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楠先輩の不思議な園芸部  作者: ひょうたんふくろう
楠先輩の不思議な園芸部
102/129

101 秋のちくちく ☆

【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】です。

本当にありがとうございます!


「華苗ぇ……!」


「むぎゅ」


 お昼休み。いつも通り三人で机を合わせてお弁当を食べた華苗は、ごちそうさまの挨拶をした直後によっちゃんに抱きしめられた。


 幾分マシになってきたとはいえ、まだまだ暑さは残っている……そんな秋の初めの昼下がり。いくら女同士とはいえ、いや、女同士だからこそこんなにもベタベタされては暑くて暑くて敵わない。冬場だったらふにふにでやわらかくて気持ちいいのかもしれないが、夏場じゃ暑苦しいだけである。


「なんなの、急に」


「かなちゃん、ぎゅっ! ってされるの好きでしょう?」


「するのは好き。されるのは時と場合による」


 じゃあ抱きしめて良いよ、とよっちゃんは腕を広げた。なるほど確かに、なかなか飛びつきがいのありそうな迫力がある。もしも華苗が男子だったら、きっと寸分の迷いなくその大きくて偉大な胸に飛び込んでいたことだろう。


 その隣で、負けじとばかりに清水も腕を開いていた。


「……で、どうしたの?」


「いや、実は……どーしても、お願いしたいことがあってぇ……!」


「内容による」


 宿題を見せてくれ……ってことはないだろう。華苗よりもよっちゃんの方が全体的に頭が良い。特に理数系に関しては他の追随を許さず、ぶっちゃけるとクラストップを張れるほど良かったりする。この見た目でそれは詐欺だろうと、何度華苗が思ったことかわからない。


 じゃあ文系科目のそれか……と言われても、生憎宿題が出されていた記憶はない。それに、そっちを聞くのだったのなら華苗よりも清水の方が適任だ。清水は理系科目が苦手な代わりに、文系科目が結構得意なのである。


 華苗は文系も理系もそこそこでしかない。どちらもめちゃくちゃ苦手と言うわけではなく、大体平均くらいだ。強いて言うなら化学の成績が他よりもちょっぴり良く、数学の成績が他よりもちょっぴり悪い……と、そんなごく普通の女子高校生でしかない。


 つまり、そんな華苗によっちゃんが頼みごとをするならば。


「ちょーっと育ててほしい……というか、食べたいものがあって……ね?」


 うふふ、とよっちゃんは妖艶に笑う。しょうがないので、華苗はその腕に抱かれてやることにした。


「暑いけどもう秋じゃん? 秋ってことは食欲の秋じゃん?」


「文化の秋、運動の秋は?」


「史香ぁ、おんなじ言葉そっくり返そっか? あたしと一緒にランニングでもする?」


「ごめん、私も食欲の秋大好き」


 よっちゃんは無理矢理に清水をも抱きしめた。右腕に華苗、左腕に清水のまさに両手に花である。見る人が見れば、とてもとても幸せな光景に見えたかもしれない。


「なんか地元の商店街で秋フェアてきなことの準備していてさぁ。朝登校するときチラッとそれが見えちゃって……もう、頭から離れなくなっちゃったんだよね~!」


「その商店街で買えばいいじゃない……応援してあげるべきですわ……」


「そうわよ」


「お金大事! あと女子高生的に労働して勝ち取りたい!」


 つまるところ、そのどうしても食べたくなってしまったものを栽培してほしい、というのがよっちゃんのお願いごとなのだろう。似たような案件はすでに何度もやっているし、誰かの依頼で何かを育てるというのはついこの前もやったばかりだ。今更別に珍しいことでもない。


