5. とある飛行士の一日。 ①
■ 3.5.1
戦闘機乗りの朝は早い。
特に大規模な作戦が実施中で、早番や遅番などの時間差を付けて出撃する場合には、早番で出撃するパイロット達はまだ朝とも言えないような時間から起き出して活動を開始する。
北にシャマタウ、南にサンクリストバルと、アメリカ合衆国にとって工業と経済の中心であると言える五大湖から東海岸に掛けての重要地域の南北をファラゾアの二つの降下地点に挟まれ、更にその地域に存在した多くの核分裂反応炉から漏れ出した高濃度の放射性物質にその重要地域を広く汚染され、国の経済が立ち行かなくなった事で職を失い貧困に喘ぎ、ついでに水や食料や電気と云った生き延びるために必要な諸々のものも併せてまるごと失った一億近い同地域の住民達が次から次へと起こす暴動で半ば無政府状態となってしまった北アメリカ大陸の東側半分に於いて、それら全ての問題の原因となったファラゾアの降下地点の一方だけでもどうにかしようと計画され、そしてその壮大な、或いは無謀な計画に強制的に巻き込まれた兵士のうちの一人である達也にとって、払暁どころか東の空が白み始めもしない真夜中と言って良い時間にベッドから這い出して装備を調え、出撃の一時間ほど前に格納庫に到着して準備を始めるという毎日の行動は、既に身体に染みつき始めた習慣のようなものでもあった。
機体の整備は整備兵が行ってくれる。当たり前だ。それが彼らの仕事だ。
だからといって、パイロットは自分の機体の整備に一切関わらなくて良いという訳では無かった。
その機体に自分の身体と命を乗せて、自分を殺そうと襲い掛かってくる遙かに進んだ科学技術を持つ地球外からの侵略者に立ち向かっていかねばならないのだ。
出撃前に自機の整備状態を自分の目で確認するのは必要なことであると多くのパイロットが認識しており、そしてそんなパイロットの行動に対して「俺の整備が信用できないと言うのか」と食ってかかる様な整備兵もいなかった。
皆分かっているのだ。
機体の整備が完璧で無ければ、それに乗るパイロットは直接的に命を落とすだろう。
そしてパイロット達が次々と撃墜されてしまったならば、次に命を落とすのは空港で働く整備兵や地上勤務兵達であると。
だから、直接的に自分の命がかかったパイロット達が自ら出撃前の再チェックをするのを誰も止めない。
そのパイロット達も、機体を完璧な状態に仕上げてくれることを信じて、ただの赤の他人である筈の整備兵に自分の命を預ける大切な機体を任せるのだ。
格納庫に到着した後は三十分ほど掛けて機体の状態や整備中に気付いたことなどの情報の引き継ぎを行い、整備兵と共に最終チェックを行う。
それが終われば自機のコクピットに潜り込み、引き続き整備兵と共に実際にパワーを入れた状態での動作確認を実施する。
それらの確認が終わる頃には出撃予定時刻となっており、格納庫入り口に近い機体から格納庫内でエンジンを始動して格納庫を出て、すぐにタキシングを開始する。
格納庫内にエンジン排気が滞留する事や、安全上の問題から、本来であれば機体は牽引車を使って格納庫から引っ張り出し、エプロンの駐機スポットでエンジンを始動することとなっている。
しかし、上空遙か宇宙空間からファラゾアが人類の基地を監視している可能性が高く、出撃作業を敵に気付かれるのを少しでも遅くする為に、最近では特に多数の機体が一度に出撃する場合などには、格納庫内でエンジンに点火してからエプロンに出て、そのまま速やかにタキシングを開始する流れが主流となっていた。
タキシングを終えると、滑走路端でクリアランス待ちの一次停止をする事も無く、そのまま滑走路上で加速して空に上がっていく。
これもまたファラゾアに出撃を探知される可能性を少しでも減らすために、作戦中の出撃時にはクリアランス要求などの無線通信は全て省略されている。
何か緊急事態でも発生しない限り、戦闘機隊は完全に無線封鎖を守った上で決められた手順通りに全くの無言でタキシングを終えて離陸していくのだ。
ホームステッド基地の旧滑走路は狭く、一機ずつ離陸することしかできない。
新たに増設されたばかりの新滑走路は二機横に並べるだけの広さがあるが、達也達5339TFSが使用している格納庫は旧滑走路側にあるため、通常の離陸には旧滑走路を使用する。
