35. 人工重力発生装置 (Artificial Gravity Generator)
■ 3.35.1
20 March 2042, North Pacific Ocean, near to Japan
A.D.2042年03月20日、北太平洋、日本近海
暦の上では春とは言え、人が何も装備を着けずにその身を直接さらせば、さほど長くない時間の内に命を失ってしまうほどに冷たい海の下、水深300m近くを航行する一隻の大型潜水輸送艦があった。
その名をCSS-2043「まきしお」と名付けられたその潜水艦は、ここ数年日本海軍が活発に建造を続けている潜水輸送艦の一隻で有り、ごく最近その主機を開発されたばかりの潜水艦搭載型核融合炉に換装したばかりであった。
全長125mにもなる巨大な船殻を持つ事と、凍るように冷たい海水から冷却水を得て調子良く回り続ける核融合炉を持っていることが、この艦が今この海域で任務に就いている最大の理由であった。
まきしおには艦長以下八十六名の乗組員と、そして十八名のゲストが現在搭乗している。
十八名のゲストのうち一名は、日本軍参謀本部から派遣された佐官であり、他の十七名のホスト役、或いは引率役と言って良かった。
残る十七名は全て戦時特例で軍の階級を与えられた民間人であった。
その民間人の集団のリーダーである、技術開発本部先進装備開発局の逆井技術少佐、現在でも国立重力研究所人工重力理論部主幹研究員である男とその部下達が、潜水輸送艦特有の広い貨物室に設えられたモニタールームで、計測器端末や大型のモニタの間を忙しく行き来していた。
「指定海域に到達した。有線ドローン射出。ステージ切り離し準備。」
当たり前のことだが、窓のない潜水艦から外の景色は見えない。
指定の海域に到達したのかどうか、逆井達に確認する術は無かった。
もちろん、軍がそんなところで嘘を吐くなどとは思っていなかったが。
今から試験を行おうとしている技術の実用化をもっとも強く切望しているのはその軍なのだ。
「遠藤、パワーゲイン来てるか?」
着慣れない海軍の青い作業着を着た逆井が、コンテナハウスのようなモニタルームの端にいる男に視線を投げた。
「OKです。問題ありません。ついでに、全センサーのピン応答正常。接続正常。いつでも切り離しOKっす。」
「OK。本田、チェックシーケンス開始しよう。時間がかかる。浮上してもたもたしてる内にファラゾアに見つかるとか、シャレにもならん。」
「諒解です。チェックシーケンス開始。モニタリング正常。問題無ければ十分程度で終わります。」
「切り離したらすぐに超伝導コイルの冷却を始めるぞ。高橋、大丈夫か?」
「今からすぐに取りかかってもOKですよ。いつでもどうぞ。」
「畠中、HR-DGG動いてるな?」
「うぃっす。三軸正常。」
「全員問題無いか? 切り離しシーケンス始めるぞ。」
「問題なし。」「OK。」「ウィーっす。」「いつでもどうぞ。」「問題ありません。」
部屋のあちこちで、モニタの向こう側や、装置筐体の谷間、配線とラックのジャングルの中といった様々な場所から返事の声が聞こえる。
逆井は全体を見回しひとつ頷くと、おもむろに館内電話の受話器を取り上げた。
「CICですか? こちらモニタリングルーム。準備OKです。いつでも分離開始してください。」
逆井が受話器を置いてしばらく経ったところで、モニタリングルームのスピーカが突然喋り始めた。
「こちらCIC。これより人工重力発生装置一号機起動試験を開始する。速度0.2kt、ステージ切り離しシーケンスを開始する。ステージ浮上展開後にステージコントロール全権をモニタリングルームに移管する。
「ステージエアタンク50%ブロー。ブロー開始。」
