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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
112/129

111 お芋ほり大作戦!:いろんな意味で、アツかったよね。


「うん、今日も美味しい」


 ちゅるちゅる、とうどんを啜って華苗はにっこりと笑う。元々このおうどんが美味しいのは間違いないのだが、やはり存分に働いた後に食べるご飯というものは格別だ。空腹は最高の調味料とは誰の言葉だったかわからないものの、同じくらいに労働も最高の調味料に成り得るのではないか──と、そんなことさえ思ってしまう。


「おうどん、おかわり!」


「あたし、てんぷらも!」


 どうやらそれは子供たちも同じようで、さっきからひっきりなしにおかわりを求める声が響き渡り、そしてぱあっと顔を輝かせた子供たちがお椀を以ってお鍋の前に列を作っている。ボランティアである調理部の人はにこにこと笑いながら、せっせとそのお椀に追加のおうどんを入れてあげていた。


「不思議なものだね。僕が見た時はみんなあんなにもクタクタで疲れて切っていたのに……今はもう、すっかり元気いっぱいだ」


 華苗の隣で、合気道部の道着姿の柊が感慨深そうに呟く。ちょっぴり残念なことに既におなかは満足してしまったらしく、お椀の上にはお箸が丁寧に横に置かれていた。


「克哉くん、おかわりは?」


「うん、僕はもう大丈夫」


 ダメもとで聞いてみたものの、やはり事実は覆らない。運動部なんだからもっと食べてくれもいいのに……なんて思いながら、華苗もまた、最後の一口を口の中へと流し込んだ。


 ──お芋ほり大作戦、ランチタイム。疲弊しきった子供たちを救ったのは、その旨を連絡しに来た柊の言葉であった。おうどんというのは得てして作り立てが一番おいしいものであり、そして今回は人数が人数である。きっちりと時間内に捌ききるためにも、お互いに時間の確認をしあうことはなかなかに重要なことだった。



「ねぇねぇ、このおうどんって空手のにーちゃんとか柔道のにーちゃんが作ってた奴だよね!? さっき俺、ここに来る途中ですっげー修行しているの見たんだ!」


「ああ……うん、そうだよ! このおうどんに使っている小麦はねえ、園芸部が育ててみんなで収穫して、粉にしたのが柔道部とか空手部の人たちなの! 修行になるしみんなのご飯にもなって一石二鳥だからってやってくれたんだ!」


「へえーっ! ……でも、その人たちは食べられないの?」


「ううん、みんなが終わった後に食べに来るんだよ。さすがにこの調理室に一緒だと入りきらないからね。……というか、あいつらマジで食うからここから地獄なんだよね」


「えっ」


「んーん、なんでもない!」



 なお、調理部でも何でもない柊がその役目を任されたのは、単純に粉ひき担当が武道部だったからってだけである。もっと言えば、主催者の伝手……いいや、主催者の親友のその伝手として柊が一番関りがあったと言うべきか。いずれにせよ、武道部は基礎体力作りのついでに本日の食材を加工する役割を担い、その報酬として本日の昼餉を面倒見てもらうことになったというわけである。


「あらやだ、本当にここのおうどんは美味しいわね……! すごくのど越しもいいしコシもあって……これなら私、いくらでも食べられちゃいそう。ここの子たちって、いつも良いもの食べてるのね」


「何言ってるの、お母さん。お母さんだって作ったでしょ」


「んー……それはまぁ、そうなんだけど。正直私……いいえ、他の保護者もみんな、調理部のボランティアの子たちの手際が良すぎて手伝いにしかならなかったというか。高校生がここまでやれるのかってびっくりしたというか」


「ま、私らみんな、毎日のようにすごい量作ってるからね」


「あと……その」


「?」


「……なんか、調理部の女の子たちに混じって一人だけすっごくカッコいい男の子がいて。アイドルかモデルでもやってるのかしら? ……史香、こういうことはちゃんと言っておいてよ。お母さん、もっとしっかり化粧してくればよかったって……!」


「待って、待ってよお母さん……! 冗談でもそんなみっともない真似しないでよ……!」


 ちなみに、シャリィがいるのに姿を見ないと思ったら、佐藤は最初から調理室の方での補助をすることになっていたらしい。華苗も詳しいことは知らないが、お昼の準備のために子供たちより少し早めに畑から切り上げた保護者達をまとめて指揮し、また自らも包丁を握ってこのランチタイムを整えたとのこと。


 女の子ばかりの調理室に、たった一人の黒一点。しかもアイドルやモデル、王子様とまで言われるほどの甘いマスクに、子供たちの面倒を見るつもりだけでしかなかった保護者の主婦の皆様方はかなり面食らって動きがぎこちなかったという話もあるが、やはりこれは完全な余談である。


