6. とある飛行士の一日。 ②
■ 3.6.1
昼下がり。
と云う言葉から想像するような、少し気怠げで陽光降り注ぐゆったりとした時間とは全く異なり、達也達国連軍米国ホームステッド基地駐在5339TFSは疲れ果て、薄く煙を引く機体をも編隊内に含んで、北を目指していた。
前方にフロリダ半島が見え始める。
十五機であるはずの編隊内に空白が二つ。L小隊二番機のリー中尉と、A1小隊二番機のバリンドル少尉の乗機の姿が無い。
未明に基地を飛び立ったとき、彼らは当然そこに居り、他の僚機達と共に暖かなフロリダの海を越え、そしてキューバ島上空で会敵し、皆と一緒に一斉に敵に躍りかかった。
リー中尉は、ガンサイトに入った敵に20mmバルカン砲の一撃を浴びせたものの的を外し、もう一度狙いを付けて再射撃したときの僅か数秒間の直線的飛行の瞬間を狙い撃たれ、レーザーで真っ二つに焼き切られた機体と共に爆散した。
長く最前線で生き延びてきたヴェテランパイロットとは思えないミスだった。
バリンドル少尉は、小隊長機が行った急激なバレルロールに巧く追随することが出来ず、高密度で敵が存在する空間を横切っている最中であるにも関わらず、A1小隊三機で形成していたデルタパックから大きく遅れてしまった。
僚機との間に開いてしまった距離を慌てて縮めようと、急旋回する二機の未来位置までショートカットで旋回して追いつこうとした。
離されてしまった僚機との位置関係を掴もうとして、彼女の注意が一瞬殆ど全て上方に向いた。
次の瞬間、彼女の機体を囲むように急加速して現れた八機のクイッカーが撃った十六条のレーザー光線のうち、七本のレーザー光を浴びて彼女の機体は爆散した。
勿論彼女自身も機体と運命を共にした。
そうやって出来た穴が編隊内に二つ。
珍しい事ではなかった。
全員が無事に翼を並べて帰投できる日もあれば、編隊の中に幾つもの隙間が出来、永遠に還らない仲間を想いながら言葉も無く基地に向かう日もある。
全て時の運、とまでは言わないが、僅か一瞬周囲の警戒が薄れたとき、ほんの一瞬何かに気を取られてしまったとき、そんな時に偶々多くの敵が自分に注意を向けており、そして攻撃目標として砲口をこちらに向ける、或いは突進してきているタイミングが運悪く重なれば、レーザー砲によって叩き付けられる大量の熱量によって、自分に何が起こったかを自覚する事さえなく一瞬で蒸発爆散し、この世から消え失せる。
その様な隙が新人に較べて遙かに少ないと云うだけで、昨日配属されたばかりのルーキーでも、何年も最前線で戦い生き延びてきたヴェテランでも、その様な僅か一瞬の隙は皆存在する。
ホームステッド基地には、毎日のように欠員補充の新人がやってきていた。
以前はそれ程の頻度でもなかったと聞いているが、今回の作戦が始まり、一日の内に複数回の出撃を行う様になると、出撃回数に比例して失われる兵と機体の数も増加した。
達也の様に他の基地で長く戦った経験のある兵士は希で、大概の場合は新兵としての教育課程を終えたばかりの新人パイロットであったり、これまで輸送業務に携わっていたパイロットが戦闘機乗りの絶対的な不足によって前線基地に転属させられたというような、経験の無いパイロットである場合が殆どだった。
当然のことながら、経験の浅いパイロットの被撃墜率は高い。
全世界的に見て、新兵の一年後生存率は50%を少し割る酷いものであったが、ここホームステッド基地などの最前線基地に特化して集計するならば、10%を割る程のにわかには信じ難い数字となっていた。
しかしそれは逆の見方をすれば、例え新兵として配属されようとも、一年間、連日のように複数回出撃させられ、年間飛行時間が1500時間にも達し、ヴェテランパイロットでさえ消耗して音を上げ壊れてしまうようなこの異常に過酷な環境を生き延びる事が出来さえすれば、戦場で右も左も判らずまごまごしてただの動く的だった新兵が、一年後には立派な古兵として戦線を支える主力となり得ているという事でもあった。
極めて歪で異常な状態ではあるが、しかし現実的に今、ファラゾアに対する地球人類の防衛はその様にして成り立っていた。
フロリダ半島の先端、フロリダキーズと呼ばれる巨大なラグーンを横切り、半島内陸部に進入する。
フロリダシティ南方に広がる広大な農園地帯の南端に差し掛かったところで方位06に転針し、そのまま直進。
ホームステッド市街を左翼に、マイアミスピードウェイのトラックを右翼に見下ろしながら高度を下げ、ホームステッド基地A滑走路、即ち幅が狭い古い方の滑走路に南側から進入し、着陸する。
滑走路を2/3程使って減速した後に誘導路を左に曲がればもうエプロンは眼の前だ。
5339TFSに割り当てられている格納庫の前に、今日の戦いを生き残った十三の5339TFS所属機が翼を並べる。
今日は達也達5339TFSと5341TFSが早番であった。
