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A CRISIS (接触戦争)  作者: 松由実行
第三章 失うもの、還らぬもの
75/405

22. フジッリ・アラビアータ

 

■ 3.22.1

 

 

 昔の米国ならば大量にドリップしたコーヒーを保温器にかけておいたのだろうが、電力の足りないこのご時世にずっと電気を使い続ける保温器を使う事は憚られた。

 なのでコーヒーは注文が入るごとに手で淹れなければならない。

 

 コーヒー豆を電動ミルに入れ、コーヒー豆を挽く。

 もちろん電動ミルも電力を消費するのだが、基地全体で消費している大量の電力に較べれば電動ミルを一瞬回す程度微々たるものだと思い、達也はコーヒーを挽く為に電力を使用する事を気にしない事にしていた。

 豆を手で挽いていては時間がかかりすぎる。手で挽く事を好む客もいるのだろうが、注文したものが出てくるのに時間がかかる事を嫌う客の方が多い。

 

 粗い粉に挽かれた深煎りの豆をネルに放り込み、スタンドにセットする。

 コンロの上で沸騰寸前まで熱せられ湯気を立てているポットを手に取り、ネルに入れた粉の中心を目掛けて適量を注ぐ。

 コーヒーの豆をローストした時に発生し豆の中に閉じ込められていた炭酸ガスが、沸騰手前の湯で熱せられて豆から出てきて泡となり、水分をたっぷり含んだコーヒー粉を膨れあがらせて粉の表面を盛り上がらせる。

 わずか数滴ではあるが、ネルの下部から黒い液体が染み出てきて、ポタリポタリとコーヒーサーバーの中に滴り落ちた。

 達也はポットを手に持ったまましばらく待ち、湯に濡れた盛り上がりの表面から水分が抜けた様に見えてきた頃を見計らって、今度はポットの注ぎ口に濡れ布巾を当てて左手で支え、もう一度コーヒー豆の中央に熱湯を注ぎ込む。

 炭酸ガスの泡で膨れあがった粉の中央部が、再び熱湯を注がれて泡を発生してさらに盛り上がる。

 新たに発生した色の淡い泡が、一度目に盛り上がった部分全体を覆った辺りで湯を注ぐのを止めて、再び待つ。

 黒褐色の液体が次々にサーバーの中に落ちていく。

 

 泡が落ち着き、盛り上がりの中央部分が窪んだ頃合いを見計らって、先ほどよりも多めの湯を盛り上がりの中心部分に回しかける様に注ぐ。

 粉がさらに泡を生じ、さらに大きく盛り上がった粉がネルの中のコーヒー粉全体に広がる。

 広がった泡が落ち着くのを待ち、ポットから流れ出る湯の量を調整して、糸の様に細い湯をコーヒー粉の中心辺りに回しかける様にして、必要な量のコーヒーがサーバーに落ちるまで、今度は連続して湯を注ぎ続ける。

 

 必要な量のコーヒーが抽出されたらポットをコンロに戻し、いまだコーヒーが滴り落ち続けているネルをスタンドから外してシンクに放り込む。

 サーバーの中に溜まったコーヒーを木ヘラでかき混ぜて均一にした後に、コーヒーカップ二つに注ぎ分けて入れて出来上がりだ。

 コーヒーカップをソーサーに乗せ、ティースプーンをカップ脇に乗せる。

 ソーサーを持って二つのカップをトレイの上に載せ、トレイを持って二人の男が座っているテーブルに向かった。

 

どう(Please, )ぞ。(enjoy.)

 

 木製の天板のテーブルの上にカップセットが置かれてカシャリと音を立てた。

 

 二人の日本人の男にコーヒーを出し、達也はカウンターの中に戻ってコーヒーを淹れるのに使った器具を片付け始めた。

 注文を取ってからずっと、二人の男の視線が自分に張り付いていたことに達也は気付いていた。

 どうやらこの二人の男の来店の目的は、コーヒーを飲むことでは無く自分の方にあるようだ、と務めて二人の方を見ないようにしながら達也は思った。

 イスパニョーラ島から生還した後、入院中からこの手のおかしな客の訪問には慣れている。

 核が使われた戦場から戻ってきた兵士という事で、日本政府、或いは反核団体か何かから送り込まれた調査員か、それに準ずる使命を帯びた人間だろうと思った。

 その手のインタヴューにはうんざりするほど付き合わされた。

 入院中には暇潰しの一種と考えて連中の不躾且つ無思慮な質問にも答えたものだが、ここに来てまでまたその手の連中に付き合わされたくは無かった。

 達也は洗い物を手早く片付けると、早々に厨房に引っ込んで二人の視線から逃れることにした。

 

