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天下の素首  作者: 蓮見友成
13/15

十二、織田弾正忠家、鎮火

 稲生の合戦から二ヶ月が経つ頃、清洲城の信長をふらりと訪れた者達がいた。

 氷、蒼、火種、そして影の四人の少年達である。

 信長にとっては長良川の戦い以来の再会だった。

 「いやあ、すみませんねえ。いきなり押し掛けちゃって。」

 言葉とは裏腹に、全く謝罪の意思を感じさせない声音で、氷が言った。

 「久方ぶりに尾張に来てみれば、弟君との家督争いに決着が着いたと聞きましたよ?おめでとさまっす!」

 そしてニカッと大きな笑顔を見せた氷に、信長は胡乱な目を向けた。

 「で?前置きはいい。さっさと要件を述べろ。」

 信長の気の短さは重々承知しているのだろう。氷は即座に笑みを引っ込めると、真面目な顔で言った。

 「天を、知りませんか。」

 氷にしては、やけに含みをもたせた問い方だった。様々な意味にとれるし、「知りませんか」の期間や時期も曖昧だ。長良川の合戦以降の天の動向を指しているのか、それとも稲生の合戦以降の天の動向を指しているのかー、はたまたつい最近の天の事を指しているのか。

 曖昧な問いを投げかける状況というのは、信長が思うに二つしかない。

 一つは、問い掛けがそもそも下手くそな場合だ。情報を引き出す上で、問い方というのは大事だ。いつ、誰が、どこで、何を、どのようにー、具体的に問わなければ、答える側から欲しい情報は得られない。基本的な事に思えて、それの解らない阿呆が多いのも事実だ。

 そしてもう一つは、敢えて「漠然とした問い」を投げている場合だ。この場合、質問者は計り兼ねているのだ。相手が「どこまで」知っているのか、そもそも「それ」について知っているのかどうかー。回答者に探りを入れつつ、反応を見る。決して質問者から、情報を提示する事はない。

 氷も、未だ黙したままの他の少年達も、若いなりに頭は切れる。斎藤道山の元で忍紛いの仕事もしていた程だ。ならば前者の「下手くそな問い掛け」というのはありえないだろう。だとすれば後者だ。

 仮にだ、信長が稲生の合戦で天を見掛けていなければ…ただ首を傾げればいいだけだ。「質問の意図」そのものが、皆目見当もつかないからだ。「お前達と一緒にいるのだろう?」とそう一言、逆に問えば良い。

 が、今回の場合、信長は天を目撃している。つまりは氷の言わんとしている事が予想出来るのだ。「稲生の合戦に天が絡んでいたのか」を知りたいのか、もしくは「稲生の合戦に天がいたのを知っていて尚、天の居所がわからない」と言いたいのか。氷達が一体いつから天を「知らない」のかを、信長は知らないが、天が勝家に殺されかけた時に彼らが助けに現れなかった事を鑑みれば、その頃から天が氷達の目の届かぬところで勝手をしていた可能性は高い。

 信長は、さてどう答えたものかと逡巡し、そしてさっさと答えた。

 「知らぬな。」

 微妙な返しだった。氷の問いを怪訝には思っていないが、あくまで「知らない」。取りようによれば、「天がお前達と別行動をしていた事は知っているが」と言ったようにも聞こえるし、ただ単に「知らない」と答えたようにも聞こえるだろう。

 しかし決して嘘ではない。稲生の合戦で天が勝家を襲った事は知っているが、その後の行方を信長は知らなかった。敢えて探る事もしていない。

 暫く氷は、その切れ長の吊り目で、じぃっと信長の顔を見ていた。しかしやがて目を逸らすと、長々と溜息をついた。

 「あーあ、外れだったかなぁ。」

 フッと肩の力を抜いた氷を、隣りにいた蒼が小突いた。こちらはずっと信長を睨めつけており、先の答えに納得していない様子である。

 しかし氷は蒼の事を気にもとめずに、やれやれと肩を竦めた。

 「俺らマムシ様が死んでから暫くバラバラに行動してたんっすよ。」

 ここで初めて、氷は信長に情報を与える。

 「そんで再集合の日を、今日からちょうど三日前って決めてたんっすけどねえ…待てども暮らせども、天だけが現れない。どこをフラフラしてるのかなあって考えた時に、気になったのは二ヶ月前の稲生での合戦だったって訳っす。…けど信長様が知らないってんなら、関係なかったのかなあ。」

