3. Operation 'MOONBREAK'
■ 4.3.1
当然のことだが、訓練は連日続けられた。
窓の外を見れば雪と氷に閉ざされた真っ白な世界が延々と広がっており、真昼でも気温がプラスになる事は無い。
天候が荒れて吹雪になれば視界はほぼゼロで、昼間でも僅か数百m向こうの建物が全く見えなくなる。
そんな中、わざわざ屋外に出ようなどという気になる訳も無く、ここヤル・スプ基地に配属された俺達の行動範囲は、急ごしらえの仮設基地か前線野営地のような粗末な建物の中を移動するだけという極めて狭い世界に限定されていた。
ただでさえ引力の計算式だの、軌道計算法だの、宇宙線被曝だのと今まで存在さえ知らなかったような知識を連日詰め込まれ、憂さ晴らしに空を飛ぶことも出来ず、モニタ画面の中でおかしな挙動をする宇宙機の操縦を延々とやらされて、何もかもが上手く行かずに気が滅入っているところに持って来て、外に出る気にさえならないこの閉ざされた空間にカンヅメになっているのでは、冗談では無くそのうち仲間内から精神を病む奴が出るんじゃないかと不安になって来る。
一度宇宙に出たら機体の外に出ることは出来ず、空気がある所に帰ってくるまで宇宙服のヘルメットはずっと閉じたままで、常に酸素の残量を気にしながら戦わねばならないのだという。
もしかすると今のこの閉鎖的で精神にくる環境で訓練を続けているのは、実戦でのその手の精神的重圧に負けないような訓練もかねているのではないかと、俺達は乾いた笑いと共に仲間内で冗談を言い合っていた。
「ヤル・スプ国連宇宙軍基地」と言いつつも、窓の外を見ても何もない。
除雪しなければ使い物にならない程に滑走路上に厚く積もった雪の平原が広がるだけで、あとは格納庫や、通称「バラック小屋」と俺達の中で呼ばれている粗末な造りの兵舎や管制棟が滑走路の周りにパラパラと配置されているだけだった。
宇宙軍というならば、ロケットや宇宙船のひとつでもあるのが当然だろうと思うのだが、ロケットどころか航空機でさえ、偵察用と思われるSu-24などというヴィンテージモデルが数機と、気象観測用の型式もよく分からないレシプロ機が数機、格納庫の中に眠っているだけだ。
もっとも、ついこの間までF15やF16といった第四世代機が最前線で主力となって活躍していたのだから、Su-24もそう馬鹿にしたものでは無いのだろうが。
そうやって気の滅入る閉鎖的な環境の中で訓練は続けられ、2043年は暮れていき、そして年が明け2044年がやってきた。
もちろん、年が明けたからと言って気の滅入る訓練が終わる訳は無く、俺達は黙々といつかそのうち発狂しそうな訓練を続けたのだった。
■ 4.3.2
28 Feb 2044, Jar-Sub U.N. Space Force secret base
A.D.2044年02月28日、ヤル・スプ国連宇宙軍秘匿基地
「注目!」
紹介はされていたが既に早々と名前も忘れてしまったナントカ中佐の声が食堂の中に響く。
ナントカ中佐はまるで新品のように型崩れしていない黒色の国連宇宙軍の二種礼装、いわゆる普通の制服を身に纏い、キャンティーンの席に着いている俺達を睥睨していた。
キャンティーンには今、百人近い人間が詰めている。
その全員が、ナントカ中佐の合令で口を閉じ、僅かに緊張した雰囲気で中佐とその隣に立つ少将の階級章を付けた背の高い男の方を向いていた。
昨年の十一月からたっぷり三ヶ月間、ウンザリして心の病にかかりそうな訓練をこの基地で受けてきた俺達9012TFSと9013TFSだったが、この一週間でそこに更に9014から9016TFSの四十五人が追加で合流した。
話を聞くところによると、彼らはそれぞれ日本やハワイにある宇宙軍の施設で俺達同様の訓練を三ヶ月間受けてきたとのことだった。
そのほぼ全員があの三ヶ月にわたる訓練のこととを「気の滅入るクソッタレな訓練」ということで意見の一致をみていたが、ベーリング海に面したユーラシア大陸の一番端っこで雪と氷に閉じ込められてその三ヶ月を過ごすのと、冬とは云っても外を出歩くのに苦労しない日本とでは精神的な追いつめられ方が全く違うものだっただろうと思う。
ましてや、常夏の国ハワイで椰子の木とビーチとビキニに囲まれてあの三ヶ月を過ごせたなど、最初その話を聞いたときには思わず殺意が芽生える程だった。
「これより Operation 'MOONBREAK' について、本作戦遂行責任者で在らせられるマクシミリアノヴィチ・ドルゴラブチェフ宇宙軍少将から説明がある。全員、傾聴。」
