9.『秘密の恋』part 34.
「あらあら、まあまあ……由緒ある魔国の王弟殿下が、あられもないお姿ですこと……」
楚々とした出立でゆっくりと斜めに歩み出るチュレア女公爵様は、ドレスの複雑な刺繍も相まって黒薔薇のように華やかだ。ところどころに赤と金の差し色が入っているのは、やっぱり戦う者として騎士団の正装を意識しているのだろうか。
タコダーレン……じゃなくて悪魔キシュテムは、さっきの勢いで力任せに弾くかと思いきや、少し気取って紳士的な対応をしている。
「これはこれは、現魔国の王妹殿下でしたかな? ここであんたの能力は使えないと思うのだが、何をしに出しゃばって来ている?」
「わたくしが何をしに来たかわからないというのでしたら、どうぞそのままで。あなたの知能が一定水準に達していないからといって、非難するつもりは毛頭ございませんから安心なさいませ」
「なんだと……?」
チュレア女公爵様は、シックな扇子をパッと開いて、なにやらパタパタと細かく煽ぐ。
……あ! これって扇言葉!?
女公爵様は、悪魔キシュテムの陰になってる私たちに、何かのメッセージを送っているようだった。
だがしかし……全然意味わかんないよぅ!!
え、何? 挟み撃ちってこと!?
私がオロオロした様子で周囲に助けを求めていると、アイテールちゃんがアイコンタクトで和文モールス信号を送ってくれた。
・・- -・ ・・- -・ -・---
(うた うたえ)
あ、例のアレね! 私は大きく頷いて笑顔でサムズアップして見せる。
そういえば、悪魔にはあの能力で対抗できるんだった。
ボロボロのマーヤークさんが許してくれるか心配だったけど、私がチラッと目をやると、悪魔執事はどうぞとばかりに手のひらを返して一礼してくれる。
よっしゃ! やったる!!
私は防御を勇者様に丸投げして、静かに目を閉じて歌に集中する。
歌……音……さざなみにそよ風……鳥の声……船が軋む音……
昔好きだった歌……海の底に咲く小さな花の歌……魚が空を飛んで……風の調べに星座の囁き……みんな愛のメロディになっちゃう素敵な歌……
懐かしい優しい歌……「水のまどろみ」を歌ってくれてありがとうORIGAさん、貴女のおかげでちょっとだけロシア語が好きになりました。
こんな……何というか、ゆるやかな歌で攻撃になるんか……?
チラッと悪魔執事のマーヤークさんを見ると、膝をついた状態から完全に床に倒れこんで、謎の微笑みを浮かべたまま無事死亡している……無茶しやがって……なんとなく歌対策を見つけたみたいなこと言って強がってたけど、やっぱりあのボロボロ状態では耐えられなかったらしい。
ならば、悪魔キシュテムには確実に効いているはずだ!
そう思って宙に浮かんでいたタコ悪魔を見ると、頭を抱えてグガアアア……と何やら苦しげな唸り声をあげて、四方八方に触手を伸ばしてグネグネとのたうち回っている。
よっしゃ! 効いてる!!
青髪悪魔大先生のおかげで、すっかりイケメンが苦しむ顔に性癖の扉が開いちゃった私だけど、初見で最高峰を見ちゃったからかキシュテムフェイスにはあんまり反応できなかった。まあこのタコも悪魔だからイケメンの範疇だと思うんだけど、なんかムカつく思い出しかないからか、自分でもびっくりするぐらい何も感じない。まだ心の整理がついてないから何ともいえないけど、暗黒海の貴公子ヴァンゲリス様とおんなじ引き出しに入ってしまったのかもしれない。
そのうちボトッと甲板に落ちて、悪魔キシュテムは魚市場で脱走したタコみたいに、ぺったんこになりながら地味に逃走を目論む。
今頃気づいたけど……このタコ、あのマストの天辺でキモくうねってる旗とおんなじだ。
初めから存在をアピールしてたんだね。もっと早く気づけば良かった。
歌が間奏に入って笛の音や弦楽器の音を思い浮かべると、タコ悪魔は甲高い断末魔を上げながら、シュルシュルと縮んでいってヘス卿のお身体に収納される。その勢いで、懐から盗まれた王冠が転がり出した。これを回収すればとりあえずオッケーなのかな?
しかし、それを見たチュレア様は短く言葉を発し、フワフワちゃんを動かした。
「タウオン、お行き!」
「ムー!」
え? こんな状態のヘス卿にトドメを刺しちゃうの?!