「姉ちゃん。それって……あっちにいる、茶髪のすっごいカッコいい人だよね?」


「うん。佐藤先輩って言う人で、お菓子部と調理部でもあって……あと、文化研究部の副部長」


 ちら、と清水の隣に座る陽太が二つ向こうの机に座る佐藤を見る。一仕事終えた佐藤は額の汗を爽やかに拭いながら、隣に座る(シャリィ)とともに美味しそうに天ぷらうどんを食べていた。その真正面では楠が無言でうどんを平らげており、そんな楠なんて目にも入っていないかのように、小学生の女の子たちが頬を赤らめながら佐藤を見つめている。


 色々諸々罪作りな人間。それが佐藤。あの人の恋人になる人はいろいろ心配事が尽きないだろうな……なんて、華苗は他人事のように思った。


「じゃあ、やっぱりあの人が妹とお風呂入ってるって人だ」


「ちょっ……あんまり大きな声で言わないでよ」


 どうやら陽太の中では、佐藤のイメージがそれで固定されてしまっているらしい。本人が聞いたらさぞかしショックを受けるだろうが、事実なものはしょうがない。


「それじゃあさ、姉ちゃん」


 陽太は、華苗の隣の柊……と、清水の隣に座るもう一人を見て言った。


「お姉ちゃんとお風呂入ってた人って、どっち?」


「ごフっ!?」


「克哉くん!?」


 げほげほとむせる柊の背中を、華苗は必死に摩った。手のひらから伝わってくるその感覚は、思った以上にがっしりとしていて固い。同じ人間のはずなのにどうしてこうも違うのかと不思議で不思議でしょうがなく、出来ることなら一生こうして触っていたいとさえ思ってしまう。


「ちょ……陽太、あんたいったいなんてことを!」


「だって気になるじゃん! 本当かどうかわかんないし……でも、先輩の方は本当だったんだから、クラスメイトの方も本当かもって!」


 つまるところ、陽太は以前清水が語ったことの真意を確かめたかったのだろう。小学校のクラスメイトに面と向かって本当のことを聞けない以上、頼りになるのは同じ男で、かつ同じように弟であった先達しかいない。


 ただ、今回は少しばかり聞き方が悪かった。


 そして、居合わせた人物も悪かった。


「──いったいどういう話があったかは知らんが」


 こと、と静かにお椀を置いて。


 ミサンガを付けた彼──田所は、何でもないように言った。


「おれも柊も、お前の姉ちゃんと風呂に入ったことなんて無いぞ」


 お前、いったい何を弟に吹き込んだんだ……と、田所は視線だけで清水に語り掛ける。どうやら、直接それを口にしないだけの良識は持ち合わせていたらしい。もしかしたら、この場に清水の母がいることも少しは関係しているのかもしれない。


「うん……ごめんね、あの言葉だけ聞いたらそう捉えてもおかしくないよね。そうじゃなくて、自分の所のお姉ちゃんと何歳まで一緒にお風呂に入っていたかって話なの」


「そうか。じゃあ、おれじゃなくて柊の方だな。おれは一人っ子だし、柊は大学生の姉貴が……たしか、五つ上だったはず」


「そう、だから何歳まで姉と弟は風呂に一緒に入るのかってことを参考に……じゃなくて!」


 ほんのりとほっぺを赤くしながら、清水は田所をキッと睨みつけた。


「なんでミキも普通にご飯に来てるのさ……!」


 今この場にいるのは、基本的には今日のお芋ほりにかかわりのある人間だけだ。華苗たち生徒の有志ボランティアに、他でもない参加者の子供たちとその保護者。教頭先生やゆきちゃんもちゃっかり(?)お昼ご飯を楽しんでいるとはいえ、みんながみんな、何らかの形でお芋ほりに協力している人物である。


 正直な所、華苗は今日のこのイベントに田所が呼ばれていないのを不思議に思っていた。人手はあったほうがいいのは確実である以上、ある意味清水が最も声をかけやすいのが田所だ。自分のように、何らかの言い訳でも考えて呼び込むものだと信じて疑っていなかった。


 でも、今になってその理由がわかってしまった。


「いいじゃないか。体で返す」


「はァ!? み、ミキ、あんた何を言って……!」


「……田所くん、言い方、言い方。アレでしょ、午後の焼き芋は火を使うから、おじいちゃん辺りに声を掛けられた……って感じでしょ?」


「そう、それそれ。どうせ部活もあるし、タダ飯も食えるし……あと、柊にも一緒に手伝ってくれって」


「……柊?」


「いやその、良かれと思って……!」


 ──結局のところ、母と弟が来るとわかっている場所に田所を呼ぶのが堪らなく恥ずかしかったということだろう。現に、陽太の方は何もわかってない様子であるものの、清水の母は何かを感づいたように面白そうな顔をして娘の顔を見つめている。


