9.『秘密の恋』part 32.
「べ、ベアトゥス様……!?」
いつの間にか私の前にでっかい勇者様が立っている。いつ来たの?! ってぐらい唐突だけど、ヘス卿の手首をむんずと掴んで捻り上げている。
あ、安心感がスゴい……
ただ、不安要素があるとすれば、ものすごく怒ってらっしゃる。後ろ姿だから顔が見えないけど、なんか全体的に湯気が出てて殺気が凄いし、心なしか黒めのモヤが天に向かってるような感じで、会話できる状態だといいなぁ……なんてね、なんてね。また勇者様の目が赤く光ってたりしたらどうしようと思いながら、私はお声がけをしてみたのだった。ノーモア破壊衝動。
そんでもって、私が頑張って重ねがけした結界は、たぶん勇者様のせいでカゴ部屋ごと砕け散った。どんだけ……
「まったく、せっかく良いところでしたのに、一体何だというの? この人間の勇者ときたら……おや、ミドヴェルト、息災のようで何よりです」
「ムー!」
「ご無沙汰しております、チュレア様、フワフワちゃんも!」
私が勇者様の後ろから顔だけ出して様子を見ると、チュレア女公爵様は、やれやれといった感じで扇をパッと開きながら口元に当てている。その前を、弾むようにフワフワちゃんが駆けてきて、後ろから文官さんたちが素早く立ち回りながら女公爵様のドレスの裾を整えていた。……優秀か!
ヘス卿は、背後にいるチュレア様達を気にしながらも、ベアトゥス様から視線を逸らせないようだった。
形勢逆転ということでよろしいか?
正直、チュレア様が逆上して被害が出ないなら、こっちの勝ちみたいなもんだろう。……と思う。
でも、パワーバランスで圧倒したからといって、気を抜けない何かを感じる。ヘスダーレン卿は厳しい表情をしていたけど、冷静に勇者様に話しかけた。
「……手を離してくれんかね?」
「バカなこと考えるんじゃねえぞ、ジジイ」
投げ捨てるようにヘス卿の手首を離すと、勇者様はポヴェーリアさんのほうに顔を向けた。悪魔執事の前に立っているポヴェーリアさんは、苦々しい顔で一連のやり取りを見ていたが、ベアトゥス様に睨まれてゆっくり目を逸らした。
終わり……だよね?
私が勇者様の後ろから出ようとすると、なぜか片手でグイッと押し戻された。ま、まだなんかあるの??
「ベアトゥスよ、私との約束を覚えているか?」
「あ? それ今ここで言うことかよ」
勇者様の殺気が少し治まったようなので、私は大人しく二人の話を聞いていることにした。下手に動くと悪目立ちしそうだし、私の存在を極限まで消し去るには、まず動かないほうが良さそうだ。
「お前が人の心を理解できんのは、自分の心が理解できていないからだ。自分のことなどどうでも良いと思っていると、他人のことすら尊重できなくなってしまう。お前は罪悪感から逃れたいがために、その目が曇っていることに気づいていないのだ……」
「くっ……しかし俺はッ……!」
あれ? なんか刺さりまくってる……?