「客はどうした?」

 

 マーチンはロティサリーチキンを保温用バットに並べる手を休めずに訊いてきた。

 

「コーヒーだけだ。もう出した。」

 

「メシはいらねえって?」

 

「ああ。そうらしい。」

 

「ふうん。」

 

 マーチンが妙な表情で視線を上げたのと眼が合った。

 この男は民間から雇い入れたただの料理人で、ニューヨーク辺りで出していた自分の店が潰れたので、比較的安全な西海岸に逃げてきてふらふらしていたのが、国連軍からの求人に応募してきて今の仕事にありついたのだと聞いていたが、と考えながら達也はその視線を受け止めた。

 もっとも、軍情報部やその手の機関からの回し者だったとしても、それを馬鹿正直に自分に伝えるはずも無いと、溜息を吐いて視線を外した。

 

 その時、店の入り口のドアに取り付けてあるカウベルが鳴る音が聞こえた。

 厨房から顔だけを覗かせて確認すると、フライトスーツを着た若い女が二人、入り口から歩いて先ほどの日本人二人組の隣のテーブル席に着くところだった。

 達也は再びオーダー用のメモ用紙を片手に新しい客が座るテーブルの脇に立った。

 

「ご注文は? (May I have your order, please?)」

 

「えっとね、ちょっと待ってね。あ、あたしパスタが良いな。どれにしようかな。」

 

「あんたパスタなの? じゃあたしは別のにするか。ん、これ。Aランチ。チキンだったよね? と、炭酸(Gassed )水。( Water)

 

 ブロンドを顎の下の長さで綺麗に切りそろえた女の方が、いかにもといった口調でメニューを選んでいると、反対側に座ったブラウンのセミロングの女の方がさっさとオーダーを決めた。

 ちなみにAランチはロティサリーチキンだった。

 今マーチンが厨房で格闘している大量のチキンの一部は、店のAランチとして出すためのものだった。一度に同じものを作った方が効率が良いという店長マーチン判断だった。

 

「アレクシア、決めるの早い。えっと、えっと、じゃあたしこれ。それと、(Non-)通の(Carbonated)水。( Water)ボトルで。」

 

 昼食のメニューを迅速に決断できたのがそれ程に嬉しいのか、金髪の方がにっこりと笑って達也に向けてメニューを指差した。

 

「承知しました。」

 

 メモを取りカウンターの内側に戻る。

 二人の男の視線が背中を追いかけているのを感じる。

 

「注文は?」

 

 厨房に入るやいなや、マーチンが訊いてきた。

 

「Aランチ。あとフジッリ・アラビアータ。」

 

「オーケー。フジッリはお前が作れ。」

 

「俺が? 冗談だろう? アラビアータなんて作ったこと無いぜ。」

 

「アラビアータなら冷凍庫に作り置きが入ってる。フジッリを茹でるだけだ。バカでも出来る。その鍋に七分目の湯と塩を小さじ二杯。フジッリが150g。十二分だ。その間にソースを温めろ。バッグ一つを小鍋に開けて木へらでかき回せ。フジッリが茹で上がったら、湯を良く切ってソースの鍋に入れて混ぜる。俺は手が離せん。十二時三十分に二階のバンケットルームに持っていかなけりゃならん。」

 

「・・・諒解。最善を尽くす。」

 

「ダメだ。成功しろ。トマトだってタダじゃねえんだ。大丈夫だ。簡単だ。バカでも出来る。」

 

「・・・諒解。」

 

 達也は女二人のテーブルに飲み物を持っていった後、マーチンに言われたとおりにフジッリを茹で、ソースを温めた。

 幸運な事に、焦げ付かせる事もなくアラビアータソースは温まり、フジッリ・アラビアータが完成した。

 

「本日のAランチ、ロティサリーチキンとコールスローサラダ、こちらがフジッリ・アラビアータです。」

 

