19. MIRV (Multiple Independently targetable Reentry Vehicle)
■ 3.19.1
達也の機体はキューバ島の北海岸に沿って西に向かって飛んでいた。
ウィンドワード海峡は後方100kmほどにあり、戦闘空域は抜け出せたものの、いまだファラゾアの遠距離狙撃警戒空域内に居る。
仲の良かった上官であるジリオラが墜落炎上するのを目の当たりにし、そしてシャーリーが眼の前で機体ごと爆散した。
どう考えてみても、二人とも生きている筈などなかった。
自分からすすんで人間関係を広げようとはしない達也にとって、ジリオラとシャーリーはホームステッド基地に配属された後、最も長い時間を共にしてきた人間だった。
親しい者を喪うのはこれが初めてではなかった。
しかし、死に向かう者を為す術も無く見送りその死を目の当たりにした事や、恋人と言って良いほどの関係の女が、満身創痍で血を吐きながら目の前で爆死するような経験は無かった。
その余りに衝撃的な事態の連続に、さしもの達也も思考を奪われ放心していた。
呆けた様に焦点の合わない眼を前方に向けながら、達也は殆ど無意識で自分の機体を操っていた。
その意思を失ったかのような達也の眼に、前方から急接近してくる黒点が映る。
達也の眼が緩慢な動きでその点を追う。
黒点は急速に大きくなり、三機の戦闘機であることが明らかになり、そして国連軍色に塗られた三機のF16V2はアフターバーナーの炎を引きながら達也から少し離れたところを高速ですれ違った。
ホームステッド基地で補給を終えた味方機が、艦砲射撃を受けて壊滅状態の味方を救うべく、ウィンドワード海峡に向けて急行しているのだろう。
「・・・だめだ・・・行くな。」
艦砲射撃着弾の瞬間には、爆発の影響を避ける為に周囲に散っていたファラゾア機は、爆発が収束した頃合いを見計らって、爆発の衝撃波をまともに食らって今やまともに飛ぶことさえ覚束なくなってしまった満身創痍の人類側戦闘機に、群がり喰い散らして虐殺するかのように圧倒的な数で食らい付いた。
ウィンドワード海峡周辺には、生きて飛んでいる味方機などもう残っては居ないだろう。
今から行っても助ける相手などおらず、千機を超える数のファラゾアに囲まれて嬲り殺しにされるだけだ。
そして動体視力に優れる達也の眼には、すれ違うほんの一瞬で見えてしまったのだ。
UN534204のテールコードが。
今日遅番で出撃した達也達5330TFSがキューバ島北岸を戦闘空域に向けて飛んでいたとき、早番で出撃していた父親達5342A2小隊が補給に戻るのとすれ違った。
基地での補給を終え戦線に戻ろうとしているとき、前線での異常事態を耳にして最高速度で急行してきたに違いなかった。
学生時代にラグビーをしていたという父親は、仲間と友人を大切にする、妙にスポーツマンシップ溢れる男だった。
それがこの最悪の時に発揮されたに違いなかった。
「行くな! 戻、れ! 父さん!!」
絶え間なく腹に走る激痛を堪え、絞り出すようにしてなんとか口から出た達也の警告は、無線のチャンネルが異なる父親の元には届かなかった。
まともに飛ばすことも出来ないほどに深く傷ついた翼と自身の身体に鞭打つようにして、やっと戦闘空域から外れるところまで逃げてきたというのに、達也は操縦桿を捻り、反転して父親を追いかけようとした。
急旋回のGがかかり、気を失いそうなほどの痛みが身体を突き抜ける。
それでもなお達也は操縦桿を保持し、そしてスロットルをMAXバーナーの位置に押し込んだ。
しかし傷ついた機体がその指示に応えることはなかった。
艦砲射撃による爆発の衝撃波を少しでも去なすために、爆心に機体後部を向けて爆発から逃げた。
達也の身体を深く傷つけるほどに機体を吹き飛ばした爆発衝撃波は、エンジンの噴射口から直接エンジン内部に入り込み、それ自身の破壊力と、行き場を失ったエンジン排気が引き起こした瞬間的な超高圧で、アフターバーナー機構を破壊して動作不良に陥れていたのだった。
父に追い縋ろうとするが音速を超えることさえ出来ない達也を尻目に、補給と軽整備を終えたばかりの父の機体は、アフターバーナーの炎を煌めかせて一直線にウィンドワード海峡目がけて突き進んでいく。
「駄目だ、父さん! 戻れ!」
チャンネルを次々に切り替えながら叫ぶ達也の声は父には届かない。
その時達也は、キャノピー越しに不思議な光景を眼にした。
遙か上空に停泊し、青空の中に白く霞む様に存在するファラゾアの巨大な宇宙船。
