A2
病気が癒えまして、加速度的に調子を上げるつもりでございます。
見事なまでに、みんな、思考力が抜きん出たものたちのワナにはまってしまっている。遠くから見れば、滑稽にさえ思える。
思考力が高いと社会に溶け込みにくいが、程度を超えて高いと、『圧倒的力』で、社会の頂点に君臨する。
彼らのその思考力を『超思考力』と考えよう。超思考力は超能力でもある。思考力が高いため、行動力も高い。ホリエモンはその典型である。彼が起業したときは、すでにインターネットは有名どころで固められていたらしい。だから、新たに入り込むのは極めて難しいのだが、壁を見事に越えてしまった。最終的に不正をしてしまったが、すでに確立されていた世界で、かなり高い地位(もちろん、すでに確立していた会社に比べれば低いが)を獲得したのだから、それだけで、とてつもない偉業を成し遂げたといえる。
すでに確立したものを乗っ取る難しさはどれほどのものなのだろう。例えば、食材といえば築地だが、築地があるところで、『築地を越える市場』を作ることは不可能に近い。なぜなら、すでに築地にはたくさんの食材を提供してくれる業者があるし、消費者も築地の知名度を知っている。それを覆すために、新しい市場が『築地以上』である論理を国民にふっかけたところで、思考力の低い国民は『でも、築地は有名で、歴史もあるし』と考えるだけで、ろくに聞かない。
馬鹿を扱うのは難しいことが伺える。むしろ、天才のほうが動かしやすいぐらいである。だが、もし、国民の思考力が上がり、国民が論理を完全に飲み込んで、『こっちのほうが得だし、新鮮じゃん』ということに気付けば、ついに乗っ取り成功もありえる。
だが、そのためには国民の思考力が上がらなければならず、上げる努力が必要である。新たに企業しようとしている人は少ないが、その人たちは『従来のものより良いという論理』は持っていることだろう。後はそれをいかに国民に伝えるかである。
超思考力というのは、頭のよさというより、『馬鹿を騙す器用さ』という言い方が適切かもしれない。
ポイント
1、いかなる論理も、ミーハーには通用しない
2、新たに参入しようとしている人は論理をいかに通すかを考える必要がある
革命を起こすことは可能か?
徳政令、バブルなど、革命は実際に行われた。近代で可能なのか。残念ながら不可能である。なぜなら、生活が安定している点と国際化が進んだ点があるからだ。
革命というのは『不満』がなければ起こらない。この安定した国で『飢餓』になるものはほんのわずかだ。それでは『革命派』が興るはずがない。
もし、私が政治家なら、『個人の最大年収を1000万円にし、それに家族数や疾患者などを考慮し、最大値を変動させる』といった具合にする。また会社の利益も制限し、『一部が大きくなりすぎない』ようにする。『人権』があるので、不可能だが、これが最も適切な方法だ。利益を溜め込んでおかなければ、会社は非常事態に大変なことになるが、そこは『国が援助する』とすればいいわけだ。経営学の書物を読んでみると、奥が深いことに気付く。俺の知らなかったことを色々と考えなければならないのだ。そうすることでまだまだたくさん問題が出てくるのだが、その問題の多くが経営の持続に関して言えば、解決可能なレベルなのだ。資産を制限すると、経済格差が埋まる。倫理的干渉が絶えなくなるが、人間と言うのは平均から裕福か否かを検討する。
子供の欲求不満の多くは『周囲の子供がみんな持っているのに、自分は以下略』から来るものだ。そして、そこからの連鎖だ。
また、大人の欲求不満は『劣等感』の解消と『優越感』の獲得が出来ないところにある。相手からよく見られたいというレベルだ。
だいたい、普通の年収なら、『酒』も『煙草』も普通に買えるはずだ。暴飲、暴煙などが無い限りは。さらに、趣味にかなりたくさんのお金を費やせるし、子供の養育も可能だ。それ以上がほしいのは『周囲』との格差を感じてのものだ。
それを解決するのが、『経済格差』の消滅だ。劣等感さえなくなれば『確実に犯罪は減る』だろう。だが、この方法を取ると、経営のレベルに話を制限しても、『企業側』は痛手を被る。社長と従業員の給料が同じということになれば、出世の意味はないが、そもそも『経営』のレベルで話をすると、社長は不要だ。それぞれ、必要な仕事をこなせばそれでいいのだ。
国際的なものも視野に入れると、混乱は圧倒的だ。海外支店にも例外なく影響を及ぼすし、輸出入にも影響が出る。最大値以上に利益に繋がらないのなら、多く作る必要がない。すると、供給が追いつかなくなる可能性も出てくる。
だが、お金が分配され、企業がその分増えるからさほど問題になることもないかもしれない。
革命を行ったとしても、それに慣れれば、また国民は不平を言うようになる。つまり、革命に成功しても、幸せは長く続かないのだ。人間の欲とはそういうものである。
これらが人間の相対性である。相対性を考慮すると、『必ずしも景気を回復させる必要がない』ことが分かる。基準があがれば、また同じことになるのだ。『革命』を繰り返して、国民が慣れた頃に革命といった感じが、国民を飽きさせず、行動的にしておく唯一の鍵だ。蟻が働きものなのは『環境』がとめどなく変わるからなのかもしれない。彼らは巣が壊れるたび、生きるために働かなければならないのだ。
人間も生きるために働かなければならないが、会社に鎖を繋ぐことを基本にしているので、生きるか死ぬかというレベルの話にはならず、蟻のような悲壮感はないはずだ。
二章 恋愛と相性
まず、断っておくと、恋愛というのは『顔』が最も重要である。顔が悪いほど、恋愛に発展しない。大半の人はまず『顔』を見て、足きり突破か否かを決定する。
足きり点は、相手のステータスで下がることもある。例えば、財力など。財力が並なら、顔がセンター試験になり、性格などが2次試験になる。
顔で突破できるかが鍵
相手の顔がいいほど、相手は『足きり』を高く設定する。これは異性にもてるため、足きりを高くしても、相手が引く手あまただからである。
そこで、顔に自信がないものは、相手の容姿を見て、自分につりあうかどうかを決めないといけない。顔が悪くなると、異性にもてなくなり、足きりを高く出来ないのだ。
