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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第三章 失うもの、還らぬもの
84/405

31. いばら姫


■ 3.31.1

 

 

 達也の視線の先、冷たいガラスの向こう側でパトリシアは様々な医療装置の山の中に埋もれるようにして、白いベッドの上に静かに横たわっていた。

 それはまるでお伽噺のいばら姫の様な姿で、いばらの代わりに様々なケーブルやチューブが身体の周りを這い絡みつき、医療装置の筐体や薄く光を発するモニタで出来た城の中に捕らわれ、長い時間を眠り続けている美姫を見ている様だった。

 

 お伽噺のようにそれが、時が経てば解ける単なる魔女の呪いであったり、或いは美姫の元に辿り着いた王子の接吻で彼女の目が覚めるならばどれ程良いだろうと、自分には理解出来ない様々な数値やグラフのログを眺めながら達也は思った。

 実際には、彼女はファラゾアに撃ち墜とされ、海上に墜落した機体からどうにか脱出はしたもののそこで力尽き、意識不明で海面を漂っていたところを救助隊に回収されたのだった。

 彼女がなぜ着水する前にベイルアウトしなかったのかは不明だった。

 戦場では思いも寄らぬ事が起こる。何か事情があったのだろう。

 

「彼女の友人かね?」

 

 集中治療室と外界を分けるガラス窓の前にずっと立ち続けてパトリシアを見ている達也に、脇から声がかかった。

 声がした方に視線を向けると、医師と思しき白衣の男がこちらを見ていることに達也は気付いた。

 

「ああ。彼女と一緒に住んでいる。」

 

「・・・そうか。彼女の親族は?」

 

「居ない、と聞いている。少なくとも呼べる様な距離には居ないだろう。彼女はオーストラリア人だ。」

 

「そうか。弱ったな。」

 

「どうした。」

 

 達也はパトリシアに戻していた視線を外し、再び医師の顔を見た。

 白衣を着たその医師も窓の中を見ながら、眉根に僅かに皺を寄せていた。

 

「意識不明の彼女に意志を問う事は出来んからな。治療方針など、必要に応じて相談したかったのだが。」

 

 達也の隣に疲れたような顔で立つ医師はそう言ったが、それだけでは無いだろう。

 容態が急変した時、或いは、考えたくは無いが最期を看取る時、誰を呼べば良いのかという話なのだろうと達也は理解した。

 

「それなら俺か、或いは5111TFSのアレクシア・イゾレンタイン少尉に相談してくれれば良い。彼女はパトリシアの親友だ。今すぐ呼ぶ必要があるか?」

 

「いや、今じゃ無くて良い。分かった。君か、イゾレンタイン少尉だな。」

 

 ひとしきりの会話を終えて、また廊下に沈黙が降りる。

 達也は再びICUの中のパトリシアに視線を戻した。

 

「彼女の・・・パトリシアの状態はどうなんだ?」

 

 呼吸用のマスクを口元に着けたパトリシアの顔から目を離さず、達也は医師に問うた。

 

「良くない。内臓に損傷があり、頸椎にも損傷がある。頭も相当強く打っているようだ。腹部の裂傷からかなり多量の出血があった。海に墜ちたのが、良かったのか拙かったのか。正直なところ、意識が戻るかどうかかなり怪しい。」

 

「・・・そうか。」

 

 視線をパトリシアから外さず、達也は溜息をつくように言った。

 

「それでもまだ彼女は運が良い。サン・クレメンテの新しい発電所が稼働し始めたのがつい先週のことだ。まだ試験運転とのことだが、この基地に優先的に電力を回してくれている。その電力がなければ、この部屋の設備の殆どは動かなかっただろう。この設備が無ければ、私は彼女に何をしてやることも出来なかった。」

 

 医師の声には、疲れか、或いは悔しさや苦悩のようなものが滲んでいた。

 

 パイロットは前線の空で戦い、医師は治療室で戦う。

 皆がそれぞれの持ち場で、その時出来る最善を尽くして戦っている。

 では、俺の持ち場はどこだ?