「……だいぶ感覚麻痺してきたけど、食べたいものを奢ってもらうんじゃなくて、自分で栽培して収穫のお手伝いするって大概アレだよね」


「ごめん史香、それは言わないで。あたしもそれはわかっている……」


 ぽんぽん、とよっちゃんはわざとらしく──小さい子供をあやすようにして華苗の頭を撫でた。ちょっぴり心地よくなってしまったのは、華苗だけの秘密である。


「そんなわけで今日の放課後、園芸部にお邪魔したいんだけど……いいかなぁ?」


「ん、だいじょぶ。……だけど、いったい何を育ててほしいの?」


「それはね……」


 秋。食欲の秋。秋の定番となるそいつは、料理にもお菓子にも使えて、そして一年に一度は食べたくなってしまうもの。野菜のようにも果物のようにも扱われることがあり、果物と同じように収穫体験が開催されることも珍しくはないが……その特異な形態により、【〇〇狩り】という名称が使われないという地味に珍しい特徴があったりする。


 そんな、秋の名物。


「──栗! あたし、今すっごく栗が食べたいの!」


 あ、それ私も食べたい──と、華苗も清水も同じことを思ってしまった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「…ふむ。栗か」


 放課後。いつも通りの園芸部スタイル──麦わら帽子にオーバーオール、汗拭きタオルに軍手に長靴と言った出で立ちで、楠は畑で仁王立ちをしていた。その傍らには同じように園芸部スタイルである華苗と、ジャージ姿であるよっちゃんと清水もそろっている。ちなみにこの二人には華苗が予備の麦わら帽子を貸してあげていた。


「…まぁ、悪くない。いつかやろうと思ってはいた。タイミング的にも……良いかもしれん」


 やったぁ、と華苗たち三人はハイタッチを交わす。そこに楠は含まれていない。一年生女子三人と先輩である二年生男子の間には、とてもじゃないが埋めきれない大きな溝と隔たりがあるのだ。


「…ただし、条件がある。こちらのお願いも聞いてもらおうか」


 地の底から轟くようなおどろおどろしい低い声。ぴし、と三人娘の動きが止まった。


「え……なんで、いつもはそんなこと言わないのに……?」


「あ、あたしったら何をお願いされちゃうんだろう……?」


「お菓子部の一年生後輩女子にお願いって……まさか、そういうこと?」


「…内容は後で話す。さて、栗についてだが……」


「「……」」


「…どうした?」


「いえ、反応しないなーって」


「佐藤先輩だったらわかりやすいほどに反応してくれたのになーって」


「こーゆー人なんだよ、ウチの先輩は」


 わざとらしく身を捩らせ、抱き合った形で三人はちょっぴりがっかりした顔をした。先輩に対してあるまじき態度と思えなくもないが、どうやら三人とも、一対三のこの状況でテンションが少しおかしくなっているらしい。完全に普段の華苗のそれが移っており、そして空気が教室のそれと同じであった。


 三人にとって幸運(?)のは、楠はあらゆる意味でこの手の冗談をまるで気にしない人間だったことだ。


「…まず、栗の種はわかるか?」


「はて?」


 唐突に投げられた質問に、華苗も清水もよっちゃんも首を傾げた。


「言われてみれば、見たことないような?」


「普通は実の中に入ってる……んだよね? でも、栗に種なんてあったっけ?」


「鬼皮でしょ、渋皮でしょ……でも、その中の実には」


「…清水、その認識がそもそも間違いだ」


 意外なことに栗として食べられている……栗の実の部分として認識されているあの部分は、実は生物としてのクリの果実の部分ではなかったりする。


「…普段食っている実の部分。それと渋皮を合わせたものが栗の種だ」


「「うっそぉ!?」」


「…ちなみに鬼皮が果肉で、皮はイガの部分だな」


 栗のイガイガの部分が本来の皮の部分で、あの猛烈に硬い鬼皮の部分が果肉である……というのが栗の真相だ。


 普通の果物だったら、皮は艶やかで柔らかいものが多い。スイカのように硬いものであっても艶やかで滑らかなのはまず間違いない。しかし一方で栗は硬いうえにあんなにもチクチクトゲトゲしているという段階で、普通のそれとは一線を画すものだということが明らかだろう。


