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第七章_最後の晩餐は、あなたと

一条グループ本社ビルの最上階にある大会議室では、年に一度の役員総会の準備が慌ただしく進められていた。

「資料の準備はできていますか?」

秘書の松本が会議室を見回しながら確認した。

「はい、役員の皆様用の資料は全て配布済みです」

男が隣に座る部下に小声で尋ねた。

「おい、結菜からの連絡は?」

「申し訳ございません。昨日から連絡が取れない状況です」

部下が困惑した表情で答えた。

「あの女!何をしている!」

男の表情が曇った。結菜の行方がわからない今、すべての計画が狂い始めている事を感じ取っていた。


同じ頃、一条家では千鶴と達也が最終的な作戦の確認をしていた。

「準備は整ったな」

達也が複数のUSBメモリを確認した。

「取引映像、偽装請求書、結菜の口座送金リスト…決定的な証拠がすべて揃っている」

千鶴が満足そうに頷いた。

「よくやったじゃないの。大したもんだわ。」

達也の横に、慶人も加わった。

「メディアへのリーク準備は?」

「読日新聞、経売新聞、毎度新聞の経済部記者に連絡済みだよ」

慶人が答えた。

「役員総会と同時に、一斉に報道される予定だ」

千鶴が時計を見た。

「あと一時間ね。今からでも間に合う」

慶人が頷きながら、PCを開いた。

「社内共有フォルダへのアップロードも準備できてるよ。役員全員、そして主要な部長職にも同時に配信されるはずさ」


午前9時。都内の大手新聞社では、編集部が慌ただしく動いていた。

「特ダネが入った!」

読日新聞の経済部デスクが部下に叫んだ。

「一条グループの役員による巨額不正のニュースだ!」

記者たちが画面に集まった。

「これ、本物ですか?」

若手記者が尋ねた。

「映像の質、会話の内容、すべてが本物の証拠だ」

デスクが断言した。

「おい急げ!他のとこに先越される前に、緊急記事を配信するんだ!」

同様の光景が、他の新聞社でも繰り広げられていた。


午前10時。一条グループの社内共有フォルダに、匿名の投稿者から大量の資料がアップロードされた。

「これは何だ?」

経理部の課長が画面を見て驚愕した。

「偽装請求書…だって?」

隣の席の部下も資料を確認した。

「金額が異常に高い。明らかに水増しされている」

「結菜という女性の口座に、会社の資金が流れている…」

別の部署でも同様の発見が相次いだ。

「これは大変なことになる」

部長の一人がつぶやいた。

「役員総会で追及されるぞ」

社内は瞬く間に騒然となった。誰もが資料に釘付けになり、業務が完全に止まってしまった。


同時刻の午前10時。

一条グループ本社ビルの大会議室に、役員たちが集まった。しかし、会場の雰囲気は例年とは全く違っていた。役員たちの間に微妙な緊張感が漂っている。

「それでは、第五十三回定時役員総会を開始いたします」

司会の総務部長の声が響いた。

会議室の長いテーブルには、一条グループの重役たちが着席していた。その中に、眼鏡をかけた気弱そうな男性の姿がある。曽我常務だ。彼は資料を整理しながら、時折不安そうに周囲を見回している。