まるで光を帯びた砂がそこから零れ出すかのように、無数の小さな輝点がファラゾア艦から降りてくる。
太陽の光を受けてキラキラと輝く砂の粒が、幻想的なまでに現実感を伴わず青空に浮かぶ船から湧き出して、スローモーションで再生している滝がゆっくりと流れ落ちるように、大気圏の外からこちらに向けて降り注ぐ。
それはまるで、破滅の時を告げる巨大な砂時計の砂が、さらさらと地球に向けてこぼれ落ちてきているようにも見えて、そして達也は今眼の前で起きている事を理解し戦慄した。
幾千、或いは万をも超える数のファラゾア戦闘機がここに向けて降りて来て、自分達の死に物狂いの抵抗など歯牙にもかけず、圧倒的な物量で周囲のあらゆるものを蹂躙し、飲み込み、占領していく。
そんな事はさせない。
しかしその言葉を口にするのは簡単であっても、ではたった一人で傷付いた翼と身体を抱えたままで、一体どうやってあれに対抗するというのか。
例え体調が万全で機体も完全であったとしても、自分一人でどうにか出来るものではないのは明白だった。
宇宙空間から続々と降下してくる戦闘機の流れを、達也は歯を食いしばり睨み付ける。
あの時と同じだ。
今はもうこの地球上に存在すらしなくなった祖国シンガポールで、起き上がれないシヴァンシカを腕に抱え、絶望と怒りと無力感と焦燥がごちゃ混ぜになって沸き起こる強い衝動を燃やし、空を舞う様にシンガポール軍機を破壊していく無数のファラゾア戦闘機を見上げ睨み付けたあの日。
圧倒的な力を持つ敵に敵わない。
遙か彼方を飛ぶ敵に手が届かない。
遙か宇宙空間から降りてくる敵を睨み付ける達也は、ふと異物に気付く。
それは空のあちこちで時々チカリと瞬く小さな閃光。
人類側がファラゾアの艦や軌道降下してくる戦闘機を攻撃しているのだろうか。
達也は眼を細め、訝しげな顔で遙か遠くで光ったストロボライトの様な光を見ていた。
達也が見た光は、遙か北米大陸東部、或いは北大西洋の海中から発射され、軌道降下によって地球上に降りてくるおびただしい数の敵機を殲滅せんとして、イスパニョーラ島に向かう人類最後の切り札、多弾頭独立目標再突入ミサイルの弾頭であった。
あるものは中距離弾道弾(IRBM: Intermediate Range Ballistic Missile)として北米大陸にあるミサイル発射サイロから発射されたもので有り、また別のものは潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM: Submarine Launched Ballistic Missile)として、北大西洋のいずこかに潜む複数の原子力潜水艦から放たれたものであった。
発射された数十発もの弾道ミサイルは、定められた軌道に沿って真っ直ぐに宇宙へと駆け上がり、高度100から500kmの幅広い弾道頂点を越えた後に、弾頭が分裂して地球大気圏に再突入する様弾道軌道を調整されていた。
しかし高度300kmの宇宙空間に停泊して戦闘機を軌道降下させているファラゾア艦にとってみれば、ほぼ同高度を飛び慣性飛行しか行わない弾道弾頭など、止まっている目標と変わりなかった。
人類が、正確にはアメリカ合衆国が発射した弾道弾頭は、戦闘機を軌道降下させる空母の護衛役として随伴した全長3000mにもなるファラゾア戦艦が数十門も搭載する大口径レーザー砲によってことごとく破壊され、排除された。
口径2000mmにも達する大口径レーザーの圧倒的な熱量は、分裂したMIRVの小型弾頭を一瞬で灼ききり蒸発させるだけの出力を持っていた為、破壊された弾道弾頭が宇宙空間―――望ましくはファラゾア艦の近く―――で爆発するようなこともなかった。
しかしMIRV弾頭にして二百発を超える弾道弾頭は、当然迎撃行動をとるであろうファラゾア艦に撃ち落とされる事を考慮してそれだけの数が発射され、かつ時間差で様々な弾道軌道を通る様に調整されていた。
殆どの弾頭はファラゾア戦艦による迎撃で撃ち落とされた、或いは蒸発させられたが、撃ち落とされた弾頭から発生したデブリや、数は多くないもののもともと軌道上を浮遊していたデブリに紛れて、ファラゾア艦による迎撃を僅かな数の弾頭がすり抜ける事に成功した。
それらの弾頭は予定された軌道に乗り大気圏に再突入し、そしてイスパニョーラ島上空に到達する。
過去の遺産を掘り出し、最大の破壊力で以てファラゾアを殲滅する目的だけに特化し、まだ僅かに残る米国の意地と過去の軍事超大国の矜持を推進力として再開発されたW95型MIRV弾頭は、イスパニョーラ島上空で次々とその力を解放した。