つまり、顔のレベルが低いほど、足きりを突破しやすい。作者の場合、顔のレベルが低く、かなり足きりを低く定めている相手しかストライクゾーンに入ってこないが、対人恐怖症を持っているため、『ほぼすべての異性』に対して、足きりを突破できなくなっている。これは不能と同じ状態といえる。
顔がかなり低くても、足きりを突破できる異性はいる。もちろん、悪魔合体の事故のごとく、足きりの高い相手が顔のレベルの低いものとくっつくこともある。だが、それはトンネル効果だ。突破できない壁を天文学的確率で越えてきただけのことなのだ。だから、そんな期待は持たないほうがいい。
足きりを突破できると思えば、話かける勇気が必要だ。そこで、テクニックを使う必要がある。
足きりを突破できるかを確かめた後は、相手の情報を手に入れる
くどいようで、何度も言うが、足きりを突破できない相手を突破するというキューピッドみたいな真似はとても出来ない。足きりされないだろうという相手に的を絞ること。そうしないと何も始まらない。
恋愛の本をいくらか読んだと言っても、恋愛したいためではなく、面白そうだから読んだのだ。よく、アニメなどだと、『そんな本に頼らず以下略』となっているが、実にいいことが書いてある。忠実に実行する難しさを克服すれば、かなりいいことが書いてある。
いくつか読んで分かったことだが、心理学以上に、情報と相性が重要だということだ。まともな著者が書いている本には『まず、自分の容姿をよしとする相手を見つけること』が最初というようなことが書いてある。そう、どんな可愛い彼女もメロメロなんていうのは現実から目を逸らした空想なのだ。まともな著者は『自分の容姿をよしとしてくれる相手というのは学生生活や仕事を通して、だいたい分かるはずだ』と言っている。確かにそれは分かる。あからさまに不可能だなと思える相手と言うのは見ていればだいたい分かる。
そして、それが分からないのなら、『恋愛ハウツー本』は何の意味も持たない。ハウツー本はけっこう真面目だ。まず、自分の容姿をよしとしてくれる相手を見つけ出す。これを出来ないようでは、『恋愛は不可能』とはっきり言っている。
見つけた後は情報を集めるわけだ。情報を集める理由は『会話の話題』のためなどではない。『相性』を考慮しておくためだ。
本当にくどいようだが、容姿の段階でアウトだと、『情報を集める意味はない』ので注意。また相手に彼氏がいても、『容姿をよしとしてくれる』なら、彼氏を出し抜くことは不可能ではない。
さて、情報を集めるのは『相性』を知るためだが、それはどういう意味なのか。ハウツー本を読めば分かるのだが、ハウツー本は少々難しく書かれすぎている。たぶんだが、こういう本で恩恵を得られなかった人は『内容をきちんと理解できなかった』場合と『実践の場で、てんぱってしまった』場合だ。ハウツー本は想像以上に鋭く、即戦力になることが書かれている。とはいえ、最近はセックスに辿り着くまでを主眼にしているものがほとんどだから、その気がないなら、本を選ばないといけない。
情報を集めて、相性を知れば、分類を始める
断っておくと、男が女を口説くことを主眼にしているので、男視点になる。女を大分類すると、『積極型A』『積極型B』『内向型A』『内向型B』『内向型C』に分類される。
『積極型A』とは友人関係を重視するタイプで、なおかつ積極的なタイプだ。このタイプが一番難しいといわれている。このタイプは『相手に飽きたら別れる』というようなタイプだ。そしてそれを友人に『もと彼なんだけどさあ、以下略』と言って、話の話題にする。なお、これに当たった場合の対抗手段を書いた本は少ないながらある。それを読むべきだが、私の研究で語ると、このタイプは『十代では攻略が不可能』だと考えられる。なぜなら、この積極型Aは遊び半分で付き合うからだ。つまり、相手は軽いノリなのだ。最初から別れるつもりでいる可能性がある。これを落とすのはもはや不可能に近いかもしれない。
『積極型B』とは友人とは比較的話をするが、『恋愛』を真面目に考えるタイプだ。積極型Aとの分別方法は『Aは男に積極的に話をするが、Bは男には安易に話をしない』『Aはふざけていれば、そのままふざけているが、Bはふざけているように見えても、勉強などを真面目にして、比較的頭がいい』『Aは髪を染めたり、ピアスをつけたりするが、Bは校則を守るし、安易に自分の容姿に傷をつけない』『Aは授業中や仕事中にもぺちゃくちゃと話をするが、Bは隣と勉強の相談をするぐらいで、基本は勉強や仕事に集中する』などだ。そして、Bは攻略しやすい。『積極型Bに分類された場合、あなたが、内向的か積極的かに関わらず、あなたは積極的に相手を引っ張るべきである』
これは積極的型Bは相手に依存したくなる傾向が見られるためである。だが、相手がまったく入り込めないように引っ張るのではなく、話題の提起をあなたのほうから行うという意味である。そして、相手の言葉を受けるときは、地面を硬くする。
例
足きりは突破できている。そして、積極型Bだと分かれば、行動開始。きっかけを作る必要があるが、自然なきっかけで、自分から問題提起しやすいきっかけを作り出すことが重要である。くどいようだが、積極型Bに、受け身はタブーである。相手が積極的だからと言って、受け身になると、相手は話すことに苦痛になりやすい。
高校生なら、きっかけは作りやすいかもしれない。掃除当番が一緒になって、対象が一人になったときはチャンスと見るべきだ。
『ほうきを片付けておくよ』は悪い例である。なぜなら、『ありがとう』で会話が切れてしまうからだ。会話が切れると、きっかけは失敗になる。
『肩にゴミがついている』はベタ過ぎるぞ。
『カエルを持ち込んで自作自演』はアニメのようにうまくはいかないぞ。
『ちょっと話をしないか?』はいきなり話を持ちかけられて、相手が戸惑うぞ。
『さりげなくぶつかる』はごめんの一言で終わってしまうぞ。
ハウツー本を読んでいないと、きっかけを活かすことはまず出来ない。俺の研究結果を最大限に活かしたこのとき、最も適切なきっかけつくりとは?