 「そういう事じゃないの?大体別れる時に、天には口酸っぱく言い聞かせてたじゃない。『美濃に関わるな、戦に関わるな、信長様に関わるな』って。」

 氷に続けて、先まで黙っていた影が口を開いた。今日は女の形をしているので、姿に合わせて声も女のものだ。

 そしてふふっと何故か楽しそうに笑う影を見て、信長が顔を顰める。

 「なんだその、『俺に関わるな』というのは。」

 信長の問いに答えたのは、未だ信長の言を疑っているのだろうー、探るような眼差しを向けている蒼であった。

 「信長様に関わっている時の天さんは、どことなく浮ついている事が多いです。俺達が側にいない時に信長様と何かやらかして、天さんにもしもの事があったら…最悪です。殺しても殺しきれません。」

 随分な言い様だった。殺しても殺しきれないとは勿論天ではなく、信長のことなのだろう。蒼は天の事となると、普段の大人しさはどこへやら、時折苛烈な物言いをする事がある。

 信長と蒼の間に流れる剣呑な空気を察してか、氷が取り成すように明るい声を上げた。

 「ま、あれっすね!信長様と天は、混ぜるな危険ってやつ。言わば硝石と硫黄と炭的な?」

 「ん、ん、」

 氷の微妙な例えに、喉から音を絞り出すようにして頷いたのは火種だった。相変わらず口は利けないらしいが、他の少年達との会話に苦労はないようだ。

 信長は鼻で笑った。

 「はんっ、俺と天とで『火薬』になるとしてもだ。それだけでは何の脅威にもならないぞ。それこそ『火種』が無ければな。」

 ここで言う火種とは勿論、眼前の少年の事ではない。文字通り火薬を爆ぜさせる為の火だ。火薬だけでは、どこまでいってもただの粉だ。

 信長の皮肉に、「んん、んん、」と喉を鳴らしながら首を振ったのは、意外にも火種だった。何か反論しているようだが、信長には火種の言いたい事がわからない。

 「確かにねえ。」

 影が感慨深げに頷いた。どうやら火種との会話が成立したらしい。しかし信長には分からないので腹立たしいことこの上ない。

 気の短い信長は、キッと影と火種を睨むと問うた。

 「で?何が言いたい。お前らだけで話すのなら、俺はもう要らないだろう。さっさと帰れ。」

 「まあまあ、そう言わずに信長様。要は火薬だけでも十分に脅威と危険になるという話でございますよ。ええ勿論、先までの例え話ではありません。実際問題、『火薬の有無だけで諸国の力関係が変わる』という話です。」

 影の言葉に、蒼が付け加える。

 「火種は先日まで、国友にいたのでございます。そこでは今、『火薬』が大きな力を持とうといるのだとか。」

 「国友の火薬?」

 信長がそう繰り返すと、火種が「ん」と頷いた。そして火種は、隣に座る影の袖を軽く引く。

 それに応えるようにして、影が口を開いた。

 「火薬は鉄砲そのもの以上に利と力を生むと、火種は読んでいるようですね。今後各国の大名達は、戦における鉄砲の火力に惹かれていくでしょ?そして鉄砲を買い漁る。鉄砲ならば国産を試みるお偉い様方も増えるでしょうねえ。…しかし火薬はそうもいかない。」

 「なぜ。」

 信長が短く問うと、影が怪しげに笑みを深めた。

 「硝石。」

 ああ、と信長はその一言で納得した。

 「輸入か。」

 「ええ、その通りでごさいます。日の本では硝石を採る事が出来ませんから。それをどこかの誰かが独占して輸入する。今でこそ堺の商人を通して国友や根来に硝石は流れているようですが、堺がそのままで良しとするとは思えません。必ず堺の地で『火薬と鉄砲』の両方をつくって売ろうと画策するでしょう。そちらの方が利益になりますから。硝石さえ独占して堺に留めておけば、職人も販路も…あのがめつい土地ではどこよりも揃えられる。そうなれば堺は、火薬を爆ぜさせる事もなく、直接人を殺すこともなく、天下の脅威となりえます。なにせ今後、戦の流行りは鉄砲になるでしょうから、諸国大名は堺から火薬を買うしかなくなる。莫大な金が動きますし、財力は武力にも引けを取らない力ですしね。…困った事にこのままでは、我が主は堺の大商人様の首を落とす事になりますかねえ。もしものもしも、この日の本を火薬による莫大な利が統べることになれば…ですけど。ふふっ、それはそれで面白くはございますが、ねえ…?」

