東大通り
朝、日の出と共に街は目を覚ます。
ルインも自分の寝床から起き出して、外の井戸で顔を洗うと、着の身着のまま、ボロボロの短剣といつもの布袋を帯に着けて、街へと出ていく。
おはようさん。ああ、おはよう。
街中のほとんどは知り合いだ。顔を合わせれば挨拶くらいはする。
「おお、ルイン、昨夜は悪かったな」
安酒場クチナワ亭のおやっさんが店で余ったらしき果物を投げて寄越すのを、キャッチして、ルインはそれを齧りながら空いた手を問題ないという風にヒラヒラさせた。
ルインが呑んでいたら、近くの酔客が暴れたので、取り押さえただけだ。
これで朝飯が浮くなら安いものだ。
ルインの朝は商店街、これは日によってあちら、こちらと通りを変えて、覗いて回り、最後に大通りの屋台の相場を確認したら、だいたい終わる。
普段なら屋台で一番安い果物を買って朝飯にするが、今日はもらったので、そのまま城門を巡って旅人を待つ。
最近では東の城門からプレイヤーが来るので、東に行くのが基本になってしまった。
ルインを知らない人からすれば、何を朝からフラフラと遊んでいるのか、と思われるかもしれないが、案内人として、ルインは誠実だった。
旅人と街を繋ぐ。それが案内人の仕事だ。
城門を抜けた旅人が、旅の埃を落とすように被っていたフードを落とした。
東の大通りの先、街の中心街へと続く大きな噴水を遠く眺めて、キラキラとした瞳を細める。
その髪色は朱色で、風にはためくマントの中には、ピカピカの銀の鎧。大きな荷物を持たず軽装なのは、アイテムボックスの『魔術書』があるからだろう。
プレイヤーだ。
そう思ったルインは、顔ににこやかな笑顔を浮かべて近づこうとしたところで、横合いから別のやつが旅人に話しかける。
「アンタ、このルナリードの街ははじめてなんじゃないか?
右も左も分からないんじゃ辛かろう。
俺はこの街で案内人をやっているブレイクってもんだ。
行きたい場所があるなら言ってくれ!」
案内人は別にルインだけではない。
基本的に案内人の仕事に就くのは引退寸前の冒険者だ。
この街に流れ着いて、冒険者として、旅人として長くこの街を見てきた者が冒険の合間、余暇を使って案内人になる。
ふと、ブレイクとルインの視線が絡み合う。
この客は俺のだから、お前は別のやつを捕まえろ、とブレイクの視線が語り、大丈夫か、そいつは訳ありだぞ、とルインが眼で合図を出すも、ブレイクはそれを一顧だにせず、腰の銀器をチラつかせた。
銀器。銀の意匠が施された短剣はベテラン冒険者の証だ。
それにブレイクは平時でもプレートアーマーこそ着ないが、鎖帷子に長剣を背負うような慎重さがある男だ。
ルインは仕方なく引き下がった。
「それで、どこから来たんだ?
いい身なりをしている割には軽装だな……」
「いい身なり。まあ、課金装備だからそれなりにね。
あんたも強そうじゃないか」
「はっ! 強そうだって?
この国で冒険者をやって三十年だ。銀器を取れるのは百人いたら一人ってとこだな。
がははははっ!」
「へえ、三十年で百人に一人か……それが凄いか分からないけど、多少は歯応えあるのかなっ!」
朱髪の男がいきなり腰のものを抜いて斬りつける。
ブレイクは「ぬおっ!」と叫びながらも、それを避けた。
「いきなり、何しやがる!」
「ははっ! やっぱり……はじまりの街は戦闘禁止エリアだったけど、他の村と一緒で、ここは戦闘禁止じゃないんだ!」
「てめえ……狂人かよ……」
ブレイクが背中の長剣の留め具を外して抜いた。
「ブレイク!」
ルインはいきなりの出来事に声を上げる。
城門を抜けてすぐの狼藉だ。
屋台を出していた街の者たちが叫びながら逃げていく。
「違うね。レベル上げだよ。
皆が気付いていない今がチャンスなんだ。
程度の低いモンスターをちまちま狩るより、NPCの方が経験値が旨い。
この雷鳴の剣なら、格上も殺せるしね。
【検索、技ページ】」
朱髪の男の近くに半透明の『魔術書』が現れる。
ブレイクはギョッとして後退る。
「衛兵! 衛兵を呼んでくれ!」
ルインは必死に叫んだ。
「【袈裟斬り】! 【一閃】!」
朱髪の男が技を繰り出す。
ブレイクは一撃目をどうにか受け流し、二撃目も受けたが、それで長剣が跳ね飛ばされてしまう。
「ちっ! おい、プレイヤー!
神兵が人間を襲って、どうなるか分からないか!」
ルインがボロボロの短剣を抜いて、前に出た。
「神兵? なんだそりゃ?