 というか、今現在の所清水が下の名前で呼ぶ男子は田所ただ一人であり、そして田所のことを下の名前で……愛称で呼ぶのもまた、清水ただ一人だ。


「で、どうなんだよ柊。お前、いつまで姉ちゃんと風呂入ってたんだ?」


「ちゃんとしっかり風呂には入ってる……って回答じゃダメなんだろうな、お前の場合」


「──ちなみにおれに姉貴はいないが、母さんとは十歳までは入らされていた。(とお)の誕生日を迎えて半年後、『お前にその技能があるのはこの半年間で見定めた。これからは一人で自由に風呂を楽しむがよい』って免許皆伝を貰えた。以来、おれは一人で風呂に入ることを許されている」


「そうか……田所家はそういうシステムだったのか」


「……で、お前は? おれも言ったんだ、お前も言えよ」


「はは……僕も確かそれくらいだった気がするけど、正直全然覚えてないや。……だから陽太くん、キミもそんなの気にする必要なんてないんだ。みんななんだかんだでそうだし、大人になればそんなのただの笑い話になる。それにそのうち、お姉ちゃんが一人で入ることを認めてくれるようになるから」


「……ほんとぉ?」


「いーや、私はいつまででも陽太と一緒にお風呂入るつもりだけどね!」


「お願い清水さん、僕のためにも話をややこしくしないで……!」


 そうして、楽しい楽しいお昼の時間は過ぎていく。みんながみんな、午前の仕事をねぎらいあって、そして美味しい天ぷらうどんに舌鼓を打っていた。誰もかれもが二杯はおうどんをおかわりし、ぺこぺこだったおなかがすっかり膨れれば。


「…さて、そろそろ頃合いか?」


「そうさねェ。どうやらみんな、食欲は十分にあるようだ。元気もあり余っているみたいだし、始めてしまってもいいだろうよ」


 ──午後の部、焼き芋大会の始まりである。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「…待たせたな」


「わぁーっ!」


 中庭。リヤカーに山積みになったサツマイモを見て、子供たちは大きな歓声を上げた。


 もちろん、これは午前中に収穫し、畑の傍らで日干ししていたサツマイモである。必然的に火を取り扱うことになる以上、焼き芋大会を畑でそのままやるわけにもいかず、文化祭や夏祭りで火の取り扱いの実績がある中庭でやらざるを得なかったのだ。そのためにわざわざ、楠は畑にあったそれらをこうしてここまで運んできてくれた、というわけである。


 なお、あえて語るまでもなくこれは全体収穫量のごく一部であった。


「…さて、お前ら。一番美味い焼き芋を食べるのには何が大事か知っているか?」


 リヤカーに群がっている子供たちに向かって、楠は静かに語りだす。


「…午前中にじいさんが言った通り、収穫した直後ではなく、しばらく置いた芋を使うということだ。だいたい三週間か四週間か、それくらい保存すると追熟して甘くなる。甘くなることを難しい言葉で糖化というんだが……この時、9度以下は糖化が進みすぎて腐りやすくなるからダメだ。一方で、15度以上だと芽が出てしまう。間を取って12度くらいでの保存が理想的だ」


「おじーちゃんおじーちゃんっ! このお芋、どーすんのっ!」


「敦美さん敦美さん! 早く火! 火をつけて焼いちゃおうよっ!」


「あーっ! それ、俺達が掘ったやつだからな! 間違えんなよな!」


「…………」


 もはや子供たちは、だれ一人たりとも楠の言葉を聞いていない。目の前のそれに興奮しきっているのか、それとも楠が見た目とは全然違い心優しい男子高校生であることを見抜いたのか。いずれにせよ、小難しいウンチクなんて耳を素通りしているようで、早く肝心の焼き芋を始めないかとおじちゃんや敦美さんをせっついていた。


「あ、あの……つまり、今回はその時間が取れなかったから、焼き芋にはホントはあんまり向かないの?」


 そんな楠を哀れんだのだろうか。清水の母が困ったように笑いながら楠に問いかけた。


「…いえ。あくまでこれはより甘く美味しい焼き芋を食べるための方法です。ウチのはすでに十分甘いので、問題なく楽しめますよ。加えて……」


「加えて?」


 ちら、と楠はおじいちゃんを見た。


 そして、小さく首を横に振った。


「…いえ、なんでもありません」


「……?」


 おそらく。いいや、たぶんきっと。すでにこのサツマイモは三週間か四週間ほどいい感じに保管していたのと同じくらいのレベルで糖化が進んでいることだろう。この園島西高校の文化研究部の部長であるおじいちゃんは、なぜだか物の時間を早めたりすることが事実としてできている。あっという間に梅を漬けたり、あっという間に柿を干したり、あっという間に麦の乾燥だってやってきたのだ。今更確認するまでもなく、このサツマイモにも同じ処置をしていることはずだ。


