20. 不適格
■ 3.20.1
03 June 2040, Fort Worth Air Force Memorial Hospital, Fort Worth, Texas, United States
A.D. 2040年06月03日、米国テキサス州フォートワース、フォートワース空軍記念病院
目覚めると、視野が白い色で埋め尽くされていた。
目の焦点が合っていないのかと、緩慢な動作ではあったが焦点を遠距離と近距離との間で何度か往復させると、数m先辺りで1m間隔程度の大きな格子模様が付いた白い壁状のものに焦点が合う事が分かった。
全体が白く発光している様に見えるその壁は、どうやら灯りを内蔵した天井の様だった。
自分がどういう状態になっているのか分からず、とりあえず身体の各部が存在する事を確認する。
眼は見えているので大丈夫だろう。耳は、先ほどから軽い電子音と、低く静かに唸る様なモータ音が聞こえているので、無事な様だ。
どうやら自分は、回収されて病院に収容されているらしい。
運が良かった。
前線で撃墜されると、殆どの場合MIAとなってしまう。
機動力も武装も貧弱な救出用の回転翼機は、ファラゾアにとってただの的でしか無い為に前線に近いところでの回収作業は出来ない。
最後に自分がどうなったか、どうしたのか、記憶が曖昧で思い出せないが、今現在病院に収容されて生きて意識があるという事実に達也は安堵していた。
匂いがしないので鼻は分からないが、呼吸しているのだから大丈夫なのだろう。
口は・・・顎が動き、口の中の感覚があるのだから多分大丈夫だ。
それにしても喉が渇いた。
口の中がガサガサとしていて、喉の壁が互いに張り付きそうだ。
その後、両手とその指、両足と少しずつ動かしていき、存在を確かめる。
あちこち痛みはあるものの、どうやら五体満足らしい事が分かった。
腹に鈍い痛みがあるが、最後の記憶では内臓に損傷があって血を吐いた気がする。
それ程の損傷があったのなら、これは仕方の無い事だろう。
むしろ、内臓に損傷があってなお今生きている事を幸運に思わなければ。
達也がベッドの中でもぞもぞと身体を動かしていると、不意に脇から女の声が聞こえた。
「あら。目が覚めたのね。ちょっと待っててね。先生呼んでくるから。」
声がする方に視線を向けたが、見えたのはカーテンの影に隠れる白衣の後ろ姿だけだった。
しばらくして、白衣を着た中年の男が女を一人連れてやって来てベッドの脇に立った。
「ミズサワ少尉。気が付いたかね。」
男が着ている白衣はよく見かけるものでは無く、まるで疫病に罹患した患者を処置するための防護服のようにも見えた。
顔面はフルフェイスの透明なシールドで覆われており、口元には厳めしい形のマスクが付いている。
達也はこれまでの人生で病院に入院した経験が無く、自分の今の扱いがどのようなものなのか想像することさえ出来なかった。
「こ・・・こは?」
自分のものとは思えない、嗄れた声が聞こえた。
酷く喉が渇いていて、声が巧く出せなかった。口許には酸素マスクのようなものをあてがわれていて、声がくぐもってしまい上手く通らない。
「ここはテキサス州フォートワース市内にある空軍病院だ。私はアーキン医師だ。君はキューバ島に墜落しているところを運良く偵察隊に発見された後、回収された。内臓破裂による出血多量で生きているのが不思議なほどだったが、どうにか一命を取り留めた。他に全身数カ所の骨折がある。あと君は、重度の放射線被曝の疑いがある。現在のところ被爆による目立った障害は認められないが、これに関しては長期観察の必要がある。軍務に復帰できるのは、早くて三ヶ月後、長い場合は一生病院で過ごさねばならない可能性もある。勿論、放射線障害によって急激に容態が悪化し、短期間の内に死亡する可能性もあることを承知しておいてくれ。喋れるか? 喋れるようなら、質問を受け付けるが?」
アーキンと名乗ったその医師は、それだけのことを一気に喋った。
あれだけ核爆発の近くに居たのだ、放射線を大量に浴びていると云うのも納得の出来る話だった。
