28. トーストとスクランブルエッグとフライトスーツ
■ 3.28.1
店の前に今日のお薦めメニューを書いた看板を出し、パラソルを差して店の前に上がった砂を海岸に掃き戻し、朝のルーチンを終えて店内に戻ろうとする達也の背中を突然の轟音が打つ。
振り返るとちょうど滑走路からF16の三機編隊が、青く澄んだ空に向かって飛び上がっていくところが見えた。
その更に上空を、トリプルトライアングル編隊を組んだ九機のF16がゆっくりと飛び抜けていく。
当然の事ながら、ここのところ航空機の離発着の頻度が急激に増えている事を、いちいち回数を数えないまでも達也は実感として認識していた。
今日も夜が明けないうちから、武装し燃料を満載した偵察機がひっきりなしに離陸して行っては、任務を終えて数時間後に基地に戻ってくる音が聞こえ続けている。
ある日突然最前線基地の仲間入りをしたここノースアイランド基地は、最前線の基地としての機体配備がまだ追い付いておらず、対ファラゾア戦装備を殆ど持たないヴァニラと呼ばれるF16Cや、米軍から何とか融通して貰えた旧式のF15Cが大手を振って主戦力として活躍している状態だった。
カリフォルニア半島への突然のファラゾア降下という急展開に慌てた国連軍は、米国内の航空機産業に向けて大増産の依頼を行ってはいるものの、新設の核融合炉発電所が今だ殆ど稼働していない現状では、航空機メーカーもその要求に応えたくとも応えられない状態が続いていた。
他方ではハドソン湾岸カナダ・マニトバ州シャマタワを中心としたファラゾア降下地点、いわゆる北方戦線や、カリブ海イスパニョーラ島を中心とした南方戦線の戦況は相変わらず膠着したまま、或いは僅かに劣勢であり、ファラゾア戦装備に一新されたF16V2やF15Rがロールアウトしたとしても、戦線維持の為にその殆どを旧来の激戦区に向けて投入せざるを得ない状況が続いていた。
F22、F35と云った第五世代機、あるいは第六世代機であるF41は、確かに第四世代機よりも高いポテンシャルを持ち、格闘戦能力でも高い能力を示すのだが、コストパフォーマンスが悪すぎ、また機体製造に手間と時間が掛かりすぎるので敬遠されていた。
高価なステルス外装や、頭の良い電子戦システムを省いたとしても、F41を一機作るコストでF16V2が五機も作れるというのでは、それも当然というものだった。
「外、終わったぜ。」
入り口ドアに取り付けられたカウベルの音を鳴らし、達也は店内に入ると同時に、カウンターに座って二日遅れのサン・ディエゴ・タイムスを広げているマーチンに声を掛けた。
「おう、ご苦労さん。」
元々客の少なかったこのカフェテリア「コロナド・ビーチ」であったが、ファラゾアが新たにラパスに居座り始めてから、その客足が更に遠のくこととなった。
ノースアイランド基地が最前線基地となってしまったことで、国連軍高級将官がこの基地に足を運ぶ頻度は大きく低下し、そしてこの基地で働いていた高級将官は彼らの趣味の良いオフィスをより戦線から距離のある他基地へと移動した。
軍人や軍属、或いはいわゆる軍関係者を含めて、高級将官用宿泊施設であるNAVY CLUBを利用するものと想定される宿泊客は、ノースアイランドから殆どいなくなってしまった。
NAVY CLUB付属の施設であり、主に宿泊客が朝食を取る為、あるいは見晴らしの良い大きなガラス窓越しに、南国風の植物に縁取られたビーチと青く光る太平洋を眺めながらゆったりとした時間を過ごしつつ軽食を摘まむ場所として建てられたこのカフェテリアに、その本来の想定に沿った客が訪れることなどほぼ皆無と言って良い状況となった。
「いつ頃出るんだ?」
達也はカウンターに座るマーチンの後ろを通ってカウンターの中に入りながら言った。
「1300時って話だからな。10時には出る。軍の輸送機なんざ、いついきなり予定変更するか分かったもんじゃない。乗り逃すくらいなら詰め所で何時間も待たされる方がまだましだ。次はいつ席を確保できるか分かったもんじゃない。」
「そうか。」
このカフェテリアで料理人として働きながら、マーチンはちゃっかりと軍属の身分を手に入れていた。
どういう魔法を使ったのか達也にはさっぱり分からなかったが、その軍属という半ば中途半端な身分を最大限に活用して、最前線となってしまったサン・ディエゴの街から逃げ出す民間人でありつつも、サン・フランシスコ行きの軍の輸送機に席を確保するという離れ業をやってのけた。
