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麗しの泥棒貴族  作者: えきすとら
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第三章 追われる二人


 閉店間際のパン屋に寄って今日の残りで安くなったパンを買い、それから別の店でラム酒と水のボトル、ついでに干し肉を買った。最後に薬屋に寄る。これが一番大事な買い物だ。

 オルテ河の河川敷には、浮浪者のほったて小屋とか穴の開いたぼろいテントが当たり前のように点在している。焚き火の周りに何人か人が集まり、へこんだ鍋で煮炊きをしたり、釣った魚を串に差して焼いたりもしていた。

 そんな人だかりには距離を置き、ケープコートの裾がざかざか広がるほどの早足で歩く。

 向かうのは橋の下。三連続く石造のめがね橋だ。この辺りには浮浪者の集落もない。

 宵闇の中、橋梁の下はさらに暗い空間。と思ったら意外にも明るかった。昨日は用心して火も焚かなかったが、今日は違う。どこかで拾ってきたらしいブリキの缶に、木材の切れ端やら古新聞やら突っ込んで燃やしている。周囲の空気が暖かい。


「トーマ」

 そっと呼びかける。焚き火の向こうで壁にもたれて座り込み、マントを身体に巻きつけた男がのっそりと顔を上げた。(なまり)色の髪を短く刈った、闇に溶け込みそうな雰囲気を持つ、濃い(あい)色の目が鋭い男だ。

「飯、買ってきた。酒も」

「金はどうした」

「どうにかなった」

「またやったのか。……あれほどやめろと言ったのに」

「うん、でもしばらくはやらない」

 火の横を通って、男の隣に腰を降ろす。

「ほらパンと干し肉も。明日の朝の分もある。金まだあるし、しばらく食えるよ」

「お前はもう動き回るな。必要なものは俺が入手してくる」

「無理だろお前金ないしその怪我じゃ。ああ、でも今日は元気そうだ。熱もだいぶ引いたみたいで良かった。そうだ、薬も買ってきたからさ、飲むのと塗るのと。後で塗ってやるからな」

「薬草を取ってくるから。構わないと言ったろう」

「でもやっぱ効き目早いだろ、ちゃんとした薬の方が」

「リオン」

 名を呼ばれて、口を閉じる。

 目を伏せると、頬にそっと男の指が触れた。かさついて指先が硬い。ごつごつとした骨太の指。傷のせいで今はまだ、普段よりも少し熱っぽい。

「お前がそんな無理をすることはないんだ」

「でも、オレのせいでリアは。……ルネも」

「それは違う」

 信じられなくて、リオンは目を伏せる。

「あれがあいつらの仕事だったし、こうなったのはお前のせいじゃない。仕方のなかったことだ。お前がそうやって気に病むのは、むしろあいつらの職務に対する侮辱だぞ」

「トーマがオレと一緒にいるのも……それがお前の仕事だからか?」

「まあ、そうだな」

 迷いも無く言われてちょっと傷つく。正直に顔に出たのか、男はふ、と笑った。

「またそんな顔をする」

「するだろふつう。もうちょっと言葉選べよ、お前」

「すまん、俺はあんまり考えなしで」

「ほんとだよ」

 むすくれた顔で言い、リオンは乱暴な手つきでフードを脱いだ。火の近くだから、暑くなってきたのだ。

 こうして被り物を取ってみると、黒の巻き毛は存外短い。後ろで一つに結んではいるが、下ろしても肩に少しかかるぐらいの長さしかない。耳の近くでたれている短い部分だけは、紐できつく結んでおいても次第にほつれてしまい、頬の周りでゆるく波打っている。

「寒かったろう。もっと火の近くに座れ」

「そうでもないよ。女の服って温いのなー。ちょっと窮屈だけど我慢すりゃ中に風入んないし。ズボンの上からスカート着込んだら、いい感じの防寒具だぜ。お前も着たらどう?」