 達也が食事を女達の元へ持っていく間、やはり例の日本人二人は達也を観察し続けた。

 その背中に纏わり付く視線が不快だった。

 若い女の視線にでも追いかけられるならまだしも、素性の良く分からない男二人組にずっと追跡され観察されるのは御免被る話だった。

 料理を女達の前に置いた達也は、男二人が座るテーブルの脇に立った。

 面倒事なら、さっさと片付けた方が良い。

 

「俺に何か用か?」

 

 と、日本語で言った。

 男達二人は達也を見上げたまま、表情を動かさない。

 やはり見立て通り日本人で、自分に用があるのだ、と達也は理解した。

 

「あんた、水沢少尉だよな。」

 

 サングラスをかけた大柄な男の方が言った。淀みの無い日本語だった。

 生まれた時から日本語を使い慣れている者の発音だった。

 

「そうだ。あんたは?」

 

「武藤少尉だ。5627ALS所属だ。こっちは田中少尉。」

 

 聞かない部隊番号だった。

 もっとも、達也が全ての部隊を把握している訳では無い。

 今は部隊を外れてしまっているので、実のところこのノースアイランド基地にどの様な部隊がいるのかさえ全て知っている訳ではなかった。

 だが鎌を掛けてみる事にした。

 

「聞いた事の無い部隊だな。」

 

「だろうな。仕事は輸送隊半分、テストパイロット半分と云ったところだ。普通の輸送隊じゃ無い。」

 

 ファラゾア来襲後の国連空軍の部隊番号の付け方は独特だった。

 普通であれば戦闘機隊には「TFS(戦術(Tactical )戦闘(Fighter )機隊(Squadron))」、偵察隊には「TRS(戦術(Tactical R)(econnai)(ssance S)機隊(quadron))」、輸送隊には「TAS(航空輸(Airlift )送機隊(Squadron))などという名称を用いるのが普通である。

 

 ところが対ファラゾア戦において、武装もしていない偵察機での偵察などはあり得ない事から、全ての偵察行動は武装した戦闘機に戦術偵察ポッドを懸架して行われる。

 結局、普段最前線でファラゾアと殴り合っている戦闘機隊が、装備を少し変更しただけで武装偵察を行う事となる為、国連空軍では戦闘機隊(TFS)と区別して偵察隊(TRS)という部隊は設けられていなかった。

 同様の理由で、攻撃機部隊(Attack/Air Support Squadron)も存在しない。

 輸送機という、特殊で戦闘機では替えの効かない機体が必要である航空輸送隊は、ALS(Airlift Squadron)という飛行隊の区分名を持っていた。

 ちなみにファラゾア相手ではあまり華々しい出番の少ないAWACS部隊には、ACS(Air Control Squadron)という飛行隊名が付けられる。

 

「で? その運び屋が何の用だ?」

 

 達也は明らかに警戒している雰囲気をありありと表情に出して、武藤と名乗ったその男に来訪の目的を問うた。

 内心、この男が本当に輸送隊の人間であるとは信じていなかった。

 最初の印象通り、何か特殊な使命を帯びたエージェントが自分に接触してきたのだろうと警戒していた。

 

「今日の所は顔見せだ。コーヒーごちそうさん。金はここに置いておく。」

 

 そう言って武藤はのっそりと席から立ち上がった。

 武藤が立ち上がったのに続いて、結局一言も声を発する事の無かった田中と紹介された男の方も立ち上がり、武藤の後に続いて店を出て行った。

 男達が座っていたテーブルの上には、二組のコーヒーカップの脇に、十ドル札が二枚置かれていた。

 インフレの結果、軍の基地の中でさえ今ではコーヒー一杯に十ドルも払わねばならないのだ。

 街中でコーヒーショップに行けば、さらにその数倍の金額を請求されるだろう。

 

 達也は二人の男が出て行った後をしばらくの間見送った。

 何者で、何を目的にやってきたのかさっぱり分からなかった。

 とはいえ、追いかけていって目的を問い質すほどの事でもない。

 彼等が何の為に動いているかなど興味は無かった。

 それに武藤は「今日の所は」と言った。という事はまた来るという事だ。

 来て欲しい訳ではないが、何か聞きたければまたその時に聞けば良い。

 達也はカウンターの中に戻ろうとした。

 もうすぐNAVY CLUBへ昼食を持っていく時間だ。忙しくしているマーチンを手伝うべきだ。

 

「ねえ、このパスタ、あなたが作ったの?」

 