 だけど、それを何も知らない人間に説明するのはかなり難しい。これだから、園芸部以外のウチの部活はおかしなところばかりなんだ──という言葉を飲み込んで、楠はそのままおじいちゃんに落ちかけた。


「…焼き芋の作法は俺は知らない。じいさん、頼む」


「はいよ、任された」


 ぱぁん、とおじいちゃんは手を大きく打ち鳴らした。


「さぁさぁ、美味しい焼き芋を食べるには火の準備が肝要さ! ……おっと、こいつは危ないから、子供たちは大人たちのお手伝いを頼むよ」


 焼き芋。芋を焼くなら当然火が必要だ。そしてここには偶然にも、いろいろあってそれなりに火の扱いに長けた学生たちがいる。おじいちゃんが言っているのは、つまりそういうことだ。


「あっちの方に落ち葉が集めてあるだろう? 向こうの方には枯れ枝や蔓なんかもまとめてある。まずはそれをこっちまで持ってきて、小さな山を作っておくれ」


「「はーいっ!」」


 作る山の数は全部で五つほど。子供たちがせっせと燃料を運んでいる間に、一方で華苗たちは地面を軽く掘って窪みを作り、ついでに延焼を防止するために石──文化祭の石窯の名残だ──を並べて、焚火の準備を整えていく。


 もちろん、万が一の時に備えて水の入ったバケツを複数個に、消火器だって忘れない。


「ふふふ、なんだか年甲斐もなくワクワクしてきてしまうね! 昔はそこらで火を燃していたものだが、今はめっきり見ることも無くなってしまったし……!」


「えー、ホントにそんな時代があったのぉ?」


「ああ、そうだとも! キミたちからしてみれば、もう昔話の時代みたいなものかもしれないけどね!」


 意外なことに、一番はしゃいでいるのが他でもない教頭先生であった。子供たちと同じ目線で枯葉だのなんだのを集めてまとめ、服が汚れることも厭わずにせっせと動いている。他の人たちに比べると妙に手馴れており、作ったそれもしっかりとした形になっていた。


 きっと、その言葉通り在りし日は何度もこうやって焚火を囲んでいたのだろう。華苗たちからしてみれば、ちょっと信じられない話であった。


「じいさん、一応できたけど……この中にサツマイモを入れて焼くんですか? 枯葉とかじゃ、焚き付けにはなっても燃料にはならないような」


「おや、お前もそれがわかるようになったか……確かにその通り、これだけじゃあ本来はダメだ。だが、今回はこれでいい」


 華苗たちの前にできた、五つの枯葉の山。ここで火打石を打ち付ければすぐにでも燃え上がりそうなものだが、しかしそれでは一瞬で燃え上がって終わりである。


 そんな佐藤の……ひいてはみんなの疑問に対し、おじいちゃんはにこりと笑って言った。


「実はね、いきなり最初から芋を焼けるわけじゃないんだ。まずは火の下準備……この場合、熾火(おきび)を作るところから始める」


「おきび?」


「見せたほうが早いだろうね……おっと、その前に。せっかくだから秘密兵器を使わせてもらおうか」


 さりげなく、いつのまにやら中庭の端っこに置かれていた意味深な大きな袋。ズタ袋というか、昔のお米を入れていた袋というか。どことなく風情のあるその大きな袋をよいしょと担いだおじいちゃんは、華苗たちの目の前でその中身を取り出した。


「ほら、こいつだ」


「これって……栗のイガ!?」


 茶色でちくちくした、手のひらからあふれ出るほどのサイズのそれは、どこからどう見ても栗のイガだ。植物的には栗の皮に当たる部分で、そして疑いようもなく、園芸部の畑で採れたものである。


「ここ最近、お菓子部でも調理部でもずっと栗を扱っていただろう? その時のイガを捨てずに集めてもらっていたんだよね」


「あはは……集めたつもりは無くて、捨てるつもりでまとめていただけなんだけど」


 この大きな袋いっぱいに栗のイガだけが入っているのだという。さらに付け加えると、この袋は同じものがあと五つほど古家に保管されているらしい。


「おじいちゃん、まさかこれって……」


「ああ。察しの良い奴は気づいていると思うが……」


 ぽいぽい、ぽいぽい。おじいちゃんはろくに見もせず、その大ぶりな栗のイガを六つほど野山の中に投げ入れた。


 そして。


「ほい、ちょっと離れて」


 ──バヂィッ!