もしかしたらすぐにでも死んでしまうかも知れないと、相当衝撃的なことを言われたのだが、自分が余り動揺していないことに驚いていた。
頭がまだ寝ぼけていて言葉を上手く消化しきれていないのか、常に死と隣り合わせだったので自分の死というものに感覚が鈍くなっているのか、或いは何か投与された薬の作用なのか。
それよりも達也には気になることがあった。
「ミズサワ中尉は、どうなったか、知っているか?」
「なんだって?」
当てられた酸素マスクの中で達也の小さな声がくぐもり、聞き取りにくいようだった。
達也はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「ミズサワ中尉? 君の親族か何かかね?」
「父親、だ。」
「ふむ・・・残念だが、この病院にはミズサワ中尉は収容されていないな。もっとも、Operation "Santo Domingo"の生き残りが他の病院に収容されたという話は聞いていない・・・あー、つまり、君の父親は無事でピンピンしているかも知れない。」
次から次へと無感情に衝撃的な宣告を続けていたアーキン医師だったが、どうやら途中で自分が何を言っているか気付いたようだった。
アーキンは適当に言葉を濁して誤魔化そうとしたものの、しかしあの状態から父親が無事であるとはとても思えなかった。
父親の率いる小隊は、自分よりもさらにイスパニョーラ島に近いところに居たはずなのだ。
自分よりも軽傷であるという事はあり得なかった。
「そう、か。」
達也は目を閉じ、それきり言葉を発さなかった。
「とにかく今は自分の身体を治すことに専念するんだ。我々が最大限それを支える。治るのが早ければ、集中治療室を出てその分早くリハビリを始められる。それだけ早く復帰できるという事だ。何かあれば彼女、ジョスリン・ブロック看護師に言ってくれ。君の担当看護師だ。」
更に誤魔化すようにアーキンは言葉を続けたが、その言葉が達也の気分を少しでも浮き立たせるようなことは無かった。
そもそも、放射線被曝で突然容態が悪化して死亡するかも知れないと言っていなかったか?
達也は自分でも驚くほどに冷めた思考の中で、かなり白々しいアーキンの言葉を聞き流した。
アーキンの斜め後ろで、紹介された白衣の女がにっこりと笑っていたが、それも達也の眼には入っていなかった。
数ヶ月も入院しなければならない身体の状態もさることながら、突然悪化して死に至る可能性もあると言われた放射線被曝。
そして、父親の死。シャーリーとジリオラの死。
目を閉じた達也の頭の中で、それらの衝撃的な事柄がぐるぐると渦を巻くように繰り返し浮き上がってきては、達也の心を痛めつけていった。
■ 3.20.2
達也の体調は、医師が驚くほど順調に回復していった。
達也が目覚めた後、僅か五日ほどで集中治療室から出て一般の病室に移れるほどには回復したのだった。
医師は、放射線被曝による影響が出る危険性は否定しきれないとしながらも、一般病室への移動を許可し、看護師による頻繁な検査を条件としながらも達也は息苦しい集中治療室から、幾分ましな一般病室へと移動することが出来た。
一般病室とは言えども、頻繁な検査の必要性や、放射線被曝した者を一般の患者と同室にするわけにはいかないという判断から、達也には個室が与えられた。
個室になった理由は、達也の容態や個人的な都合を慮ってのものでは無いという事がその後判明する。
世界中の多くの国々が切り札として保有しつつも再び用いられることの無かった核という最終兵器が、およそ百年ぶりに用いられた極めて特殊な戦場で任務に就いていた兵士として、さらにその作戦の数少ない生き残りの一人として、更に言うならば、まさにその核爆発の現場に最も近い場所に居ながらも運良く生き残った生存者として、米軍や国連軍の情報機関など様々な部署から情報担当官や科学者などが達也の元を訪れ、誰も彼もが似たような質問をし、時には何の関係性があるのか分からないような思いもよらぬ質問も織り込みながら、極めて特殊な戦場から生還した達也からありとあらゆる情報を得ようとしていた。