 馬鹿な、と信長が吐き捨てた。

 「それだけで天下が統べられるのなら、誰も苦労はしないだろうさ。」

 「まあ、その通りかと。」

 「なんだそりゃ。」

 つらつらと長話をした割に、影はあっさりと信長の言を受け入れた。それに信長はますます眉間に皺を寄せる。 

 「だって別に、火薬の話を国友で見聞きしてきたのは私じゃないですもん。火種です。私個人としては然程興味もございませんよ。それに今私達の中で一番の懸念要素は、他所様の事じゃございませんから。我らが主、天がどこに消えたのか、です。」

 ああ、そういえばそうだったと、信長は押し黙った。がしかし、稲生の合戦での天の事を話す気にはなれなかった。ここらで一つ、認識を正しておかねばならないという思いが、信長にはあった。信長は別に、この風変わりな少年達の味方ではないということ、そして彼らもまた、決して信長の味方ではないということを、だ。

 仲良しこよしをする気は双方、毛頭ない筈だ。

 しかし邪険にするにはあまりにも、互いに知れた仲だった。そこが何とも扱い辛い。

 信長は一つ溜息をつくと、こめかみを揉みほぐしながら言った。

 「大体お前達の落度だろう。天を一人で野放しにした、な。」

 信長の指摘に、少年達は珍しくも言葉を詰まらせた。口の減らないあの氷でさえ、ただ寂しげな苦笑を浮かべただけだった。

 急に静まり返った部屋の中は、非常に居心地が悪い。

 そしていよいよ耐えきれなくなった信長が、何故か気不味くなった雰囲気を一蹴しようと、一際大きな声で問うた。

 「…それで、天から離れてまで、お前達はどこにいたのだ!火種が国友に行ったとは聞いたが。」

 先から目線の泳いでいた少年達が、一斉にぱっと信長を見た。

 「京とその周辺っす!」

 「善光寺でございます。」

 「駿府に行って参りました。いつ訪れても雅な町並みでございすねえ。」

 「ちなみに天は尾張にいる予定だったんっすけどね〜。ホント、どこ行ったんだか。」

 信長は彼らの答えに考え込む。京と言えば三好、そして当然ながら将軍家に朝廷。善光寺と言えば、甲斐武田家と越後長尾家の争いが記憶に新しい。駿府と言えば信長にとっては憎き今川義元だ。そして国友では火薬と鉄砲。


 一体彼らは、それぞれの地で「何が」見たかったのか…。


 そんな信長の疑問に気付いたのか、蒼が口を開いた。

 「拠点探しをしておりました。道山様が亡くなられた今、俺達が美濃に残る理由はございませんし、義龍からは毛嫌いもされていましたので、尚の事美濃にはいられません。それに天さんが欲しいのは、『この世に復讐するのに足る首』ただ一つ。決して、義龍の首ではありません。天さんの『この世への復讐』に最も相応しい地を見定める為に、俺達は手分けして候補地に出向いたという訳でございます。」

 蒼の説明に、隣にいた氷がニヤニヤと笑いながら、わざとらしく付け加える。

 「あっ、尾張を候補地から外してるのは勘弁して下さいよ!決して信長様が天の復讐相手として不足があるとか、信長様が天下人とか無理そ〜とか思ってる訳じゃないっすから。」

 「…心中だだ漏れだな。別に構わんさ。もとより俺は、そんな大層な者を目指してはいないからな。尾張で平穏に暮らせれば万々歳よ。…それよりも俺が我慢ならないのは、どっかの誰かさん達のせいで美濃を獲らねばならなくなった事だ。ったく、追い込んでくれる。死んだ岳父殿を恨んではしょうがないが、今眼の前にいるお前らに嵌められた事が気分が悪い。…あの岳父殿の遺言状には、ほとほと困らされている。」

