7. 戦闘空域
■ 1.7.1
15 July 2035, Altitude 10000m, North of Хабаровск, Russia
2035年07月15日、ロシア、ハバロフスク北方、高度10000m
太陽は大きく西に傾き、空が徐々に青味を失い始めている。
夕暮れが迫る気配に現在時刻を確認すると、既に現位置時刻で1800時を回っていた。
北海道よりも北方であるこの位置では、夜の時間はさらに短くなり、僅か8時間程しかない。
しかもその夜の前後に長い薄暮の時間がある。
キャノピー越しにギラついて見える太陽が完全に地平線の向こう側に隠れ、夜の帳が空から降りてくるまでには、まだかなりの余裕がありそうだった。
少しずつ赤みを帯びる太陽が照らす空を、120機の太陽のシンボルを記した機体が進む。
眼下には陽光を受けて白く光る雲の絨毯。そして雲の切れ間から、殆ど黒と言っても良いほどの深緑に覆われた大地が覗き、どこまでも続いている。
見た目もスケールも日本のそれとは大きく異なる景観に、まさに今日本軍として初めての実戦に赴いているという現実をひととき忘れて思わず目を奪われてしまう。
「日本軍機…告ぐ。こ…らKXK(ロシア航空宇宙軍コムソモリスク・ナ・アムーレ基地)管制。聞……か。」
金色の陽光の中、どこまでも続く大地と雲の織りなす幻想的な風景に見とれていた日本空軍のパイロット達の意識を、酷いノイズ混じりの声が現実に戻した。
地上局からの通信が、たった数十kmの距離でこれほどまでにノイズ混じりになるのが信じられなかった。
既に敵のバラージジャミングの影響が大きく出ているに違いなかった。
「こちら日本空軍201飛行隊ジェイク01。酷いノイズだ。何とか聞こえる。」
「貴…は既に敵…射程内に……。直…に散開せ…。繰……す。直………開せよ。」
酷いノイズではあるが、KXKコントロールが何を伝えたいかは聞き取ることは出来た。
しかし120機もいる編隊の誰もが一瞬、何を言われているのか分からなかった。
敵が展開している空戦領域は、未だ200kmの彼方にあるのだ。
何故こんな遠方から敵の射程に入ってしまうのか、なぜ直ちに散開しなければならないのか。
「KXKコントロール。聞き間違えたかな。射程内だって? 交戦空域はまだ先だろう?」
「四の五…言わずにさっ……ブレイクしろ、馬鹿…郎! 死…てえのか、ヤポン…キー!」
耳から入ってくるコムソモリスク基地管制の怒鳴り声に驚くと同時に、編隊内に発生した別の異常事態にさらに驚く。
幾つものダイアモンド編隊が重なり合った様な形で形成されていた大規模な編隊の中で突如爆発が起こる。
「永田ぁ!!」
「全機ブレイク! ブレイク!」
ジェイク01の叫ぶ様な指示の声に編隊の形が一気に崩れた。
「敵の武装……力なレーザ……。射……長い。200…くら…余裕で届く…。」
日本軍ではまだ光学兵器は実験段階であり、実用化できていなかった。
だから、光学兵器とはどのようなものなのか、資料で読んで知ってはいても実感として認識できておらず、今まさにその光学兵器に対峙している状況で正しい判断が出来ていなかった。
光学兵器に対する認識が甘かったせいで、無駄に一人死なせてしまったとジェイク01は歯噛みする。
「各機、極力ランダムに飛行しつつ速やかに戦闘空域に接近せよ。」
ミサイルや機関砲の弾体がのんびりと飛んでくるわけではない。
例え数百km離れていようが、発射した瞬間にレーザーは目標に着弾するのだ。
実際に敵味方入り交じって格闘戦を行っている戦闘空域が200km先であろうと、照準さえ合わされてしまえばこうやって簡単に撃破されてしまうという事を日本軍のパイロット達はこの時身をもって知った。
リヒートを点火して全速で飛べば、5分もかからず駆け抜けることが出来るたった200kmの距離が、とてつもなく遙か遠くに思える。
「全機、レディ、FOX2。ミーティア。」
戦闘空域まで150kmを切ったところでジェイク01から指示が飛んだ。
日本軍戦闘機隊は、更に2機を撃墜され、この時残り117機となっていた。
実田はスロットルレバーの親指部分に取り付けてあるウェポンセレクタを回し、HMD表示の中でセレクタカーソルを胴体内兵器倉に格納されたミーティアBJに合わせる。
この距離では敵のジャミングの方が遙かに強く、戦闘空域を飛ぶ敵機を識別することなど出来ない。HMD表示の中にもそれらしいマーカーは現れていない。
しかしミーティアBJは発射後での目標ロックが可能(LOAL)である上に、アクティブホーミングを追求したいわゆる撃ち放し能力(FAF)を持つため、この距離から発射したとしても飛行中に敵を発見してロックオンして追尾することが出来る。
