後日譚 A子の恋愛日誌 3/3
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漣が俺を伴って3人の前に歩みでた。
A子と小林のふたりは驚いていたが、もうひとりの俺は冷静なものだった。
自分がA子から出たものだというのは、本人にはわかるものなのだ。
漣がふたりの女性をしっかり見て、言う。
「すみません、みなさんの声が聞こえていて……どうしても気になったものですから。いいですか?落ち着いて聞いてくださいね」
彼はひとつずつ、丁寧に話した。
この神社では、いろんな人がいろんなものを捨ててしまうことがある。
そしてそれは、その人の内面を映し、つきまとう。
以前、畑中伸一が出した3人の人格を巡って、小林香織が所属する宗教団体とひと悶着あった。
今A子のとなりに立つ畑中伸一を放っておけば、生活に支障は出るし、今回の場合は職場に本物がいるのだから、職場も巻き込んでパニックになるかもしれない。
「消す方法は、私のときのように完全に捨て去るか、畑中さんのときのように、捨てなくていいものだと受け入れるか、です」
漣の言葉のあと、A子が口を開く。
「てことは、この畑中さんは、私が出しちゃったの?」
漣が答える。
「恐らくは」
A子は隣に立つ畑中伸一の姿をしたモノをまじまじと見つめる。
そして、彼はどこか申し訳なさそうに笑い、見つめ返していた。
恐らく、A子はこう思っているのだろう。
「こんなに、本物みたいなのに」と。
小林香織が、漣と俺を見ながら、口をはさんだ。
「くだらない解釈はやめてほしいです。畑中様はご存知ですよね?あなたは、人の持つ魂の光とも呼ぶべき光体を自在に操り、私たちを導く御方なんですよ?」
「それならこのA子さんも、同じじゃないですか?」
漣が言うが、小林香織は動じない。
「とんでもない。仮にそれが光体だとしてもですよ?捨てたかなんだか知らないけど、自分の想いひとつに振り回されている人なんか、真理にはほど遠いわ。畑中様は真理の光を受け入れ、ご自身のものにされています。雲泥の差ね」
A子は真理の光などには興味はないはずだが、小馬鹿にされていい気はしなかったようだ。
「そうかもね、でも、少なくともあんたよりは『畑中様』に近い存在よ?」
思わず、口を挟んでしまった。
「いや、そこで張り合うなよ」
俺を無視して小林香織が言う。
「やっぱり、白黒つけなきゃいけないみたいですね」
その言葉に漣が反応した。
「白黒……そうですよ!つけましょう!」
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宮司の野々宮漣は、小林香織、ふたりの先輩、私の4人を、社務所の中の応接室の前に連れてきた。
Web会議もプリンタのインクも「いいんです、あとでどうにでもします」ということらしい。
「では、今からふたりの畑中さんには、先に応接室に入って、奥のソファに座ってもらいます。そうすれば、中のふたりのうち、どちらが本物か、私にもわかりません」
ここまで聞けば、今から何をするのか、馬鹿でもわかる。
「A子さんと小林さん、それぞれが質問をして、ふたりの畑中さんに答えてもらう。それで、その答えを聞いて、どちらの畑中さんが本物か、当てていただきます」
「うそつき村と正直村の理論クイズみたいなものね」
(なるほど、この子との勝負にもなるし、私が畑中さんと改めて向き合うことで、恋心を捨てるか受け入れるかすれば、消せるかもしれないってわけね)
「では、畑中さんたち、お願いします」
先輩と、先輩の見た目をした私の「恋心」は、無言で従った。
漣が扉を閉めて、話す。
「ちなみに、簡単に見分ける方法があります。A子さんから出た方の畑中さんには体温がありません。これは、捨てられて出てきた存在に共通する特徴のひとつです。ですから触ればわかりますし、触らなければ私にもわかりません」
漣が扉を開きながら、言う。
「では、始めます」
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応接室に入ると、正面のソファふたつに、先輩ふたりが座っていた。
「では、A子さん、小林さん、どうぞ」
漣が着席を促したので、彼らに向き合う形で座った。
「ちなみに、A子さんから出た畑中さんは、A子さんが作り出した人格であり、A子さんが知らないことは知りません。ですから追加ルールとして、一方しか知り得ない知識の質問をするのは無効とします。例えば、部屋番号や、両親の名前などです」
「なるほどね。確かに、そのルールは必要かもね」
随分と年上のはずの漣に、小林香織が高飛車に応える。
「では、先攻後攻はコインで決めましょう。表ならA子さんから、裏なら小林さんから」
コイントスの結果、小林香織の先攻となった。
(この子は、どんな質問をするのだろう)
相手の出方は気になるが、そればかりを気にしてはいられない。
こちらが、どんな質問を投げるか、まだ決まっていないのだ。
「では、いきますね」
迷いのない小林香織の口調に、うろたえてしまう。
「畑中様、あなたがこのA子さんをどう思っているのか、お答えください。ではまず、そちらから」
小林香織が、向かって左の先輩の方を向く。
「えっと……」
(聞きたくない)
「好きな人」
(うそばっかり)
「ふふふふふふ」
小林香織が笑っている。
「決まりね!こんなにもA子さんに都合のいい答えをするなんて!A子さんが作り出した人格に決まってるわ!」
(いや、そうでもないと思うけど)
「いや、そうでもないと思うけど」
頭の中の言葉を、そのまま野々宮漣が口にした。
(そう。野々宮さんはわかってるみたいだけど、この人は、そういうずるい人。ずるい言い方をする人)
「あら?野々宮さん、私を混乱させるつもり?A子さんびいきが過ぎますよ?ごめんなさいねA子さん、出番なくって。というわけで本物はこっち」
