33. 爪痕
■ 2.33.1
今日のことを一生忘れることはないだろう、と達也は思った。
Operation "Peninsula Edge"が発動され、達也達4287TFSの十五機はいつも通り未明の暗がりの中、縦一列に並んで前を行く僚機のタクシーライトと誘導路脇に並ぶ青い誘導灯を頼りに誘導路を進んでいた。
4000mもある滑走路を三本も持つKLIAは驚くほど広大な敷地を持ち、マレーシア空軍、シンガポール空軍、タイ空軍の計二百機を元々擁していたが、達也達国連軍の三十機がそこに加わろうとも狭いという感じは全くしなかった。
それどころか、エプロンや駐機場から滑走路が遠く移動に時間がかかり、同じチムン隊の中には「広いんだし、面倒だからエプロンからそのまま飛んじまえば良いんじゃね?」などと言い出す者も居る始末だった。
実際やろうと思えばそれは可能だろう。
流石に実行に移す奴など居ないが。
バクリウ基地とは異なり、この基地には日本軍の部隊が駐留していないため、達也の四〇式零改は昨日、作戦前であるにも関わらず簡易的な整備を受ける事しか出来なかった。
最新鋭の特殊な機体は、色々便利な技術が山盛りで助けられる面も多いが、その分特殊な部品やモジュールが多いため、ホームとしている基地以外の場所に出張すると途端に整備が不安になるという欠点を併せ持っているという事を、達也は身を以て知ることとなった。
尤も一昨日はインドシナ半島からマレー半島まで、二時間1000kmほど飛行しただけなので、大規模な整備が必ず必要という訳では無かった。
その程度でへたる様な機体であれば、そもそも一日の内に三回連続で出撃するなどと言うハードな使い方をしている内に、とうの昔に墜落していただろう。
三日月が夜明け前の東の空にかかる中、達也達4287TFSはまだ星の瞬く夜空に向けて飛び立った。
いつも通り無線は封鎖されており、レシーバからは何も聞こえてこない。
しかし既に何十回と繰り返した手順に皆慣れたもので、ツァイ少佐とL小隊の三機が離陸した後にKLIA上空で旋回を始めると、各小隊ごとに次々と皆離陸して、何の交信もすることなく旋回中の4287TFSの編隊に合流して、最終的に十五機の編隊を作った後に旋回半径を大きくして出撃待機に入った。
東の空が明るくなり始めた。
薄暗い青色が、マレー半島を南北に走るティティワンサ山脈の稜線をうっすらと闇の中に浮かび上がらせる。
空は暗い紺色から徐々に紫色に変わり、太陽が地平線に近付いてくるに従って東の空が赤く染まり始めた。
全天が薄明かりに染まり青くなり始めた空を、マレーシア空軍のSu30MKMで構成された十二機の編隊が先陣を切って大きく翼を傾け、進路を東に向けるのが見えた。
まだ暗く影の様な機体が、三つのダイアモンド編隊を形作って明るい東の空に向けてゆっくりと進む。
シンガポール空軍のF15SG、タイ空軍のF16Cによる編隊がそれに続いて進路を変えた。その他色々な機種で混成された部隊が続々とそれに続く。
外様である4287TFSとサイゴン基地からの4285TFSは最後尾での移動となった。
それはKL基地からの出撃に慣れていない部隊なので最後尾に回されたというところもあるが、まだGDD搭載機が配備されていないこのKL基地で、唯一ファラゾアの動きを遠距離から掴める達也の機体を守る為の布陣という意味もあった。
達也の機体はここでも目立った。
淡い色、濃い色の差はあれどもいずれもグレイを基調とした色で塗装された機体ばかりの中で、一機だけ青色で塗装された機体が混ざり込めば、それは目立つ。
しかもその一機が、F16に酷似しつつもKL基地ではついぞ見かけたことがない日本製のF2戦闘機であり、しかもそのF2をベースに色々と手を入れられてまさに「魔改造」と呼ぶに相応しい、ベースのF2とは似ても似つかない性能を誇る最新鋭機となればより一層である。
さらにその派手に悪目立ちする機体が、バクリウ基地でもトップ争いをするパイロットが駆る機体であり、ここKL基地でもたまにその名前を聞くことがある「女皇とロイヤルガード」或いは「デルタサーカス」などと云う異名を付けられるほどの小隊―――「女皇」と呼ばれる小隊長もまたエース級でしかも美人―――の一角を占めるという事実が兵士達の間に広まれば、誰もが物珍しげに視線を投げかけてくるのは当然と云えば当然の成り行きであった。