時間的にはもう一度出撃可能であるのだが、マイアミ空港内に置かれた北米大陸南部方面司令部の判断により、今日の出撃はこれまでとの指示が下ってきていた。
父親の猛が所属する5342TFSは遅番である為、まだ戻っては来ない。
達也は食堂で父親の帰りを待つことにした。
「明日非番でしょ。マイアミに出てみない?」
シャワーを浴びた後、飛行隊の面々と共に食堂に来て、食事を受け取った後にテーブルに着きステンレストレイの上に並んだ食事に手を付けると、なぜか当然のように隣の席に座っているシャーリーが脈絡の無い提案をしてきた。
いや、全く脈絡が無い訳ではなかった。
五日連続で出撃した後、六日目は終日非番となり、七日目からまた五日連続で出撃となる。
そこに飛行隊ごとの早番と遅番の交替を組み合わせ、他の基地の米軍の交替との組み合わせも織り交ぜることで、常に百五十機以上の戦闘機が連日出撃できるようなローテーションが組まれている。
肉体的にも精神的にも、異常なほどに強いストレスのかかるこの最前線では、上述の様に兵士達のストレス低減の為、なんとかして彼等の休日を確保出来る様にシフト制が組まれており、またその休日には可能な限り任務から離れてストレスを発散することが推奨されていた。
シャーリーの発言はその様な司令部の施策に沿うもので有り、実際多くの兵士が休日に一番手近な街であるマイアミに繰り出して思い思いの休日を楽しんでいた。
尤もそのマイアミ市は、常態化した電力不足、治安の悪化、民間に配給される燃料が制限されたことによって、トラックに大きく依存していた米国内の民間物流が酷く減衰したことで、往時の様な明るく賑やかな南国の中心的観光都市という姿とは比ぶべくも無いほどに衰退していた。
しかしそれでも、未だ得体の知れない地球外からの侵略者との戦いに連日駆り出される兵士達にとってみれば、唯一彼等の手が届く日常生活の片鱗を残す場所であり、僅かながら一時だけでも戦いを忘れることが出来る場所である事には違いなかった。
「構わないが。確かシャトルバスがあったんだっけ?」
ここに着任して以来、達也はまだ一度も基地の外に出たことはなかったが、パイロットや地上兵問わず、マイアミの街に出た兵士達から基地と街を結ぶシャトルバスの話を聞いたことがあった。
「大丈夫よ。車の都合なら付くから。シャトルに二人連れで乗ったら酷いことになる。色気の無い軍用車だけどね。」
「俺は車の免許持ってないぞ。」
十六歳になってすぐに入隊し、パイロットとして必要な教育だけを叩き込まれた達也に車の運転免許を取得する時間など無かった。
基地内であるならともかく、一般の市街地で車を運転する為には、例え国連軍の兵士と云えどもその国の制度に応じた運転免許証が必要だった。
「大丈夫。あたし持ってる。国連軍用の国際免許に書き換え済み。」
「そうか。なら任せる。」
「任せられた。車を確保してくるわ。」
そう言ってシャーリーは席を立ち、トレイを下膳口へと持って行き、その脚でそのまま食堂を出て行った
その場に残された達也は自分の食事を平らげると、自分のトレイを下膳口に持っていき、そして再び同じ椅子に腰掛けた。
一時間も経たない内にシャーリーが戻って来て、笑顔で明日の車が確保出来たと言った。
シャーリーと連れ立って食堂から歩いてすぐの厚生課へ行き、翌日の外出申請をした後に、再び食堂へと戻ってきた。
腹に響く轟音が聞こえてくる。
どうやら遅番の5340TFSと5342TFSが帰還してきたようだった。
上手くファラゾアの追撃を振り切って引き上げることが出来たようだ。
早番であった達也達5339TFSが基地に戻ってきてから二時間経っていなかった。
しばらく経つと、遅番の連中が数人ずつ固まって食堂に入ってきた。
めいめいに食事の載ったトレーを受け取ると、食堂の中のテーブルに着席し、遅い昼食を摂り始める。
達也の父親もまた他の兵士達と同じ様にフライトスーツのまま食堂に入ってきて、食事を手にした後、達也の姿に気付くと近寄ってきて達也とシャーリーの向かい側に座った。
毎日では無いが、達也は出撃から帰った後、食堂で父親の帰りを待ってお互いの無事を確認しつつ、短い時間でも会話するようにしていた。
そして父親である毅もまた、自分の方が早く帰投した日など、達也と同じ様にして食事の後食堂に居残り、息子の顔を見てから自室に戻るという行動を採ることがあった。
「父さん。お疲れ。お互い今日も生き残れたな。」
「ああ。疲れた・・・本当に疲れたよ。」
溜息と共に毅はフォークをトレイの上に放り出した。食事はまだ残っている。
達也は毅の顔に疲労の色が濃く出ていることを見て取った。
学生時代はラグビーに夢中だったと聞いている。シンガポールに赴任した後、達也が少し大きくなってからは、達也とともに山登りやトレッキングで頻繁にアウトドアを楽しんでいた。