「本日は社長が海外出張中のため、常務会での決定事項を中心に進めさせていただきます」

司会が説明した。

「まず、第一四半期の業績についてご報告いたします」

会議は粛々と進んでいく。しかし、始まって10分が経った時、会議室のドアが勢いよく開いた。

「失礼します!」

達也が堂々と会議室に入ってきた。

「達也君?」

役員の一人が驚いた。

「君は役員ではないだろう。何の用だ?」

「緊急にお話ししたいことがあります」

達也が毅然とした態度で答えた。

「当社の重大な不正について、証拠を入手しました」

会議室がざわめいた。何人かの役員が、慌ててスマートフォンの画面を確認している。

「達也さん、これは役員総会です。後日改めて…」

「いえ、今すぐお話しする必要があります」

達也が会議室の前方に移動した。

「この中に、不正に関わった人間がいます」

役員たちが一斉に達也を見つめた。

眼鏡の男性の手が、わずかに震えている。

しかしその時、総務部長のアシスタントが慌てて会議室に駆け込んできた。

「大変です!各メディアが緊急ニュースを配信しています!」

誰かがタブレットでニュースサイトを開き、その内容を画面に流した。

「緊急ニュースです!」

「一条グループの役員による巨額不正が発覚しました。中国企業との癒着により、多額の資金が不正に流用されていたことが明らかになりました」

会議室に激震が走った。

「また、中国の反社会的組織も関わっており、資金洗浄に利用されていたとみられます」

役員たちが一斉にざわめいた。それぞれの顔が青ざめていく。

「社内共有フォルダにも関連資料が大量にアップロードされています」

別の役員がスマートフォンの画面を見せた。

そこには、偽装請求書や送金記録がずらりと並んでいる。

「皆様にご報告いたします!」

達也がプロジェクターのリモコンを手に取った。

「当社において、長期間にわたる巨額な不正が発覚いたしました!」

大型スクリーンに、証拠資料が映し出された。

「こちらは、偽装された請求書です!」

画面には、昇華キャピタル関連企業への異常に高額な支払い伝票が表示されている。

「不正の首謀者は、通常の二倍から三倍の価格で契約し、差額をキックバックとして受け取っていました!」

役員たちがどよめいた。

「さらに、これらの資金は結菜という女性を通じて、海外の口座に送金されてたのです!」

達也が次の資料を表示した。

「これだけの額が、会社から不正に流用されています。そして、これが決定的な証拠です!」

達也が次の映像を流し始めた。

スクリーンに、香港のRED PHOENIXで撮影された映像が流れ始めた。そこには、見覚えのある眼鏡の男性が龍冠華と握手を交わす様子がはっきりと映っている。

「これは去年、現地の捜査官により、香港で撮影されたものです!」

達也が説明した。役員たちの視線が、一斉に眼鏡の男性に向けられた。

「曽我常務…あなたですね」

達也が冷静に名前を告げた瞬間、会議室に衝撃が走った。


「いい度胸してるじゃねえか。」

それまで気弱そうにうつむいていた曽我常務が、突然顔を上げた。今までの気弱な様子は完全に消え去り、まるで別人のような迫力を放っている。

「曽我さん…」

隣の役員が驚いて声をかけた。

「うるせぇな」

曽我が舌打ちした。眼鏡を外した曽我の目つきは、鋭く険しい。今まで見せていた人当たりの良い表情は、完全に仮面だったのだ。

「曽我常務、すべて証拠があります!」

達也が資料を示した。

「あなたの個人口座への送金記録もあります」

次に表示されたのは、曽我の個人口座への送金記録だった。

「昇華キャピタルから、あなたの個人口座に総額五億円が送金されています」

「だから何だって言うんだ!」

曽我が開き直った。その言葉に、役員たちが一斉にざわめいた。

「曽我常務!五億円ですよ!」

常務の一人が声を上げた。

「五億だと?」

曽我が鼻で笑った。

「俺が稼いでやった金に比べりゃ、端金だろうが!」

「なんてことだ!」

それを聞いた役員の一人が立ち上がった。

「会社の金を勝手に使うなんて!」

「許せない!」

筆頭常務が立ち上がった。