 その上さらに、本来なら甘く柔らかい、可食部となるであろう果肉の部分があんなにも硬い。硬いし薄くて食べられるところなんてあるはずがない。果肉であるのに「鬼の皮」の名を冠していることが、その実情と過去の人間たちの気持ちを雄弁している。


 特異な形態の皮。柔らかく美味しく食べられるはずの果肉は硬くて薄くて食べられず、本来なら硬くて小さくて食べられないはずの種が甘くて可食部たっぷりで美味しい。これだけ見ても、栗は他の果物や野菜の類とは根本的に異なるものだということがわかる。


「…故に、ほかの植物の例に漏れず……あのよく見知った鬼皮の状態での栗を埋めれば、そこから発芽して成長することはする。しかし……」


「あんなの植えるなんて聞いたことないですし、接ぎ木やその類で増やした苗木で……って感じです?」


「…ああ」


 くい、と楠は顎でついてこいと華苗たちに示す。


「…ちょうど、用意していたんだ」


 言われた通りについていった先──農具や収穫物なんかを適当に入れている方の小屋の片隅に、なんかそれっぽい苗木がちょうど四本ほど。片手でむんずとそいつを掴んだ楠は、落とさないようにと声をかけながら、華苗たちにそれを手渡していく。


 高さとしては、華苗の腰に届くかどうかと言ったくらいだろうか。すでに結構成長しているな……というのが、華苗の抱いたイメージであった。


「…こいつを日当たりの良い所に植える」


「畑の空いているところでいいです?」


「…ああ」


 水はけがよく、風通しも良くて日当たりの良い所に植える……というのは、大体の植物に共通する基本的条件だと思ってもらって構わない。栗もその例には漏れないが、痩せた土地でも割と普通に育つという初心者にとっては嬉しい特徴もあったりする。


 ただし、注意点もいくつかあった。


「…栗の場合、日当たりが何より肝要だ。日照不足に陥ると実の付きが悪くなり、成長にも影響が出る」


「なんだろ、なんかあんまりおひさまさんさんなイメージなかったや」


「…確かにそうかもな。しかも、注意点はまだいくつかある」


 お日様の光が何よりも大事であることと同時に、風の強い所には植えていけないという決まりもある。栗は強風に弱いため、あまりに風が強いところだと収穫を迎える前に風によってボトボトと落果してしまうのだ。


 また、栗は何もしなければ10~20mもの高さになる樹なので、お日様の光の確保を目的として、植える際はちょっぴり広めに間隔を取ってあまり密集させないようにした方がいい。とはいえ、これもあくまで程度問題のため、一般的な果樹と同じレベルであればまず問題はないだろう。


 むしろ、問題なのは。


「…栗には自家結実性が無い」


「げっ……!?」


 華苗はそれだけで、この後の地獄を想像してしまった。


「なんだっけ、自家結実性って……なんかこの前も聞いたような」


「……一人じゃ受粉できないってやつ。複数種類植えて、人の手で花をちまちま人工授粉させないといけないやつ」


「「げっ……!?」


「うふふ……美味しい栗を食べるためには仕方ないよねえ……? 友達が助けてくれるって、素晴らしいことだよねえ……?」


 逃げようとするよっちゃんと清水。絶対に逃すまいと畑中の作物にまごころを込める準備をした華苗。


 幸いなことに、華苗が親友二人を異常生長する作物で絡めとって拘束する……なんて事態には発展しなかった。


「…こいつは風媒だ。異なる種類を近くに植えておけばいい。最低三種類以上あれば大丈夫だろう。…俺とお前と、清水と皆川。ちょうど四種類だ」


「ぃよっしゃあッ!」


 栗の受粉形態は風媒……すなわち、花粉が風にのって受粉するのである。加えて栗は自家結実性が無いため、異なる品種の株を風の届く範囲に植えなくてはならない。そういう意味でも風通しは重要で、そして植える位置も大切なのである。