慌てて止めに入ろうとしたが、冷静に考えるとフワフワちゃんをどうにかできるのは勇者様か女公爵様だけだ。一方は私の枕になってしまっているし、もう一方は当の甥っ子ちゃんに命令をしたやべえ伯母さんである。
終わった……
いや、一瞬クソダーレン呼ばわりして、分子レベルまで消滅させてやりたいと思ったりしたけど、だいたいは悪魔のせいだったし……今はヘス卿のことをそこまで憎んではいない。
確かに私は……1回……いや、2回ほど殺されそうになった気はするので、許せるかっていうと微妙な気持ちだ。
でも、でもさ、こんなのオーバーキルだよ……フワフワちゃん!!
そんな白いフワフワの見た目して、酷いことしないでぇ!!
メキョッ……!!
「ちょ?!」
魔国の王子殿下が全力で踏み抜いたのは、由緒正しき魔国の初代王冠だった。
☆・・・☆・(★)・☆・・・☆
王冠が粉々に砕け散ると、青白い光が球状に広がって衝撃波が周囲のものを吹き飛ばした。
何だかわからないままに海に落ちて、私は勇者様に救出されて水面に顔を出す。
「ぷはっ!」
「大丈夫か?」
「何とか!」
さっきの……中性子線じゃないよね……? とっさに結界を張って防いだけど、全部ガードできたかは謎だ。
魔国の皆さんにとっては何てことないものかもしれないけど、私と勇者様は一応人間なので、どんな影響が出るか恐ろしい。
臨界……青白い光……うっ頭が……
「ムー! ムー!」
頭上の甲板からフワフワちゃんが顔を出して私たちを見つけてくれたので、縄梯子を下ろしてもらって船に戻る。
「ミドヴェルト様、どうぞ」
「ありがとうございま……あれ? マーヤークさん、もう起きて大丈夫なんですか?」
「ええ、おかげさまで全回復です」
タオルを渡してくれた執事さんがすっかり若返って服も綺麗になっていたので、思わず辺りを見回すと、思ったより爆発の被害は少ないようだった。
爆風だと思ったのは、勇者様の回避行動だったらしい。
「あの光は何となくヤバい気がしたからな。俺はともかく、お前は耐えられないと思ったのだ」
ベアトゥス様は、私の結界の弱点を見抜いていたらしく、防御より回避の選択をして海に飛び込んだのだった。
危機一髪……もしあれが放射線だとしたら、私の結界ではα線とβ線ぐらいしか防げなかっただろう。
っていうか、俺はともかくって……この筋肉勇者、放射線にも耐えられるのか……確かに、チュレア様の魔法攻撃も無効化できるなら、王冠の魔力も当然のように無効化しちゃうってこと? 何この勇者、クマムシかよ……
「ほかに被害を受けた船員さんとかは……いらっしゃらないんですか?」
「ええ、問題ございません。王冠の魔力は私が吸収いたしましたので」
笑顔でそう答える執事さんを見ながら、そういえばこの悪魔はチュレア女公爵様の超絶大魔法を押さえ込む係をしていたんだった、と思い至る。王冠の魔力で元に戻ったらしいけど……その魔力って、歴代の王様がコツコツ貯めてきたやつだよね? 魔国に返還する義務はないのだろうか……?
チュレア様のほうを見ると、また我関せずの態度であらぬ方向にお顔を向けていらっしゃる。女公爵様のお目溢しで、ボロボロの執事さんに魔力を譲渡してあげたのかな。爆発の被害を見事に押さえたマーヤークさんの役得ってことかもしれない。
まあこれまで長い間、ずっと無かったも同然の王冠なのだ。今さら行方がわからなくなっても誰も気にしないだろう。
少なくとも、あの事なかれ主義の王様と上層部の皆さんは気にしないはずだ。
それに、ヘス卿がだいぶ使い込んじゃってたしね。
たぶん、私の足首から悪魔が吸った分が少し補充されてただけだろう。
「はぁ……心配させないでくださいよ、もう……」
今度こそ全部丸く収まったと思って、私がため息をつくと、髪をタオルでワシャワシャと拭いた勇者様がニカっと笑って呑気なことを言う。
「何事にも動じないお前も、たまには焦るときがあるんだな!」
は?! ずっと焦りまくってましたけど?!
……あ、でもベアトゥス様の前では、確かに冷静なとこしか見せてなかったかも……?
いや、泣いたりしたよね……? 忘れられてるのか??
まいっか。深く考えても意味ないし。
たぶんこの筋肉勇者がいると、自然と安心しちゃうんだよね。
それに、放射線もイケるとなったら、もう心配ポイントゼロだし!
勇者様の心配はもうやめるわ。それより今心配なのは……
「そういえば……妖精王女様は……」
髪を乾かして軽く着替えた後、アイテールちゃんを探すと、妖精王女様は船室の壁に寄りかかってぼんやり床を見ていた。
なんか、アイコンタクトに協力してくれたから大丈夫かな?
なんて勝手に思ってたけど、やっぱり落ち込んでるよね……