『間接的に矢を打ち込める』という利点を持つ『遠方から、さりげなく相手に気付かれるように見つめる』だ。
本当にくどいようだが、容姿が相手の足きりに届いていることが前提だ。遠方から相手を見て、相手と目が合ったら、わざとっぽく目を逸らす。
『相手に自分の気があること』を相手に伝える。これで、相手に間接的に思いを伝えたことになる。アニメみたいに『ジロジロ見つめてキモイ』なんてことはまずない。現実はそうではない。『容姿が足きりに届いている相手に好意を持たれる』ことを嫌う異性は『非常に少ない』からだ。
さて、これで、相手に自分を意識させれば、次は会話を成り立たせやすくなる。逆にこれがないと会話は難しい。
次はさりげなく『ほうきを片付けておくよ』と言える。なぜなら、第一の矢で相手の意識を自分に傾けているからだ。それがないなら、ありがとうの一言で終わる。それがあると、ありがとうの一言で終わっても、『好感度が非常に高く上がる』。そんな簡単な会話を積極的に続けると、相手も乗ってくるようになる。乗ってこなければ『失敗』ということであきらめよう。
乗ってくれば、アニメやドラマみたいに、あんな告白シーンはまずない。自然と話すようになっている。話すようになっているということは七割で、告白はオッケーをもらえるということだし、話が出来るということはそれなりに相性がいいということだ。積極型Bを攻略するには自分から積極的に出ることが重要である。
『内向型A』は大人しく、異性とはまったく会話をしないタイプである。なお、原則として、積極型より、内向型のほうが『異性に対する興味関心』は強いということも覚えておきたい。例外はもちろんあるが。これは、内向型は会話に臆病なので、異性との会話が非常にレアなものになっているため。
内向型はいずれも積極型Aのように不可能というものはない。内向型Aを攻略するには『相手に自分を安心して話せる相手』と思わせることからはじめ、『相手に主導権を取らせる』ことが原則である。内向型なのに、内向的に攻めることを不自然に思うものもいるかもしれないが、恋愛においては、積極型には積極的に、内向型には内向的に攻めるのは原則である。これは、内向型は自分が優位に立てる状態という経験がなく、それが出来る相手を非常に好意的に見るためである。
だから、内向型を相手にするときは『へたれ』でないといけない。
例
内向型というのは、大概、少人数で友人と一緒にいる。積極的な友人の中で浮いている状態もある。そのときはチャンスである。
とはいえ、最初に矢を打ち込むのは積極型と同じだ。問題はその後である。内向型の場合、積極的に話しにいけない。なぜなら、相手は異性との会話経験が非常に少ない。だから、安心して話せるところを示すように、下手から会話に望まなければならない。『ほうきを片付けておくよ』ではなく、『ほうき……なおしてくるよ』のほうがいい。
何とか近づいても、積極型と違い、進展が遅い場合もある。相手が安心するまで、繰り返し、会話を続けないといけない。そのとき、相手に『無理やり気遣っている』ところを悟られてはいけない。相手が話やすいように、相手の言ったことに対して、すべて答えること。まあ、最初は授業の話題などを話せばいい。相手から話をしてくれるようになっていたら、ほぼ八割以上で、告白は成功する。
『内向型B』は作者の最も理想とする型であるが、絶滅の近いタイプである。内向的だが、非常に真面目で、面倒見のいい家庭的少女。しかし、ここまでのステータスをかねそろえた女の子が現実にいるかどうかは疑問である。
内向型Bを攻略することにすべてをかけていた作者だが、現実にそんな女の子がいるなんてことを今までに聞いたことがない。内向型Aとの分別方法は『Aは複数の友人に取り込まれているが、Bは仲のいい友人が一人、または多くても二人でそれ以外に友人を作っていない(友人を大切にするためだろう)』『Aは輪の中で常に受け身だが、Bは主導権を持っている』『Aは異性に話しかけないが、Bは気を遣ってくれる。(掃除のときなどで一緒になると、ほうきを片付けてくれたりする)』などがある。
この型は女として、完璧だが、内向型なので、苦手なものもいるかもしれない。攻略方法は内向型Aと同じでいいと思われるが、相手が世話を焼きやすいように、比較的ドジな状態でいるほうがいいかもしれない。内向型Bのすごいところは『世話を焼くことを面倒くさいことと考えない』点だ。
親しくなって、自分のためにお弁当を作ってきてくれるようになったら、八割以上で告白に成功する。しかし、女の子にお弁当を作ってきてもらうなんていう展開が現実世界で絶滅せず残っているのだろうか。女性の社会進出とか、女性の権利が強くなってきたためか、ますます、家庭的少女は絶滅の方向に追いやられてきているが、絶滅しないでほしい。
『まじキモイんだけど、以下略』『フウテンとかガガガギャル』みたいな女ばかりになると、俺はもう涙を流してしまう。
『内向型C』は内向型で最も攻略の難しいタイプだ。通称『プライド型』のこのタイプは上品で周囲を見下している感じがある。お嬢様タイプとでも言うべきか。非常に真面目で大人しいが、異性を入り込ませないオーラを持っている。
攻略が難しく、確率的な話になる。積極型同様、矢を撃ち込むが、そこからの進展が難しい。強引に引っ張らないといけないこともある。
その理由としては、普通の内向型なら、矢を撃ち込んだときに、かなり動揺するのだが、この型は動揺しない。それが問題なのだろう。
攻略した後、女の子と一線を越えるまで
恋愛が成就しても、破局すれば意味がない。破局しないようにするためには、相手に自分と会話をすることを苦痛に思わせない工夫と、緊張を持続させる工夫が必要だ。とはいえ、最近は恋愛成就が一日、成就と同時に肉体関係というのも普通らしい。初体験年齢が何と18歳ぐらいでも普通だという。平均は20歳以下だというから16や17もありえるということだろう。雑誌を見ると、15とか16と書かれている場合が多い。(本当かどうかは分からない)
ここまで早いと恋愛成就に一週間かかるというのはもう遅いことなのかもしれない。親に聞いたことだが、一昔前はお見合いをして、半年交際をして、やっとなんぼのもんとなるらしい。昔は恋愛に対して相当硬かったらしい。だが、今、親がよく結婚式に行くが、職場で結婚したという話のほとんどが『お見合い』ではなく『適当に知り合った野合』らしいのだ。つまり、お見合いというのはほぼなくなって、確率的なきっかけで知り合って、そっこうで関係が進み、形式とかそういうものはもはや死語というわけだ。
とすると、漫画やゲームのような段階は現実離れしているというか、漫画やゲームが現実離れしていなければ、現実データを反映したシミュレーションをやればいいだけの話だ。
とにかく、現代は相手を一緒にいることで苦痛にさせない努力を続けるだけでいいことになる。だが、最近は破局ニュースが増えた気がする。
苦痛にさせない方法