マーチンがはっきりと口にしたわけではないが、どうやら行った先のサン・フランシスコで、どこかの基地の中に既に仕事も決まっている様な口ぶりだった。
「俺だけ逃げ出す様で悪いな。」
ふと、マーチンがぽつりと呟く様に言った。
「気にするな。最前線は民間人がいるべき所じゃ無い。逆に俺達パイロットは、最前線にこそ居るべきだ。」
「済まないな。幾ら、店がさらに暇になりそうだとは言え、面倒をかける。」
「暇になるんだ。あんたから習った料理で、ボチボチやっていくさ。」
出て行こうとしているマーチンに対して、達也には異動の指示は出ていなかった。
最前線にいさせることで何らかの刺激になると思われているのか、或いは既に忘れられてしまっているのか。
その後、何か会話をするでも無く、時々思い出した様にマーチンと言葉を交わして居る内に時間が経つ。
「じゃ、そろそろ行くわ。」
そう言ってマーチンはカウンター席から立ち上がり、足元に転がしていた大きなバッグを担いだ。
「達者でな。」
「お前もな、タツヤ。お前と一緒に働いてるの、結構楽しかったぜ。」
マーチンが達也に笑顔を向けた。
達也もそれに笑い返す。
マーチンが押す入口のドアのカウベルがカラリと鳴って、そしてマーチンは外に出ていった。
一人達也だけが店内に残された。
アフターバーナー全開で空に駆け上がっていく戦闘機の爆音が食器を震わせ、耳障りな軽く固い音を立てていた。
■ 3.28.2
予想通り、ノースアイランド基地が最前線となって以降、カフェテリア「コロナド・ビーチ」から客足が遠のいた。
一日に数人の客が来ればまだましな方で、開店から閉店まで一人も客が来ない日もあった。
門前の小僧で接客や店の管理法を習っただけの達也でも十分に店を回していける程度の忙しさだった。
アジア方面から太平洋を越えてやってきた資材の荷揚げ港としての機能は、ファラゾア降下地点から遠く離れたサン・フランシスコに移り、同時に多くの事務方の将官がノースアイランド基地を離れていった。
北米大陸での中心的基地の機能が他に移ったことで、高級将官がノースアイランド基地を訪れることも無くなり、それに応じてカフェテリアを訪れる客の数も激減したのだった。
客足が遠のいたのは高級将官達だけでは無かった。
毎日の様に足繁く頻繁に通い詰めていたパトリシアとアレクシアの二人も滅多に顔を見せなくなり、例えやってきたとしても夕方そろそろ店を閉めようかという時間に疲れ果て憔悴しきった顔でやってきては、半ばうたた寝しながら食事をし、よろめく様にして兵舎へと帰っていった。
達也は、一年近くかけて行うはずの訓練を僅か二ヶ月で終了するという乱暴極まりない訓練課程で、連日何時間も飛行していた身体のリズムのまま最前線であるバクリウ基地に配属された。
流石に最前線基地のスケジュールは訓練よりも厳しいと思いつつ、しかしそれでもその厳しい連日の出撃に身体はすぐに慣れていったものだった。
しかし、後方の基地のいわゆる雑用係でしかなかったパトリシア達は、ラパスへの降下前は週に一度か二度、基地の周りの安全な空域をぐるりと回って降りてくるだけの偵察飛行当番が回ってくるだけという、随分緩いスケジュールで動いていた。
それが急に連日何時間も飛行し、しかも飛行中は常に緊張を強いられ撃墜される恐怖に怯え続けて、肉体的にも精神的にも激しく消耗する最前線での武装偵察に駆り出されてしまえば、一日の終わりには口もろくにきけないほど疲労困憊するのも無理のない話だった。
それでも時間を見つけては閉店時間の過ぎたコロナド・ビーチにやってきて、疲れで居眠り半分の朦朧とした状態で達也と話をしながら夕食を摂り、ふらふらと兵舎に向けて帰って行くパトリシアを見て、ある日達也が言った。
「今日から俺の部屋に泊まらないか?」
突然の提案に眠たげな眼を達也に向けて、パトリシアは訝しげな表情で返した。
「タツヤの部屋に? 明日非番じゃないのよ?」
「知っている。そうじゃなくて。店に来るのではなくて、俺の部屋で晩飯を食ってそのまま寝ていかないか、と言っている。そうすれば晩飯を食ってすぐに寝ることが出来る。朝飯も作ってやれるだろう。シャワーの順番待ちをする必要も無い。少しでも長く寝れば、その分疲れも取れる。色々都合が良いだろう?」
「でもそれじゃ、タツヤに面倒かけちゃうし。」
既に嬉しげな表情を見え隠れさせながら、しかしそれでもパトリシアは遠慮をして見せた。
「問題無い。見ての通り、今俺は何もしていない。前線パイロットのキツさは良く知っている。遠慮するな。食事も洗濯も全部やってやる。」
