25. 戦士の時間
■ 3.25.1
珍しく午前中に来客があり、少し昼を外した早い時間に昼食を済ました後、甘い物と濃い目のコーヒーまでをしっかり楽しんでから出て行った三人組が残していったコーヒーカップとグラスを洗っていると、視野の端を横切る二台の自転車が見えた。
達也が視線を上げると、舗装された海沿いの歩道を二台の自転車がこちらに向かってやって来るのが窓越しに見えた。
二人は何やら大きな声で話をしているようだったが、ガラス越しのこの距離ではその話の内容までは分からない。
二人はいつもの様に自転車を店先のココ椰子の木の根元に立て掛けて止めると、賑やかに店内に入ってきた。
「だから、それはゴメンって謝ってるじゃないのー。仕方なかったんだからさー。」
ドアが揺れて鳴るカウベルの音と共に二人が店内に入ってくる。
それと同時にパトリシアの声が飛び込んできた。
「いいよ。もう怒ってないから。」
「ウソ。絶対まだ怒ってる。さっきから全然こっち見ないもんね。」
入口からカウンターに向けて真っ直ぐ歩いてくるアレクシアの脇から、覗き込むようにしてパトリシアがその表情を伺い、機嫌を取ろうとしているようにも、纏わり付いているようにも見える。
「怒ってない。」
「ウソ。」
「ウソじゃない。」
「いらっしゃい。注文は?」
何か良く分からない事で、じゃれ合いのような言い合いを続ける二人がいつもの席に座り、達也はアレクシアの前に炭酸水、パトリシアの前にミネラルウォーターを置きながら声を掛けた。
「Aランチ。」
「あたしもAランチ。」
今日のAランチはローストサーモンにライスとスープ。要するに、和食の鮭の塩焼きとご飯と味噌汁だった。
これは朝食のメニューじゃないかと、昼前に今日のランチメニューの中身を聞いた時に達也はマーチンに言ったのだが、今ひとつピンと来ていない様だった。
そう感じるのはどうやら日本人だけらしかった。
「諒解。Aランチ二つ。」
厨房のマーチンに注文を伝え、アレクシアが来たのでできるだけ早く店内に顔を出せるように、最大戦速での調理をロケットスタートしたマーチンをおいて達也はカウンターの内側に戻って来た。
相変わらず二人は良く分からない子供のような言い合いをしていた。
「喧嘩でもしたのか?」
まだシンクの中に残るグラスを手に取り再び洗い物を始めた達也は、眼の前に座る二人に声を掛けた。
「してない。」
「そうなのよ、聞いてよー。」
そっぽを向くアレクシアと、何かを訴えるようにこちらを見たパトリシアと。
どうやらパトリシアが何かやらかして、アレクシアを怒らせてしまったようだ。
アレクシアらしく、口ではもう怒っては居ないと言いつつも、ぶっきらぼうな態度にまだ少し蟠っている感情が滲み出ていて、そういう機微に聡いパトリシアが敏感にそれを感じ取り、機嫌を取ろうと纏わり付いている、と言ったところか。
「もう怒ってないって言ってるでしょ。」
達也に向けて事の顛末を語ろうとしたパトリシアを横からアレクシアが遮る。
その言い方はいつもよりも少しぶっきらぼうで、僅かではあるが確かに機嫌の悪さが感じ取れた。
「ほら怒ってるー。」
そしてまた元に戻った。
とは言えそれは喧嘩や言い合いと言える様なものでもなく、仲の良い二人がちょっとした事で意見が食い違い、実はとっくに機嫌の直っているアレクシアが態度を普段通りに戻すタイミングを逸しただけというか、或いは子犬の様に纏わり付くパトリシアの様が面白くて、まだ僅かに機嫌が悪いという風をわざと崩さずにそれを楽しんでいるだけのようにも見える。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、達也はカウンターの内側で苦笑いするしかなかった。
「出来たぞ。」
後ろからマーチンの声がして振り返ると、厨房との境に空いているカウンター窓からローストサーモンを載せた皿が二つ、ちょうど出てくるところだった。
カトラリの入った籠を二人の前に置き、料理を配膳するとちょうどマーチンが厨房から出てきた。
料理の出来るスピードもそうだが、後始末を終えて厨房から出てくるのも素晴らしく短時間だった。
勿論、早くアレクシアに逢いたいからだろう。
非番で無い日は、彼女たちは長くても三十分しか店にいられないのだ。
マーチンが出てきて、元来話し好きなマーチンが主にアレクシアを相手に次々と色々な話をし始めるのを見て、達也は再び洗い物に戻った。
マーチンを見ていると、よくあれだけ次から次へと女を楽しませる事の出来る話題を提供出来るものだと感心する。