モニタリングルームの全員が見える壁に設置された大きなメインモニタの端に表示されている黒いコマンドコンソールに「STAGE; AIR TANK BLOW TO 50% / 0% 」とテキストコマンドが表示され、スラッシュの右の数字が徐々に大きくなっていく。
「ブロー率50%に到達。『まきしお』、ステージをパージする。パージ。ステージタンクフルブロー。深度上昇250・・・200・・・150・・・100、ブレーキ展開。浮上速度10m/s・・・5m/sに低下。深度50。浮上速度2m/sに低下。」
「索敵情報。」
「上空ドローン索敵、敵影無し。」
「ソナー感無し。」
「GDD感無し。」
「ステージ浮上可と判断する。浮上最終シーケンス。フロート展開。フロートブロー。ステージ深度20m。浮上速度1m/s・・・深度10・・・深度5、3、2、1、ステージ浮上。全スタビライザ展開。ジャイロコンタクト。フェアリング展開。」
CICからの声がフェアリングの展開を告げると共に、モニタリングルームの壁で真っ暗だったモニタの幾つかが突然明るくなり、穏やかな海面と遙か彼方の水平線を映し出した。
「天候晴れ、波高2.5、北北西の風風速5.5、敵影無し。船影無し。全パッシブセンサ感無し。起動試験可能な状況であると判断する。モニタリングルーム、ステージのコントロール全権をそちらに渡す。以後緊急時以外ステージ周辺に関してCICはモニタのみ行う。以上。」
「さて。やるか。まずは全モニタと全センサの再チェックだ。」
腕を組んでモニタの前に立って、洋上の風景を眺めていた逆井が言った。
「モニタ1番から28番まで異常なし。」
「温度センサ、全て異常なし。圧力センサ、全て異常なし。放射線センサ・・・」
逆井の声に応じて、担当する計測器類のセンサの調子をスタッフ達が次々と報告し始め、静かだったモニタリングルームの中が徐々に騒然とし始める。
国立重力研の逆井の部下が五人、あとの十二人は開発に携わった民間企業の技術者達からなるこのチームは、地球人類が史上初めて作り出した人工重力発生装置(AGG:Artificial Gravity Generator)試験一号機の起動試験を今まさに始めようとしていた。
難航に次ぐ難航で、開発開始当初は遅々として進展を見せなかった人工重力発生装置の開発であったが、ある時を境に突然急速な進展を見せ始め、本格的な開発開始から僅か六年という驚くほどの短期間で試作一号機の完成へと漕ぎ着けた。
この開発速度は、日本にその仕事を割り振りつつも、装置が形になるまでに早くて十年、長ければ五十年近くもかかるであろうと高をくくっていた国際先進技術吸収プロジェクトの管理部門のみならず、当該プロジェクトに参画する全ての国や団体の関係者の度肝を抜くほどの速さであった。
その研究を統括した逆井は、これまで得体の知れなかった重力というものの本質を解き明かし、そしてそれを人の手で作り出すことに成功したことで、平時であればノーベル賞などの国際的な科学賞を総なめにしたであろうと言われた。
泥沼の中を進むように思い通りに進んでいなかった研究開発がある日突然進み始めたブレークスルーについて逆井は余り多くを語ることは無かった。
多くのマスコミやジャーナリスト達からの取材に対して、彼の部下や同僚は口を揃えて「ある日逆井の元に神が舞い降りた」と、冗談とも本気とも付かないようなコメントをしていたが、まるでそれまで溜めていた力を一度に解放したかのようなブレークスルーとその後の開発進捗は、まさにある日を境に神がこの研究チームに手を貸したかの如く、関係する誰もが目を見張る速度であった。
余りの突然のブレークスルーとその後の進展から、どこか他の研究チームや発明者のアイデアを盗用したのではないかとの噂も囁かれるほどであったが、今まで誰もが成功したことの無い分野で群を抜いてトップを独走する彼のチームが成果を盗用できる対象となるライバルなど他におらず、その様な口さがない陰口はすぐになりを潜めていった。
