、来校者全員の心の声を代弁したものであった。
「どう見ても恋人じゃん……あの人、授業参観に恋人呼んだの……?」
「伝説作ってるよね、佐藤先輩」
「あたしもみんなも冗談で煽ったりはしたけど、まさかホントに呼ぶとは思わなかったよね。ああいうのを猛者って言うんだろうね」
佐藤が今まさに手取り足取りお菓子作りを教えているのは、いつぞやのキャンプの時にお世話になった例の組合員──アミルだ。もっと言えば、いつのまにやら公認となった佐藤の彼女でもある。キャンプの時とは違って今日は普通の私服を着ており、それがどことなく新鮮な感じがしなくもない。
仲睦まじいのは結構なことであるが、しかし授業参観に恋人を呼ぶというのは、はっきり言って前代未聞。もっと直接的に表現するなら、頭がお花畑になっているバカップルと言わざるを得ない。今日日、思ってもそんなことをする奴なんて絶滅危惧種と言って良いだろう。
「やっぱあの人、チャラい人なのかなあ……」
「んーん。心配しなくても大丈夫。たぶんきっと……」
未来の後輩の憂いを絶つため。なにより、普段お世話になっている先輩の誤解(?)を解くため。華苗はきょろきょろと辺りを見渡して──そして、いつもの赤毛の頭を見つけた。
「シャリィちゃーん!」
「あっ、華苗おねーちゃん!」
ぱあっと笑ったシャリィが、エプロン姿のまま駆け寄ってくる。やはりというか、シャリィもまたこの授業参観に参加していたらしい。すでに華苗をも超える知識を……小学生の身でありながら高校レベルの知識を持つシャリィが今更体験授業を受けるなんてあまり意味が無いのだろうが、やっぱり部活には興味津々なのだろう。
「えへへ、ちょっとワガママ言っちゃいまして、おにいちゃんについてきちゃいました!」
「ああ、やっぱり……アミルさんも?」
「ええ! こんな機会、そうはないですから! どーんと無理やり背中を押しましたとも!」
「一葉ちゃん、こういうこと」
「は、はぁ……」
「……あと、おにいちゃんのことです。放っておいたら誰にでもいい顔して取り合いになりかねません。であれば、ああして端っこで二人の世界に入らせておいた方が余計な混乱を防げるかなって」
「「ああ……」」
三人娘どころか、一葉でさえもシャリィのその言い分には納得した。だって今この瞬間も、佐藤のことを熱っぽいようにも、切なそうにも見える表情でじっと見つめる女の子がたくさんいるのだから。
もし佐藤がそんな女の子を見つけて、いつも通り純粋な優しさでお菓子作りのレクチャーなんてしてしまったら。受験生にも遊びに来た小学生にも同じように接してしまったら。後々にどんな悲劇が起きるのか……想像すらしたくないことである。
「カッコいいってのも気苦労があるんだねえ……」
「ウチのおにいちゃん、その辺が無自覚ですからね……ところで」
シャリィは──不思議そうに、ともすれば用心深そうに一葉を見上げた。いつもの子供らしい無邪気な顔はそこにはなく、何か未知なるものに相対したかのような、警戒心のそれに近しい何かすら感じさせるものである。
「……こちらのおねーさんは? 園島西のおねーさんじゃない……ですよね? それにこれは、微かだけど……」
一方で、一葉の方も。
「え……んん?」
信じられないとばかりに、シャリィのことを見つめていた。
「この感じ……えっ? 佐藤先輩からも、なんか微妙に……? お兄ちゃんってことは兄妹でそういう……まって、それどころかあのお姉さんの方がはるかに……!? 」
警戒、とはまたちょっと違う。もっと単純に、本来そこに無いはずのものを見てしまったかのような。それが何なのかは華苗にはさっぱりわからないが、シャリィはじっと一葉を見ているし、一葉もまた、自分で自分が信じられないと言わんばかりに、シャリィとアミル、そして佐藤をしきりに観察している。
「ね、ねえシャリィちゃん? その、今からちょっと変なこと聞くかもなんだけどさ……!」
とうとう、堪えきれなくなったのだろう。意を決した一葉が声を上げ、そして。
「──やぁ。久しぶりだねェ、一葉ちゃん」
「あ」
──紺の甚平を着た、白髪頭のその人が……おじいちゃんが、いつのまにやら華苗たちの傍らに立っていた。
「調理部の見学……いや、お菓子部の見学かい?」
「あ、はい……」
「シャリィもお菓子部の見学なんだ。仲良くしてやってくれると嬉しいねェ」
「も、もちろん……じゃなくて!」
