銀の金蔵屋
ふらふらと彼は街をうろつく。
鍛冶屋のオヤジに挨拶し、薬師のババアの顔を覗き込み、革細工のオッサンに睨まれ、八百屋で朝飯代わりの丸カブリの実を買って、それに齧りつきながら、またふらふらと歩く。
年の頃は三十手前。
街は朝日と共に動き出しているのに、定職がある風にも見えず、あちらの店、こちらの店と冷やかしながら、ただふらふらと歩いている。
身なりは旅人風でありながら、マントも大きな荷物もなし、腰に差している短剣は意匠が剥がれて、使い込まれていると言えば聞こえはいいが、持ち手の革は今にも擦り切れそうなボロボロだ。
鎧もなく、胸当てと肘当てから、旅から旅の流浪の冒険者に見えなくもないが、こんな軽装では魔物や山賊の出る街の外で、一晩すら過ごせないだろう。
街のゴロツキだって、もう少しマシな装備をしている。
街に居着いた流れ者。
それが彼のようだ。
そして、まともな仕事もなく、ふらふらと街をうろついている。
「また、そんな捨て犬みたいな格好して!」
宿屋の前の道を掃除している看板娘に叱られる。
彼のムスッとした顔を見せて、視線を逸らす様は、まさに捨て犬のようだった。
「金が厳しいんだよ……マナには分かんねえだろうけどな……」
ぼそり、と呟かれた言葉を聞き逃さず、看板娘は、あれれ? と顔に疑問を浮かべた。
「最近は旅人が増えたって聞いたけど?
幾らか入ったんじゃないの、ルイン?」
名前で呼ぶくらいには彼と看板娘の関係は良好のようだ。
「どうにも変なやつばっかりでなあ……仕事にならねえの!」
「そろそろ本業に戻ったらいいじゃない」
「今はこっちが本業だよ……」
またもや、捨て犬のような目をして、ルインはそっぽを向いた。
看板娘は、困ったような、それでいて仕方ないわねぇといった顔でルインを見ると、エプロンから紙に包まれた物を取り出した。
「はい、これあげるから元気出しなさいよ」
見れば、それは焼き菓子のようだ。
乾燥させた果物が練り込んであって、おそらくは看板娘のお楽しみのオヤツだろう。
「いや、これを……ぐっ……貰っとく……」
「そうそう。ヤマモモ亭名物、ヤマモモ焼き。昨日のだけど、味は保証するから」
ルインは大事そうに紙包みごと短剣と反対に吊るした布袋にしまった。
一度は、貰う謂れはないと突っ返すか迷ったようだが、結局のところ甘味の欲望に抗えなかったらしい。
ルインは看板娘のマナと分かれて、また街をうろついている。
瞬間、ルインの瞳が獲物を見つけた肉食獣のように光った。
それは旅人だ。
キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回している。
まるで仕立てたばかりのような上物の衣服の上に、これまた新品同様の革鎧、腰の剣もおろしたての様に見える。
ルインはなるべく人懐っこい笑顔を浮かべて旅人に話し掛ける。
「やあ、旅人さん。ルナリードの街へようこそ!
どこから来たんだい?」
髪色が特徴的なエメラルドグリーンで染色されていて、やけに端正な顔立ちをしている。
どこかのお貴族様のようだ。
「あ、え……ああ、はじまりの街から……」
ルインは一瞬、嫌な予感が頭を掠める。
ハジュマーリュ伯爵領から来たと言っていた昨日の客も似たような感じだった。
「ああ、もしかしてアンタもプレイヤーさん?」
「え、ああ、そうだけど……」
声を聞く限りでは男性のようだ。
それにしても、やはりか、という思いがルインの気を滅入らせる。
だが、ここでそれを顔に出してしまっては仕事にならない。
ルインは努めて明るい声を出した。
「そうか。俺はルイン。よろしく。
もしかして、何か探し物かな?」
「ああ、案内用のNPCか。
ええと……どこか宿はあるかな?」
なんだか馬鹿にされたようなニュアンスを感じるが、仕事、仕事とルインは自分に言い聞かせる。
「素泊まり食事なし、個室、鍵付き、みたいな条件でいいのかな?」
「そうそう。どうせ、ログアウトとログインにしか使わないからね。
やっぱり、いいA.I.積んでるなぁ。まるで本当に会話してるみたいだ」
ろぐあうと、ろぐいん?