今もガッシリとした体つきの父親に体力が無いはずはなかった。四十歳を超えてまだ戦闘機パイロットとしてやっていけている事がその証左でもある。
しかし父親が酷く疲れているように見えるのは、そうは言ってもやはり年齢によるものだろうかと達也は思った。
「大丈夫か、父さん。本気で疲れて見えるけど。」
疲労の蓄積は反射速度を落とし、判断力を鈍らせ、そしてそれは死へと直結する。
自分の顔を心配そうに覗き込む息子を見て、毅は嬉しそうながらも力なく笑った。
「大丈夫だ。歳のせいか疲れが顔に出やすくなってるだけだ。見た目ほど酷くはない。」
勿論毅の強がりだった。そしてそれは達也にも分かっていた。
逆に分かっているからこそ、息子の前で強がってみせる父親にそれ以上追求するのは躊躇われた。
「・・・なら良いんだけれど。キツイなら隊長とかに相談した方が良いぜ?」
相談したところでどうなるものでも無いことは達也にも十分良く分かっていた。
パイロット数が絶対的に足りていない今、最前線とは一度送り込まれるとそう簡単には抜け出せない泥沼のような場所だった。
言っている達也自身、身体が欠損する程の重篤な負傷をするか、或いは死亡するか、それ以外で最前線の部隊から抜け出した者を知らなかった。
或いは作戦が終了するまで生き延びるか。
しかしその場合は、ただ単に激しい戦いを生き延びたヴェテランパイロットとして別の前線基地に送り込まれるだけだ。達也のように。
年齢を理由にここから抜けられるなら、そもそも最初からここに送り込まれる候補に挙がるわけが無いのだ。
「ああ、そうだな。今度そうしてみるよ・・・気を遣わせてしまって済まんな。」
「当然だろう。父さんまで失いたくはない。」
「そうだな。早めに寝て疲れを取るとするよ。」
そう言いながら毅は席を立ち、まだ食べ残しの残るトレイを手に取った。
若く食欲旺盛な兵士達を満足させることが出来るよう、ここの食事の量はかなり多めになっているが、それにしても残し過ぎだと達也は思った。
疲れで食欲も無いのだろうが、かと言って食べなければ更に体力を落とす。
「ああそうだ。お前達、いつも一緒にいるが付き合ってるのか?」
立ち去ろうとする父親を心配げに僅かに眼を眇めて見ていた達也に、振り向いた毅が尋ねた。
「いや、そんな事は・・・」
「はい、そうです。」
達也の返答をまるで上書きするかのように、横からシャーリーが大きな声で答えた。
驚いて思わずシャーリーの顔を見る達也に、シャーリーは満面の笑みで返した。
その二人の対応を見た毅が破顔する。
「ふふ。いいねえ、若いってのは。お前等も疲れを溜めないように早めに寝ろよ。」
「ありがとうございます。5339TFSは明日非番なので大丈夫です。」
「そうか。ほどほどにな。じゃ、おやすみ。」
そう言って今度こそ毅は食堂を出て行った。
「ふふふ。これで親公認だね。」
所謂ジト眼というやつでシャーリーの顔を見ている達也に、それをはじき返す満面の笑顔で答えるシャーリー。
「マジか。有り得ねえ。やっぱこいつ意味分かんねえ。」
「早い者勝ちだよ。」
何が早い者勝ちなのか、達也には全く分からなかった。
翌日の外出については、朝シャーリーが達也の部屋に向かい、合流してから車を調達に行くと言うことで話が付いた。
「私が起こしてあげるよ。」
「お前、そんなに気軽に男性兵舎の中をうろちょろしてたら、いつか襲われるぞ。」
「大丈夫。負ける気は無い。」
そう言ってシャーリーは拳を顎の高さまで持ち上げて見せた。
男性兵舎の前でシャーリーと別れ、南国らしく低い壁があるだけで開放型の廊下を歩いて達也は自室に辿り着いた。
ちなみに女性兵舎は、ガラスのはまっている窓が廊下に並んでおり、廊下にまでエアコンが効いている。
良くある女尊男卑なのか、ただ単に色々と問題行動の多い若い男性兵士から女性兵士を守る為の対策なのかは明らかにされていなかった。
「どうした? 部屋に戻らないのか?」
自室の前で鍵を取り出した達也は、ずっと後ろを付いてきた足音に向けて言った。
「だから、私が起こしてあげるよ。」
「・・・成る程。お言葉に甘えることにする。」
鍵を開け、大きく開いたドアを通って達也の前を通り過ぎ、シャーリーが部屋の中に入っていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
えっと、色々突っ込みどころはあると思いますが。
とりあえず達也君、初めてではないのであしからず。
「とある飛行士の一日。」というサブタイトルで始めてみたものの。本当は1話で終わるはずだったのが2話になってしまいました。
次の話を、翌日のマイアミでの休日にするか、さっさと元に戻るかどっちにするかまだ迷っています。
翌日の話にした場合、タイトルは「とある飛行士の一日:二日目」という矛盾したタイトルになります。w