34. バインミー (Bánh mì)
■ 2.34.1
無事シンガポールを再占領した後、達也達4287TFSはすぐにバクリウに呼び戻された。
国という場所と国家間の条約というものに縛られ、動きが重くなりがちな各国の空軍に較べて、国連という特殊な生い立ちを持つ軍隊は国境を越える転戦に対応しやすいため、突発的短期的な戦力の調整を行う必要があるとき、気軽に他の基地に出張させることが出来る、という特徴を持つ。
これは作戦を立案する側にとっては非常に使い勝手の良い部隊と云う事が出来、一方実際にその転戦を実行させられる兵士側にとっては大いなる不幸であり、その様な転戦指示は常に人一倍働かされる事になる迷惑千万な代物である。
短期的に戦力を補充・増強したい戦線とはつまり大概の場合、局所的に極めて激しい戦闘が予想される、或いは現有戦力では戦線を支えきれない事が明らかな場所である。
地球全体どこを見ても戦力の余裕などあるわけもなく、即ちその様な風雲急を告げるが如き戦場であっても、必要充分な戦力が補充されるわけではないのはもうお決まりの事であった。
即ち、応援先ではいつもまさに文字通り命がけ血みどろの戦いが繰り広げられ、その激しい戦いに対応するには手が足りず、そして少しでも手を抜けば戦線が崩壊してしまい自分の命を含めて味方全体が壊滅する。
達也達チムンB1小隊を擁するチムン隊、あるいはバクリウ基地駐留国連軍第4287戦闘飛行隊は、飛行隊内のごく一部のパイロット達の成績が最近うなぎ登りに向上したお陰で、「安定して結果を出す部隊」と上の方に覚え目出度く、まさにその様な局所的戦況悪化に対応出来る遊撃部隊、有り体に言ってしまえばどこにでも投入できる使い勝手の良い便利屋として転戦を重ねることが多くなってきた。
先日のシンガポール奪還作戦が成功した後、本来なら戦線が安定するまでしばらくシンガポールでの作戦行動が続くはずだった。
太くなった補給網を通じてマレー半島から続々と物資や地上勤務兵が送り込まれてくる中、急ぎ翌日バクリウ基地に帰投せよとの知らせが届けられた。
そしてバクリウ基地に帰った達也達4287TFSを待っていたのは、ルソン島のニノイ・アキノ空港への応援出張命令だった。
着陸後、駐機スポットに愛機を止め整備兵に機体を渡した後、パナウィーが腹が減ったというのでアランと三人でカフェテリアにやってきた。
カフェテリアとは名ばかりで、無骨なコンクリート打ちっぱなしの壁にテントを引っかけ、壁沿いに何件も並んだ屋台が食事と飲み物を提供する、そして客の方は購入した食事を手に持ってその辺に転がっているテーブルと椅子を占領して適当に飲み食い始めるという、アジア地域によくあるナイトマーケットのフードコートがそのまま基地の敷地内に店を開いただけ、という場所だった。
「呼び戻されたって事は、また別のデカい作戦があんだろな。俺達、働かされ過ぎじゃねえ?」
アランが大きめのバインミー(フランスパンのサンドウィッチ)を頬張りながら言った。もう一つバインミーが載った皿の横には、バインセオが山になった皿がある。
アランは先ほどから凄まじい勢いでバインミーを食いちぎり、コークで腹の中に流し込んでいる。
「好き嫌い言ったってどうせやらされるんだから、文句言うだけムダよ。」
と、無心にミーイー(スパゲティ)をつつくパナウィーが応える。
大皿に山盛り載ったミーイーの脇には、ガーヌン(焼き鳥)が山になっているという不思議な皿をパナウィーは抱えている。
最近はこうやって三人で食事をすることが多くなった。
パナウィーが一人で食事をするのを嫌がって、二人を見かけると必ず食事に引っ張っていこうとすることと、4287TFSのメンバー以外とは、微妙な距離感が出来てしまったためだった。
それでも同じ国連軍である4288TFSの連中は比較的話しかけてくる方だった。
各国からの派遣部隊の兵士達は、声を掛けてくることもなく遠くからこちらを見て一瞬ギョッとして、あからさまに離れたテーブルを選んで座る程度ならまだマシな方で、遠くのテーブルからこちらをチラチラと盗み見て、仲間内で何やらひそひそと話す様な姿を見かけることもあった。
隊内にエース級パイロットを二人も抱える事で、達也達4287B1小隊、或いは4287TFS全体の成績と評価は他隊の追随を許さない程に跳ね上がり、その余りの成績に他隊の兵士達が彼等から少し距離を取り始めたことが始まりだった。
要するに、気後れ、羨望、嫉妬、妬みといった様な感情だった。
幸いパナウィーを始め、アランも達也も他人が嫉妬に満ち満ちた視線を送ってくることを気にする様な性格では無く、また一人で食事をする事を嫌がるパナウィーもどうやらアランと達也が一緒に居れば他はどうでも良いらしく、他隊の兵士達から微妙に遠巻きにされ、色々な感情の交ざった視線を向けられていることを三人の内誰も気にはしていなかった。
