23. Fish and Chips
■ 3.23.1
パトリシアとアレクシアの二人は、パトリシアの予告通り、それから頻繁に「コロナド・ビーチ」を訪れるようになった。
それはひとえに、ノースアイランド基地内のどこの食堂に行っても碌な味の食事が出て来ないのに対して、高級将官用の宿泊施設であるNAVY CLUBとそれに付属したプライベートビーチの付帯施設とでも言うべきこのカフェテリアでは、マーチンが調理するファラゾア来襲前レベル同等の市井の料理が提供される事を知ってしまった為に、この穴場的カフェテリアが提供する料理から離れられなくなったからであった。
マーチンは元々ニューヨーク(NYC)でそこそこの人気があった自分の店を持っていた経験があり、大都会で自分の店を潰さず生き延びていくための料理の腕は、味が問われずとにかく量を提供することを求められる軍の施設内の料理人達に比べて天と地ほどにも開きがあるのは当然であった。
それだけの質の料理を提供しながらも、コロナド・ビーチは基本的に余り客の姿の無い、有り体に言ってしまえばいつも大体暇な店であった。
これは、この小さなカフェテリアの建物が高級将官用宿泊施設のビルディングの陰に隠れるように建っている目立たない店であるからでもあり、またノースアイランド基地内の殆どの兵士達が、NAVY CLUBとその向こうに続くプライベートビーチは、そこに宿泊するお偉いサマ達御用達のものであって、一般の兵士が近付くのは畏れ多い、或いは実質的に近付くことを禁じられているものと信じ込んでいるためでもあった。
その実、NAVY CLUBは確かに軍が運営する高級将官用のホテルではあったが、その向こう側に存在するプライベートビーチも、そしてその間にひっそりと建っているこのカフェテリアも、一般の兵士が利用して全く問題無い施設であった。
だが基地内で働く殆どの兵士達はその事実を知らず、その結果カフェテリアを訪れる客の数は非常に少なく、そしてそこで働く店員達は毎日有り余る暇を持て余す事となっていた。
暇であれば、厨房での料理を終えたマーチンもカウンター内に出てくる。
物怖じせず明るい性格のパトリシア達と、話し好きなマーチンはすぐに打ち解け、まるで何十年来の常連客とそれに応対する古株の店員のような会話が毎日のように繰り広げられていた。
アレクシアは少しきつい性格で、明らかに年上のマーチンに対しても色々な事をはっきりと言う。
どうやらマーチンはアレクシアのそういう所が気に入っているらしく、カウンターに座る二人と話をする時、明らかに身体の向きがアレクシアの方を向いていた。
それに対してパトリシアは、明るく優しい柔らかな性格であり、三人の会話と距離を置いてカウンターの奥で黙っている達也に対しても、色々と話を振ってくる様な気配りを見せていた。
もともとあまり人付き合いが上手くなく、ましてや今はイスパニョーラ島の戦いでまた沢山の親しかった者達を亡くしてしまい、またある日突然放射性障害が発症して急激に進行する可能性があると、時限装置付きの死刑宣告のような事を医者に言われ、さらには戦闘機パイロットとしての適性試験に箸にも棒にもかからないような成績で落第し、その原因となったPTSDもどうやって克服すれば良いのか目途も立たない。
意気消沈して普段以上に人との関わり合いを面倒に感じている達也にとって、パトリシアのその気配りは嬉しいものと僅かに感じないでもなかったが、殆どの場合煩わしく面倒で、塞いで落ち込んだ気分を逆に加速させるようなものであった。
入口のドアの蝶番が軋む音がし、揺れるカウベルがカラリカラリと騒々しい音を立てる。
たいして汚れてもいないカウンター裏のシンクを磨いていた達也は、その音に視線を上げた。
陽の光を浴びて柔らかに輝く金髪が風にふわりと揺れて、店の中の日陰に入ってくる。
もう昼時かと、カウンターの上の時計に目をやりそのまま視線をずらすと、店の前に生えている椰子の木に立てかけてある自転車は一台だけだった。
「こんにちはー。」
明るい声が店内に響き、パトリシアが右から三番目のいつものカウンター席を引き出して座った。
「一人か。」
「うん。アリーは来れないって。Bセットの鱈のフライ、フィッシュアンドチップスでしょ? 頂戴。あと水も。」
「諒解。」
達也はパトリシアの注文を伝えに厨房に入った。
マーチンは厨房におらず、建物の裏で煙草を吸っていた。
「アレクシアは来ねえのか?」
厨房を抜け、バックヤードでマーチンに顔を合わせるや否や、マーチンが訊いてきた。
どうやらお気に入りの方の姿が見えないので、少々ご機嫌斜めらしかった。
「来ないらしい。良く知ってるな。Bセットだ。あんた煙草吸ってたか?」