そう言って右側に座る先輩の手を取り、小林香織は絶句した。
「え…………」
小林香織の顔を見ればわかる。
ハズレ。
体温がないんだろう。
(やっぱり、こっちのずるい人が本物だったんだ)
(あーもうほんとやだ)
(まぁでも、仕方ないよね、好きになっちゃったんだから)
「え…………」
もう一度、小林香織が声を出す。
見ると、彼女が手を取った方の先輩が、徐々に薄くなっていく。
煙のように、霧のようなもののが、畑中さんから出てきて、私の体の中に入っていく。
1分も経たずに、畑中さんは、いや、私の「恋心」は、私の中に入って、見えなくなってしまった。
漣が言う。
「今のやり取りでA子さんにどんな心境の変化があったのかはわかりませんが」
(いや、わかっても解説しないでよね)
「今消えた畑中さんが、A子さんの作り出した存在ということになりますね」
「じゃあ……」
小林香織が残った先輩を見て、言う。
「こっちが本物の畑中様?」
先輩はバツが悪そうに、小林香織を見て、視線をこちらに向けた。
先輩と目が合う。
(……そうよねー)
(こんなにずるい言い方をする人なのに、優しくて、顔はそうでもないのに、最近ちょっとかっこよく見えてきた)
好きな気持ちが捨てきれなくて、嫌になる。
(まぁ、でもしゃーないか。とりあえず小林香織には手を下さずに勝てたわけだし)
そこまで考えたとき、目の前の先輩が、急に薄くなった。
「え…………」
今度は3人全員が絶句した。
誰もが何もわからないまま、先輩は霧になっていく。
先ほどとは違い、私の中に入らず、宙に霧散した。
納得いかなかったのは、ほんの一時。
でもすぐに腑に落ちた。
先に消えた彼は、私の「恋心」。
後に消えた彼は、私の「恋心」じゃなかった。
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「そうです。畑中様はこの世の真理をお伝えくださる偉大なお方なんです」
「そ、そうなんだ。こんな、職場でも休みの日でも、いっつも何にも言ってくれない人が?」
嫉妬心がA子の言葉にトゲを添えた。
大人げなく顔を出した嫉妬をA子は振り払ったが、小林香織は笑顔を消して言った。
「……言ってほしい言ってほしいって、しつこく言ってくる人には、言う気もなくなるんじゃないですか?」
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彼は私が、あのとき振り払った、「嫉妬心」。
あのときの嫉妬心が、出てきてしまったのだ。
(小林香織よりも、私の方が畑中さんのことを、わかってる)
(それがわかったから、嫉妬心が消えていったんだわ)
嫉妬心を受け入れたのではなく、捨てることができたので、消えてしまったのだ。
3人だけが残った応接室で、漣が口を開く。
「短い時間で、畑中さんをふたりも作っていたんですね」
「ちょっと、野々宮さん、それ言わないで。恥ずかしすぎます」
「そんなことないですよ。ひとの気持ちなんて、定量的に測れるものではありません」
漣が苦笑しながら、フォローしてくれた。
ふと気になって、訊いてみた。
「野々宮さんにも、ふたりとも本物じゃないって、わからなかったんですか?」
「ええ、まったく……あれはA子さんから見た畑中さんのはずなんですが、完全に本人のように人格をトレースしていましたね」
漣の言葉に、少し恥ずかしくも、嬉しくなってしまった。
「それに、A子さんが知らないこと、つまり、あの畑中さんが知らないことが会話に出たこともあったんですが、なにも指摘してこないので、てっきり本物だと」
それを聞いて、なんとなく、腑に落ちた。
「あー、なるほど、畑中先輩って、そういうとこありますよね。訊かれてないことは自分からしゃべらなかったり、わざわざ流れを止めてまで訊かなかったり」
「てきとうに話を合わせたり、ね」
ふたりで目を合わせて笑ってしまった。
そんなふたりをよそに、放心していた小林香織が、つぶやく。
「え…………畑中様自身が、光体だった……?」
(いや、違うんだけど)
漣が丁寧に言い添える。
「そうか、小林さんにはわかりにくいですよね。えっと、そうじゃなくてですね、畑中伸一さんという人は実在するんですが……」
漣の言葉など耳にも入らない様子で、勢いよくこちらを見る。
「A子様!」
「は?」
「私が導き手だと信じて疑わなかった、この私をだましていたあの存在を、あなたはいとも簡単に取り込んでしまった……」
(ちょっとやめてよ)
「あなた様こそが……真実なる導き手……いえ、神の手なのです!!」
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A子は参道を足早に歩き、それを小林香織が追う。
「お願いします!せめてお側に置いてください!」
「やめてって言ってるでしょ!?」
「いいえ!やめません!なぜなら!やめないことこそが信仰のあかしだからです」
「あかさなくていいわよ!」
「運命を感じませんか?私を導いてくださる神の手が、今ここに……あ///」
「ちょっと!手握んないでよ!」
「お願いします……この手で……指先で……私を……導いて」
「服に入れるな!」
「奥まで……導いて……」
「こんなとこでできるかぁぁぁぁ!」
(よかったですね、畑中さん)
野々宮漣はA子と小林香織の後姿を見ながら、心の中でつぶやいた。
(A子さんの百合属性はともかく、小林香織さんからは解き放たれましたよ)
小林香織の中では、畑中伸一は「導き手」から、人を堕落させる「悪なる光体」に格下げされ、そしてA田A子は、真なる神として、あがめられることとなった。
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そのころ、つまり土曜日の午後3時前、畑中伸一は、前日の深酒からの二日酔いに苦しんでいた。
ベッドの上で、悶えながらつぶやく。
「こういう頭痛は捨てられねえんかい……」
おわり