前編
幼馴染が蒸発した。
行方不明になったとか失踪したとかいう意味ではなく(もちろんそういう側面もあるが)、文字通りすうっと消えたらしい。真昼間、衆人環視のもとで。
当然のごとく大騒ぎになった。輝が蒸発してからしばらく、隣の家にはマスコミの人が毎日のように詰めかけていてテレビ番組で特集を組まれたりしていたが、1ヶ月もするとマスコミの興味は他に移り(政治家の汚職事件などに)、世間からも忘れ去られていった。
その中で彼の家族は一生懸命活動をして輝を探し続けていたが、半年経った今でも輝を見つけることは出来ていない。
別の高校に進学した今では、幼馴染といっても輝と言葉を交わすことは少なくなっていた私だが、妹の真希ちゃんとは付き合いがあったのでその関係で暇なときはビラ配りに協力したりしている。
今日も駅前でビラ配りをした帰りだった。毎度のことだが人間の無関心さに打ちのめされていた。今までの自分もそうであった自覚があるためその反応の薄さを責めることはできないが、当事者になってみるとなかなか堪える。
信号が青に変わったので歩きだす。ふと誰かに呼ばれた気がして立ち止まり、振り返る。誰もいなかった。気のせいか、と前を向きなおろうとしたその時。目の前に、トラックがあった。
「由奈ちゃん!」
真希ちゃんが半分悲鳴のような声で私を呼ぶのが聞こえる。ドラマや漫画で交通事故のシーンを見て、なんでああいうときってみんな逃げようとしないんだろうと思っていたが、その理由が分かった。身体が、動かないのだ。
―こんなことなら高いからって諦めたケーキ食べておくんだった・・・。
今にもぶつかるというその瞬間思い浮かんだのはそんなことだった。身体がグイッと引っ張られる感じがして、意識がとんだ。意外にも、どこも痛むことはなかった。
※※※※※
目を覚ますと、ベッドの上だった。奇跡的に助かったのだろうか。驚いて、飛び起きる。
周りを見渡すと、見覚えのない広い部屋にいることがわかった。しかし病院という雰囲気でもない。どういうことか分からずに呆けていると、すぐ傍から声がした。
「お目覚めになりましたか。」
ギョッとして声のした方を見ると、金髪碧眼の優男がいた。
「驚かせて申し訳ありません。私はこの国の宰相をしております、パベルといいます。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
17年生きてきてこんなに丁寧に話しかけられたのは初めてである。というかこの人の口から流暢な日本語が出てきたことにビックリだ。違和感たっぷり。しかも宰相ってかなり偉い人じゃなかろうか。
「あ、私は立花由奈といいます。えっと、ここってどこなんですか?」
現役高校生の国語力を嘗めてはいけない。正しい敬語の使い方などわからないのでとりあえずですます調で話そう。
「立花様ですね。驚かせることになると思いますが、ここは貴方のいた世界ではありません。」
優男・・・もとい宰相さんは、笑顔でトンデモ発言をした。
「は・・・?」
「当然の反応かと思います。百聞は一見に如かずとも言いますので、まずはこちらをご覧ください。」
そう言って宰相さんは指を鳴らした。するとその場に水の玉が出現し、シャボン玉のようにふわふわ浮かんで私の前で止まった。宰相さんに促されたのでおそるおそる触ってみると触感はやはり水だった。彼がもう一度指を鳴らすと今度は水の色が変わった。赤・青・黄・・・と目まぐるしく変わっていく姿を目を丸くして見ていると、宰相さんは再び話し出した。
「これら全ては魔法のなせる業です。立花様の世界には無いものだと伺っていますがいかがでしょうか?」
私は目の前の事実に納得してコクコクとただ頷くしかなかった。テレビ番組の手品師がこんなことをやってのけているのは見たことがない。ここが私のいた世界と違うのはわかった。もしかして巷で人気の異世界トリップとかいうやつだろうか?
「ご理解いただけたようで幸いです。それでは本題に入りたいと思います。」
宰相さんが真剣な表情を浮かべたので私も居住まいを正した。
「私共が立花様をある目的でこの世界に召喚いたしました。」
ビンゴだ。召喚。異世界トリップものではテンプレといっていいだろう。ある目的とはなんだろう。魔王討伐とかかな、巫女とか神子とか言われるのかな。意外に思うかもしれないが、私はワクワクしていた。こういった話が大好きなのである。中二病と言ってもいいかもしれない。
その時、ノックもしないでドアを開けて大柄な男が入ってきた。作業着のようなものを着ている。金髪で、紅い眼。そして、言っては悪いが、強面である。
「陛下、まだ説明が終わっておりません。」
宰相さんが苦い顔をして言う。陛下ということはこの人は王様か。私は驚きの目でその人を見た。確かに威圧感のようなものはあるが、王様というには些か軽装すぎるのではないか。
「お前の話は長すぎるからな。私が要件を話そう。」
王様はそう言ってベッドの前に来た。近づくと更に怖い顔をしているが、強面の人がみんな恐ろしい人なわけではないと身内で知っているので動じない。
「娘、私は魔王だ。私がお前を召喚した。勇者を消すのに協力してもらいたい。」
怖い顔には動じなかったが、さすがにこれには動揺した。魔王。魔王ってあの魔王だよね?普通討伐される方の魔王だよね?消すって何?殺人?え、断ったらこれ殺されるの?