会話してるみたいだと言われるが、ルインは本当にこれで会話が成り立っているか不安になる。
「ちなみに、ルナリードには何をしに?」
ルインは道を案内がてら聞く。
「ああ、レベル上げ」
当然、ルインはレベルという言葉は知っているが、まさか回答として使われる語句だと思っていないので、何かの食べ物かと勘違いした。
れべる揚げ。ここらの名産にはないので、聞いてみる。
「そりゃなんだい?」
「あ、分かんねえか。ええと、そうだな……強くなるために来たんだ」
「強くなるため? それならタジュカラの闘技場とかじゃないか?」
「お、フラグ立ったか!
それ、どっちにあるんだ?」
またまた聞き慣れない単語にルインは困惑する。旗が立ったと言われても、何の旗だよ、と内心でプレイヤーのおかしさに辟易としながら、聞かれたことに答えてやる。
「タジュカラはハジュマーリュの街の南だぞ」
「ええと、こっちからだと南東か……」
ルインはさすがに驚きを隠せなかった。
「まさか、鎮め森を通るとか言わないよな?」
「鎮め森?」
「強力な魔物が封じられていて、鎮め森には瘴気が渦巻いてる。おかげであの森はここら辺でも魔物が飛び抜けて強いんだ。
悪いことは言わない。あの森には入らないことだ」
「おおっと、狩場情報キター!
なんレベくらいが推奨?」
「いや、だから推奨しないって話をしてんだが……」
お互いの話が噛み合わない。
ルインは困ったように頭を搔くと案内する宿を決めた。
少しぼったくりになるが、木賃宿の八人部屋を一人で使ってもらうとしようと考える。
まともな宿に紹介するのは怖い客、基本、素泊まり雑魚寝の宿も人数分払わせれば、業突く張りの親爺も納得するだろうと算段をつけた。
旅人を案内する。
宿の前で、旅人を待たせて親爺と密やかに口裏を合わせると、ルインは旅人に説明を始める。
「ここが銀の金蔵屋って宿で、あそこにいるのがここの親爺のガッポだ。
素泊まり一泊三ジンだ」
ジンはこの世界の通貨単位で、最小はルーンと呼ばれる。
一ルーンが百個で一ジン。
丸カブリの実が一個、一ルーン。
木賃宿の素泊まり雑魚寝が一泊三十ルーン程度が基本だが、旅人はどうも常識に疎いお貴族様らしいし、部屋の広さと閂で鍵が掛けられるのだから、三ジン程度は取れると踏んだ。
「三ジン……意外と安くて助かったよ」
旅人が素直に払うと、ルインは内心で強く舌打ちした。
くそー、もっとボレたか、と悔しがるが、顔には人懐っこい笑顔を張り付けておく。
「へえ、広いね! いちおう、鍵というか密室だし、これでログアウトはオッケーだな」
「他に行きたいところはあるか?
鍛冶屋でその立派な腰の物を研ぐとか、旅の埃を落としたい、なんなら旅の恥を掻き捨てる場所もいいところを知っているぜ!」
「ああ、いいよ、いいよ。
適当に自分で散策するのも楽しみだしね。
それに君はどう見ても重要NPCには見えないしね」
えぬぴーしー? ルインはまたもや首を捻る。
本来なら、もう少し稼ぎたかったが、街の案内は出しゃばらないのが肝だ。
親切心を起こして痛い目を見るのは分かりきった話なので、素直に下がることにした。
「それじゃあ、いい旅を!」
最後まで旅人は名乗らなかったな、と頭に刻みながら、その場を辞してガッポから手間賃をもらう。
ルインは手にした三十ルーンをチャラチャラと鳴らして、懐の財布に仕舞うと、また、街をうろつくのだった。
前作の設定を一部引き継いでいますが、知らなくても問題ありません。
知ってる人は、ああ、また運営が何かしてんなーと思って読んでいただければと思いますが、前作との関わりはほぼないです。
ちょっと慣れない三人称視点での物語ですので、連載は二日に一回を予定しております。