人間の相対性より、絶対的方法はない。会話を例に取ると、
『会話が上手い』というのは『相手に話しやすい状態をつくる』ことであって、『自分が話すことではない』という鉄則がある。
例 相手は内向型B(以下B)とする。
B『あの、どんな料理がお好きですか?』
下手な反応
自分『君の作ったものなら何でも』 親切に見えるが……
B『そうですか……』 ……何を作ればいいのか、迷ってしまう。内向型なので、さらに聞こうという勇気がない。会話がストップしてしまいやすい。
上手い反応
自分『そうだなぁ、色々あるんだけど、エビフライかな』 断定し、なおかつ庶民的なものを選択する。(エビフライが庶民的かどうかは住んでいる地方にもよる)
B『エビフライですか。今度ご馳走しようと思います』 笑顔で答えてくれる。この後、『ほんとに? ありがとう』などと返すとなおいい。
B『さっきのテスト、自信ないです。○○君はどうだった?』
下手な反応
自分『僕もダメだったな』 ここまでならいいんだけど、
B『難しかったですよね。平均点何点ぐらいかな』 相手は話を膨らませる
自分『50点ぐらいかな』 これもまあいいんだ。
B『私、それより低いかも』 相手の反応
自分『僕もたぶん低いよ』 同じように同調
B――……。 まるで、自分に合わせて、頷いているだけのよう。Bは気分を害する可能性もある。
上手い反応
自分『僕もダメだったな』 ここまでならいいんだけど、
B『難しかったですよね。平均点何点ぐらいかな』 相手は話を膨らませる
自分『50点ぐらいかな』 これもまあいいんだ。
B『私、それより低いかも』 相手の反応
自分『じゃあ、○○と仲間かな、僕も』 同じ同調でも、調子を変えると、相手に届く効果が変わる。なお、この場合は頭を撫でることも可能だが、この時代、頭を撫でる男がそういるとは思えない。
B『クッキーを焼いてきました。どうぞ』
下手な反応
自分『すごくおいしいよ』 ここまではいい
B『本当? 甘すぎたりしない?』 お決まりの発現
自分『うん、ちょうどいいよ』 これもお決まり
B『そっか、良かった』 これもお決まりの安堵
自分『○○も食べたら?』 これは、食べるのが苦痛だからと言っているように
B『え、うん……』 相手はまず、相手に食べてもらえるように作ってきている。食べてもらうことがすべてだが、そういわれると、気分を害することもある。
上手い反応
自分『すごくおいしいよ』 ここまではいい
B『本当? 甘すぎたりしない?』 お決まりの発現
自分『うん、ちょうどいいよ』 これもお決まり
B『そっか、良かった』 これもお決まりの安堵
自分『すごいなぁ、こんな上手に作れるなんて』 同じ相手の気遣いだが、内向型はこっちのほうがいい場合が多い。
B『ちょっと練習したから』 お決まりだとここで相手がてれる。
自分『ありがと』 頭を撫でるか、キスをするチャンスだが、そんなベタな男がいるとは思えない。
B『あう、蜂に刺された』
下手な反応
自分『大丈夫?』 当然の訊きかた。しかし、大丈夫でないから、Bは言ったわけだから
B『痛い』 スズメバチなら病院送りだが
自分『我慢出来そう?』 おいおい……。
B『う、うん』 内向型だから、我慢できないとは答えにくいのだ。すると、気分を害するだけでなく、痛みを感じ続けなければならない。
上手い反応
自分『どこ、見せて』 こちのほうが相手に伝わりやすい。
B『ここの腕』 あしながバチなら、自然治癒出来る。
自分『家、戻ろっか。すぐだから』 相手を気遣う気持ちを伝えるためには、有無を言わせないほうがいい。だが、病院は大げさすぎるぞ。(スズメバチならソッコウ病院だが)
B『うん、ごめんね』 まあ、八割はこう帰ってくるだろう。気にしないでとか言っちゃって、頭を撫でたり、キスしたりするんだが、そんな男が本当に現実にいるのか、おい。
たいして、面白い話をする必要はないと思われる。とにかく、相手に反応させやすく、また、苦痛にさせないように反応することが大切だと思われる。
結婚まで発展させる
結婚となると、家族を持つというレベルになる。恋愛が発展すると、当然、結婚になる。現在では初めての恋愛が結婚に発展することはまずない。そりゃそうだ。結婚になると、プラトニックラブ遊びではないわけだ。子供が生まれるし、養いしつけもしないといけない。しつけの論理を持っておかなければならないし、お金もかかる。とにかく、家庭のために忙しくなる。子供を養える経済力と子育ての論理を身につけておかないといけない。間違っても離婚はするな。もちろん、離婚しなければ、子供が逆にヤバイなら仕方ないが、そうならないように、まともな結婚生活を送っておけということだろう。夫婦の仲が悪いとか浮気ぐらいでは別れるな。(子供がいる場合)
離婚すると、子供に負担がかかりすぎる。離婚だなんて、まあ、みっともないと世間体が騒ぐわけだ。
そこで、結婚というのは、性欲の歯止めがかなり重要になってくる。性欲に任せて、進めない領域である。落ち着いて、将来を見据えないといけない。結婚まで上り詰めるためには、恋愛という壁を越えておく必要がある(政略結婚などは別)わけで、そこにすら到達できないものは結婚など到底出来ないわけだ。どうすれば結婚できるかが分かっていても、容姿の足きりに遭っているものも多い。容姿だけは整形でもしない限りなおらないし、整形する金もないし、整形しても、その事実は残るから、もとの容姿で頑張るほかない。しかしもとの容姿ではダメ。そういうわけで、結婚できないものもいれば、容姿が一定水準なのに、2次試験を突破できないものがいる。
2次試験は努力だ。センター試験は才能。だから、足きり合格したものは、何とでもなるのだ。なお、人類にはほんのわずか、すべての足きりに落ちるものがいるだろう。たぶん、俺はその一人だ。
結婚まで進めば、後は自分好みに子供をしつけしていけるわけだ。子育ては人間を作り上げる作業に同義だから、ものすごく重要で、『性格』を決定付けるのは親だ。子供が何か苦痛を覚えていたら、親は助けてあげなければならない。
にきびには気をつけろ! 兆候があり次第、莫大な金を払ってでも、食い止めろ!
経験があるからこそ言っておく。にきびは『魔王難病』『魔王生活習慣病』などと引けを取らないほど強力な『魔王』だ。メガテンifのチェフェイに似ている気がする。対したことのないものもあるが、最高段階のものは耐久性が高く、かなり厄介な呪いを使ってくる。これを受けると、『容姿』のレベルは数百分の一まで減らされるおそれもあるし、精神を粉々に破壊される。体も心もボロボロの穴だらけになるまで、犯される。これが『魔王にきび』だ。その恐ろしさは体験するべきではない。女なら自殺ものだし、男でも図太い連中でなければ、もう二度と外に出たいなんて思わなくなる。
それは突然やってきた。何度も言うが、親が気付いて、そっこう何とかさせるべきだ。ほんの少しでも兆候が出れば、もうすぐさま、難病にかかったと思うがごとく病院へゴーだ。そのためなら学校を休ませてもいい。容姿と心を同時に破壊されるよりマシだ。しかも、ガンだと周りから同情されるが、にきびは『周りは馬鹿にするばかりだ』