KL基地上空を離れて三十分近く経った。
マレー半島東岸を過ぎ、南シナ海上空に出て、そろそろリアウ諸島が見えようかという頃。
達也のHMDに紫色の円が短い電子音と共に表示された。
方位10。ほぼカリマンタン島の方向。
達也は少し増速し、パナウィー機の右側に出るとそのまま右に90度旋回した。
パナウィー機、アラン機がそれに続く。
無線封鎖の中、お互いに通信できないことからあらかじめ示し合わせていた行動だった。
達也の四〇式零改に搭載されているGDDは、ファラゾアの重力推進の強さと方角を探知は出来るが、距離が掴めない。
いわゆる三点法でそれを知ることは出来るが、その為には編隊から一度離れなければならない。
幾ら達也の腕が良いといっても単機では不測の事態が発生する恐れがあるため、こうやって小隊の僚機に知らせ、二機が達也機をカバーするという取り決めだった。
逆に、達也機がその様な行動を採ったという事は、GDDがファラゾアの動きを探知したという事に他ならない。
達也機の行動の意味を知っている4287TFS内に緊張が走る。
「チムン13より各隊へ。ファラゾア機の迎撃行動を探知した。カリマンタン島上空、距離90。機数推定2000。針路等不明。」
距離を確認し、明らかにカリマンタン島上空にファラゾアが集結しつつあるのを確認すると、達也は無線封鎖を破った。
達也の機体に搭載されているGDDは、初期型に較べて特に画面表示に改良が行われ、GDDが検知した重力波強度を探知円に沿って、十二時の位置を起点に時計回りに太線で示す様になっている。
探知円の太線の部分が多いほど探知した重力波強度が強い事を示しており、これまでの戦闘での経験から、太線部分の長さとカリマンタン島上空で活動するファラゾア機の数の大まかな関係を達也は感覚的に掴んでいた。
カリマンタン島との距離が縮み、島の上空でファラゾア機が活動し始めたという事は、こちらに気付いて迎撃行動を採っていると考えて良い。
すでにこちらに気付かれたのであれば、これ以上無線封鎖を維持する必要など無かった。
やがてマレー半島を発した地球側戦闘機隊は、海を越えて飛来するファラゾアの軍勢と接触し交戦状態に入る。
今回はカリマンタン島地上施設を攻撃することが目標では無く、カリマンタン島発のファラゾア機をできるだけ多く叩き落とすことと、交戦後はシンガポールで補給を行って反復攻撃を行う事が目的の出撃である。
事実、対地ミサイルなどで爆装している部隊は無く、全ての機体が増槽或いはガンポッドを搭載したのみの空戦仕様で出撃している。
有り体に言うなら、戦闘機隊がKLからシンガポールに移動する行きの駄賃に、カリマンタン島で寝ているファラゾアを一発殴り飛ばしてから移動を終える、という作戦だと言い換えても良い。
KL基地を発した二百機近い戦闘機群が次々と戦闘に突入していく。
応援に来た達也達4287TFSも例外では無く、南シナ海上空でベイパートレイルの弧を描き、20mm砲弾の火花を吐き出して乱戦状態の戦闘空域に突入していった。
眼の前で揺れる赤い「皇」の文字が、ふわりと横に倒れ、不意に消える。
その動きを眼で見て、考えるより先に身体が反応する。
右手が本能的に操縦桿を操作する。
少し先に、パナウィー機の後ろ姿が見え、横にアランの黒い機体が飛んでいる。
HMDの画像はどこを見ても緑のTDブロックと、紫のGDDサークルで埋まっている。
パナウィーが躊躇いも無く敵の密集する空間に突っ込んでいく。
正面の敵はパナウィーが墜とす。
残りの内、こちら側半分が達也の受け持ちで、反対側がアランだ。
ラダーと操縦桿を使い機首を進行方向からずらす。
追加装備されたカナードと推力偏向パドルで、ごくスムースに進行方向を変えずに機首が動く。
マーカーをガンレティクルに合わせトリガーを引く。
オレンジに光る火線がコクピット両脇から伸びてクイッカーに集中する。
撃墜を確認することもなく次の目標に照準を合わせ、再びトリガーを引く。
ただ照準を合わせて撃つだけでは当たらない。
未来位置予想の円の動きから、さらにファラゾアの挙動の癖を考慮した位置を撃つ。
タイミングによっては急加速して離脱しようとする敵機の出鼻をくじく形で、その未来位置に砲弾を叩き込む。
それを繰り返しつつも、視野の端で先を行くパナウィー機を追う。