ナントカ中佐が、巻き舌音の強いくぐもったようなロシア訛りの強い英語で、厳めしい名前の少将をいかにも厳めしく紹介した。
その厳めしい名前の少将は、ナントカ中佐が後ろに下がると一拍おいて前に出てきて、いかにも厳めしく咳払いをしてから口を開いた。
「紹介に与ったドルゴラブチェフだ。諸君、長く厳しい訓練、ご苦労だった。諸君等のその訓練の成果を示す時が来た。国連宇宙軍は月-地球間の宇宙空間に停泊する敵ファラゾアの宇宙空母を中心とする地球軌道降下部隊に対する大規模反攻作戦を策定し、これを実行に移す事となった。作戦名を『Operation 'MOONBREAK'』という。諸君等は、地球人類による初めての宇宙空間での大規模反攻である、この栄えある作戦に参加するべく世界中の最前線から選ばれた優秀なパイロット達だ。その様な優秀な部隊と共に戦えることを私も誇りに思う。」
厳めしい名前の少将は、そこで一旦言葉を切っていかにも自信ありげな頼もしい微笑みを浮かべて俺達全員を見回した。
共に戦うったって、あんたはオフィスのデスクに座ったままで、俺達だけが実際に戦場に突っ込んでいって血を流すんだがな。
ま、そう言わなきゃ格好は付かないし、俺達が流した血がこの厳めしい名前の少将を昇進させることになるわけだから、そういう意味では確かに「共に戦って」いると言わなきゃいかんのだろうな、と腹の中で皮肉に笑う。
その後、厳めしい名前の少将が長々と愚にも付かない美辞麗句を並べ立てて、俺達がいかに優秀であり、この作戦がいかに有意義であり重要なものかを延々と説明し始めたが、既に飽きてしまって話に興味を失った俺は、斜め前の席に座っている黒髪のマイスイートエンジェルの後ろ姿を愛でることでつまらないオッサンの演説を頭の中から閉め出した。
着任以来事ある毎に彼女に近付き話しかけてきたが、俺達の関係は一向に進展を見せていなかった。
彼女の俺に対する態度は相変わらずシベリアの寒気並みに冷たく、今でも幾ら話しかけようともまともな会話のキャッチボールが成立することは皆無だった。
それでも俺はこの美しい天使に話しかけ続けていた。
追いかけていって掴まえて話しかければストーカー行為とされてしまうが、顔を合わせる度ににこやかに挨拶をして、二言三言言葉を掛けるのは好意を持った相手に対するごく当たり前で控えめな接し方の範囲に入る。
幾ら邪険にされようとも気に入った女には何度でも話しかけて気を引こうとするが、ストーカーにならない様に俺なりに一線を引いているのだ。
このシベリアの雪と氷と同じように、氷のハートもいつか融けると信じて。
いつか春が来れば、あの愛らしい顔で俺に笑いかけてくれ、二人で楽しく過ごすことが出来るようになるに違いないのだ。
厳めしい名前の少将はまだダラダラと何かを喋っているが、その後ろでナントカ中佐が壁に地図を貼り始めた。
地図と言ってもそこに描いてあるのは主に青い円と、少し小振りな黄色い円だけだった。
その地図の内容と、スケールをみてかなり嫌な予感を感じつつも、厳めしい名前の少将がそろそろ作戦の説明に映る頃なのだろうと、俺は名残を惜しみつつ天使の美しい黒髪と後ろ姿から視線を無理矢理引き剥がし、見ているだけでウンザリしてきそうなオッサンに注意を戻した。
「それでは作戦概要の説明を行う。本作戦名は Operation 'MOONBREAK' だ。作戦目的は、ラグランジュポイントL1に集結するファラゾア艦体を強襲し、打撃を与える事。これにより次なる敵の軌道降下を阻止する事が間接的な目的だ。」
厳めしい名前の少将が誇らしげに宣言すると同時に、ナントカ中佐が壁に貼られたマップにマーカーを貼り付けていく。
地球を示しているのだと思われる青色の円の上に青い磁石が十五個。
そして攻撃目標を示す赤い円が月の近くに置かれた。
「順を追って説明する。攻撃隊は十五の飛行隊から構成される。各飛行隊の戦闘機は地上往還型の『軌道空母(Orbital Carrier)』搭載されてここヤル・スプ基地と、太平洋某所、およびヨーロッパ某所に存在する三箇所の宇宙軍基地から出撃する。」
ナントカ中佐が青い磁石を五個ずつの三つの固まりにして地球の上に置き直した。
「軌道空母の主推進器は最新の人工重力発生装置である。化学ロケット、或いは核融合ロケットよりも遙かに高い加速力を持つため、全ての飛行隊は軌道空母に搭載された状態でL1ポイント近傍まで移動する。」
ナントカ中佐が青色のマジックで地球から赤い円に向けて矢印を描いた。