 火打石が叩きつけれた時の、特有の乾いた音。たった一回だけ鳴り響いたそれは、自然の摂理に従って火花をまき散らし、そして。


「わっ!?」


 栗のイガに着火して、盛大に燃え上がった。


「──乾いた栗のイガはね、優秀な着火剤となるんだ。見ての通り良く燃えるし、火持ちもそこそこある」


 そんな優秀な着火剤が、都合六個も燃えている。瞬く間に赤い火が燃え上がり、着火の難しさをせせら笑うかのように煌々と輝いている。ふわりと香ったその匂いは紛れもなく煙のもので、どこか懐かしいような、何かを思い出しそうになるような……そんな気持ちが華苗を包む。


 そして、それ以上に。


「きれー……!」


「かっけぇ……!」


 燃えるイガは、言葉にできないほど美しかった。針と針の間が真っ赤になって揺らめいており、白い煙がその間を揺蕩ってなんとも幻想的である。炎の揺らめきと合わせて鳴動するように赤熱したそれも揺らめいて、ともすれば中から火の鳥かドラゴンか、何かファンタジックな生き物が生まれてきそうな気さえする。


 何より面白いのが、イガの外と中とで炎の色が違って見えることだろう。光の加減か、煙のせいか……あるいは科学的な目の錯覚か。ともあれ、オレンジ色の炎とピンクにも見える炎が複雑に絡み合って、クリスマスのイルミネーションがライトアップされたかのように、華やかな印象をその針に灯していた。


「なんか……ずっと見ていられそう……」


「イガって燃やすとこんなに綺麗なんだ……」


「これ見れただけでも、今日来た甲斐があった気がする……」


 思わず引き込まれてしまうほどの、幻想的な炎。ぼんやりとそれを見つめてしまっている華苗たちを見て、おじいちゃんは困ったように笑いながら告げた。


「火を愛でるのも悪くはないが、今は熾火を作るのが先だろう? ……ほぅら、よく見な」


「あっ!」


 当然の帰結。勢い良く燃え上がったなら……燃えるものが無くなったのなら、火の勢いは落ち着いてくる。もっと言えば、燃えていたのは栗のイガと枯葉でしかない。燃え尽きるのもまた早く、そして薪などとは違って炭のように残ったりすることも無い。いや、残るは残るがそれほどがっつりは残らない。


「あー……火、消えちゃった」


「──いいや、まだ消えてない。炎は上がっていないが、中では静かに燻っている。周りが炭や灰になっている中で、真っ赤になっている……燃えてはいるが火は出ていないこの状態を熾火と言い、焼き芋はこの中に入れて焼くのさ」


 見た目の派手さこそないものの、安定して高熱を放ち続けるこの状態。この熾火の状態でやることが焼き芋を上手く行うコツであり、定石であるとおじいちゃんは語る。なんとなくイメージするような、燃え盛る枯葉の中に芋を突っ込むのは愚策であるらしい。


「七輪や囲炉裏があるならまだしも、外でいい塩梅の熾火を作るのは難しい。栗のイガはよく燃えて長持ちもするから、こいつを上手く使ってまずは熾火を作ってみなさい」


 おじいちゃんに促され、華苗たちもまた熾火を作るべく動き出す。袋の中からイガを贅沢に十個ほど取り出して、それぞれ枯葉の山の中へと放り込んだ。あとはそのまま火打石──もちろん持っていなかったのでおじいちゃんから借りた──を打ち鳴らせば、パチパチと良い音を立てながら赤い炎が吹きあがる。


「お、思ったより良く燃えるね……これじゃあ全部燃え尽きちゃうかもしれないな」


「その時は追加でイガをいれよっか。うーん、やっぱり乾燥しているのかなあ」


 こればっかりは危ないから、完全に華苗たち大人の仕事だ。きゃあきゃあはしゃいで燃えるイガを眺める子供たちに注意を払いつつ、華苗は火バサミを使ってちょいちょいと火の具合を確かめる。さすがにおじいちゃんほど上手く燃やすことは難しいが、それなりに形にはなっていると言えるだろう。というか、いくらこの時期とはいえこうもあっさり火をつけられるというのは、普通の女子高生としてはなかなか珍しい特技だ。