「順番に答える。アレクシア来ないんなら店に出ねえ。面倒だ。お前が相手してろ。あの娘もお前の方が気になってるようだしな。次。さっきここからパトリシアが一人で自転車に乗ってやって来るのが見えた。次。これ吸ったら作る。ジョンブルの食い物なんざ一瞬で終わる。すぐだ。最後。軍の施設に勤めるようになって、なんか最近覚えちまった。以上、でいいか?」
マーチンはまるでチェックリストの確認をするかのように、達也の問いに順番に答えていった。
答え終わり、煙草をさらに一口吸うと、マーチンは吸い止しを脇に置いたオレンジジュースの缶に放り込み、立ち上がって尻に付いた芝生を手で叩いて落とした。
「料理人が煙草吸って良いのか?」
と、達也は自分の事を棚に上げてマーチンに尋ねた。
「構わねえよ。自称グルメ様相手のご大層な料理を作る訳じゃ無し。普通に美味いもんなら、煙草吸っていようが酔っ払っていようが関係ねえ。」
そういうものなのか、と達也は納得すると同時に、こんな事を言い放つ位なのだから、もしかしたらマーチンは相当腕の立つ料理人なのかも知れない、と思った。
マーチンが裏口から厨房に入り料理を始めた。
達也も店内に戻り、注文を受けたミネラルウォーターのボトルの栓を開け、コップと共にカウンターに座ったパトリシアの前に置いた。
そこで達也は、パトリシアが作業服でもパイロットスーツでも無く、今日は私服らしいレモンイエローのタンクトップと水色のショートパンツを身に着けていることに気付いた。
「今日は非番なのか。」
「うん。非番だったんだけどね。倉庫の片付けを手伝わされて。お陰で遊びにも行けなかったわ。午前中でどうにか上がらせて貰ったけど。アリーは非番じゃ無かったから、配給のサンドイッチ食べたら昼からも仕事なの。あたしは仕事終わったからここに来たって訳。」
パトリシアは目の前に置かれたガラスのボトルからミネラルウォーターをコップに注ぎながら達也の質問に答えた。
「休みが潰されるほど忙しいのか?」
意外だった。
前線でも無いこの基地がそれ程忙しいとは思えなかった。常に人手が絶対的に不足している最前線の基地でも、パイロットの休みは尊重されるものだ。
もっとも、「最前線だからこそ」パイロットの消耗を防ぐために休みが確実に確保されるのかも知れなかったが。
「それ程忙しいって訳でも無いみたいだけどね。ほら、あたし達落ちこぼれ部隊だから。」
パトリシアは自嘲気味に笑いながら言った。
パトリシアやアレクシアが所属している部隊、5111TFSは、女兵士ばかりで構成されていた。
パイロット適性試験に合格しパイロットとしての訓練を受けたものの、訓練の過程で実際に前線に配属するには耐えられないと判断された体力や飛行技術、或いは性格、などの兵士ばかりで構成された部隊だった。
それは女だからと云う理由では無く、男女関係なく同様の判定を下された兵士達をひとまとめにしておくとき、色々な問題が起こるのを防ぐために男女別に部隊を作っただけに過ぎない。
だから、男ばかりで構成された同様の部隊も存在する。
戦いに明け暮れる国連軍、或いは人類の部隊の中で、その様な戦えない部隊の存在は一見無駄のようにも見える。
しかし、このノースアイランドの様な敵の脅威が及ばない後方の基地で、輸送任務や機体の回航、緊急に移動しなければならない将官の脚として、或いは陸空の区別無く色々な雑用を押しつける相手として、その様な部隊は一定の需要が有り案外重宝されていることも確かだった。
力量が足りないため戦闘に参加させられることは無いが、パイロットではあるために色々な雑用に重宝に使われているパイロット達の部隊、それがパトリシアが所属している5111TFSであった。
戦闘に参加させられることは無い割には、部隊名が「TFS(Tactical Fighter Squadron: 戦術戦闘機隊)」であるのは、一応全員が戦闘機パイロットとして訓練を受けてきた者達の集りで有り、戦えるか否かは別にして、部隊員は皆戦闘機に搭乗して出撃することは可能であるために付与された、半ば便宜上の名称である為だ。
だから気を遣った、という訳でも無いのだが、達也は自分が最前線を渡り歩いてきたパイロットである事を彼女達に明かしてはいなかった。
それはどちらかというと彼女達に気を遣ったと云うよりも、今実際に飛ぶことが出来ない自分を恥じて、最前線で戦える一線級のパイロットであると言われるのが居心地が悪くて、それを彼女達に知られないように黙っていた、と云うのが正確なところだった。
だったのだが。
「ねえタツヤ。噂で聞いたんだけれど。あなたパイロットなの?」
アレクシアが居るときとは打って変わって無愛想に、フィッシュアンドチップスとポテトサラダを盛り付けた皿をものも言わずにマーチンが彼女の前に置いて再び厨房の中に消えるのを見送った後、達也が置いたバスケットの中からスライスしたフランスパンを摘まみ上げながらパトリシアが言った。