最初の弾頭は偶然にも、ファラゾア降下地点の中心であるとされたサン・クリストバルの北方3kmの地点、上空2200mで爆発した。
U235を主原料とした起爆剤である核分裂爆弾が爆発し、大量の熱と放射線を弾殻内に撒き散らし充満させる。
弾殻内は超高温超高圧となり、充満した大量の中性子が核融合燃料である重水素化リチウムの中心にセットされた点火用のU235に「火を点け」、さらに核分裂エネルギーが解放された。
その熱エネルギーと放射線で重水素化リチウムが熱的に分解し、さらに核分裂反応による中性子がリチウム原子核に衝突して崩壊させトリチウム(三重水素)を発生する。
トリチウムは、温度と圧力が際限なく上昇する弾殻内で、重水素化リチウムからのもう一方の生成物であるデューテリウム(重水素)と核融合反応を開始する。
核融合反応が始まった事でさらに爆発的に増大した熱量と圧力が弾殻を一瞬で消滅させ、その膨大なエネルギーが大気中に解放された。
地上2000mの空中に、中心温度一億度を超える核融合の炎で出来た巨大なプラズマ火球が形成され、熱と衝撃と放射線を全方位に向けて撒き散らす。
一発当たり1.5Mtの爆発力を解放したW95型核融合弾頭は、サン・クリストバル市街地を熱線と爆風で一瞬の内に破壊し、周囲に広がる森林を燃え上がらせ、爆心直下にあった小山を丸ごとひとつ吹き飛ばした。
爆発衝撃波が、歪な球形の真っ白い水蒸気の雲を発生させ、そのすぐ後に爆心地の膨大な熱量が、原子の炎で巻き起こされた上昇気流を形成する。
蒸発した弾頭の構成物、プラズマ化した元素、一瞬で破壊され蒸発した周囲の物質を含んだ猛烈な上昇気流は、核爆発に特徴的である巨大なキノコ雲をイスパニョーラ島のど真ん中に打ち立てた。
サン・クリストバル周辺には、大小三十基ほどのファラゾア地上構造物が存在した。
さしものファラゾア地上構造物も、ほぼ直撃となった反応弾頭の破壊力に耐える事は出来ず、一発目の爆発で四基の構造物が原形を止めないまでに破壊され、五基が大破した。
それを目撃した地球人類が一人も居なかったため、公式な記録に残らぬどころか誰も全く気付くことは無かったが、ファラゾアが地球という惑星上に設置した地上構造物を地球人が攻撃して破壊したのは、これが初めてのことであった。
反応弾による破壊は、地上だけで無く勿論空中にも発生していた。
元々サン・クリストバル周辺に駐留していた約四百機に加えて、今軌道降下を終えてイスパニョーラ島に到着したばかりのファラゾア戦闘機約八百機が、この爆発によって大破或いは飛行不能となった。
運良くファラゾア戦艦の迎撃をすり抜け、目標であったイスパニョーラ島に到達したMIRV十二発は、イスパニョーラ島上空の様々な地点で死を告げるプラズマの華を咲かせた。
次々と爆発する人類史上最悪の兵器が、大地を震わせ大気を鳴動させ、膨大な量の熱と放射線を辺り構わずまき散らし、熱と衝撃波をもってそこに存在するありとあらゆるものを破壊していった。
東西に長いイスパニョーラ島に、死の宣告とも言える轟音が立て続けに鳴り響く。
同じ数だけの火柱が打ち立てられ、辺りに破壊を振り撒いて巨大なキノコ雲を形成する。
前方に突然、鋭い閃光が走るのを達也は見た。
その光はヘルメットバイザーを通してもまだ目が眩み一瞬視力を失う程であったが、徐々に薄れていった。
空全体を埋め尽くす光が過ぎ去った後には、遙か前方に光り輝く球の様なものが残り、徐々に光を薄れさせつつ地球大気圏の中をゆっくりと上昇していく。
その光を取り巻く様に、円環状、或いは半球状の雲が幾つも現れては消え、大きく成長しながら光球と共にゆっくりと上へ、上へと登っていく。
再び辺りが真っ白な光に包まれ、またその光が薄れると別の場所に新しい光球が発生する。
その光球も先ほどのものと同じ様に柔らかそうな幾重もの雲に包まれ、大気中をゆっくりと上昇する。
さらに次の光、そしてさらに次のもの。
音も無く繰り広げられる光と雲のスペクタクルは、何度となく繰り返される。
それは禍々しくも美しい、あらゆるものに死を与える恐怖と狂気を宿しつつも、余りに壮大で美しく、どこか幻想的とさえ言える非現実感を伴って眼の前で次々と繰り返されるその光景を、達也は半ば放心したかの様に呆然と見つめていた。
先ほどと同じファラゾアの大量破壊兵器かと思った。
だが、同じ様な閃光が前方に次々と走るのを見て、達也は理解した。