「うん?」
にこりと笑って、おじいちゃんが続きを促す。
「どうしたのかね? 何か気になることでもあったのかい? ……それともまさか、まだ私が三年生だってことを疑っていたのかね?」
「い、いえ……それは普通に今でも疑って……あれ? さっきまで確かに……気のせい、だったの?」
何が何だかさっぱりわからないが、一葉の「聞きたかったこと」はすっかりなくなってしまったらしい。それはシャリィの方も同じようで、まるでキツネに化かされてしまったかのように首をかしげている。
「……じいじ?」
「お互い、夏祭りの時に会っているからねェ。あの時は暗くて顔までしっかりは見られなかっただろうが、親近感を覚えてしまうのも無理はない話さ」
「……ふぅん?」
シャリィの頭を優しく撫でてから。話はそれで終わりだと言わんばかりに、おじいちゃんはぱん、と手を叩いた。
「せっかくの部活体験だ、おしゃべりだけで時間を潰すのはあまりに勿体ない。……史香ちゃん、どうかこの未来の後輩を、よろしく頼むよ」
呆然とする華苗たちを残して。
にっこり笑ったおじいちゃんは、人手の足りないお菓子部のサポートをすべく、颯爽とその場を去っていった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ま……いろいろあったけど、早速本題に入りましょう!」
「よろしくお願いします!」
ややあってから。
ようやっと本題──清水主導による、一葉のお菓子部体験教室が始まった。一葉は予備のエプロンを着用しており、そして華苗もまた、もはや第二の部活道着と言って良いほど馴染んでしまったエプロンを装備済みだ。シャリィも私物のエプロンを着用済みであり、体験教室の準備はばっちりである。
ちなみに、よっちゃんは調理部として仕事があるためここでいったん離れている。暇人な華苗と違い、よっちゃんは忙しいのだ。
「えー、今回は体験教室ということで比較的簡単な……クッキーづくりを行います」
「おー!」
「ただぁし! ただのクッキーじゃあまりにも芸がありません! そして最初に言った通り……これは華苗ちゃんへのご馳走も兼ねています!」
もちろん、一葉ちゃんのお土産でもあるからね──と清水は明るく笑う。この前のサツマイモの芋掘り大会の経験が活きているのか、こういった講師役もずいぶんとサマになってきていた。
「そんなわけで、あちらの冷蔵庫にはすでに休ませて後は型を抜いて焼くだけになったクッキー生地があります」
「お、おお……準備良いですね」
一般的なクッキー生地とは、バター、砂糖、卵黄、そして小麦粉──薄力粉を用いて作られる。薄力粉と砂糖を混ぜてふるい、そこにバターと卵黄を練り合わせることで生地と成すのだ。場合によってはここにミルクや塩、カカオパウダーやベーキングパウダーを入れることもあるが、基本的にはこの四つがあればクッキーとして最もベーシックなものが作れるのである。
ただし、どの場合においても練り上げたそれを冷蔵庫で「休ませる」工程が必要になってくる。個人の裁量にもよるが、最低でも三十分、できることなら一晩は休ませたいところだ。これはサクサクのおいしいクッキーを作るためには避けては通れないことであるが、しかしこの部活体験において、それはあまりにも長すぎる。
「まーね! 小さい子向けなら生地から作るって言うのもよかったんだけど……一葉ちゃんが相手だし、今日のメインはむしろアレンジの方だから!」
しかし、時間のかかるクッキー生地がすでにできているのだとすれば。浮いた時間はそのままアレンジの時間に充てることができるというわけだ。
「アレンジ、ですか?」
「うん……ほら、これ」
「わぁ」
大きくて真っ赤な、見るからに立派なイチゴ。銀のボウルに山盛りになったそれが、清水の手によって一葉の前にどん、と置かれた。そのどれもが採り立てであるかのように瑞々しく輝いていて、ここからちょいと一つ失敬してお口に放り込めば、その瞬間に極上の甘い幸せが訪れることは疑いようがない。
もちろん、あえて確認するまでもなく──こちらもまた、園芸部で採れたものである。
「クッキー生地に、こんなにも立派なイチゴ。……さて、今日作るのは何だと思う?」
「ま、まさか……ジャムクッキー?」
「正ぇ解! ジャムを作って、好きなようにアレンジしたジャムクッキーを作っちゃおう!」