もっとも、敵の強烈なバラージジャミングのお陰で、部隊内のネットワークが正常に働いておらず、本来の多目標同時攻撃の性能は発揮されない可能性が高い。
「全機、FOX2、FOX2。」
ジェイク01からの指示が飛んだ次の瞬間、117機の日本軍戦闘機から一斉に長距離空対空ミサイルが放たれた。
300発近いミサイルが、まるで空間を切り刻むかのようにそれぞれ白い煙の尾を引きながら真っ直ぐに戦闘空域に向けて突き進んでいく。
1分半ほどで戦闘空域に飛び込んだミサイルは、それぞれに目標を見つけて追尾を始める。
夥しい数の白い線が、うねうねと曲がりながら戦闘空域を縦横無尽に飛び交う。
幾つもの爆発が発生する。
しかし300発ものミサイルに対して、生じた爆発の数は余りに少ない。
命中率は10%あるかないかだろう。
一発一億もする高価な最新型のミサイルがこんな命中率じゃあ割に合わないな、と実田は思った。
「エンゲージ。ブレイク、ブレイク。」
戦闘空域からの距離が50kmに近付いたところでジェイク01が戦闘突入を宣言した。
敵のジャミングでノイズは酷いが、数km程度の距離であれば部隊内の無線は何とか聞き取ることが出来る。
短距離ミサイルは距離70kmで搭載数の半分を発射したが、結果は芳しいものでは無かった。
敵機のステルス性が高い上に、ミサイルが近付くと物理的にあり得ない様な急旋回をして避けられてしまうのだ。
目標を見失ったミサイルはそのままあらぬ方向に飛んでいき、次の目標を見つけられないままに燃料が尽きて落ちていく。
確かに、意表を突いた動きで接近しガンで叩き落とす方が効率が良さそうだった。
目の前に広がる戦闘空域では、ドッグファイトする数百の戦闘機達が白い飛行機雲を引いて空を舞っている。
ビデオを早回しした植物の成長の様に、空中に伸び曲がりくねる白い線に時々花が咲いた様に赤い爆炎が混ざる。
緊張でべたつく手のひらで操縦桿を握り直し、実田はその戦闘空域に切り込んでいった。
「マーレ01、後ろだ。ブレイク。」
僚機の警告が飛ぶ。
HMDの後方警戒レーダーには何も映っていない。
左に90度ロールし、急旋回。
余りに急旋回に、身体中の血液が足元に向けて落ちていき、すっと意識が薄れて目がかすむ。
「FOX3! ビンゴ! やったぜ!」
遠くなりかける意識の中で僚機の喜びの叫びを聞いた。
機体を立て直す。Gが抜け、血液が戻ってくる。
「マーレ05、撃墜の状況を教えろ。参考にする。」
ブラックアウト寸前の高G状態を抜け、荒い息を吐きながら後ろに付いた敵機を墜とした僚機に尋ねた。
「隊長の後ろに付こうとしてた奴の後ろに、右から捻り込んで、途中でラダー蹴っ飛ばして左に横滑りさせたッスよ。後ろ斜めから突っ込む形になったところで、一撃ッス。確かに、なんか反応がトロい感じッス。」
「そうか。分かった。」
その時、眼の前を青い機体が横切った。
その後ろを、白銀色の長細い機体が3機追跡している。
「試してみる。カバーしろ。」
「マーレ05、コピー。」
「マーレ06、コピー。」
敵3機に後ろに付かれ、その青いSu27は半ばパニック状態になっている様だった。
滅茶苦茶に急旋回を繰り返しているが、振り切れていない上に、連続のターンで速度を失いつつある。
それを補う様にSu27は機首を真下に向けた。高度6500。
実田は操縦桿を右に押し込みながら引いた。
F3Bはロールして上下反転したところで背面急降下を始める。
同時にスロットルを押し込み、リヒート点火位置を越えてさらに押し込む。
上下がぐるりと反転し、薄く広がる低層の雲に向けて突っ込んでいく。
HMDの視野の中で水平儀のラインが激しく踊る。
リヒートオンしたパワーダイブにより、Su27を追跡する敵機との距離が縮まっていく。
ステルス性の高い敵機だが、流石にこの距離ではHMD上に敵機を示すマーカーがきっちりと表示された。
視野の中を敵機が斜めに横切る瞬間、操縦桿を引いて機首を持ち上げ、ガンサイトをマーカーに合わせてトリガーを引く。
20mm六連ガトリング砲の激しい発射音が響き、緩い曲線を描いて飛んだオレンジ色の火線が敵機の周囲を舐める。
弾丸が敵機の機体に吸い込まれていき、細かい破片を撒き散らす。
1秒ほどの掃射を受けて灰色の煙を一瞬噴き出した敵機が爆散した。
ラダーを踏み込み機首を横に滑らせる。
もう一機がガンサイトに入って来るのを微妙な操縦桿操作でサイトの中心に合わせる。
再度トリガーを引く。
毎分6000発の速度で20mm焼夷徹甲弾が撃ち出され、もう一機の敵機に集中した。
一機目の敵機と同様に、灰色の煙を吹き出した次の瞬間、敵機は爆散した。
さらにもう一機と思ったところで、三機目の機体が一瞬でかき消すように消えるのが見えた。