「似合わんだろう。サイズも合わんし」

「あっそうか。ところでさ、これどうしたの」

 顎をしゃくって、焚き火の上にかけられたブリキのやかんを示す。ところどころヘコんで、蓋もない。中で湯がぐらぐらと沸いている。

「ああ、川原で拾ってな。ほらカップも。湯でも飲むか。茶葉は無いんだが、体があたたまるだろう」

「……」

「その、一応きれいに洗ったつもりなんだが。嫌か」

「ん? 別に平気。ああオレがやるよ、肩痛いんだろ」

「利き手は何ともないんだ」

 熱くなったやかんの持ち手をマントの端で押さえて持ち上げ、二つあるカップに白湯(さゆ)をそそぐ。

「かなり熱いかもしれん。気をつけろ」

「ありがと。せっかく買って来たんだから酒飲みなよ、お前好きだろ。あ、お湯で割ったらオレも飲んでいい?」

「そうだな。一杯だけなら」

 トーマは薄く笑い、リオンのカップに少量のラム酒を注いでやった。

「これであと、はちみつとレモンでもあればお前にはちょうどいいんだが」

「いーよ別にこれで。子供扱いすんなっつの」


 リオンはふーふーと息を吹きかけ、熱いお湯割りをちびちびと舐めた。その飲み方は、どう見たって子供のそれだ。

 しばらく二人は無言で熱い湯と酒を飲み、パンを分け合い、干し肉を千切って食べた。腹が足りた後、トーマに薬を飲ませて包帯を巻き直してやり、また少し時間がたって眠くなって来た頃、リオンはぽつりと呟いた。

「なあ、オレたちこれからどうすんの」

「……使者が、来るはずだったんだが。屋敷がああなった以上、戻るのは危ないし。もう合流は出来まいな。名は聞いているが、俺はそいつの顔を知らん」

「リアは、誰と会う予定だったんだ」

「ラキシス・オランジュという名の女だそうだ。ローデラント王太后の特命を受けて来るという話だった」

「オランジュ……」

 そう聞いて思い出すのは、あの偉そうな(オランジュ)色の髪の女だ。夕日に染まる茜雲(あかねぐも)のような色。とてつもない腕前のスリ。人を馬鹿にした顔をして。思い出すのも腹が立つ。

「どうした」

「なんでもね」


 ぐいっとカップの残りを飲み干す。酒の名残か、喉の奥がカッと熱くなり、肌がじわりと汗ばんだ。

 あの女は別に何の関係もない通りすがりのスリだろう。たまたまぶつかって財布を取られ、そして別れた。二度と会うことはないだろうし、まさか使者の当人だなんて、そんな偶然は万に一つもあるまい。リオンはそう考え、忘れることにした。

 トーマは自分の空になったカップにラム酒を注ぎ足し、湯で割らずに一気に(あお)った。

「こうなったら直接ローデラントへ行くしかない。列車を使えば三日もかからんが……」

「途中までなら、切符買うぐらいの金、あるかも」

 ごそごそとコートの内側をさぐる手を止めさせ、トーマは首を横に振った。

「各駅にはもう手配書が回ってるだろうし、追っ手も配置されてるだろう。それに車中で追い詰められたら逃げ場がない。時間はかかるが、馬を手に入れるか、徒歩で陸路を行くしかないな」

「歩きでもいいよ、オレ足腰強いし。だけどお前の怪我……」

「大丈夫だ。これだけ休めばもう普通に行動できる。少し眠って、夜が更ける前にここを離れよう」

「わかった」

「あれは無くさないように持っているな」

「うん、ほらこれ」

 リオンはケープの襟元を広げ、首にかけている革紐を見せた。留め金は頑丈な金属で、革紐もそこらの細い鎖よりは切れにくい。紐の先には小さな袋が吊るされている。守り袋のようなそれ。中には硬くて、コツコツとした軽いものが一つ入っている。

「これ、中見たらだめなのか」

「だめだ。それは今はお前のものだが、人に返さねばならんものだ」

「めんどくせぇ。もういっそ捨てちまえばいい」

「だめだ。大事にしろ。お前の素性を証立(あかしだ)てるものでもあるんだから」

「オレはオレだぞ? 証明なんか別にいらない」

「それでも大事に持っておけ。リアとルネは、お前とそれを守るために死んだんだ」

 こんなモンのために、何人も人が死んでいいのか。

 口の先まで出掛かったが、自分が言ってはいけない言葉だと思って飲み込んだ。

「眠れ。毛布をかけるといい。火でだいぶ温まっているぞ」


 焚き火のそばで温めておいた毛羽立つ毛布を、トーマはリオンの肩にかけた。これも橋の下で拾ったのを、洗って日に干して使っている。ないよりは遥かにマシだ。

「あのさ、この方がもっとあったかいと思う」

 リオンはトーマの怪我をしていない方の肩に擦り寄ると、二人で一枚の毛布に(くる)まった。



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