その様な特殊な訪問者が頻繁に達也の元を訪れるにも、個室というのは都合が良かったのだ。
お陰で達也は退屈とは全く無縁の入院生活を送ることとなったが、同時にその頻繁に行われるインタビューは、親しかった者達や肉親を立て続けに失った戦場を何度も達也に思い出させることとなり、その記憶は繰り返し思い出される度に達也自身が自覚する事も無く達也の心を蝕んでいった。
非人道的とさえ言って良い、精神的に追い詰められるその尋問の繰り返しは、対象者である達也の精神に悪影響を及ぼすであろう事が明確に予想されていたものの、ファラゾアという強大な敵に唯一確実に有効な大量破壊兵器の成果確認という戦略戦術的情報収集の目的の前には、対象者の個人的な負担は黙殺されたのだった。
或いはもしかすると、久々に使用された核兵器に対して、戦場でその使用を直に目撃した兵士、放射線被曝を受けた兵士の精神的外傷の状況を調査する事も、彼等の目的の一つであったのかも知れなかった。
気の滅入る様な毎日を過ごし、一月が過ぎる頃には車椅子で動き回れる様になり、さらに半月したところでリハビリが始まった。
放射線被曝に関しては観察と検査が継続されていたが、現在までの所身体に障害はみられていなかった。
「その場を見ていないので断言は出来ないが」と前置きをした上で、達也に最も近いところで爆発した、ウィンドワード海峡上空が爆心地となった最後の一発が爆発した時、多分達也は爆発から逃れる様に爆心地に背を向けて自機を飛ばしており、エンジンや様々な機体構造物である金属部品が、放射線の大半を防ぐ為の防護壁の様な役割を果たした為、達也自身は思ったよりも放射線を被曝していないのではないだろうかと医師は言った。
実は達也自身、最後の瞬間自分がどうしていたのか記憶が混濁していて曖昧で、記憶を辿るのが難しい事に気付いていた。
ジリオラが墜ち、シャーリーが爆散し、父親が敵の大軍に向け突っ込んでいった。
思い出せるのはその辺りまでで、その後イスパニョーラ島上空で次々と核爆発が起こったのを見ていた辺りから記憶が曖昧になっていた。
その後自分がどの様に操縦をして、どうやって一般道路の上に不時着したのか、その辺りになると全く記憶に残っていなかった。
それならそれで構わない、と達也は思っていた。
親しい上官と恋人の悲惨な死に様を目の当たりにし、最後に残った肉親である父親の死をも多分見てしまった。
さらには核兵器の連続爆発を間近で見るなどという、普通ではあり得ない様な衝撃的な事件が立て続けに起こり、心が壊れてしまわない様に、多分無意識のうちに自分で自分の記憶に蓋をしてしまったのだろう。
それが必要な事だと自分の意識が判断しているのなら、そうなのだろう。
無理にその記憶の蓋をこじ開けて、人格が崩壊したり発狂したりする様な事になるのも御免だった。
そして三ヶ月が経ち、医師達が驚くほどの回復を見せた達也は、フォートワース空軍記念病院を退院した。
結局その三ヶ月の間、放射線被曝による体調の悪化は一度も確認されず、この後は全てのパイロットに必ず実施される半年に一度の定期健康診断の際に経過を確認するだけで良い、という結論を医師は出した。
三ヶ月もの長い間軍務を離れ、またリハビリが必要なほど身体に障害を抱えていた達也は、復帰する前に訓練施設でのリハビリを行う事を命じられた。
フォートワース空港から輸送機に乗せられた達也は、カリフォルニア州ロサンゼルス北方に存在するエドワーズ空軍基地へと送られ、ここでリハビリを実施する事となった。
身体検査から始まり、反射速度測定、判断力測定、シミュレータによる技能確認など、達也は次々とリハビリ項目をこなし、クリアしていった。
訓練兵時代に既に一度似た様なものを受けた事もあり、また最前線で長く戦っていたパイロットにとって、それらのリハビリ項目は半ばレクリエーションの様なものでさえあった。