 コーヒーカップを回収し、カウンターに戻ろうとした達也に脇から声がかかった。

 金髪の方が達也を見ていた。

 

「ああ・・・いや、正確には俺はパスタを茹でただけだ。ソースは厨房のマーチンが作った。」

 

「そうなんだ。でも美味しい。軍のカフェテリアとは思えないわ。」

 

 軍の食事は、栄養補給を主目的にしている。当たり前の事だった。

 兵士に栄養を取らせなければ、兵士は動かなくなる。兵士を動かす為のエネルギー補給が軍で出される食事の主目的だった。

 それでも多少は味を気にするのは、余りに不味い食事では兵士が嫌がって食事をまともに摂らず、目的の栄養補給に支障をきたす為だ。

 いずれにしても軍が関与する食事は、味は二の次、兵士にしっかりと栄養を取らせる事が第一であり、美味い食事を楽しむ事と栄養補給という目的のバランスが逆転するのは、高級将官向けのレストランだけだ。

 成る程、それで隣のNAVY CLUBから、明らかにこの店の調理キャパシティをオーバーした四十人前もの昼食のオーダーが届くのか、と達也はここで理解した。

 

「マーチンに伝えておく。喜ぶだろう。」

 

 金髪のボブカットの女は、達也がハッとするほどの明るい笑顔で笑った。

 最近は最前線で、どこか精神的に追い詰められ歪んだ様な、苦笑だったり皮肉に歪んでいたり哀しみの上に無理に貼り付けたりした様な女の笑顔ばかり見ていた。

 何の屈託も無い単純に嬉しそうな笑顔が、なぜか達也の心に突き刺さるように衝撃を与えた。

 

「アリー。お昼は明日からここにしよう。気に入った。」

 

 金髪の女が、確かアレクシアという名前だった筈の、向かいに座るブラウンの髪の女に言った。

 

「パトリシア? あんた自分が何言ってるか分かってる? ここまで歩いてくるのにたっぷり二十分はかかるのよ? それでも毎日来るの?」

 

 どうやら、その明るい笑顔を持った金髪ボブカットの女はパトリシアという名前の様だった。

 

「そっか。じゃ、一日おき。んー、時間がある日はいつでも?」

 

「パット?」

 

「分かったわよ。車用意しておくから。」

 

「お昼食べに行くのに車使ったなんてバレたら、アマンダに雷落とされるわよ。」

 

 化石燃料も電力も、車を動かす為のエネルギーは全世界的に欠乏気味だった。

 達也とシャーリーがマイアミの街まで車を使えたのは、常に強いストレスにさらされ続ける最前線兵士のリフレッシュの為、特に許可されたものだった。

 後方の基地では、車の使用許可はそれ程簡単には下りない。

 

「じゃ、自転車(バイク)。」

 

「オーケー。それで手打ちましょ。」

 

「ふふーん。と、言う訳で店員さん、これからちょくちょく来るから、宜しくね。」

 

 パトリシアは満足したという風ににっこりと笑うと、達也の方を見て言った。

 

「諒解。」

 

 達也の答えに、パトリシアは少し驚いたような不思議そうな顔をして達也を見た。

 

「店員さん、あなた、名前は?」

 

「達也だ。」

 

 そう言って達也は空になった二人の皿を取り上げ、カウンターの向こうに戻っていった。

 美人が二人、美味いと言っていたと言えば、殺気立って料理をしているマーチンの機嫌も多少はましになるだろうか、と思いながら。


 いつも拙作お読み戴きありがとうございます。


 コーヒーの淹れ方はペーパーフィルターでの淹れ方です。ネルを使う場合とちょっと違うかも知れません。

 普段、ペーパーフィルターを使っているもので。


 ロティサリーチキンは、本当は鳥一匹をまるごと串にブッ刺して、炭火の上でグルグルローストするのが正しいのですが、こんな小さなカフェテリアにそんな本格的なロースト設備は無いため、焼き鳥用の炭火ロースターみたいなのでモモ肉を炙っています。


 しかしホントに、死んだと思えば次から次へと女が絡んできますね、この主人公。

 これもある意味リア充なんじゃ。

 主人公なんで、爆発して貰っちゃ困りますが。


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― 新着の感想 ―
また女が死ぬのか…(唖然) それと運び屋の方々も死ぬんだろうなぁ…
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