10.『賢者の選択』part 35.
「わたくしは……あの子たちを守らなければ……」
「お祖母様! これは我々の戦いです! そちらは関係ありません!!」
「まあ、アイテール……大きくなったのね……」
「お祖母様!! 私はこちらです! ママ・グルントノルム!! 聞け!! 我はここじゃ!!!」
ママがこっちに向かってくる。アイテールちゃんは、必死でママを止めようとするけど、ママには触れない。たぶん、マーヤークさんみたいに魔力を吸われてしまうからだろう。悪魔マーヤークが少年の姿になったのは、全力でママを止めようとして疲弊しただけでなく、妖精に魔力を奪われたからだと思う。執事悪魔少年が魔力回復を後回しにしているのは、またママの食い物にされるとわかっているからなんじゃないか。
つまり、私もママ・グルントノルムに触れると、生命力を吸われる可能性が高い。
私の場合、MAX量がわからないので、ママをどこまで強化するのかわからない。
……てことは、絶対触っちゃ駄目じゃん!!
「逃げましょう、ベアトゥス様!!」
「あ? おい!!」
私を守るというこの勇者様は、強すぎるがあまり警戒心がちょっと薄い。
ベアトゥス様をほっといたら、触っちゃいけないママ・グルントノルムに普通に物理攻撃とかしそうなので、私は距離を取ることにした。
「いいですか? あのでっかい妖精に触ると、生命力とか魔力が吸い取られるみたいなんです」
「何? あの妖精は淫魔なのか?」
「いん……まあ似たようなもんでしょうね。エナジーバンパイアですよ!」
「そいつがお前に向かってくるってことは……」
「たぶん、私の生命力を狙ってるはずです!」
「チッ! だからあの王女は逃げろと言っていたのか!」
やっぱりね……ベアトゥス様ったら、アイテールちゃんの言うこと聞かないで、戦う気マンマンだったんだわ……
なんでこの勇者は……ったくホント、人の話聞かないかなぁ〜!
走りながら、私は駄目押しで勇者様に注意喚起をする。
「もちろん、ベアトゥス様も触っちゃ駄目ですよ! 最強勇者のパワーなんか取り込まれたら、ママ・グルントノルムに勝てる存在なんて居なくなっちゃうかもしれませんからね!」
「ははは! この俺を最強存在と認めるか! よしよし!」
「いやいや、今そんなポイントに反応してる場合じゃないんですから!」
なんて言いながら、私もさりげなくこの筋肉勇者をヨイショして、動かしやすくしようとしてたりする。
ベアトゥス様は、なんか単純な割に捻くれたところがあるので、あんまり上から注意しないほうがいいんだよね。
できるだけ下手に出つつ、頼む感じで行ったほうがいいのだ。
今回は素直に逃げてくれて助かったが、ぶっちゃけ、この後どうすればいいかはわからない。
すると、前方から聞きなれた軽薄な声がする。
「さっすがぁ、ミドヴェルト! 上手にママを引き摺り出したね!」
「キシュテムさん!!」
私がエメラルドグリーンの結界付近から離れると、ママも普通に結界から出てきたようだ。
伝説の悪魔が率いる王立警察の一団と、助っ人で呼ばれたのか、騎士団の皆さんもいらっしゃる。
「王立魔術師団は前方へ! 騎士団第二魔法部隊は後方待機! 合図で交代せよ!」
キシュテムさんの号令で、3列に並んだ魔法使いの皆さんがそれぞれ魔法陣を展開して、結界から出たママ・グルントノルムを包囲した。
なんか球体に閉じ込められたママは、プラズマみたいなものを四方八方に放射して、周囲に静電気を生んでいた。
あまりの電圧に、そこらじゅうでポンポンと妖精さんが自然発生している。
キャハハハハハハハハハハハ……
キャハハハハハハハハハハハ……
キャハハハハハハハハハハハ……
森の中に静電気の妖精さんの声が響き渡り、私の髪の毛が自然と持ち上がってほっぺたに纏わり付いた。
ふと見上げると、ベアトゥス様の髪も物凄いことになっている。
「止まった……?」
「まだだ……気を抜くな!」
勇者様に注意されて、私はママ・グルントノルムに目を戻す。
完全に止められたかと思われたママは、ぐぐぐ……と前方に圧をかけてくる。
その動きを抑えている魔術師さんたちは、少し押され気味になっているのか、厳しい表情で両手をプルプルさせていた。
「魔術師のレベルが足りていないよ! アイテール姫!」
「くっ……仕方ない。ポヴェーリアよ、薬を全部こちらに寄越せ! お祖母様は我が止める!!」
「えっ……? でも姫、これ以上は貴女の身体が持たない……貴女は、まさか……」
「アホウが! 何のための保身じゃ! 友たちを守れんで何とする!?」
「ミドヴェルトのために、そこまでするの……?」
「うるさい! あの結界が割れたらお仕舞いじゃ! はよう動け!」
「そうだね、わかったよ……ご主人様!」
な、なんか不穏なやり取りが聞こえた気がするけど、ポヴェーリアさんはめちゃくちゃいい笑顔だ。
だ、大丈夫なんだよね……?
