後日譚 エミリア奮闘記 後篇 3/3
何もない暗闇から、男がひとり、歩み出た。
「あーぁ、自信作だったのになぁ……今回の呪い」
エミリアが、驚きと怒りが混ざった声を出す。
「なんで……なんであんたがここにいるのよ!」
姿を現した声の主は、ほんの数日前に日本で会った、小柄な超能力者だった。
「逆だ、逆」
(?)
「ヨーロッパの闇に暗躍する天才超能力者であるこのグリモア様が、なぜ日本などにいたのか、それを訊けよ」
「なにが天才よ!わたしにコテンパンにやられといて!」
「お前の父親にやられたんだよ!あの馬鹿力に!」
「同じことじゃない?2対2だったんだから」
アンナが口を挟む。
「あらエミリア、あなたパパと一緒に戦ったの?すてきねー」
「とにかく!あんたが術者だってんなら話は早いわ!おとなしくつかまりなさい!」
エミリアが飛び出そうとした瞬間、グリモアと名乗る男は逆に一瞬で距離を詰めて、手をこちらに向けて制した。
「やめとけよ」
エミリアの体は動かない。
(サイコキネシス……日本で会ったときと、力が違いすぎる……)
「近づくと強力になるんだよ。シンプルなもんだろ?ま、そんなことはいい。今回はこれでお別れにしよう。俺だって仕掛けた呪いのことが『なんとなく』気がかりになったから、見てただけなんだからな」
男は手を下ろした。
エミリアの体に自由が戻ったが、改めて捕縛しようという気にはなれなかった。
「俺は俺の仕事をした……あんたはあんたの仕事をした……それで終わりだ。あのときだってな、お前らと戦うのは予定外だったんだ。『追い出せば追加で報酬を払う』と来たから、受けただけだよ。今はどうだ?あんたと俺が戦って、誰が俺に金払ってくれるんだ?そんなやついないだろ?だから俺は逃げるんだよ」
「くっ……だからって」
(このまま逃がしたくない)
グリモアはこちらに背を向けながら話す。
「意地でも捕まえたいって顔だな……だけどな、意地なんてもんはよ、金にならないぜ。どっかに捨ててきな」
「ねえ、あなた」
唐突に、アンナが割って入った。
「あなた、若いのにずいぶん苦労したのねぇ……いや、知らないけどね、何となくわかるわ」
「……なにか用か?」
さっきまで背中を向けていたグリモアが振り返る。
その顔は敵意に満ちていた。
(お母様、いったいなにを……?)
アンナの次の言葉は、エミリアの予想をはるかに越えていた。
「よかったら、うちにいらっしゃいよ」
「お母様!?」
グリモアは何も言わず、その表情は変わらない。
固く、閉じた心をそのまま顔に乗せたような表情。
構わず、アンナは明るく話す。
「楽しいわよー。あなた、ひとりで暮らしてるの?もし似たようなお友達も一緒にいるなら、その子も一緒に」
フッ
グリモアが息を吐いて笑う。
「おめでたいご婦人だな」
口の端を吊り上げて、目いっぱい見下した笑みだ。
しかしアンナはそんなことは気にしない。
「やだー!あなたとってもいい子ね!『おめでたいおばさん』って言われちゃうかと思ったわ」
エミリアも思った。
(うんうん、今のはちょっとポイント高いわ!)
「黙れ」
グリモアが低く、唸るように言う。
「寝込み襲われて殺される心配なんかしてないんだろ?そういう世界で生きてないもんな。幸せなセレブの奥様よぉ」
グリモアは顔に嘲笑を浮かべている。
「あらー、失礼ね。こう見えても苦労してるのよ、私も。それに、あなたより弱い人なんてうちにいないわよ」
「…………」
グリモアの顔から笑みが消えた。
グリモアが内ポケットに手を入れ、1本のナイフを取り出した。
「試してみるか?」
アンナは口を挟んだときから、ずっと表情を変えていない。
そして優しく、言った。
「試してみる?」
瞬間、グリモアが飛び出した。
獣の速度で一直線にアンナに迫る。
(お母様!)
エミリアの叫び声が出るより、アンナの明るい声が上がった。
「あ!でもー」
グリモアが止まった。
ナイフがあと数センチでアンナの喉に届く、その姿勢でピタリと止まった。
アンナは首に突き付けられたナイフなど気にも留めずに言う。
「今殺しても、お金になんないのよね?意地で殺しなんかするの、やめといたら?」
グリモアは先ほどと同じくらい素早く、アンナから離れた。
そのまま、茂みの中に身を隠し、姿を現すことはなかった。
エミリアがアンナに駆け寄る。
「お母様、ケガはない?」
「ええ、大丈夫よー」
気楽な声で答えて、続ける。
「あの子、最初っから私を殺すつもりなんてなかったわ……たぶん人を殺したことなんてないわよ」
**********
エミリアとアンナにとって、イタリアのクレモナには、入ったその日に用がなくなったが、せっかくなので最初にホテルの部屋を確保した3日間は観光で泊まることにした。
滞在中にデボラから連絡が入った。
当面、浩平とは別居し、二人の息子とともに暮らすらしい。
「マルコの職場はアントニオが紹介してくれたわ。不思議なものね、養子縁組を考えた主人がいなくなって、やっと本当の兄弟みたいになったのよ。もちろん、まだ仲は悪いわよ」
そう話すデボラの声は、明るかった。
イタリア滞在を終え、ふたりが自宅に戻った日の夜、アンナとゴリアスは大きなベッドの上で、並んで横になっていた。
ゴリアスは本を、アンナは雑誌を開いている。
ふたりの就寝時間まであと少しだ。
「ねぇあなた」
アンナが雑誌を横に置き、話しかけた。
「どうした?」
ゴリアスも本を横に置き、答えた。
「イタリアでね、とっても元気な男の子に会ったんだけどね」
「おいおい、ナンパされたとかじゃないだろうな」
「そういうんじゃないの!年なんて、エミリアとそんなに変わらないのよ、その子」
「すまんすまん、そうだったか」
「エミリアより少し上かなー?」
「で、その男の子がどうしたんだ?」
「エミリアととーっても仲が悪い知り合いみたいだったの。日本でも会ったことあるって言ってたわ」
「おい、その男って、もしかして背が高くなくて、目つきが悪い」
「あ、そうね、あなたとも戦ったって言ってたかしら」
「その子の話かい?まぁ、元気な男の子と言えなくはないが……それに、私もきみと同じことを思ったかもしれないな」
「ほんと?」
訊いて、アンナは夫の顔を見た。
ゴリアスも、ジッと妻の顔を見た。
「ああ、本当だよ」
「そっか、よかったわ。私も、思っちゃったのよね……あの子の兄さん、オリバーが大きくなって目の前に現れたみたいだなって」
エミリア奮闘記
~兄と悪魔のバイオリン~
おわり