ジャムクッキー。言葉通り、ジャムを使ったクッキーだ。作り方としては比較的シンプルで、クッキー生地にジャムを乗せて焼き上げるというものである。一方で、ジャムを生地に乗せるのではなく練り込んで焼いたり、あるいはクッキーらしくハートや星型をあしらった意匠をこらすなど、シンプルであるがゆえにアレンジの幅も広かったりする。
「で……でも、いいんですか? このイチゴ、すごく立派で……! ジャムにするにはあまりにももったいないって言うか、そもそもすっごい高級品じゃ……!?」
「だいじょぶ。それ、ウチで採れたやつだから。食べきれないくらいあるし、好きなだけ使ってもいいよ」
「ええ……!?」
「そのとーり! 幸いにも園島西には園芸部の美味しい果物がたくさんあるので……普段は絶対作ることができない、超贅沢なジャムにしちゃいます。具体的には、イチゴをケチらず豪快に使った、ゴロっとした果肉感を楽しめるジャムを目指します」
「どうなってんのここの園芸部……」
呆然とする一葉をよそに、早速華苗たちは準備を進めていく。
まずはイチゴの下ごしらえ。採り立てそのままであるイチゴを手に取り、ナイフを使ってそのヘタを丁寧に切り落としていく。ヘタの近くの比較的白くて固い部分が残るとジャムとしての口当たりが悪くなることがあるので、出来ることなら少々多めにカットしたほうが良い。とはいえ、あくまで程度問題なので、あんまりギリギリを攻めすぎない、くらいの気持ちでも問題ないことだろう。
「うへへ……! いつ見ても美味しそうなイチゴですよねえ……! それにあたしのおててがちっちゃいことを差し引いても、これだけの大きさ……!」
「そうそう。おまけに、普通はこれだけ大きいと味もボケちゃうものだけど……全然そんなことないよね」
「もっとほめて」
「うう……こんな贅沢、本当にいいのかなあ……?」
ヘタを落として、そして真っ二つにカットする。真横ではなく、縦半分に。カットすることで表面積を増やし、後々の工程で水分を出しやすくすのが目的だ。時間に余裕があるのであれば、カットせずとも大きな影響はない。
「今回はイチゴの果肉感を活かしたいからね。あんまり大きい塊だとクッキーに乗せられないから……人によってはここからさらにカットすることもあるけど、そこはまあお好みで」
そうしてできた、カットされたイチゴの山。あれだけの量とは言え、四人掛かりともなればそこまで時間がかかるものでもない。すでにこの段階で「もうそのまま生で食べてフルーツパーティにしたほうがいいのではないか」という思いが一葉の中で沸き上がっているが、楽しい部活体験はまだ始まったばかりである。
「うわぁ……すっごい壮観……。というか、ボウルおっも……!」
「うむうむ。で、次にこのイチゴに砂糖を……グラニュー糖をまぶす」
「分量はどれくらいですか?」
「イチゴの六割」
「……えっ」
「そのイチゴ、1.7kgで取り分けといたの。ヘタを切り落とした分ちょっと軽くなったと考えて、概算すれば……」
「……ちょうど1kg!? それって、砂糖一袋ってこと……!?」
「そう。分かりやすくていいでしょ?」
「いや……いやいやいや。そんなのまぶすっていうか、砂糖に漬けてるって言ったほうが」
「……お菓子作りってね、思った以上に砂糖をぶち込むものなんだよ」
元々のイチゴの量が多いのはもちろんそうなのだが、それにしたって重量の六割というのは相当な量である。もしここにあるのが一般的なワンパックのイチゴだとしても300mg程度なわけだから、使用する砂糖は180mgほど。数字だとあまりピンと来ないかもしれないが、実物を見ると結構なインパクトがあるものだ。
「お菓子作りの心得その一。【手作りお菓子は思った以上に砂糖をぶち込む】。いやホントにびっくりするくらいに砂糖使うから。この感覚を持ってるかどうかが、初心者脱却の第一歩かな」
「ひゃああ……! そりゃ、食べ過ぎたら太るわけだ……!」
ともあれ、美味しいお菓子を食べるのだから、それ相応の覚悟とリスクを伴うのは当然の話である。一葉は戦々恐々としながらも、清水に言われた通りイチゴが入ったボウルにグラニュー糖をまるまる一袋投入した。
「適度にゆすって、イチゴ全体にグラニュー糖が付くように……うん、そんな感じ」
「史香おねーちゃん、レモンはどうします? おにいちゃんはジャムを作るとき、ここでも入れてますけれども……」
「ん。イチゴだし入れておく」