突然の話に、達也はどのように答えれば良いのか正しい答えを咄嗟に見つけることが出来ず、無言のまま乾燥棚からグラスを取り上げて布で丁寧に磨いて曇りを取り、グラス置き場に戻す作業を黙々と続けた。
「この間、エドワーズ基地の教育群のマネージャを乗せて飛んだウチの部隊の子がね、そのマネージャからあなたのことを聞かれた、って。タツヤ・ミズサワ少尉って、あなたの事よね?」
グラスを棚に置き、パトリシアを見た。
パトリシアの視線が真っ直ぐに達也を見ているのと眼が合った。
達也は黙って視線を外し、次のグラスを取り上げた。
「その子が言うにはね、あなたはあちこちの前線で戦い続けて、常にエースの成績を残し続けたトップパイロットだって。何か大きな怪我をして今は飛べなくなっているけれど、怪我が治ってまたエースが飛べるようになる日を皆待ち望んでいるんだ、って。だから落ちこぼれのあたし達は、上手く飛ぶコツって云うのをあなたから教われば良い、って言われたって。」
エドワーズに居た時に、その馬鹿野郎に顔を合わせたことがあるかどうかは知らないが、いずれにしても余計なことを言いやがって。
追加で塩を振った鱈のフライを綺麗に切り分けながら言うパトリシアの手元を達也は見ながら思った。
「本当?」
フライを切り分けて一口口に入れて嚥下したパトリシアは、手元のグラスから少し水を飲んだ後にグラスをカウンターの上に静かに置いて言った。
まるで何かを問い詰めるような、或いはそれを責めるようにも見えるパトリシアの視線から達也は逃げられなかった。
自分がパイロットだったからと言って、パトリシアから責められる謂われはない、とまるで今初めてその事実に気付いたかのように達也はパトリシアの眼から視線を外し、手に持っていたグラスを磨き続けた。
パイロットである事を伝えていないのは、それを尋ねられなかったからであって、故意に隠していた訳ではない。
そもそも隠さなければならないような事では無い。
勿論、色々な煩わしさを嫌って、自分がパイロットである事を明かさないようにはしていたのだが。
それでも、問われれば隠さず答えるつもりだった。
そうだ。隠さず答えるつもりだったのだ。
「本当だ。」
達也は磨き終えたグラスをゆっくりと置き場に戻した。
「・・・じゃあ、イスパニョーラ帰りっていうのも、本当?」
パトリシアはどこまで知ったのだろう。
「それも、本当だ。」
パトリシアが僅かに泣きそうな表情を見せて自分を見ている事に気付いた。
やはり、彼女たちがパイロットだと分かった時点でこちらから積極的に明かすべきだっただろうか。
いや。その必要は無かった。
彼女達にどう思われようが、本来自分には関係ない事なのだ、と達也は冷めきった眼でパトリシアを見返した。
「酷い怪我なの?」
ああ、そういう話を聞いていたのだったな、と達也の口元が僅かに歪む。
この話題で話を続ければ、触れたくない話題にいつか辿り着く。
「それは、本当じゃない。」
「え? どういう事?」
「酷い怪我というのは、間違った噂だ。或いは故意に誤情報が流されているか。」
「じゃ、怪我は無いの?」
「怪我は無い。俺が、どこか怪我しているように見えるか?」
そう言ってグラス磨き用の厚手の布を持った両腕をパトリシアの前で開いて見せた。
何かを思い詰めていたようなパトリシアの表情が、まるで氷が熱せられて溶けていくかのように、見る間に明るく安堵したものに変わっていく。
「良かったあ。あんな激戦地で怪我したなんて、酷い事になっているんじゃないかと思って、心配したのよ。」
それはありがたい話ではあるが、問題はそこでは無い。
身体を損傷しているなら、療養すれば元に戻るかも知れない。
だが、壊れた心はどうやって治せば良い?
自分自身にも手が届かないほどの、心の奥底の深いところで何かが決定的に壊れてしまっていて治らない。
あれほど憎かった敵を叩き落とす為に絶対必要な、戦闘機の操縦が出来ない。
両親を殺され、仲間を殺され、恋人を殺され、ありとあらゆるものを奪われ、文字通り幾ら殺しても殺し足りないだけ憎んでいる敵を、斃しに行こうとすると身体が、心がそれを拒否する。
次から次にあらゆるものを奪われ、巨大な敵に恐れをなしたのか。
奪われる毎に深い傷を付けられ、二度と元に戻れないほどに壊れてしまったのか。
全てを奪い、自分の心を壊し、翼までをも奪って行った敵をむしり殺してやりたい。
それ程までの殺意を抱いているというのに、飛べない。
この手が敵に届かない。
「え? じゃあ、どうしてタツヤは飛べないの?」
分かっていた。
その質問をされるのが嫌で、パイロットであると明かさなかったのだ。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
昨日の夜思い付いて、余りの面白さに絶対次の話の後書きに書いてやると思っていた内容を、一晩寝たら忘れてしまった。
・・・なんだっけ?