6. 最も大切なこと
■ 4.6.1
HMDに投影される外部モニタ映像は圧巻の一言だった。
SF映画や、或いはTVプログラムのオープニングなどで、カメラの視点が宇宙の遙か彼方から地球に近付き、雲を突き抜けて急速に地上に迫り、最終的にどこかの都市のありふれた街角に落ち着く、と云った映像を多分誰しも見た事があるだろう。
勿論それは全てCG合成の映像であって、もし現実にそんなことが出来る乗り物があるのであれば、想像を絶する速度を出すことが出来、凄まじい急制動(高加速)を行うことが出来るということになる。
しかしヤル・スプ基地の離着床を離れ、雲を突き抜け満天の星空に向けて駆け上がっていく「艦隊」から見える映像は、まさにあれを逆回しにしたような迫力を持っていた。
ただ惜しむらくは、俺達の乗る戦闘機が連結されている「軌道空母」の推進装置がAGG(人工重力発生装置)であるため、どれほどの高加速をしていようと搭乗している俺達はGを全く感じることがなく、HMDに投影される映像が現実感のないまるでただの映画のシーンを見せられている様に感じられてしまったことだった。
窓の外に見える景色では無く、HMDに投影される映像であることも、その現実感の無さに一役買っているかも知れない。
しかし例え現実感が損なわれていようとも、その映像はまさに自分がその様に動いているのだという認識はある訳で、各種センサー類が正しく動いている事を確認する離床後のチェック作業の傍ら、俺はその景色に半ば見とれていた。
「艦隊」は一瞬で雲を抜け、雲海を遙か下に眺めて柔らかな月光降り注ぐ高空に到達した。
月の光を浴びてもこもこと柔らかそうな雲が銀色に光る。
当たり前のことだが、雲を抜けても上昇する速度が衰えることはなく、軌道空母は更に増速しながら地球の大気圏の中を駆け上がっていく。
「全員聞こえるか。」
俺達9012TFS(ルサールカ隊)の大隊長であるコレパノヴァ中佐の声がレシーバーから聞こえた。
「サズヴィエーズヂィ01の『艦内』回線を使えるのは有り難いな。皆、チェック作業を進めながら聞いてくれ。
「俺達は今から人類で初めて、宇宙空間で行われる戦闘に赴く。皆よく分かっていると思うが、宇宙空間で大規模戦闘行為を行う事も初めてなら、ファラゾア相手に宇宙空間で戦闘するのも初めてだ。ファラゾアの艦隊に手を出すのも初めてだ。初めてづくしの戦いで、最も大事なことは何か知っているか?」
沈黙が降りる。
誰も経験したことのない戦いに対して、何が重要な事か聞かれても答えがよく分からないというのが本音のところだ。
ま、皆チェック作業で忙しいだけなのかも知れないが。
チェックを馬鹿にして疎かにすると自分の命に直接関わるのだ。
「皆、チェックで忙しいか。まあいい。
「何もかもが初めての戦闘で、最も重要なのは情報だ。自分達がどの様に戦ったのか、敵はどの様に反応したのか。何が良くて、何が拙かったのか。あらゆる情報が重要だ。それを持ち帰ることで、次回の戦いを有利に進める事が出来る。新たな戦術と、新たな兵器の開発のヒントになる。
「だからお前達、生きて帰ることを第一の目標としろ。勿論、地上からもありとあらゆる手段で戦闘を観察している。戦闘に入る前には大量の偵察衛星も放出する。だがお前達のバックパックに収められていて、お前達と一緒に回収される予定の記録器には、唯一無二の主観的な戦闘データが格納される。
「そして何よりも、お前達自身の記憶と経験が大切だ。後から記録を振り返りながら、何を思ってその様な行動をとったのか、なぜそうしなければならなかったのか。行動の理由と判断の情報が一緒になって初めて、主観的データが生きてくる。そして戦場から持ち帰ったお前達自身の中の経験は、次の出撃でのお前達自身の生還の可能性を大きく上げる。
「その重要な情報を必ず持ち帰れ。一時の激情や、短期的な戦果に気を取られて破れかぶれの突撃などしてはならん。必ず生きて帰ること。情報を持ち帰ること。それが人類全体、延いてはお前達自身にも何よりも大切なことだ。」
ま、そうだよな。
戦いを考えれば、何よりも重要なのは情報だよな。
俺達はただの兵士だ。
戦場で失われる幾万、幾百万の命のひとつにしか過ぎない。
思わず皮肉に嗤ってしまう。
すると一瞬置いて中佐が再び口を開いた。なぜか少し照れたような口調で。
「ま、なんだ。この三ヶ月間寝ても覚めても猛訓練で、それっぽい事が何も出来てないからな。一度お前等と一緒に酒を飲みたいってのもある。だから死ぬなよ。どうせ飲むなら、勝って美味い酒の方が良いだろう。」
一瞬沈黙が降りた後、レシーバから他の隊員達の笑いが聞こえた。
「えっとそれは隊長の奢りって事で? でも基地に酒なんてないっすよ?」
誰かが明るい声で答える。
「ここはロシアの基地だぞ。輸送機のパイロットに金渡しゃ、酒の十本や二十本どうにでもなる。」
今度は明らかに、隊全員から笑い声と歓声が上がった。
「俺一度本場のウォッカってヤツが飲んでみたかったんだよ。」
「何言ってる。祝勝会はビールと決まってる。異論は認めん。」
「バッカお前、そこはシャンパンファイトだろ。マジ一回やってみたかったんだわアレ。」
勝利の美酒というやつにお国柄かそれぞれ思い入れがあるようで、サズヴィエーズヂィ01の有線通信回線が一時騒然とする。
悪くない雰囲気だ。こうじゃなくっちゃな。
青筋立ててバックに縦線入れて、悲愴な顔して敵艦隊に突っ込むなんて、その先全滅する悲惨な未来以外見えてこない。
舐めてんのか、と言いたくなるくらいに心に余裕が無ければ、上手く行くものも行かなくなってしまうってもんだ。
それならば俺は、やはり俺の個人的な勝利の女神であるところの艶やかな黒髪のマイエンジェルの声を聞いておかねばやる気が出ないというものだ。
スロットルに取り付けられたダイヤルを回し、コンソール上のカーソルを操作して9番機への1対1通話回線を開く。
拒否された!?