女を楽しませるという点においても、次から次へと話題を提供するという点においても、達也にはとても真似出来ない芸当に思えた。
聞くとはなしに三人の会話を流しつつ洗い物を続けていると、入口ドアのカウベルが再び鳴るのが聞こえた。
視線を上げた達也の視野に、以前見かけた男達が入ってきた。
確か、武藤と田中と云った、妙な輸送隊の任務に就いている二人だったと記憶している。
達也に興味がある風に接触してきたが、あの態度はただ単に同じ日本人だからとか、その様な単純な理由で近づいて来たのではないだろう。
その二人が、今日はさらに二人の男を連れていた。
そして達也には、武藤達が連れている二人の男の内の片方に見覚えがあった。
その男を見て、武藤と田中の二人が今日の昼食にここのカフェテリアを選んだ理由と、そして二人が自分に接触してきた理由を達也は理解した。
「ご注文は。」
オーダー用のメモを片手に、四人が座るテーブル席の脇に立った。
四人の内の三人は日本人、後の一人の白人はどうやらこの基地の事務官のようだった。
「Aランチ四つ。水を二つと、レモンティーを二つ。」
「畏まりました。」
達也は務めて何の感情も表に出さない様にしてオーダーを取り、カウンターに戻った。
オーダーを伝えられたマーチンが、アレクシアとの会話を邪魔されて不機嫌そうに厨房に引っ込む。
勿論マーチンは、アレクシアとの時間を一秒でも多く失う訳にはいかないので、己の限界を極める様な調理速度で料理を出してくるだろう。
本人も幸せになり、顧客満足度も上がり、一石二鳥とはこの事だ。
唯一問題として残るのは、その四枚の皿を持って達也はもう一度あの四人が座る席に行かねばならないことだった。
「・・・途中ジェネレータが不安定になったらしくてな。少し遅れている。新技術はどうしても、な。」
達也がカトラリとナプキンを置きに行くと、四人の会話が耳に入った。
特に耳を欹てるつもりも無かった。
輸送隊の二人が参加している打合せなので、多分何かをどこかに運ぶスケジュールが少し遅れている、という様な話をしているのだろうと、特に気にもしなかった。
達也がカウンターに戻ったところで、厨房から皿が四つ出てきた。
流石に早い。
パトリシア達は自分達の昼食を黙々と食べている。
達也は皿を持って再び四人組のテーブルに近付いた。
「人選はそちらに任せていたのだが、決まったのか?」
「ここにいる二人だ。ムトー少尉とタナカ少尉。問題あるまい?」
「テストパイロットは三人だったはずだが?」
「そいつだ。」
突然武藤が達也を見て言った。
勿論、何の話かさっぱり分からなかった。
「ムトー少尉。その話は無くなった。彼はそもそも対象から外れている。」
「何度もコイツにしろと指示が出ているはずだが?」
「飛べない人間をテストパイロットにしても意味が無いだろう。もう一人の人選はこちらに任せてもらいたい。北米参謀本部にもそう何度も言っている。なぜ彼等は現場からの声を無視する。成果が上がらなくて困るのは、現場も彼等も同じだろう。」
「奴等も上からの指示に従っているだけだからさ。」
「なんだって?」
「この件は北米参謀本部の話じゃない。ストラスブール経由で高島から来た話だからさ。」
「オオシタ。君がミズサワ少尉を指名したのか?」
「そんなところだ。」
「人選は現地に任せてもらいたい。現場に無用な混乱を招く。今だって不適格者をテストパイロットに指名してしまっているんだぞ。その指示を修正するのに苦労するこちらの身にもなってくれ。」
「こんなところで駄弁ってる、ヌルいパイロットなんざ役に立たん。」
「は?」
それまで口を閉じていた大下が突然過激なことを言い始め、一緒に居る白人の大尉が顔を顰めて、大下に真意を問う様な表情をした。
どうやらこの場の話題が自分に関する事らしいと、達也はテーブルの脇に立って話を聞いていた。
話の輪に加わるつもりはなかったが。
「新型機のテスト飛行だ。飛んで回って降りてくるだけのテストなんざ日本でとっくに終わっている。機体の限界まで無理をして、自分の身体さえ壊しそうなイカレた飛び方をする奴が必要だ。こいつらの様に、あのバカみたいな物量の敵の中を戦い抜いて最前線で生き延びてきたイカレた奴等が必要だからさ。だから五機をシャマタワに送り込む。フロリダの戦線が怪しくなっているから、補給を考えて五機をここに置くんだ。後方のヌルい基地だからと云って、テスト飛行までヌルい飛び方をされたんじゃ、データが取れん。」