「同じ風媒なのに、トウモロコシと違って違う種類で固めないといけないんですね」


「…そこについてはサクランボと似ているな」


「ほへー……植えるにしてもいろいろあるんだねえ……」


「と、とりあえずすっごく大変な作業はしなくていいってことだよね!」


 ちなみに、本来なら植え付けは冬の半ばから春の初めごろの樹が活発でない時期に行う。接ぎ木を行うのも概ね春の初めごろとされており、苗木で植え付けた場合、元々の苗木の大きさにもよるものの、おおむね二年程度……遅くとも、三年も経つ頃には収穫ができるようになる。


「桃栗三年柿八年……ってやつですね!」


「そういえば、華苗この前柿も持ってきてくれたっけ」


「すごいよね、この園芸部。桃と栗と柿をコンプリートしたんだもの」


 軽口を叩きながらも、華苗たちは苗の植え付けを終わらせる。いい感じに掘っていい感じに植えて、ぺしんぺしんと地面を均したあとはさーっと水をかけるだけ。栄養とまごころたっぷりの土を使っているから、この辺はほぼ流れ作業でも問題ないのだ。


「先輩、この後は?」


「…あとは適度に樹勢を整えるくらいか。放っておくとどこまでも高くなるから、普通はせいぜい3mくらいで抑える。それ以外は……特別な作業はないな」


「あらま。意外とらくちん」


「…ところが、気が抜けるというわけでもない」


 まさにまごころを込めようとしていた楠が、その動きを止めた。


「…栗には病害虫が多い。その中には文字通りの天敵……こいつが一匹紛れ込むだけでその樹が丸ごとダメになってしまうような、恐ろしいやつがいる」


「えっ……そんなに危ないやつなんですか? 実だけがダメになるとかではなく?」


「…ああ。最悪の場合、樹そのものが死ぬ。そして、駆除も非常に難しい」


 そんな、栗にとっての災厄とでもいうべき存在。


「──クリタマバチ、と言ってな」


 クリタマバチ。その名前の通り、ハチの一種である。スズメバチのように人間を襲うような危険な種類ではないが、かといってミツバチのように可愛らしいものでもない……田舎の畑や森に行けば簡単に見つかりそうな、なんかそんな感じの黒っぽいハチだ。


 このクリタマバチは、栗の新芽に卵を産み付けるという栗にとっては迷惑以外の何者でもない厄介な生態を持っている。卵を産み付けられてしまった部分はビー玉サイズくらいにぷっくりと膨れ上がり、色味が栗色であることから木の実のようにも見えないことも無い。


 が、それが栗にとっていいものであるはずがない。


「…この、ぷっくりと膨れ上がったものを虫瘤(むしこぶ)と呼ぶ。木の実のようにも見えるが、実際はクリタマバチの幼虫の部屋だ」


「うげ……そういうのこっちにもいるんだ……」


 清水が露骨に嫌な顔をした。きっと、小豆栽培の時のトラウマを思い出してしまったのだろう。


「…虫瘤が出来てしまったら、そこにはもう実はできない。諦めるしかないだろう」


「まぁ、中を幼虫が食い荒らしていたらそうでしょうけど……それなら、小豆やほかの害虫と同じじゃないんですか?」


 程度の差こそあれ、似たような害虫は他にもいる。それなのに、クリタマバチがこうも恐れられる理由は、その特異な生態にあった。


「…こいつは単為生殖、すなわち雌だけで繁殖する」


「はあ!?」


「…雄はそもそも、見つかってない」


「うそぉ……」


「…一匹いれば、どんどん増える。一つ虫瘤が見つかったということは、他にも卵が植え付けられている可能性が高い。何匹いて、いくつ産み付けたのか……わからない。その上さらに」


「まだあるんですか!?」


「…殺虫剤の類が効かない」


 華苗も清水もよっちゃんも、開いた口が塞がらなかった。


 自然界では無いわけではないとはいえ、昆虫が雌だけで殖えていくというのはかなり特殊な部類と言っていい。そもそも雄が見つかっていないというのも自然界にケンカを売りまくっているような気もするが、その特性のために一匹いればいくらでも増えることが出来る。普通の生物なら雌雄がつがいとして揃わなくては子孫を残せない……交尾や産卵のタイミングだって制限されるのに、クリタマバチはそんなの気にせずどんどん増えることが出来る。