うーむ。変わらぬ一匹狼ぶりと塩対応。
マイエンジェルは今日も平常運転である様で祝着至極。
いつもの塩対応に俺のハートも平常心を取り戻せるというものだ。
・・・哀しいからそういうことにしておく。
・・・負け惜しみじゃ無いんだからね。
祝勝会とアルコール飲料の種類に関する一連の騒ぎが収まり、「艦内通信」回線が静かになった。
出撃後起動前チェックを一通り終えた俺は、何を見るとも無く外を眺めている。
HMDに投映される外部映像は、眼下に広がる雲海が遙かに遠ざかっていき、真っ直ぐだった地平線が丸くなってきて、徐々に地球という球体を視覚で捉えることが出来る様になってきていた。
頭上には生まれてこの方見たことの無いほどの数と密度で星が煌めき、何もない所という印象だった宇宙空間が実は想像以上に賑やかで美しい場所であることを俺に告げている。
遙か三十万km彼方のファラゾア艦隊を光学的に捕捉する為、この機体の光学センサーはとても優秀だった。
その優秀なセンサーは、小さな点でしかない遠い星々や、地表の僅かな明暗の差もまるで肉眼で見たかのように綺麗に拾う。
宇宙と地球の境界線は僅かに白く煙り、視線を動かすと僅かな光を発しているウラジオストクの市街地や日本列島を眺めることが出来た。
憧れていた、というほどでも無かったが、それでも己の祖先がやってきた場所として常に意識し、薄らとした望郷の念を感じさせるそのユーラシア大陸の東端から溢れ落ちたように横たわる島々を、まさかこんな形で眼にすることになるとはと、妙な感慨を伴って俺はその島の連なりと島々を縁取る僅かな明かりの線から目を離す事が出来ないでいた。
「全機に告ぐ。核融合炉始動十五秒前。」
例のウサンクサイ少将ご自慢の「軌道空母」サズヴィエーズヂィであるが、例えその能力の限界値が200Gでの加速であろうとも、それを大気圏内で発揮する訳にはいかなかった。
エンジンはそれだけの加速が出来ても、その加速の結果発生する強烈な風圧に「艦体構造」が耐えられない。
艦体も何も、要するに超高張力チタン鋼で出来た骨格を組んで、そこにエンジンと操縦席と、俺達が乗るSu-102を十五機括り付けただけなのだ。
故に大気圏をほぼ完全に脱して高度100kmに到達するまで、加速は僅か2G程度に抑えられていた。
大気が無くなってからはその加速性能を遺憾なく発揮し、高度1万kmを超えるまでの間ぶっつけ本番の試運転も兼ねて徐々に加速を上げていって、最終的には100Gに到達する予定だった。
その途中、高度200kmを越えたところで俺達のSu-102は、大気圏内では流石に遠慮して停止していたエンジン、即ち核融合ジェットに火を入れる。
200kmも離れれば地上での放射線密度は相当に下がる事と、艦隊が軌道を変更した後なのでSu-102のエンジン噴射から地球が外れる、という理由による。
「点火5秒前、3、2、1、点火。」
レシーバから聞こえてくるコレパノヴァ中佐のカウントダウンに合わせ、こればかりは耐Gスーツを固定具から外して指で直接押さなければならない「エンジン点火」と書かれた赤いボタンを押す。
押すと同時にボタンは赤く輝き始め、背中の方から軽い機械動作音が聞こえてきた。
コンソール左下隅に表示された核融合炉モニタ上に「RUNNING IGNITION SEQUENCE」と赤文字が重ねて表示されて、脇に表示された数値がぐんぐんと増加していく。
そして人類史上初の宇宙空間を想定した戦闘機に備え付けられた核融合炉が起動・・・しなかった。
代わって「MISFIRE」(失火)の赤文字がリアクタのインジケータの上に表示されて点滅し、長い電子音がレシーバの中で鳴る。
眉間に皺が寄るのを自覚しつつ、再び点火スイッチを押す。
再度ボタンが赤く光り、もう一度点火シーケンスが繰り返され、そして再び失敗した。
もう一度試して見るも、結果は変わらなかった。
これはまずいな。
「大尉。08シミズ中尉です。エンジンが点火しません。」
俺はチャンネルを2番機であるA1小隊長のカスティージョ大尉に合わせて報告した。
「何だって? もう一度やってみろ。」
「はい。三回トライしました。三回とも点火しませんでした。現在四回目実施中です。」