 信長の言葉に、あはは!と氷が楽しげに笑った。

 「死んで尚、マムシ様の手の平の上ってね!」

 氷の声を聞きながら、信長は穏やかな表情で笑う道山の顔を思い浮かべたー。



 さて、信長の元を去った氷、蒼、影、火種の四人は、稲生に向かっていた。

 「どう思います?」

 蒼の問いに、氷が笑って答えた。

 「信長様は嘘が下手だからなあ。」

 「ということは、信長様は天さんの居所を知っていると?」

 蒼が重ねて問うと、氷はうーんと悩む仕草をみせる。

 氷が答える前に、ひょこりと会話に入ってきたのは影だった。

 「少なくとも信長様の手の内にはいないと思うよ。ね、火種?」

 「ん、ん、」

 火種も影と同意見らしく、何度も首を縦に振っている。

 「どうしてですか。」

 蒼が問うと、影が「簡単だよ」と言って笑った。

 「仮にだよ、稲生の合戦で天が信長様と再会していたとしてだよ?もし信長様がそれ以降、天を側に留めているとしたら、もしくは天が敢えて信長様の元に身を隠しているとしても、少なくとも二ヶ月、信長様は天を預かってるって事になる。想像してみなよ?信長様には無理だよ、絶対我慢出来ないって。あの二人の相性の悪さは笑える程だよ。イライラして大変な事になっちゃう。私達が来た時点で、『さっさと引き取ってくれ』って、信長様は喜んで天を差し出すんじゃない?」

 影の答えに、氷が頷いた。

 「確かにそうなんだよなあ。それに稲生の合戦で再会したとは限らない。それよりも前、例えば俺らと別れてすぐ、天が信長様の元に行っていたとしたら、下手すれば半年前だし?うんうん、確かに信長様の気の短さで、そんなに長く天の相手をしていられるとは思えない。」

 それなら、と蒼が顔を顰めた。

 「本当に天さんは、どこに消えたんです?尾張にいない可能性もあるのでは?」

 蒼の疑問に、いいやと氷が首を振った。

 「尾張で何かしでかしたのは間違いないだろ。じゃなきゃ、信長様の受け答えは変だ。あくまで信長様は、『天が尾張にいるのは知っていた』ような口振りと態度だった。本人は隠してたつもりかもだけど。」

 「では、どこに…?」

 「簡単だよ、蒼。信長様の目の届かない『尾張』、しかないでしょ?」

 影が軽やかな口調で答えた。

 「織田伊勢守のいる岩倉城辺りか、もしくは…稲生の合戦で敗けた信行のいる末盛城。時期的に見れば、末盛城の方が妥当じゃない?」

 影の推測に、氷が頷いた。

 「とりあえずこのまま稲生に向かって、手掛かりを探そう。それが終わり次第末盛城だ。」

 ここで彼らは敢えて議論しなかった。天の生死についてはー。




 柴田勝家は、自身の屋敷の庭で、木刀を構えていた。目の前には、同じく木刀を構える少女。まだ十三歳だと言う。同じ長さの木刀を持っているが、小柄な彼女が持つと、異様な程にそれが大きく見える。

 先に一歩前に出たのは勝家だった。木刀を少女目掛けて振り下ろす。

 ガッと木刀同士が当たる重たい音が響いた。それが幾度となく繰り返される。勝家が打ち込む、少女がそれを受けて弾くの繰り返しだ。そのため少女は、ジリジリと後方に下がっていく。

 勝家が殺気立った。気合の声を上げる。木刀が空を切る音が変わった。より大きく、より重たい音だ。少女は勝家の一撃を受けなかった。自身の木刀の切先をさっと下ろすと、彼女はひょいと後ろに大きく跳んで、勝家の木刀を避けた。

 うむ、と勝家が感心して唸る。先の一撃は少女の細腕で受けるのは無理だった。避けて正解だ。

 しかし少女も負けていない。勝家の木刀が空振った隙を突いて、逆に前へと踏み込んできた。下を向いていた木刀の切先が、地面を掻く。砂を飛ばしながら少女は、思い切りよく木刀を下から上へと振り上げた。