たまにNPCは変なこと言うよな。
ここら辺は改善点として運営に上げるべきかね? 【速攻】【雷鳴剣】」
朱髪の男は顔にハテナを浮かべて、一人納得したかと思うと、一瞬でブレイクとの距離を詰めた。
「ブレイク、避けろー!」
「ひっ、く、来るな!」
雷鳴が響く。ブレイクの鎖帷子に包まれた片腕が飛んだ。
「ぐあぁぁぁっ!」
「うっそ、マジで……雷鳴剣が入らねぇ……さすが百人に一人!
こりゃ、経験値ウマウマじゃん!」
朱髪の男が剣を振り上げる。
それはブレイクが死に体なのを見た舐めプレイなのか、ただ単にWPを温存したのか、技も何もない一撃だ。
そこにギリギリで割り込んだルインが短剣でソレを受け止めた。
強い力だ。到底、腰が入っているとは言えない振り下ろしに、人間技とは思えない程の力が込められている。
ルインはソレをどうにか止めながら言う。
「名前くらい名乗れよ……」
「おいい、邪魔すんなよ、ボロ装備!
……あ、もしかして、これで俺の名前が売れちゃうフラグか?
いいね、それ! 俺はモルガ。
ちゃんと広めてくれよ!」
朱髪の男モルガは、鍔迫り合いからその力だけでルインを大きく跳ね飛ばした。
ルインは必死に転がり追撃から逃げるが、モルガはルインを狙わなかった。
ブレイクにトドメを刺そうと動いていたのだ。
だが、それをギリギリで押し止めたのは城門の門番であるメヒカとその部下たちだ。
「そこまでだ!
お前にこの街の住人を害する権利はない!
かかれっ!」
メヒカの号令と共に、その部下たちが長槍を繰り出す。
「おっと、あぶねっ、こっちか!」
三人の部下が繰り出す長槍を、野性的な動きで弾き、避け、ギリギリで躱したモルガが距離を取って笑った。
「おほーっ! やれんな、俺!
多人数戦もいけんじゃん!
アーマー入れとこ……【スリップアーマー】かーらーのー、【雷撃斬】!」
モルガの鎧が魔導の光を放つ。さらに軽く振っただけの剣から雷撃が迸る。
雷撃に撃たれた一人の部下が黒焦げになって死んだ。
「魔導剣だ! 油断するなっ!」
魔導工学の発達により、この世界では魔法の素質がないものでも使える魔法がある。
範囲も規模も限定的で、本職の魔法使いに言わせれば、油樽のようなものと言われてしまうが、誰にでも扱える魔法、それが魔導具だ。
生活に密着した簡単なものから、軍事兵器や特殊な空間を創り出すようなものまで、用途は様々だがプレイヤーにとっては特殊効果付きの武器・防具という意味合いが強い。
ルインは屋台に放り出されたままになっている果物を包んでいる布を引っ張り出して、どうにかブレイクの血を止めようとしていた。
「ああああああああぁぁぁ、腕……俺の腕がぁぁぁっ!」
「命は残った! 大丈夫だ!
逃げるぞ!」
「くそおぉぉぉっ! 俺の腕を奪いやがってぇええっ!」
ルインはブレイクを引き摺るようにして、モルガから離れていく。
おそらく今頃、城門の伝令が領主に事の次第を伝えて、完全武装の対魔騎士たちが用意をしているはずだ。
ルインはそう考えて、時間を稼ぐことだけを考える。
「【雷撃斬】!」
「ちぃっ!」
ルインが気づいた時、メヒカの部下は三人とも倒れ、メヒカ自身にも放たれた雷撃が迫る中、剣を地に立て、捨てることで避雷針として攻撃を避けた。
「はっ、武器を捨てちまうのが、ダメなA.I.だぜ! 【一閃】!」
メヒカの腹が鎧ごと割れて、血飛沫を吹いた。
メヒカが剣を捨てていなければ、とうに黒焦げになっていた。ただ、そのせいでモルガの次の一撃は防げなかったのだ。
「おお! さすが俺!
五連チャンかよ。おっと、初心忘れんなってやつだよな。
倒しきらないと経験値にならねえんだった」
モルガの視線がブレイクを捉える。
「くそっ! くそ、くそ、くそっ……ルイン逃げろ! 俺はもうダメだ……逃げて仇を……」
ブレイクがルインを突き飛ばした。
それでも悪足掻きなのか、ブレイクは足をもつれさせながらも逃げようとして転ぶ。
今際の際になって、ブレイクはルインを逃がそうとした。
突き飛ばされたルインは、あらぬ方向によろける。
そして、その目の前には、ブレイクの弾き飛ばされた長剣が転がっていた。
「まだ来るよな……ちょっとMPは温存しとくか……」
「このまま勝てると思ってるのか?
神兵だとしても、その力に呑まれるやつもいるってことか……」
ルインはブレイクの長剣を拾い上げて、モルガに聞いた。
モルガはルインに視線を送る。
「この百人に一人のやつって重要NPC?」
ルインの言葉が聞こえないのか、聞く気がないのか、モルガはルインに聞いた。
なかなかトドメを刺せないブレイクに重要NPCの疑いを持ったらしい。
「またそれか……モルガ、お前が殺した門番たちも重要NPCだよ……」
ルインはブレイクの長剣の重さやバランスを確かめながら、ゆっくりと構えを取る。
「ぷっ……やべぇ、こんなおもろいキャラいたのか!
