イアン2
思い出した!
この人、下町の裏社会のドンだ!
遠目に何回か見かけたことがある。いつも手下を何人か連れている。商売をするにはこの人の許可がいるとか、ショバ代払えばあらゆる面倒事をかたづけてくれるとか、仁義に欠けるマネをすれば、この人に消されるとか、いろんなうわさがある。
憲兵はもちろん、騎士団とも貴族とも、裏で繋がっているとか。
めっちゃヤバい人じゃんか。
え? この人がビビのパパなの?
ヤバくない? いろいろと。
「まあまあ、固くなるなよ。騎士さまがうちの婿なんておれも鼻が高いぜ。なあ、おまえら」
「うす」
あ、もう結婚決まり? なにも言ってないけど。
「やだ、パパぁ。気が早くない?」
「そんなことはねえよな、騎士さま」
「は、は、はい、もちろんです」
「えっ? イアンいいの?」
ビビが小首をかしげておれを見上げる。
いや、かわいい。
「いいよー。もちろんだよー。ほんとは指輪を用意してちゃんと申し込むつもりだったよ」
「ええー! ほんと? うれしい!」
ビビがおれに抱きついた。ドンのこめかみにピキッと青筋が走った。
ひい。
「決まりだな。なあ、おまえら」
「うす! 決まりっす」
決まったようだ。
「まあ、家を追い出されたといっても、騎士をクビになったわけじゃなし、励んで名を揚げろよ」
「うす!」
しまった。返事がうつった。
「よぉし! そうしたら引っ越しだな! ここじゃ手狭だろう。新婚にふさわしい家を用意してやる」
ドンはふんすと鼻を鳴らした。
いやいや。あまり高い家賃は払えないぞ。おれはおそるおそるドンに声をかけた。
「あ、あのー」
「なんだ、婿どの」
「騎士の給料で払える範囲でお願いできればたすかります」
「はっはっはっ。おもろれぇ冗談だ。なあ、おまえら」
「うす」
「まさかうちのビビをショボい家に住まわせる気か?」
ひい。
「ま、まさか。でも騎士の給料じゃ限界が……」
「安心しろ。賃貸なんてせこいことは言わねぇ。孫の10人でも余裕で住める家を買ってやるよ。なあ、ビビ」
「ええー、ほんと? でもあんまり大きいとお掃除たいへんだなぁ」
「ちゃんとメイドさんを雇ってやるよ」
「わあい」
おれ抜きで話がまとまっていく。どうしよう。
ドンは「じゃあ、さっそく探しに行ってくる」と言って、ゴリマッチョたちを連れて帰っていった。
「ふうーーー」
部屋の圧迫感がなくなって、思わずため息をついた。
「だまっててごめんね」
ビビが上目遣いで見上げてくる。
「だいじょうぶだよ。ちょっとびっくりしたけどね」
「お金のことは心配しなくてだいじょうぶよ」
ビビがこてんと小首をかしげた。ん? とおれも小首をかしげた。
「イアンが騎士をやめてもわたしの稼ぎで暮らしていけるから」
んん? 食堂の給仕ってそんなに給料いいか?
「来月ね、カフェをひとつオープンする予定なの」
カフェをひとつ?
「そう、だから全部で三店舗経営するの」
経営するの? 経営? 給仕じゃないの?
「やだなぁ。ちゃんと『美美杏亭』ってわたしの名前ついてるじゃん」
ああ、あれ、「びびあんてい」って読むのか。ビビはね、ビビアンっていうんだ、ほんとはね。そうか。
へえ。
「やだぁ、イアンったら。白目むかないで」
「う、うん。ちょっといろいろびっくりした」
給仕じゃなかった。実業家だった。
「でもね、騎士をやってるイアンはカッコいいから、続けてほしいな。わたし、騎士の格好してるイアン、大好きよ」
「お、おう。そうか。カッコいいか」
「うん! カッコいい!」
「わかった。おれがんばるから」
「うん! いっしょにがんばろうね!」
「おう!」
「あと、もううそはつかないでね」
バレてたーーー!
はっ! もしや計算づくの天然だったのか? 手のひらで転がされてたのか、おれ?
それから、あっという間に新居が決まった。決まったっていうか、ドンの屋敷の敷地内に新築された。
どれだけ広いんだ、ドンの屋敷。
ドンの仕事はビビの兄が継ぐという。
だから、おれは気にせず騎士を続けろって言われた。
ビビの兄ちゃんは、シュッとしたイケメンだ。ビビも兄ちゃんもママに似たんだな。よかったよ。
いかつさはゼロだが、それでも子分たちを取りまとめるっていうんだから、たいしたものだ。おれでは無理だ。
おれも一目置かれるようにがんばるよ。
騎士団では部署を移動になった。
「組織犯罪対策部」が新設された。秘かに。そこへ移動だ。
「いやー、ドンとのつながりができて助かったよ。どうやって接触しようか困ってたんだ。きみが身内になってくれてよかった、よかった」
移動の際そう言われたが、どっちかっていうと裏の組織だ。表には決して出ない。
秘かに連絡を取ったり、秘かに活動したり。
うん、この前まで王太子殿下の護衛してたのにな。騎士団の花形だったのにな。
仕事が終わると新居じゃなく美美杏亭へ帰る。
「いらっしゃ……。おかえりなさーい」
「ただいま」
ビビが笑顔で迎えてくれる。忙しいのに笑顔を絶やさない。さすがビビ。
「そこのモヤシのヒゲを取ってちょうだいね」
ビビの指さす先には山盛りのモヤシ。
「はーい」
おれは馬車馬のように働かされている。
おしまい
天然最強。というおはなしでした。