バインミーを一本食べきったアランが、脇から手を出してパナウィーのガーヌンをひとつ掠め取った。
「あ、ちょっとアンタ、自分のがそんなにあんだから、人の取らないでよ。」
とパナウィーが言ったときには、既にガーヌンの肉はアランに食い千切られた後だった。
「一杯あんだしいいじゃんかよ。ここ何日かろくなモン食ってねえからなんもかんも美味くってさ。」
補給線がやっと確立されたばかりで、もちろん民間の住民など一人も戻ってきてはいないパヤ・レバー基地での食事は、マレーシア軍の糧食と陸軍が作る僅かな量の炊き出しが中心で、必要な栄養が取れていればそれで十分といったコンセプトのもので有り、味も量もバリエーションもとても満足できたものではなかった。
バクリウ基地の背後にはバクリウの街がある。
人々は最前線にほど近いその街で暮らし、そして儲け話を求めてバクリウ基地の中にまで入り込み、さながら街中の屋台街の様に様々な屋台を開いていた。
新造の基地であるため色々な設備がまだ未完成で、基地内にありとあらゆるものが足りていないバクリウ基地は、そういった付近住民の商売に目を瞑って好きにさせていた。
いや正しくは、頼り切っていた。
日用品から軍用品、食事の提供から兵舎の掃除洗濯まで、バクリウ基地ではありとあらゆるものを付近住民の手に頼っている。
その分今達也達が舌鼓を打っている食事の様に、軍が決めたお仕着せのメニューではない、バリエーション溢れる普通に街中で売られているのと殆ど変わり無いものを基地の中で手に入れる事が出来るというメリットもあった。
「大尉。スパゲティ食べるのにスプーン使うな。マナー違反だ。」
二人の会話を聞きながら、口の中にあったバインミーを飲み込んだ達也がパナウィーに言った。
任務から離れた後はパナウィーが堅苦しい喋り方を嫌ったのと、上官と言うよりは、共に死線をくぐり抜けた仲間という意識の方がお互い強く、ここに来て一年を超えた今となっては、達也もパナウィーに対して相当砕けた口調で話す様になっていた。
もちろん、任務中以外での話だ。
「うっさいわね、大英帝国の人間は。最前線の基地でマナーもクソもないでしょ。そもそもタイ人は、スプーンとフォークを使うのが正式なのよ。」
「・・・なるほど。右手にスプーンか。マレー人と同じだ。納得した。」
難民キャンプと新兵の訓練とで合わせて三年近くタイで生活していたが、そう言えばタイ人と食事を共にしたことは殆ど無かった、と達也は思い返した。
難民キャンプに居る間はほぼ毎日シヴァンシカと食事を共にし、軍に入隊してからはシンガポール人の新兵達と食事をしていたのだった。
マレー人達は、食器を使って食事をする場合には左手にフォーク、右手にスプーンを持ち、スプーンをまるでナイフの様に使う。
タイ人も同じである様だった。
ちなみに、両親共にアメリカ人であるというアランの外見は完全に白人であり、食事の時も西洋風にフォークとナイフを使っている。シンガポールで生まれ育っているので、箸の使い方も比較的巧みだ。
「だいたいアンタは手づかみで食ってるじゃないよ。手づかみな奴に言われたくない。」
「バインミーはサンドイッチだ。サンドイッチは手づかみで食べる様に作ってある。これが正しい。」
「あーそうですか。理屈っぽい男って嫌い。」
そう言ってパナウィーは、左手に持ったフォークにスパゲティを器用に巻き付け、右手のスプーンの上に載せて口へ運んだ。
屋台などでよく出てくるステンレス板を打ち抜いて曲げただけの薄っぺらいフォークとスプーンなのだが、その使いにくいフォークをパナウィーは巧みに使って、こぼしたり飛び散らせたりすることなく思いの外上品な食べ方をしていた。
ただし左右が逆だが。
「・・・何よ?」
器用なスパゲティの食べ方をするパナウィーを達也が見ていると、彼女は達也を睨んできた。
「器用に食べるもんだと思って。左手でよくそれだけ器用にフォークが回せるもんだ。」
「アンタ達日本人の方が余程器用なことするじゃない。チリビーンズを箸で摘まんで食べてた時にはマジで呆れたわ。」
ベトナムでは食事の時に普通に箸が出てくる。パナウィーの前でその様な事をしたかも知れない。
チリビーンズを箸で摘まんで食べるなど、和食の煮豆を箸で摘まんで食べるのと同じで達也にとっては特に難しいことではない。
「子供の頃に練習させられるんだ。ウチは父親がテーブルの上に乾いた小豆をぶちまけて、全部箸で拾って皿に戻せ、っていうやり方だった。」
ガーヌンを囓っていたパナウィーが目を丸くする。
「何その拷問? 発狂するわそれ。乾いた豆って固くて滑るから箸で摘まめないでしょ。」
「しかもこんな小さい奴。」
そう言って達也は、右手の人差し指と親指の間に数mmの隙間を作ってパナウィーに見せた。
パナウィーは鶏肉を囓っていた口と手を止め、呆れた様に一瞬上を向いた。
