日常の光
灰色の空から滴る無慈悲な雨には誰も憂鬱な心情が強いられるであろう。
冷たさが飢えと疲弊を、
暗さが不安と孤独を、
歩くたびに重なる足元の重さはどの道を進もうとしてもしがみついてくる。
いくら一つの場所で留まろうとしても、それは生き物である限り許される怠惰ではない。
生きるために歩き続ける…
行きつく先にあるものを求める者達は今日も「外灘」で集う。
暗い町はずれの田舎で火薬と血の匂いが入り混じって、血より黒い赤のスーツの人達に囲まれた埃だらけの庭がある。
木製の門は破壊され、大きく空いた穴の縁には目が痛い程鋭い棘が木の繊維によって形成されている。門を潜ってすぐには大きな庭があり、庭の中央には大きいお腹を抱えた薄い藍色のドレスを着た女性が血のたまりの中に半目で倒れている。更にそれを囲むように床には木鉢の破片が散乱していた。
庭の奥に進むと、そこには灰色のコンクリートで作られた一階建ての小屋があった。小屋を入ってすぐに鏡のように反射する真っ黒なグランドピアノがある。重く疾走感のある音が響き渡る中で、鍵盤を奏でるトレンチコートを羽織る三十路のおっさんが体を上下揺らしながら彼の夢への第一歩を祝す。そしてそれを祝福するかのように5人ぐらいの赤スーツの青年が木製の片手斧を床に倒れる白髪の老人に叩きつける。
戦慄する旋律には優雅さがあり、あたりの骨の砕ける音、肉を断つ音、刃が真っ赤な床とぶつかる音が乱雑ながらも合わさって、彼らの野望と執念が滲み出てくる。
クライマックスになると庭にいる赤スーツ達が一斉に持ち場を離れ撤退する。不規則な革靴の足音は急かすような感じがなく、ただ淡々と一歩ずつはっきり音が鳴った。
足が遠ざかるにつれ、ピアノの音が大きくなり鍵盤をたたく音が聞こえた時に、三十路が立ち上がり白髪の死体に向かった。安全ピンを抜いた手榴弾を死体の口に半分まで咥えこませ、門をくぐり抜けて黒のシボレーを乗った。車のエンジンがかかった次の瞬間に三十路が銃の引き金を引き、燃え盛る小屋を後にした。
平穏の田舎に火薬と旋律を撒いた「騰華堂」が一週間後組織壊滅に遭う事はのちに上海の裏勢力に属する誰もが知る事件となった。
雲が広がる青い空からの日差しが容赦なく、一日一日必死に生きる人々に喝を入れる。そんな中で上海の名の知れたイギリス租界のホテル=ホテル・ヴィクトリアで髪をセットする22歳の青年が居た。
艶のある黒髪をワックスでオールバックを決め込み、透き通った鼻と細長い目が鏡に映る。昨日研いたナイフで泡だらけの顎に当てジャッジャッと髭を剃る。顔を洗い、歯を磨き、爪も研ぐ。白シャツを着て、サスペンダー付きの穴あきジーンズを履く。最後に玄関のドアーに掛けている白に近い灰色のジャケットを着て、壁に飾っている斧をジャケットの中に隠す。身嗜みを整えた青年は部屋を出て廊下から木製の階段に向かった。
いつも同じ時間に起き、同じ手順で身嗜みを整えるため、青年は毎日上から八段目の階段を掃除しているおばさんに挨拶をする。階段から降りると彼はエントランスを通り抜け、ホテルを出る。幅十五メートルの道を渡りながら白い外車に乗り込み、黒に近い赤のカンフートプスに黒の袴を履いた中年の隣に座る。
「おはよ、董じい。運転手の小僧に何かあったん」
「十七君の発作がまた出てしまってなー、他の幹部のシマでまた盗みをしでかしたんや。今は白ちゃんにしつけられている最中だよ」
「白君の所で盗みをしたのか…命知らずだな」
「よく言うわ、あんたが唆したんじゃないのか?」
「流石に口の軽い若造には誘導しない、喋られちゃ困るからな」
「お~怖い、青臭い若造だからこそ口が堅いじゃないのかね?わしも知らぬ間に君に操られたりしないのか不安だの~」
「黙ってさっさと十七の所まで飛ばせじじい」
「はいよ」