じゃあ、ここに来るまでに倒した村人も重要NPCだったかも……」
モルガは、へらへらと笑った。
ルインは、カッと腹の底に燃えた鉄棒を突っ込まれたような気分だった。
長剣を手に、滑るように近づいていった。
「惜しいけど、まあ、俺の名前はすぐ拡がりそうだしな。【袈裟斬り】」
ルインはモルガとの間合いを見て、するりと下がる。
モルガの剣は素人の動きと玄人の技が合わさった妙な動きだった。
対峙すると分かるが、ブレイクやメヒカらがやられたのはこのアンバランスな動きのせいだとも言える。
素人の動きのままかと思えば、いきなり鋭い攻撃をされると、バランスが崩される。
モルガの斜め前に存在し続ける半透明の『魔術書』も問題だ。
モルガの動きに合わせるように動く『魔術書』が見えてしまうだけに、間合いがズラされるのだ。
ぶつかれば、すり抜けてしまう、無意味な物に感じるが、呪いの塊で作られた本が目の前で右往左往していると思うと、どうしても意識から外すことが難しい。
目の前に手のひらを置かれているようなものだ。
だが、ルインには知識があり、それらを見る時間があった。
「あれ、当たらねえ……?」
不思議そうにモルガは自身の『雷鳴剣』を見た。
「あ、もしかして、その長剣、スキル付きのレアだったりする?
とりあえず、ゲットだな。【速攻】【一閃】」
モルガが猪魔物のようなスピードで距離を詰めてきたかと思うと、そのまま流れるように横一閃の剣撃が打ち込まれる。
「あ、これコンボじゃん!」
それは達人級の剛剣と言える動きだ。
だが、ルインは流れるようにそれを長剣でいなした。
技を出すための発声は発動前に動きを説明しているようなものだ。
一度見た技ならば軌道も分かる。
金器の冒険者はそれができるから、金の器と呼ばれるのだ。
「は……?」
モルガがキョトンとしていた。
偶然だが、モルガはコンボ技、技と技の間の貯め時間がゼロになる、未だプレイヤーが到達していない領域の技を発見した。
そして、新しい領域の技ならば、決まると思っていた。
普通、主人公が新しい領域に到達したら、決まらなければ嘘だ。
そうでなければ、ゲームがゲームとして内包する主人公感、新たなモノを見つける楽しみが半減してしまう。
だから、モルガは何が起きたのか分からず、キョトンとした。
「素人がっ!」
ルインは、剛剣をいなされて身体を泳がせるモルガに、追撃を放つ。
モルガの背後から胴体への一撃。
距離が近いので、十全にパワーを載せた一撃とはいかないが、それでも充分に深手となる一撃。
そのはずだったが、モルガの鎧が光を放ち、ルインの持つ長剣の刃が滑る。
ルインが考えていた手応えの半分以下のただの殴打のような一撃。
これでは大した効果は望めない。
モルガがたたらを踏みながら、距離を取る。
ルインはその手応えのなさに、魔導鎧の脅威を感じて、やはり距離を離しつつ長剣を構え直した。
「やっべ……一撃、重すぎ!
あの長剣、ヤバすぎくん……」
モルガは、それがルインの実力だと見抜けないほどの素人だ。
だと言うのに、ブレイク、メヒカ、門番の衛兵たち五人を戦闘不能まで追い込み、殺している。
『神兵』であり、魔導剣に魔導鎧を装備した男。
ルインは慎重に動きを見極めるべく、長剣を構えた。
チラとモルガが城門を窺った。
「コイツだけ倒して、長剣ゲットで退散するか……MP温存は厳しそうだしな」
「逃げられるとでも?」
「その長剣だけでいいや。剣術スキルとダメージアップくらいはありそうだしな。
【雷撃斬】【速攻】【一閃】」
放たれた雷撃がルインを襲う。
ルインは長剣を地に立て、避雷針にする。
メヒカが見せてくれた対処法だ。
そして、突進からの横一閃は、馬鹿の一つ覚えのように綺麗な形をしている。
もう、いなす必要すら感じなかった。
ルインは技の軌道から逃げて、ボロボロの短剣を抜いた。
技終わりの、ルインにしてみれば寝てるのかと聞きたくなるような硬直。
背後から近づき、鎧のない首元に金器をあてがう。
「レア武器捨てた……?」
「リスポンはハジュマーリュか?」
「え、なんでそれを……」
ルインはそれに答えず、金器でモルガの喉を掻っ切った。
「マジか、クリティカル……」
モルガが粒子化していく。既に身体は動かないようだ。
「デスペナ……」
それだけ言い残して、モルガが消えた。
消えた瞬間、モルガの居た場所に『雷鳴剣』と金貨、いくつかのアイテムが残された。
「ですぺな?」
ルインはまたも分からない語句を頭にメモする。
そこに待っていた完全武装の対魔騎士の一団がぞろぞろと現れた。
「大丈夫か!」
「おい、こっちだ! 怪我人が居る!」
対魔騎士たちに対して、ルインは大きく手を振るのだった。