ということは、見方によれば、『ガン』などよりたちが悪いかもしれない。心も顔もズタズタにされ、そして、同情もない。連中はただ馬鹿にする限り。
ここまで恐ろしい病気なのだ。
俺は中二のときに始まった。しかも、8段階目のチェフェイ級に進化してしまった。五百円玉が顔に張り付き、しかも尋常でない痛みを発するのだ。もはやにきびかどうかも分からない。まるで腫瘍が顔に出来たみたいだった。
そして、その激痛は顔よりむしろ心に響く。『お前、人間じゃねえ』『エイリアンだな』と人間としてさえ見られなくなるわけだ。にきびは肉体的苦痛より、精神的苦痛のほうが厳しい。なお、にきびが出来ているときにベンチプレスなどを頑張ると、にきびが破裂して、流血するので注意。
にきびは顔を乗っ取って、要塞をいたるところに作ったのだが、顔だけでは満足できないらしく、肩や胸に出来た。ここは見えないからマシだ。俺の場合、にきびが賢かった。どこに要塞を作れば。この母体は傷つくだろうか……。
あった! ここだ! とにきびの司令官は思ったのだろう。頭だ。そして、これは華麗なるコンボを見せてきやがった。
俺はこのときはじめて『にきびって頭いい……』と思った。菌が繁殖して出来るから、頭がいいのは菌だな。
この菌、頭がよくて、頭ににきびを作りやがった。そうすると、何と、そこから髪の毛が抜けていくではないか。味を占めた菌は頭のいたるところに五百円玉を乗せていき、髪の毛を引き抜いていき、そして、何年も居座りやがった。
しかも、にきびは『ガン』などと違って、誰も同情しないから、苦痛は加速度的に増していき、女だったら死んでるなと思った。それだけ魔王は強かった。
これは本当に強かった。中学から大学まで、六、七年間も居座った病魔だった。その六年間で、俺の心はもう食べるところがないまで食べつくされた。すげえ、にきびって『コンボ』も発動するし、『単体でもしぶとい』し、もうパワーと技術をかねそろえた悪魔だ。こんな悪魔に襲われたら、人生もうめちゃくちゃだ。
にきびを倒すには金を惜しむな
さて、俺は現在、少なくとも500円玉はない。かなり跡は残っているが、五百円の大きなにきびはほぼすべて消え去った。
言っておく。自分の力だけでにきびを倒すのは絶対無理だ。一人でアタックしても、簡単にやられてしまう。強力な武器を手に入れて、それで容赦なく攻撃しないとやつにダメージを与えることは出来ない。俺は500円の要塞をすべて破壊し、残骸の山だけにしたのだが、そのときに使ったのはアルテマウェポンとラグナロク級の武器だ。それぐらいを導入しないとまず勝ち目はない。
ひとつは『プロアクティブ』だ。これは宣伝でもあるが、その効果は恐るべきものがある。理論的には詳しくは分からないが、菌の繁殖を止め、皮脂が毛穴を詰めないようにする働きを持っているのだろう。これが効かないということは『皮脂が分泌して菌が繁殖する』という従来のにきびのメカニズムとは違うメカニズムでにきびが出来ているか、皮膚が特殊で合わなかったからか、正しい使用法や保存法をしていないかなどだろう。
もうひとつは『少食断食療法』で、俺は甲田光雄先生のものを使った。俺も少食法に魅せられ、医学と少食断食を論理的に考えていたのだが、少食は理に適っている。俺はネットで買ったのだが、『少食にして、栄養失調になりました。合わない人もいます』とレビューがあった。しかし、それは単に『栄養学』に反しているからではないのだろうか。
そもそも、少食にするのは人間のホルモンが低血糖に耐えるように出来ているからだと俺は解釈している。それなのに、1日に3食も食べるから、食べすぎなのだ。2食にすると、栄養の吸収率が上がる。ということは食事量はさらに減る。無駄な代謝がなくなり、身体に負担がかからない。そして、『ビタミンC』を不足させないように、柿茶を取るように指示してあるし、塩分を適量取ること、さらに各種ミネラル、野菜による食物繊維やビタミン類、豆腐から植物性たんぱく質などきちんと取るように指示してある。それらを守らなければ、栄養失調になるかもしれない。そりゃ、戦時中みたいなことをしていたら栄養失調になる。でも少食はきちんと栄養を取るように書いてある。そして、適切な量もきちんと書いてある。
断食では、それが健康にいいメカニズムも書いてあるし、『気をつける』べきこともきちんと書いてあった。断食中にどういった症状が出るかも書いてあったし、ふらついたときに対処法も書いてある。全部守った上で、良い結果が出るということなのだ。
この二刀流で魔王にきびを黙らせたのだが、最近は家族と一緒に食事を取っており、家族は栄養学も医学も、その知識がないし、本を読む意欲も理解力もないから、食事は不健康なものになってしまっている。そろそろ、本腰入れて、健康に気をつけないといけないといけない。
最近、爪が下半分が砕けて、真っ白になっているけど、これなんかやばいんじゃないかと思っている。
そういうわけで、健康のためにも、少食は必要なのだが、弱くなった日本人が食欲を我慢するのは難しいかもしれない。だが、俺は魔王にきびと戦うため弱さを見せるわけにはいかなかった。これらの二刀流で、ついににきびを緩和させることに成功した。
このように苦労をしてでも、にきびは撃退するべき。俺は遅すぎたので、跡が残ったが、早ければほとんど跡を残さず、撃退出来るぞ。
なお、俺は自慰行為も禁止していたが、『掲示板で言われているような効果』は全くなかった。にきびは自慰行為に関わらず、発生するし、顔が中性的になることもなく、集中力も上がらず、むしろ、集中力は損なわれたような気がする。
ただひとつ効果があるとすれば睡眠時間が少なくなったこと。いつもより早く目が開く。しかし、時間が経つとそれすらなくなってくる。理屈としては射精を止めることで、男性ホルモンの分泌量を下げようというものなのだろうが、そう簡単に分泌量が減ってはくれないということなのだろう。
にきびさえ克服すれば、容姿で足きりされることもそうそうなくなる。
太ったらダイエット。俺流のバーニングセットを使えばまず減る。
俺も最近太っている。家族と食事をしていると、カロリーが上がるし、家にいると、運動する機会もなくなった。
太ると、容姿のレベルが下がるので、足きりされやすくなる。体質によってはものすごく吸収が良かったり、代謝が低かったりで、太りやすい場合もある。例えば、人より一日の代謝が300カロリー少なければ、同じ量を食べても、半年で何と五キロ以上も体重に差が出てくるという計算になる。
俺のバーニングセットは代謝を高めるためのものだ。そして有酸素運動を別に行う必要がないというものだ。初代バーニングセットは微妙だったのだが、新型のバーニングセットは一般化されていい感じである。
バーニングセットは各部位を週に2回鍛える。(高負荷と低負荷)