「私たちが血の滲むような思いで稼いだ金を!」

「即刻辞任しろ!」

「警察に突き出すべきだ!」

役員たちの怒りが爆発した。会議室は怒号に包まれる。

「曽我!お前は会社を裏切ったんだ!」

「20年間信じてきたのに!」

「株主にどう説明するんだ!」

達也が手を上げて制した。

「皆さん、落ち着いてください!」

達也の声に、会議室が静まった。

「今回の件に関わっていたのは、曽我常務だけではありません」

役員たちが困惑の表情を見せた。

「どういう意味だ?」

筆頭常務が尋ねた。達也は深く息を吸った。これから言うことは、この場にいる全員を敵に回すかもしれない。

「曽我常務から賄賂をもらった人間がいるはずです」

会議室が静まり返った。先ほどまで怒鳴っていた役員たちが、急に黙り込んでしまった。誰もが視線を下に落としている。

「昇華キャピタルへの出資を決めたのは、役員会の決定でしたよね?」

達也が静かに続けた。

「その決定に関わった方々も、責任を免れることはできません」

役員たちが互いの顔を見合わせた。誰もが言葉を発しない。

「ゴルフ接待、高級レストランでの会食、海外旅行…」

達也が一つずつ挙げていく。

「すべて曽我常務が手配したものでしたね」

ある役員の額に汗が浮かんだ。別の役員は手で顔を覆った。

「私は…私たちは知らなかった…」

「曽我さんに唆されただけなんです…」

「不正に直接関わったわけではない!」

一人の役員が叫ぶように言った。

その時、曽我が突然顔を上げた。目に怒りの炎が燃えている。

「うるせぇな、俺たちはお前のような奴が気に入らないんだ!」

曽我が立ち上がった。その迫力に、役員たちが後ずさりした。

「何が一条家だ!何が家族経営だ!」

曽我が指を達也に向けて叫んだ。眉は吊り上がり、顔が真っ赤になっている。

「お前のジジイの代から家族だなんだと、舐めた経営をしやがって!」

達也は冷静に曽我を見つめた。

「舐めた経営だって?」

「そうだ!」

曽我が机を叩いた。

「実力もないくせに、血筋だけで偉そうにしやがって!」

曽我の怒りは止まらない。

「お前の親父より、俺の方が頭がいいんだ!俺の方が会社を大きく出来るんだ!」

曽我が醜く吠えた。その姿は、気弱だが、聡明で謙虚ないつもの常務とは全く別人だった。

「俺に実権をよこせ!俺の方が賢く経済を回せるんだ!」

「賢く?賢くだと!?」

その言葉を聞いて、達也は立ち上がった。怒りで体が震えている。

「弱い人間を搾取するのが賢いのか?」

達也の声が会議室に響いた。その言葉を曽我が鼻で笑った。

「そうだ!ビジネスってのはそういうもんだ!」

「違う!」

達也が拳を握りしめた。

「あんたのやったことは許されることじゃない!ビジネスでもなんでもない!」

達也は肩で息をしながら、曽我に詰め寄った。

「わかってるのか!?今回の件で最初に切られるのは俺たちじゃない、末端の人間だ!」

そう叫ぶ達也の頭に、様々な人の顔が浮かんだ。

『なあ、俺らの会社潰れないよな?』

不安そうに呟いた田村。下請け企業で働く人々、取引先の社員、そして一条グループの若い社員たち…。その中に、母や結菜の顔も浮かんで消えた。

「あなたのせいで、何の罪もない人たちが職を失うんです!」

「それがどうした!」

曽我が冷笑した。

「弱い奴が淘汰されるのは当然だろ!」

達也の心に怒りが込み上げた。

「どんな理由があっても、俺はお前たちのやったことを許さない」

達也の声に、強い決意が込められていた。

「偉そうなことを言ってるが、現実を見ろよ」

達也のその顔を、曽我がせせら笑った。

「一条グループはもうおしまいだ!こんなリークがあった後じゃ、株価は暴落、取引先は離れていく。お前みたいなガキに何ができる?」

「おしまいなんかじゃない」

曽我が達也を見下すように言った。しかし、達也は真面目な顔で言った。

「曽我、お前が思ってるようにはならないぞ」

達也が毅然と答えた。

「綺麗事を…」

「綺麗事じゃない」

達也が声を強めた。

「あなたのような人間に、この会社は渡さない」

達也が最後に言った。

「絶対に」