達也が脇に立つ、四人が座るテーブルの方が突然騒がしくなったので、カウンターに座るパトリシア達もこちらを見ていた。
マーチンもアレクシアと会話することさえ忘れて、カウンターの内側から不審げな表情でこちらを眺めている。
「で。本当に飛べないのか。水沢少尉。久しぶりだな。高雄以来か。」
挨拶と本題の順番を完全に逆にしながら大下が達也を見上げた。
達也は呆れた様に四人を見回して言った。
「あんた達が何について話しているのかさっぱり分からないんだが。とりあえず大下さん、あんたの質問には答えておく。飛べない。今のところ改善の見込みはない。」
嘘だった。
面子を見て、会話の内容を断片的にでも聞いて、話の内容については大体想像がついていた。
しかし、その内容を詳しく聞いてみたいという好奇心が半分、しかし今のところ本当に飛ぶことが出来ないので妙なことに巻き込まれるのも面倒だというのが半分で、達也はすっとぼけた答えを返した。
「新型機のテストパイロットの話だ。数日中に高島重工製の新型機がここに陸揚げされる。十機中五機はシャマタワに送って実戦テストが決定しているが、五機はここに残して基礎性能の長期テストを行う。そのテストパイロットに選ばれたのが、ここにいる武藤少尉と田中少尉、そして水沢少尉、君だ。」
大下はテスト飛行のこととなると饒舌になる様だった。
それまで殆ど口を開いていなかったとは思えない、怒濤の勢いで喋り始めた。
「日本人ばかりだな。」
「ああ、動力が全くの新型なので、ウチ(高島重工)から技術者と整備士を送り込むんだが、整備士が英語があまり得意でなくてね。デリケートなテスト機を整備するのに言葉の問題があるのは拙いので、日本人ばかりを選ばしてもらった。幸いこの基地には該当するパイロットがちょうど三人居た。」
「それは良いが、さっきも言っただろう。俺は飛べない。」
「イスパニョーラの話は聞いている。御父君の不幸については残念な限りだ。だがもうあれから一年以上も経つ。再確認はしているか?」
全てのパイロットは半年に一度そこそこに精密な健康診断を受ける義務があった。
達也の場合には、精神的外傷で経過観察になっているという状況と、過去に重度の放射線被曝を受けた可能性があるという理由とで、通常のパイロットよりも時間を掛けて検査が行われていた。
健康診断のタイミングでさらに二日ほど掛けて、パイロット適性検査を三回繰り返して行うのがほぼルーチンとなっていた。
そしてこれまで合計十回以上行われた適性検査に、達也は一度もパスしていなかった。パス出来る見込さえついていなかった。
「何度もやっている。改善出来ていない。」
「そうか。それは少し当てが外れたな。とは言え今更組み替える訳にもいかんか。水沢少尉。適性検査受験の頻度を上げてできるだけ早めにパスしてくれ。目標は三週間以内だ。基地司令と北米参謀本部には話を通しておく。機材と整備員はそのままにしていく。」
無茶苦茶な話だった。
そもそも、高島重工業の一技術者が、基地司令や北米参謀本部に対して指示が出せることがおかしかった。
「オオシタ、馬鹿言うな。基地司令に呼びつけられて大嫌味を言われるこっちの身にもなってくれ。」
「何が問題なんだ。パイロットはカフェテリアで暇している奴。整備用ハンガーはそっくり全部月契約でレンタルしている。整備士達の人件費はこっち持ちで、整備用資材もこちらから供給する。ユーティリティと、たまに飛ぶ時の燃料だけそっちで持ってくれと言ってある。破格の条件だろう。何が気に入らないんだあのカッパハゲは。そのうち上から指示が降りてくる。それに従っていれば良いだけの話だろう。それが気に入らないのは、新型機のテスト飛行に横槍を入れて成績を自分の手柄にしようなどと、下らん色気を出すからだろう。」
脇に座っている白人の大尉は、処置無しといった表情で天井を見上げ、両手を身体の前で上向きに開いた。
「だから水沢少尉。いや、達也。早くまた飛べる様になれ。急務だ。お前だけの話じゃない。新型機のテスト飛行に関わる俺達全員、延いては地球防衛に関わる話だ。いい加減寝てる時間は終わりだ。戦士の時間だ。」
そう言って大下は脇に立つ達也の胸を、拳を作った左手で叩いた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
塩の結晶が出来る程に塩気のある鮭の焼いたのにさらに醤油を掛けて食うのが好きです。
ガッツリ効いた塩味と醤油の香りが、鮭の味と一緒になって、白い熱いご飯と一緒に食べると最高です。
減塩? なにそれおいしいの?(いや不味い)