次から次へと敵を屠り続ける三機、六本の射線が束になって敵の中を突破するから強いのだ。
デルタ編隊を崩して距離が離れると、途端に敵に囲まれ始めるのは経験で知っている。
パナウィーの動きに合わせて追従し、自分の受け持ち範囲に入る敵に次々と20mm砲弾を浴びせ掛ける。
三機が通過した後には、とてもたった三機で撃墜したとは思えない数の敵機が薄い煙を上げ、放物線を描いて海上に墜落していく。
ファラゾア機は、撃破しても滅多に爆発する事は無い。
ただ薄い煙を引きながら落下していくだけだった。
燃料が爆発性のものではないからだ、と言われている。
だから、飛行能力を失い落下していく敵機を目視で確認して確実に撃墜した事を確かめなければ、普通ならば自分が何機撃墜したか分からなくなる。
だが達也には、確実に砲弾が食い込み動作不能になるまで敵の内部構造を破壊できたか、或いは浅く当たっただけで殆どダメージを与えられていないか、砲弾が敵に当たった瞬間になんとなくその区別が付いた。
どうやらパナウィーもアランも同じ様な感覚を持っているらしかった。
一回の出撃で、三人合わせて百機以上の撃墜数をマークすることも珍しくなかった。
不意にパナウィーが機体を捻り、急降下しながら増速して戦闘空域から離脱する様な動きを見せた。
弾切れが近いのだろうと思った。
通信など来ないが、だいたい感覚的に分かる。
戦闘に突入してからの、お互いの射撃量と自分の残弾量から、各機の大まかな残弾量は感覚的に把握できる。
各機2000発以上の20mm砲弾を搭載しているが、誰か一機の残弾が600を切ったらそろそろ引き時、200を切ったら何を置いても絶対に補給に帰る。
それが小隊内の不文律となっていた。
帰り道に送り狼に襲われないとも限らないのだ。
弾切れで敵に追い回される恐怖は、他に教わらなくとも達也は身をもってよく理解していた。
案の定、補給に戻ることを知らせるパナウィーの声がレシーバから聞こえてきた。
「チムンB1、ブラボーワン、アンモビンゴ。RTB、QPG、ケベック、パパ、ゴルフ。」
「チムンリーダー、コピー。ブラボーワン、ケベック、パパ、ゴルフ。」
いまだ戦闘空域に残るチムンリーダー、ツァイ少佐から補給の承認が下り、達也達三機はやって来たのとは少し異なる方角、南東の海上に向けて離脱した。
高度3000mにて僅か十分足らずの飛行で前方の水平線上に霞んだ陸地の影が見え始めた。
こんなに近いところで戦っていたのか、と、達也は内心驚く。
これは確かに、少し押し込まれるだけで簡単に市街地上空が戦闘空域になってしまうだろう。
徐々に陸地の形がはっきりしてくる。
密林を幾何学模様に切り取る様に作られた農場、緑の中に切り込みを入れた様な道路。
その向こうに、複雑な水路に囲まれ、幅の狭い水路を隔ててまるで全てが市街地に覆われたかの様な島が見える。
シンガポール。
ファラゾアの攻撃や、敵味方問わず飛んでくる流れ弾、倒壊してくる建物や、ガソリンに着火して突然爆発する放置自動車など、ありとあらゆるものに怯えながら空を見上げ、足を引きずるシヴァンシカを庇いながら命からがら逃げ出したここに、まさか自分がその戦闘空域を離脱して空から戻ってくるとは想像さえしていなかった。
パヤ・レバー空軍基地は、すぐ北にジョホール海峡、海峡を挟んですぐマレーシアが存在するため、伝統的に南のシンガポール海峡側から進入する事になっている。
ファラゾア来襲後は国境や領空にこだわっては作戦行動など出来ない事から、全世界的にその手の制限は殆ど取り払われている。
特にシンガポールの場合、シンガポールという国が実質的に存在しなくなってしまっているため、マレーシアとの国境など気にする必要も無い。
しかしパヤ・レバー管制の誘導は、従来と同じく南側から進入する様に指示してきた。
マレー半島の東岸を南に下り、チャンギ空港上空を通ってシンガポール島南側に抜ける。
チャンギ上空を大きく旋回しているとき、右に傾いたコクピットの中から、右手にタンピネス辺りの市街地が良く見えた。
MRTタンピネス駅とそれを囲む商業施設の東側、高層アパートメントとHBDが立ち並ぶ辺りに、直径100mほどのクレーターとその周囲の建造物がボロボロに破壊されている場所が見える。
・・・家だ。