「まずいな。燃料は供給されているか? コイル電圧は? レーザー点火器は正しく動いているか? 磁束強度は上がっているか?」
A1小隊長であるカスティージョ大尉から指摘された項目は、当然の事ながら起動前チェックで確認した項目だ。
リアクタ管制メニュー画面を開き、再度各項目を確認する。
問題無い。
「再確認。問題ありません。テストシーケンスを再度走らせます。」
「おう。」
メニュー画面の「TEST SEQUENCE」ボタンにカーソルを合わせて押す。
燃料をカットしたままに各所にテスト信号が送られ、疑似動作状態になる。
管制メニューの脇に開いた黄色い文字のテスト結果リストに次々と「CHECKED」の文字が表示されて緑色に変わっていく。
結局、「FAILED」の赤文字はひとつも表示される事なく、全ての項目でチェックはパスして終了した。
詰まり何の問題も無いと言っている。
ならば、と再度点火ボタンを押すが、結果は同じ。
エンジンは点火しない。
「大尉。ダメです。テストシーケンスはクリア。でも点火しません。」
コンソール上では、接敵予想時間までのカウントダウンが始まっている。
大きく表示されたそのデジタル時計は、あと六分足らずで各戦闘機がサズヴィエーズヂィから分離され、交戦が始まる事を示している。
コンソールにトラブルシュータを表示し、「運悪くエンジンが点火しない時」に参照しろと言われた項目を表示させる。
記述に従いエンジン周りの電圧や、動作状況を確認するがどこにも悪いところは見つからない。
焦る。
エンジンが起動しないという事は、レーザー砲さえ撃てない何も出来ない状態で戦闘空間に突入するという事のみならず、その後の減速が行えないという事でもある。
つまり、第二宇宙速度を大きく超える速度で宇宙空間に放り出されてしまう事となり、俺は月の周回軌道で減速できずどこか宇宙の彼方に向けて漂流し、そしてそのまま地球の引力圏を離れてしまって二度と戻って来れなくなる。
そしていつか遙か先の未来、太陽系からも飛び出して遥か恒星間宇宙の彼方に消えていくのだろう。
勿論その時まで酸素が持つ筈も無く、俺が生きているはずもないが。
いずれにしても、このままエンジンが起動しなければ間違いなく死が待っている。
機動できないただの標的となってファラゾアに撃ち殺されるか、あるいは太陽系を漂う漂流物となって酸欠で窒息死するか、のどちらかだ。
残り五分。
焦りながら再びチェックシーケンスを走らせる。
チェックリストが全て緑に変わる。
再び点火ボタンを押す。
だがエンジンに火は入らない。
「中尉。点火できたか?」
「ダメです! トラブルシュータでも解決しません!」
残り四分。
今や俺達攻撃部隊は、数分間に渡るサズヴィエーズヂィの加速に依って得られた速度を与えられ、対地球速度100Km/secを越える速度で月に向かって突き進んでいる。
サズヴィエーズヂィはすでに減速に入っており、あと四分ほどでL1ポイントに到達する。
クソ、なんで点火しねえんだよ。
死に直面して泣きそうになりながら、点火ボタンを押す。
敵と戦い、力及ばず撃ち墜とされて死ぬならばともかく、こんなマヌケな理由で死ぬなんてあり得ない。
残り二分。
もう何度目か分からない点火ボタンを押そうとした時、視野が真っ白に染まり、まるで巨人に力一杯ぶん殴られたような衝撃が、俺の身体を耐Gスーツに充填された耐Gジェルに叩き付けた。
全身の骨が砕けそうな衝撃と共に息が出来なくなり、ふっと意識が途切れた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
前話の投稿予約設定を失敗してしまいました。火曜日のつもりが、月曜日に投稿してしまい。
まあ、だからどうだという話なんですが。
地球と月の間、たった40万km弱の空間で重力推進を使った宇宙船を用いた艦隊戦(?)は、せせこましくて大変です。
たかだか1000Gの加速でも一瞬で行き過ぎてしまいますし。かと思えば、月の引力は弱すぎてブレーキに使うには貧弱で。
だからといって非重力推進で10G加速を延々と行うような、どこぞのイカレた貨物船パイロットみたいな真似をそうそうさせるわけにも行かず。
初めて宇宙空間に出て戦闘をした人類の苦しみとはまた少し違った苦しみを味わっています。(笑)