16. カリブの台風
■ 3.16.1
19 May 2040, Espaniola Island, Caribbean Sea
A.D. 2040年05月19日、カリブ海、イスパニョーラ島
いつもと変わりない夜が明ける。
早番の連中は既に飛び立った後で、達也達5339TFSだけが遅番として夜が明けた後に飛び立つ事となっていた。
部屋から既にパイロットスーツを着て外に出た達也は、途中キャンティーンに寄って軽く食事を摂り、そのまま5339TFSの格納庫に向かった。
「アンタ一人? シャーリーは?」
格納庫の中で隣に並ぶ機体の下から、小隊長のジリオラが格納庫の中に入ってきた達也に声を掛けた。
「次の日出撃なのに泊まってないよ。泊まっていくのは非番の前の日だけだ。」
達也は呆れたような顔でジリオラを見た。
睡眠時間を削って、翌日寝不足で出撃するなどあり得ない話だった。
寝不足では、判断力や反射速度など、ありとあらゆる能力が低下する。それでは生き残れない。
生き残るよりも大切なことなど有りはしなかった。
と、達也はそういうつもりで答えを返したのだったが。
「まったく、恥ずかしげも無くさらりと答えてくれちゃって。アタシは朝食の時に会わなかったのかって聞いたんだけどね。非番の日はいつもアンタの部屋にいるの、あの娘?」
どうやら余計な気を回して自爆してしまったようだった。
達也は顔が熱くなるのを感じた。
恥ずかしさを誤魔化すために自分の機体を担当した整備兵を探したが、その整備兵も今の会話を聞いて機体の下でニヤニヤと笑いながら達也を見ていた。
やってしまったものは仕方が無い。
シャーリーが一緒ではないという事は伝わっただろう。
さっさといたたまれない状況から逃げ出す為に達也は整備兵に近付き、整備結果報告を受ける事にした。そのまま出撃前チェックに入ってしまえば、この恥ずかしい状況をもう誰も覚えていないだろう。
少し時間が経ち、機上チェックに移ろうとしたところで鋭い口笛が聞こえて辺りを見回した。
格納庫の裏側の入口からシャーリーが入ってきたところだった。
突然口笛を吹かれて少し驚いた顔をしていたシャーリーだが、達也が先に来て機体チェックを行っているのを目に留め、何かを納得した様な顔をして達也に向かって歩いてくる。
お互い、からかわれたりいじられたりする事は多い。
地上勤務兵も含めて、このホームステッド基地に勤務する兵士同士で付き合っている者は実は案外多くいるのだが、達也達ほど皆に知られている訳ではなかった。
パイロット同士が付き合っているという意味でも目立ってはいたが、その二人共が基地内でトップスコアを叩き出している小隊に所属し、さらに二人とも常にトップ5に入る撃墜成績を継続している、という事もあって余計に目立っていた。
そしてシャーリーがその辺りを全く気にせず隠そうともしないので、二人の事は部隊内外で広く知れ渡ってしまっていた。
ただ、シャーリーは変人、或いは痛い女と周りのほとんどから思われていたので、達也が他の男性兵士達からうらやましがられるようなことはなかった。
昼間や出撃の前後の時間のシャーリーに奇行が多いのは、この世の何よりもファラゾアを墜とす事を優先し、自分の持てるものを全てそこに注ぎ込んでいるからだった。
ファラゾアと戦う為に不要なものは切り捨て、戦いに有利になるもの以外には興味を持たない、しかし戦いに有利になるのであれば異常なほどにとことん執着する。それが昼間のシャーリーだ。
それに対して戦いを離れた夜などは、昼間の奇行は一体何だったのかと言うほどにごく普通のまともな女になる。
それどころか昼間ファラゾア向けに割いている全てのリソースが正常に戻るので、夜のシャーリーは普通どころか、少し勝ち気ながら良く気の付く細やかで情の深い、冷たいアイスブルーの双眸とはまるで逆の性格の女に変貌する。
勿論そんな事を知っている男は達也一人であり、同性であってもこの基地に着任して以来の付き合いであるジリオラくらいしかそのことを知りはしない。
男どもは頭のイカレた痛い女と夜を共にするなど考えた事もなく、ファラゾアとの闘いに必要な直属上官との付き合い以外を全て切り捨てた為、一部を除いて同性との付き合いも殆ど無い。
それがシャーリーの大概の評価と人間関係、そして本当の姿だった。
「早いわね。アンタ偶には朝あたしと一緒に来ようとか思わない?」
格納庫の中に入ってきたシャーリーが、挨拶代わりに達也に声を掛けた。