 今度は勝家が後ろに退く番だった。勝家の顔面スレスレを、少女の木刀が下から振り抜かれる。

 そのため少女の正面はがら空きになった。完全に両腕を振り上げた状態だからだ。

 しかし少女は既に、手に握る木刀を勝家の頭上に振り下ろす事しか考えていないのだろう。勝家の次の動きを気にしている様子は微塵もない。防ぐ気もないのだ。あまつさえ彼女の口元には、勝利を確信したような笑みが浮かんでいる。

 勝家は瞬時に考える。がら空きの少女の胴を、自身の木刀が撫で、肋骨の一、二本折るのが早いか、はたまた彼女の木刀が自身の頭蓋骨を粉砕するのが早いかー。

 そして勝家は判断した。右に半分身を撚るようにして、少女の勢いよく振り下ろされた木刀を避けた。

 しかし少女は冷静だった。力任せに振り下された木刀の勢いを、瞬時に殺した。彼女の木刀は勝家の肩の高さでピタリと動きを止めると、横に振り抜かれた。勝家の肩を木刀が打つ据える。重い衝撃が肩に走り、勝家は思わずよろける。

 しかし次の瞬間、少女の手からなんと木刀がすっぽ抜けた。

 間の抜けた顔で固まった少女に、勝家が笑いを堪えながら言った。

 「今回は儂の勝ちだな、天。」

 「…いや、あれは儂の勝ちじゃろ。ちと握力が抜けただけじゃ。」

 「天よ、お前が木刀をすっ飛ばすのは…、一体何回目かのう。」

 「…知らん。忘れた。大体何故木刀なのじゃ!鎧通しでやったら儂の全勝に決まっておる。それにそもそも…重たいモノは嫌いじゃ。」

 堂々と負け惜しむ天の姿がいっそ清々しく、勝家の目には映っていた。

 


 勝家が天を拾って、はや二ヶ月が経とうとしていた。

 稲生の合戦に突如乱入してきた天に、勝家はあわや殺されるところだった。ところが何の気まぐれが、敵将である信長の一喝で、勝家の命は運良く助けられ、そして逆に天を斬った。

 しぶとくも生き残っていた天を戦場から連れ帰った勝家は、自身の屋敷で天の手当てをした。

 手当をしたと言っても、実際に手を施したのは、独り身の勝家の身の回りの世話をしている甚太とお里という老夫婦で、勝家は末盛城にて敗戦の後処理に追われていた。信行や土田御前と共に、清洲城まで信長に頭を下げに行きもした。

 天を押し付けた甚太には、まだ若い少女を斬った事もだが、それをわざわざ連れ帰った事を訝しまれた。信行に露見しても事だろう。案ずる甚太とお里夫婦に、勝家は正直に心内を話した。

 「息子達とそう歳も変わらぬ。斬ったのは儂だが、あのまま野垂れ死にさせるのは、可哀想だと思うた。」

 勝家の言葉に、老夫婦は同情の色を浮かべると、後は黙って天の事を引き受けたのだった。

 勝家は結婚こそしていないが、息子が二人いた。天よりも少し幼い。母親は身分の低い女だったので、娶る事が出来なかった。息子達も、別の家に預けている。ただでさえ信行の家老として多忙を極めていた勝家に、男手一つで幼い息子二人の面倒は見られなかった。

 「まあ、今や暇になってしもうたがな。」

 稲生の合戦で敗けてからというもの、末盛城での勝家の立場は失くなりつつある。敗戦の原因は全て、勝家ということになっていたのだ。

 確かに、信長を前にして兵を退いた。林美作が信長に討ち取られたのも、間接的に言えば勝家のせいかもしれない。

 そんな話を言葉巧みに信行に刷り込んだのが、津々木蔵人という若者だった。信行の気に入りで、確かに仕事の出来る男ではあるのだが、とにかく勝家の事を鬱陶しく思っていたようだ。そして晴れて、先の稲生の合戦をダシにして、勝家を蹴落としにかかっている。

 故に、暇である。信行が勝家に意見を求める事も、もはや無いのかもしれない。

 しかし勝家自身も不思議な程に、腹は立たなかった。

 