「燃えろ……! 燃えろぉ……!」


「敦美さん敦美さん! ウチのチームの奴を一番たくさん燃やしておっきい炎にしてよ!」


「おじーちゃんのところほどきれーには燃えないねー……」


 ふと周囲を見渡せば、同じように栗のイガに火がつけられて、他の三つの焚火も煌々と燃え上がっている。やはりどこも火の勢いが少々強めだが、着火しないよりかははるかにいい。これが夜だったらきっと素敵な光景になっていたのだろうな……なんてことを思いつつ、華苗は次の言葉を待った。


「さて……この様子なら、熾火も準備できそうだね。それまでの時間を使って、焼く芋の準備に取り掛かる。方法はいろいろあるが、ここは無難に失敗しにくい方法でやるとしよう」


 まずはサツマイモを洗う。当然、土や泥が着いたまま調理するのはあまりよろしくないからだ。いくらサツマイモに水分は天敵だとは言え、調理直前であるならば全くもって問題ない。


「あっちに運動部が使う水場がある。お前ら、おれについてこい」


「うぃーっす!」


「いい返事だ」


 特に説明を受けるような事柄でもないので、子供たちは各々自分のサツマイモを持って外の水場で作業に取り掛かる。普段は運動部が手洗いうがいに使う……夏場はそのまま頭から水を被ったりするその水場だが、今この瞬間だけは文字通りのイモ洗いの状態だ。


「いつもの学校の水道のはずなのに、こうしてみるとキャンプ場のやつみたいだね」


「なるほど、同感。……前のキャンプの時、水道ってあったっけ?」


「喫茶店の中だけだったかなあ……」


 火の番をしている華苗たちには、子供たちの詳しい様子は見えない。けれど、きっと自分たちの分のサツマイモもちゃんと洗って持ってきてくれるだろうということを信じて、ぼんやりと火を眺めながら時間を潰す。


 ややあってから、ぴかぴかに洗い上げられた芋を満足げに抱えて子供たちが帰ってきた。


「よしよし、次は……」


「はいはーい! 濡らした新聞紙でお芋を包んで、さらにそれをアルミホイルで包むの!」


 空き時間を使って道具を準備していた清水が声を上げる。まずはお手本として自分がサツマイモを手に取り、そして少々ぎこちない手つきながらも自分が言った通りのことを子供たちの目の前で実践していく。


「えっとね、新聞紙もアルミホイルも、隙間ができないようにしっかり包むこと! 火が直接触れるとそこが真っ黒こげになっちゃうからね!」


 そうだよね、と清水がおじいちゃんに視線で語る。おじいちゃんはゆったりと笑って、そして穏やかに頷いた。



「アルミホイル、もっといっぱいちょーだいっ!」


「隙間があると上手くいかないから、くるっと巻いた後にくしゃって全体を握ってあげるようにね」


「うう……濡れた新聞紙を巻くの、結構難しい……」


「……逆に、新聞紙を巻いてから濡らせばいいんじゃない?」


「……それだ!」



 芋に新聞紙を巻くだけ。そこにさらにアルミホイルを巻くだけ。たったそれだけだというのに、子供たちは本当に楽しそうに笑いながらきゃあきゃあとはしゃいでいる。やっていることは雑務に近い……つまりは面倒ごとであるはずなのに、まるでそうとは思わせないほどの輝く笑顔だ。


 そんな様子が嬉しくなって、華苗もくるくるとサツマイモに新聞紙を巻いていく。面倒くさいので乾いたそれを巻いた後に、自前のぞうさんじょうろでさーっと水をかけてやった。あとはそこをぎゅっと握れば、第一段階のクリアである。


「…八島」


「はいはい」


 す、と傍らから差し出されてきたそれ。どうせそんなことだろうなと思いつつ、華苗はろくに見もせずそこにぞうさんじょうろで水をかけた。どうせ後で水分は飛ぶし、火を通せば大体何でも食べられるので、見た目や形式にこだわる必要なんてどこにもないのだ。


「あっ、華苗ってば横着してるね?」


「賢く生きてる、って言って?」


 新聞紙で包んだら、後はアルミホイルを巻いていくだけ。適当にくるくるした後に、くしゃくしゃとサツマイモを優しく握り込んで、そして仕上げにぎゅっとやってやれば、なんともワクワクの詰まった銀のきらめきが手の中で産声を上げる。もうこれだけで楽しみで胸がトクトクと動くというのだから、火と煙、そしてアルミホイルの組み合わせは反則なのじゃないか……と、そう思わずにはいられない。


「さて……どうやらみんな、準備ができたようだね?」


 子供たちの手にはもちろん、華苗たち高校生の手にも。保護者の大人たちの手にも、教頭先生やゆきちゃんの手にも。今ここにいるすべての人間が、後はもう熾火に突っ込むだけの銀の宝箱を持っている。