これも決められた手順だった。
達也はタキシングを終えて滑走路端に到達すると、HUD上のパスマーカーが滑走路のセンターラインと一致していることを確認しておもむろにスロットルを開けていく。
機体は滑るように滑走路上を増速し、100mほど進んだところでスロットルを全開にしてアフターバーナーを全開にし、更に加速する。
3400m余りある滑走路の2/3程を過ぎた辺りで離陸速度に達し、操縦桿を少し引いてやればふわりと機体が浮き上がる。
着陸脚を格納してやると空気抵抗が減り、機体は更に加速する。
増速しながら機体を左に旋回させ、やっと僅かばかり東の水平線が明るくなり始めた夜空に向けて高度を上げていく。
標識灯を一切点灯せず、ぼんやりと薄緑色に光る編隊灯のみを点灯した状態で、基地上空10,000ft(3000m)を反時計回りに旋回する僚機達、5339TFSの編隊に合流した。
15番機、即ち最後の離陸順である達也の機体が合流した5339TFSは旋回半径を一回り大きくし、次に離陸し空に上がってくる5340TFSに場所を空けた。
達也達5339TFSと同じ早番の出撃である5340TFSが、先ほどまで5339TFSが行っていたと同じようにしてホームステッド空港上空で旋回しながら編隊を整え、こちらも一五機全てが揃うのを待ってから、5339TFSと5340TFSは合流し、一路南を目指す。
フロリダ半島の先端を超えさらに南に向かって飛ぶうち、キューバ島に到着するよりも少し手前でマイアミ基地やハリウッド、パームビーチと云った空港から飛び立った米軍機が合流してくる。
米軍からの払い下げであったり、ただ単に低価格であるという理由であったり、ボーイングやロッキードと云った米航空機製造企業は、米国の国策により国連軍よりも米軍に向けて優先的に新鋭機を納品する等といった理由で、旧式の機体を多く使用している達也達国連軍に対して、米軍はF41エストック、F35ライトニングⅡなどと云った第五~第六世代の最新鋭の機体を多く使用していた。
コストの問題なのか、或いは格闘性能の問題なのか、米軍にも旧式の機体がちらほらと混ざるのだが、しかしそれらは全てF16Eであったり、F15EXなどであったりするいわゆる改良型4.5世代機であった。
国連軍を前面に追いやってその後方の基地に展開していることや、最新鋭機が工場からロールアウトするととりあえず全て米軍に渡り、国連軍には彼等のお下がりのような機体しか回ってこないこと、そして毎日の出撃時に米軍は常に後ろに合流してくることなどから、国連軍の兵士達は米軍の編隊を苦々しげに見て密かに「チキン野郎ども」と見下して呼んでいた。
それは米政府が常に前面に押し出してくる自国第一主義であったり、国力が低下した現状で極力自軍の損害を押さえたい少々小狡い米政府の企みであったり、戦争好きの割には異常なほどに自国兵士の死を嫌う米国の世論であったり、その世論を背景に行動しなければならない米政府の立場であったりするのがその理由であるのだが、その理由はどうあれ前線でまさに命を張っている国連軍兵士達にしてみれば、米軍が国連軍兵士の命を使って盾にしているように見えることに変わりは無かった。
もっともお互い最前線の兵士同士として、米軍の兵士達個人は十分に勇敢である事を彼等は知っており、また北米大陸に布陣する国連軍部隊には多くの米国人兵士が在籍することからも、表だってその言葉を口にすることはないのだが。
「ファラゾア迎撃機の動きを確認。ターゲットマージ。推定2000機。推定距離500km。接敵まで4分。」
編隊に随伴していた二機の米軍RF15Xが、それぞれ左右にバンクして旋回していき、編隊を離れる。
RF15Xは新型の索敵センサーを搭載していると云われており、それは多分GDDの事だろうと達也は予想していた。
その最新のセンサーを搭載した偵察機を失うのが怖いのか、RF15Xはファラゾアの動きを探知し、それを知らせた後に必ずすぐに編隊を離れていく。
「各小隊、ブレイク。高度10にて進路を維持。」
偵察機が離れてすぐに隊長からの指示が飛ぶ。
ジリオラ機が右にロールして降下する動きに合わせて達也も同じ動きを取る。