特に怒っている風には見えないが、昼間のシャーリーは口数も少なくいつも機嫌が悪そうに見えるのでよく分からない。
「出撃前は一分一秒も惜しい。お前も分かっているだろう。女性兵舎の前でお前を待っている時間が惜しい。」
と言い切る達也も大概ではあったが。
「・・・それもそうか。」
そう言って機嫌を悪くした風でもなく、シャーリーは踵を返して自分の機体に向けて歩き出した。
その会話を聞いていたジリオラが、二人を見て苦笑いしている。
「中尉。あの二人、ホントに付き合ってるんすか?」
共に出撃前チェックの途中だった整備兵が、ジリオラの横で呆れた様な声を出した。
「どうやらそうらしいわねえ。恐ろしい事に。」
「今日ケンカしてんすか?」
「アレが普通みたいよ?」
「ホントに付き合ってんすか?」
「そうらしいわねえ。奇妙な事に。」
「やっぱりあいつら変だ。」
整備兵は頭を振りながら視線をチェックリストを挟んだクリップボードに戻した。
ジリオラはその様子を見ながら再び苦笑した。
■ 3.16.2
キューバ島の北海岸を東に向かって進む途中、早番で出た小隊が補給に帰投するのとすれ違った。
F16特有の大きな垂直尾翼。ダークグレイの国連色に目立たない黒色の文字で書かれたUN534204のテールコード。
達也は光学センサーの手動ズーム画像で、すれ違う小隊を率いるのが自分の父親である事を確認した。
煙を引いたりなどしていない。特に被弾した様な破壊跡は見られない。ふらついている訳でもない。
F16V2にはHMDは装備されていない為、光学センサー画像はコンソールモニターの粗く見えにくい画像で確認するしかないが、その程度の事は分かる。
どうやら無事生き残ってくれている様だと、安堵の溜息を吐く。
あれ以来、5342TFSのルエラス少佐は達也の顔を見るたびに僅かに顔を顰める様な表情を見せる様になっていた。
勿論言葉を交わす訳ではない。
達也自身も頭では分かっていた。
飛行隊長が、自分の飛行隊の枠を越えた人事権を持つ訳は無かった。
ルエラス少佐に対して、父親を前線部隊から外して後方に回せと文句を言ったところで何がどうなる訳でもないのだ。
それでもやはり唯一の残された自分の肉親は守りたかった。
父親の分も自分が撃墜数を稼ぐから父親は後方に回してくれ、とでも言いたかった。
しかし、父親を何とか前線から外してもらいたいという達也の願いは、今のところ叶えられてはいなかった。
毅の率いる小隊はあっという間にすれ違い後方に抜けて、空の彼方に小さくなっていき、そして見えなくなった。
達也は振り返ってしばらくその姿を見送った後、ふと隣のシャーリーを見た。
隣の機体のコクピットでシャーリーが手を挙げ、親指を突き出すのが見えた。
シャーリーもすれ違ったのが毅の機体である事を確認したのだろう。
達也も同じ様に左手を挙げ、親指を突き出した。
ヘルメットとマスクで見えないが、シャーリーが微笑んでいる様な気がした。
他に誰が知る事も無いが、優しい女だった。
編隊はキューバ島北岸の小さな街、グアルダラバカ上空に達する。
前方右にバネス湾(Bahia de Banes)とニペ湾(Bahia de Nipe)が見え始めた。
ここ数ヶ月でフロリダ半島から出撃する、国連軍と米空軍連合の地球側戦闘機隊は善戦し、前線を旧来のサンチアゴ-アクリンズ線から、キューバ島東端まで約150kmほど押し返す事に成功していた。
ゾンビストライク作戦(Program "Zombie Strike")と銘打って数ヶ月継続されている戦力の集中投入が功を奏した結果であると、国連軍北米司令部と米国防総省が自慢げに発表を行っている写真が、基地の掲示板に張り出された広報に掲載されていた。
戦線が150kmほど押し上げられた結果、戦闘空域から200kmのいわゆる長距離狙撃警戒空域はここグアルダラバカ上空へと変更された。
警戒空域に入った事で、先頭を飛ぶゲルトナー少佐機が数回翼を振り、右ロールして背面降下を始めた。
L1小隊、B1小隊、A1小隊と、小隊単位でゲルトナー少佐機の後を追い、B2小隊長であるジリオラ機が同様に右ロールから背面降下に移ったのに合わせて、シャーリーと達也もジリオラ機との位置関係を維持したまま、右ロールからの背面降下を開始した。
頭上にまばらなちぎれ雲に覆われた地上が見える。
頭上右手に青く広がるカリブ海、左手には緑の森と、放置され森に侵食され始めた数多くの農園で覆われたキューバ島。
南国の湿り気を多く含んだ空気は簡単にベイパーを発生し、主翼上面が一瞬真っ白なベイパーに覆われる。
