35 幸せすぎて失念
グランツは照れくさそうにそう呟いたあと、オルヘルスの頬を愛おしそうになでた。
「私たちは婚約している。だから、このようなことをしてもステフは怒ったりしない。それに、これは決して端ないことではないよ」
それを聞いてオルヘルスは驚いてグランツを見つめる。
「本当ですの?」
「本当だ」
オルヘルスは胸を撫で下ろした。
「よかったですわ」
そんなオルヘルスの耳元でグランツは優しく囁く。
「オリ。キスしていいか?」
驚いたオルヘルスは肩をビクリとさせ、真っ赤になり耳を押さえてグランツを見つめしばらく逡巡したのち恥ずかしそうに答えた。
「あの、はい……」
グランツは、オルヘルスの唇を熱っぽく見つめながらゆっくり顔を近づける。
「オリ、好きだよ」
そう甘く囁くとそっと唇を重ねた。オルヘルスは信じられないほど強く心臓が脈打つのを感じながら目を閉じる。
最初は遠慮がちに唇に少し触れる感触がし、徐々にそれが強く押しつけられるとグランツは中へ押し入り口内を深くむさぼった。
オルヘルスは初めての感覚に頭がくらくらし、されるがままとなった。
そうして二人にとっては短い時間ではあったものの、濃厚な時間を過ごすと名残惜しみながらエントランスで別れた。
グランツを見送りその姿が見えなくなった瞬間、オルヘルスは腰が抜けたようになりその場にへたり込んで叫ぶ。
「ぐきゅぅぅぅぅぅぅぅ!」
変な叫び声に気づいたイーファが駆け寄り声をかける。
「オリ、大丈夫か? なにがあった?!」
オルヘルスは恥ずかしくてそのまま両手で顔を覆って答える。
「だ、大丈夫じゃないですけれど、大丈夫ですわ。このままにしておいてくださいませ!!」
「オリ?」
イーファはどうしてよいかわからず戸惑い、オルヘルスを見つめるばかりだった。
婚約発表を二週間後に控え、突然ファニーから婚約発表のときに着るドレスのデザインを変更すると報告があった。
そのために何度か時間をとらなければならず、さらに忙しく過ごすこととなった。
デザイン変更に至った事情についての説明は特になく、ファニーはただこう言った。
「ここでデザイン変更なんて、意図せずに面白いことになったかもぉ~。あはははは!」
オルヘルスは訳がわからなかったが、ファニーを信頼していたので特にその理由について問いただすこともせず軽く受け流した。
新しいファニーのデザインは画期的で、これまでの胸を締め付けるようなコルセットもお辞儀のときに邪魔になるパニエもなかった。
コーラルピンクを基調としたそのドレスは胸の下に切り返しがあり、真っ直ぐ下に延びるスカートには小さな花モチーフの装飾や刺繍がほどこされているが、それはじゃまにならない程度にあしらわれているためスカートが体の柔らかいラインを強調している。
それは一見下品にも見えかねなかったが、袖がケープスリーブになっており全体として見たときにとてもエレガントな仕上がりになっていた。
「ファニー、このドレス着心地もいいしデザインも素敵だし、とても気に入りましたわ」
試着の感想を素直に伝えると、ファニーは得意気な顔をして言った。
「でっしょ~!! やっぱ、僕ってば天才だもんね~。それに、こういうドレスがそろそろ流行ってもいい頃なんだよぉ。コルセットなんて、本当にナンセンス!」
それを聞いて、オルヘルスはファニーが流行りを先読みしていることに気づき、あらためてこのファニーという人物を不思議な人物だと思った。
舞踏会当日は、イーファのエスコートで王宮へ向かうことになった。
グランツは納得していないようだったが、これは婚約発表の演出の一環だそうで、エリ女王の提案だった。
そうして打ち合わせをすませいよいよ婚約発表の前日の夜となり、オルヘルスはオルガと明日の舞踏会についてあれやこれやと話を弾ませた。そこへイーファが部屋を訪れる。
「御兄様、どうされましたの? 心配しなくても今日は早く寝ますわ」
そう笑顔を向けると、イーファは真面目な顔をした。
「殿下がいらしている。客間でお待ちだ」
そう言い残し部屋を出ていった。
こんな時間に一体なんだろう。
そう思いながらオルヘルスはオルガと顔を見合わせると、すぐに支度をととのえ客間へ向かった。
「急に押し掛けてすまない」
客間へ入るとグランツはそう言ってオルヘルスを出迎えた。
「そんな、かまいませんわ。こんな夜更けに来られるなんて大切な話があるということですもの」
オルヘルスがそう答えると、グランツは微笑んだ。
「オリ、ありがとう」
そして続けてイーファに向かって言った。
「イーファ、お前にも聞いていてもらいたい」
イーファは険しい顔で答える。
「もちろんです。もとより前回のようにふたりを残し、部屋を出るつもりは二度とありません」
「そうだろうな」
そう言って苦笑するとグランツはオルヘルスの手を引いてソファに並んで腰かけた。そして、少し緊張気味のオルヘルスに向かってグランツは優しく微笑む。
「そんなに悪い知らせではないから、緊張しなくていい」
「はい」
「話しは君が精霊から寵愛を受けている件なのだが。明日、婚約発表と同時にこれも発表することになった」
イーファがそれを聞いて即座に反応する。
「殿下、お待ちください。そんなことをすればリートフェルト家の秘密がばれてしまいます。そうなれば、どういうことになるのか殿下もおわかりのはずですが?」
「イーファ落ち着け。それは私も理解している。だから、リートフェルト家とは関係なく、オルヘルスだけ精霊の加護を受け寵愛されていると発表するのだ」
そこでオルヘルスは質問する。
「なぜ、今頃そんな発表をしますの?」
「私や両陛下もまったく気にしていないが、男爵令嬢を婚約者に選んだことを納得しない者も出てくるだろう?」
それはオルヘルス本人もずっと気にしていたことだった。
「それはわかりますわ。だから私は、お母様のときのようにどなたかの家に養子に入るのだとばかり思ってましたわ」
「それも考えたが、そうなると色々利権が絡んでくる」
なるほど、確かにそのとおりだ。だが、それぐらいなら危険を冒して発表する理由にはならないだろう。そう思いながら質問する。
「まだなにか他にも理由があるのではありませんか?」
その質問にグランツは満面の笑みで答える。
「これでさらに君の警護がしやすくなる」
確かに、オルヘルスが婚約者になったとしてそれを理由に警備を強化すれば、無駄な支出だと他方から文句を言われかねない。だが、オルヘルスが精霊の寵愛を受けているとなれば状況は変わってくるだろう。
グランツは続けて言った。
「それとエーリクやアリネア、それにホルト家とコーニング家の取り巻きたちがなにか文句を言ってくる事も考えられる。それらを黙らせる事ができるだろう?」
そう言われてオルヘルスは気づく。
「私、二人のことを失念していましたわ」
それを聞いて、グランツは声をだして笑った。
「素晴らしい! それでいい。君はあんな輩のことを気にする必要はないのだから。だが、今後もなにかと絡まれては鬱陶しいから隙を与えないようにしよう」
「そうですわね、わかりましたわ。私は全面的に殿下に従います」
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※この作品フィクションであり、架空の世界のお話です。実在の人物や団体などとは関係ありません。また、階級などの詳細な点について、実際の歴史とは異なることがありますのでご了承下さい。
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