 つまり、人間側からしてみれば、一匹残らず確実に駆逐しないと意味がないということになる。


 そして極めつけは、そんな特性を持っているのに殺虫剤が効かないという所であった。


「…さっき言った通り、幼虫は虫瘤の中にいるんだがこいつが問題でな。外に出ているわけじゃないから、殺虫剤の類が効かない」


「そんな……じゃあ、成虫を狙い撃ちするしかないってことですか……?」


「…成虫になった瞬間、すなわち虫瘤の中から出てすぐにこいつは新しい卵を産み付ける。…単為生殖だからこそできる早業だな」


「なんなの……そんなのもう、反則じゃん……!」


 成虫が新芽に卵を産み付けるのは夏の初め頃。そこで孵化した幼虫は芽の中に潜り込んで冬を超える。実はこの段階ではまだ虫瘤はできておらず、春ごろから幼虫が潜む芽だけがぷっくりと膨れ上がり、虫瘤になるのだという。


 この段階ですでに手遅れなのだが、ともあれそうして冬を超えた幼虫は中を食い荒らし、急激に成長して、蛹を経て成虫となり……そして晴れて虫瘤の外に出る。外に出たらもう、種の保存本能に従ってさっそく手近なそこに卵を産み付ける……そんな、繰り返しだ。


「…こいつらは平気で冬を超える。虫瘤になるまで……手遅れになるまで、その存在が俺達にはわからない。そして成虫になったらすぐに卵を産み付ける。一生の大半を中で過ごすから、殺虫剤も効かない。成虫には効くんだろうが、成虫を見つけてしまった段階で、もう」


「その樹に幼虫がびっしり潜んでいる可能性がある……」


 あえて確認するまでも無いが、虫瘤は栗の樹全体の成長を阻害するほか、栗の実の数を著しく減少させる。樹そのものを弱らせるため、最悪の場合栗の木が枯れてしまうこともあるのだ。


「…早期発見が大事だが、それでも虫瘤のある枝ごと切り落とすくらいしかできん。今はこのクリタマバチに強い品種を作って流通させているが、最近はそれすら凌駕するクリタマバチが現れているとも聞く」


「どうすんですかそれ……」


「…一応、クリタマバチの天敵であるチュウゴクオナガコバチという蜂が日本に放たれて以降、被害の減少が期待されているという話ではあるが」


「根本的で即効性のある手段、ってわけじゃないし……なんか生態系的にだいぶグレーな感じがそこはかとなくしないこともないような……」


「…ともかく、油断せずに世話をしろってことだ」


 話は終わりだとばかりに、楠は栗の苗木に向き直る。ちら、とアイコンタクトを送られたので、華苗も慌ててぞうさんじょうろを装備した。


 水と共に栗の木に流れ込むまごころ。なにか温かく柔らかな風のようなものがさあっと吹いて、栗の木を、華苗たちの頬を撫でていく。


 そして──。


「お」


「わぁ……すごくにょきにょき伸びていく……」


「毎度のことながら、ホント不思議な光景だよね……」


 その溢れるまごころを一身に受けた栗の木は、タケノコもびっくりする勢いでみるみる伸びていく。ちょっと目を離せば元の面影がわからなくなるくらいの勢いで、あっという間に華苗の身長を超え、清水の身長を超え、そしてよっちゃんの身長をも超えた。


「なんかこのまま伸びるとホントに高く育ちそうだけど、どうやって調整しているの?」


「えっ……いや、その……なんとなくのカンと言いますか……」


「…まごころは量じゃない。その本質は願いだ。そうでありたい、そうしてほしいという気持ちに応えてくれるだけで、調整と言う捉え方自体がナンセンスだな」


「は、はあ……」


 そうこうしている間に樹勢も弱まり、ほどほどの大きさの栗の樹となる。絶え間なく与え続けられたまごころはその役割を見事に果たし、華苗たちの目の前に何やら小さな粒粒のついた房状のものが見えてきた。