 もう、躊躇う理由はどこにもない。


「さぁ、火傷に気を付けて熾火の中にそいつを入れるんだ。上手い具合に中に突っ込んで、アルミホイルの銀色が外に出ないようにね」


 火バサミを装備した高校生が、子供たちから受け取ったそれを熾火の中へと入れていく。ガサガサとそれを掻き分けて突っ込んだ後は、優しくお布団をかぶせるように燃えかけの葉やイガを上から被せていく。


「おれのやつ、いっちばん奥の方にやってね!」


「イガ、もっと入れる? みんなの分入るかなあ……」


「もっと燃やそ! 火ぃ全然足りないんじゃないの!?」


「わかったわかった、危ないからもうちょっとだけ離れてくれ。慌てても芋は逃げないぞ」


 そんな様子を子供たちは期待に満ちた眼差しで見つめており、自分のそれはできるだけ真ん中の一番良い所に入れてほしい……と、なかなか無茶なお願いをするものが少なくなかった。


「じーちゃんすげーっ! それ、熱くないの!?」


「こ、ここにいても結構熱いのわかるのに……!? 軍手も着けないの……!?」


「はっはっは、慣れだよ、慣れ。火に触れる機会が増えれば、みんなできるようになるものさ」


 ちなみに、五つの焚火のうちたった一つだけ。おじいちゃんが管轄するそこだけは、火バサミではなくおじいちゃんが素手でそのまま芋を熾火に突っ込んでいる。火バサミの数が足りなかったのかもしれないが、それにしたってなかなかにワイルドなストロングスタイルであった。


「さて……これでみんな、火に入れ終わったようだね」


 華苗たちの目の前には、白い煙を燻らせている熾火がある。ちょろちょろと小さく火が吹いているところもあるが、基本的には安定した状態を保っており、着火した時のように盛大に燃え上がったりしているところは一つもない。イメージする焚火というよりかは、燃え残りを始末できておらずに大変なことになりかけている……まぁ、そんなようにも見えないことも無かった。


 ただし、真ん中の方では火山地帯のそれのように真っ赤になったイガが確かに高熱を放っている。これこそが焼き芋において最も重要な部分であり、そしてまた、華苗たちのこの後の焼き芋タイムを保証するものであった。


「じいじ、焼きあがるまでどれくらいかかりますか?」


「そうだねェ……。火加減にもよるが、小一時間ってところだろうね。あまりに強い火だと焦げちまうから、こればっかりはしょうがない。焦らずのんびり、火を愛でながらゆっくり待てばいいさ。……おっと、ただし一つだけ」


「なんです?」


「枯葉や蔓じゃ、熾火になってもどんどん燃え尽きていく。今だって、ほら……」


 おじいちゃんの指の先。よくよく目を凝らしてみれば、なるほど確かにこんもりとしていたはずの枯葉の山が、じわじわと小さくなっている。火こそあがっていないものの、中でしっかり燃えていることは間違いないのだ。それはある意味……というか、自然の摂理として当然のことである。


「だから、定期的に燃料を追加してやる必要がある。追加の枯葉を被せるなり、ここのイガを放るなり……畑にはマルチとして使っていた麦わらもたくさん散らばっていただろう? あれを焼べてもいいんじゃないかね」


「なるほど……じゃあ、それも集めておこうかな」


「あと、こいつはそこまで量を用意できたわけじゃないんだが……」


 ひょい、とおじいちゃんが取り出したのは。


 手のひらサイズの、真っ黒でチクチクな何かであった。


「……え、ウニ?」


「じゃなくて、イガの炭さ」


 真っ黒でチクチクで、何処からどう見てもウニにしか見えないそれは栗のイガで作った炭だという。どうやらかなりデリケートな代物であるらしく、シャリィが不思議そうにそれに触れただけで、先端の所がぽきりと折れてしまっていた。見た目こそ攻撃的であるものの、手のひらから落とせばそのまま崩れてしまうほどに脆いのだろう。


「その熾火の中でも出来ているかもしれないけどね。炭はもともと、こういう時のために使うものだ。何個か入れておけば少しは火持ちもよくなるだろうよ」


 ぽいぽいぽい、とそいつも熾火の中へと放り込んで。火を移すためにちょっとばかりがさがさとかき混ぜれば。あとはもう、出来上がるその瞬間を待つだけとなる。そのことを示すかのように、おじいちゃんはパンパンと手を払って三歩ほど火から距離を取った。


 小一時間。ちょっと休憩するには長すぎるし、何か別の作業をするには短い時間。華苗たちからしてみればそれくらいの感覚だが、小学生にしてみれば、いつもの20分休みの倍以上の長い時間だ。