話に聞く敵機の超高機動性のなせる技だと気付いた実田は、その余りの速さに目を剥いた。
常に動き回り、敵に狙われるなと云うロシア軍からの忠告を思い出し、大きく旋回して上昇を始める。
「スパシーボ、ヤポンスキー。」
荒い息と供に、追われていたSu27のパイロットの声が聞こえる。
「ウダーチ (Good Luck)。死ぬなよ。」
急速に高度を回復した実田のF3Bは、高度5000まで上昇したところで彼を追ってカバーに入っていた僚機に迎えられた。
「やるッスね、隊長。」
「隊長、さすがです。一回のアタックで二機とは。」
「長谷川、お前の云ったとおりだった。捻り込んでいってガンサイトを合わせても、しばらく直進するようだ。一瞬のタメがあって、それからようやく逃げ始める。そこを上手く狙えば、標的機並みに楽な射的だぞ、これは。」
敵に後ろに付かれ、照準用のレーダー波を浴びせ掛けられて警告音がピーピーとがなり立て始めれば、どんなパイロットでも反射的に何らかの動きを見せる。
闇雲に旋回して逃げようとする者、敵を視認できる位置に動こうとする者、瞬時にレーダーを確認して冷静に対処する者。
いずれにしても、ガンサイトの中をのんびり直進する様な馬鹿は居ない。
しかしこの敵は違った。
今実田に墜とされた二機の敵機はまるで標的機のように、撃って下さいと云わんばかりに、照準用レーダー波を浴びせ掛けられる中、ガンサイトのど真ん中をいつまでも直進し続けたのだ。
もしかしたら、どこか遙か遠くから遠隔操作されているタイムラグなのかも知れないな、と実田は思った。
「いや隊長、アレを標的機とか言うのは隊長だけッスから。そこまで楽じゃないっしょ。そもそも標的機は反撃してこないッスよ。」
のんびりとした会話を交わしてはいるが、その間も実田を前端としたトライアングル編隊は複雑に位置を変え、敵から照準を合わされないように動き続けている。
「今度は俺が行きます。マーレ06、アプローチターゲット。カバーヨロシク。」
「01、コピー。」
「05、コピー。」
3番機の位置に着いていたマーレ05が実田の脇を追い抜いていく。
そのまま前方でドッグファイトを演じている2機のJ30に喰らい付いた4機の敵に向けて増速していった。
2機のJ30はしばらく旋回とランダムなシザース運動の様な動きを繰り返していたが、堪らず上下にブレイクした。
下に逃げた方は、急降下し増速していく。
上昇した機体は、急速に速度を失っていく。
ああ、あれはもうダメだ。
高空に向けて伸びていく白い二本のベイパートレイルを見上げながら、実田は軽く溜息を吐く。
パニックに陥り、水平飛行中に恐怖に駆られて操縦桿を引いてしまう。飛行時間の短い初心者がよくやる致命的なミスだった。
上昇とともに速度を失い、速度を失った機体は機動性も失う。そして墜とされる。
ステルス性のみを劣化コピーしたナンチャッテF35のあの機体では、上昇中の急激な速度低下を抑える事は出来ない。
案の定、そのJ30はループの頂点に達する少し前で、実田達とほぼ同高度でいきなり静止した敵機から攻撃され、儚くも爆散した。
その空中停止した敵機にマーレ05が襲いかかる。
一瞬で一機を撃破したマーレ05は、殆どラダーのみで機首を右に振り、間髪を入れず二機目の敵を吹き飛ばした。
「ビンゴ!」
下降したJ30を追いかけていった敵機は、距離が離れすぎたためにそのまま見送る。
攻撃を終え、加速を止めたマーレ06に残りの2機が追い付き、再び実田を先頭にしたトライアングル編隊をとった。
「やるな、若林。2機撃墜だ。」
「まだまだ行けますよ。」
「そうだな。弾はまだある。短距離での21式の命中率も見ておく必要がある。」
「後方、5機! ブレイク! ブレイク!」
マーレ05から鋭く飛んだ警告に、3機のF3Bは左右下方に急旋回した。
拙作お読み戴きありがとうございます。
F3の機関砲は、20mm6連ガトリング砲で、装弾数900発程度と考えています。
毎分6000発の発射速度ですので、トリガー引きっぱなしすると10秒程度で撃ち尽くします。
もちろん過熱防止機構がついていますので、2秒以上の連続掃射は出来ませんが。
アクティブホーミング式のミサイルは敵を捕らえて追尾することが可能ですが、追尾開始から着弾まで数秒以上あれば、「トロい」敵でも充分に回避する時間があり、1000G程度の高加速で回避されるとミサイルは目標を見失ってお終い、という事になります。
セミアクティブ、パッシブホーミング式ミサイルは、ジャミングされること、母機が照準をつけ続けている間に撃墜される可能性が非常に高いことなどから、殆ど使い物になりません。
赤外線追尾式は、そもそもジェット噴射を持たない敵機に対してホーミングする事さえ出来ません。