ヘス卿の言葉を聞いたベアトゥス様は、急にうまく反論できなくなって、なんだか混乱しているみたいだった。
「ベアトゥス様……!?」
「お前はこれから何を成す? 料理しかせず暮らすのか? いいのかそれで勇者よ……私の元でなら、お前の実力は有効に活用できるのだぞ? 思い切り挑戦してみることも、人生には必要だ……違うか? お前は言ったはずだ、私の側で学びたいと。それはまだ有効な契約だと思うが」
「俺は……違う、やめろ!」
こりゃマジーな……この筋肉勇者は豪放磊落ぶってるけど、本当はすごく小心者で真面目なのだ。一度こうと決めたら、いろいろと思い悩みながらも最後までやり遂げてしまう愚直さがある。だからこそ、勇者になれちゃうぐらい強くなったとも言えるけど。その代わり、道を踏み外すときは盛大に踏み外す。
それに、勇者様はご自分の立場をいつも明確に把握していて、意外と命令に忠実だったりする。そのせいで、メガラニカの先王との関係もグダグダ続けて、地竜討伐を断れないまま遂行してしまったのだろう。悲劇に繋がってしまったのは、この筋肉勇者に、理不尽をも飲み込んで実現させてしまう能力があったことだ。
私は、この脳筋勇者があまり得意ではなかったけど、やはり守ってあげなければいけないと思う。危なっかしいし、ヘス卿みたいなのに簡単についてっちゃうのはヤバ過ぎる。
チュレア様は、フワフワちゃんを抑えて動かない。
勇者様がどう出るか見極めようとしているのだろうか。この女公爵様は、何だかさっき遊び足りないようなことを言っていたので、ベアトゥス様が寝返ったら続きでも楽しもうと考えているのかもしれない。
でも、ここで私が反対意見を言って抑えに入っても、ベアトゥス様の反発が強まるだけだよなぁ……
やっぱり、この勇者様を自由にしてあげるほうがいいんだろうなぁ……とか何度も思ったけど……でも、現実世界で見聞きした、いろんな詐欺とか洗脳事件のパターンをしっかりレクチャーしてからだな! あと自分で作っておいて何だけど、変な宗教に取り込まれないようにちゃんと言わなきゃ! よく考えたら、私、勇者様に伝えたいことがいっぱいある。
それに……それに、もう苦手感ないっていうか……当たり前のように追いかけられて思い上がってたというか……寂しいと思ってしまった。やっぱり離れたくない。最初は適当に付き合って、誰か他の人に目移りしてもらったらソフトランディングで丁度いいかなと思っていた。でも実際に勇者様から婚約破棄されたとき、自分でもびっくりするぐらい落ち込んで、なんか……とにかくびっくりした。本当、びっくり以外の言葉がなくて。
いい歳こいて自分の気持ちもよくわからないなんて……でも私のほうが年上だからこそ、年下ちょっとなぁ……みたいな、自分への縛りみたいなのが、変に邪魔をしたというか……
あと、青髪悪魔のロンゲラップさんに対する憧れは、なんか芸能人に対する感情みたいなものってわかった。今だって、寝起きの寝癖姿とか、いろんな青髪大先生のオフショットをコレクションしたい。けど、実際に触れ合いたいかといわれると、なんだろう……想像もできない。
でも今、私の前にいるこの勇者は、なんか……すごく……逃したくない。
これは束縛なのだろうか? 勇者様は迷惑に思う?
何が正解かはわからないけど、私は正しい答えがほしいわけじゃないのだ。
ただ、わがままを言いたい。
「契約だったら! ……だったら私との約束だってまだ有効です!」
「……!」
ヘス卿に勇者様をとられたくない!
愛だの恋だのじゃなくて、ただ譲りたくないと思った。この気持ちだけは負けたくなかった。
とはいえ、なんかハグして拒否されたら怖いので、勇者様の背中の腰ベルトみたいなところをとにかく握りしめる。
大丈夫かな? ここ持って……
裾か? 女子力アピールなら服の裾を持つべきだったかもしれない。でもそんなことより!
「一生……私の側にいてください!!」
「いい……のか?」
ベアトゥス様は、おそるおそる振り返って私と目を合わせる。
駄目押しが必要か? だったら本音ぶつけたる!!
「これからも、ずっと! ベアトゥス様のご飯が食べたいです!」
そう、ご飯は大事です!
どんなに強欲と言われても、これだけは譲れないもんね!!
ヘス卿はどうせ食にこだわりねーだろそんなに。ベアトゥス様の超絶激うまメニュー残したの知ってんだかんな!!
知らず知らずのうちに目立ってしまったが、取り敢えずそこまで剣呑な空気ではないっぽいので、私は勇者様の後ろにササっと隠れ直した。
「は、ははは……これはまいった」
そう言って額に手をやるヘスダーレン卿の懐が金色に光って、契約書のものらしき魔法陣が浮かぶ。
みんなが見守る中、ゆっくり空に向かってふわりと持ち上がったそれは、パリーンと粉々に消え去った。
これは……ヘス卿と勇者様の契約が解消されたということでよろしいか?
そんなことを思っていたせいか、少し油断があったのかもしれない。
「ポヴェーリアよ……頼む」
「承知いたしました」
ヘス卿の低い声が響いたかと思うと、ポヴェーリアさんがとんでもないスピードで抜刀しながら、ファレリ帝国の賢王へと切り掛かった。
キィィイィィンッ……!!
「……愚か者が」