「各飛行隊、即ち攻撃隊はL1ポイント到達直前に軌道空母から分離し、L1ポイントに停泊している敵艦隊を強襲する。攻撃隊はその後減速しつつ月周回軌道にて月の裏側を回って軌道を変更の後、地球に帰還する。」
ナントカ中佐が青マジックで月の周りをぐるりと囲む線を引く。その矢印はそのまま真っ直ぐ伸びて、行きの青線と交差せず大きく回って地球の近くまで戻ってくる。
「攻撃隊を分離した後に軌道空母部隊は地球の静止衛星軌道まで戻り、攻撃隊が月から戻ってくるのを待つ。軌道空母は帰還した攻撃隊からパイロットのみを回収し、その後大気圏に再突入して再び地上に戻ってくる。」
ナントカ中佐が、地球の近くまで引っ張った青い線の矢印の先に星印を描き、更に線を延ばして矢印は無事地球に帰り着いた。
「回収と固定に多くの複雑な作業と長時間を要するため、攻撃隊が使用した戦闘機は宇宙空間で廃棄する。軌道空母はパイロットのみを回収する。」
厳めしい名前の少将が、言葉を切ってキャンティーンを見回す。
誰も声を上げる者は居ない。
ちなみに俺はというと、話のスケールがでかすぎていまいち頭が付いて行けていない。
月というのは、夜空にかかっていて時々見上げると黄白色の柔らかな光を降り注いでくる、たぶんあの「月」に違いない。
俺の常識では、月というものは夜空に見上げるものであって、決してその向こう側を自分がすり抜けて来る様なものでは無かったはずだ。
そもそも人工重力発生装置ってなんだ。機動空母? ラグランジュ? ワインか料理の話か? 余り美味そうじゃ無いが。
「本作戦は、我らが地球に対して次から次へと大量の戦闘機を軌道降下で送り込み、占領地域を広げ、同胞を殺戮する敵ファラゾアの物資集積点を撃破することで、敵戦力に損害を与え、地球に対する軌道降下を遅延させ、あわよくば阻止することが目的である。」
厳めしい名前の少将はそこで一瞬言葉を切り、再び食堂全体を見回した。
「特に一万機を超えるような大規模軌道降下を行う前には、敵は必ずL1ポイントで戦闘機を複数の空母に格納し、その後戦闘機を満載した空母が地球の周回軌道に移動した後に一斉に軌道降下を行うという流れが確認されている。
「そしてまさに今現在、この我々の頭上L1ポイントで、敵空母四隻に続々と戦闘機が格納されるという作業が行われている真っ最中だ。」
少将は右手の人差し指で頭上を指差す。
現実感が無い。
月は遙か彼方、宇宙飛行士が行って石を取ってくるところであって、俺がそこに行ったり、俺が撃破しなければならない敵がその周りでうろちょろしている所であると言う実感がまるで無い。
「僅か三十万kmの距離、月のこちら側で、その辺りのショッピングセンターで子供向けに売っている天体望遠鏡でさえ確認できるような、そんな我々の目と鼻の先で我々に姿をさらしながら、奴等は我々を攻撃する為の準備を悠々と行っている。こんな舐めた真似をいつまでも許してなどおけない。いつまでも奴等に舐められたままで済ませることなど出来はしない。そこに行って、ふざけた真似をしている奴等の横っ面を張り飛ばしてこい。自分達が喧嘩を売った相手は、いつまでも指を咥えて殺されるのを眺めているだけではない、殴り返す力があるのだという事を奴等に教えてやれ。」
そう言って少将は後ろに貼ってある地図を肩越しに振り返り、握った左手を赤い円の上に叩き付けた。
大きな音がし、叩き付けられた拳の振動で磁石が全て吹っ飛び、床に落ちて跳ね回る音がした。
ナントカ中佐が慌ててそれを拾い集める。
どうやらこの厳めしい名前の少将は、敵の所業に相当腹が立っている様だった。
少将は聴衆に聞こえないほどに軽くひとつ息を吐くと、今度は落ち着いた口調で再び口を開いた。
「では諸君。君達が搭乗する機体へと案内する。付いて来い。」
少将は踵を返すと大股で食堂の出口に向かった。
ナントカ中佐がその後を追う。
食堂にいる百人弱の兵士達の中から、力強く「イエス・サー」という返事がまばらに聞こえた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
そう言えば書きませんでしたが、導入時に使用していたPCモニタでやっていたゲームみたいなフライトシミュレータに加えて、キッチリ筐体の中に入って、操縦桿やモニタの配置も実物と同じシミュレータが基地に十台納品されています。
シミュレータのスコアでトーナメントとか、ライバルとの戦いとか、ヒロインとの絡みとか、ウザいんでそっくり全部ボツりましたが。