「…こいつが、栗の花だ」


「わっ──!?」


 まさに一瞬。栗の花が、一斉に開花した。


 バラのような一輪のそれが咲き誇るのではなく、小さな小さな花が集合したような見た目。トウモロコシの穂やススキを連想させるような形態をしており、ほんのちょっぴり黄色の混じった白い花が、房状に集まってぶらりと垂れている。


 花そのものは小さいとはいえ、数は結構多い。一つ一つに細かくびっしりと咲いており、ともすればふわふわ、もこもことした印象を受けないことも無い。


 緑の葉っぱなんてほとんど見えず……というか、花の数が多すぎて栗の樹全体が霞かかったように見える。こういう所もまた、栗が普通の果樹とは根本的に違うと思えてしまうと要因の一つだろう。


 そんな、花というよりかはススキの穂にも見えるそれには、ある特徴があった。


「「うぇっ……!?」」


 華苗も清水もよっちゃんも、鼻を押さえてむせ込んだ。


「な、なにこの変な匂い……!?」


「くっさ……!? いや、臭いって言うか……な、なにこれ……!?」


「き、気持ち悪いぃ……! すっごく胸がムカムカしてくる……っ!」


「…………」


 花の香とはとても思えない特有の不快感を伴う匂い。匂いというよりかは(にお)いという字を宛がうべきだと誰もが思うその香り。花と言えば大体いい匂いがするもので、特に果樹ともなれば悪い匂いはしないだろう……という華苗たちの凝り固まった常識を、栗の花は見事なまでにブチ壊した。


「…栗の花は、特有の不快感を伴う香りを発することで知られている」


「不快感ってレベルですかコレ!? 仮にも食べられるやつがこんな匂い出します!?」


「植物の青臭いって匂いじゃない……! ドクダミとかとも違う……! なんだかんだで臭い植物なんて、初めて……っ!」


 意外なことに、身近に育つ植物の中にはそこまで匂いが強烈なものはあんまりなかったりする。強い匂いと言えばキンモクセイだがあれは甘い良い香りだし、他に存在する不快な匂いとしてはドクダミくらいだろうか。あちらは特有の青臭いような匂いがするが、それでもどこか植物らしさを彷彿とさせるものだ。


「な、なんかすごくヤダ……! 強烈に臭いってわけじゃないけど、ただただ生理的嫌悪感が……! 不快感だけを突き詰めたみたいな……うぇぇ……!」


「生臭いような、変にツンと来るような……嗅いだことがあるような、ないような……なんかとにかく気持ち悪い匂い……」


「あっ、まってこれ……なんか、思い出しそう……すっごく思い出しそう……!?」


「…………」


 眉間にしわを作りながら──おそらく、頭を働かせている的な意味ではない──よっちゃんがうんうんと唸り、そして。


「──あっ、わかったあ!」


「…………なんだ、言ってみろ」


 珍しく楠が、その答えを促した。


「これ、夏場の兄貴の部屋の匂いと似てるんだ! こう、汗臭さと男臭さをごちゃまぜにしたみたいな!」


「…………」


「い、言われてみれば……体育が終わった後の男子の男臭さの匂いに似ているような……。武道場の入口の所の匂いを酷くした感じのような……」


「絶ッ対そうだよコレ! ウチの兄貴マジで臭いもん! 北側でジメジメしている部屋だってことを抜きにしてもヤバいもん! 湿気とか籠る時期だと特にヤバくて、母さんが毎日換気してるんだから!」


「…………」


「よっちゃんのお兄ちゃんって……たしか大学生だったっけ」


「え……ウチの弟も部屋もそのうちこんな匂いするようになるの?」


「諦めな、史香。母さん言ってたけど、男は思春期超えたらめっちゃ臭くなるから。部活が始まる中学からは特に酷いから。帰ってきてるってのがわかるくらいに男臭いから」


 一人っ子である華苗にはわからない男あるあるを、よっちゃんが清水に聞かせている。生憎華苗にはそれを確かめる術はないが、確かめてみたいとも思わない。華苗もお兄ちゃんや弟が欲しいと思ったことは少なからずあるものの、こんな匂いと付き合うくらいならいなくてもよかったな……と、そう思えてならない。