「がってんです!」
やっぱり当然のように用意されているフレッシュなレモン。目が覚めるような爽やかなその黄色は、イチゴの赤の魅力に勝るとも劣らない。なんかもうこれだけで主役を張れそうなくらいに存在感を主張しているが、今この瞬間においてはあくまでイチゴがメインなのである。
「とりあえず半分カットので十分ですよね?」
「うん、ありがと……さすがはシャリィちゃん、もう教えることは無いレベルだね!」
「やーん、ほめ過ぎですよぉ♪ サポートしかできないだけですから!」
シャリィが半分にカットしたそれを受け取り、清水がボウルの中にレモン汁を絞っていく。レモン特有の、爽やかできりっとした香りが華苗の鼻孔を突いた。甘い匂いが立ち込める中でその柑橘の香りはよりいっそう強調されており、ついついそのまま丸かじりしたくなる衝動が華苗を襲う。
「良い匂い……! これまたやっぱり上等なレモン……!」
「もっとほめて」
「あっ、やっぱりこれも園芸部で採れてるんですね……」
「華苗ちゃん、後輩に変に絡まないの……んん、一応解説ね。ジャムを作るにはその材料にペクチンって言う……要は、とろみをつける成分が入っている必要があるの。これがどれだけ多く含まれているかでジャムにしやすい、しにくいが決まるわけなんだけれども」
「もしかして……イチゴは少ないんですか?」
「そそ。だからペクチン含有量の多いレモンでそれを補ってあげるの……ま、イチゴくらいであれば、普通に作る分には入れなくてもいいんだけどね」
ジャムとしては最もオーソドックスなイチゴジャム。しかし意外なことに、イチゴそのものは果物の中では比較的ペクチン含有量は少ない部類に入る。とはいえ、あくまで「比較的少ない」レベルであり、それ単体でもジャムを作ることは全くもって問題ない。
「今回はアレンジで時短してるからね。少しでもジャムにしやすい工夫をしておく……あと、レモン汁を入れておくと発色がめっちゃよくなるの。ちょっとの手間で見た目が良くなるなら、やらない道理はないからね!」
「あっ、それなんか聞いたことあります……!」
さて、こうして見た目の工夫もしたところで、次なる工程はと言えば。
「砂糖をまぶすことで果物から水分が出てくるので、それを待つ。これまたやっぱり、できることなら半日以上は時間をかけたい」
「……えっ」
「でも今日は時間が無いので……ちょっぴり本気を出す」
「「えっ」」
砂糖はとても水に溶けやすい。これを高校生らしく化学的に表現するなら、親水性が高いと言うことができる。水に溶けやすいというのは言い換えると、水の分子と結合しやすいということであり、それすなわち──別の物体が持っている水分を、より親水性が高い砂糖が奪い取れるということでもある。
砂糖にはそんな性質があるため、果物にまぶしておくと水分を取ることができる。それは自然界の摂理として、絶対的なものだ。
ただし。
「え……えっ? なんで、なんで……」
水分を取ることができるのは間違いないが、だからと言って一瞬でそれができるわけじゃない。そこそこ長い時間をかけて、じわじわ、ゆっくりと水分を染み出させる、くらいが関の山だ。そうでなければ──もし触った瞬間にありとあらゆる物体の水分を奪ってしまう性質を秘めていたのなら、砂糖は間違いなく超一級の危険物に指定されていたことだろう。
「──何でもう水が出ているの!? この、この赤い綺麗な液体ってどう見ても……!?」
「うん、イチゴから染み出た水分だね。……うーん、やっぱりレモン使っておくと色が綺麗だな!」
──もうすでに。さっき砂糖をまぶしたばかりだったというのに。ほんの瞬き二、三回の時間しか経っていないのに、華苗たちの目の前には一晩ばっちり脱水したかのような状態のイチゴの山がある。
真っ赤で艶やかで、それこそこの段階でナパージュをしたかのようにそのイチゴは輝いている。全体的にちょっとしぼんだように見えるのは果たして気のせいなのか。イチゴの半分くらいの丈までに染み出たその水分はちょっとしたとろみがついているように見えるほか、宝石細工のように煌びやか。もしこの場に誰もいなかったとしたら、華苗は何のためらいもなくここに小指を突っ込んで舐めていたはずだ。
「あの、清水先輩……? さっき、半日以上は待たないとダメって言ってませんでした……? ううん、それが無くても……こんな一瞬で水が出るわけが」