例えば、
月 胸、上腕二、上腕三(高負荷)
火 背、足(高負荷)
水 肩、下腿(高負荷)
木 トレーニングなし
金 胸、上腕二、上腕三(低負荷)
土 背、足(低負荷)
日 肩、下腿(低負荷)
こんな感じだ。そして、やるべきトレーニングは以下の通り。→は1分のインターバルを示す。
胸 ベンチプレス 3~5ROM→12~15ROM→超低負荷で50回
上腕二、上腕三 バーベルカールやフレンチプレス 3~5ROM→12~15ROM→超低負荷で50回(交互に行う。いわばスーパーセットの連続系)
胸と腕のトレーニングの移り目に、ステップアップを2分間実施する。
種目は何でもいいのだが、メジャーなもの。これでトレーニングは30分ほど。無駄に時間をかけてウォーキングするよりはるかに効果があるのだが、器具がない人は、胸を鍛えるトレーニングは椅子やベッドを用いる必要がある。紙袋か使った米袋に水を入れたペットポトルを入れると、バーベルカールやデッドリフト、スクワットは可能になる。ダイエットだからと言って、大量に有酸素運動をするのはどうかと思う。何か、すごい時間がかかりそうな気がする。
ダイエットの食事
バーニングセットの効果を最大限に活かすためには、食事も変えないといけない。自分の体を実験対象にして、色々なことが分かってきた。
『たんぱく質は炭水化物と一緒に取らないと効果が薄い』
『食事回数は5回が適切』
『カロリーは、体重キログラムをWとして、20Wキロカロリーが適切』
『20Wのうち、三分の一がたんぱく質、脂質は六分の一よりやや多いと感じるぐらい。他はたんぱく質』
トレーニングは可能な限り短い時間にまとめる、食事は分散する。この二つを守れば、まず大丈夫だ。今、身長173センチにして、体重が63になって太ってきた。適正体重の56まで落とすため、今から、バーニングセットを試してみます。何日でどれぐらい落ちて、衰えた筋肉が戻るかを確かめる。バーニングセットはまだまだ改善の余地がある。もっと短縮できないか。
これらはすべて足きり突破のためのものです。足きりが突破できるのなら、もはや必要もない。にきびもなく太っていない人なら、まず足きりは突破できる気がする。(無茶なレベルを狙わない限り)
足きり以前に、結婚しない人が増えているらしい。試験を中止している人はどうしようもない
現在は結婚しない人が増えている。増えすぎた人間を淘汰するためにもいいことだと思う。人間は人間のことしか考えていない。このあたりで、人間はグッと減って、他の生物に生存の余地を与えてやるべきだ。
だから、結婚しない人が増えているということは環境には優しいことだ。だが、結婚を目指す人にとって、結婚しない人が増えるのは厳しい。
結婚しない人が環境のため、罪深い人間を駆逐するためとか、そんな大義名分を掲げているとは思えないが、人間を増やすことに嫌気がさしている人はかなり多いと思う。特に自分の遺伝子を残すことに嫌気がさしている人は多いと思う。
そういう人は容姿が飛びきり高くても、ほぼ結婚しない。歳を取って、虚しくなってもいいから、種を切る。これは重要なことかもしれない。種の中には『兇悪な力』が眠っていることもある。それらを切ってしまえるのは、人間だけだ。
人間と言うのは自分の意志で、性欲を抑えることが出来る。この世で一番禁欲に強いのは人間だ。犬にエサを差し出して、それを何日も我慢させることは出来ないが、人間は数日は可能だ。
というわけで、人間はついに種を切るか否かの選択が出来るようになったのだ。野生動物は雌を雄が取り合うのが普通らしい。勝ったほうが雌に選ばれるというより、強引に勝ち取るわけだ。
人間は勝ち負けというより、容姿、社会力などの高さで決める。ぶん殴って、女の子を強奪なんてことは出来ない。人間の駆け引きは難しい。
種を残せなかった場合は、仕方なく寂しく死ぬしかない。だが、人間は容姿、社会力があっても結婚しないものがいるのだ。自分の意志で、種を残すか切るかを選択出来るのだ。これってすごい特権だと思う。敗北者は種を切らざるを得ないのに、勝者は種を残すか切るかを選べる。切ってしまえば、敗者と同じともいえる。
勝者の中に種を切ることを選択する人が多くなるということは、敗者にチャンスといえるかもしれないが、足きりを落とすぐらいなら結婚しないというのが本音だろう。よって、結婚しない人が増えれば、結婚しない人が次々と増えるだけで、意味はない。
人間が減るという利点があるだけだ。こんな島国に一億人も詰まっていたら、とても統率など出来ない。だいたい60000人ぐらいが適切だろう。
今後は結婚できない人が増える可能性がある
理由は簡単。物欲が加速し、経済が圧迫されると、お金のかかる結婚は敬遠されるからだ。ある党は子供にお金を支給するというとてつもない政策を打ち出しているが、そのお金はどこから出てくるのか、論理を聞きたいところだ。
結婚すると、子供+妻の分のお金を稼がなければならない。共稼ぎでも、自分に使えるお金は少なくなるし、子供が三人出来れば、三人分になる。
恋愛を成功させることが出来ても、結婚に発展できる可能性は低くなる。恋愛とはそもそも結婚を前提とするものだと、作者は思っている。ということは、
『結婚できない人が増えるということは恋愛の失敗率が引きあがる』ということだ。
恋愛の成功率が今後下がっていくのだ。とすると、『恋愛に金をかけるべきか』という話になると、だいぶ抵抗が出てくる。
結婚すると、種を残すことは出来るのだが、その後の莫大な費用と引き換えになる。そうまでして、種を残したいか。自分の遺伝子を世に受け継ぎたいか。難しい問題だ。
だったら、開き直れ。生命倫理の弾圧運動
この章は、この話をしたいがためだけにあるんだ。それで、恋愛とか結婚とかそんなものははっきり言って面倒くさい。内向型Bが絶滅に近いこの現在、『結婚せず、自分の子供を育てる』方法が必須だと思う。
そして、それこそが、精子銀行とか卵子銀行(なんてあるのかどうかは知らない)ではないのか。そして、それこそが最も重要なことではないのか。
結婚出来ない人間が自分の種を得るためには、そういった手助けが必要だ。結婚などしたくない。だが、子供がほしいという人はかなり多いはずだ。俺もたぶんその一人だ。これの利点はわざわざ足きりや2次試験を考えることなく、お金を出して、受精卵を育ててもらうだけでいいところだ。しかも、優秀と選ばれた遺伝子が片方になるのだ。実に魅力的だ。わざわざ、人と結ばれて、母体を傷つけて、子供を産まなくても、生理食塩水かどうかは分からないが、その中で成長するわけだ。そして、それは論理的に何の問題もない。むしろ、利点のほうが大きい。最後の敵は人間の配下に居座る大天使倫理をどう倒すかだ。
倫理は弾圧出来るのか
『人間の子というのは母体から生まれてくるもんだ』と主張するものがいるとする。どういう根拠でそう言うのか? 人間は母体から生まれなければならないと神が決めたのか?