言葉通り、パトリシアの世話をしながら店を開けるのは、最前線での超ハードスケジュールをこなしていた達也にしてみれば、何の苦労もない楽な仕事だった。
睡眠時間が足りなければ、昼間店番をしながら寝ていれば良いだけの話だった。
「いいの?」
「構わない。むしろ、そうしてくれ。ボロボロに疲れているお前を見ている方が辛い。」
「お言葉に甘えさせて戴くわ。嬉しい。」
パトリシアが笑った。
最近見かけなくなっていた、あの明るく弾ける様な笑顔だった。
パトリシアが夕食を終えた後、店を閉め、共にコテージに帰った。
マーチンが住んでいた隣のコテージは、もう明かりも付いておらず暗い。
何軒か向こうの少し大きめのコテージに明かりが付いている。NAVY CLUBで働くベルボーイとハウスキーパーの夫婦の家族が住んでいるのだと、マーチンから聞いた覚えがあった。
疲れているパトリシアに先にシャワーを使わせ、その間に達也は洗濯をする。
シャワーから出てきた彼女は、濡れた髪を乾かすのも億劫なようで、生乾きの髪のまま下着姿でベッドに倒れ込むと、瞬く間に寝息を立て始めた。
部屋の片付けをして、自分の夕食を作って食べた後、達也はパトリシアの安眠を妨害しない様にソファに横になって毛布をかぶった。
朝になり、まだ夜が明けきらないうちから起き出した達也は、部屋にパトリシアが置いたままにしていた洗濯済みのフライトスーツを引っ張り出してハンガーに掛ける。
昨夜彼女が脱いだフライトスーツは、脱ぎ散らかしていた他の下着などと一緒に洗えば良いだろう。
フライトスーツは本来、兵舎に置いてあるランドリーバッグに放り込んでおくと、基地で契約している民間のランドリーサービス会社が回収していき、アイロンのかかった状態で戻ってくるという流れがあるのだが、別に自分で洗濯してはならないという決まりがある訳ではない。
彼女がこれからここに泊まるのであれば、他の洗濯物と一緒に洗濯してしまえば良い。
洗い物をまとめて洗濯機に放り込み、朝食の準備が出来たところで達也はパトリシアを起こした。
「もう朝? うー。全然寝足りないー。」
寝惚け眼をこすりながらうにゃうにゃとよく分からない事を言っているパトリシアをベッドから追い出し、無理矢理食卓テーブルに座らせる。
食事の匂いを嗅いで目が覚めたのか、達也が彼女の前に朝食の皿を置く頃には、パトリシアは背筋を伸ばして椅子に座り、達也が運んでくる朝食を嬉しそうに待っていた。
「最高。朝から暖かい美味しいものが食べられる。幸せ。あたし、今日からここに住む。」
幸せそうな顔でフライドベーコンを頬張るパトリシアを見て、達也は思わず笑ってしまった。
「だからそう言っているだろう。けど、大したものは作ってないぞ。」
ちなみに朝食のメニューは、サラダにトーストとスクランブルエッグ、フライドベーコンとハッシュドポテト、コーンポタージュに淹れ立てのコーヒーだった。
カフェテリアで働くことで料理がそれなりに出来る様になった達也にしてみれば、ごく短時間で出来るお手軽料理の様なものだった。
「十分よ。兵舎の食堂で出てくるのは、冷めたトーストと脂ぎったベーコンと不味いシリアルだもんね。それに較べればなんて豪華な食事なのこれ。」
達也は再び笑い、自分の皿の上のハッシュドポテトをフォークで突き刺して口の中に放り込んだ。
朝食を終えた後、シャワーを浴びて身支度を調え、彼女は自転車に跨がった。
「よく分かったわ。男の人が自分の奥さんに専業主婦で居てもらいたい理由。美味しい食事が待ってると思えば、帰ってこれる。」
そう言って彼女は玄関のドアにもたれかかって見送る達也を見て笑う。
「その為には、生きて帰って来い。墜とされたら晩飯は抜きだ。」
「大丈夫。美味しい晩ご飯の為に絶対に帰ってくる。」
「そこは俺に会う為と言うところじゃないのか?」
「色気より食い気。」
達也は丸めて手に持っていたパトリシアが着替えたTシャツを彼女に向けて投げつけた。
パトリシアはその白い布の塊を笑いながらひらりと避けると、力を込めてペダルを漕ぎ出していった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
専業主夫になった達也君です。
ちなみにスクランブルエッグは、バターと牛乳を少しだけ入れたのが好きです。邪道と蔑まれようとも。
ナイフで切れないガリガリのフライドベーコンは、アメリカで出てくる朝食の中で唯一まともな食い物だと思ってます。
言い忘れましたが、作中のハッシュデオポテトとコーンポタージュは、冷凍ものとインスタントです。
・・・腹減ってきた。