 『やめろ!!その者は織田家に今後必要となる男だ!勝手に殺す事は赦さんぞ…天!!』


 信長の言葉が、脳裏に響く。勝家は何度もその怒鳴り声を思い出しては、呻いた。今まで散々毛嫌いしてきた「うつけ」の言葉が、確かに勝家の心を満たしているのだ。だからこそ信行と蔵人からの仕打ちにも、腹が立たない。複雑な気持ちだ。

 最初の一月、天は床を離れられなかった。傷が癒えるのにも時が掛かったが、なにより熱が酷かった。

 お里がある日ぽつりと呟いた言葉を、勝家は聞いていた。

 「なんでこんなにも体の弱い女の子が、戦場になんて…。」

 どうやら元より、天は病弱なようだった。医者に見せれば、気と血が足りないらしい。その上肺も弱いそうだ。これから季節は寒くなる。体を冷まさせないようにと重々言われた。

 天が熱に浮かされる事なく、しっかりと会話が成り立つようになったのが、合戦から一月後だった。そこからの回復力は目を瞠るものがあり、それから一週間後にはケロッとした顔で屋敷の中を歩き回るようになっていた。

 そんな天に木刀での稽古をつけだしたのは、勝家のほんの気まぐれだった。元気になっても屋敷を出る様子のない天と、末盛城に赴くのも気乗りしなくなってしまった勝家の双方が、酷く暇を持て余していたというのもある。甚太とお里が言うには、「息子の代わりを病み上がりの娘にさせるのは良くない」との事だったが、勝家は別に、天に会えない息子の代わりをさせているつもりはなかった。

 最初こそ天は、木刀での稽古を嫌がっていた。手合わせするなら彼女の鎧通しを使うと言い張っていた。が、一度木刀を握らせれば、渋っていた割に基礎はしっかりとしていたので驚いた。型は見たことがない滅茶苦茶なものだったが、それでも型と呼べた。天の中では定着された動きだったからだ。

 しかし三回に一回くらいの確率で、天は木刀を手からすっ飛ばしていた。両の手でしっかり握っていて何故木刀がすっぽ抜けるのか、勝家には全く理解出来なかったが、天の答えは大体同じだった。

 「普段は鎧通しを使っているからじゃ!」

 そして決まって最後には、

 「重たいモノは嫌いじゃ。」

 と付け加える。なにやら刀はおろか、戦場では槍も持たないらしい。確かに鎧通しも、使い所次第では良い武器だが、あの薄くて短い刀身だけに、戦場で命を預ける気に、勝家はとてもじゃないがならなかった。

 今日とてそうだった。最後の最後で木刀をすっ飛ばした天に、勝家は初めて問うた。

 「なにをそんなに毛嫌いしておるのだ。」

 「重たいモノは動きを鈍らせるし、両の手が塞がる。いざという時に身動がとれなくなる。」

 そう言って天は、両の手を上げて見せた。

 「何も持っていない方が、全力で走れる。鎧通しだけなら、そう足を引っ張らない。」

 ああ、と勝家は納得した。常々疑問に思っていた事が一つ、わかった気がする。

 「だから仲間の元に帰るのも渋っておるのか、天。…確かに友の命は、重かろうな。」

 勝家の言葉に、天がはっと目を見開いた。しかしすぐに驚きの色は隠されると、勝家をしかと睨んだ。 

 「マムシ様の後ろ盾が失くなった。今まで通りに好き勝手しようとすれば、今まで以上に危険を伴う。」

 「…だから、捨てるか?」

 勝家が天をジッと見返すと、天が首を振った。

 「それが出来れば苦労はせんさ。」

 弱々しく、天が笑った。

 秋風に飛ばされそうな笑みだった。


 「ところで勝家。」

 暫くすると天が一転、不敵な笑みを浮かべた。

 「そろそろ儂の『重たい友』らが、儂を見つける頃合いじゃ。元はお前のせいで生死を彷徨った訳じゃが、まあ面倒見てくれた恩はある。そこでじゃ、信行という重荷を捨てて、信長サマという重石をのせたいというのなら、儂が一肌脱いでやっても良いぞ?」