午後二時、一条グループ本社の会見室に報道陣が集まった。大企業のスキャンダルに、急遽記者会見が開かれることになったのだ。

「やばいやばい。ほんとやばいって!」

裏手で、達也は冷や汗をかきながら準備をしていた。

慶人があらかじめ準備していたスピーチ原稿を渡しに来る。

「兄ちゃん、大丈夫か?代わってもいいぞ?」

そういう慶人も手が震えていた。

「いや、ばあちゃんと母さんに託されたんだ。俺がやり遂げるよ!」

達也は緊張を振り払い、決意を固めた。


「本日は、緊急記者会見にお集まりいただき、ありがとうございます」

フラッシュが一斉に光る中、達也は冷静に話し始めた。

「社長が出張中なので、私と一条達也さんに代表として発言していただきます」

取締役が報道陣に一礼した。

「当社におきまして、役員による重大な不正行為が発覚いたしました」

記者たちが一斉にペンを走らせる。

「曽我常務による、巨額の不正流用です」

会場にどよめきが起こった。

「不正の手口についてご説明いたします」

達也が資料を示した。

「曽我常務は、架空の取引先との契約を通じて、会社資金を不正に流用していました」

「その見返りとして、多額のキックバックを受け取っていたのです」

「海外ファンドとの癒着により、資金洗浄に関わっていたことも判明しています」

記者の一人が手を上げた。

「達也さん、この不正をどのように発見されたのですか?」

「社内監査の過程で、不審な取引を発見いたしました」

達也が続ける。

「不正の主犯である曽我常務は既に辞任しています。さらに、刑事告発を行い、損害の全額回収を目指します」

記者が質問した。

「社長の責任についてはどうお考えですか?」

達也は少し躊躇したが、はっきりと答えた。

「社長も含めて、経営陣の監督責任は免れません。」

達也の断言に、会場がざわめいた。

「実の父親に対しても?」

別の記者が追及してきた。

「はい。血縁関係は関係ありません」

達也が力を振り絞って答えた。

「…この場で申し上げますが、父を守るつもりは一切ありません」

達也の毅然とした態度に、記者たちも沈黙する。

「私は一条家の人間である前に、一条グループの社員です。一条グループの信頼回復のためなら、たとえ父であっても厳正に処分いたします」

達也の声に力がこもった。

「今後の経営に一切の私情は挟みません。社外の専門家による調査委員会を設置し、すべてを明らかにします!」

達也の誠実な姿勢に、会場の雰囲気も少しずつ変わっていく。

「二度とこのような不正が起こらないよう、組織を根本から見直し、お客様、取引先の皆様、そして社会への責任を果たします」

達也の的確な回答により、記者会見は成功裏に終わった。


本社の来賓室では、一条家の面々が記者会見の中継を見守っていた。

「立派だったわね」

千鶴が満足そうにつぶやいた。

「曽我を完全に追い詰めることができた。これで私も枕を高くして眠れるというものよ!」

千鶴が大きく伸びをした。

「お兄ちゃんやるじゃん。あんなにちゃんと喋れたんだね」

紗英はいつもの頼りなさそうな達也を思い出して笑った。

「ほとんど母さんが作ったスピーチ原稿の通りだったけどね」

慶人が腕を組みながら言う。

「それでも大したものよ。これで第一段階は完了ね」

千鶴が立ち上がった。

「それで、あの二人はどうしてるの?」

「ああ、父さんと母さん?家で記者会見を見てるんじゃないかな?」

慶人がつまらなそうな顔をして言った。

「母さんが父さんのワインに下剤を盛ったから、父さんは当分家から出れないだろうしね」


翌日、一条グループでは新しい体制の準備が始まった。取締役と達也を中心とした緊急対策本部が設置された。

「まず、内部監査を徹底的に行います」

達也が方針を説明した。

「曽我元常務の不正以外にも、隠れた問題がないか確認します」

役員たちが頷いた。

「外部の監査法人にも依頼し、客観的な調査を行い、コンプライアンス部門も大幅に強化します」

達也の指示は的確で、役員たちも信頼を寄せていた。

「また、危機対応のプロを登用しょう」

達也が緊急役員会で宣言した。

