第10話 力と力 2/3
-日曜日 9時
-物捨神社
(社務所の裏手に、こんな広場があったんだな)
石畳と砂利が敷かれた境内を抜け、社務所の裏手に回ると、そこは土がむき出しになっている広場だった。
かなり広い。小学校の校庭の半分ほどだ。
そしてそこには、仮設とは言え、立派な土俵が作られていた。
(この神社の敷地、とてつもなくでかいな)
「奉納相撲大会」と書かれたのぼりがいくつか立っていて、土俵を取り巻くようにたくさんの参加者、見物人が集まっていた。
子どもの部があるせいだろう、親子が多いようだ。
野々宮咲が拡声器を使って、受付はどこだの、開始時間は何時だの、案内を繰り返している。
(なんだ、やっぱり、ちゃんと働くんじゃないか)
周囲に目を配りつつ、明るく案内を続けている。
受付場所、開始時間、グッズの販売所。
徐々に、販売所とやらを案内する割合が大きくなっていた。
広場では多数の親子連れが知り合い同士で談笑している。
しかしそれ以上に多かったのは、レンズの長い、高価そうなカメラを携えた男たちだった。
男たちの半数は、ピンク色の法被を、もう半数は白い法被を着ている。
(親衛隊か……)
ピンクがサクラ、白がエミリアであることは、明白だった。
そしてそれぞれの色のタオルを首からかけている男もいた。
うちわ。サイリウム。カバンにバッジをつけている男もいる。
(あれらを売ってるのか、販売所で)
「おおぉぉっ」
どよめきが起こった。
男たちが慌てて構えたカメラのレンズの先に、サクラとエミリアがいた。
サクラは巫女服ではなく、ピンクのチェック柄のミニワンピース、エミリアはいつもの怪しげな白い服だ。
二人は歩みを進めて、咲を挟んで立つ。
嬉々としてカメラのシャッターを切りはじめた男たちだったが、次第に、戸惑いの色が彼らの中に広がっていった。
二人の少女の後ろに、体格の良い二人の男が立ったからだ。二人とも、すでにまわし姿になっていた。
互いに目を合わせず、静かな闘志が満ちている。
(何があったんだ?特に漣さん)
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-1時間前
-社務所 玄関
エミリアは、安心した。ゴリアスと漣がそろっている。理想的だ。
二人とも、玄関でスリッパを脱ぎ、段差になっている部分に腰かけて靴を履いている。
エミリアは不自然にならないよう、彼らより先に靴を履き、正面に回って、声をかける。
「漣、今日一日、大変だと思うけど、頑張ってね」
「ありがとう。エミリアも、手伝いすまないね」
二人の男の背後から、サクラが近づいている。
「ねえ、お父様。この間、私が畑中に押さえつけられたとき、お父様が助けようとしたのよね?」
「ん?ああ、そうだな」
「で、そのときに、漣がお父様を止めたのよね」
「まぁ、そうだな」
「漣は、お父様を止めたとき、怖くなかったの?」
「いや、そんなこと考えてなかった。必死だったからね」
「非常時とは言え、この年で甥っ子と取っ組み合いをするとはな」
ゴリアスが豪快に笑う。
「じゃあ、普通にやったら、お父様と漣は、どっちが強いの?」
二人が驚いた表情でこちらを見る。その瞬間、サクラが動いた。
「そんじゃ今日も一日よろしくおねがいしまーっす!」
サクラは自身の言葉の最後の部分で、二人の背中を叩いた。
二人にも、エミリアにも見えなかった。
サクラが二人の背中に、小さなプライドをひとつずつ押し込んだ瞬間は。
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(絶対おかしい、漣さんがあんな行動に出るなんて)
『えー、それでは本日の奉納相撲の大一番をご紹介しまーす』
咲の声はこの上なく楽しそうだ。
『男性の部には二人の巨漢が飛び入り参加!』
漣とゴリアス。目こそ合わせないが、二人の闘志が一層強まる気配を感じる。
『注目の美少女、こちらのエミリアちゃんの父親で、イギリス出身のフィットネストレーナー!ゴリアス・ヴィクトール!』
咲は手にした小さなカードを読んでいる。仕込みが細かい。
『そして、すでにこの神社のアイドル的存在になっているサクラちゃんの親戚。この神社の宮司を務める、心優しき強面相撲経験者、野々宮漣!』
エミリアとサクラだけを撮るつもりでカメラを構えていた男たちは、少しだけレンズの角度を変えて、再びシャッターを切りはじめた。
『本日の相撲大会、行司は野々宮キョウジが務めます!』
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-12時
-物捨神社 広場
拡声器を通した咲の声が響く。
『えー、それでは子どもの部が終わりましたので、ただいまから男性の部を始めます。男性の部は参加者の辞退が続出したので、ゴリアス・ヴィクトールと野々宮漣の取組のみとなります。女性の部のスタートは早まる予定ですので、ご注意ください』
(そりゃあの二人が出るとわかったらな。賞品もなく、優勝の名誉だけほしさに、わざわざケガしに行く物好きはいないか)
土俵ではすでに、行司を務めるプライドを挟んで、二人が対峙していた。
キャアキャアという楽しげな声を上げながら、女性たちが土俵に向かってカメラを構える。
(あの三人が揃うと、かなり幅広い層をカバーできそうだな)
「見合って見合って」
プライドの声と動きに合わせて、対峙する二人が構える。
(それにしても、毎度思うことだが、絵になる)
(以前あいつに言われたが、俺のプライドの高さがそうさせているんだよな)
「はっけよい……のこった!」
二つの巨躯が、最短距離を進み、衝突した。
肉体同士がぶつかりあう音が生まれたはずだが、聞こえなかった。
それよりも「ゴォッ」と吹いた突風に観客は驚いた。
気迫が気圧となって、土俵の周りに風を生んだのだ。
「ズ……ズズズッ」という、両者の足の裏と土俵の土がこすれる音は、さながら難敵への敬意にも聞こえる。
ゴリアスは漣の巧みな体捌きに舌を巻いた。
一度のぶつかり合いだけで勝負が決するとは思っていなかったが、ここまで手こずるとも思っていなかった。
(やるな……漣よ)
押し続けることはできない。次に押すため、一度引くが、そこを漣は決して見逃さず、押し込んでくる。
それに対してわずかに軸をずらし、正面からぶつからないようにする。
(やはり叔父さん、力だけの人じゃない……)
漣は目の前の、齢60になろうかという叔父を、尊敬さえした。
相撲という競技に慣れていないはずなのに、この老練な駆け引きはなんだ。
両者の激戦を前に、カメラに類する機器を持った者は、それを使わざるを得ない。
ある者は動画に残し、ある者は静止画に残し。またある者はビデオ付き通話で抑えられない興奮を誰かに伝えている。
「絶対に負けられない」
誓いにも似た両者の心の叫びが、見る者の心を動かしていたのだ。
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三度目の取り直しの宣言がなされたあと、勝負つかずとなった。
これに対し、両者同時に抗議の声を上げようとしたが、行司が二人に歩み寄った数秒後、ふたりは毒気を抜かれたように、受け入れた。
土俵を取り巻く群衆から自然と起こった拍手は、大喝采となった。
人々の心を揺さぶるほどの激闘を見せた二人は、なぜかばつが悪そうだった。
そしてその二人を残して、行司は姿を消していた。