既にジリオラの動きの癖は掴んだ。ジリオラ機との間隔は通常の編隊飛行時と同様に30m程度しか無い。
すぐ左には、二番機位置を維持して同様に降下するシャーリー機が見える。
達也がこの小隊に編入されて半月近く経った。
シャーリーもジリオラも、編隊を組んでファラゾアの中に突入する事の利点を既によく理解していた。
パナウィーほどでは無いが、ジリオラもシャーリーも良い腕を持っていた。
そこは流石、最前線で生き残ってきたパイロットと云うべきか。
戦闘中に編隊を維持する利点を理解していたとしても、それを実行できるかどうかは全く別の話だ。
しかし最初は遅れ気味に付いてきていたシャーリーも、今ではどうにか編隊と呼べる距離で、達也達と連携を取りながら敵を撃破しつつ敵中突破可能となっていた。
小隊毎にひとまとまりになり編隊を組んで敵中を突破するこのやり方は、編隊各機の間隔が非常識に近すぎ、空中衝突の危険がある事や、非常に高い技量がパイロット達に求められること、また緩くまとまりながら小隊内でお互いをカバーし合いながら戦うという従来の格闘戦戦術と大きく異なっていたなどの理由により、その従来のやり方で今まで生き残ってきた最前線パイロット達に当初容易に受け入れられることはなかった。
しかしながらこの小隊単位での編隊戦闘機動は、レーザーと云う長射程且つ破壊力の高い武器を主に使用し、横向きでも後ろ向きでも空中機動が出来る上に、数百数千という数にものを言わせて人類の航空隊を押し潰そうと襲いかかってくるファラゾアという敵に対して、編隊を構成する各機は自分の受け持ちである全球の1/3程度を重点的に警戒するだけで良い為、敵に対する警戒の負担を大きく軽減できることや、いわゆる紡錘陣、或いは魚鱗陣と言われる突破力の高い陣形を組んでいるに等しく、前方に三機の攻撃力を集中させる事に依って、とにかく数に任せて包囲飽和攻撃を仕掛けようとしてくるファラゾアの包囲網を食い破る為に非常に有用である事などの大きな利点があった。
実際にジリオラに率いられた達也達5339B2小隊が実施して見せ、ジリオラが「明らかにやり易くなった。撃墜数も増加した」とコメントしたことで、少なくともホームステッド基地に駐留する国連軍部隊の各小隊長の興味を引き始め、そして彼等が半信半疑で実施してみたところその効果を実感したと言う者が複数現れた為、後に「デルタパック」と呼ばれるようになるこの三機編隊での戦闘機動という戦術は、国連軍パイロット達に急速に受け入れられていった。
それはまるで、地上平面での用兵術をヒントに現代の空中格闘戦の戦術を編み出した、温故知新という言葉を体現したかのような戦術であったが、重大な難点をもまた抱えていた。
圧倒的攻撃力と圧倒的物量を誇るファラゾアに対して唯一人類が確実に有利である反応速度或いは応答速度を最大限に生かすため、人類側の戦闘機は戦闘中常に小刻みに飛行ベクトルを変える所謂ランダム機動を行っている。
戦闘中にデルタ編隊を維持し続けると云うことはつまり、小隊長に対しては常に部下の機位と状態を把握した上で、部下が対応できる範囲内で且つファラゾアに照準を合わせられないようなランダム機動を行う技量が求められる。
逆に部下である兵士達には、全球の1/3の空間に存在するファラゾアの挙動を警戒しつつ、上官である小隊長の機動の癖を把握した上で、空中衝突など起こさないように気を配りながら、小隊の編隊を維持しつつランダム機動を行わねばならない。
即ち、対ファラゾア戦術として非常に有用なデルタパックではあるが、それを実施する将兵には非常に高い技量と、高度な連携が求められるという高等技術であったのだ。
「距離07。突き上げる。遅れるな。」
レシーバからジリオラの声が響く。
距離がこれだけ近くなれば、さすがに前方レーダーレンジの中にファラゾア機のマーカーが表示される。
「5,4,3,2、1、GO!」
ジリオラのカウントダウンが零になると同時に、上空を埋め尽くさんばかりに飛行する大量のファラゾア機に向けて三機のF16が急角度で上昇していった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
・・・あれ? 一話で終わらなかったぞ・・・
余計なことを書きすぎた。
次で終わらせます。