「日本が機械工業に強い理由が分かった。アンタ達がそうなら、ロボットは蛙の卵でもらくらく摘まみそう。」
皆大概日本人の箸の使い方の異常さに似た様な感想を述べるのだが、少し練習すれば多分パナウィーも同じ事が出来る様になるだろうと思いつつ、達也は苦笑いを返した。
「ちはっす。タツヤ、ここ良いか?」
突然後ろから声を掛けられ、振り返ると同期のアミール准尉がいた。
同じ4287TFSという事もあり、この男も達也達三人が固まっていても比較的気軽に声を掛けてくる者の一人だ。
アミールは、軍への入隊自体は達也よりもかなり前になるが、達也が次から次へと記録を塗り替えるほどに飛び級を繰り返した結果、パイロット学校を卒業するのが同じタイミングだった。
実は年齢はアミールの方が二歳上なのだが、お互いこの基地にいる唯一の同期であるので、年齢など関係なく同期として親しくしていた。
この基地に同時に配属された四人の内、ウォン少尉はここに辿り着くことさえ出来ずに、チャン少尉は武装巡廻偵察中にMIAとなって消えていった。
最前線に配属されて一年以上経ち、天性の才能を持った達也ほどではないにしても、アミールも最前線で生き延びていくだけの充分な実力を持ったパイロットへと成長していた。
「ツァイ隊長がアウ・ズオン司令に呼ばれてったぜ。次の作戦の指示だろうな。休む暇もねえや。」
そう言ってアミールは、持って来たバインセオとバインバンの皿をテーブルに置き、達也の横に空いていた席に座りおもむろにバインバンにかぶりついた。
四人で談笑しながら食事を終え、コーヒーやフルーツティーなどめいめいに飲み物を楽しんでいるとき、テーブルの脇に立つ影があった。
ツァイ少佐だった。
少佐を見上げる達也達四人を見回して、ツァイ少佐は軽く頷いて言った。
「ちょうど良い。食事が終わったら4287TFSは1330時からミーティングだ。二階の詰所に集合してくれ。次の作戦指示があった。他の者を見かけたら声を掛けておいてくれ。」
そう言ってツァイ少佐は踵を返し、詰所のある国連軍格納庫の方に向かって歩き去った。
その手には、ここのカフェテリアで手に入れたのであろう、バインミーを入れた紙包みが二本握られていた。
「少佐でもメシ食うんだな。オフィスで食うのかな。」
その後ろ姿を眺めながら、アミールが呟いた。
出撃やその計画立案、管理事務の紙仕事など、事務仕事が多く多忙を極める左官達は、自室で仕事を片付けながら食事を摂ることが多い。
片手を開けた状態で食事の出来るバインミーは、彼等の人気メニューだった。
「いやメシくらい食うだろ。普通に人間なんだし。」
アランが笑いながらそれに返した。
「怪しいな。少佐見てると昔見た映画のロボットに似てるんだ。ほら、なんて言ったっけ。そうそう、ターミネーター。」
アミールがハリウッド発の有名な古い映画のタイトルを言った。
達也もその映画なら見たことがあった。
言われてみれば、無表情なところや、無駄な動きを一切しないところが、なんとなくあの州知事まで務めたという俳優の演ずるロボットに似ている。
「確かに。あのオッサンなら二・三発食らっても普通に生きてそう。」
パナウィーが好きなことを言っている。
「・・・さてと。行きますか。皆を集めなきゃね。手分けして探すよ。アタシは詰所の中を探すわ。」
ニヤニヤと笑っていたパナウィーは表情を戻すと、椅子を引いて立ち上がった。
「ちょっと待て。さりげに自分だけ楽してねえか? 俺っちどこ行きゃいんだよ?」
アランが抗議の声を上げた。詰所の中を探すというのは、つまり何もしないという意味に近い。
「あんた事務棟、特に娯楽室。タツヤは食堂。アミールは4288格納庫。OK?」
「汚え。手前ぇは何もしない気かよ。」
「上官は指示をするのが仕事。ほら、行った行った。」
職権乱用だ、横暴だと抗議の声を上げるアランを含めて三人は、それぞれ指示された場所に向けて4287TFSの隊員達を探しに散っていった。
もちろん、パナウィーは真っ直ぐ格納庫に向けて歩いていった。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
予告通り(?)更新遅くなり申し訳ありませんでした。
こういうのも書いてみたくて、戦いの合間に地上でちょっとのんびりとしている兵士達の休息時間です。
やたらバインミーが出てくるのは私の好みだったりします。(笑)
片手で食べながら仕事が出来るというのはホントの話ですが。もっとも店によっては、とても片手で支持しきれない大きさのものを寄越したりもしますが。
チリビーンズ云々の話は実話です。実際、小豆を集める特訓もやらされました。
それを聞いたタイ人が、料理に入っているピーナツでトライしようとして、滑ってこっちに飛んで来たピーナツで服が汚れたりしました。(笑)