そして地上で確認できる項目を次々と終了し、実機による技能確認まで進んだ時にそれは起こった。
パイロットスーツを着用し、ヘルメットを持って訓練機に近付く。
既に空に上がって今日の訓練を開始している新兵達の訓練カリキュラムの最後に飛び入りし、訓練教官による技能チェックを受ける予定となっていた。
この実機による技能確認が終われば、訓練施設でのリハビリは完了し晴れて前線に戻る事が出来る。
訓練機であるF16Cのラダーをよじ登り、コクピットに潜り込んでシートに腰を落ち着ける。
何百回も繰り返した、慣れた作業だ。
整備兵によってすでに飛行前チェックは完了している。
ハーネスを固定し、ヘルメットを被り、エンジン始動のプロセスに進む・・・事が出来なかった。
次に何をすれば良いのか、分からなかった。
それは、F16V2とF16Cのコンソールが異なるから操作に戸惑う、などという理由ではなく、次に何をすれば良いのかという項目そのものが頭から消え去ったような感じだった。
整然と項目が並び、上から順番に実施して行けば良いだけのシーケンスリストが、まるで途中から完全に消去されて空白となっている様な、そんな印象を受けた。
その異常な事態に手が震え、目眩がする。
地上での色々な検査やリハビリを軽くクリアし、実機に乗った途端にいわゆるPTSDが表面化するとは思っていなかった。
このまま全てを軽くクリアして前線復帰出来るものと達也は思っていたのだ。
それは明らかに、イスパニョーラ島での出来事の精神的後遺症だった。
「どうしました? 何か問題でも?」
動きを止めた達也の不審な行動に、ラダー下で待機していた整備兵が声をかける。
「いや・・・問題無い。久々の実機に乗って感慨に浸っていただけだ。」
整備兵は成る程と納得した様に明るく笑った。
落ち着け。
焦らず、自機を飛ばす為に常識的に行わなければならない事を順番に一つずつ思い出せ。
まるで初めて実機に乗った訓練兵の様に、ゆっくりと手順を一つずつ思い出す。
一つずつ、再確認しながら操作する。
半ば無意識で、身体に染みついた一連の動作として出撃前の僅かな時間で行っていた時に較べて、何倍もの時間を掛けて機体を起動していく。
ボタンを押し、スイッチを入れる手が震える。
ヴェテランパイロットとは思えない程長い時間を掛けて機体を起動していく達也に整備兵は怪訝な顔をして見上げていたが、最終的にエンジンが起動して各部の動作チェックが終わったところで、自分の仕事は終わったとばかりに興味を失った表情で達也の機体の下から離れていった。
誘導員指示に従いタキシングを開始し、管制塔指示に従って滑走路を加速し始める。
震える手足で慎重に機体を浮き上がらせ、着陸脚を畳み、高度を上げる。
その余りにぎこちない動きと、不安定な機体の挙動を自覚する。
まるで初めて実機に乗った新兵の様だ。
アフターバーナーを全開にして青い空に向けて駆け上がる時のあの爽快感も、雲の上に出て何も遮るものが無い全球の視界を得た時のあの開放感も今は感じる事が出来なかった。
掌がべっとりと汗で濡れ、パイロットスーツが汗で背中に張り付き、首筋を異常な量の汗が流れる。
手は常に震えが収まらず、水平を保っているというのにまるでバレルロールでも行っているかの様に目眩がする。
その手の震えを感知し自機の挙動も非常に不安定で、真っ直ぐ飛べてさえいない。
計器の数字を読み取っても、その意味するところが直感的に理解出来ず、しばらく考えなければならない。
そんな状態でまともに技能検査が行えるはずがなかった。
新兵達の訓練に合流した後、訓練教官によって実施された達也の飛行技能検査の結果判断は、新兵達以下の成績を残して「不適格」というものであった。
そして日を置いて何回か行われた検査で全て同じ結果を得る事となった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
病院で目覚めた時は、やっぱり定番のあの台詞を言うべきかと思いましたので、敢えて無視して言わせてません。w