正確に云うと、達也達が住んでいたブロック264のアパートメントが存在していた場所だった。
そして、いまだ遺体さえ見つからない、多分永遠に見つかることのない母親が眠るところ。
今はもう、何もかも破壊されたただのクレーターと、その周りに山となった瓦礫だけがそこに存在した。
あのクレーターの端に座り込んで自分も絶望しながら、声を押し殺して泣き続けるシヴァンシカの背中を何時間さすり続けただろう。
陸軍の兵員輸送トラックのヘッドライトに照らされ、兵士に保護されたシヴァンシカの、そこを離れたくないと母親を呼ぶ絶叫に似た叫び声が今も耳に残る。
その泣き喚くシヴァンシカの気持ちが痛いほど分かるのだろう、シヴァンシカの腕を両脇から抱えた迷彩服姿の若い兵士達の、泣きそうな表情にも見える困った顔が妙に印象に残っている。
達也が生まれ育った思い出の場所は、もう永遠に失われてしまったのだった。
「タツヤ、高度が落ちている。」
パナウィーの声で我に返った。
自分の家があった場所に気を取られ、ヨーの修正もせずに適当に旋回してしまったため、随分高度が落ちていた。
右旋回する暗い色の二機のF16V2の姿が、左方向50m以上上空に見えた。
慌てて正面を向くと、グライドスロープ線は高度計の上限に付こうとしていた。
達也は機体のバンク角を調整し、少しずつ高度を下げてくるパナウィー達二機に合流した。
着陸のアプローチの最中にも、この美しい都市景観を誇った街に深く刻みつけられた惨状をあちこちに見て取ることが出来た。
ダウンタウンコアに林立していた超高層ビル群は、どれもがへし折れ破壊され、原形を止めているものはひとつもなかった。
シンガポール海峡と市街地を望む絶景を売りにした空中庭園が自慢だったベイフロントの高層ホテルも、建物がへし折れ、空中庭園は地上に叩き付けられて既に形もなかった。
パヤ・レバー基地にアプローチしていく中で、右手にベドク駅と大型のショッピングセンター、そして駅を囲む様に林立していた高層HBDが存在していた場所が見える。
あの日、達也とシヴァンシカが共にファラゾアの最初の攻撃による流れ弾で吹き飛ばされ、傷付いた身体を引きずりながら、死の恐怖と、夥しい数の無惨な死体に怯えながら逃げ惑い、自宅を目指して歩き始めたのがそこだった。
しかしその多くの買い物客と通勤客とで賑わったMRTの駅とその周辺の建物は、駅の北側にクレーターを作ったファラゾアのミサイルによってことごとく破壊されていた。
MRT駅は線路の高架とともに半ば崩壊しながら横倒しになって道路を塞いでおり、ショッピングセンターの建物はただの瓦礫の山と化していた。
HBDはどのビルも折れるか崩れるかしており、まともな外観を保ったものは一棟も存在しなかった。
その惨状を陰鬱な気持ちで眺める達也を乗せた四〇式零改は、もはや身体に染みついたと言っても良い着陸操作に従って滑る様にパヤ・レバー空軍基地の主滑走路に着陸した。
タクシーウェイを抜け、軍空港である特徴的な広いエプロンの駐機スポットに機体を止めた。
駆け寄ってくる整備兵や補給車の向こうに、人の集まりが見えた。
怪訝に思う達也の視野に、その人だかりの脇に止まったシンガポール空軍のシリアルを付けたF15SGが眼に入った。
シンガポール人達が、己の故郷の地を踏めたこと、基地だけとは言えども己の故郷をその手に取り戻したことに歓喜の声を上げているのだった。
自分もあの輪に入るべきなんだろうなと思いつつ、全くそういう気分になれない達也は、脱いだヘルメットを膝の上に置きそれを抱える様にして、感情の抜け落ちた様な眼で浮かれ騒ぐシンガポール空軍兵士達を機上から眺めていた。
ラダーを取り付けたはものの、なかなか動こうとしないパイロットを不審に思ってコクピットまで登ってきたシンガポール人の整備兵は、達也のその暗い眼差しを見てしばらく声を掛けることが出来ず固まっていた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
長くなってしまいましたが、どうしても一話にまとめたい話でしたので。
後半、殷々鬱々賭した描写のぶっ続けで下がりまくりでゴメンナサイです。
GWに入りますが、普通なら更新頻度が上がっちゃったりするのでしょうが、私の場合は逆に頻度が下がる恐れがあります。
もしそうなってしまったらゴメンナサイ。