ママはといえば、見た目は無表情なのに、めっちゃ笑顔で喋ってるような声で話しかけてくる。
「あなたにとって良いと思ったの……話し相手は必要よね♪」
「もうすぐごはんよ……手を洗って待ってらっしゃい」
「わたくしは、あの子たちを守らなければ……」
「わた……あの……らなければ……」
ママ・グルントノルムはAIなのか??
ミシミシと球状の結界が悲鳴を上げ、ママの体が前のめりになる。
キシュテムさんは、現場をなんとか維持しながらも顔がマジになってるから、かなりヤバい状態なんだろう。
駄目だ……あの結界が破られたら、勢いであっという間に追いつかれそう。これ以上私にできることはない。取り敢えず、勇者様が無謀なことしないように止めるぐらいしか……
私は、ママから距離を取りながら、破られる前提で何枚も物理防御結界を地面に突き刺して行く。西の森でマーヤークさんに習った固定法だけど、時間稼ぎになればいいかな程度の苦肉の策だ。魔法使い部隊の結界みたいに少しは持てば良いけど、上空に飛ばれたら終わりだな。
お付き妖精の弟は、一体この妖精女王様の復活体で何がしたかったの……?
いくらなんでも、私に執着しすぎなんですけど!!
どういうこと……? 術者の意識が消えたから、迷走してるのか!?
「貴女と話せて良かったわ」
「貴女と話せて良かったわ」
「貴女と話せて良かったわ」
ママ・グルントノルムは、壊れたレコードのように同じ言葉を何度もリピートしている。それでも前進しようとするパワーは高まるばかりで、もはや言葉に意味がないことは誰が見ても明白だった。
こんな姿を見て、さっきまで号泣して倒れ込んじゃってたマーヤークさんは大丈夫なのか? あんだけ必死に話しかけてたんだし、きっとこのママ・グルントノルムと仲良かったんだろうけど……元カノ? でもあの執事悪魔は、どっちかっていうと妖精王様とタメっぽい雰囲気あった気がするけど……憧れの人? 友達のお母さんに初恋……こ、これ以上は考えないようにしよう、うん。
気を取り直して少年悪魔のほうを見ると、マーヤークさんは落ち着いた様子でママの行動を見守っていた。
画像がブレるみたいなエフェクトも収まって、概念としての存在も安定したのか、パッと見ではどうやら大丈夫らしい。
「教育係殿! そのまま、お祖母様の目標になっておれ! 妖精の問題は……我が責任を持って請け負う!」
「は、はい! お願いします!」
妖精王女のアイテールちゃんから指示が飛び、私はママに集中する。エメラルドグリーンの結界から出たこの場所は、もう魔法が使えるのだ。最悪の場合は帰還魔法で……
「ベアトゥス様! 私にしっかりつかまって!!」
「おう!」
この勇者様は、私が守らなければ。
確かに、あんまり意識したことなかったけど……こんなときは、できるだけ視界に入れておきたい存在かもしれない。
なんせ心配だもんね。
それに今んとこ内緒だけど、このでっかい勇者様は、まさかの年下彼氏なのだ。私が少しくらいお姉さんぶっても許されるはずだ。
アイテールちゃんは、なにやら祈るような姿勢になると、体全体を光らせて神々しさが増している。
さっき言ってた大技を繰り出すつもりらしい。
「いいか! 王女ちゃんの魔法が発動するまで結界を持たせるんだ!!」
キシュテム警視が、必死で魔法部隊に声をかける。
魔術師さんたちも気合い入った返事とかしてて、まだ粘れそう。
しばらくすると、アイテールちゃんを中心に丸く光が広がって、花吹雪がぐるぐると渦巻いてママ・グルントノルムのほうに向かっていった。
妖精王女様の大魔法が届くのと、結界が消失するのはほぼ同時で、ママ・グルントノルムはアイテールちゃんの大きな手に握り潰される。
「アーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