「…………悪かったな、思春期男子の匂いで」


「あっ!? いえ、別に楠先輩からはこんな匂いしませんよ!? だよね、二人とも!?」


「うん……そりゃあ、ちょっと汗の匂いとかはするかもだけど。どっちかって言うと畑の土の匂いとか」


「あと、本当に意外だけど……何かの花の匂いとか。うん、八百屋さんや花屋さんの匂いがする」


「…………なんか、ありがとう」


「「?」」


 話は終わりだとばかりに、楠がさらにまごころをこめる。白く霞がかかったかのように盛大に咲き乱れていた栗の花は、文字通り霞であったかのようにはらはらと散って消えていく。気づけば栗の花の匂いはすっかり霧散し、そこかしこに緑のイガイガが見えるようになっていた。


挿絵(By みてみん)

【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】


「あ……あれ、栗だあ!」


「…まだ早い」


 緑のイガイガ。まごころに包まれたそいつはだんだんと茶色く色づいていき、とうとう華苗たちのよく知る栗のイガそのものになった。


挿絵(By みてみん)

【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】


「い、行けますよね……!?」


「…まだだ」


 ぱぁん、と栗のイガが弾けた。そこから見事なまでに艶やかで美しい栗の鬼皮が姿をのぞかせている。いっそ艶めかしさすら覚えるその様子を見れば、収穫可能であることは疑いようがない。


「取っちゃいますよ!?」


「…もう少し、待て」


 イガが皮で、鬼皮が果肉だとするならば、イガが弾けて中身が見えている状態は他の果物で言う所の裂果、実割れに他ならない。ところが、栗に限って言えばこの状態でなお、収穫のタイミングではなかったりする。


「…イチゴ狩り、サクランボ狩り、桃狩り。多くの果物はなんとか狩り……と言う名前で収穫体験ができるが、栗に限って言えば違う」


「あ……そう言えば、栗の場合は……」


 清水が呟く。


 ──ちょうど同じタイミングで、茶色いイガイガがポトリと落ちた。


挿絵(By みてみん)

【写真提供:谷川山(枯葉山)さん】


「…そう、栗の場合は栗拾いと呼ばれる。樹に生っているものを採るのではなく、落ちたものを拾うんだ」


 ぼと。ぼとぼと。


 その一個が合図であったかのように、一斉に栗が樹から落ちてきた。


「きゃっ!?」


「あ、当たったら絶対痛いやつ!」


「…落ち着くまで、ちょっと離れるぞ」


 当然、そのどれもが見事に育った……要は、鋭い針が無数に生えたイガイガ付きである。軽くて小さいものとはいえ、こんなのが頭から降ってきたら溜まったものではない。死にはしないだろうが、めちゃくちゃ痛くて泣きそうになることだろう。


 当然、華苗たちはさっさと栗の樹の下から離脱した。危険なところからは逃げるに限るのだ。


「いつもならたくさん実っても問題ないけど……栗の場合、落ちてくるまで待たなきゃいけないってことは……」


「収穫可能になるまでまごころを込めていた場合、それが落ち着くまで樹の下には入れないね」


 目の前で猛威を振るう栗の大雨。あんなにもチクチクなものが落ちてくるのにおちおち作業なんてしていられるわけがない。いつもなら採った瞬間に新しいのが実ることに感謝しているが、栗に限って言えば完全に裏目に出てしまっている。


「…まぁ、あとは拾うだけだ。厚めの軍手があるならそのまま拾い、そうでなければ靴でイガの両端を上手い具合に踏んで押さえ、開いたところから火バサミの類で拾う感じだな」