 今度は勝家が、目を瞠る番だった。

 「その気がないとは言わせんぞ?お前、最近ほとんど末盛城に出向いてないじゃろ。儂と稽古をしてばっかしだしな。…そこまで関係が冷めきれば、最早後戻りは出来んだろ。」

 信行と勝家の事だ。互いにもう、信用はない。実のところ、自分の事を「織田弾正忠家に必要」と言ってくれた信長に期待する自分がいる事に、勝家は気付いていた。

 「…しかしあの信長サマが、簡単に儂を信用するとも思えないが。お前が口添えしてくれるとしてもだ。」

 勝家の言葉に、天がいやいやと手を振った。

 「儂が口添えなんぞしたら、余計に拗れるぞ?もっと良い伝手がある。信長サマが絶対に逆らえず、絶対に疑えないお方がな。しかも時期的に、余計に頭が上がらなくなってるから、勝家一人売り込むくらい楽勝楽勝。」

 どんっと胸を叩いた天に、勝家が問う。

 「一体どこの誰なのだ。」

 「奥方に決まっておるじゃろ!帰蝶サマじゃ。今丁度吉乃が妊娠しているからな、信長サマは帰蝶サマに嫌われまいと必死よ。情けない程にな!」

 ケタケタと、天が笑った。


 それから数日後、天が勝家の屋敷からふらりと姿を消した。

 恐らくは、仲間が迎えに来たのだろう。

 その後勝家の元には、信長からの密使が度々訪れるようになった。勝家はその度に求められる情報を渡した。信行が再度信長に謀反を企てている事も、勝家は包み隠さず話した。

 


 そして翌年、弘治三年、織田弾正忠家は波乱の年を迎える。

 まずは年が明けてすぐの事、吉乃が信長の子を出産した。家中はその慶事に盛り上がった。しかしそんな家中の雰囲気に水を差すように、信長は赤子に「奇妙」と、それこそ奇妙な名前を付けた。そして結局、吉乃を城に迎え入れる事はなかった。奇妙もまた、生駒屋敷で生活している。

 そしてその年の十一月、信長は清洲城にて弟信行を謀殺した。母土田御前は出家させ、織田弾正忠家の火種は、取り敢えずのところ取り除いた。同時に、柴田勝家を迎え入れた。

 

 「疲れた。」

 信長は呟いた。帰蝶の膝枕で微睡んでいると、ふと湧き出た感情だった。

 己が家一つを纏めるのに、一体何年掛けたのだろうか。家督を継いでからというのなら六年だが、実際は信長が生まれた時から、戦いは始まっていたのだろう。だとすれば二十四年か。

 「人間五十年と言うなら、半分は使い果たしてる事になるのか。この調子じゃあ、尾張統一にもう半生使い切りそうだな。」

 信長がまるで他人事のように言うと、黙って聞いていた帰蝶が「まあまあ」と宥めるように髪を撫でてきた。

 「せめて美濃は手に入れないと、死んだ後に父上に叱られますよ?儂の遺言はどうしたって。」

 ふふっと楽しそうに笑う帰蝶の腹に、信長は甘えるように顔を押し付けた。

 「そうは言うがなあ。俺は疲れた。もし無理だった時は、帰蝶からも岳父殿に言ってやってくれ。とんでもない仕掛けをしてくれて!ってさ。」

 そうですねえ、と何か考えながら、帰蝶が信長の背をポンポンとあやすように叩いた。

 「私が先に死ねば、あの世で父上によく言い聞かせておきますよ。そうすれば殿も気兼ねしないでしょう?」

 すると信長が、ガバッと帰蝶の膝から起き上がった。

 「無理!絶対に無理だ!帰蝶を看取るなんて俺には無理だ。考えただけで背筋が凍ったぞ今!帰蝶後生だから、俺より先には死ぬな。」

 帰蝶の肩を掴んで信長が懇願すると、帰蝶は穏やかに微笑んだ。

 「きっと大丈夫ですよ殿。絶対に、何もかもうまくいきますから、ね?」

 うんうんと信長は子供のように頷いて、またゴロンと寝転んだ。帰蝶の膝の上に頭をのせる。


 信長が幸せそうに、微睡んでいるー。


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