倫理には適切な理由が何もないのだ。
『子供が可哀想だ』と言う馬鹿もいるが、そうやって可哀想と考える奴がいるから、かわいそうになるのだ。平均万歳の日本を作ったのも周囲だ。『軸がぶれている』と、異端とする。だから、人工的な方法で生まれてきた子供は親が片方しかいないと言われ、可哀想だというのだ。さらには『父母の二人の愛情を受けてこそ、子供は育つのです』というものがいる。では根拠は? 適切な論理が返ってくることは一度もなかった。
親が問題ではない。愛情があれば、他人が保護者でも子供はちゃんと育つ。親が片方しかいなくても、問題はない。それを問題にする倫理が差別などすべてを生んだのだ。そんな倫理を駆逐しようと思うのだ。
これを突破しなければ、種は減少するしか方法がなくなってしまう。原則として、二人からは一人しか生まれない。最低二人は産まないと、保存は出来ないのだ。そして、接合のプロセスを人工的にしない限り、保存は不可能だ。
結婚して子供を産むというものが、普通だから、あたかもそれがすべてだと考えられているが、片方がお金を出して、足りないほうを買うというもので問題はない。むしろ、親は一人のほうがいい。なぜなら、『しつけの衝突、喧嘩』などがなくなるからだ。まともな人ならしつけの理論はすでに確立しているだろう。どのような食事をさせるかなども決めているものはいるはずだ。それを親の文化の干渉を受けて、変わってしまったら大変だ。それならば、親は一人のほうがいい。俺の持論をまとめるとこうだ。
『恋愛と結婚を切り離して、独立して考える。結婚以外に種を残す手段として、受精卵を形成する際、足りないほうをお金で買うというものを採用する』
結婚すればいい。おおいにけっこうだが、結婚しなくても、種を残せるという方法を確立し、それが普遍的になることを望む。
精子や卵の調達ルートは容姿や能力で分ければいい。よいものは高く、安い物は安い。高いものだと、だいたい5000万ぐらい、安いものだと70万ぐらいと分ければいい。それらを売る人は好きに売ればいい。
すると、他人の子供ということになるが、そもそもそれを忌み嫌うのはおかしい。結婚だって、もとは他人で、自分の好きな相手を選ぶわけだ。お互いが愛し合っている点が違うというものもいるが、そもそも子育ては『親二人が愛し合っていようがどうだろうが、技術的に関わってくるもの』だ。愛情とは具体的には技術に同等で、変化しあうものだ。愛情は技術にもなりうる、いわばエネルギーに近いものだ。だから、親が二人揃っていなければならないというのはおかしい。親が一人というものが普遍的になれば、社会で除け者にされることもなくなる。
そういうわけで、俺は恋愛というものを『種を残す手段』から独立して、一般化したいと考えている。種を残す手段というのは、倫理の関わるべきものではないのだ。
それが恋愛の真の姿だと思っている。
生命倫理が支配する社会において、種を残す方法
足きりにかかり、種を残す手段を絶たれたものは最後の手段を使うしかない。それが精神世界に種を残すというものである。
妄想の中で種を残すというものだ。馬鹿げているが、それ以外に方法がないのだ。ただ利点もある。妄想の中では、自分好みの相手をパートナーに選べるし、お金の心配もなく、子供も自分好みに育てることも出来る。
社会からは少々危険に思われるかもしれないが、生命倫理が支配する中、結婚せずに子を手に入れる手段はそれ以外にないのだ。
そして、そんな危険な妄想こそ、創作なのだ。現実でダメなら精神世界がある。精神世界なら、いかなる法則も自分の意のままに変えることが出来る。
実に素晴らしい。妄想万歳。だが、妄想も現実も、死んでしまえば、同じ認識不能(死んでみないと分からないが)の世界となるのだ。つまり、精神世界に残していようと現実世界に残していようと、同じ『子供』なのだ。
だから、妄想で子供を作ることと、現実に子供を作ることは結論で同じである。観測者を自分にすれば、死んだ後の子供はいずれも独立した世界の子供となる。
精神世界というのは恐るべきところだ。想像で法則が切り替わり、つじつまが合わないこともすべて受け入れてくれる。
それが原因なのか、精神世界は現実のような視覚、聴覚などが存在しない。認識が難しいのだろうか。
それを受け入れることが出来れば何とかなる。今の子供はゲームボーイをやったことがないだろう。(たぶんだが)だからPS3の画質になれたものがゲームボーイをやると、受け入れられないかもしれない。だが、俺はゲームボーイのソフトのほうが、今でもなお、数々のソフトより優れていると思う。ゲームは進歩しているとみなは言うが、それはあくまで画質のレベルだけだ。ゲームの力は衰退し続けている。
PS3をしていたものがゲームボーイの画質を受け入れることが出来ないように、俺たちも現実は受け入れられるが、妄想は受け入れられないというわけだ。
それを克服する努力を繰り返し、最も素晴らしい世界を体験するべきなのだ。そしてそこで種を残せばいい。そう、つまり、人間は最高のレベルに達成することが出来たのだ。
わはははは、俺は妄想の中に子を作ることが出来るようになった。もはや現実の女など不要だ。わははははというわけだ。
そうなると、相対性を考えて、他者から見たら、『こいつもう人間じゃねえ』となるが、自分から見れば、受け入れられているのだ。もう現実で金を使う必要もなく、理想の彼女を得て、理想の子供を作ることが出来るのだ。
しかし、数年経てば、虚しさに気付くかもしれない。しかし、現実でも同じだ。
「はあ、結婚するんじゃなかった」と思っている人もいるかもしれない。
結局同じなら、お金のかからない妄想のほうがいい。妄想最高。これに勝てる世界はこの世になし。
異種恋愛
少し羞恥を伴う体験なのだが、俺は一度だけ『恋愛』をしたことがある。忘れもしない大学時代、俺は一匹の猫に恋をした。そして、猫は受け入れてくれた。それを超忠実に再現したいと思う。
俺は大学に通っていた時代がある。その期間、何と3ヶ月。世界でもトップクラスのにきびと戦いを繰り広げていた俺に恋人が出来るはずなかった。なぜなら、足きりを突破できないからだ。だが、それらを撥ね飛ばすことに成功した。
俺は大学ではぼっちだったので、昼になると、号館の後ろにあるベンチで一人寂しく昼食を取っていた。そこは人がいないと言っても、稀に警備員が入ってくるが。
そこで昼食を取っていたのだが、次の講義の予習をしたりもしていた。誰でも入れる大学なので、講義は難しくないが、俺は真面目だったので、予習をしていたのだ。
ある日、そこに猫がやってきた。雌の白猫だ。猫にしては人懐っこく、寄ってきて、俺のパンを食べたがった。そのパンをやると、パクパクと食べた。そして、俺の膝の上に乗って、丸くなって、昼寝を始めた。
「変な猫だ」と思った。最初は猫が好きであったわけではないから、離れてほしかったのだが、猫に悪いと思って、しばらくそのままにさせておいた。猫は目を開けて、こっちを見ていた。頭を撫でてやると、「みぎゃー」と変な声で鳴く。そして、可愛い表情をするので、色々なところを撫でると、くすぐったそうに身を丸める。面白いのでその猫を気に入った。