「火バサミ?」


「…ゴミ拾いのトングみたいなアレだ。生憎、ウチにはない」


「どのみちこの状況じゃ拾えないかぁ」


「どうしよう、靴ってこれで大丈夫かな? 普通のスニーカーだし、なんか貫通しちゃいそう……」


「…気になるなら、予備でよければ長靴がある」


 そして、楠は語りだした。


「…栗は大きく四種類の品種に分けられる。和栗、中国栗、アメリカ栗、西洋栗だ。意味合いはそのまま、どこの国が原産であるかを示していて、今回のこいつらは和栗に入る」


「……ふむ?」


「…和栗は風味豊かで香り高いが甘味は控えめ。料理に使うこともできる」


「じゃあ、調理部(あたし)向きってことですね!」


「…中国栗は甘味が強いが、実が硬めだ。専ら焼き栗として使われることが多く、調理にはあまり向かないとされている」


「ふむふむ……」


「…アメリカ栗は……全体的に品質が良く、そればかりか木材としても非常に優秀だったそうだが、病気で壊滅状態になったと聞く。市場では流通していない、非常にレアなものだと言えるだろう」


「へえ……そんなのあるんですね~!」


「…西洋栗だが、こいつはいわゆるマロンだな。実の質としてはホクホクしていて粘り気は少なく、焼き栗はもちろん、マロングラッセなどの菓子や調理にも使われる。だが、残念なことに病気の類に弱い」


「あー……お菓子部(わたし)はこっちの栗のほうが有効活用できたかも」


「…というか、和栗が栗の中では殊更に病気に強い品種なんだろうな。基本的に和栗以外は日本じゃ育てるのは難しいとされている。…俺の栗はまごころをこめているから、調理にも菓子にも問題なく使えるだろう」


「ですよね。……ていうか先輩、なんかいつになく急ぎ気味と言うか……巻いている感じしません?」


「…感じも何も、巻いている」


 そして楠は、麦わら帽子を外して畑に背を向けた。まだ肝心の収穫作業をしていないのにもかかわらず、帰り支度をし始めたのだ。


「えっ……何やってるんですか、先輩!?」


「…帰り支度だ。どうせ、栗は下処理が必要だからすぐには食べられん」


「「あ゛」」


 いつもは常識を無視してすぐに収穫、食べ放題ができたたために、三人娘の頭からはすっかりそのことが抜け落ちていた。


 そう、栗は拾ってすぐに食べられるというわけではない。ある程度の下処理をして、少なくとも焼くなり茹でるなりしないと美味しく食べることはできないのだ。いつもみたいに生でむしゃむしゃすることは不可能なのである。


「で、でも! それでも拾って集めることは……!」


「…一番最初。俺は条件があると言ったよな?」


 楠の悪癖。長い長い前振りがここにきて炸裂した。


「…俺の代わりにこの後の収穫を頼む。ついでに接ぎ木して何本か増やしてくれ。収穫したのは……まぁ、じいさんのところにもっていけば何とかなるだろ。そのまま調理部とお菓子部にもっていってもらっても構わない。作業については、八島がいればなんとかなる」


 あとで食べに行くから、準備をしっかり頼む──と、楠は決定事項として告げた。


「…それに加えて」


「まだあるんですか?」


「…明日から四日間……つまり今週一週間、園芸部の仕事を頼む。お前たち三人で、俺の代わり(・・・・・)に畑とあやめさん、ひぎりさんの世話をしてくれ」


「「えっ」」


 華苗は開いた口が塞がらなかった。今まで楠が風邪や病気で部活を休んだことなんて一日たりともないのに、まさかの四日間もお休みする宣言である。これがテスト期間ならまだわかるが、そういうわけでもない。学業以外はだいたい園芸のことしか考えていないあの楠が部活を休むだなんて、華苗には到底信じられなかった。


「ど、どうしたんですか……!? まさか、身内に不幸でもあったんですか……!?」


「…なぜそうなる。……いや、そう言えば言ってなかったか?」


 額の汗をぬぐった楠は、虚空を見つめながらつぶやいた。




「…明日から修学旅行でな。その準備があるから、もともと今日はさっさと帰るつもりだったんだ」

20220129 写真追加。

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