誰もが予想さえしないほどの短期間で開発された人工重力発生装置であったが、その試作一号機の起動試験を国立重力研で行う訳にはいかなかった。
北関東の田園地帯とは言え、重力研の周囲10km以内には五十万人もの住人が居住しており、また100km圏内には関東平野のほぼ全てが含まれ、その中には東京都心部のみならず、今や日本の航空産業の本拠地となった北関東の工業地帯がすっぽりと含まれてしまう為であった。
人工重力を発生する装置の試作一号機の試験を行うという話を聞いて誰もがまず最初に思い付いたのは、試験失敗による装置の暴走であり、その暴走の結果かの有名なブラックホールというこの世の深淵なる暗黒の大穴を日本列島のど真ん中に開けることになるのではないかと云う危惧と恐怖であった。
実際の所、万が一装置が暴走したとしても、ブラックホールなどと云う非常識な存在に変わるよりも遙か前に装置が高重力で圧壊してしまうため、それは全くの杞憂ではあるのだが、世間一般が「人工重力」というものに対してどういう考えを持っているか、という事を知った逆井は、その的外れな杞憂をネタに部下の研究員達とひとしきりジョークを言い合ったものだった。
的外れな杞憂であろうが何であろうが、世間一般は人工重力発生装置の試運転というものをその様に捉えており、そしてその世間一般の中には政治家や地方自治体の官吏などが含まれていた。
その結果、関東平野のど真ん中(?)でその様な危険な実験を行うのはまかり成らんとの声が強くなり、重力と引力の区別も付いていないような地元自治体の長から正式な抗議文を受け取るに至って、どこか装置の試験に適した場所を知らないかと、国立重力研は大手スポンサーのひとつであった日本軍に泣きついた。
そこで日本軍が提示したのが、潜水可能なプラットフォーム上に装置を固定して日本列島から遠く離れた太平洋上に曳航し、プラットフォームに満載したセンサやモニタで状況を確認しながら、研究チーム自身はプラットフォームを曳航してきた日本海軍の潜輸の中で遠く離れた位置から試験をコントロールする、という案であった。
実のところ、もし地上にブラックホールが発生したならば、それが東京であろうが南氷洋であろうが関係なく、地球全体がブラックホールに徐々に吸い込まれていく緩慢な死を待つ他に手立ては無く、この対応策は専門家である逆井達にしてみれば噴飯物のハリボテのような計画であったのだが、抗議の声を上げた政治家や官吏、そして日本国の主権者である国民がその計画に納得してしまったため、当事者でありつつも「その計画に騙されるな!」と声を上げたくなる衝動を抑えつけ、試験が出来るならもうどこでもいいやと半ば呆れ、半ば諦めながら日本軍の提示した計画に乗った。
計画が承認された時、逆井は乾いた笑いを発しながら、日本軍の中には随分質の悪いジョークを考えつく奴が居るものだ、と妙な親近感を感じたものだった。
いずれにしてもそれが今、彼等が太平洋のど真ん中に潜む日本軍の潜輸の中でモニタを睨みながら、遙か数十km先の洋上に浮かぶ「ステージ」と名付けられたプラットフォーム上に固定された人工重力発生装置(AGG)の起動準備をしている理由であった。
「オーケイ。全チェック完了。超伝導コイル温度は?」
「65K。」
「よし、起動試験開始。パワー供給開始。フラッシュコンデンサに通電。HR-GDD、空間歪曲率に注意。変化出たら読み上げろ。『まきしお』融合炉出力50%を越えたら警告。」
「諒解。」
タチの悪いジョークのような建前の仮の姿とは別に、逆井が本質を捉えよく練られていると感心しつつこの計画に乗った理由のひとつがこの電力供給の問題だった。
最新型の日本海軍の潜輸はすでに核融合炉を搭載し始めており、2.0MWを越えるその出力は、膨大な電力を食うAGGの電源として最適であった。