「だから、本気出すって言ったよ? お菓子部なんだし、ちょっと頑張ればこの程度の時短くらい、みんなできるよ?」
「……………………」
「……史香ちゃんも、とっくにそっち側の人間になっちゃってたんだね」
「うわあ……しかもこれ、おにいちゃんより”染まって”ますねえ……。本当にここの部活の人、どうなってんだろ……」
「ホントホント。園島西って、園芸部以外ぶっ飛んでる部活ばかりだよね」
「いや、うちは普通だよ!? というかぶっ飛んでいる筆頭の園芸部には言われたくないんだけど!?」
「またまたぁ」
「…………どうしよう、ここの人たちみんなヤバい」
軽口を叩きながらも、華苗たちの手は止まらない。どうせもう、気にしたところでどうしようもないのだ。それはそれとして受け入れて、現実を生きていくしかないのである。
むしろ心のどこかで最近はそれに慣れてしまってきているのではないか、と思う節さえある。そういう意味では、一葉のその反応は新鮮であるように思えないことも無かった。
「んん……気を取り直して。水分が出たのなら、これを鍋に移して煮詰めていく。このとき必ず、煮立つまで……沸騰するまで火にかけること」
言われた通りに、鍋に入れて火にかける。温まっていくうちにはその甘い匂いがどんどん濃くなってきて、何やら魔法でもかけられてしまったかのようにうっとりした気分になってくる。イチゴの酸味を含んだ甘い香りと、砂糖の底なしの純粋な甘い香り。その二つが絶妙にマッチして、女の子なら誰でも逆らえない魅惑の香りとなっているのだ。
「良いにおーい……!」
「このワクワク感……! 堪りませんねえ……!」
「ある意味ここが、ジャムづくりで最もアガる瞬間だよね……! おっと、グツグツして来たら灰汁が出てくるから、これを取り除くこと。これを怠ると美味しいジャムにならないぞ!」
ぐつぐつ、ぐつぐつ。
煮詰めていく様をぼんやりとみているうちには、清水が言った通りに灰汁が浮き出てくる。ジャム全体が沸騰しているのでちょっとわかりづらいが、飴のようにとろみのついた大きな泡となっているのが沸騰による気泡で、水っぽく細かい泡が灰汁である。
上手い具合に鍋を傾けるなりして、この小さい泡を取り除けば作業として完璧だ。注意することがあるとすれば、めちゃくちゃ熱いのでうっかり火傷をしないように気を付けることと、そして適度にかき混ぜて底が焦げ付かないようにする、くらいだろうか。
「わぁ……! なんかもう、この段階でキラキラ輝いていてすっごく美味しそう……!」
「宝石を溶かして作ったって言われても、普通に信じちゃいそうですねえ……!」
最初は際限なく浮いてくる灰汁であっても、やがては終わりが訪れる。華苗たちの目の前には、あとはもうお口の中に招待されるのを待つばかりのジャムが──。
「はい、ここで一工夫」
清水は、鍋の中に残っている──未だ形を保ち続けているイチゴの果肉を、さっとすくって別の皿に移した。
「え……そんな、どうして」
「そんな悲しそうな顔しないでよ、華苗ちゃん……普通のジャムなら、火の勢いを落としてとろみが付くまでこのまま煮詰めればおしまい。だけど今回はイチゴの果肉感を残したいから、ここであえてイチゴを取り除く。そのまま煮詰めていると形が崩れちゃうからね」
じっくり、ぐつぐつと。本来であればそうしてイチゴの形が無くなるまで──ジャムらしいとろみがつくまでに甘く煮詰めていくものだが、今回はその果肉感を残したい。故に、形が崩れないように取り除く。言ってみればそれだけの話だ。
「こういう風に、果肉の形を残すことをプレザーブスタイルって言うの……厳密にはちゃんとした定義があったり、最初から果肉と分けて煮詰めたりとかするんだけどね」
そうしてぐつぐつ煮込み、良い感じにとろみがついたところで果肉を再投入し、全体を馴染ませるように更に一煮立ちして……最後に仕上げとばかりに、追加のレモン汁を絞って加えれば。
「とろみ……こんな感じ、ですか? ……まだちょっと水っぽいかも?」
「ん、良い感じ! ちょっと水っぽいくらいが実はベストなの! あんまり煮詰めすぎると味が落ちるし、冷めたら十分固まってくれるから!」
──真っ赤であまぁい、流れる宝石が出来上がるというわけである。
変則的に、明日20時に続きを公開します。
一話分として投稿するには長すぎたし、かといってこのままじゃ中途半端なんですもの……!