 急に眼の前のガラス窓を思い切り殴りたくなり、しかし窓が破損することを考えて達也はそれを実行に移さなかった。

 行き場の無い怒りが、澱が溜まるように右手の拳に澱んでいた。

 

「また来る。」

 

 そのままここに立っていると、やり場の無い怒りでいつか窓を破ってしまうとでも言うかのように、達也は突然踵を返した。

 

「それが良い。彼女も喜ぶだろう。」

 

 それは、パトリシアのためなのか、自分のためなのか。

 いずれにしても、魔女(ファラゾア)の呪いをかけられたお姫様は、このガラスの向こうの城の中で、プラスチックとガラスで出来た茨の中に捕らわれたままだ。

 その呪いが解ける時まで、彼女に逢いたければ達也がここにやって来るほかは無かった。

 

 呪いが解ける時、彼女の魂が天に召されるのでは無く、自分の元に還ってくる様に。

 柄にも無く、彼女が信じていた神にでも祈った方が良いのだろうかと、病院の暗い廊下を歩きながら達也は考えていた。

 教会は、病院のすぐ隣の敷地に建っていた。

 縁起でもない話だ、と、達也はその考えをすぐに頭の中から消し去った。

 

 

■ 3.31.2

 

 

 パトリシアの墜落から数日経った。

 彼女の意識はまだ戻らず、毎日店を閉めた後に病院に行って彼女の顔を見た後、近くにいる看護師か医師を捕まえて容態を聞き、彼女の状態に変化が無い事、少なくとも悪化していないことを確認した後にコテージに帰って夕食を摂る、という生活を達也は繰り返していた。

 店の方は相も変わらず暇で、一日に数人の客が来るか来ないかの状態が続いている。

 

 そんなある日、年が変わって2042年になって数日経った日、久しぶりに武藤と田中が店にやってきた。

 昼時ではあったが、店内に他に客の姿は無かった。

 

「ご注文は?」

 

 自分と話をしに来たのだろうという事を達也は理解していたが、とは言え店内に入り席に座ればそれは客だ。注文を取らない訳にもいかなかった。

 

「コーヒー二つだ。どうだ。状況は変わったか?」

 

 武藤が達也を見上げて言った。

 田中の方はこちらを見ているものの、言葉を発さなかった。無口な男だった。

 

 武藤の言う「状況」とはどちらのことだろう、と達也は一瞬迷った。

 良く考えれば、武藤がパトリシアのことを気にするはずが無かった。

 パトリシアは、武藤にとっては少し顔を知っている程度の、他部隊の一般兵士だ。

 

「変わっていないな。もっとも、前回適性検査を受けてからもう二週間は経つが。」

 

 達也の答えを聞いて、武藤の眼が少し細まった。

 

「頻繁に受けろという話だったが?」

 

 新型機がノースアイランド基地に陸揚げされる数日前、武藤達と共に店にやってきた大下がその様な事を言っていたのは記憶している。

 そうは言っても、頻繁に受ければそのうち合格するというものでも無いだろう、と達也は思った。クジやトレーニングの類では無いのだ。

 

「一応、これでも仕事はあるんだ。この店で働いて給料をもらっているからには、毎週三日店を放り出すって訳にもいかないだろう。頻繁に受ければ合格しやすくなるようなものでもなかろうし。」

 

 武藤の表情が変化する。

 少し怒りの浮いた顔から、怒りが混ざりつつも明らかに嘲りを含む、達也を見下したような不機嫌な顔に。

 

「何が重要な事か、理解しているか? お前がこんなところでいつまでも日和ってるのは、優秀なパイロットが一人使えない状態にあるという事と、新型機のテスト効率が低下するという、二重の損失を生んでるんだ。未だに一機お前のために確保してある新型機は、一度も動いたためしがない。高島重工も飛ばない機体のために少なくない金を払い続けてるだろう。いい加減には立って歩き始めろ。」

 

 武藤の鋭い目付きと視線が絡む。

 何もかも武藤の言うとおりだった。

 武藤の言うことが正しいと分かっていても、身体或いは精神(こころ)が云う事を聞かないものはどうしようも無かった。

 

 いっそ、自分をさっさとテストパイロットから外してしまえと言ってやろうかと思ったが、その一言を口にする事が出来なかった。

 病院の奥でただ一人、機械とチューブに囲まれて眠り続けるパトリシアの姿が頭をよぎった。

 

「聞いたぞ。ここで良く顔を合わせていた女、パトリシアと言ったか? 墜とされたんだそうだな。最前線のエースばりの、腕に見合わない過剰な武装で敵に向かって突っ込んで行ったんだって? 

手前(てめ)え自身が手前えの足で立って歩くことさえ満足にできねえのに、何を偉そうに他人の装備にまで口出していやがるんだ。その結果、手前えの女を失ってちゃざまねえだろうが。お前がやるべきだったのは、したり顔で人の装備に口出しすることじゃなくて、手前え自身で手前えの女を守ってやる事だったんじゃねえのかよ?」

 

 武藤の口調も徐々に乱暴になっていった。

 武藤がパトリシアの事について触れた途端、一気に血が頭に上り、視野が赤く染まりそうな程に自分の中で怒りが爆発するのを達也は自覚した。

 無意識のうちに、爪が掌の皮を破りそうな程に両手の拳を力一杯握っていた。

 しかしその拳を武藤に向けて叩き付ける訳にはいかなかった。

 武藤の言っていることは正しかった。

 どれ程腹立たしくとも、その通りなのだ。

 

