アマティーラ神殿2
ルインには目的があった。
『神兵』について、神官に詳しく聞きたいと思っていたのだ。
「神官長はお時間取れるだろうか?」
ルインは三人組のプレイヤーを送り出した後、神官に話をする。
神官はルインに三人組を案内してきた分のチップを払いながら、待つように言って、神官長に話を通してくれる。
神殿裏手は華美な装飾が排除された質素な建物が並ぶ場所で、石造りの煮炊き場で鍋を回しているのが神官長だった。
「ええと……神官長様でしょうか?」
「柄ではないんですがね。長く神にお仕えした分、責任が重くなります」
ルインが案内された先には一人しか見当たらないので、聞いてみるとそう答えが返ってくる。
神官長は可愛らしいフリルの入ったエプロンを神官服の上から羽織った壮年の男性だ。
面長であごが長くて、目に光がない。
目に光がないせいで、何を考えているのか読み取り難いという印象がある。
ルインはなんと言ったらいいか分からず、軽く目を伏せた。
「ああ、失礼。近くの食堂で使わなくなったエプロンを譲り受けて使っているもので、お目汚しでしたな」
神官長がエプロンを取ろうとするのを、ルインは止めた。
「いえ、お食事の支度中に失礼しているのはこちらです。どうか、お気になさらず」
「そうですか。では失礼して、このままお話しをお聞かせ願います」
そう言って、神官長は小皿にスープを取ると、軽く味見をして、塩を二つまみほど足してから、薪を横に避けた。
このまま、弱火で煮込むのだろう。
鍋から、くつくつと煮炊きの心地よい音が響く中、ルインは話を切り出す。
「お忙しい中、すいません。
実は、神官長様が昔、説教の時に話しておられた『神兵』についてもう一度、詳しくお尋ねできればと思いまして……」
「なるほど……『神兵』ですか。
『神兵』はこの世界の長い歴史の中、何度か現れています。
それは必ず時代の転換点というべき時に現れるのです」
そこまで言って、神官長は鍋を軽く掻き回す。
それから、謳うように話し始める。
「神々、相争いぬ。神兵争いの渦よりい出て、神威示さん。
人よ、畏れよ、人よ、崇めよ、人よ、鎮めよ。
末待つべからず。ひとよなり。
……これは古くから語られる『神兵』にまつわる文言です。
『神兵』とは神々の争いが起きる時、人の世にその神威を示すべく現れます。
人は、畏れ、崇め、それを鎮めなければなりません。
この世は人の世であり、日豊、もしくは陽豊、今がこの世が満ちた、ここが昼夜逆転の分岐点の末に来たと報せる音音が『神兵』なのです。
それは神々にとっては一夜として著されるものに過ぎませんが、だからこそ、人は人として、ただ末を待つなという教えの文言でもあります」
「つまり、『神兵』の出現はこの世の終わりを知らせるもの……?」
「神の世界の全てを、人の子である我らに知る術はありませんから、それがこの世の終わりなのか、新しい時代の幕開けを示すのかは分かりません。
ただ、神の教えによれば、神威の体現者として、神兵が現れ、我ら人は、それを畏れ、崇め、鎮めなければなりません。
ただ、末を待つなというのが教えです」
ルインは神官長の話をなんとか咀嚼しようと頭を捻る。
「神々の争いなんて、迷惑でしかないじゃないですか。
何故、神は争うのですか?」
「さあ?
神々は何かと言うとすぐ争われますからね。
お気に入りの人間を取った、取られた。
あの神と仲良くしたのが気に食わない。
どちらが強いか試したい。
火種ならそこら中に転がっているものです。
そんな中で、人が何かできるようなことはありませんよ。
だから、我らは祈るのです。
畏れ、崇め、鎮まり給え、とね」
その通りだとルインも感じる。
大いなる力を持つモノを前にした時、結局のところ人は無力なのだ。
ふるり、とルインの背筋を冷たいものが走る。
それは、仲間を失ったドラゴンとの戦いの記憶だ。
ルインが畏れ、今も必死に蓋をしようとしている記憶。
ルインは畏れを抱いた。
どうするかと問われた時、畏れを選んだのだ。
しかし、神々がソレでは、神に救われることも難しい。
結局のところ、ルインの魂に刻まれたひび割れは塞がることがないままだ。
「ふむ……貴方には、深い心の傷がおありのようだ」
神官長はルインの青ざめた顔色から察するものがあったらしい。
「何故、それを……」
「顔色が悪いからですよ。魔法も奇跡も使えませんからね。
ただ、私にできるのは説法と、忙しい皆のための料理くらいのものです。
温まりますよ」
神官長は皿によそったスープをルインの近くの台に置いて、スプーンを添えた。
「……」
「まずは貴方の心を鎮めなさい。空腹は考えが悪い方へ行くばかりです。
それから、私の話をもう一度、思い返してください。
いつか、貴方の心に届くといいのですが……」
ルインは出されたスープをゆっくりと啜る。
大した物は何も入っていないくず野菜とひと欠片の肉のスープだが、それはいい塩梅で腹の中に貯まっていく。
腹の底からじんわりと熱が拡がり、身体の芯に響くような気になる。
そうして、ルインが言われた通りに自分の心を鎮める努力をしていると、神官長は唐突に言う。
「プレイヤーでしたか?
貴方が懸念されている者たちは」
「あ……神官長様もご存知でしたか……」
「ええ、ヴァニラさんでしたか。
何度か死体安置所に現れて、お話もしましたね。
私の場合、顔が強面のせいか、なかなか上手くお話を聞かせてもらう訳に行かず、難儀しましたが……特性を見る限り、確かに『神兵』のようですね 」
「やはり……」
「今、陽豊、時代の転換点の訪れを感じます。
我ら、脆弱な人の身で何ができるかは疑問ですが、ただ座して末を待つことはアマティーラ様の教えに反します。
人は、人として何ができるのか、それを考えるべき時が来たのでしょうね……」
「畏れ、崇め、鎮める、か……」
「はい。神威の前にできることは限られますが、まずは知らねばならないでしょう。
神威の体現者、プレイヤーとはなんなのかを……」
神官長はそっと両手を合わせて、祈った。
それは、どこにでもいる神々との対話にも、己の中の神との対話にも見える、純粋な祈りの姿だ。
ルインは声を掛けるのもはばかられるような気がして、じっとその姿を眺めた。
ゆっくりと目を開いた神官長だが、目に光がないので、やはり何を考えているのかは分からない。
「よろしければ、今度は私にプレイヤーのことを教えていただけますか?」
「ええ、よろこんで!」
ルインと神官長はたっぷりと言葉を交わす。
ここルナリードの街で最大派閥を誇るアマティーラ神殿の神官長は、ルナリード公爵や城代家老クロバル男爵と直接意見を交わせるほどの権力者でもある。
彼がプレイヤーを『神兵』であると認めることは大きな意味を持つ。
ルインがここで神官長と話せたことは、それなりに意義深いものになるのだった。
神官長との対話が終わり、しばらくして、三人組が戻って来る。
神殿の前で待つルインのところへ来た三人は言う。
「ストンプボアと動きは大して変わらない。聞いておいて助かったぜ」「ほらよ、これがアイアンボアの牙だ」「ふたつもレベル上がったよ。もうステータス開いていいかな?」
「そうか。やはり成長が早いんだな。
じゃあ、次だ……」
ルインは新しい依頼を提示するのだった。