私が王・・・いや魔王様を見てポカンとしていると宰相さんがヤレヤレといった様子で口を開いた。
「仰りたいことは沢山あるとは思いますが、まずは話を聞いていただけないでしょうか?」
丁寧だが有無を言わさぬ口調だったので、私はとりあえず何も言わないことにした。
宰相さんの話をまとめるとこうなる。
この世界には魔族という種族があって、この国は魔族の国であること。こちらは平和に暮らしているのに人間の国が定期的に勇者を送り込んできて困っていること。人間の国は不都合なことがあると全て魔族のせいにしてしまうが実はそれらは全て人間が引き起こしていること。そうやって魔族を悪者にして国民の意思を操作しているらしいこと。ほとんどの勇者が洗脳されて魔王討伐に来るので聞く耳を持ってくれないこと。魔王はこの世界では最強だが勇者はこの世界の理が通じないので魔王に対抗出来ること。なぜこの世界の理が通じないのかというと別の世界から召喚されたからだということ。この勇者に対抗出来る存在として私が喚ばれたこと。
確かに宰相さんの話は長かった。話の途中でウトウトしかけてしまったほどだ。魔王様はというとその辺の椅子を持ってきて堂々と寝ている。宰相さんの話はまだ続く。
「いきなり召喚してこの国のために働けというのが勝手な話だというのはわかっております。私どもは鬼や悪魔ではありません。ですから引き受けていただいた場合勿論報酬は御座いますし、衣食住や安全は保証致します。貴方が断ると仰るならば今すぐ貴方を元の世界の同じ時間、同じ場所に帰すことが出来ます。こちらの話は以上ですが、質問はございますか?」
人間の世界で鬼や悪魔だと呼ばれているだろう人たちが言う台詞としては少々可笑しかったが、日本語の言い回しではそうなってしまうのだろう。元の世界に戻れると聞いて私は安心した。そして少し疑問を抱く。
「あの、なんだか妙に手馴れていませんか?質問が思い浮かばないのですが。それに私の世界についても色々知っているみたいですし。日本語上手ですし。」
すると宰相さんではなく眠っていたはずの魔王様が退屈そうに口を開いた。
「当たり前だろう。お前で24人目なんだから。慣れもするし言葉を覚えもする。」
「ちなみに前の23人の方は断られたのでこちらの記憶を消した上で返還させていただきました。」
前までの人たちに相当苦労させられたらしい。来たとたん騒いだり、夢と信じ込んで聞く耳を持たなかったり、こちらが異世界だと言っても笑い飛ばされたり、喚びだしたのが魔王という事実を知った時点で悲鳴をあげて逃げ出したり襲いかかってきたり。それで話の仕方を学習したようだ。そうして話をきちんと聞かせることに成功しても皆結局帰ることを選んだようなのだが。まあ当然だと思う。自分に関係の無いことには無関心な、現代人だもの。
そして今の魔王様や宰相さんの姿は人間の私向きの姿で、本当は違う姿らしい。人間はカタチが違うものを恐れ、怯え、攻撃してくるか逃げるかするのでこのような姿を取るのだとか。この姿で人間の国に行ってもバレないのだとか。それなら常にその姿でいればいいのではと尋ねると、魔力を使うため、平民には使い続けることはできないとのこと。
色々なことを明らかにする魔王様と宰相さんの口調には明らかにダメ元的な雰囲気が漂っている。私も断って25人目の人に望みを託して欲しいと言おうとしたが、一つ引っかかることがあった。
「あの、返還って、同じ時間の同じ場所にしかできないんですか?」
妙な質問だと思ったらしく魔王様が怪訝そうに答える。
「ああ、世界を越える召喚と返還は同じルートでしかしてはいけないことになっているんだ。同じルートを使わないで返還しようとして失敗し、場所は同じだが100年後になってしまった例や異空間に放り出すことになってしまった例があってな、そう決まったんだ。」
お前は変な娘だな、今までの奴は同じ時間の同じ場所に戻れると知って喜んでいたというのに、という魔王様の言葉を聞きながら私はここに来る前の自分の状況を思い出していた。信号無視のトラックに突っ込まれて、事故死寸前。あの場所、あの時間に戻ったら確実に死んでしまう。魔王様の話は正直よくわからなかったが違う場所や時間には帰せないということは分かった。
「あの・・・私・・・その話、お受けします。」
死ぬほど驚かれた。今まで23人もの人に断られ続けられていたのだから当たり前の反応かもしれない。
期待とかしないで惰性で召喚していたんだなあと思う。その惰性での召喚で命が助かった身としては複雑な気分ではあるが。
本当ですかと何度も聞く宰相さんに確認する。
「衣食住も身の安全も保証してくれるんですよね?私一般女子なので何の能力もないのであんまり危険なことはしたくありませんが、安全なことなら。」
そうでなかったら引き受けたりしない。これは私の生活を守るための戦いなのだ。
「それはご安心ください!危険な目に合わせることは絶対にしないと約束します!では本当に引き受けてくださるのですね!ああ、ありがとうございます!」
宰相さんは意気込んでそう言った。神にでも祈り出しそうな勢いだった。魔族だけど。