さらにAGGをプラットフォームに乗せて、ケーブルで電力を供給するようにしたことにより、それこそ万が一AGGが暴走したとしてもいつでもパワー供給をカットして動作を強制停止することが出来るのだった。
「量子エレメント(QE)スピナ通電開始。電圧100kVからスタート。最初は100刻みで上げるぞ。1000kVを超えたら50刻みだ。」
「諒解。QES通電100kV。」
「フラッシュコンデンサのキャパシティに安定に注意しろ。スピナピエゾ電圧下げ。
「QES電圧上げ。200。」
装置を制御する担当の者が神経を削り、動作をモニタする画面を眺める者が手に汗を握って立ち尽くす、張り詰めた空気がモニタリングルームを満たす中試験は次々と進行していく。
「QES電圧、1200。」
「HR-GDD?」
「変化無し。」
「QES電圧、1250。」
「GDD変化無し。」
「QES電圧、1300・・・あ。」
空間に干渉し歪曲させる素子、即ち重力を発生させる機構に掛けた電圧が1300kVを越えたとスタッフが読み上げた次の瞬間、AGGを視覚的にモニタしていたカメラ画面が大きく揺れた。
同様の変化は全てのカメラ画像に発生しており、そして次の瞬間あらゆるセンサ値がゼロになってモニタリングルーム内に大音量で警報が鳴り始めた。
「・・・HR-GDD感あり・・・ましたが、現在ゼロ。」
「供給電力ゲインゼロ。」
「・・・AGG、消失しました。」
余りの突然の出来事に呆然としていた全員が我に返り、口々にモニタリング情報を大声で報告し始めた頃に、腹の底に響くような水中衝撃波がまきしおを襲い、船体を大きく震わせた。
「超高速度カメラ画像出してくれ。」
疲れ果てたような逆井の声が、一時の騒ぎが収まったモニタリングルームに響く。
モニタに映し出された超高速度カメラ画像には、ステージを蹴りつけたかの様に大きくたわませ、ケーブルや固定ボルトを引き千切り、周囲の海水を球状に吹き飛ばして、まるで砲弾のように真上に向かって飛び出して行くAGG本体の姿が、毎秒500万フレームの超スローモーション画像として残っていた。
「AGG試作一号機、暴走したと思われます。超高速度カメラ画像から、発生重力は5000G前後と推定。」
何年も掛けて作り上げてきたものが、一瞬で消滅した。
その喪失感と脱力感に、部屋の中の誰もが声を失い、身動ぎさえせずにモニタ画像を眺めていた。
余りに一瞬のことで、データがどれ程取れたかも分からない。
今回の失敗が、何が原因でどうなったのかを調べることさえ出来ない。
あの一瞬の間に、どれ程のデータが取れたのかは、後で記録を開いてみるまで分からないが、こんな太平洋のど真ん中までやってきた苦労に見合うだけのデータが揃っているとは、とても思えなかった。
「くくく・・・ふふ、ふふふふ、ははははははは!!」
試作一号機が暴走して大失敗に終わるという試験の結果に部屋の空気が重く澱む中、誰かが大声で笑っていた。
逆井だった。
「諸君。実験は大成功だ。あとはコイツを制御すれば良いだけだ。」
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
ブラックホールには膠着限界というのがあって、研究室レベルのブラックホールに一瞬で街が飲み込まれたりとかしません。
ま、じわじわ真綿で首を絞めるかのようにゆっくりと吸収されるのもどうかとは思いますが。
あ、その前に放射線で死ぬか。
それはそうと、遅くなりましたが本作もとうとう1,000ptを越えました。
なんと、ほぼ同時に「夜空に瞬く星に向かって」の方も、3,000ptを越えました。
これもひとえに、いつもこの拙い作品をお読み下さる皆様のおかげです。
有難うございます。
これからも引き続きお付き合い戴けますよう、宜しくお願い申し上げます。
・・・ヒト死ぬけどね。 (゜▽゜)