「まず、企業再生専門の弁護士、佐藤先生を社外取締役にお迎えします。次に、経営再建のプロである元マッキンゼーの山田さんを副社長に任命しましょう」

2人とも、複数の企業を再建に導いた経験豊富なコンサルタントだった。

「一条グループの信頼回復のため、全力で取り組みましょう」


さらに、志保と千鶴も動いた。彼女たちもまた、手をこまねいているわけではなかった。

「金融庁の田中さんに連絡を取りました」

会見の前段階で、志保が千鶴に報告した。

「事情を説明し、『旧体制の一部による不正であり、新経営陣は関与していない』ことをアピールています」

千鶴も人脈を活用していた。

「銀行協会の理事長とも話をしてきましたよ。『社長夫人が事前に調査・告発していた』ことを強調しました」

二人の根回しにより、金融庁筋からは一定の理解を得ることができた。

「調査に協力的であれば、過度な処分は避けられるでしょう」

金融庁OBが千鶴へ保証した。


新体制構築の最終段階で、千鶴が重要な提案をした。

「今のまま社内から社長を出せば、世間から『身内の温情人事』と言われかねない」

千鶴が達也を呼び出して言った。

「じゃあ、誰が社長を?」

「暫定社長を立てるのよ」

千鶴が資料を取り出した。

「元経産省の渡辺さんという方がいるの」

「渡辺健二さん、元経済産業省の審議官です」

志保が千鶴の横につき、説明した。

「以前お会いしたことがあります。実務に非常に強く、政財界にも顔が利き、信頼も厚い方です」

「一条家と距離があることが、最大のメリットよ」

千鶴が強調した。

「世間からは『身内色の排除』として評価されるでしょう」

「確かに、外部から来た人なら、公正な経営ができると見られるのか」

達也も理解した。

「そうです。そして、あなたは彼から学びなさい」

千鶴が続けた。

「その後、正式に世代交代を行う。これなら、誰からも文句は出ないでしょう」

千鶴が達也の手を握って言った。

「今度こそ、"芯"のある経営をしておくれ。お前のじいさんの弘治も、父さんの崇も、それぞれに良いところはあった。でも、"芯"が足りなかった」

「芯?」

達也が尋ねた。

「信念よ」

千鶴がはっきりと答えた。

「何があっても曲げない、経営者としての信念」

千鶴の目に、深い思いが込められていた。

「一条グループを、本当の意味で誇れる会社にしてほしいの」


一週間後、一条グループは緊急記者会見を開いた。

「新社長に、元経済産業省審議官の渡辺健二氏が就任いたします」

発表と同時に、記者たちがざわめいた。

「渡辺氏は暫定社長として、企業再建を担当されます」

渡辺氏が壇上に立った。

「一条グループの再建は、日本経済にとっても重要です」

渡辺氏の言葉に、記者たちが注目した。

翌日の新聞各紙は、この人事を高く評価した。

「一条グループ、身内色を排除した人事」

「元官僚の手腕に期待」

「暫定社長制度で透明性確保」

テレビのニュース番組でも、好意的に報道された。

「外部から経営のプロを招聘したことは評価できる」

経済アナリストがコメントした。

「一条家の身内だけで固めるのではなく、客観的な経営が期待できます」

一部のファンドや取引先からは、逆に評価する声も上がり始めた。

「透明性の高い経営への転換は評価できる」

海外投資ファンドのマネージャーが分析した。

「むしろ、この危機を乗り越えれば、より強固な企業になるでしょう」

取引先の一部からも、継続的な関係を望む声が出た。


新経営陣は、徹底的な情報開示を行った。

「マフィアとの関係は、旧体制の一派に限られていました」

一条グループはマスメディアにそう説明した。

「現経営陣は一切関与しておらず、むしろ被害者です」

佐藤弁護士も補足した。

「前社長夫人である志保さんが、事前に調査・告発していた事実もあります」

この説明により、新経営陣への疑いは次第に晴れていった。


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あの事件から1ヶ月が嵐のように過ぎた。一条グループ本社では、渡辺社長のもとで順調に業績が回復し、達也も補佐として少しずつ成長していた。


