5.『パンケークス事件』part 3.
ベアトゥス様と二人だけで話してちゃんと誤解を解きたいけど、私の右肩にベリル様がいる限りは無理だ。まずは何とかしてベリル様を引き剥がさないと。
というわけで、私はとにかくベリル様をここに置いて行こうと決心する。伝説の錬金術師である青髪悪魔大先生に聞けば、きっと良い方法を教えてくれるはずだ!
「あの、ロンゲラップさん、実は私、精霊女王ベリル様に取り憑かれてしまったのですが……」
「見ればわかる。どうしてほしい?」
「できたら私から離れてほしいと思っているのですが、何か方法はありませんか?」
「なんでさぁ?! ずっと一緒にいようよ!」
ベリル様は相変わらずのテンションで、私の髪を鷲掴みにする。別にセットにこだわるタイプじゃないけど、あまり気安く頭に触らないでほしい。わちゃわちゃしている私たちを見たロンゲラップさんは、分厚い革表紙の本をめくりながら、面倒そうにため息をついた。
「そいつに気に入られているうちは難しいだろうな。飽きるのを待つしかない」
「え……?」
「ただ、嫌がらせはできる」
「あ! お前! またアレをやる気なら……!」
「ミス・パンケークス」
「はいよ!」
そう呼ばれて出てきたのは厨房のおばちゃんだった。おばちゃんって……パンケークスさんていう名前だったんだね。そして手に持っているものは噴霧器だ。一体何をするつもりなのか?
私が身動きできずにいると、右肩のベリル様はめちゃくちゃ慌てて私の耳たぶを引っ張りはじめた。正直いって動きたくなかったけど、鬼気迫るおばちゃんがちょっと怖くて、思わず後退りしてしまった。
「悪いようにはしないからさ、逃げるんじゃないよ……?」
「お、おばちゃん、話せばわかるって……」
「バカ! 早く逃げろ! 俺を殺す気か!?」
ベリル様が殺せる存在だとは到底思えないけど、ここまで取り乱している姿も珍しい。私は何とかその場に踏みとどまって、耳を引き延ばそうとする精霊女王の腕をつかんで押さえようとするが、霊体のせいか全然つかめない。
でもさっき、勇者様はベリル様の腕つかんでたよね確か……? どゆこと??
「あんた、ちょっと目だけつぶっときな!」
「え? あ、はい!」
「やめろぉ!!」
プシュッと霧のようなものを掛けられて、少し冷たいと感じると、何やら甘く美味しそうな匂いがふんわりと漂った。
「あれ? ……バニラ?」
「そうさ、料理にも使えるから毒じゃないんだよ」
「へぇ……あ、ちょっと苦い」
「味はそんなに良いもんじゃないけど、今度食堂のデザートにも使ってみようと思ってね」
私とおばちゃんが呑気にグルメトークをしていると、何だか肩が軽くなってベリル様が床に倒れていた。すかさずベアトゥス様とロンゲラップさんが精霊女王を隔離して、透明な蓋つきの寝台に乗せる。気絶まではしていないものの、ベリル様は鼻を押さえて盛大に顔を顰めている。
私はちょっと良い匂いだと思ったくらいだけど、感覚が優れている精霊女王様にはキツい攻撃になるらしい。
ロンゲラップさんが何やら取手のついた丸いハンドルをクルクルと回すと、寝台の中の空気が吸い出されてニオイが治まったのか、ベリル様が大人しくなった。こ、これはもしや真空パックなのでは……?
「息……吸えなくなっちゃうんじゃないですか……?」
思わず私が心配すると、安全を確認して顔を出したマルパッセさんが「我らに空気は必要ないんだよ、精霊にもね」と根本的な私の勘違いを指摘してくれた。そういえば、悪魔にも天使にも精霊にも呼吸は必要ないらしい。なのに精霊が匂いに弱いっていうのも不思議な話だ。
私たちに振り掛けられたバニラエッセンスは、ロンゲラップさんが旅先で見つけてきた貴重品だった。乾燥したバニラビーンズを謎のお酒に漬け込んでエキスを抽出したものらしい。
医療技術とか魔法だけでなく、料理の分野でもいろいろ作ってたのか、この青髪悪魔大先生は……
私がバニラに興味を示しているのを見て、料理人として急成長中の勇者ベアトゥス様は、新しいケーキに使ってやろうと提案してくれた。バニラはどんなデザートに入れても美味しいけど、個人的にはアイスクリームが好きなんだよね。でもこの世界には冷蔵庫がないので、作り立てを食べなきゃいけないのが面倒なのだった。自分の魔法でアイスを挟んだチョコを出すほうがお手軽だったりする。
それに、張り切って料理作ってもらっちゃってから急な用事が入ったりすると、ベアトゥス様はすごくすごく不機嫌になるのだ。私も経験あるからわかるけど、頑張って作った料理が食べてもらえなくなると、精神的ダメージが大きい。勝手に用意してごめんね! みたいな変な方向に心がいってしまうというか……
とりあえず余計なことを言わないようにして、素直にベアトゥス様の新作を楽しみにしておくことにした。
天使さんのほうは、私がいる限り、今ここで考えてはいけないあの能力で押さえることはできるはず。おばちゃんが心配していたので、今すぐどうこうするようなことはないと伝え、勇者様と一緒に厨房に戻ってもらうことにする。
「段差があるから気をつけろ」
ベアトゥス様が腕を差し出すと、厨房のおばちゃんことミス・パンケークスさんは、顔を赤らめ「いやん♡」と乙女モードになっていた。そういえばおばちゃんはベアトゥスさま推しだったっけ。日頃お世話になってるせいか、おばちゃんに紳士的に振る舞う勇者様に好感を持ちつつ、何とかしてイケメン天使とおばちゃんの恋を応援したいと思う。
でも天使が機械ってことは、恋愛対象とはいえないのかな?
マルパッセさんは出会ったときから結構人格あったっぽいけど、このイケメン天使は通常どんな雰囲気なのか? 処分するかどうか決める前に、早くこの天使の性格を見極めたい。
「この天使さんは、なぜ眠っているんですか?」
「ミス・パンケークスが見つけたときは覚醒状態だったらしいが、すぐこのスリープモードになったようだな」
「液体になったって聞きましたけど……」
「落下ダメージで体が圧縮されたのかもしれないし、元々変化できる能力があって暴走した可能性もある」
ロンゲラップさんの見立てでは、この天使さんはあと数日は目を覚まさないらしい。
その話を横で聞いていたベリル様が、ハン! と鼻で笑って教えてくれる。
「ファビエル級は『擬態』が得意だからな。この国に落ちてきたってことは、魔国民に擬態して情報収集でもするつもりだったんじゃないか? 最近、死にかけて舞い戻った奴がいないか調べてみなよ。もうすでに何人かは存在を乗っ取られているかもな」
「…… ということは、妖精国や周辺の国にも天使が紛れ込んでいるってことですか?」
「可能性はゼロではないな」
青髪悪魔の言葉に何だか薄寒いものを感じて、私は自分の考えの甘さを反省した。