「陽太、どーする? 火は私たちが見てるから、お友達と適当に遊んでいてもいいけど」


 史香が傍らにいる弟に問いかける。陽太は、火から目を離すことなく言い切った。


「もちろん、ずっとここで火を見てる。むしろ、遊んでなんていられないよ」


 子供たち全員が、陽太と同じことを思っていたらしい。誰一人としてこの中庭から離れることなく、火の周りに集まってじいっとその様子を伺っている。時折ぽつぽつとおしゃべりしてはいるものの、静かに大人しく、まるで神秘的なものを拝むかのようにそのぱちぱちと穏やかに燃える火に見入っていた。


 情緒がある、とはまたちょっと違う。期待に満ちている……のは間違いないが、それだけだと言い切るのもまた語弊がある。火を眺めるというその行為は、どうにも言葉にできない不思議な魅力があり、人間として何か根源的なものを揺さぶられるような、そんな気がしてならない。


 そんなことを思っていたからだろうか。気づけば華苗もまた、子供たちに混じって火の近くに腰を落としていた。


「……なんか、さ」


「どうしたの?」


 華苗の傍らに座った柊が、ぽつりとつぶやいた。


「こうやってみんなで火を囲んでいると……やっぱり、この前のキャンプを思い出すな」


「あはは、そうかも。……あの時はマシュマロを焼いたんだっけ」


 ゆっくりと目を閉じれば、火の匂いが確かに鼻をくすぐっているのがわかる。それはあの夜の焚火とそっくりだけどちょっぴり違う、なんだか癖になってしまう匂いだ。燃やしている物が違うからか、はたまた環境が違うからか……なんで同じ火なのに匂いが違うかはわからないが、しかし、あのキャンプを思い起こすには十分なものだ。


「もう二、三か月くらい前になるのかな? ……そう考えると、もうすっかり秋だね。朝晩も結構冷え込んできているし」


「ですねえ……園芸部も落ち葉がいっぱいですよ。実りはそのままだから、違和感が凄いけど」


 ぽつり、ぽつりとそんなとりとめもない会話が続く。ふわりと頬を撫でる心地よい風には、なるほど確かに秋を感じさせる何かが存分に含まれていて、しかも驚くべきことにほんのわずかとはいえ、冬の匂いもするというから驚きだ。


「……園芸部のやつって、紅葉とかするのかな。冬になって落葉するところも想像つかないや」


「うーん、どうなんだろ? なんだかんだでその辺の季節感は結構反映しているような。私が入部した時は、今と比べると畑も結構寂しい感じだったし」


「へえ、そうなんだ」


 火の勢いが少し弱くなってきたような感じがしたので、華苗は火バサミでガサガサとその焚火を掻きまわす。上の方の全然燃えていなかった場所が中心部に移り、少しばかり火の勢いが強くなって、頬に感じる熱もまたさっきよりちょっぴり強くなった。


「克哉くん」


「うん」


 イガが数個。麦わらを二つかみ。ついでに近くにいた子が落ち葉をがさっと。新たに追加された燃料が一瞬だけ炎を噴きあがらせ、そしてまた元の安定した熾火に戻っていく。


「……む」


 白くもくもくと上がっていた煙が、華苗のほうへとたなびいてきた。呼吸ができないほどじゃないが、目が染みるし煙たいし、ちょっと顔を逸らしたくらいでは避けられないくらいに纏わりついてくるという有様である。


「……なんなの、もう」


「あはは。嘘か本当か、煙は美人の方に寄っていく……なんてよく言うけれど」


「……そこは、可愛いからってはっきり言ってほしかったかも」


 よいしょ、と華苗は腰を浮かして、そして柊のほうへと距離を詰めて座り直す。文字通り、肩と肩が触れ合うその距離は、少し前の華苗だったら絶対にできなかった芸当だ。そんなことをナチュラルにやってのけた自分自身に、華苗は心の中で大絶叫を挙げている。


 ──せっかく場所を変えたのに、白い煙はまだなお華苗を追って向きを変えていた。


「なるほど、確かにこれは結構煙たいね。この煙、よっぽど華苗ちゃんのことを気に入ったのかな」


「それってつまり、私が可愛いって遠回しに言ってる?」


「……察してくれると、嬉しいな?」


「はっきり言ってくれると、嬉しいな?」


 お互いにじいっと炎を見つめたまま。華苗と柊は、くすくすと笑いあった。


 ──赤いほっぺは、火に当てられたからか、それとも。秋空の下の穏やかな赤い時間は、まだもうちょっとだけ続く。

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