しかし、一条家の居間では、家族たちが複雑な表情で話し合っていた。

「最後まで、よくわからなかったのは母さんのことだよ」

慶人が嫌そうな顔をして言った。

「母さんが父さんに下剤を盛ったのもびっくりしたしな」

慶人が苦笑いを浮かべながら続けた。

「家に帰ったら父さんが苦しんでてさ。母さんは平気な顔してワイン飲んでるし。でも、おかげで家にマスコミが来ても、父さんは大人しくするしかなかったしね」

「いいんじゃないの」

紗英が肩をすくめた。

「あの後父さんも悪かったってめちゃくちゃ謝ってたしね」

「それはそうなんだけど。でも、父さんなんかほっとけば良かったのに。」

慶人はソファに深く座り込み、疲れたような表情を浮かべていた。

「あれだけひどいことをされたんだぞ。愛人を作って、会社をめちゃくちゃにして、家族を裏切って。それなのに、なんで母さんは父さんの世話なんてしてるんだ」

「それは私も同感!」

紗英も身を乗り出して言った。

「お母さんは優しすぎるのよ。お父さんみたいな人、捨てちゃえばいいのに」

紗英の声には、父親への怒りがまだ収まっていなかった。

千鶴は窓の外を見つめながら、静かに頷いた。

「私もおんなじ立場だったら、さっさともらうもん貰って、自由気ままに暮らすよ。本当に、我が息子ながら、いい歳して情けない人間だね」

千鶴の言葉は厳しかったが、どこか寂しそうな響きがあった。

「でもね…」

千鶴が一呼吸置いた。

「本当の幸せってのは人から評価されるもんじゃないのさ」

その言葉に、慶人と紗英は不思議そうな顔をした。

「あの女は、本当に欲しい物を手に入れたんだよ」

「本当に欲しい物?」

紗英が首をかしげた。

「お金や地位じゃなくて?」

「ああそうさ。だから、あたしらにとやかく言う権利はないんだよ」

その言葉に、慶人と紗英は腕を組んで考え込む。

「…それって、お母さんは本当に幸せなのかしら?」

「それは、本人にしかわからないことだよ」

千鶴が静かに答えた。

「でも、あんた達がいるのに、幸せじゃないなんて言うんなら、あたしが引っ叩いてやるよ」

千鶴の言葉に、紗英が慌てて手を振った。

「もう!おばあちゃん、いい加減お母さんと仲良くしてよ!」

「仲良くだなんて!今回は例外さ!一時的なもんだよ!あたしはやだね、あんな気味の悪い女!」

千鶴が顔をしかめた。慶人が呆れたように頭を振った。

「全く…変な人ばっかりだ、うちの家は」

その時、千鶴が急に立ち上がった。

「さあ!あたしも幸せになりに行こうかしら!今日は西麻布でパーティーがあるからね!」

千鶴の目が輝いていた。

「70歳なんてまだまだ若いよ!紗英!あんたも行くかい?」

「やった!おばあちゃんとパーティー!」

紗英が飛び上がった。

「紗英があっちに帰る前に存分に楽しまなきゃね!」

千鶴が嬉しそうに言った。

慶人は二人の様子を見ながら、苦笑いを浮かべていた。

「本当に、うちの女の人たちは強いなあ…」


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同じ頃、軽井沢の別荘では、志保と崇が二人で静かな午後を過ごしていた。

別荘は森に囲まれた小さな建物で、都会の喧騒から完全に隔離されている。志保が最も愛する場所の一つだった。

崇は窓際のソファに座り、ぼんやりと外の景色を眺めていた。以前の崇からは想像もできないほど、すっかり毒気を抜かれてしまった。仕事人間だった彼から、全てが取り上げられてしまったのだ。

会社での地位、社会的な名声、経済的な自由、そして自信。崇を支えていたものが、全て失われていた。

「お茶をどうぞ」

志保が茶菓子と紅茶を運んできた。

「ありがとう」

崇が小さく答えた。

その声は、以前の力強さを完全に失っていた。

志保は崇の向かいに座り、優雅に紅茶を口に運んだ。

「今日は天気が良いですね」

志保が明るく言った。

「散歩でもしませんか?」

「うん…」

崇が曖昧に答えた。

最近の崇は、ほとんど何事にも関心を示さなくなっていた。志保は、そんな崇のことを甲斐甲斐しく世話をしていた。


志保は窓の外を見つめながら、遠い昔のことを思い出した。

崇と出会った日のこと。まだ私が二十代前半で、彼が何者でもなかった頃。あの日、崇は本当に輝いて見えた。自信に満ち、野心に燃え、でもどこか純粋なところもあって。一目で恋に落ちた。

志保の心の中で、あの日の記憶が鮮明に蘇った。その時から、人生の目的は決まっていた。崇と一緒にいること。それだけが、彼女の幸せだった。


志保は紅茶のカップを手に取りながら、静かに微笑んだ。

子供たちには理解できないかもしれない。世間の人にも、馬鹿な女だと思われるかもしれない。

でも、志保は何一つとして、後悔などしていない。

結菜は逃亡し、葛城は失脚し、一条グループは再建された。そして、崇は彼女のものになった。

志保の顔に、満足そうな笑みが浮かんだ。

(これが、私の求めていた幸せ。お金でも、地位でも、世間の評価でもない。ただ、愛する人と一緒にいること。それだけが、私の全てだった。)


志保は、昔のことを思い出していた。

結婚式の日、厳粛な儀式の中で、彼女は密かに心の中で祈った。

「神様がいらっしゃるなら、叶えて下さい。最後の晩餐を迎えるその日まで、どうかこの人と一緒にいられますように」


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