高度を下げながらそのまま右ロールを続けると、機体はさらに反転して空が上、地上が下の順面飛行に戻り、そのまま降下を継続する。
高度を2000mまで落として増速した5339TFSは小さな半島を抜け、再び海上に出た。
右手に大きくニペ湾が広がっているのが見える。
そのまましばらく直進すると、前方上空に多数の白いベイパートレイルが描く複雑な模様と、爆発や炎上で発生した黒い煙がたなびく戦闘空域が見えてきた。
黒っぽく見える点は国連軍機、白く見える点が米軍機、そして空一面に散りばめられた様な銀色に光る点が敵。ファラゾア。
「グリンドルリーダーより各機。戦闘空域に突入。無線封鎖解除。いつもの通り、戦闘突入後は各小隊毎の行動とする。バーナーMAX。突入する。続け。」
ゲルトナー少佐機のエンジンから白い炎が伸び、弾かれた様に増速していく。
L1小隊の二機がそれを追う様に続く。
間を置かず、A1小隊、B1小隊が同様にアフターバーナーの炎を曳きながら一気に加速する。
A2小隊の三機が白い炎を曳いて左側を抜き去って前に出た。
眼の前のジリオラが僅かに翼を振る。
ジリオラは違う行動を採るつもりらしい。どうやら既に獲物を見定めている様だ。
ジリオラ機が左ロールし旋回。
アフターバーナーを点火し、急激に増速。
その後ろをシャーリーと達也の機体が同様に白い炎を曳いて続く。
高度2000mで旋回した三機は、そのまま海岸線に浮かぶ低層雲を幾つか突っ切り、十分に速度を乗せて海上に出たところで急上昇した。
雲を抜け、三機の編隊が空に向けて駆け上がる。
その先には、今まさに米空軍のF35二小隊六機に襲いかからんと包囲を閉じようとしている三十機ほどのファラゾア戦闘機。
米空軍の三機は未だ編隊を保ちどうにか包囲網を食い破らんと動き始めているが、他方の三機は既に編隊が崩れてしまい、すぐにでも敵の餌食にされてしまうのが見えていた。
しかしその包囲網を完成しようとしているファラゾアの集団に達也達が突っ込んだ。
ジリオラはわざと最も敵が密集している部分を選んだ様だった。
下から突っ込んできた達也達に気付きファラゾア機が散るが、その時には既に五機が血祭りに上げられている。
ジリオラは急激に進路を変え、包囲網を形成する他のファラゾアに喰い付いた。
米軍機を包囲する為にその周りに集まっていたファラゾア機の間を縫う様に動く。
縫う様に動くだけでなく、ジリオラを始め三機共が手近なファラゾア機を叩き落としながら米軍機の周りを回る。
包囲されていた米軍機も指を咥えて見ているばかりでは無く、達也達の動きに合わせて包囲を突破しようとしている。
結局六機の米軍機が包囲網をどうにか突破し、三十機近くいたファラゾア機の半数以上が撃墜されたところで、包囲網を形成しようとしていたファラゾア機は攻撃を諦め散っていった。
「助かった! 今度一杯奢らせてくれ。」
「忘れないでよ?」
包囲されかけていた米軍機から喜びの声が上がった。
「おうよ。あんた名前は? 俺はマイアミのゴールディ隊のジェイクだ。」
「グリンドル隊のジリオラ。」
「グリンドルのジリオラ・・・? 『カリブの台風』か!? 」
「は?」
「これは帰って自慢しねえとな。ありがとよ。マイアミに来た時には声かけてくれ。グッドラック。」
米空軍の六機のライトニングは翼を並べて去って行った。
「何? 『カリブの台風』って?」
ジリオラが呆けた様な声を出す。
「この小隊にあだ名付けられたんだろ。良くある事だ。」
ちなみに、達也が所属している小隊が毎度の様にあだ名を付けられているだけで、普通は良くある事ではない。
「ダサ。もうちょっと格好いいあだ名になんないの?」
シャーリーが文句を言っている。
「一度付いたら無理だ。『カリブの海賊』とかよりはマシだろ。」
「まあ、そうなんだけどね。」
「気を取り直して、次行くわよ。正面。」
ジリオラ機が再びアフターバーナーに点火し、ドッグファイトの間に失った速度を稼ぎに入った。
「14、コピー。」
「15。」
達也達二人もそれを追う。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
米空軍ですが、北米大陸の北と南に集中して運用されているので、現実世界の現在の配備とは全く異なるものになっています。
F35やF41は本来ステルス機ですが、対ファラゾア戦ではステルス性能は殆ど意味が無い為、外部ハードポイントに20mmガトリングガンポッドを懸架しています。