 武藤の顔をしばらく睨み付けていた達也は、強く握り締めた拳から意志の力で力を抜き、コーヒーを淹れるためにカウンターに戻っていった。

 

「かかってこいよ。それも出来ねえほど腑抜けたのか、テメエは。」

 

 達也の背中を武藤の言葉が打った。

 しかし達也はその言葉に反応すること無くカウンターの中に入り、コーヒーを入れるための準備を始めた。

 

 見かけによらず案外暑苦しい奴だったんだな、と、怒りを抑えたことで反対側に振れ過ぎて逆に冷静になってしまった心で思いながら。

 

 

■ 3.31.1

 

 

 ガラス窓に半透明な自分の姿が映る。

 その半透明な自分を透かして、向こうにパトリシアが見える。

 それはまるで、眠り続けるベッドの上のパトリシアのすぐ脇に自分が立ってこちらを見ているかのようにも見えて、居るはずの無い第三の自分の視線に達也は居心地の悪さを感じていた。

 

 昼間の武藤の言葉が胸のどこかに引っかかっていて、いつまで経っても嚥下できない異物のように何度も繰り返し達也を悩ませていた。

 武藤はごく当たり前のことを言っただけだった。

 そして、達也自身痛いほどよく分かっている事を、まるで的の真ん中を射貫かれたかのように指摘された。

 

 自分が守ってやれたなら、彼女は今もベッドの上で無く、隣に立ってあの明るい笑顔を見せてくれていただろうか。

 モニタと筐体の城に囚われたいばら姫のように眠り続ける様な事は無く、タンクトップにショートパンツといういつもの格好で、カリフォルニアの陽光の中を元気に自転車に乗って走っていただろうか。

 今の状態に陥ること無く継続して最前線にいたなら、そもそもパトリシアに会うことは無かったのだ、という事実は敢えて無視する。

 

 達也はガラス窓の前に立ち尽くし、彼女の声や笑い声、笑顔や怒った時の表情、楽しげに買い物に興じる姿や疲れ果ててテーブルに突っ伏して居眠りする姿など、ガラスの向こう側にある想像のスクリーンに投影して思い出していた。

 

 突然、あらゆる電灯が落ち、廊下も治療室も真っ暗になった。

 一瞬、暗闇の中で医療機器のモニタが妖しく光る。

 廊下にも治療室にもすぐに赤い非常灯が点灯し、同時にけたたましい音で非常ベルが鳴り始めた。

 

 何だ? 火事か?

 達也は辺りを見回した。炎などどこにも見えない。

 その時、けたたましいベルの音の向こうで、屋外ではさらに大音量でサイレンが鳴り続けているのが聞こえた。

 火事では無い。

 

 長い廊下を全力で駆け抜ける。

 エレベータは使えないだろう。エレベータ脇の非常階段のドアを開けて中に飛び込む。

 非常階段にも赤い非常灯がほの暗く灯っており、足元を確認するには十分だった。

 病院全体が騒然として、ドアの向こう側、各階の廊下から職員達の大声が聞こえてくる中、達也は数段飛ばしで非常階段を飛び降りるようにして駆け下りた。

 一階のドアを蹴り開ける。

 階段のドアを出た先はロビーだった。

 そのままロビーを駆け抜け、ドアを開けて外に出た。

 多分基地中に鳴り響いて居るであろう大音量のサイレンの音が耳を突く。

 こんなサイレンの理由など、ひとつしかない。

 

「何だ? 何が起こっている?」

 

 達也はすぐ脇を駆け抜けようとした男を捕まえて訊いた。

 

「敵襲だ! お前も早く逃げろ!」

 

 そう言って男は、肩を掴む達也の手を振りほどいて駆けていった。

 

 滑走路の方角から轟音が聞こえてきて、三機のF16がデルタ編隊を組んだまま夕暮れの空に駆け上っていくのが見えた。

 明らかに戦闘機のエンジン音とは異なる、腹に響く爆発音のような轟音が上空から立て続けに聞こえてくる。

 それは、超音速衝撃波の音。

 カリフォルニア半島の南端から、音速の十倍にも達する速度で北上し、この基地の近くでまるでSF映画のワープアウトのように急減速した時、辺りに向かって撒き散らされる超音速衝撃波が地上に届いてその様な音になる。

 

 音に釣られるようにして、達也は空を見上げた。

 そこには、夕闇迫る空の中、夕陽を浴びて銀色に光る美しい戦闘機械が数百と言わず空を覆い尽くすように浮かんでいた。


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 いばら姫というと、最近では某ゲームで出てきたステキにねじ曲がった幼女を思い出してしまいますが。

 

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