講義は相変わらず、教科書に書いてあることを繰り返しているだけで、別に授業に出ずに、教科書を読んでいればいいのではないかと思ったりもしたが、きちんと俺は出ていた。講義は九十分で終わり、課題を提出して帰る。たまにコンピュータルームによることもあったが、大概はアパートに帰って、ボーっとしたり、勉強したりしていた。
生活としてはけっこう普通だと思う。自炊と言っても、食事の主流はMRPかウエイトゲインだったので、料理を作ることはほとんどなかった。
普通の生活をしていたのだが、ある点が他の大学生と違う。それが、友人皆無の点だ。まあ、それも気になることはなかった。一番気になったのは猫だ。
翌日、午前中の授業がなかった。しかし、午後からコンピュータを使った授業がある。そこで、早めにいって、ベンチに座ろうと思った。
ベンチからはいい景色が見られるので、そこに座って眺めていると、昼ごろ、猫がやってきて、俺の膝に座った。またパンをやったのだが、猫はパンより、パンの中のヤキソバを好むことに気付いたので、今度から食事を改めることにした。
猫は俺から食事を分けてもらうと、後は膝の上で寝るだけだった。俺は頭を撫でたりして遊んでいた。ひげを引っ張ると、嫌がったりした。
実に可愛いので、そんなことが一週間も続けば、もうメロメロにされてしまった。猫を抱きしめたりし始めて、俺は猫を相手に性的興奮を感じるようになっていた。出会ったときはそんな感情を持たなかったので、人間も変わるものだ。
俺がその白猫に好感を持ったのは、『猫がいつも独りぼっち』だった点と『俺にしきりにスキンシップを求めてくれた』点だ。
俺は99,9999999の異性から足きり対象にされる容姿にも関わらず、その猫は寄ってきて、寂しい俺を癒してくれたのだ。こんな俺のために……。
それがもう本当に嬉しかった。その猫は俺のそばにずっといれくれた。俺が講義で離れるときでさえ、追いかけてきてくれるのだ。こんな素敵な女の子は一生に一度も会えないと思う。俺は人生でたった一度の最高の出会いだと思った。
五時二十分の講義に出なければならないとき、猫に背を向けると、猫は俺の足を引っ張ったことがあった。いかないでくれとしきりに訴えるんだ。だから、俺はしゃがんで、「必ず戻ってくるから」と言って、猫の頭を撫でた。夕日ではなかったが、実にドラマチックな光景だった。
それから、帰るときにそのベンチによったが、猫はいなかった。けれど、翌日にはまたやってきてくれるようになっていた。
「付き合おうか、俺たち」と俺がその気になったのは、それからしばらくした後だった。猫と会うようになって、かなり時間が経過したし、俺も猫にメロメロにされていたから、猫さえ良ければいい話だ。
猫もたぶん良かったに違いない。俺の体に頬を擦り合わせたりしてくれるし、俺から離れたがらなかった。
そこで、俺は猫を抱きしめて、顔が触れ合うことの出来る体勢になった。ゆっくりと頭を撫でて、落ち着かせてから、キスに入った。だが、猫とキスをするのは難しい。猫の牙は凄まじく鋭いし、口が非常に小さいのだ。舌をうまく使わないと唾液を交換することが出来ない。苦労はしたが、ようやくキスを重ねることに成功した。だが、さすがにその先に進むことは出来ない。異種が交わることは不可能に近いのだ。
だから、キスに留め、俺たちは約束した。『ずっと一緒にいよう。ずっと……』
俺は本気でその猫を将来の伴侶にしようと考えた。だから、猫について調べようと、努力を始めた。だが、だが……。そんな愛はいとも簡単に打ち砕かれることになる。
俺は猫と会うために、俺たちの愛の巣に向かった。だが、そこに先客があった。数名のグループがベンチを陣取っていて、俺は進むことが出来なかった。人が集団を形成しているところを俺はとても嫌う。それが何かの議論や仕事であるなら問題ない。だが、彼らはただ昼食を食べに来ただけだ。ここにこなくても他に場所がある。それなのに、彼らはそこに居座って、食事をし始めていた。
猫は俺に会うため、今日もやってきた。俺たちはここで昼と夕方に会って、スキンシップをしていたのだ。だから、猫は俺に会うことを楽しみに必死に溝を越えてやってくるのだ。それなのに、そこにいた集団はその猫を拉致してしまった。
猫はただ俺に会うためだけにやってきたのだ。俺に会いたくて。そして俺も猫に会いたくてやってきた。俺のすぐそばで、猫は彼らに拉致されてしまった。
俺は飛び出せなかった。足が動かなかったのだ。俺は弱すぎた。結局、自分の女が輪姦されているのに、飛び出して、助け出すことが出来なかった。俺は卑怯にも『後で必ず迎えに来るから』と言って、その場を離れた。彼らの声を聞くのが苦痛だったのだ。
俺は講義に出た。しかし、講義の内容は全く頭に入ってこない。今もなお、猫は俺を待っているかもしれない。震えているかもしれない。抱きしめてやりたい。
講義が終わって、すぐにベンチに向かったが、そこは何もないかのようにガランとしていた。猫の姿はない。しかし、そこで待ち続ければきっとやってきてくれると思って、次の講義をサボり、そこに居座った。
夕焼けが濃くなっても、猫は来てくれない。『まさか、そんなこと』と嫌な想像をしながらも結局夜まで待った。だが、猫は来てくれなかった。拳を握り締めながらも、俺はアパートに帰った。
眠れない夜を過ごした。明日になった。昼、俺たちの愛の巣に行けば出会える。そう思っていた。俺たちはあそこで出会い、そして発展した。あの場所で再び……。
俺はただ猫に会うためだけに足を運んだ。早く会いたかった。もう一度抱きしめて、今度は決して離さないと自分に誓った。
俺が号館の前に来たとき信じられない光景を見た。文系君数名がベンチに座っている。そこに猫がいた。俺ではない文系君の膝の上で、猫は丸くなっていた。
俺は強い立ちくらみを覚えた。ずっと一緒にいると誓った。そう約束した。だが、猫は俺でない男の上で恍惚を放っていた。
『……そんな』俺は逃げるようにその場を離れた。彼らは俺の最も大切なものを奪ってしまっていた。ずっと一緒にいると誓い、キスも重ねた一番大切な女の子だ。もはや俺はその場にいれなくなった。通り過ぎていく人間がまるで異世界の住民のように見えた。
俺は夕方、愛の巣に戻った。そこに猫はいなかった。夕日を見つめ、俺は涙を流した。
『君がいなくなって、ここもガランとしちゃった。でも、すぐに慣れると思うんだ。だから心配するな……』
時間だけがいたずらに過ぎ、俺は空を抱きしめた。もう、猫は傍にいない。もう何もないのだ。思い出もすべて、もうここにはないのだ。だが、俺は猫を愛し、猫から愛を感じることが出来た。だから、言わなければならなかった。
『ありがとう。そして、さよなら。君のことは一生忘れないよ』
俺はその聖域を捨て、大学を中退した。
今でも思う。今でも、あの猫は俺をあの聖域で待っているんじゃないかと。昨日も、今日も、明日も……俺が迎えに来てくれるのを信じて、ずっと待っているのかもしれない。俺は迎えに行ってやらなければならないのかもしれない。
彼女はずっとずっと俺が助け出してくれるのを待っていたのかもしれない。俺は振られたのではなく、自分から振ってしまったのかもしれない。
それから、俺はニートになった。そして……。
暗いと言われます。暗いは暗いでもひいてしまうような暗さ。書かせてください。すべてを吐き出せば楽になれそうなんです。ええ、きっと……