この攻撃は、明らかにイスパニョーラ島を狙っている。
即ち、そこにいる敵、ファラゾアを。
ファラゾアを攻撃するのは当然人類であり、そして人類が持つ兵器の中でこの様な破壊力を持つものは一つしかない。
核兵器。
絶え間なく続く閃光は、複数の核が投入されているという事だった。
どこからどこまでが攻撃範囲か分からない。
どこに居れば安全なのか分からない。
屋内突入戦のセオリーは知っていても、核爆弾に関する正確な知識など持っていようはずが無かった。
とにかく距離を保つ。爆発から逃れ、放射線から逃れる。
それ以外なにも知らないと言って良い。
父親を追いかけてUターンした為、現在の位置はウィンドワード海峡から50kmほどの所に戻っていた。
しかしそれは父親も同じだった。
いまだ父親の隊のチャンネルを捕まえる事が出来ない。
焦って手元が狂い、誤操作も多いので余計に時間がかかっている。
この空域にいては父親も核の炎に灼かれて死ぬ事になる。
折角再会出来た父親を何とか助けたかった。
勿論父親も、次々に地上に打ち立てられるキノコ雲が並ぶあの光景を見ているだろう。
あれを見れば、父親もすぐに引き返そうという気になるはずだ。
だが、それを確実に確認したかった。
■ 3.19.2
オハイオ級原子力潜水艦第十七番艦「ワイオミング」の発射した二十四発のトライデントD5ミサイルの内、B4番格納筒から発射されたものから分離したMIRVが一機、受けた指示に従って大気圏に再突入した。
軌道頂点に達し、弾頭部分から無事分離されたこのMIRVであったが、同じ弾頭から同時に分離された兄弟とも言える他の五機のMIRVは、全てファラゾアの迎撃によって破壊され宇宙空間で消滅していた。
偶然ではあったが、すぐ隣に配置されていたMIRVは分離直後に敵に発見されてしまい、砲撃を受けて半ば蒸発する様に爆発した。
それに対して、その近くに存在したはずのこのMIRVは、何の偶然か神の采配か、敵の探知と迎撃をかいくぐり、無事再び生まれ故郷である地球の大気圏内に突入する事が出来たのだった。
ただこのMIRVの軌道は、すぐ隣のMIRVが爆散した時の爆風、正確には宇宙空間を爆発的に拡散した、融けて蒸発した金属蒸気の「風」を受けて、ごく僅かに本来の軌道からずれてしまっていた。
だが軌道頂点で分離された後に一切の方向転換を行う能力を持たないMIRVは、例えそれに気付き本来の軌道に戻ろうという意志が存在していたとしても軌道を調整する事は叶わず、そのまま大気圏に再突入するしか他に選択肢は無かったのだ。
そのMIRVの落下地点は海だった。
本来目標にされていた島を外れ、僅かばかり横に逸れてしまった様だった。
5km/secにも達する速度で大気圏に突入したMIRVは、設定されていたとおり高度7000ft(2130m)で、起動爆薬である最初の核分裂爆弾に着火した。
核の連鎖反応が起こり、空中にもう一つ、本来地球上には存在しないはずの反応で生まれた小さな太陽が輝いた。
その爆心地は、イスパニョーラ島西端の街、モール・サン・ニコラが面するモール湾(Bahie du Mole)北西沖約20kmの、ウィンドワード海峡上空であった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
トライデントD5のMIRVに1Mtてどうなのよ? という疑問もおありかも知れませんが。
弾頭に六発しか乗せる事の出来ないちょっと大きめのMIRVだからということでひとつ。
いやそもそも核実験も行わずにW95とかって新型爆弾開発ってどうなのよ? という疑問もおありかも知れませんが。
そこは、過去に数多くの核実験を行い、多くの種類の核弾頭を開発してきた第一人者である米国が、国の威信をかけて開発したものと言う事でひとつ。
ちなみに、コロンビア級に関しては、一番艦コロンビアのみ就役していて、二番艦は建造が止まっているものとしています。
なので、本来は退役し始めているはずのオハイオ級が元気に泳ぎ回っています。
しかしそれにしても、地上発射型のサイロから中距離弾道ミサイルは変だよなあ・・・
キューバや南米を攻撃する為のものとしておきましょうか。
ちなみに。
二百発ほどのMIRVを次々と撃ち落としたファラゾア艦ですが、十二発も撃ち漏らしています。
地球連邦軍第七基幹艦隊第十三打撃戦隊旗艦「Jolly Roger」のマリニーであれば、勿論一個も漏らす事無くほんの数秒で全て撃墜しています。単艦かつレーザー砲で。ホールショットなど使わず。