ものすごく高いソプラノ歌手みたいな声を出して、ママ・グルントノルムは光を失ってパタリと倒れた。
それと同時に、アイテールちゃんも上空から地面に力無く墜落する。
「アイテールちゃん!!」
思わず私が敬称を忘れて名前を叫ぶと、ポヴェーリアさんが素早く落下地点に駆け寄って抱き止めた。
ホッとひと息ついて、マーヤークさんのほうを見ると、頭を抱えて蹲っていた。あ……やべ……
ママの声に釣られて、私はうっかり例の能力を発動してしまったらしい。
焦ってキシュテムさんのほうを確認すると、地面に倒れ込んだ悪魔警視が部下の方達に介抱されている。
ひえぇ、やっちゃった……マイナス評価にならないといいけど……
「今度こそ終わったな……」
私の後ろでは、勇者様がやっと警戒を緩め、繋いだ手を引っ張るもんだから、社交ダンスみたいにくるりと巻き取られてしまう。
ベアトゥス様の腕の中は安心する……でも今は、自分のことよりも優先したいことがあるんだよね。
「あの……!」
「わかってる、王女の無事を確認しなくてはな……」
勇者様に付き添われ、二人でアイテールちゃんに近づくと、ポヴェーリアさんが愛おしそうに妖精王女様の前髪を撫でていた。
アイテールちゃんは、目を閉じて動かない。
「そんな……まさか……! え、嘘ですよね!?」
私が焦って声をかけると、ベアトゥス様が腕の力を無言で強めた。
ポヴェーリアさんは、微笑みながら穏やかに言う。
「アイテール姫は、さっきの魔法で残りの寿命を、ほとんど使い尽くしてしまったようだね……」
「じゃあ、さっきのは……!?」
「誰かのために命をかけたんだ……アイテール姫は最高の主人だよ」
「な、何言ってんですか? ポヴェーリアさん……」
妖精王女様の閉じられた瞼にそっと口付けをして、ニコニコしているポヴェーリアさんが私には信じられない。
もしかして、こうなることをアイテールちゃんは前もって伝えていた……?
これじゃ……婚約パーティーは? 結婚式は? 妖精王様の親馬鹿パパっぷりを引き出して、みんなでニヤニヤして、口の周りベッタベタにしてクリームコロッケとかケーキを頬張るアイテールちゃんにヤキモキして、そんなことをもっといっぱいして……そんでボンクラな私に鋭いツッコミをしてくれて……そんな……そんな日々が……もっと続くと……思ってたのに……
「王女様ぁ……うぐっ……ふくっ……うぅ……」
「ミドヴェルト、泣くな……」
思わずベアトゥス様にされるがまま、私は抱き寄せられてしまうが、涙はまだしも鼻水がすげえ出てんのよな……
このまま勇者様に鼻水付けるわけにいかねぇってな感じで、変に冷静になって、私は今できることは本当に無いのかと考えはじめた。
「ミドちゃん……これ、使って」
「あ、え? ベリル様? どうしてここに……?」
「実は俺さぁ……ミドちゃんの最初の願い、叶えてやろうと思って。よう、ポヴェーリア、元気?」
「……おかげさまで」
私が精霊女王ベリル様に差し出されたハンカチで鼻をかむと、ベリル様は、ポヴェーリアさんに声をかけて、ポリポリと気まずそうにこめかみの辺りを掻いている。
「ミドちゃんはさぁ……なんつーか賢いからさぁ……精霊に願いを託すときの条件にすぐ気付いたじゃん? でも妖精王女のほうは、まだ自分本位の考えもないまま流されてて、条件成立まで足りなかったんだよね。いろいろと頑張っていたみたいだけど……」
「え……」
「だから、ポヴェーリアに命じてあの子に付いてもらったんだ。使命をまっとうしたら自由にしてやるって条件でね。ポヴェーリアは上手くやりおおせて妖精に生まれ変われたようで何よりだ。うんうん。でね、妖精王女ちゃんのほうも、今ちょうど条件をクリアしたってわけ」
「条件て……人のためにっていう……?」
ベリル様は疲れたように微笑んで、軽く首を傾げる。そのまま、私の涙を指で掬い取って、また笑った。